長い電話だった。

「わくわく片付け講座」のチラシを見ての問い合わせで、整理や収納のノウハウを知りたいのに、どうしてメイクや似合う色の講座があるのか?ということだった。

 何度も同じことを説明したまろみは、ごきげんななめだった。

「参加すればわかるのに」

「納得しないと前に進めない人もいるものなのよ。

だけど、そういう人は納得するとびっくりするほど変わるわよ」

「そんなもんですかねえ、クレーマーにならなきゃあいいんですけど」

「興味がなければ問い合わせては来ないわよ」

「わくわく片付け講座」では、まずどういう自分になりたいのかを考えてもらう。

そして、なりたい自分になるメイクを覚えるのである。

これは、若い女性の化粧とは違う。

なりたい自分になるためのコミットメントなのである。

 男性は化粧をする女性の気持ちを理解するのは難しいかもしれない。

また、化粧をすると気分が変わるということも理解しがたいかもしれない。

 しかし、ある脳科学者によると、女性が鏡に向かう時には脳が喜んでいるそうである。

 化粧をすることは、自分の脳に化粧をすることであり、鏡を見て自分自身を認識することにつながる。

 だから、化粧はどう生きるかという問題につながり、鏡を見ることでドーパミンを放出し、新しい自分を発見できる。

 テクニックの問題でいえば、眉の形やアイメイクによって女性の顔は変わる。

 若々しく優しいイメージとか、落ち着いて信頼できるイメージとか様々である。

 そこで、なりたい自分の顔をつくるのである。毎日鏡を見てそのことを確認し、意識する。

 化粧という手段を使って、新しい自分を形成しようという試みである。

 「わくわく片付け講座」はこのような理由から、メイクの講座を行っている。

 次の段階で、自分の暮らしを考える。一番大切なものは何か、これからどういう暮らしをしたいのか。

 ここで、いかに多くのものをしまいこんでいるのか、本当に必要なものは何かを絞り込んでいく。

 特に、多くの人はたくさんの洋服を抱え込んでいる。

 そこで、処分をする基準を決めるが、その時に、似合う色の診断が役に立つのである。

 どういう自分になりたいかによって着る服の色も変わる。

 また、似合わないとわかった洋服なら、いくらか処分もしやすいであろう。

 今後の洋服の購入にも役に立つ。こうして、順を追いながら、自分の人生を見つめ、不用なものを処分していくのである。

 捨てるというと罪悪感を持ちやすいが、不用なものは下腹のぜい肉のようなものである。

 そして、ものを捨てることによって、身辺が片付いていくと気分も変わる。

 一番大切なのは、この精神的な部分だと、くら子は考えている。

 まろみから、クレーマーと危ぶまれた淀川清香は、メイクの講座で、きりっとして、やさしいイメージを希望した。

「実はお化粧したことがないんです」と恥ずかしそうに言った。

「いまどき、珍しい方ですね」

「学生時代はずっとソフトボールで、就職したのが老人ホームでしたから化粧なんかしてられませんでした」

「きついお仕事ですね」

「そうなんです。20年勤めたんですけど、腰の手術をして続けられなくなりました。

2年前から、在宅のケアマネをしています…ほんとはお化粧をするのがこわかったんです」

 実は、と清香は話し始めた。

 社会人になってすぐ、学生時代からの憧れの先輩Mから映画に誘われた。

 有頂天になり、デパートへ行き、洋服と山ほどの化粧品を買った。

 化粧らしいことをするのは初めてで、眼の周りはまっくろ、おしろいも塗りたくった割にはまだらな状態で、口は真っ赤だった。

 しかし、自分ではうまくいったと思っていた。

 当日、Mは、清香の顔を見るなり、顔を洗って化粧を落として来いと云った。

 清香は泣きながら駅まで走って、トイレに駆け込み、日が暮れるまで便座の上に座っていた。

 そして二度と化粧はしないと誓った。もちろん、それ以来、Mには会っていない。

 まろみは、デジカメをかまえて、ここでは、よそいきのお化粧ではなく、普段のお化粧で、簡単ですからね〜と言って、シャッターを押した。

 スキンケアの話の後、一人ひとりの肌の色にあったファンデーションを塗った。

 清香の顔は、ぼさぼさの眉を整え、頬紅をさし、薄く口紅を塗ると顔色が良くなり、すっきりして明るくなった。

「もう一枚撮りますよ。はい」

「変るもんですねえ」と清香はデジカメの画像を覗き込んでつぶやいた。

 これは、いわゆるビフォー、アフターである。

 変化を目に見える形にすれば、納得できる。

 このサービスは清香だけでなく、受講者全員の化粧前後の写真を撮り、次回の講座で渡すことになっている。

「本当は、訪問先のおばあちゃんによく言われるんです。

お化粧ぐらいしたらって。でも、デパートの化粧品売り場に行ったら、また山ほど化粧品を買わされそうだし…自意識過剰なのでしょうか。

この口紅の色いいですね。どこに売っているのですか」

「希望なさる方には販売していますよ」

「うれしい!これ買って帰ります」

 ケアマネージャーの淀川清香は変わった。

 利用者の訪問のために、自転車で走り回るのに、日焼け止めを塗るようになった。

そして、薄く口紅を塗り、それまで着ていたグレイや茶色の洋服を明るい色のTシャツやブラウスに変えた。

 驚いたのは、訪問先の高齢者が皆、「べっぴんになった」とか、「いい人ができたのか」と、すぐに反応があったからだ。

 高齢者は見ていないようで、ちゃんと見ている。つまり、見られているということだ。

 それに、清香が変わったことで、おじいちゃん、おばあちゃんも変わったような気がする。思いすごしだろうか?そんなことを思いながら、清香はメールを書いた。



くら子さま、まろみさま

「わくわく片付け講座」が終わってはや二月、その節はお世話になりました。

  ようやく、落ち着いたので、お礼のメールを書こうと思いました。

  おかしなもので、いやだったメイクの講座が、私には一番役に立ったような気がします。

  当時の私は、仕事が忙しくて、家に帰ったらクタクタで、片付かなくて、そのことにまたイライラしていました。

  そこで手っ取り早く、整理整頓のノウハウを知りたいと思っていたのですが、講座を受けて、整理できていないのは、自分の気持ちだとわかりました。

  高齢者相手の仕事ですから、悲惨な現実も見ていますので、ひとり暮らしの自分の老後はどうなるのだろうか、という不安があったのだと思います。

  ひとり暮らしの現実は変わりませんが、整理をして自分の部屋がすっきりすると、もやもやがなくなって、覚悟ができたような気がします。

  講座を終えて、ようやくメイクやカラーの意味がわかり、なぜ“わくわく”という言葉がついているのか、わかりました。

  新しいドラマが始まる時には、わくわくします。そのことだったんですね。

 ありがとうございました。それと、ひとつお願いですが、わくわく同窓会をしてもらえませんか。

  くら子さんやまろみさんにも、またお会いしたいし、一緒に受講した方々にも会えたらいいなと思います。

 お二人がお忙しいようでしたら、私が幹事をさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。
                                

                                 淀川清香

 くら子とまろみは、同窓会の企画を立てることにした。


8章終了