
なんの気なしに歩いていると、サボテンの花がひっそりとした場所で荘厳に咲いている。そういう姿を見るにつけ、名店が街のどこかで営業しているように、頑なな姿勢に感動してしまったりする。
マイ・メロディーに人生を捧げている、といっても過言ではない。それにしては、そうも見えない姿であり、態度の私がいる。世界ブルー、どっかいっちゃたの?とさえ自問してしまう程、穏やかに過ごしているようでもある。
でも、どうだろう。実際は、中学時代からとあまり変わっていないのだ。枕元に録音機をおいて毎朝、フレーズを口ずさんでいる。38年以上もそんなことをやっている。さらに生まれてきたメロディーに作詞をする日々。これも高校時代からずっと続けている。作曲や作詞の数だけ増えていき、録音に至っていない。そこにもどかしさを感じているのが実際の私なのだ。
これはとてつもなく苦しい。でも、やろうと思えば進めていくことができるのだから、もっと苦しい。言うなれば、覚悟がないのだ。十代の頃に秘密裏に録音し続けた少年はどこへいってしまったのか? 二十代の頃に会社を退職して無職として缶詰状態で友達とも会わずにひたすら創作に打ち込んでいた若者はどこへいってしまったのか?
答えは知っていて、実は今なお、変わらないのだ。朝の通勤列車や昼休み中、マイ・メロディーに作詞をして、その走り書きを家に戻ってタイピングする日々。進んではいる。でも、あまりにも大きな乗り物になってしまった。楽曲群の全体像を浮き彫りにしたい。世界ブルーは空だ。空を描こうとして一部だけ切り取って、はい、って訳にはいかない。空全体を眺めたいし、眺めてほしい。
そういう想いを抱き続けながら、どこか絶望にも似た、でも、どこかで燃えたぎるエネルギーを隠しきれない私なのであった。
2026年5月16日 夜九時

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