2024年05月06日

こんにちは

こんにちは。

「なんで「幸せ」っていうと「酒」になってしまうのか。20240504昼」

「友達が欲しい20240503」

「この幸せだなーって感覚をみんなにもシェアしたいんだけど
20240502夜風」

「外に出て歩く。前の大家さんにバッタリ挨拶できたり、美味しい和菓子屋さんに遭遇したり、酒屋でワンちゃんを撫で撫でしたり、空からシャボン玉が降ってきたり。

あとは。一人で外の景色を眺めながら立ち飲み食べできる落ち着いた雰囲気の禁煙店に出会えたら。夕陽を眺められたら。最高だよね。20240422」

「完璧を求め過ぎちゃあ、いけないな〜、と思います。もう少しってとこで手許がくるって、髪を剃りすぎたり、無駄なく珈琲の粉をはけで密封缶に、と最後に油断してこぼしてしまったり。

勿体無いからと、それをつまんで、、、いや、切り上げて、風呂入って寝る。これに尽きます。20240421」

「飲食は浪漫だ20240421」



随分、blogを書くということもしていないのですが。プチ・デジタル・デトックスを始めて丸一年以上経ちます。それ以来、眼精疲労はなくなるし、wife代も節約できて、平日夜にスマートフォンを見ることもなくなり、ただただ読書と録音の日々を送っています。

整体を自身で施術できているお陰で、体調も自身でコントロールできるようになったり、これまた他の整体院へ行く必要もなくなり節約できて、疲れたと思ったらツボ刺激をしてから録音に臨めるようになっています。

2月中旬から。ちょうど花粉症シーズンから、ググっと創作意欲が湧いて来ました。1999年、2000年、2005年が僕にとっての創作生活のピークかと思っていたのですが。まだまだやっていけると感じています。2018年以降の作詞、2019年、2020年の歌練り(作曲ともいう)も勢いよかったんですが。とうとう2024年にきて一番重い腰を上げないとできないDTM作業が再開しました。実質25年ぶりの再開です。これ、すごくないですか? 25年ぶりって(笑)

と、ここからは創作寄りの話になるので、Sekaiblue Airlinesにて話を続けていきたいと思います。

あおきまさと


2024年02月18日

ぶどうヶ丘で会いましょう

『極寒、美食家、感極まれり』と生まれでた言葉が引き金となり、宴を開催させて頂きました。舌鼓と穏やかな会話がひとつの風景となった一夜でした。お集まり頂いた皆さま、有難うございました。

ぶどうヶ丘で会いましょう 幹事 あおきまさと

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2024年01月28日

幸せ増幅力 Happy Course

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1月も終わりを迎えようとしています。ちょっと気が早いようですが、今月を振り返ってみると、まずまずだったのではないか、と思います。大きな病も災いもなく、ところどころで飲んだり食べたり談笑し、自分なりに立てた計画・目標も着実にこなしている。大きな幸運のようなものには出会えていないかもしれないけれど、要所要所で小さな喜びと出会えている。家族や友人、同僚に感謝の気持ちは絶えないし、毎朝のすがすがしい空に移る富士山を眺めたり、道行く知らない人と挨拶を交わしたり、親切な態度で接し合った後なんかは、それまで冷たかった風が、何故だか暖かく感じられたり。穏やかに過ごせているのではないかと思うのです。

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先日、会食中に「本当にやりたいことは何か?」「もっと大切に感じるものに時間を充てたい」といった話が出ました。そこでスケジュール帳の話が出たり、第二領域や役割の話が出たりしました。実際にワークを通して真剣に取り組めば、生活の充実度は上がるでしょうし、多幸感も膨らむでしょう。今度、その方に僕自身のスケジュール帳をお見せすることになりました。

真剣に自身の生活を改善したい!という方には、僕の数少ない「これ」といったものをお渡ししたいと感じています。そこで「より伝わる」「より浸透する」ためには、大前提というものがあるなぁ〜、と気付きました。

ワークを通して納得したとしても。それは頭で考えて多幸感を得る、もしくは、多幸感を感じとる。それだけなんですね。本当の意味で満たされたり、喜びを得るためには体で感じなければなりません。その方が実感を掴みやすいからです。例としては、大好きな食べ物がお寿司だったとして、寿司ネタの画像を眺めるよりも、実際に握り鮨を職人に目の前で握って貰ってカウンターで食べた方が、幸せではないですか? それと同じです。「幸せになるためにはこうだよ!」と頭で分って貰うよりも、まずは「幸せになるため」の体作りが先決なのでは?と思うのです。

「これをすれば幸せになれるよ」だとか「これをすればお金がどんどん入ってくるよ」とか。はたまた「これをすればモテモテだよ」とか。そういう幸せの方程式や成功の法則にすぐに飛び着く人がいます。そういう方々の行く末はご想像のとおり、うまくいかないですよね。何故ならば結果に固執しすぎなんですよね。とても多いのが「お金持ちになりたい」という願望です。それはそれで素晴らしい欲なのですが。じゃあ、その人はどんな行動パターンにはまるかというと、「お参りに行った」→「宝くじを買った」→「当たらなかった」or「当たった」です。「当たらなかった」という結果を得た人は、しょげる。もしくは次回はより大量に買う。もしくは「もっとご利益を得るために沢山の箇所にお参りする」等です。おいおい。です。「当たった」人でさえ、そのお金ですぐに自分へのご褒美として散財してしまいます。あるいはそのお金を元手にさらに宝くじを買い込む。おいおい。です。

「どうすれば幸せなのか」「何をするのが世の中のためになるのか」等を考えず、もうゲームの世界ですよね。「儲けた(強欲、我欲)」or「駄目だった(負の拡散、自滅)」

成功も幸せも日々積み重ねていくもの。積み重ねているからこそ、成功体質になるし幸せ体質になるものなんです。そうなってくると受け入れ態勢が出てくる。そうした時にふと幸運が舞い込んでくるものなんです。態勢が整っている人は、一時的な快楽に染まって散在することもなければ、さらに欲を掻いた博打はしません。

頭で分った気になると、どうしても、脳だけで良い悪いを判断してしまうために、快楽を重視、結果に固執しがちです。体はもっとゆっくりに反応します。体がどう感じるか、が大切なんです。体の感度をどう上げていくのかが大切ですし、その前に体の純度をどう高めていくかが大切なんです。

そのために何をやればよいのか? 沢山あるんですよ。簡単にできるものから、習慣化しないとなかなか億劫なもの、努力邁進しないとできないもの。そういったことを伝えていけたら、と思っています。所謂、導入編ですね。心構えであり、体構え。まずは、そこですよ。

2024年1月27日

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2024年01月22日

サヨナラ、マリンバ

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幼少の頃、マリンバを習っていた。記憶するところで「真人が初めて、自分から『これ、やりたい!』と言ったもの」、それがマリンバだった。いやいや、どうだろう。僕はよく東大宮の西友で「これ、欲しい!」とミニカーをねだったことを覚えている。チョコとかも好きだったし、姉のチョコをいない間に食べて怒られたり。

まぁ、でも、家族からしたら、僕が「これ、やりたい!」と強く望んだもの。それがマリンバだったのだろう。

マリンバという楽器は不思議で。叩いて音が鳴る、という爽快感がある。それでいて、和音は弾きづらいし(撥(バチ)を2本持てばなんとか)、長音も弾きづらい(左右の撥で連打すればなんとか)。ピアノやギターのように、ジャーンと一回叩いたり、弾き鳴らせば、あとは何となく音楽的な広がりが得られる、というものではない。そう。爽快感があるのに、もどかしさがあるのね。メロディーを弾きながら、コードを弾けない。今であれば、マリンバの弾き語り、という発想で楽しめたかもしれないけれど、幼少の頃の僕はただただクラシック音楽のメロディーを叩くくらいしかできなかった。

レッスンにも通っていたけれど、そんなに練習熱心ではなかった。でも、レッスンそのものは楽しかったし、今でいえばヨガみたいな感覚というのかな。ゾーンに入っている自分がいて心地好かった。集中して音階や音色と向き合うと、頭の中がボォ〜ッとして、それが心地好いのよね。

先日。そんな遠い記憶の楽器、マリンバとお別れした。そんなにラブラブではなかったものの、ずうっと手放せなかった愛着のある楽器だ。40年以上もお付き合いしてきた訳だから、なんていうんだろう。長年連れ添った妻と別れる心境。いや、どうなんだろう。なんとも不思議な感覚だった。別れの晩は、解体して荼毘にふしたマリンバと床を一緒にして寝た。そうすることで何か記憶や時間を刻みたかった。

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業者さんに引き取って貰った。合わせて30年以上も前から連れ添ったクラシック・ギター。カセット4トラックの多重録音機。初めて購入したシーケンサー。脱サラする直前に意を決して購入したMD8トラックの多重録音機。さらにお高くも不器用なサンプラー兼エフェクト兼音源。真空管プリアンプ。マイク2本。。。沢山引き取って貰ったため、部屋の中は随分軽くなった。お別れする心寂しさの後は、すっきり。まるで髪をサッパリ切って、軽快な足取りで「私、前を向いて歩いていくわ」

この1、2年、書籍やCDを手放すどころか、どんどん購入してしまっている自分がいた。それはそれでinput。善き事。今年は気分一新、手放していく気運だ。早速、書籍の大切と感じたところをタイピングし終えたものから、手放していく。デザイン本、歴史本、自己啓発、、、無理はしないけれど、あと50冊くらいは順々に手放していく。さらに旅先で購入したお土産物。ちょっとした小物に小さな鞄。

と、そうか。15年以上も前に姉貴が海外へ行く際に、それらをすべて写真に収めてWeb掲載して、欲しいという方に引き取って貰った覚えがある。高価なお皿や人形や、、、結構、大好評だったことを覚えている。どうせなら、人様が喜んでくれるのがいいよね。近々、撮影をして、2月中には、遅くとも3月中に限定公開したいと思う。楽しい感じでやりとりできたらいいな。

2024年1月20日 21:03談


sekai_prune at 14:15|PermalinkComments(0)私的随喜 

2024年01月20日

自己実現(なりたい自分になる) Identity Course

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毎年、同じことを書いている。
年始の過ごし方で、その一年の生活の流れがすべて決まる。

この原則は至って理に適っており、「朝の過ごし方で、その日の命運が決まる」にふさわしい。命運とまで書かなくとも、せめて気分であったり、幸福感は、朝の過ごし方で決まると僕は感じている。この原則を大きく見て取ると「年始の過ごし方で、その一年の生活の流れがすべて決まる」も、いささか的を外れているとは思えない。

さて。そんな僕が年始、どう過ごしたかというと? いやはや、そんなに大したことはやっていない。たはは。それでも一年の計。例年以上に具体的に立ててみた。元旦、一年の計。そして楽曲整理。2日、一年の計、楽曲整理、日本酒飲んで整体。3日、一年の計、楽曲整理、整体。そして4日の仕事始めへ。ここからが実践といったところか?

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4日は、「よし!録音するぞ!」と気合いを入れて帰宅したけど、眼が塞がってきて夜9時前に寝た。5日はお声がかかって思わずタンゴ・バーで沢山踊って、とても穏やかに過ごせて楽しかった。6日は勉強しちゃったり、家族で過ごして。7日は床屋へ行ったり、楽曲整理、近所の担々麺屋さんで食べてから、酒屋さんでちょこっと飲もうとしたら、担々麺屋さんが混んでいて、先にすきっ腹にビールにワイン飲んだら、お腹を痛めてしまった。翌日からは、真剣に断捨離に取り組んで、今日14日に至る。ようやくひと段落して、こうやって文章を打つ時間がとれた。昨日はカフェしたり、寿司を食べに出掛けたり。明日は中華料理店で新年会だ。

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と、こうしてみると、計画通りに行くってことはまずない。でも、計画立てておくとよいのは、向かっていく方角を定めておきさえすれば、心の余裕というのかな。ちょこっと停滞したり、脱線したりしても、それさえも楽しめることができる。

計画。僕自身、この数年間、具体的には2019年の夏くらいから運気が上がったまま、安定しているのは、この「計画」のお陰だと思っている。勿論、朝の過ごし方やヨガのお陰もあるだろうし、仕事も比較的安定してるというのもあるかもしれない。観念を含めた日々の習慣、気付きかもしれない。そういう色んなものが連なって、幸せ感、多幸感、幸福感を培っている。でも、やっぱり「計画」という舵取り、見直し、方向転換をしとくと、大きな行動力が生まれると実感している。

もうちょっと具体的に書くと。手帳術。スケジュール帳の使い方で、毎日の毎週の過ごし方がちょこっとずつ変わっていって、それらが日々積み重なっていくと、いつの間にか大きな動きとなっている。それさえも、過去からすれば大きく感じるだけであって、当たり前のように成し遂げてしまっているから無理がない。

この1、2年は、人様にも手帳の書き方をお見せしている。興味ある方は、お声掛けの程。お見せすることもできるし、ワークを通して、どのようにスケジュール帳、手帳を活用すれば、幸せ度が上がるのか、お伝えしたいと思っている。

自己実現(なりたい自分になる) Identity Course
筆記ワーク形式(課題付☆)
Part機↓供↓

20240114 16:54

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sekai_prune at 13:16|PermalinkComments(0)

2023年12月30日

私的随喜:2023年総括

2023年総括

tsukasabotan

こんばんは。2023年はとっても不思議な一年でした。というのも。

年の前半。新年から、音楽制作に集中しつつ、健康に気を遣いつつ、友とも会って飲んで、タンゴも適度に踊り、と。とってもバランスの摂れた生活を送っていたかと思いきや、突如、3月、プチ・デジタル・デトックスを開始することに決めた途端、sekaiblue.comのDiscographyの整理・構築を一ヶ月間こもって完了。4月からはアルバム『I’m Drifting』の録音を開始し、それが7月までずっと続いて猛暑・酷暑に突入と同時にギックリ腰寸前になってからは、動きが止まりました。もうずっとダラダラと古典に耽っておりました。いや、ダラダラかと思いきや随分熱中し抜け出せなくなったのです。4月からの健康生活に拍車がかかって、姿勢について、体の使い方、歩き方を模索し、気功を始め、整体の自己治療も夏からは随分集中し。とにかく体に関しては必死でしたね。このままで人生終わっちゃうのかな? いや、まだまだ楽しみたいぞ、ともがきつつも、眼精疲労もあれば肉体的な疲労もあって、いったいどうすりゃいいんだ?という心境でした。

yoneduru

49歳になって新しいDELFONICSのスケジュール帳。切り替えました。『7つの習慣』のお陰でここ数年間随分充実した心境で生活することができているのですが、家族・知覚といった心の充足、健康(ヨガ、気功、整体)・家事といった体の充足と実際の生活の土台となる部分の安定を図ったうえで、世界ブルーという自己実現を載せるという構図。世界ブルーでは、作詞・作曲・録音・創作といった生み出したり、形にするクリエイティブな面が一つ。一番好きな部分ですね。二つ目は、形になったものを発信する作業、もしくは発信に至るまでの編集作業、Web作業。三つ目は、データの整理、保存。そして、ご褒美として、或いは世の中との心地好い繋がりとして、交流。友との交流、ときめき、新しいお店の開拓といった安定と刺激、です。

特に49歳という意識は強く、「歳をとる」ことへの反発なのでしょうか。「まだまだ」という気持ちからか、安定から刺激への跳躍を図ったことで、生活全体にリズムが出ました。一つはときめき。もう一つはひらめき。それら感覚的な要素を実際に行動に移すための勇気、判断力。見事なまでに綺麗な曲線を描いて、生活そのものの気運が高まりました。

といっても、生活そのものは満たされても、実質は、Jacksonsを聴いて、気功等の健康や体に関する書籍を読んで、さらに『源氏物語』『枕草子』『平家物語』にまつわる書籍を読んで、おねんね、という日々でした。世界ブルー的にはなんの進展もなく。

そんな矢先に今度は、想定していなかった整体のお免状を頂いてしまいました。10月くらいから、「青木さんの表情が変わってきた」と整体師ご夫妻からお言葉を頂いてはいたのですが、それは単に自己治療に励めば励む程、自身の腰の状態がよくなる、或いは、厳しい状況に陥ったとしても自身で救い出すことができる、ということ自体、素晴らしい訳ですから、どんどん面白くなって真剣になる訳です。さらに母にも試したりしたところ、半年以上抱えていた腕の痛みがあっさりと消えてしまったり。やればやる程、効果が出る。これは、はまりますよ。

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お免状頂いたのって、まだ一ヶ月前のことなのですが。そこからがまた密度が濃くて、総復習、まとめ、質問と整理、同一著者の複数の書籍の研究、実技(もっぱら母と自身)を繰り返していたら、いつの間にか、、、僕自身が若々しくなっているではありませんか?! 急に肌艶がよくなってきて、両親からも言われ、周りからもそういう目で見られ、なんだか生き生きしているらしいのです。と、気付くと、眼精疲労もないし、ここ3年ばかし気になっていた額の皺さえも目立たなくなってきていて。どうしたんだ? こりゃ!といったところなのです。

世界ブルー。確かに、もうそろそろ。でも、古典にしろ、整体にしろ「今、やりたいことは何だ?」と体が素直に伸びる方向に向かうのがよいのです。2年前にアルゼンチン・タンゴ、思い切って新しい教室でレッスンを受け始めたところ、面白くって熱中しました。そう、バランスをとるのもいい。でも、偏っても「今、これ!」ってところに自身を集中投下していく。これです。ちなみに1年前は酒に集中投下しました(笑) だからこそ、「今年はそんなに飲まなくても、随分飲んだしな」、と切り替えることができてるんですね。「むしろ、美味しい食事。そうだな。寿司、天婦羅といった和食を味覚だけでなくて文化として食したい。」ということで、実際にカウンター席で緊張しながら握りを一貫ずつ頼んで楽しんでいます。

と、2023年の総括というよりも、概要説明に走りました。今、言えること、書けることは、体の調子が頗るよい!ということ。そして、仕事の調子もよい。家族。友人。交流。依存せずに自分軸に立ってみて、そこから他者と心地好く関与できている、関係を築いている。そう感じます。

2016年以降は、歌(世界ブルー)、ヨガ、踊り(アルゼンチン・タンゴ)が中心となっていましたが、僕は体ひとつで何か!!というものが好きみたいです。話す、食べる、歌う、歩く、踊る、、、気功、整体、、、ときめき、ひらめき、きらめき、、、気付き、呼吸、静と動。。。心と体。。。随分前、2005年頃に行き着いた「世界ブルーって陰陽だったんだ!」という感覚。より実生活の中で陰と陽の有難味を感謝の念に変えて、愛を歌う。そんな僕でありたいし、そうならざるを得ない2024年、もうすぐです。

2023年12月29日 21:27談


sekai_prune at 16:44|PermalinkComments(0)私的随喜 

2023年12月24日

僕を通り過ぎていった人達

僕を通り過ぎていった人達

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「いつかさぁ〜、みんな家族連れ立ってさぁ〜。ピクニックとかやれたらいいよね。」

高校を卒業仕立ての僕ら。別々の高校だったけれど、若さゆえか、それとも、これからの未来に輝いてゆく原石の集まりか。四人で集ってカフェしたり。今思えば、なんで僕一人だけ別の高校で、その三人と会って話していたのだったか。

覚えているのは、ただただ東京芸術劇場のエスカレーターが長く伸び、その緩やかに上がっていく様が、僕らの輝かしいであろう人生のように光っていた。そう記憶する。

その数年後。また同じメンバーで集まった記憶がある。僕はそれまでの人生のレールから降り、もう一人も外れた。そんなでも二十代のうちは年賀状で繋がっていたけれど。

池袋で新鮮な気持ちで語った僕ら。あの頃の輝きを皮切りに、個々それぞれに物語を長く編んでいる。今なお、「現実」という名の物語は続いている。いつしか、終わりを悟る前に、もう一度会うことがあるのだろうか。

その時は。あの頃の漠然とした未来像よろしく、ピクニックとかやれたらいいよね。連れ立つ家族はいなくても、それが現実というもの。

2023年12月23日

僕を通り過ぎていった人達

僕を通り過ぎていった人達

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「潮の香り。」
「それって、私が汗臭いってことぉ?」

帰りの電車の中。隣り合わせの彼女に思わず漏らしてしまったのは、安心感から。言い訳になるけれど、僕にとってお姉さんである彼女には甘え心もあって。「安心できるお姉さん」からの「潮の香り」で癒され、油断して漏らしてしまったのであった。

当時は既に携帯電話も普及していて、携帯電話でe-mailのやりとりもできる時代だった。最後にみんなでお別れ会をやって以降、顔を会わせることはなかったものの、やりとりは数年間続いていたな。でも、ただ甘えていただけだったかもしれない。

そういえば、その同じ場で集合バスに乗り込んだ時に、ちょこっと歳上の女性から「へぇ〜、音楽やっているんだぁ〜。夢を見れる歳でいいね〜。」と皮肉られたことがある。その女性とはその一度しかお目にかかったことはないけれど。

でもね。今なおね。僕はね。きっとね。いや、ずっと夢見続けるよ。


2023年12月17日

僕を通り過ぎていった人達

僕を通り過ぎていった人達

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「青木さんに出会えたことが私にとっての財産だよ。」

彼女はいつもニコニコしていて、顔を会わす度に癒される。ちょこっと好きになったりもした。気持ちは伝えたけど、断るのもお上手で「ごめんね〜。彼氏がいてラブラブなんだ〜。」と、これまた笑顔で返される。そんなだから、以降も打ち解け合って、3、4人で飲みに出掛けた。

新宿に店名は淡々亭だったか。馬刺しや焼き鳥がやたら旨かった飲み屋。そこも彼女が「前勤めていた時に行って美味しかったんだ〜。」と連れ立って行った。今思えば、あの頃はみんな三十代。思うことを率直に言い合うことのできた輪の中で乾杯し、「また来よう」だなんて言い合って、また集まった。ポテトサラダが印象に残っている。

僕はその場を立ち去る時、彼女は涙を溜めて言ってくれた。
「青木さんに出会えたことが私にとっての財産だよ。」

その数年後、彼女も訳あって、場を離れたのだけど、以降、人づてであっても果報な知らせは耳に入って来ない。その後どうしているのか。

今も変わらず、朗らかな笑顔で過ごしていることを願う。


2023年12月10日

私的随喜:信じるか、信じないかは別として。

信じるか、信じないかは別として。

穏やかに過ごしているんですが、秋に入った辺りから、どんどんツキまくっています。と、人様からしたら大したことないのかもしれませんが。くじ引きが当たったり、トキメいている女子とお鮨を食べたり、はまりつつある古典を語り合える相手が現れたり、“もてなしてくれたお礼に”とご馳走してくれたり、“教えてくれたお礼に”とこれまたご馳走してくれたり。

そして。習い続けていた整体。なんと!お免状を頂いてしまったのです。今年度に入ってから、レクチャーを受け続け、特に夏にギックリ腰寸前になってからは、毎晩自己治療に励んだり、書物の内容をまとめたりしていました。レクチャーはマンツーマン。座学と実技で1回につき5時間程。濃い〜体験でした。僕自身が腰をどうにかしたい!ため、必死でした。さらにお袋に協力して貰い、治療の技の一部を試させて貰ったり。通常だと、学校に通ったり、グループでの受講だったり、試験みたいなものがあるのでしょうか。それが幸運なことに長年整体師を続けて来られた方から直接、実際の治療法だけでなく、感覚的なことまで教えて頂き感謝致します。

お免状。単なる資格というだけにとどまらず。多くの友人・知人の方々がご存知の?整体師ご夫妻。彼らが田舎に移ることになり、東京支部という形で任されたのです。初め「すべてを伝授したい」と言われた時は、「いやいや、まったく整体のことよく分かってないし。」と重責を感じたものでした。さらに整体師のお師匠さんの書籍を購入したら、その内容がとてつもなく専門的な体系化された内容で畏れ多いものでした。が、、、レクチャーを受ければ受ける程、はまってしまいました。

何故ならば。教えて頂いた治療法は、僕がこれまでやってきた世界ブルーという静と動であったり細胞と宇宙という感覚、さらに男声合唱やヨガで意識してきた呼吸、アルゼンチン・タンゴで教わってきた直感とルール、毎日心掛けている健康、若さ、幸せ等とすんなりと溶け合うものだったからです。それもそのはず、一日の変化、季節の移り変わりは陰陽の繰り返しであり、生きていること自体が陰陽。当たり前に過ごしていれば、陰陽そのものは自然に自身の中にあるもの、と感じます。

まだまだこれからも色々と実践あるのみですが、自身の生活の中に確固たる光が見えます。金銭的にはお金を払って整体に通う必要がなくなりました。お袋も行く必要がなくなりました。また、自己治療で治るという自信があるため、精神的にも安定し、まだまだ色々と人生というステージの中で興味持ったことには素直に積極的にチャレンジしてみたい、そんな気運を抱えています。

「どこの整体へ行っても改善しない」と、体のことで困っている友人・知人のためならば。鍼灸・整体・手技療法の大家である先生、その技術を継承し長年治療を続けて来られた先生、彼らのエッセンスの賜物をお裾分けさせて頂きます。僕自身はただただ教わったことを無心で進めていくだけです。

まだまだ身の周りの友人・知人の皆様には、健康で元気溌剌でいて貰いつつ、今後も食べ飲みしたり、歌ったり踊ったり、語らったり。一緒に「人生っていいよね」なんて喜び合いたい。そんな関係の一助として治療法が役立つことを願ってます。

2023年12月9日



sekai_prune at 15:23|PermalinkComments(0)私的随喜