「わくわく片付け講座」を明日に控えて、まろみは電話の応対に追われていた。
「くら子さん、昨日今日と、ばたばたと申し込みがあって、定員になったんですけど、どうしても参加したいという方が三名、どうしましょう」
「当日のキャンセルもあるから、定員プラス五名までなら大丈夫よ」
「今回は、六〇歳前後の方が多くて。団塊の世代なのか、半分以上の方がその年代です」
「どうやら、景気と関係あるのかも。
知り合いにもいるけど、六〇歳の定年後は、子会社への出向とか、なんらかの仕事が用意されていた人たちが、この不景気で仕事がなくなったみたい。
本人は仕事を続けるつもりでいたのに、突然、あなたの座る椅子はありませんってね」
「仕事がなくなったのは、派遣の人ばかりじゃないんですね」
「そこで、あわてたのは奥さん連中。
亭主元気で留守がいいって感じで、まだ仕事を続けると思っていたのに、亭主はどこへも出かけず、一日三回、食事の支度をしなくちゃならない」
まろみは近所のファミリーレストランでおしゃべりし、ランチを食べている主婦たちを思い浮かべた。
「定年前より給料は下がっても、食べていくくらいの収入はあると思っていたのに、仕事はなくなり、退職金や預貯金で暮らしていくことを考えると、昔流行ったフルムーンとか、夫婦で海外旅行へ行こうという気にもならないのかもね」
「熟年離婚が増えているのも、そのせいでしょうか」
「さあ、どうなのかな? でも、もう一度自分の人生を見つめなおす機会ではあるかもしれない」
「わくわく片付け講座」の初日。
一名は、早朝に母親が仏壇の前の座布団につまずき、転倒して病院へ行くことになったので、欠席という連絡があった。
くら子が開講のあいさつをし、講座のスケジュールや資料の説明をした後、質問があった。
「先日、テレビドラマを見ていたら、生前整理がどうとか言ってたのですが、この講座と、どう違うのでしょうか」
くら子は、説明をした。
都市部では子供が親を看取るという大家族制度が崩れて、ひとり暮らしの高齢者が増え、亡くなると、弔いの後に、膨大な遺品の山を片づける遺品整理が家族や親族の最後の仕事になる。
この“遺品整理”に対して、元気なうちに身辺をあるていど片付けておきましょうということが、“生前整理”とよばれるようになった。
これは他に適当な言葉がなく、また、若い頃の整理整頓とは違う意味で使われている。
“生前”という言葉で一番良く使われているのは、生前贈与かもしれないが、これは残った親族が財産で揉めないように(税金問題も含めて)という配慮のもとに行われる。
生前整理も残った親族が遺品の山で途方に暮れないようにという思いやりも含まれているのかもしれない。
また、年齢はいくつからという線引きもないし、それまでの人生を整理し、身軽になろうという意味も込められている。
くら子も時々、エンディングセミナーや区役所からの依頼で「生前整理」について講演をすることがある。
「わくわく片付け講座」も生前整理といえないこともない。
違う表現をすれば、それまでの人生の棚おろしをして、棚をすっきり整理する“シンプリファイ≂単純に”の実践ではないかと思っている。
シンプリファイには、ものだけでなく、長年のもつれた人間関係や、お金、時間、パートナーの問題も含まれる。
これらが“片付け”ば、どれほどストレスが減るだろうか。
くら子は「わくわく片付け講座」によって、どれだけ“わくわく”できるか、試して欲しいという言葉で、締めくくった。
中には、なんのことだかさっぱり? という受講者もいた。
御堂翔子は講座申し込みの動機の欄に、夫婦で還暦を迎えたので、生活をリセットしたいと書いた。
昔なら、還暦といえば、赤いちゃんちゃんこを贈られ、のんびり余生を暮らすおばあちゃんが思い浮かぶだろう。
翔子も還暦といえば隠居というイメージを持っていたが、現実に自分がその年になってみると、年寄り扱いはごめんだと思う。
美容室の女性週刊誌で“卒婚”の二文字を見た翔子は、この言葉が頭から離れない。
娘は香港の商社勤務で、息子はニューカレドニア島に行ってしまった。
朝早く出かけて、夜遅く帰るという生活を何十年も続けてきた夫と、夫婦でできる共通の趣味も無い。
そもそも夫婦で何かするということすら頭にないのではないかと思う昨今である。
もちろん、料理や家事もできないし、やろうともしない。
起業戦士として働いている時は仕方がないと思っていたが、退職してずっと家にいるようになってもテレビを見るか、パソコンをするだけである。
そして、相変わらずの、メシ、フロ、ビール。
こんな手のかかる夫と出かけるよりは、友人と旅行をするほうが楽しい。
かといって、今さら離婚や別居をしようとは思わない。
週刊誌の“卒婚”のように、夫婦を卒業して、家事も分担し、お互いに好きなことをする同居人として暮らせたらどんなに良いか。
翔子は手始めに、荷物を整理し、娘の部屋に移ろうと思っている。
卒婚の話をしたら、夫は反対するのに決まっているので、少しずつ計画を進めるのだ。
「わくわく片付け講座」第二回のメイク講座では、六人一組みでテーブルを囲んで実習をする。
テーブルに各自が化粧道具を並べ、眉毛を書いたり、頬紅を塗ったり、メイクの講師の指導に従い、手を動かした。
「翔子さん、お化粧した方が、顔立ちがはっきりして、五歳は若く見えるわよ」
と、隣の神戸雅恵が翔子に話しかけた。
「えっ、ほんとう?」
翔子は鏡を覗き込んだ。
自分ではよくわからないのだけれど、そうなのだろうか。
「ほんとほんと、やはり、お化粧って大事よねえ。
わたしも娘時代は、つけまつ毛でバチバチの時代があったけど、子供を産んだら子育てで、そっちが片付いたら、親の介護で、お化粧どころじゃなかったから」
「わたしも、最近はリップと日焼け止めくらいで」
「絶対、お化粧した方がいいわよ」
翔子も雅恵や、他の受講者を見渡して、確かに、皆きれいになって、楽しそうだ。
「ところで、お宅のご主人、化粧をして帰ったら、わかると思う?」
「わかるわけないじゃない。髪の毛を切ったのさえ、わからないんだから」
この話がきっかけで、翔子のテーブルは夫の話で盛りあがり、亭主元気で留守がいいと、意見が一致した。
盛りあがった六人は、講座後にお茶を飲んで帰ろうということになった。
駅の構内にある喫茶店で、勝手にテーブルを二つくっつけて座った。
今日の講師のファッションや化粧の話から始まって、マスカラはどこの製品がよいとか、白髪染はどのメーカーが一番持ちがよいとか…。
嫁に行かない娘や、デートをしている気配のない三十路を越えた息子の話など、話題に事欠かなかった。
今は、結婚しそうにない三〇過ぎた娘や息子の婚活に、子どもに代わって親が見合いに行くそうだ。
親同士が意気投合すれば、息子や娘の見合いになるらしい。
しかし、誰一人、子供の代わりに見合いに行った者はなかった。
翔子も香港の娘とニューカレドニアの息子のことを話すと、外国に遊びに行けていいじゃないという反応が返ってきた。
言葉の通じない嫁や婿ができたらどうしようかという不安は話さなかった。
帰り道で、翔子は商店街で夕食の買い物をした。
娘も息子も日本に帰る気はないらしいので、夫婦二人の生活がいつまで続くのだろう。
変化があるとすれば、どちらかが病気になり、介護を必要とするようになった時なのだろうかと思うと、エコバッグの中のキャベツが重く感じられた。
「わくわく片付け講座」も、いよいよ具体的な整理の話になった。
くら子は、あなたにとって、大切なものを五つ書いてくださいと、白い紙を配った。
今の自分にとって、大切なものって何なのだろう。
この問いは、案外簡単そうで、真剣に考えれば難しくなる。
皆が考え込んでいるのを見て、くら子は笑顔を向けた。
「難しく考えないでくださいね。ほとんどの方は自分の命だと思います」
確かに、命なんて当たり前過ぎて、考えることも無かったけど確かにそうだと、翔子はまず命と書いた。
「命の次は、人によって違うと思います。
ペットの猫が大切な人がいるかもしれませんし、夫や子供や孫、お金、友人、時間。
金庫の中の金の延べ棒でもかまいません。
これは誰かに見せるものではありません。
宿題にしますから、次回までにゆっくり考えて来てください」
続けてくら子は三枚の紙を配った。
この紙には、大正から平成までの年号が表になっており、各年には主な出来事とその年のヒット曲が記載され、その横に、当時の自分の年齢と出来事を簡単に書き込むようになっていた。
「これは自分史年表です。
今、熟年世代では自分史を書くのが流行っていると聞きますが、これは、皆さんに“人生の棚卸し”をしていただくためのものです。
これも、人に見せるものではありませんので、好きなように書いていただいて結構です。
こういうものは、宿題にしても、書きたくない人は書かないのですが、それはそれで良いのではないかと思っています。
この機会に、自分の人生を振り返ってみようと思われた方は書いてみてください」
質問してもいいですかという声が上がったので、くら子は、どうぞと答えた。
「どういう風に書けば良いのかわからないのですが」
何人かが、わたしもとつぶやいた。
「そうですね。説明不足でした。まず、生まれた年に〇歳と記入してください。
そこから一つずつ年が増えていくのは良いですね。
途中で年を減らさないで下さいよ。
前のクラスでは、三五からずっと年が増えない人がいましたけど…」
笑いながら、せっかくだから、とにかく書いてみようという風に、全員が生まれた年から年齢を記入していった。
「次に、小学校入学から、節目節目の出来事を順に書き込んでみてください。
引っ越しでも、就職、結婚でも、とにかく大きな出来事を書いてください。
この段階ではおおよそで結構ですから」
翔子も小学校、中学の時に親の転勤で転校して…高校、就職、結婚、長女誕生、長男誕生と書き込んでいった。
ここまで良いですかと、くら子は見回した。
「後は少しずつ、埋めていってください。
例えば、昭和四十四年(一九六九年)は、アポロ十一号月面着陸があります。
この時、皆さんがいくつだったかは…聞きません。
このように、その年の出来事が書かれているのは、この方が当時のことを思い出しやすいからです。
アポロ十一号が月面着陸した時のニュースをどこで聞いたとか、誰に聞いたとか、その時の状況を思い出していただきたいと思います。
また、レコード大賞は、『いいじゃないの幸せならば』です。
こういうヒット曲によっても、当時のことが思い出されると思います。
とにかく、思いつくところから埋めていってください。
これは今までの出来事を確認する作業ですので、気楽に考えてくださいね」
「そうそう、アポロのアームストロング船長の『人類にとっては大きな一歩』とかいう言葉が印象に残ってるわ」と雅恵が翔子に話しかけた。
「えーっ、わたしは幼稚園だったから、覚えてませんよ。雅恵さん、当時、いくつだったんですか」と、向かいの席の宮城佐弓が雅恵に訊いた。
「そりゃあ、わたしも小学校だったかなー、追及しないでちょうだいよ。ほれ、年表書いて」
翔子も苦笑しながら、当時は印刷会社で働き、お茶やお花、洋裁の教室に通っていたことを思い出した。
そういえば、あの頃は、お茶の先生になれたらいいなと思っていた。
花嫁修業なんて言葉があった時代だが、今でいえば一種の婚活だろうか。
結婚した後は、夫の転勤、出産、子育てとあわただしく、茶道と縁が切れてしまったが、今なら、時間もあるし、再開しても良いかもしれない。
いや、今度はお煎茶を習ってみようか。お茶の先生が、年を取ったら煎茶のほうが、立ち座りが少ないので楽だとおっしゃってたし、一から始めるのには良いかもしれない。
結婚してからの翔子の年表は、夫と子供が中心の生活を物語っていた。
御堂さんの奥さん、薫ちゃん、強君のお母さんであり、翔子さんと名前を呼ばれたのは久しぶりである。
そして、子供たちが親になったら、ただの“おばあちゃん”になって二〇年もの年月を過ごすのだろうか。
いや、もう一度、御堂翔子として、自分の人生を取り戻したいと思うのはぜいたくな願いなのだろうか。
「みなさん二回目のメイクの講座で、どういう自分になりたいか、イメージをしてお化粧されましたね」
くら子はメイクという言葉に、なぜ女性は敏感に反応するのだろうと思いながら、年表から顔を上げ、うなずいている女性たちに訊いた。
多くの参加者は、若々しく、健康そうに見えたいと願った。
数人は、女らしく、色っぽい、やさしそうなメイクが望みで、ただ一人、会社を経営している女性は、眉もへの字で、くっきりとした意志の強さを強調するメイクを希望した。
「年表の残りの空白はご自宅で埋めてくださいね。
そろそろ、みなさん、『わくわく片付け講座』に参加したのに、片付けの話はどこに行ったのかと思われているでしょうね」
くら子は、ホワイトボードに“荷物や部屋が片付いたら……したい”と書いた。
「この…部分に、みなさんのやりたいことを書いてください。
例えば、すっきりでも良いですし、お友達を呼んでパーティーをしたいでも、なんでも結構です。
以前に、布団を敷いて大の字になって寝たいという方がありましたが、とにかく、片付けてどうしたいかを書いてください。
講座を申し込まれた時の動機と変わっていてもいっこうにかまいません」
翔子は迷った末、“荷物が片付いたら、御堂翔子としていきいきと暮らしたい”と書いた。
「ご自分のこれまでを簡単に振り返り、大切なものは何かを考えていただき、これからどうしたいかを書いていただきました。
時間が足りなかったという方もあると思いますので、次回までに、もう少し考えてきてください」と、くら子が講座をしめくくった。
今回もまた、六人で駅前の喫茶店に寄った。
今日のお勧めケーキはアップルパイで、全員がケーキセットを注文した。
「大切なものって考えてみると、そうないのよね」
雅恵がおしぼりでテーブルを拭きながらつぶやいた。
いつもはおとなしい山本都がしみじみと言った。
「わたしは阪神大震災で家が半壊したから、あの時、命さえあればなんとかなるって思った」
六人のうち二人が避難所で暮らした経験を持っていた。
「ほんと、片づけるってことは、自分の今の暮らしに何が必要かを考えることで、それは、これからどういう暮らしをしたいのかにつながるのねえ」と雅恵は考え込んだ。
佐弓が、雅恵さんもまじめに考えてるんですねと言った途端に、雅恵にうるさいとにらまれた。
翔子は、御堂翔子としていきいきと暮らすにはどうすればいいのだろうかと思った。
(2部に続く)
「くら子さん、昨日今日と、ばたばたと申し込みがあって、定員になったんですけど、どうしても参加したいという方が三名、どうしましょう」
「当日のキャンセルもあるから、定員プラス五名までなら大丈夫よ」
「今回は、六〇歳前後の方が多くて。団塊の世代なのか、半分以上の方がその年代です」
「どうやら、景気と関係あるのかも。
知り合いにもいるけど、六〇歳の定年後は、子会社への出向とか、なんらかの仕事が用意されていた人たちが、この不景気で仕事がなくなったみたい。
本人は仕事を続けるつもりでいたのに、突然、あなたの座る椅子はありませんってね」
「仕事がなくなったのは、派遣の人ばかりじゃないんですね」
「そこで、あわてたのは奥さん連中。
亭主元気で留守がいいって感じで、まだ仕事を続けると思っていたのに、亭主はどこへも出かけず、一日三回、食事の支度をしなくちゃならない」
まろみは近所のファミリーレストランでおしゃべりし、ランチを食べている主婦たちを思い浮かべた。
「定年前より給料は下がっても、食べていくくらいの収入はあると思っていたのに、仕事はなくなり、退職金や預貯金で暮らしていくことを考えると、昔流行ったフルムーンとか、夫婦で海外旅行へ行こうという気にもならないのかもね」
「熟年離婚が増えているのも、そのせいでしょうか」
「さあ、どうなのかな? でも、もう一度自分の人生を見つめなおす機会ではあるかもしれない」
「わくわく片付け講座」の初日。
一名は、早朝に母親が仏壇の前の座布団につまずき、転倒して病院へ行くことになったので、欠席という連絡があった。
くら子が開講のあいさつをし、講座のスケジュールや資料の説明をした後、質問があった。
「先日、テレビドラマを見ていたら、生前整理がどうとか言ってたのですが、この講座と、どう違うのでしょうか」
くら子は、説明をした。
都市部では子供が親を看取るという大家族制度が崩れて、ひとり暮らしの高齢者が増え、亡くなると、弔いの後に、膨大な遺品の山を片づける遺品整理が家族や親族の最後の仕事になる。
この“遺品整理”に対して、元気なうちに身辺をあるていど片付けておきましょうということが、“生前整理”とよばれるようになった。
これは他に適当な言葉がなく、また、若い頃の整理整頓とは違う意味で使われている。
“生前”という言葉で一番良く使われているのは、生前贈与かもしれないが、これは残った親族が財産で揉めないように(税金問題も含めて)という配慮のもとに行われる。
生前整理も残った親族が遺品の山で途方に暮れないようにという思いやりも含まれているのかもしれない。
また、年齢はいくつからという線引きもないし、それまでの人生を整理し、身軽になろうという意味も込められている。
くら子も時々、エンディングセミナーや区役所からの依頼で「生前整理」について講演をすることがある。
「わくわく片付け講座」も生前整理といえないこともない。
違う表現をすれば、それまでの人生の棚おろしをして、棚をすっきり整理する“シンプリファイ≂単純に”の実践ではないかと思っている。
シンプリファイには、ものだけでなく、長年のもつれた人間関係や、お金、時間、パートナーの問題も含まれる。
これらが“片付け”ば、どれほどストレスが減るだろうか。
くら子は「わくわく片付け講座」によって、どれだけ“わくわく”できるか、試して欲しいという言葉で、締めくくった。
中には、なんのことだかさっぱり? という受講者もいた。
御堂翔子は講座申し込みの動機の欄に、夫婦で還暦を迎えたので、生活をリセットしたいと書いた。
昔なら、還暦といえば、赤いちゃんちゃんこを贈られ、のんびり余生を暮らすおばあちゃんが思い浮かぶだろう。
翔子も還暦といえば隠居というイメージを持っていたが、現実に自分がその年になってみると、年寄り扱いはごめんだと思う。
美容室の女性週刊誌で“卒婚”の二文字を見た翔子は、この言葉が頭から離れない。
娘は香港の商社勤務で、息子はニューカレドニア島に行ってしまった。
朝早く出かけて、夜遅く帰るという生活を何十年も続けてきた夫と、夫婦でできる共通の趣味も無い。
そもそも夫婦で何かするということすら頭にないのではないかと思う昨今である。
もちろん、料理や家事もできないし、やろうともしない。
起業戦士として働いている時は仕方がないと思っていたが、退職してずっと家にいるようになってもテレビを見るか、パソコンをするだけである。
そして、相変わらずの、メシ、フロ、ビール。
こんな手のかかる夫と出かけるよりは、友人と旅行をするほうが楽しい。
かといって、今さら離婚や別居をしようとは思わない。
週刊誌の“卒婚”のように、夫婦を卒業して、家事も分担し、お互いに好きなことをする同居人として暮らせたらどんなに良いか。
翔子は手始めに、荷物を整理し、娘の部屋に移ろうと思っている。
卒婚の話をしたら、夫は反対するのに決まっているので、少しずつ計画を進めるのだ。
「わくわく片付け講座」第二回のメイク講座では、六人一組みでテーブルを囲んで実習をする。
テーブルに各自が化粧道具を並べ、眉毛を書いたり、頬紅を塗ったり、メイクの講師の指導に従い、手を動かした。
「翔子さん、お化粧した方が、顔立ちがはっきりして、五歳は若く見えるわよ」
と、隣の神戸雅恵が翔子に話しかけた。
「えっ、ほんとう?」
翔子は鏡を覗き込んだ。
自分ではよくわからないのだけれど、そうなのだろうか。
「ほんとほんと、やはり、お化粧って大事よねえ。
わたしも娘時代は、つけまつ毛でバチバチの時代があったけど、子供を産んだら子育てで、そっちが片付いたら、親の介護で、お化粧どころじゃなかったから」
「わたしも、最近はリップと日焼け止めくらいで」
「絶対、お化粧した方がいいわよ」
翔子も雅恵や、他の受講者を見渡して、確かに、皆きれいになって、楽しそうだ。
「ところで、お宅のご主人、化粧をして帰ったら、わかると思う?」
「わかるわけないじゃない。髪の毛を切ったのさえ、わからないんだから」
この話がきっかけで、翔子のテーブルは夫の話で盛りあがり、亭主元気で留守がいいと、意見が一致した。
盛りあがった六人は、講座後にお茶を飲んで帰ろうということになった。
駅の構内にある喫茶店で、勝手にテーブルを二つくっつけて座った。
今日の講師のファッションや化粧の話から始まって、マスカラはどこの製品がよいとか、白髪染はどのメーカーが一番持ちがよいとか…。
嫁に行かない娘や、デートをしている気配のない三十路を越えた息子の話など、話題に事欠かなかった。
今は、結婚しそうにない三〇過ぎた娘や息子の婚活に、子どもに代わって親が見合いに行くそうだ。
親同士が意気投合すれば、息子や娘の見合いになるらしい。
しかし、誰一人、子供の代わりに見合いに行った者はなかった。
翔子も香港の娘とニューカレドニアの息子のことを話すと、外国に遊びに行けていいじゃないという反応が返ってきた。
言葉の通じない嫁や婿ができたらどうしようかという不安は話さなかった。
帰り道で、翔子は商店街で夕食の買い物をした。
娘も息子も日本に帰る気はないらしいので、夫婦二人の生活がいつまで続くのだろう。
変化があるとすれば、どちらかが病気になり、介護を必要とするようになった時なのだろうかと思うと、エコバッグの中のキャベツが重く感じられた。
「わくわく片付け講座」も、いよいよ具体的な整理の話になった。
くら子は、あなたにとって、大切なものを五つ書いてくださいと、白い紙を配った。
今の自分にとって、大切なものって何なのだろう。
この問いは、案外簡単そうで、真剣に考えれば難しくなる。
皆が考え込んでいるのを見て、くら子は笑顔を向けた。
「難しく考えないでくださいね。ほとんどの方は自分の命だと思います」
確かに、命なんて当たり前過ぎて、考えることも無かったけど確かにそうだと、翔子はまず命と書いた。
「命の次は、人によって違うと思います。
ペットの猫が大切な人がいるかもしれませんし、夫や子供や孫、お金、友人、時間。
金庫の中の金の延べ棒でもかまいません。
これは誰かに見せるものではありません。
宿題にしますから、次回までにゆっくり考えて来てください」
続けてくら子は三枚の紙を配った。
この紙には、大正から平成までの年号が表になっており、各年には主な出来事とその年のヒット曲が記載され、その横に、当時の自分の年齢と出来事を簡単に書き込むようになっていた。
「これは自分史年表です。
今、熟年世代では自分史を書くのが流行っていると聞きますが、これは、皆さんに“人生の棚卸し”をしていただくためのものです。
これも、人に見せるものではありませんので、好きなように書いていただいて結構です。
こういうものは、宿題にしても、書きたくない人は書かないのですが、それはそれで良いのではないかと思っています。
この機会に、自分の人生を振り返ってみようと思われた方は書いてみてください」
質問してもいいですかという声が上がったので、くら子は、どうぞと答えた。
「どういう風に書けば良いのかわからないのですが」
何人かが、わたしもとつぶやいた。
「そうですね。説明不足でした。まず、生まれた年に〇歳と記入してください。
そこから一つずつ年が増えていくのは良いですね。
途中で年を減らさないで下さいよ。
前のクラスでは、三五からずっと年が増えない人がいましたけど…」
笑いながら、せっかくだから、とにかく書いてみようという風に、全員が生まれた年から年齢を記入していった。
「次に、小学校入学から、節目節目の出来事を順に書き込んでみてください。
引っ越しでも、就職、結婚でも、とにかく大きな出来事を書いてください。
この段階ではおおよそで結構ですから」
翔子も小学校、中学の時に親の転勤で転校して…高校、就職、結婚、長女誕生、長男誕生と書き込んでいった。
ここまで良いですかと、くら子は見回した。
「後は少しずつ、埋めていってください。
例えば、昭和四十四年(一九六九年)は、アポロ十一号月面着陸があります。
この時、皆さんがいくつだったかは…聞きません。
このように、その年の出来事が書かれているのは、この方が当時のことを思い出しやすいからです。
アポロ十一号が月面着陸した時のニュースをどこで聞いたとか、誰に聞いたとか、その時の状況を思い出していただきたいと思います。
また、レコード大賞は、『いいじゃないの幸せならば』です。
こういうヒット曲によっても、当時のことが思い出されると思います。
とにかく、思いつくところから埋めていってください。
これは今までの出来事を確認する作業ですので、気楽に考えてくださいね」
「そうそう、アポロのアームストロング船長の『人類にとっては大きな一歩』とかいう言葉が印象に残ってるわ」と雅恵が翔子に話しかけた。
「えーっ、わたしは幼稚園だったから、覚えてませんよ。雅恵さん、当時、いくつだったんですか」と、向かいの席の宮城佐弓が雅恵に訊いた。
「そりゃあ、わたしも小学校だったかなー、追及しないでちょうだいよ。ほれ、年表書いて」
翔子も苦笑しながら、当時は印刷会社で働き、お茶やお花、洋裁の教室に通っていたことを思い出した。
そういえば、あの頃は、お茶の先生になれたらいいなと思っていた。
花嫁修業なんて言葉があった時代だが、今でいえば一種の婚活だろうか。
結婚した後は、夫の転勤、出産、子育てとあわただしく、茶道と縁が切れてしまったが、今なら、時間もあるし、再開しても良いかもしれない。
いや、今度はお煎茶を習ってみようか。お茶の先生が、年を取ったら煎茶のほうが、立ち座りが少ないので楽だとおっしゃってたし、一から始めるのには良いかもしれない。
結婚してからの翔子の年表は、夫と子供が中心の生活を物語っていた。
御堂さんの奥さん、薫ちゃん、強君のお母さんであり、翔子さんと名前を呼ばれたのは久しぶりである。
そして、子供たちが親になったら、ただの“おばあちゃん”になって二〇年もの年月を過ごすのだろうか。
いや、もう一度、御堂翔子として、自分の人生を取り戻したいと思うのはぜいたくな願いなのだろうか。
「みなさん二回目のメイクの講座で、どういう自分になりたいか、イメージをしてお化粧されましたね」
くら子はメイクという言葉に、なぜ女性は敏感に反応するのだろうと思いながら、年表から顔を上げ、うなずいている女性たちに訊いた。
多くの参加者は、若々しく、健康そうに見えたいと願った。
数人は、女らしく、色っぽい、やさしそうなメイクが望みで、ただ一人、会社を経営している女性は、眉もへの字で、くっきりとした意志の強さを強調するメイクを希望した。
「年表の残りの空白はご自宅で埋めてくださいね。
そろそろ、みなさん、『わくわく片付け講座』に参加したのに、片付けの話はどこに行ったのかと思われているでしょうね」
くら子は、ホワイトボードに“荷物や部屋が片付いたら……したい”と書いた。
「この…部分に、みなさんのやりたいことを書いてください。
例えば、すっきりでも良いですし、お友達を呼んでパーティーをしたいでも、なんでも結構です。
以前に、布団を敷いて大の字になって寝たいという方がありましたが、とにかく、片付けてどうしたいかを書いてください。
講座を申し込まれた時の動機と変わっていてもいっこうにかまいません」
翔子は迷った末、“荷物が片付いたら、御堂翔子としていきいきと暮らしたい”と書いた。
「ご自分のこれまでを簡単に振り返り、大切なものは何かを考えていただき、これからどうしたいかを書いていただきました。
時間が足りなかったという方もあると思いますので、次回までに、もう少し考えてきてください」と、くら子が講座をしめくくった。
今回もまた、六人で駅前の喫茶店に寄った。
今日のお勧めケーキはアップルパイで、全員がケーキセットを注文した。
「大切なものって考えてみると、そうないのよね」
雅恵がおしぼりでテーブルを拭きながらつぶやいた。
いつもはおとなしい山本都がしみじみと言った。
「わたしは阪神大震災で家が半壊したから、あの時、命さえあればなんとかなるって思った」
六人のうち二人が避難所で暮らした経験を持っていた。
「ほんと、片づけるってことは、自分の今の暮らしに何が必要かを考えることで、それは、これからどういう暮らしをしたいのかにつながるのねえ」と雅恵は考え込んだ。
佐弓が、雅恵さんもまじめに考えてるんですねと言った途端に、雅恵にうるさいとにらまれた。
翔子は、御堂翔子としていきいきと暮らすにはどうすればいいのだろうかと思った。
(2部に続く)