2025年02月11日
バールに立ち寄る感覚で 春を探しに
こんにちは。
この一週間、急に日が伸びたように感じ、朝の通勤時でも春の兆しを感じます。鼻から吸い込まれる空気の質が春に近くなってきている。冬から春へと移り変わる空気を吸い込むと、「よぉ〜し、春になったら、あんなこと、こんなこと」と妄想が膨らみます。以下は前回のプランの続きです。友に送ったメッセージ等を頼りに可視化、共有化を図ります。興味持ってくれたらお声がけください。
『2025年 春を探しに』プラン
・公園で花見酒
梅に桜、そして初々しいフレッシュ感のある日本酒
・温泉or銭湯orスパ(健康ランド)の後に中華
都内の地域の温泉に浸かり、その後、その町のお店に入る。町中華である必要はない
・自然散策(里山含む)と和食(蕎麦、天婦羅、寿司)
いっそのこと酒蔵ツアーもよい
・適度にお店があって、自然もある街
祖師ヶ谷大蔵、都立大学〜駒澤大学、三鷹〜小金井
・こじんまりとしたお店で飲み歩き
戸越銀座、千歳船橋、船橋
・美術館、博物館、公園と街散策、カフェ
上野界隈、清澄白河界隈、他
・インバウンド観光客の視点で東京を巡る
私たちにとっては当たり前の日本の街、風景、文化。それを海外の観光客は興味を持って「新鮮!」と感じていることが多い。私たちには気付かない東京の魅力を味わう。海外客の情報や視点に立って、東京を練り歩く。
と、ありきたりですが、お互いアイディアを出し合って楽しみましょう!
この一週間、急に日が伸びたように感じ、朝の通勤時でも春の兆しを感じます。鼻から吸い込まれる空気の質が春に近くなってきている。冬から春へと移り変わる空気を吸い込むと、「よぉ〜し、春になったら、あんなこと、こんなこと」と妄想が膨らみます。以下は前回のプランの続きです。友に送ったメッセージ等を頼りに可視化、共有化を図ります。興味持ってくれたらお声がけください。
『2025年 春を探しに』プラン
・公園で花見酒
梅に桜、そして初々しいフレッシュ感のある日本酒
・温泉or銭湯orスパ(健康ランド)の後に中華
都内の地域の温泉に浸かり、その後、その町のお店に入る。町中華である必要はない
・自然散策(里山含む)と和食(蕎麦、天婦羅、寿司)
いっそのこと酒蔵ツアーもよい
・適度にお店があって、自然もある街
祖師ヶ谷大蔵、都立大学〜駒澤大学、三鷹〜小金井
・こじんまりとしたお店で飲み歩き
戸越銀座、千歳船橋、船橋
・美術館、博物館、公園と街散策、カフェ
上野界隈、清澄白河界隈、他
・インバウンド観光客の視点で東京を巡る
私たちにとっては当たり前の日本の街、風景、文化。それを海外の観光客は興味を持って「新鮮!」と感じていることが多い。私たちには気付かない東京の魅力を味わう。海外客の情報や視点に立って、東京を練り歩く。
と、ありきたりですが、お互いアイディアを出し合って楽しみましょう!
2025年02月09日
私的随喜:最高の10年を過ごす
おはようございます。
2025年に入ってから、よりアクション。決断と行動の日々を過ごしています。
変化に富んだ今の世の中にあって、毎日を平穏に過ごす、というのは至難の業かと感じています。外的要因によって、振り回されないためにも、自身の過ごし方は常に修正し見直していく必要があります。特に五十路街道は気分だけでなく体も重くなっていく、そこを見据えたうえで、国もそうでしょうが、個人としても未来を明るいものにする努力、これが求められています。
今回、テーマに選んだのは「最高の10年を過ごす」。そのポイントのひとつが「計画ではなく衝動」、これです。これまで結構計画重視で生活を回してきました。ただ昨年の努力の甲斐あってか、基盤ができた、生きる路線その道筋を見い出だすことができた、と感じています。
性格であったり、生きる信条、過ごし方というのは一朝一夕では成り立ちません。特にこの二十年で培ってきた食生活であったり家事についての意識、この十年での体調面の健康管理や飲み巡り、さらにこの数年間での心の在り方等々、そして三十五年以上も続いているメロディー至上主義的な生き方、、、。これらすべてが総体として絡み合い、一個人として毎日を生きていく、動いていく、歩く、呼吸する、という現状。その個体が老いを受け入れつつ、どうこれからを愉しんでいくか。そのために「衝動でもって最高な毎日を過ごす」のです。
昨日も、祝い酒を受け取りに酒屋へ向かいました。晴れ晴れした空の下を歩いて酒屋に着いた時に「昼から飲みたいぞ!!!」「今だ、今だぞ!!!」と衝動が起こります。勿論、買いました。そして外の景色を眺めながら日本酒を。結構飲んで、昼寝しましたよ。って、単に「飲みたいだけじゃん!」という突っ込み、ありがとう。
さて。理想論がありつつも衝動で過ごすためには、ある一定のルールというか生活基盤、土台が必要です。そこで僕は昨晩、ひとり閣議会合で決定しました。それは「やらないSNS」です。2018年にfacebookをやめ(それ以前にmixiをやめ)、一時期LINEからも離れたことで、多大な幸福感を感じる日々を送りました。2023年4月からはスマートフォンとパソコン利用の制限、いわゆるプチ・デジタル・デトックスを始め、とうとう2025年からはスマートフォンは外出先のみでの使用を打ち立てました。なかなか、、、実現できていなかったのですが、ちょっと惰性的な投稿になっていた旧ツイッター、あんまり必要なくなってきたなと感じました。その分、自身のホームページの更新であったり、ブログ発信に注力できるのではないか? また、昨晩発案されたものとしては、スマートフォンに係るすべてのやりとり、情報収集は外出先のラウンジで行う、これはとってもシンプルでよい案です。さらに音源のネーミングもラウンジで行い、家ではレコーディング(創作制作)、作詞作曲、そのタイピングのみ行う。つまり世界ブルーに集中する。勿論、がっついて「集中するぞ!」という義務感ではなく、他にもやりたいことは多大にあるため、気が乗らなければ別のことをやればいいのです。少なくとも、整理作業やブログ発信などは、外出先でもできる→家では眼精疲労につながることはやらない→家でのスマートフォンは使用しない。これはかなり有用な施策かと思います。
他には。やはりこれまで「バールに立ち寄る感覚で」で散々書いてきた通りのプラン。つまり、外で青空の下で立って飲む。歩く。です。何故この感覚を重要視しているのかというと、結局のところ幸せというのは太陽の光を感じながら(青空の下で)、悦に浸る(酒を飲む、食事をする、散歩する、話す)ことだったりするからです。昨日、衝動的に日本酒を飲みたくなって買って飲んだのも、やはり幸せ絶頂の気分を味わいました。窓の外では青空が広がり、明るい昼から飲むなんて最高じゃないですか?
これは秘伝というか、秘儀だったのですが、僕が何故、アルゼンチン・タンゴにはまっていたのか、というのも理由がありました。生きる信条にも繋がりますが、「呼吸する」という根本的に生きることを前提したうえで、人類にとっての幸せというのは三大欲求に加えて、「話す」こと、そして「歩く」ことだと思います。そして「話す」ことの発展型が「歌う」ことであり、「歩く」ことの発展型が「踊る」ことなのです。アルゼンチン・タンゴはさらに社交場であるがゆえに会話する=「話す」こともあり、さらに踊る際の誘う緊張感、触れ合い、信頼関係、空間の中の生身、音楽を通しての呼吸など様々な要素が存在しているのです。
「歌う」ということも今後の人生において、どんどんやっていきます。それは人前でどう、という話ではありません。「歌う」そのもの。「歌う」こと自体に対して歓びを感じたいと思っています。歌の中にも呼吸があります。間合いがあります。せめぎ合いもあり、ゾーンに入ったり、そこを崩す面白みもある訳です。そうなってくると歌という音を奏でる器は僕の体そのものですから、楽器である僕の体のケアも大切になってくる。そこで大切なのが呼吸であったり、姿勢であったり、体調管理であり、心の面での充足となると、家族との絆、友との交わり、と僕いち個人=個体ながらも総体的に躍動感を持って過ごしていく。そんな今日。そして明日を過ごし、未来も、その先の未来も躍動感を持って過ごしていきたいと思います。
2025年2月9日 あおきまさと
2025年に入ってから、よりアクション。決断と行動の日々を過ごしています。
変化に富んだ今の世の中にあって、毎日を平穏に過ごす、というのは至難の業かと感じています。外的要因によって、振り回されないためにも、自身の過ごし方は常に修正し見直していく必要があります。特に五十路街道は気分だけでなく体も重くなっていく、そこを見据えたうえで、国もそうでしょうが、個人としても未来を明るいものにする努力、これが求められています。
今回、テーマに選んだのは「最高の10年を過ごす」。そのポイントのひとつが「計画ではなく衝動」、これです。これまで結構計画重視で生活を回してきました。ただ昨年の努力の甲斐あってか、基盤ができた、生きる路線その道筋を見い出だすことができた、と感じています。
性格であったり、生きる信条、過ごし方というのは一朝一夕では成り立ちません。特にこの二十年で培ってきた食生活であったり家事についての意識、この十年での体調面の健康管理や飲み巡り、さらにこの数年間での心の在り方等々、そして三十五年以上も続いているメロディー至上主義的な生き方、、、。これらすべてが総体として絡み合い、一個人として毎日を生きていく、動いていく、歩く、呼吸する、という現状。その個体が老いを受け入れつつ、どうこれからを愉しんでいくか。そのために「衝動でもって最高な毎日を過ごす」のです。
昨日も、祝い酒を受け取りに酒屋へ向かいました。晴れ晴れした空の下を歩いて酒屋に着いた時に「昼から飲みたいぞ!!!」「今だ、今だぞ!!!」と衝動が起こります。勿論、買いました。そして外の景色を眺めながら日本酒を。結構飲んで、昼寝しましたよ。って、単に「飲みたいだけじゃん!」という突っ込み、ありがとう。
さて。理想論がありつつも衝動で過ごすためには、ある一定のルールというか生活基盤、土台が必要です。そこで僕は昨晩、ひとり閣議会合で決定しました。それは「やらないSNS」です。2018年にfacebookをやめ(それ以前にmixiをやめ)、一時期LINEからも離れたことで、多大な幸福感を感じる日々を送りました。2023年4月からはスマートフォンとパソコン利用の制限、いわゆるプチ・デジタル・デトックスを始め、とうとう2025年からはスマートフォンは外出先のみでの使用を打ち立てました。なかなか、、、実現できていなかったのですが、ちょっと惰性的な投稿になっていた旧ツイッター、あんまり必要なくなってきたなと感じました。その分、自身のホームページの更新であったり、ブログ発信に注力できるのではないか? また、昨晩発案されたものとしては、スマートフォンに係るすべてのやりとり、情報収集は外出先のラウンジで行う、これはとってもシンプルでよい案です。さらに音源のネーミングもラウンジで行い、家ではレコーディング(創作制作)、作詞作曲、そのタイピングのみ行う。つまり世界ブルーに集中する。勿論、がっついて「集中するぞ!」という義務感ではなく、他にもやりたいことは多大にあるため、気が乗らなければ別のことをやればいいのです。少なくとも、整理作業やブログ発信などは、外出先でもできる→家では眼精疲労につながることはやらない→家でのスマートフォンは使用しない。これはかなり有用な施策かと思います。
他には。やはりこれまで「バールに立ち寄る感覚で」で散々書いてきた通りのプラン。つまり、外で青空の下で立って飲む。歩く。です。何故この感覚を重要視しているのかというと、結局のところ幸せというのは太陽の光を感じながら(青空の下で)、悦に浸る(酒を飲む、食事をする、散歩する、話す)ことだったりするからです。昨日、衝動的に日本酒を飲みたくなって買って飲んだのも、やはり幸せ絶頂の気分を味わいました。窓の外では青空が広がり、明るい昼から飲むなんて最高じゃないですか?
これは秘伝というか、秘儀だったのですが、僕が何故、アルゼンチン・タンゴにはまっていたのか、というのも理由がありました。生きる信条にも繋がりますが、「呼吸する」という根本的に生きることを前提したうえで、人類にとっての幸せというのは三大欲求に加えて、「話す」こと、そして「歩く」ことだと思います。そして「話す」ことの発展型が「歌う」ことであり、「歩く」ことの発展型が「踊る」ことなのです。アルゼンチン・タンゴはさらに社交場であるがゆえに会話する=「話す」こともあり、さらに踊る際の誘う緊張感、触れ合い、信頼関係、空間の中の生身、音楽を通しての呼吸など様々な要素が存在しているのです。
「歌う」ということも今後の人生において、どんどんやっていきます。それは人前でどう、という話ではありません。「歌う」そのもの。「歌う」こと自体に対して歓びを感じたいと思っています。歌の中にも呼吸があります。間合いがあります。せめぎ合いもあり、ゾーンに入ったり、そこを崩す面白みもある訳です。そうなってくると歌という音を奏でる器は僕の体そのものですから、楽器である僕の体のケアも大切になってくる。そこで大切なのが呼吸であったり、姿勢であったり、体調管理であり、心の面での充足となると、家族との絆、友との交わり、と僕いち個人=個体ながらも総体的に躍動感を持って過ごしていく。そんな今日。そして明日を過ごし、未来も、その先の未来も躍動感を持って過ごしていきたいと思います。
2025年2月9日 あおきまさと
2025年02月02日
バールに立ち寄る感覚で 空の下で
暖かくなってきた。と、感じていたら、今日は寒波の影響もあってか、関東も底冷えする寒さだ。
そんな時でも、僕がそそられるのは、澄んだ空気が鼻を通る感覚。と同時に喉ごし、潤いを与えてくれる日本酒だ。たまらない想像。
冬から春にかけての日本酒の存在感は圧倒的である。そして飲むなら昼がいい。さらに晴れの日がいい。「お酒を飲むなら〜、昼がいい〜♪」(←多分、2番ならば「昼」を「春」に変える、いや、「春」が1番で「昼」が2番の歌詞となるだろう。どうでもいいことだ。) 「桜の向こうは〜、空がいい〜♪」とかなんとか言ってみて、空の下で飲めれば最高だ。
ここ数年、この5年くらいだろうか。印象に残っているのは、東中野。大通り沿いにあるワインバーで立ちながら生ハムをつつきながら、ワインで乾杯。屋外で飲ませて貰って、会話も弾む。その後に公園で持参のワインを飲む。さらに練り歩いて、遊歩道を通って、交差点で飲む。終いには何度か行ったことのあるビストロで立ち飲みする。そんな具合だったかと記憶している。
他には、近所の公園で花見酒。それからベランダで花見酒。これもなかなかいい。生原酒が合う。
昨年は神楽坂で、やはり生ハムをつつきながら、屋外のカウンターでワインで乾杯し、最後には空の下で日本酒、知らない方々との会話も新鮮であった。高円寺における立ち飲み巡りもよかった。阿佐ヶ谷の巡りもよかったし。よいこと尽くしだ。
という訳で、今年の春のプランでも書いておく。
1、春の生原酒を真昼間から、近所の公園と遊歩道で飲む。五橋は欠かせないだろう。他には華鳩か? 甲子か? 大雪渓か? 楽しみだ。相手がいなければ、一人でも楽しめるプランだ。ソメイヨシノ満開の時期に合えばさらに最高だ。
2、高円寺をもう一度。昨年夏の立ち飲みと屋台巡り。さらに高円寺の街自体をもうちょっと練り歩きたい気分だ。地元のこじんまりとした祭りと合わせてみるのもよい。ほぼすべて昼飲みできるのがよい。
3、ザ・阿佐ヶ谷。王道と冒険を繰り返しても、まだ未開拓なお店の宝庫、阿佐ヶ谷のグルメを堪能したい。夜でないと空いていない店がほとんどだが、日中に神社や祭りを感じながら、早めの夜を愉しみたい。一回きりでは巡れない選択肢の多さに脱帽だ。
4、東中野ももう一度。あ、別にタイトルはどうでもいい。今、これ、急ぎで書いている。今から日本酒をちょこっと飲むのだ。許そう。東中野もまだまだ、中華やイタリアンを含めて、もうちょっとリーズナブルに探索したいものだ。日本のパリである東中野を一緒に歩ける人がいたら是非。
と、まだまだあるのだが、まずは、今から、微炭酸の日本酒でも飲もうと思う。また会おう。
そんな時でも、僕がそそられるのは、澄んだ空気が鼻を通る感覚。と同時に喉ごし、潤いを与えてくれる日本酒だ。たまらない想像。
冬から春にかけての日本酒の存在感は圧倒的である。そして飲むなら昼がいい。さらに晴れの日がいい。「お酒を飲むなら〜、昼がいい〜♪」(←多分、2番ならば「昼」を「春」に変える、いや、「春」が1番で「昼」が2番の歌詞となるだろう。どうでもいいことだ。) 「桜の向こうは〜、空がいい〜♪」とかなんとか言ってみて、空の下で飲めれば最高だ。
ここ数年、この5年くらいだろうか。印象に残っているのは、東中野。大通り沿いにあるワインバーで立ちながら生ハムをつつきながら、ワインで乾杯。屋外で飲ませて貰って、会話も弾む。その後に公園で持参のワインを飲む。さらに練り歩いて、遊歩道を通って、交差点で飲む。終いには何度か行ったことのあるビストロで立ち飲みする。そんな具合だったかと記憶している。
他には、近所の公園で花見酒。それからベランダで花見酒。これもなかなかいい。生原酒が合う。
昨年は神楽坂で、やはり生ハムをつつきながら、屋外のカウンターでワインで乾杯し、最後には空の下で日本酒、知らない方々との会話も新鮮であった。高円寺における立ち飲み巡りもよかった。阿佐ヶ谷の巡りもよかったし。よいこと尽くしだ。
という訳で、今年の春のプランでも書いておく。
1、春の生原酒を真昼間から、近所の公園と遊歩道で飲む。五橋は欠かせないだろう。他には華鳩か? 甲子か? 大雪渓か? 楽しみだ。相手がいなければ、一人でも楽しめるプランだ。ソメイヨシノ満開の時期に合えばさらに最高だ。
2、高円寺をもう一度。昨年夏の立ち飲みと屋台巡り。さらに高円寺の街自体をもうちょっと練り歩きたい気分だ。地元のこじんまりとした祭りと合わせてみるのもよい。ほぼすべて昼飲みできるのがよい。
3、ザ・阿佐ヶ谷。王道と冒険を繰り返しても、まだ未開拓なお店の宝庫、阿佐ヶ谷のグルメを堪能したい。夜でないと空いていない店がほとんどだが、日中に神社や祭りを感じながら、早めの夜を愉しみたい。一回きりでは巡れない選択肢の多さに脱帽だ。
4、東中野ももう一度。あ、別にタイトルはどうでもいい。今、これ、急ぎで書いている。今から日本酒をちょこっと飲むのだ。許そう。東中野もまだまだ、中華やイタリアンを含めて、もうちょっとリーズナブルに探索したいものだ。日本のパリである東中野を一緒に歩ける人がいたら是非。
と、まだまだあるのだが、まずは、今から、微炭酸の日本酒でも飲もうと思う。また会おう。
2025年01月13日
私的随喜 2025年1月13日 成人の日
今日は2025年の1月13日。成人の日だ。
毎年、この日を迎える度に、君のことを思い出す。
世界も随分、変わったよ。
そして、僕も随分、歳をとった。
君とは酒を飲み交わすこともなかったし、恋愛話に耽る、ということもなかった。でも、もし、また会うことができたなら、今、こうやって毎日を過ごしていることに感謝している、そんな二人として会いたい。
このところ思うんだけど、地球は美しいよ。
毎日の瞬間瞬間が美しい。
まぁ、そんなこと言っておいて、平日の朝の出勤時、満員電車の中でスマートフォンをいじって、我が物顔でスペースを確保する人たちもいれば、駅構内の何とも言えない世知辛い光景といったら、、、職場、組織、世の中、まぁ、美しさとは裏腹の情景を目の当たりにしているんだけど。でもね、やはり言いたい。世界は美しい。地球は美しい。
果たして、君とそんなことを語り合えるかどうかは分からない。いや、実際にもう会うことはないだろう。でも、もし、会えたら。世界について。地球について。語り合いたいんだな。
2025年1月13日夜
毎年、この日を迎える度に、君のことを思い出す。
世界も随分、変わったよ。
そして、僕も随分、歳をとった。
君とは酒を飲み交わすこともなかったし、恋愛話に耽る、ということもなかった。でも、もし、また会うことができたなら、今、こうやって毎日を過ごしていることに感謝している、そんな二人として会いたい。
このところ思うんだけど、地球は美しいよ。
毎日の瞬間瞬間が美しい。
まぁ、そんなこと言っておいて、平日の朝の出勤時、満員電車の中でスマートフォンをいじって、我が物顔でスペースを確保する人たちもいれば、駅構内の何とも言えない世知辛い光景といったら、、、職場、組織、世の中、まぁ、美しさとは裏腹の情景を目の当たりにしているんだけど。でもね、やはり言いたい。世界は美しい。地球は美しい。
果たして、君とそんなことを語り合えるかどうかは分からない。いや、実際にもう会うことはないだろう。でも、もし、会えたら。世界について。地球について。語り合いたいんだな。
2025年1月13日夜
2025年01月03日
私的随喜:2025年の始まり
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて。2025年、始まりましたね〜。
昨年暮れに
・22時前には寝る
・夜の外出(外食)禁止→日中の散策、昼飲み推奨
・休日と夜のスマフォ禁止→日中のみ電源ON
と書きました。プラス・アルファで
・朝ヨガ、筋トレ↑
・世界ブルー創作↑
・タンゴ(日中のみ)↑
・散策(日中のみ)↑
・色
です。
年末年始のお休み、たっぷりとありますので、ひとつひとつ実施していますよ。まずは筋肉量を増やしつつ、体形をもとに戻していくべく、毎朝のヨガを超フルコースで実践できています。さらにやっぱりスクワットですね。筋肉量を増やす。これ、面白いんですが、筋肉って嘘つかないっていうか、1日2日で効果が如実に表れるんですよね。そのためモチベーション上がります。
世界ブルー創作↑ はい。大晦日からとうとう再開できました。一日平均2.5時間ではあるけれど、DTMで楽しんでおります。と、生まれてくる曲がこのところ一日平均3、4曲なため、追いつかないのですが、まぁ、あまり自分を追い詰めず、メロディーがでてくるのはあくまでもコンディションがよくなっているのだ、と認識するだけにしておいて、創作は創作で楽しくやっていきたいですね。
タンゴは春から、月に1度、ほどほどに踊るくらいで楽しんでいけたらな、と思っています。やっぱり2017年から2023年(うち1年間はお休み)のまる5年間、結構熱心に取り組んできたため、体は覚えており、財産となっているのだな、と感じます。今後は生活の中のスパイスとして楽しんでいきます。
散策。はい。これ、結構メインテーマかも。「バールに立ち寄る感覚で」でも書いているけれど、「酒ではない何か」をここ数年求めている訳ですね。まぁ、だからこそタンゴに向かっていったのも「酒飲むなら、踊ったり歌ったりの方がいい」と感じたからなんですね。ここ数年。そうですね。運気上昇し始めた2019年あたりからでしょか。酒の要素が随分強くなってきたように思います。お酒も生活の中の喜びの結晶として今後もやめることはないでしょう。でも、世界ブルーを感じた1997年、ヨーロッパを旅した時の僕が得た喜びは、風景だったように思うんですね。2009年のイベリア半島での喜びも結果としてビールにワイン、沢山飲んで美味しいもの食べましたが、前提としてはやはり沢山歩いて色んな風景を眺め、街を感じたうえでの喜びの最終結晶としての酒があったように思います。そして、2025年のテーマにもなってくるのですが、ポイントは「日中」です。まぁ置換すると「昼飲み」なのですが(笑) そうなってくると、午前中に散策し美味しい空気を吸い込んで、昼飲む。これが2025年の「バールに立ち寄る感覚で」の指針となっていくかと思います。
最後に。色。色って何? はい(笑) これも全段落の散策=花鳥風月とも通じるのですが、「愛でたい」ということです。ひとりで侘び寂びをじわじわ感じるのもよいと思っています。ただもうちょっと自分の中に活気が欲しいですね。生き物として存在している以上、やはり異性=色を感じていきたいと思っています。まぁ、そうなるとやはりタンゴ(に色を強く求めてはいないものの)、大切な要素となってくるかもしれません。また、活き活きという意味合いでは若さ、ですね。春の生命力、初々しいもの、旬の肴、梅に桜、美しい声、異性ならではの感性、などなど色を感じていきたいと思います。
こう書くと、お盛んね〜ってことになるのですが、まぁそれは生きている限り、そう在りたいなというのが本音です。でも、単に色、色、色!と求めるのではなくて、源氏物語に出てくるような「五感で愉しむ」歓びを感じ続けることが、結果的に「五感を嗜む」僕自身に成っていく様を見たい、そんな2025年であります。
本年も穏やかで有意義で実りのある毎日を過ごしていきたいと思います。それも一人ではなく大切な友あってこそ、だと思います。出会ったら友、久しくお会いしていない方々も友。友の感覚というのは、決めつけるものではなく、自然と湧きおこるもの。そういった友の感覚も大切にしつつ、本年もよろしくお願い申し上げます。
あおきまさと
本年もよろしくお願いいたします。
さて。2025年、始まりましたね〜。
昨年暮れに
・22時前には寝る
・夜の外出(外食)禁止→日中の散策、昼飲み推奨
・休日と夜のスマフォ禁止→日中のみ電源ON
と書きました。プラス・アルファで
・朝ヨガ、筋トレ↑
・世界ブルー創作↑
・タンゴ(日中のみ)↑
・散策(日中のみ)↑
・色
です。
年末年始のお休み、たっぷりとありますので、ひとつひとつ実施していますよ。まずは筋肉量を増やしつつ、体形をもとに戻していくべく、毎朝のヨガを超フルコースで実践できています。さらにやっぱりスクワットですね。筋肉量を増やす。これ、面白いんですが、筋肉って嘘つかないっていうか、1日2日で効果が如実に表れるんですよね。そのためモチベーション上がります。
世界ブルー創作↑ はい。大晦日からとうとう再開できました。一日平均2.5時間ではあるけれど、DTMで楽しんでおります。と、生まれてくる曲がこのところ一日平均3、4曲なため、追いつかないのですが、まぁ、あまり自分を追い詰めず、メロディーがでてくるのはあくまでもコンディションがよくなっているのだ、と認識するだけにしておいて、創作は創作で楽しくやっていきたいですね。
タンゴは春から、月に1度、ほどほどに踊るくらいで楽しんでいけたらな、と思っています。やっぱり2017年から2023年(うち1年間はお休み)のまる5年間、結構熱心に取り組んできたため、体は覚えており、財産となっているのだな、と感じます。今後は生活の中のスパイスとして楽しんでいきます。
散策。はい。これ、結構メインテーマかも。「バールに立ち寄る感覚で」でも書いているけれど、「酒ではない何か」をここ数年求めている訳ですね。まぁ、だからこそタンゴに向かっていったのも「酒飲むなら、踊ったり歌ったりの方がいい」と感じたからなんですね。ここ数年。そうですね。運気上昇し始めた2019年あたりからでしょか。酒の要素が随分強くなってきたように思います。お酒も生活の中の喜びの結晶として今後もやめることはないでしょう。でも、世界ブルーを感じた1997年、ヨーロッパを旅した時の僕が得た喜びは、風景だったように思うんですね。2009年のイベリア半島での喜びも結果としてビールにワイン、沢山飲んで美味しいもの食べましたが、前提としてはやはり沢山歩いて色んな風景を眺め、街を感じたうえでの喜びの最終結晶としての酒があったように思います。そして、2025年のテーマにもなってくるのですが、ポイントは「日中」です。まぁ置換すると「昼飲み」なのですが(笑) そうなってくると、午前中に散策し美味しい空気を吸い込んで、昼飲む。これが2025年の「バールに立ち寄る感覚で」の指針となっていくかと思います。
最後に。色。色って何? はい(笑) これも全段落の散策=花鳥風月とも通じるのですが、「愛でたい」ということです。ひとりで侘び寂びをじわじわ感じるのもよいと思っています。ただもうちょっと自分の中に活気が欲しいですね。生き物として存在している以上、やはり異性=色を感じていきたいと思っています。まぁ、そうなるとやはりタンゴ(に色を強く求めてはいないものの)、大切な要素となってくるかもしれません。また、活き活きという意味合いでは若さ、ですね。春の生命力、初々しいもの、旬の肴、梅に桜、美しい声、異性ならではの感性、などなど色を感じていきたいと思います。
こう書くと、お盛んね〜ってことになるのですが、まぁそれは生きている限り、そう在りたいなというのが本音です。でも、単に色、色、色!と求めるのではなくて、源氏物語に出てくるような「五感で愉しむ」歓びを感じ続けることが、結果的に「五感を嗜む」僕自身に成っていく様を見たい、そんな2025年であります。
本年も穏やかで有意義で実りのある毎日を過ごしていきたいと思います。それも一人ではなく大切な友あってこそ、だと思います。出会ったら友、久しくお会いしていない方々も友。友の感覚というのは、決めつけるものではなく、自然と湧きおこるもの。そういった友の感覚も大切にしつつ、本年もよろしくお願い申し上げます。
あおきまさと
2024年12月31日
バールに立ち寄る感覚で 年末年始
おはようございます。
12月は波の激しいものでした。鍼治療のお陰で腰の調子が頗るよく、かといって集中力を要する時間が多く、眼精疲労に来たり、ちょっと免疫力が低下した頃合いに、「もうちょっと刺激が欲しいな」「冒険したいな」とばかりに飲みに出かけたら、案の定、、、
それにしても新宿。インバウンド客もウィークエンド客も年末シーズンとだけあって、凄まじい活気でした! その中で、今回はこれまでのワインバルや日本酒から路線を変えて、町中華をテーマにし出かけたのです。まだまだ冒険心は衰えていないぞ、と。
そして、世の中はこれまで以上に、20世紀のバブル期以上に盛り上がっているな、と感じた訳です。20世紀の頃は、結構冷静な目で「これからどんどん悪くなっていくだろう」と感じ、大教室の講義において恩師に質問され、そんな発言をしてしまった訳ですが、今は違います。「たとえ色々な物騒な物事が起きてゆくものの、世の中はどんどんよくなっていくだろう」とここ数年感じています。だからこそなのか、街行く人達の笑顔を見ると嬉しいような憧れるような共感するような、そんな全体的に盛り上がっている気持になるのかもしれません。
さて。新年からはどう過ごすか。まぁ、今まで通りなのだけど、そうもいきません。反省点を並べ上げて、改善点を挙げてみたら、いつも通り手堅い生活スタンス。
・22時前には寝る
・夜の外出(外食)禁止→日中の散策、昼飲み推奨
・休日と夜のスマフォ禁止→日中のみ電源ON
あれ、もっとあったような。
そうそう。手堅い割には、攻めも楽しんでいきます。2025年からは、人生100年時代を見込んで、気の合う友達の輪を広げていきたいな、と感じています。そこでのテーマは花鳥風月かな。
では、2024年、充実した一年間でした。2025年間はさらなる幸福度における自己新記録を更新してゆく所存です。ひとつ、またよろしくお願いいたします。
2024年12月31日 朝
12月は波の激しいものでした。鍼治療のお陰で腰の調子が頗るよく、かといって集中力を要する時間が多く、眼精疲労に来たり、ちょっと免疫力が低下した頃合いに、「もうちょっと刺激が欲しいな」「冒険したいな」とばかりに飲みに出かけたら、案の定、、、
それにしても新宿。インバウンド客もウィークエンド客も年末シーズンとだけあって、凄まじい活気でした! その中で、今回はこれまでのワインバルや日本酒から路線を変えて、町中華をテーマにし出かけたのです。まだまだ冒険心は衰えていないぞ、と。
そして、世の中はこれまで以上に、20世紀のバブル期以上に盛り上がっているな、と感じた訳です。20世紀の頃は、結構冷静な目で「これからどんどん悪くなっていくだろう」と感じ、大教室の講義において恩師に質問され、そんな発言をしてしまった訳ですが、今は違います。「たとえ色々な物騒な物事が起きてゆくものの、世の中はどんどんよくなっていくだろう」とここ数年感じています。だからこそなのか、街行く人達の笑顔を見ると嬉しいような憧れるような共感するような、そんな全体的に盛り上がっている気持になるのかもしれません。
さて。新年からはどう過ごすか。まぁ、今まで通りなのだけど、そうもいきません。反省点を並べ上げて、改善点を挙げてみたら、いつも通り手堅い生活スタンス。
・22時前には寝る
・夜の外出(外食)禁止→日中の散策、昼飲み推奨
・休日と夜のスマフォ禁止→日中のみ電源ON
あれ、もっとあったような。
そうそう。手堅い割には、攻めも楽しんでいきます。2025年からは、人生100年時代を見込んで、気の合う友達の輪を広げていきたいな、と感じています。そこでのテーマは花鳥風月かな。
では、2024年、充実した一年間でした。2025年間はさらなる幸福度における自己新記録を更新してゆく所存です。ひとつ、またよろしくお願いいたします。
2024年12月31日 朝
2024年12月08日
バールに立ち寄る感覚で 今後の見通し
街を歩くと、何のために生きているのか、とふと心が底に落ちることがあるだろう。それは、ほんの些細な光であったり、空気が鼻の奥に心地よく行き届いた時だ。
そして、考える。美味しいものを食べた時。心地よく酔った時。友と語らい共感し合えた時。ときめく瞬間。社会とつながっている安心感。何が起こるか分からない冒険心を味わえた時。
毎日を幸せに過ごしていると、よりそれらの感覚、瞬間に出会いたくなるものだ。そして、街を歩きたくなる。食べ飲み歩きたくなる。そう。バールに立ち寄る感覚で。
自身の人生のポートフォリオ。幸せのポートフォリオとでも呼ぼう。そこに「バールに立ち寄る感覚で」が何パーセントでも存在するのならば、どんな布陣でこれから臨もうか、と考えてみたくなる。
今、僕の中では「町中華」と「町イタリアン」。そして時間帯は日中。これがダントツに味わいたい幸せ感だ。日中であるが故に、近場の公園や商店街、街を散策することにもなるだろう。美術館や博物館、歴史的な名所でもよい。里山も川沿いもよい。
例えば、家飲みを充実させてみる。実際に家にはリーズナブルなボルドーワインをストックしている。時には純米生原酒をクイッとやる。家には語らいがあるし、あったかさがある。居心地がよいのもたまらないし、日常と直結しているのがいい。すぐに風呂に入って眠れるのもいい。
そこに加えての日中の町中華であり町イタリアンが登場する。これまでの夕刻の早い時間帯からの立ち飲みビストロという選択肢も残しておきつつも、外食するのであれば、旨い!と心の中で叫ぶことのできる、味覚を確実に喜ばせてくれる中華、イタリアンを散策したい。まぁ、それがフレンチであってもいいし、ベトナム料理であってもいい。ただただ気分だ。町中華へ入る感覚でお店に入って、味わえる店。そこに街の散策が加わる。
そう。別に飲まなくなってよいのだ。飲みたい時は飲むのだけど、飲まなくたって幸せ。そして、飲んだらこれまた幸せ。そんな感覚だ。むしろ、旨いものを食いたい、美味しいものを食べたいのだ。鮨を頬張って日本酒、それもいいけど、緑茶でもいい。中華で紹興酒もいいけど、ビールでもよければ、水でもいい。そんな感覚だ。むしろ、旨いものを旨いと頷く人生をできる限り長く伸ばしていきたい。そのための町中華だ。そして、町イタリアンだ。町フレンチだ。
そうやって、家飲み、立ち飲み、鮨、町中華、町イタリアン、、、と選択を増やしていって、それらをローテーションで転がしていくのだ。そんなこれからのバールに立ち寄る感覚で、なのだ。
2024年12月8日 16:57
そして、考える。美味しいものを食べた時。心地よく酔った時。友と語らい共感し合えた時。ときめく瞬間。社会とつながっている安心感。何が起こるか分からない冒険心を味わえた時。
毎日を幸せに過ごしていると、よりそれらの感覚、瞬間に出会いたくなるものだ。そして、街を歩きたくなる。食べ飲み歩きたくなる。そう。バールに立ち寄る感覚で。
自身の人生のポートフォリオ。幸せのポートフォリオとでも呼ぼう。そこに「バールに立ち寄る感覚で」が何パーセントでも存在するのならば、どんな布陣でこれから臨もうか、と考えてみたくなる。
今、僕の中では「町中華」と「町イタリアン」。そして時間帯は日中。これがダントツに味わいたい幸せ感だ。日中であるが故に、近場の公園や商店街、街を散策することにもなるだろう。美術館や博物館、歴史的な名所でもよい。里山も川沿いもよい。
例えば、家飲みを充実させてみる。実際に家にはリーズナブルなボルドーワインをストックしている。時には純米生原酒をクイッとやる。家には語らいがあるし、あったかさがある。居心地がよいのもたまらないし、日常と直結しているのがいい。すぐに風呂に入って眠れるのもいい。
そこに加えての日中の町中華であり町イタリアンが登場する。これまでの夕刻の早い時間帯からの立ち飲みビストロという選択肢も残しておきつつも、外食するのであれば、旨い!と心の中で叫ぶことのできる、味覚を確実に喜ばせてくれる中華、イタリアンを散策したい。まぁ、それがフレンチであってもいいし、ベトナム料理であってもいい。ただただ気分だ。町中華へ入る感覚でお店に入って、味わえる店。そこに街の散策が加わる。
そう。別に飲まなくなってよいのだ。飲みたい時は飲むのだけど、飲まなくたって幸せ。そして、飲んだらこれまた幸せ。そんな感覚だ。むしろ、旨いものを食いたい、美味しいものを食べたいのだ。鮨を頬張って日本酒、それもいいけど、緑茶でもいい。中華で紹興酒もいいけど、ビールでもよければ、水でもいい。そんな感覚だ。むしろ、旨いものを旨いと頷く人生をできる限り長く伸ばしていきたい。そのための町中華だ。そして、町イタリアンだ。町フレンチだ。
そうやって、家飲み、立ち飲み、鮨、町中華、町イタリアン、、、と選択を増やしていって、それらをローテーションで転がしていくのだ。そんなこれからのバールに立ち寄る感覚で、なのだ。
2024年12月8日 16:57
2024年12月07日
バールに立ち寄る感覚で 2024年所感
ある意味、行き着いた感がある。それは決してこれから下がる、という意味ではなくて、自己最高記録を更新している、とも言える。そう。バールの話である。ん? 酒巡りともいう。食巡りであってもいいだろう。
2024年を振り返ると、これまでになく最高の毎日であった。それが故にネット社会とはどんどん遠くなっていった。逆か。ネット社会と距離を置き、リアルな生活において懸命に過ごしてきたからこそ、「最高の毎日」と感嘆できるのかもしれない。
どこから話せばよいか分からないため、一部だけ書くとすると、やはり酒だろう。よい巡りをしてきた、よい巡りと出会ってきたと感じる。それは人であり、場であり、流れであり、街である。タイミングでもあるだろうし、縁でもあり、運でもある。
そして。冒頭で「行き着いた」というのは、「こういう飲み方をしたいな〜」という思いが体現できた、体現し続けている、ということかと思う。そして、それらの体現は自分ひとりの力や感性ではなく、友であり、家族であり、仲間であり、ちょっとしたトキメキであり、街が存在しているからこそ、得られるものなのだ。
さらには、それらは決して行き当たりばったりなものではなく、これまで蓄積されてきたものがあるから、感じ得るものなのだ、と。成功や幸せと同様に、これまで磨いてきた力あってこそ、行き当たることができた、行き着くことができたのだ、と。
行き着いた。でも、ゴール=終わりではない。行き着いたその先を僕は辿って行きたいと思っているよ。
聞いてくれてありがとう。
2024年12月7日 20:19〜20:28
2024年を振り返ると、これまでになく最高の毎日であった。それが故にネット社会とはどんどん遠くなっていった。逆か。ネット社会と距離を置き、リアルな生活において懸命に過ごしてきたからこそ、「最高の毎日」と感嘆できるのかもしれない。
どこから話せばよいか分からないため、一部だけ書くとすると、やはり酒だろう。よい巡りをしてきた、よい巡りと出会ってきたと感じる。それは人であり、場であり、流れであり、街である。タイミングでもあるだろうし、縁でもあり、運でもある。
そして。冒頭で「行き着いた」というのは、「こういう飲み方をしたいな〜」という思いが体現できた、体現し続けている、ということかと思う。そして、それらの体現は自分ひとりの力や感性ではなく、友であり、家族であり、仲間であり、ちょっとしたトキメキであり、街が存在しているからこそ、得られるものなのだ。
さらには、それらは決して行き当たりばったりなものではなく、これまで蓄積されてきたものがあるから、感じ得るものなのだ、と。成功や幸せと同様に、これまで磨いてきた力あってこそ、行き当たることができた、行き着くことができたのだ、と。
行き着いた。でも、ゴール=終わりではない。行き着いたその先を僕は辿って行きたいと思っているよ。
聞いてくれてありがとう。
2024年12月7日 20:19〜20:28