くら子は老人センターでの講座の打ち合わせを終え、事務所に戻り、何か変わったことはなかった? と訊いた。

 留守番のまろみはメモを見ながら答えた。

「去年お部屋の片付けにうかがった明石さんから、お電話があって…」

「また片付けの依頼かしら」

「それがね、ホラーみたいです」と、まろみはぶるぶると肩を震わせた。

「ほら? ほら吹きのほら?」

「違いますよ。ホラー映画のホラー。それとも、怪談かなあ」

「まろみちゃん、ミステリーの読みすぎじゃないの」

「違いますよ。明石さんはまじめにおっしゃいました」

「喉が渇いたから、お茶を一杯飲んでから、ゆっくり聞くわね。

まろみちゃんも飲む?」

「はい、いただきます」

 台所でお茶を入れているくら子の背に、豆大福が来ました〜という声がかかった。

「えっ、何が来たって?」

くら子は振り向いた。

おれは豆大福か、と言いながら、古書店ぽんぽん堂の恵比寿がくら子に豆大福の包みを渡した。

「それでは、豆大福を食べながら、まろみちゃんのホラーの話を聞きましょう」

 熱い煎茶と豆大福を配り、くら子が改まった。

「それでは、そのホラーの話を聞きましょう」

いや、まず食べてからとまろみが豆大福にかぶりついた。

そうだそうだと、恵比寿も豆大福を手にした。

「明石さんがおっしゃるには、実家におじいちゃんがひとりで住んでおられた離れがあって、そこに誰も開けてはならぬという押入れがあったそうです。

おじいちゃんは、遺言で、自分が死んでもこの押入れは開けるなということで、何十年もそのままで、家族も忘れていたようです」

「それで、開かずの押入れってわけね。それなら今さら…」

「今度、離れを取り壊すことになって…」

「開けてみりゃあいいんじゃないの」恵比寿がこともなげに言った。

「それが、開けると祟りがあるとか、遺言を守らないのかとか、江戸時代のお宝が眠っているとか、いろいろ親族もうるさいようで」

「それなら、うちより、お祓いでもしてもらって、遺品整理の方にお願いした方が…」

「でも、明石さんが、是非K社にお願いしたいということなんです」

「だから、押入れを開けて、中を見ればいいんだろ。

簡単なことじゃないか」

  恵比寿さんは簡単なことだって言いますけど、どうなのでしょうねえと、くら子は考え込んだ。

「もしかして、骸骨が眠っているとか…」まろみが声を潜めた。

「面白そうじゃない。

骸骨が出るかお宝が出るか、おれも一緒に行くよ。

だから、仕事引き受けなさいよ」

 恵比寿に押し切られる形で、明石家の「開かずの押入れ」の片付けを引き受けることになった。

 主がなく何十年も放置されていた離れ屋は、廃屋のようになっていた。

「くら子さん、面倒なことをお願いしてごめんなさいね」と明石須磨子は頭を下げた。

「いえ、一間の押入れの片付けですから、それほど手間はかからないと思います」

 中に入ると、じっとりとしたカビ臭いにおいが漂った。

「時々、風を通してはいるんですけど…」

 後についてきた、恵比寿とまろみは顔を見合わせた。

室内には家財道具も無く、ひっそりとしていた。 

問題の押入れは、床の間の横にあった。

「ここなんです。

祖父が大きな南京錠をかけていたので、誰も開けられませんでした」

まろみが、南京錠なら壊せばいいのにと、つぶやいた。

「そうなのよ、まろみさん。

でも、皆、気持ち悪くて、祖父の遺言を良いことに、放っておいたの。

昨日、錠前屋さんに頼んで、はずしてもらいました」

「もしもの時にと、バールを持ってきたんですが、必要なさそうですね」と、恵比寿は道具箱を畳に置いた。

 くら子はまず、現状写真を撮りますと断って、まだ開いていない押入れと部屋の様子をカメラに収めた。

 押し入れを開ける役目は恵比寿が引き受けた。

取っ手に手をかけたが、湿気で襖と敷居の木部が反っているのか、動かない。

まろみも横で手伝ったが、動く気配はなかった。

見かねた須磨子は、たたき壊してもらって結構ですと恵比寿にうなずいた。

「恵比寿さん、押入れの中には傷をつけないように気を付けてください」

合点承知と、恵比寿がバールで叩き、戸を持ち上げると、はずれた。

 四人の目の前に洞穴のような黒い闇が広がったような気がした。

 眼を凝らして良く見ると、黒漆の一閑張りの箱がびっしりと納められていた。

 すごい! と、遠巻きにしていたまろみが近付いた。

「これは別注で、この押入れにきれいに収まるように作られたんだなあ」と整然と積み上げられている箱に感嘆した。

 須磨子はますます不安そうである。

 くら子はまた写真を撮った。

 四人とも、早く中身を見たいような、何が入っているのかを見るのがこわいような、相反する気持ちを抱いていた。

「わざわざ職人に作らせるほどのものが入っているのでしょうね。

収納のお手本みたいにきれいに納まっているわ」と、余分なすき間がないことをくら子は確かめた。

「国宝級の御宝かもしれんな」

恵比寿の言葉に、須磨子はごくりと唾を呑んだ。

「まろみちゃん、貴重品が入っているかもしれないから、布を敷いてちょうだい。

その上で、ひとつ開けてみましょう」

 三人は白い手袋をはめた。漆の表面にべたべたと指紋を付けない配慮だ。

恵比寿がそっと箱をひとつおろし、白い布の上に置いた。

三人は箱の回りを囲むように膝をついて、覗き込むかっこうになった。

恵比寿は正座をして、よろしいですかと須磨子に訊いた。

は、はい、お願いしますと須磨子も姿勢を正した。

八つの目が箱に注がれた。

恵比寿がゆっくりと蓋をあげると、黄ばんだ大学ノートがびっしり詰まっていた。

「あー、良かった。日記が入っていたのですね。日記なら見られたくないでしょうね」と、まろみが口を切った。

 くら子は、日記なら自分で処分することもできただろし、焼き捨てるようにと遺言することもできたのではないかと思った。

恵比寿の中を見ても良いかという問いに、須磨子はゆっくりとうなずいた。

一冊を手に取り恵比寿は、頁をめくっていった。

ノートは万年筆で書かれた文字で埋められていた。

くら子もまろみも覗き込んだが、流れるような文字、つまり、達筆すぎるので読めなかった。

「これは日記じゃないな」

「日記でなければ…」須磨子は不安そうだ。

「まだ、よくわからないのだが…」恵比寿は口を濁した。

二冊目、三冊目と頁を繰った。

「他の箱も見た方が良いでしょうか」とくら子が訊いた。

ううむ、と恵比寿は腕を組んだ。。

「何が書いてあるのですか、恵比寿さん、連続殺人鬼の記録とか」と、じれったそうに、まろみが大学ノートの一冊を手に取った。

連続殺人ですって、と須磨子は声を震わせた。

「須磨子さん、まろみちゃんの言うことを気になさらないでくださいね。

近頃ミステリー小説に凝ってるもんで。

恵比寿さん何とか言ってくださいよ」

「他の箱も見てみようか」

ひとりが一つずつ箱を抱えて下ろした。

順番に箱を開けた。

三つには大学ノートが入っていた。

最後の一つを開けると、恵比寿がやっぱりと息を呑んだ。

「なーんだ、古い本じゃないですか」と、まろみはがっかりしたというように恵比寿を見た。

須磨子はほっと胸をなでおろした。

「それが…」恵比寿の歯切れの悪さに、くら子がハッとした。

恵比寿はうなずいた。

「なんだか怪しい。二人は何かを隠している」

「何が怪しいのですか。この本が何か…」須磨子もわからない。

仕方ないなと、恵比寿は応えた。

「実は…春画です」

須磨子もまろみも意味がわからず、きょとんとしていた。

弱ったなあと頭をかきながら、恵比寿は顔を赤くして、枕絵ですと言いなおした。

「あの、もしかして、それは…」

須磨子は気を失った。

 くら子は、ぐったりした須磨子を抱え、まろみちゃん、母屋でお水をもらって来て、とまろみを追い出した。

「こうなることがわかってたから、お祖父さんは押入れを開けるなと遺言したのだろうな」

「そんな、のんきに」

「勘違いしちゃあいけないよ。

これは犯罪でもなんでもないのだから。

それにこれほどのコレクションは滅多にお目にかかれない」

「それはそうですけど、須磨子さんにはショックですよ」

「とにかく、須磨子さんが落ち着いたら、話をしてみよう」

須磨子が水を飲んで落ち着いたところで、恵比寿がくら子に目くばせをした。

「須磨子さん、びっくりなさったのもわかりますが、これでお祖父さまの人格が貶められるということではないのですよ」

「しかし、くら子さん、こんな秘密が」と須磨子は押入れに目を向けた。

「誤解されるのを予想されていたのだと思います」

「かといって、捨てるに忍びなかったんじゃないかな」と恵比寿が付け加えた。

「でも、これってエロ本じゃあないですか」とまろみが反論した。

「エロ本とする人もいれば、芸術と捉える人もいる。

それにお祖父さんは、単なる趣味ではなく、研究をしておられたんだ。

ノートを見てわかったよ」と恵比寿は講釈を始めた。

 浮世絵が芸術として認められるようになったのは、例のごとく海外だったこと。

モネやゴッホが浮世絵に影響を受け、ジャポニズムと呼ばれて広がりをみせた。

それも、きちんとした形ではなく、日本から輸出した焼き物の包装紙に使われていたものがきっかけだったという話もある。

また、鈴木春信や北斎など浮世絵師は皆、枕絵を描いていた。

それが当時は当たり前だったし、娘が嫁入りする時に持たせたという話もある。

 おとなしく話を聞いていたまろみは、素っ頓狂な声をあげた。

「これって、もしかしたら、すごいお宝なんですか」

「貴重といえば、非常に貴重だよ。

戦争で空襲もあったし、学問的な本ならまだしも、こういうものを大事に取っておく人はいなかっただろうから」

まろみはじろりと恵比寿を見た。

「まさか、恵比寿さんが引き取るというのではないでしょうね」

「いや、うちは扱ってない、これは、研究者に寄付したほうがいいと思う」

「あの、そんなことができるのでしょうか」と、須磨子がおずおずと訊いた。

「喜んで受け取ってくれるでしょう。

これは江戸の風俗資料でもありますからね。

昔は美術界でも春画の研究者はつまはじきだったようですが、今は時代が変わりつつあります」

開かずの押入れの中身はT大学の教授が喜んでもらいうけた。

須磨子も、大学の先生が必要とされる資料ならばおかしなものではないと納得したようだった。

 後日、須磨子からお礼のしるしと、宅配便で缶ビールが一箱届いた。

 これは、恵比寿さんに届けないといけないわねと、二人が話しているところに恵比寿が現れた。

「噂をすればなんとやら」とまろみがおどけた。

「なに? また、ろくでもないこと言ってたな」

「違いますよ。

須磨子さんから缶ビールが届いたから」

「ということは、須磨子さんもわかってくれたようだな。

気になってたから事務所をのぞいてみたんだが」

  くら子は笑いをかみ殺しながら、恵比寿さんのお陰ですと頭を下げた。

「ほんとは、骸骨を期待してたくせに」

  まろみちゃんにはかなわないなと、恵比寿は拳を額にあてた。

「ところで、恵比寿さん、あの大学の先生って本物ですか」

 恵比寿はくら子から目をそらした。

「あ、いや、その、あいつは友達で、大学の万年研究員なんだ。

名刺はそこの研究室の教授のもの」

「やっぱり」とくら子とまろみは声を揃えた。

「善意のうそってやつ、丸く収まったから良しとしようじゃないか、ねえ、まろみちゃん」

「また、そんなこと言って」

「しかし、なんだな、押入れの中に秘密を隠しておくのは考えものだな」

「恵比寿さんちの押入れだったら、何が入っていても驚きませんよ。

ねえ、くら子さん」

 事務所に明るい笑いが広がった。

19章終了