2016年09月17日

Live to Love:9/5渋谷喫茶SMiLE、9/7セプテンバー・コンサート

渋谷へ。初めて演奏するお店:喫茶SMiLE。渋谷っていう街について考えてみる。というか、思い出してみる。そんなに足繁く赴いたことがないからか、体に馴染まない街、と臆病になってしまうことが多かったんだけど。

コスパが悪いとか人工的であるとかそういうったことを超えて、もうちょっと冷静になって考えてみた。何か見落としているのでは?と。悪い部分ばかりフォーカスするのではなくて、実はよい要素もあったよな、と振り返る。

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お店に着く頃には、結論が出た。「交感神経が上がる街」「高揚感」=>ドラマが生まれやすい。ざっくりと。そう。渋谷はちょっと緊張感が出る。それは雑多な人混みにおける警戒心からも来ている。二十代の頃の記憶を辿ると、何かしら人間関係が展開したり、異質なものを吸収した、と思う。それは「新鮮!」というものではなく、また自分にしっくりくるものではなかったけれど、また別の次元の物質というか感性が渋谷にはあって。まぁ、当然ですね。あれだけ人が密集しているんだから、自然の摂理からは程遠いものがあちらこちらで生まれる訳です。それが故に意外な展開が生まれたり(それは男女でいえば恋。まぁざっくりと出会い)する。

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お店近くの路上でバナナとブドウを食べて腹拵えをしてから、SMiLEにてリハーサル。店長がミキサーのつまみをいじってくれて。あれ? 音がいい。

話は変わるけど、時たま音のバランスが悪いと文句を言う人がいる。でも、それって出音の問題だよな〜って思う。歌う人の声質だったり、音を出す人の指のタッチだったり。曲調にもよるし。このところ僕の曲を聴いて貰う機会が多いので感想も多く頂く。大概がメリハリ感がない、という点。それもそのはずで、そもそも僕がライブでやりたいことは盛り上がることでもなく、起承転結を求めているのでもなく、単にメロディーと歌声を聴いて貰うという点に絞っているから。そうなると単調に聞こえるかもしれない。結局ひとりで弾き語りする際のスタイルとして、何を打ち出したいのか?!に係ってくるよな〜と思う。そのステージそのものでお客さんに幸せになって欲しいのか、満足して欲しいのか、喜んで欲しいのか(←それぞれ異なる)、はたまた、そういうのも有り=>そういう生き方も有りよね、とか、それが青木さんなのね、とか、何かよくわからないけどよかった、とか。

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この晩は、ついこないだの自主企画イベント【あの夏はエバーラスティングゴーン】で用意していたもののノリというか流れで演奏しなかった「ディファレンス」「シルエット」「Popcorn Cycling」他2曲を中心に全7曲。毎回思うことはステージに上がっている最中に自分の耳に聴こえてくる内容は辟易としてしまうのだけど、あとで音源を聴くと悪くない、ということ。これはどういうことなのかな、と。それにも理由は幾つかあるけれど。ひとつは出音やミキシングの具合。もう一つは生と録音物の違い。かと思う。前者は当然ながらお客さんに聴いて貰うための演奏であって、ステージ側はその演奏のクオリティーを上げるための音。後者はよくも悪くも生の方が個性が出る、ということ。かな、と。

この晩は、対バンの方々とも交流できて楽しいものだった。月曜の晩から夜更かししてしまう程。かなり職場でグッタリだったのだけど、イベント終了した頃から元気が出てきた(笑) さすが交感神経が昂る街だな、と。

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打って変わって、9月7日は会社でセプテンバー・コンサートであった。当初この夏の集大成として「ひと夏の恋」を歌おう目論んでいたんだけど、出演者が多数ということもあり、与えられた時間がセッティングとMC含めて5分間。でも、「ひと夏の恋」は7分弱の尺。

そもそもセプコンは9.11から起因しているイベントであるし、僕ら日本人にとっては3.11とも繋がっている。また昨今の世界情勢からして、人災、天災問わず、災害によって亡くなった方々やいまだに苦しんでいる方々は沢山いる。そこで今回は真面目に「遠く」という鎮魂歌を歌うことにした。

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【バールに立ち寄る感覚で】 ‏@aokimasato ・ 9月7日
昨晩は会社のセプテンバーコンサート。楽器演奏なしの声だけ、しかも「遠く」という真面目な曲、スマフォを見つつ。そんなスタイルを観て頂いて何かしら矛盾や違和感➡例外性➡普遍性を感じて下さったらなら嬉しいです。思ったよりも受け入れて下さった方が多く、ホッとしています。
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そして。もう一つ。お客様に伝えたかったこと。それは考えて貰うこと。僕のステージから違和感を感じて貰おうと試みた。真面目な鎮魂歌をスマフォを見ながら、はたして真剣なのかそれとも舐めてるのか。聴き込むべきなのか笑ってもいいのか。実は理由があって。

多くの人々は災害が起こった直後は、関心を寄せ募金をしたりボランティア活動したり世の中を論じたりする。でも時間が経ると忘れ、違う場所に身を移すとボランティア精神のかけらもない人格になっていたりする。でも、大切なのは、日々、どこにいてもそういったケアしていく心は大切ですよね。ニュースで取り上げられる災難だけではなくて、日常であなたの身の回りで起こっている問題事もケアの心で対面して欲しい。

僕のステージは実は、「心を込めて歌う」ということと、なのに現代のツールである生ではないむしろ社会の弊害をもたらす(これからもたらしてゆく可能性を沢山秘めている)スマートフォンを片手に歌詞を読み上げる「心を込めてるの? ほんとに」と。その差を感じて、疑問を持って欲しかった。そして、ステージ上の僕の姿は、あなた自身です、というメッセージ。なのでした。

そこから、日々の小さなこと、些細なことに対して、優しく、柔らかく。ね。ということ。

さらに、上述の矛盾を超えて、ツールだとかデジタルだとかいろいろ、まぁ、あるけれど、最終的に残るものは残るよね(=ステージの場合、なんか、青木君変わったことやってるけど、結局、なかなか、いい歌だよね。歌っていいよね。中途半端な気持ちではあれはできないよね)。

ライブハウスに赴いて、ではなく、会社の食堂で職員の方々が気軽に参集できる場で、敢えて上述のようなメッセージを込めつつも、意外なスタイルで臨みました。覚悟を持って挑んだステージでした。



sekai_prune at 10:17│Comments(0)Live to Love, Love to Live 

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