江坂康子の怒りは激しかった。

講座の申込書の、受講の動機欄には細かい文字で、紙の裏にまでびっしり書いてあった。

『 世間でいうところの大企業に勤めておりましたが、定年を待たずに早期退職しました。

といっても残りは2年ほどでしたが、当時は今と違って景気も良かったので、退職金の上乗せもありたくさんいただきました。

ですから、よほどの長生きをしない限り老後の心配をする必要がないと思っていました。

しかし、二か月前にひとり暮らしの叔母(母の妹)が亡くなりました。

叔母には子供もおらず、私の兄は沖縄で暮らしておりますので、葬儀その他の手続きを私がすることになりました。

 そこで、頭にくることがたくさんありました。

 退職して、少しのんびりしたら、語学留学でもしようかと思っていたのですが、冷水を浴びせられたようなものです。

 区役所から、後期高齢者の医療保険で過払い金があるから、申請すれば戻ってくるという通知が来ました。
 
 金額は2350円です。

故人の代理人として、私の銀行口座に振り込んでもらうように書類を送ると、他に相続人はいないのかと電話がかかってきました。

 姉である私の母は三年前に亡くなっておりますので、親戚といっても、連絡も途絶えた遠い親戚を除けば、兄と私だけです。

 しかし、区役所では姪は親族とは認めてもらえません。

 区役所の担当者は、他に相続人がいなければ、私と叔母の関係=叔母、姪を証明するために叔母と母の戸籍謄本を出せと言われました。

 叔母の本籍は長崎にあります。

 このまま放っておいてやろうかと思いましたが、そのお金が市の収入になるということと、区役所の担当者の対応に腹が立ったので、長崎の役場に連絡して謄本を送ってもらい、提出しました。

 手間暇を考えれば、ばかみたいな話ですが、こちらも意地になりました。

 葬儀を終えて、ほっとしているところに、このようなさまざまな手続きが待ち受けているとは思いもよりませんでした。

 次は社会保険事務所です。

 叔母の銀行口座を解約していたので、年金が振り込めないという通知でした。

 また、書類の但し書きに、本人が死亡した場合は社会保険事務所に届け出るようにということで、事務所に出向きました。

(親族がいない人は誰が届け出るのでしょう?)

 なんと、死亡届を出すのに、年金の照会に来た人々と同じ相談窓口で二時間待たされました。

 ようやく、番号を呼ばれていき、係の方に不満を云うと、このような軽微なものはわたしが担当しているのですが、ご存じのように忙しくて…。

 そして、パソコンで年金の未納がないか調べながら、親族かと聞くので、そうだと答えました。未納があれば、請求するつもりのようでした。

 未納がないとわかると、死亡届を出すには年金証書、年金手帳、死亡証明書か、住民票の除籍届が必要だと言い出しました。

そして、書類を見せて、親族は親子、兄弟などで、姪は親族ではないというのです。ここでわたしはキレました。

 そうすると、このような軽微な手続きは…と言い訳ばかり。この間、軽微という言葉を8回使いました。

わたしがほんとうに頭に来たのはこの“軽微”という言葉です。

人が死んだ手続きが軽微なことか! と。

 父母が逝った時には兄が手続きをしましたし、親子ですからそれほど問題はなかったと思いますが、叔母のことで、法律上、姪は親族ではないと云われ続けたのには愕然としました。

 次は遺品整理です。叔母の家は借家でしたので、明け渡すために片づけをすることになりました。

近頃は遺品整理屋さんがあるそうですが、とても他人に頼む気にはなれませんでした。

 叔母の家に月に一度は訪れていましたので、それなりに片付いていると思っていましたが、遺品を片付けるとなると話が違います。

 押し入れや引き出しにモノがいっぱいです。壊れた昔の黒い電話機まで大事にしまいこんであったのには呆れました。

 わたしにはガラクタに見えても叔母には大切なものだったのでしょう。お菓子の空き缶に空き箱から、包装紙やひもに至るまで、きちんと取ってありました。

 ボタンがぎっしり詰まった箱もありました。不要になった洋服も、ボタンだけは取っておいたようです。

 洋服や着物も、昔の衣装ケースほどの大きさの海苔の箱や、つづらにまでぎっしり詰まっていました。

衣類の中の防虫剤の袋は空で、着物もコートも、あちこちに虫食いの穴があいていました。

 こんな穴のあいた衣類を後生大事にとっておいて何になったのか。

誰かにあげるでもなく、ただ、もったいないと思ったのか。

いずれ着る時が来ると思ったのか。

 それとも、思い出だったのか。叔母とそういう話をしたことはなかったので、わかりません。

 また、叔母のものを形見分けとして差し上げられるほど、親しい人がいたのかどうかもわかりませんし、遺言を残さなかったのですから、わたしが処分するしかありません。

 古い手紙もありました。

読みたい気もしましたが、結局、庭で焼きました。

身内の者として故人の私生活をのぞきみるようで、気持ちの良いものではありません。

家具などの大きなものは、不用品の処分をしてくれる会社に依頼しました。

一番困ったのは、神棚とお仏壇です。

粗大ごみとして処分する人もあるようですが、わたしにはできません。

わたし自身は教会に通うクリスチャンですが、叔母が祈り、拝んできた対象を粗末にすることは、叔母の存在そのものを否定するような気がしました。

そこで、以前、職場の先輩が、わたしと同じように、一人暮らしのおじさんの遺品の整理をして、仏壇のことやらを話していましたので、相談しました。

 先輩のアドバイスで、お寺のお坊さんに、お経を上げ、お正念を抜いたうえ、お寺でお焚きあげをしていただきました。

 神棚は、近所の神社に運んで、引き取っていただきました。

 ほんとに、狭い借家のひとり暮らしだったのに、こんなに大変なことだとは思いもしませんでした。

そして、気がついたのです。私も一人だということを。

私が死んだ時、後の事を誰がみてくれるのかということです。

兄や兄嫁には頼みたくないし、甥や姪に今回の私のような思いはさせたくありません。

 親しい友人や教会仲間はいますが、皆、同い年か年上ですので、当てにはなりません。

死んだらおしまいだから、そんなことは気にしない、という人もいるでしょう。

 でも、私は気にします。

寿命は人の意のままになりませんが、身辺整理はしておくことができます。

遺品整理屋に頼むのは嫌です。

これは生前整理というのでしょうか。

何もかもきれいさっぱりというのは無理ですが、これからは物を減らし、すっきりした生活をしていこうと思いますので、よろしくお願いします。

 くら子が、江坂康子の受講の動機を読み終え、ふーっとためいきをついた。

「ほんとに、遺品整理って大変よね」

「最近、遺品整理屋さんが増えているようですよ。

高齢者だけでなく、ひとり暮らしの人が増えてますから。

自殺も多いみたいですし…ご家族もつらいですよねえ。

そういえば、遺品整理をした家族は、江坂康子さんみたいに、自分の身辺をきれいにしておこうと思うみたいですね」

「そう、生前整理ね」

「生前整理っていうと、なんだか死ぬのを待っているって感じにとる人が多いんじゃないでしょうか」

「死を目前にした人は、それどころじゃあないわよ。

生前整理を考えられるってことは、まだ余裕があるというか、これは年齢というより、生き方とか、性格や精神的な面が大きいのではないかしら。

生命保険だって、自分が死んだ時に家族が困らないようにするためのものでしょ。

自分の死については目をそむけたくなるけれど、誰だっていつかは死ぬし、そのことに備えておくのは、おかしいことではないでしょう。

死について考えるということは、それまでの生をどう生きるかを考えることだから、毎日を大切に生きるのにつながるのではないかと思うけれど」

 くら子とまろみは、志望の動機の文面から、江坂康子は自己主張の強い、エキセントリックな女性だろうと想像していた。

 ところが、講座に現れた康子は、もの静かで、別人のような印象だった。

 くら子は、そんな康子をみながら、文字にして書いたことで、ある程度ストレスが発散され、自分自身の考えもまとまり、落ち着いたのではないかと思った。

 また、このような女性があれだけ憤りを感じていたのだから、さぞかし大変なことがあったのであろう。

 人の死にまつわる予想外のことが、残った者の人生を変えることもある。

 くら子には、他人の人生を左右する力はないが、「わくわく片づけ講座」によって、康子の生前整理のサポートができれば、それこそ講座を始めた甲斐があったというものだ。

 片付かないとか、暮らしを変えたい、変わりたいと思ってる女性の多くは、ストレスを抱えている。

 ストレス発散の仕方は人それぞれで、スポーツだったり、趣味の世界もあるし、風呂上りのビールという人もいる。

 トラブルに見舞われたり、理不尽なこと、不運なこと、悲しいこと、つらいことを聞いてくれる友達がいれば幸いである。

 問題は解決しなくても、話も聞いてもらえることだけで、救われる場合もある。

 しかし、親しい友人だから話せないこともあるし、言えないこともある。

 そういう場合に、康子のように文章にして書くことで考えがまとまり、客観的に自分の行動や考えを見直す機会をもつことで、ストレスの解消につながることがある。

 一番困るのは、愚痴ばかりこぼしている人である。

 愚痴ばかりこぼしている人に、人は寄ってこない。

 そして、人が離れていくと、それをがまた愚痴のタネになる。

 かといって、いつもいつも、プラス思考で、前向きにいきましょう! と過度のハッパをかけられても、聞いている方は、つらくなる。

 康子はといえば、講座の間、熱心に講師の話を聞き、わからないところは質問し、グループのワークショップでは、まとめ役だった。

 また、志望の動機については、ひとことも触れることなく、明るかった。

 講座終了後のアンケートには、「参考になりました」としか、書いてなかった。
 
 短い感想を見て、まろみは首をかしげた。

「参考になりました。っていうのは、たいてい、外交辞令で、つまんなかったってことですよね」

「かもしれないし…そうでないかもしれない」

「くら子さん、これは、なぞなぞなんですか?」

 三か月後、江坂康子から白い封書が届いた。


前略

 くら子さん、まるみさん、ご無沙汰しておりますが、お変わりありませんでしょうか。

 その節はお世話になり、ありがとうございました。

 お陰さまで、講座を受けて気持ちの整理もでき、余計な諸々を片付けたら、すっきりして新しい人生をやり直そうという気になりました。

 ご存知のように講座を受講する前は、叔母の事を自分に重ねて、混乱していました。

 それは、いつまでも旧姓で、夫も子供もなく、いわゆる“おひとりさまの負け犬”のようで、居心地の悪い思いがあったからです。

 しかし、ようやく、胸を張って、前に踏み出せるようになりました。

 手始めに、長年ご無沙汰だった高校の同窓会に出席しました。

 学生時代、いつも、気になりながら親しく話をすることのなかった同級生と、隣同士の席になり、話が盛り上がりました。

思春期の多感な頃と違い、お互い気楽なもので、二次会にも一緒に参加しました。

 これがきっかけで、お付き合いが始まり、トントン拍子に話が進み、話し合った結果、一緒に暮らすことになりました。

(彼はバツ一で、成人した息子と娘がいますので、あとあとの相続の問題も考慮して、入籍はしません)

 一人で老いる覚悟をして、身辺整理をしたら、同居人ができるなんて、おかしなものですね。

 こんな小説のようなことが自分の身に起こるとは、思いもしませんでした。

 そこで、友人へのお披露目のつもりで、一席設けることにしました。 
  
 彼をお二人にご紹介したいと思っています。
   
 気楽な会ですので、平服でお越しください。
                             
かしこ
                       江坂康子    


9章終了