Sekaiblue Airlines

作詞作曲をしています。
歌詞、音声、ライブ動画を公開しています。
すべてオリジナルです。

カテゴリ: あおきまさと【青い呟き】

とうとうここまで来てしまった。来るべくして来たようにも思う。来たくない訳でもなくて、どちらかと言えば来たかった。だから、いいんだ。

偶然だとか必然だとか。どちらでもいい気がしている。ハッピーであれば。魂だとか余韻といったもの、残響といったもの、それらは残るべくして残るだろう。でも、個体としての肉体はいつしかこの地球上から消えてしまうのだから、「人生は有限だ」と言い切っていい。「だからこその」活動だ。世界ブルーは。

静と動から来て、陰と陽になって、細胞と宇宙。そして、今は? きっと、何を持ち出したとしても、おんなじだ。空と海でもいい。天と地でもいい。男と女でもいい。

僕がこうやって発信していることで、何か世の中は変わるだろうか。微々たるものだ。微々の微にもならない。それでも僕個人はここまで来てしまったのだ。そして、これから「ここまで来てしまった」感を抱えつつ、時間軸を進めていくのだけど、もう既に「すっごいおっきなものが、すぐ近くに来ている」(2020年2月16日夕方談)のだ。

この感覚は2008〜2010年にかけて、よく夢の中で起こっていたことで、それは恐ろしいような神々しいような美しいものだった。色んなものが同期していた。僕は地球を感じていた。だからこそ、どうしようもなく【妄想壁画】を演らずにはいられなかった。「マグマ!」と叫びつつ、うさぎちゃんとしてピョンピョンしたのは梅が丘のライブスペースにおいてだったかと記憶している。

そして。当時よりも今だ。今の方が凄まじいエネルギーを感じる。同期、偶然・必然、珍しい発見、、、地球なのか宇宙なのか。神の仕業とはよく言うけれど、いったい何の仕業なのだろう。

よく耳を澄まさなければならない。目を凝らす必要が出てくるかも。嗅覚も使って。身体全体で感じとらなければ。そして。慎重に歌わなければならない。慎重に言葉を紡いで。メロディーという強いメッセージ。誤った方向にいかないように。地球がまだ続きますように。祈ってます。2020年3月3日夜談

世界ブルー あおきまさと
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WeakEndAcademyIro_mini

今年度いっぱいでアルバム『下井草カラス』から「再見(またな)」「僕はドロ〜ン」「Misery 〜失われた旋律〜」の3作品、音楽配信が終了します。「僕はドロ〜ン」と「Misery 〜失われた旋律〜」は7分以上のたっぷりサイズの作品です。

Misery 〜失われた旋律〜僕はドローン再見(またな)
Misery 〜失われた旋律〜僕はドロ〜ン再見(またな)

「僕はドロ〜ン」は大学二年生の時に作った作品で、学生ならではの緩さを味わうことができます。カセットテープの多重録音機で制作したものです。「Misery」は脱サラしてから着手した最初の作品。人生で初めてレールを外した時の雰囲気がたっぷりと漂っています。ロスト・ジェネレーションを先駆け、以降、僕はずっと人生のレールを外しながら過ごしております。

そして。この度「Weak End」の音楽配信をスタートしました。是非、ご視聴だけでもど〜ぞ。

昨晩はアルゼンチン・タンゴの生演奏ミロンガ(パーティー)でした。まだアルゼンチン・タンゴがどういったものかも知らない三年前の僕を連れてってくださった女性がお店にいらっしゃいました。当時は彼女と踊ることができるなんて考えられない、というか、「いいなぁ〜、あんな風に彼女と踊れたらな〜。」と思ったものです。まだまだ研鑽中ではありますが、それでも三年前当時に「いいなぁ〜。」と羨望の眼差しで眺めていた踊り。昨晩は彼女と瞬間瞬間楽しむことができました。当時からすると信じられないですね。まさか、こういう日がちゃんとやって来るとは。

身体、というのは嘘が付けません。相手が何を考えているのか分かってしまう。それが踊りの恐いところであり、面白いところです。歌も同じです。身体から発するもの。放たれるもの。エネルギー。メッセージ。

今、僕が書いているこの文章や、普段日常で使っている言葉。その密度は踊りや歌と比べるととても質量が薄いものかもしれません。ともすれば、誤解を招き、人を傷つけたり、ぎこちない気持ちにさせてしまうものかもしれません。

だからといって、踊りや歌の感覚で真摯に言葉を発したり、文章を書いたりすると、余計に誤解を招いてしまうものかもしれません。そういう時代になって来ているような気がします。軽くて薄い質量で充分なコミュニケーションを濃くて重いものにする、という人はあまり見掛けなくなってきているような気がします。

踊って。そして、歌う。そうやって過ごしていると、やはり、僕は踊りで伝えたい。そして、歌で伝えたい。そう感じるのです。それが一番、素直に理解して貰えるのではないか、と。

今回、発表・配信する「Weak End」は等身大の弱い僕かもしれません。その歌声を聴いて欲しいです。何がどう、ということでもないかもしれないんですが、でも、「何か」を感じてくれたら、いいな。「弱い僕」からの脱皮かもしませんし。「弱い僕」に終止符を打とうとしているのかもしれません。歌も踊りも。人生をもがく。何か手繰り寄せようとする姿。そんな僕の人生はまだまだ続きます。引き続きよろしくお願い申し上げます。2020年1月26日 17:40

世界ブルー あおきまさと
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明けましておめでとうございます。
昨年、一昨年と大変お世話になりました。
沢山の方々から励ましのお言葉を頂き、勇気づけられ、「僕って、こんなにも弱かったっけ?」と思わせられた二、三年でした。

どうにかせねば、と、困った時の世界ブルー頼みでございました。どんどん没頭し、熱中していきました。ひたすら作詞をしていたのは2018年だったでしょうか? そして、2019年はひたすら作曲をしていました。

性格なのか、ある程度、土台が固まってからそこに積み重ねていくタイプ。何をやるにしてもまずは部屋を片付けてから。データを整理してから。美味しい部分は最後に。そんな僕なのですが、「そんなことしていたら人生、整理整頓で終わっちゃうよ」と遅まきながら気付きました。美味しい生活。平成の終わりから思い切ってスタート。そしたら。もう毎日がハッピーですよ。どうして今までこういう過ごし方をして来なかったんだろう。

年末年始は穏やかに過ごしました。もうここぞとばかりに、さらなる美味しい生活。やっぱり楽しいし、生きててよかった、と思う毎日です。

2020年もこの美味しい生活を続投します。つまり、やりたい時にやりたいことをやる、です。当たり前のことのようでいて、なかなか出来なかったこと。

やりたいことって一杯ありますよね。作曲もしたければ、ライブもしたくて、素敵な女性と美味しい食事もしたいし、タンゴ踊ったり、朝はヨガしたいし、睡眠はたっぷり摂りたい。本も読みたいし、散策もしたい。沢山のやりたいことの中から、今やりたいことって一つしか選べないし。「やりたいこと」だけでなくて「やるべきこと」もあったり(例:家事)、「やった方がいいこと」もあるので、一日も一年もあっという間に過ぎます。独身である僕がこうなのだから、結婚生活、子育て、、、どうなっちゃうんだろう、ですよね。まぁ、それはさておき。

なんとなくですが。分かったことがあります。それは流れ、です。生活のリズム。循環。選択肢は幾つあってもいいんですよ。その時々でやりたいことをやればいい。一度に同時にはできなくても、自然とすべて満たすこと、できるものです。

2020年。ライブは果たしてやるでしょうか。ここまで作詞も作曲も波に乗ってると、ライブがどうとかレコーディングがどう、デモ制作がどう、なんてどうでもよくなってきました。投げやりなのではなくて。もう太陽さえ毎日拝むことができたら、それでいい、という極論。言ってしまった。

昨日、父母が突然、僕の部屋に訪れました。多分ですが、このところの僕は、ブログもそんなに書かないし、発言も「ほんとに最近楽しい」「運がいい」「手相がどうのこうの」「毎朝のヨガ」などなど、さらに愚痴もなく、不満もなく、ハッピーな話ばかり。怪しいですよね(笑) きっと父母なりに心配になって、うちを覗きに来てくれたんじゃないか、と思います。そのさりげない優しさが素敵です。ありがとう。

100%ハッピーってことはないです(泣) でも、旅先でもないのに、この日常でこんなにも幸せなのは学生時代以来じゃないかしらん。

すべてがね。絡み合ってるんです。ここから話は怪しくなるけど、、、もう少しだけお付き合いください。以前から。15年前くらいにも陰陽だとか静と動とか言ってましたよね。ピラミッドだとか曼荼羅だとか。ね。そして、この十年間は「メロディーは音楽だけにカテゴライズされるものではない」だとか「食事もセックスも自然も。読書もヨガもお酒もすべて繋がっているんだよ(※もっと旨いこと申していたはずですが、、、無理やり書いてみました)」だとか。今もやっぱり感じるところは同じです。極論はネット上では書かないようにしているんだけど、差し支えないことを書くと、やっぱりね。「愛は最大のエネルギー」だと思うのさ。

愛は最大のエネルギー。それは陰陽かもしれないし、世界ブルーかもしれない。Loveでもいいし、Earthでもいいと思う。僕は僕なりにね。地球と呼応しているつもり。宇宙を感じてる。怪しいでしょ? でも、仕方ないの。生み出すってそういうことなんじゃないのかな〜。だから、僕がやっている世界ブルーって、「音楽」だとか「音楽配信」「CD」「ライブ」という括りではないです。でも一方でエネルギーを感じて貰うには、、、メロディーを聴いて貰うには、どうしたらいい?

2020年。どういう形であれ、僕はメロディーを発します。願わくば聴いてください。直接会える方は、耳元で歌いますよ。口元でもいいし。目元でもいい。怪しいでしょ?(笑) そういうところで繋がれると、嬉しいよね。ワクワクする。僕が放つメロディーから、生きるエッセンス、エキス、エレメンツ、受け取って欲しいな!!!

いつも読んでくれてありがとう。
2020年は、よろしくお願い申し上げます。
2020年1月4日 夜

世界ブルー あおきまさと
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先日ふとアルバム『繊細』をかけてみた。ヨガレッスンから帰って来て、外は晴れていて、台所の食器でも片付けながら、料理しながら。僕の歌声が部屋中にこんもりと響く。

不思議なことに。すんなりと耳に入って来る。「あれ? もっと癖のある声だったような気がするんだけど。」 一曲目の「あのコ」は、、まさに「なかなかない作品」だと今でも感じる。その灰汁の強い歌い回しも、メロディーや音色に馴染んですんなりと耳に入って来る。オルガンのフレーズなんか絶妙だ。「なんなんだ? これは。。。一体、どうしたというんだ?」

Popsとして聴けるんである。ポップスである。ポピュラー・ミュージックである。無名だけど(笑) とってもリアルでいて繊細な描写で。

「表参道」あたりも歌い回しが濃くて。。。それでも「聴ける!」んである。

時が経ったからであろうか。。今の今、ようやく素直に受け入れることが出来たんだろうか。そういえば以前、遠くに住んでいる友とのやりとりの中で、

「私はこのところまた久しぶりに真人君のFrom here onをきいてるよ。数年ぶりにきいてまた別の趣があるというのかな。
前は共感しがたいなと思った部分も今は耳に馴染むというか。5年という歳月を経て、繊細をきいて、ワインみたいに熟成して飲み頃になったっていうのかな(笑)。
(30代半ば 女性)」(より詳しい皆様のご感想などはこちらでお読みください!

この感覚。今の今、分かる。僕はどちらかと言うと、1st Albumの『from here on』と2nd Album『繊細』を比べると、前者を優遇してしまう癖がある。先に生まれた長男をえこ贔屓してしまう親のそれだろうか。。今の今、二人の息子は可愛い。なんせどちらも五年間も手塩に手掛けた作品なのだから可愛いに決まってる。

聴いているうちに「なかなかやるじゃないか!」 「こんなの作品化しちゃう奴って、どんな奴だろ。」とか、唸る。もう自画自賛。

アルバム『繊細』の全国リリースから本日でちょうど10年経った。これはホップ・ステップ・ジャンプじゃないけど、One Two Threeとエネルギーが上昇していくことを願ってこの発売日にした。

ちょっと話を変える。今の今、毎日を快適に過ごせている。その理由ってなんなんだろう、って思う。ヨガをしているから? 好きなことをして生きているから? タンゴを踊っているから? 色んな要素があるんだろうけど。僕が確信していることが二つある。それは。「自身の存在証明を形にして来たから」。そして「今の今好きなことをしているから」だ。

アルバム『from here on』は三十歳の誕生月に全国リリースさせて頂いた。それは「人生三十年の集大成を一つの形として出したい!」と思ったから。それがあったから次の『繊細』のリリースがやって来て、そしてこの十年間のsekaiblue.comやこのSekaiblue Airlinesがあるんだと思う。存在証明、存在意義というのは一日にして成らずで、ひとつひとつ積み重ねていくもの。

どちらの作品もとってもリアルだと感じる。その理由はある。リアルに生きていた。過ごしていた。苦悩してもがいて、でも快楽に耽ってはっちゃけていた。美味しいものを食べて、女性と恍惚に浸り、街をしっかりと彷徨って、社会からもしっかりと取り残されて来た。

今はどうだろう。今は。

こうやってネット上で文章を書いていると、さぞデジタル・ツールをバリバリ使いこなしていると思われることが多いんだけど、実は真逆で僕はfが付くSNSも、Lが付くスマフォのやりとりも、さらにtが付くSNSも自然にやめてしまった。別にやめると決め込んでやめた訳でもないし、使おうと思えばいつでもまた使える訳だけど。コミュニケーションはやっぱり生だよな〜、って。そういう生感を大切にしていかないと、いい作品なんかできないよな〜、って。バーチャルなセックスなんて僕はできないよ。リアルじゃないとさ。

あのリアルさがあるから、生きていくことの汚さや重さ、そして深み、野放図な解放感があるんじゃないかい? そんな体験があるから、作品もリアルになるんじゃないかい? 僕はそう信じている。

今の僕は。そう。昨年と今年の僕は、僕が好きな僕だ。試行錯誤して、もがいて、なおかつ、楽しんで、今なお、夢中に作曲している。こういったリアルな毎日からまた何か強いメッセージが、少なくとも僕という個体から、いいエネルギー、出てるよ。

是非、触れて欲しいと思う。僕の作品にも。僕の体にも。歌うよ。いつも読んでくれてありがとう。

世界ブルー あおきまさと 2019年12月3日 20:30談
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こんばんは。あおきまさとです。
今朝はとっても不思議なことが起こりました。
新宿駅構内を歩いていると、忙しそうに歩いている方々がスローモーションのようにゆっくり見える、ということ。こんな体験は初めてなので面白かった。僕はとってもゆっくりと歩いている。なのに忙しく歩いている人々を悠々と追い越してしまうのです。スローモーションといっても0.7〜0.8倍の速さに映るくらいなのですがね。

これは何なのだろう、と考えてみました。一つはこの三年間、アルゼンチン・タンゴのレッスンを受け、「歩くこと」を常に意識しているから。特に今年の夏からは朝の通勤が楽しくて、一層「歩くこと」に磨きがかかってきたように感じていた矢先の今朝の現象でした。

もう一つの理由。それは瞬間瞬間への集中です。9月、10月と一層濃厚な瞬間の連続の日々。濃厚なのは「重い」のではなくて「凝縮」されているから。感性や細胞が。だからボリューム感のある毎日、といったところでしょうか。

そんな矢先に一昨日、とあるイベントにて「青木さんからエネルギーを強く感じた」といったような意味合いのお言葉を初対面の男性から頂きました。これは嬉しい。というか、僕は実は驚いてしまいました。「えぇ? 伝わっちゃうの?」と。つまり、今、僕自身、「愛は最大のエネルギー」という感覚で過ごしています。自身の中でエネルギーを変化させたり、エネルギーを膨らませたり、それが楽しい訳ですね。なので、その男性から、しかもお話する前から「エネルギー」という言葉そのものを発して下さった、というのは、やっぱり何かあるのだな、と感じたのです。

瞬間瞬間への集中。自分の一番やりたいことをやっている。これに尽きるのではないでしょうか。勿論、「好きな人と過ごす時間」のもいいでしょうし、旅でも食事でもよいかと思うんです。仕事に集中するのも素晴らしいこと。そして、僕はこれまでの人生で一番「メロディー」に関わることができている。作曲生活を送ることができている。これが僕にとって「愛は最大のエネルギー」の鍵であり、そのエネルギーの循環がよくなっているからこそ、表に、外についつい出てしまうのではないか?と感じています。

今夜は2017年1月のメロディー・フレーズを形にしています。平日夜だとどうしても3曲くらいしか形に出来なかったりするのですが、数ではなくて、質でもなくて、キャッチ―であるとか、そんなことではなくて、とにかく僕自身がメロディー・フレーズと楽しく対峙しているか、ということ、そこ在りきかな、と。

僕の性格もあって2019年のフレーズまであと何百曲かを形にしてからでないと、次の段階へ向かえない。でも、この歩みこそが僕らしいと感じています。ピラミッドも熟成されたワインもスポーツチームも段階を経て、高くなり、味わい深くなり、力強くなっていくからです。年内には今の素晴らしい生活を終わらせて、次の段階はもっと素晴らしい世界が待っているのでしょう。今は数々のデッサンを一つの絵にしている感じ。次の段階はそこに色を付けていく。その次は立体に仕立てて、そしてその立体を動かす、さらに僕自身がその動く立体になる、、、という途方もない作業なのです。が、楽しい。早く向かいたいですね。

特にメロディーというのは人類にとって特別なものと常々感じています。メロディーの奥に入っていくと、そこには感性の渦、見たこともない映像等、不思議なものが詰まっている。そんな探りを毎日しているのだから、冒頭の「人々がゆっくり見える」という不思議なことも、もしかしたら、至極自然なことなのかもしれません。

ライブ・ステージを突き詰めていくと、自分自身の魂が自身の体から抜き出て、その魂が演奏している自分の姿やお客さん達を観ている、という現象が起こりますよね。それも不思議なことですけど、やっぱり集中していると体が勝手に動いていて、自分の意識や魂は別のところに在る。そういうこと、あるんです。

調子のいい時って、色んな物事が同期して偶然や不思議に沢山出会います。これからが楽しみでなりません。読んでくださってありがとう。2019年11月6日 夜

世界ブルー あおきまさと
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すっかり肌寒くなってきた。
季節の移ろいも月日の移ろいも早い。
家族で食事をする。でも十年後も同じように、という訳にはいかない。
友達と会う。その友とは次はいつ会うのか。生涯であと数える程しか会えないかもしれない。

毎朝。そしてお昼の休憩時間も。夜も。生きることと死ぬことを考える。
みんなも同じかもしれないし、考えずにもっとその時その時を楽しんでいるかもしれない。

どうしたら、時間を濃密に過ごせるのだろうか。
足裏をしっかりと地面につけて、地球を感じて、しっかりと歩く。
僕が今、好きなのは、そうやって歩くこと。ただそれだけ。
それだけで幸せで、そして、だからこそ、生きること死ぬことを考えてしまう。

部屋が重くなってきた。衣替えと同時に、使わなくなった楽器や音楽機材の買取を業者にお願いした。ずっと躊躇っていたことだ。明日、業者が来てくれる。アンプにマイクスタンド、ウクレレ三台、路上ライブ用に購入したキーボード。手放す。

その中で、ENSONIQのASR Xproというサンプリング・マシーン。20年前に16、7万円で購入したものだ。僕の中の作品だと『from here on』の「Make Me Happy!」はすべてASR Xproの音色。「Summer Day」のリズム・トラックもそう。『はいから三寸気分』や『新入社員の呟き 下半期』『おしっこのわな』でも使用した機材。売りに出すと5,000円前後。仕方ないのだけど悲しくなる。

さっき、押し入れから出して、この機材に入っている音色を聴いてみた。凄い。こんな強い音色があるなんて。とってもアクが強くてノイズも混ざっていて不器用な音色。でも、その音色を聴くだけでインスピレーションが湧く。手放さないことにした。

色々な楽曲がある訳だから、音色も色々欲しいよね。曲にならないフレーズも音色によってはキュートに仕上がったりするもの。

手放せないには手放せない理由がある訳だ。好きなら手放しちゃいけないよ。会いたいなら会う。歌いたいなら歌う。生きること。死ぬこと。命。時間。2019年10月19日

今年の夏は暑かったですね。この十五年程は、あまり冷たい飲料を飲まないようにしていたのですが、今年は我慢できずにゴクゴク飲んでしまいました。お陰でこの二ヶ月で5、6キロ太り、体型も一気に中年肥りになりました。

そんな猛暑の中、会社から帰って、ぐったりと疲れつつ、ワインも飲んでさらに朦朧として、防音シェルターに向かう日々を送っています。まるで憑りつかれたように。

「平成の間にこれだけはしておきたい!」と、約十年間準備してきた作詞もひと段落しました。特にこの一年間は作詞が楽しくて仕方なくて、このSekaiblue Airlines。700点くらいでしょうか。音声はまだ公開していませんが、未完成を含みつつも作詞の段階を公開して、形らしくなってきました。

その波に乗じて、令和に入る間際から一気に作曲を開始しました。僕はどうも「作曲」という言葉が馴染めないのですが。。この三十年間はメロディーを生み出して(それを「生曲(せいきょく)」と呼んでいます)、あとは形にしていく(それを「創作」「録音」「制作」と呼んでいます)。ただそれだけの日々でした。生まれ出て来たメロディーが自然であって、生み出そうと思って捻りだして出て来たものには違和感があったのですね。「それらしい」フレーズにはすべて「それらしい」という「烙印」を押していました。

でも、この一年間で作詞(「歌練り」といって、歌を練りながら言葉を付けていく作業)をしているうちに、歌詞が付き、伴奏が付くことで「それらしい」と蔑ろにされていた曲が、一気に開花し、さらに歌声が加わってとてつもないエネルギーを発する瞬間に幾度も出会いました。この瞬間に立ち会える歓びは女性と愛し合うその恍惚そのものです。

きっと僕はエクスタシーが好き。その飛び切りの生命のスパーク感に出会いたくて、朦朧としつつも憑りつかれたように防音シェルターへ向かい、呼吸困難になりながら歌い、また一つエクスタシーを味わい、一日を終える。そんな日々です。

令和に入る間際の最後の一週間、一気にmiminaさんに作詞をお願いしたくて、25曲ほどのDEMO音源を作りました。それがまさにエクスタシーだったのがよかったのかもしれません。話は変わりますが、セックスにおいて初体験はとっても大切かと感じます。そのセックスが心地好かったかどうか。セックスというものがいかに尊いか。別にセックスだけではなくて仕事もそうです。そのお仕事がいかに楽しいか。最初の一週間や一ヶ月で「楽しい」「会社に来たくてウズウズする」なんてことになったら、毎日心地好いですよね。アルゼンチン・タンゴもそう。新しく入って来た方には、まず楽しんで欲しい。楽しむきっかけに触れて貰う。話を戻すと、上述のmiminaさんへのDEMO音源作りから、今日に至るまで、もう防音シェルターに入りたくて(汗ダクダクだけど。。)ウズウズするんです。きっとDEMO音源作りそのものを十五年程、制限していたから、静的に抑えていたものが、爆発しそう。そのエネルギーが今、旬に生活の中でメロディーに向かっている。「作曲もなかなか楽しいじゃないか!」と。

僕が今やっている作業が、作曲なのか編曲なのか、はたまた、ただただ自己満足のDEMO音源作りかもしれない。儀式のようでもあるし、毎日歯を磨くような習慣のような気もする。分かり易く「作曲」という作業・行為をやっていることとします。

これらの楽曲、多分、生涯公開することはないでしょう。だって、今ここSekaiblue Airlinesに載せている約700点?の作品も大半はまだ音源を公開できていません。録音・創作できていないのです。今作っている楽曲は多分500〜1,000点程でしょうか。そこから作詞をするとなると、、、

二年程前までは途方に暮れていました。きっとそれは僕に執着心があったからかもしれません。アルバム『from here on』を出した頃、「生きている間に皆さんに聴いて欲しい楽曲が3,000点程あり、それらを完成させて公開したい」。『from here on』で5年かかり、次のアルバム『繊細』も5年かかって、もう、僕から生まれたメロディーを曝け出すことは、、、無理なのではないか?と、でも、毎日コツコツと地道に形にして来ました。どこか絶望的な気持ちになりながら。

今は違います。この感じで生きていきたい。ただそれだけです。誰のためとかではなくて、毎日がエクスタシー。公開とか販売とかライブとかレコーディングとか完成度とか、あまりこだわらず、ただただエクスタシー。そんな日々を今月も過ごします。

一体、何のために作詞作曲やっているんだろう、、、とふと我に返りますよ。毎日、笑。でも、今はただ会社へ行くための通勤のようなもの、と考えていて気が楽です。であれば駅まで行く道のりも気分よく歩いていきたいものです。もしくは料理。美味しいものを食べるためには食材を買って、料理しますよね。その料理自体を楽しむ。生活のリズムなんです。毎日を活き活きと過ごすための行為。自身の描いた風景が音像となって最高な濃厚な感動や恍惚に出会う、そのために毎日、作詞作曲をして。であればその作詞作曲自体も感動や恍惚でありたい。その時に。体の奥底から宇宙へ向けて交信が始まるんです。そんな世界ブルーです。

読んでくださって、ありがとう。
2019年9月1日朝

世界ブルー あおきまさと

http://sekaiblue.com

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副題:旅曲集【知らない街 知らない道】について。空間軸、時間軸、感覚軸。視覚、聴覚、知覚。

スペイン・ポルトガルの旅からちょうど十年経ちます。イベリア半島を二か月間かけて反時計回りに一周するひとり旅。学生時代(1997年)はパリから入って西欧を時計回りにベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ドイツ、スイス、イタリア、南仏から、スペインへ入り、バルセロナ、マドリード、トレドのみ観光したのものの、当時はもうそこでお腹いっぱい。旅先で得た感性や旅情は僕の中で溢れ、最終地マドリードに着いた時はもう無事に帰りたい(感性を持ち帰りたい)体になっていました。「もっとスペインを巡ろう」とか「ポルトガルも行ってみよう」なんていう発想がなかった。

2009年に入ってからは何故か「西に呼ばれている」と感じました。なんでしょうね(笑) でも、人ってそういう感覚になることがどこかであるのではないでしょうか? 運命的な。「体がどうしても行かなくてはならないんだ!」という。体に素直になりたくて。行くことにしました。

スペイン・ポルトガル=イベリア半島。上述のように学生時代、最後の最後でへばってしまって、まだまだ巡り切っていない、どこかで「やり残した」感覚があったのです。僕にとって「ケーキの美味しい部分」のように残された場所だったのです。

旅というのは不思議です。「行ったことがないから行く」というものでもありません。体が「どうしても行かなければならないから行く」という宿命的なものがあるような気がします。それが旅行と旅の違いのような気もします。「休暇が取れたから」ではなくて「今、行かないと」という、「どこへ行く」という地理的に惹かれることもあるでしょうし、「今、行く」「呼ばれている」という時間的なもの、感覚的に宿命を感じることもあるでしょう。

僕は自身から生み出たメロディー=「世界ブルー」を時間軸(年代別)、空間軸(場所)、感覚軸(コンセプト)で捉えています。このブログ、Sekaiblue Airlinesでは作品を五十音順で並べていますが、もう一つ感覚軸(コンセプト別:アルバム・タイトル別)にカテゴライズしています(●パソコンでご覧の方は左メニュー「曲名を五十音順、アルバム毎にまとめてみましたよ〜♪」のプルダウンで巡ってくださいませ。●スマートフォンでご覧の方は、画面下の方の「カテゴリーアーカイブ」のプルダウンから各作品を巡ってくださいませ。) 加えて、メロディーが生まれた年月日をクレジットし、必要に応じてどんな場所でメロディーを生んだのだっけかな?と各作品ページ最下段から呟きのページに飛べるようにしています。

旅はめったにしないので、僕のメロディー=世界ブルーは、空間軸だと、大半が東京から生まれたメロディーになります。世界ブルーの中でも稀有な位置づけ。それが【知らない街 知らない道】(当blogの作品群へLINK)なのです。旅先で生まれたメロディー達です。空間軸を(僕が)楽しむことができます。(※日本国内における旅曲集は【口笛風景】(当blogの作品群へLINK)として分類しています)

知らない街 知らない道 作品群(当blogの作品群へLINK)

【知らない街 知らない道】は旅日記(別blogの文章・画像・肉声ページへLINK)です。旅先でノートブックにペンを走らせて書いた文章。思い巡らしたこと。イベリア半島ひとり旅からちょうど一年後の2010年に文章テキストを「一年後の同日投稿」スタイルで発表しました。

その時に画像をあまり載せなかったのは、「いずれ「時間軸」「空間軸」でWebで動的に回そう!」という構想があったからです。が、僕のWebスキルで出来たのはギリギリここまで(楽曲一覧ページ)でした。この楽曲一覧と楽曲詳細ページのように、「日毎に」「(地図で見て取れるように)場所毎に」ページをめくれるようにしたかったんですね〜。さらに「料理」「宿」「観光」といったように閲覧する方が見たい情報だけを取り出すことができるような。。。そんな構想は僕のWeb制作能力ではできない、と悟りました(苦笑)

イベリア半島ひとり旅。二か月間で約6,700枚程写真を撮りました。十年経った今、写真を眺めるだけでも当時の息吹が蘇ります。元気が出ます(笑) それら膨大な写真を今回、なんのコメントもつけずに一挙公開していきます。「フラッシュをたかなければ撮影可」の教会・聖堂や美術館内の写真は、神聖な場所をWeb上でUPすることになるので、なんとなく控えます(一例としてブルゴスにおけるものを公開)。その場(教会)が「公開していいよ」と言ってくれているような気運のものだけ載せる感じです。また、この十年でWebの世界もだいぶ進化し過ぎていてコワイ時代です。人様の顔が映っている写真はなるだけ避け、Web上で識別されない程度のものを載せます。

文章テキスト。膨大な写真。に加えまして。さらに旅先で口ずさんだ鼻唄も一挙公開します。僕自身、一生聴くこともないと感じていた鼻唄です。作品には至らなくとも、旅先での肉声という視点に立つと、とっても興味深いです。(肉声非公開)となっているものは「ちゃんと形にしてから聴いて貰いたい」メロディー・フレーズです。公開できる段階になったら、改めてWebでお知らせ、もしくはライブ会場でさらっと旅の話を添えて弾き語りさせて頂きます。

旅の道のりも常に途上。人生もそう。この【知らない街 知らない道】公開もそう。途中でへこたれずに最後まで無事、道のりをお届けできたら、と感じています。旅が進むにつれて旅特有の感覚に入ってゆきます。その辺りもご理解頂きつつ、ご覧ください。

知らない街 知らない道】 編集担当 あおきまさと
2019年6月28日記載


p.s. 【知らない街 知らない道】におきまして、気になる画像などありましたら、各記事にコメント付けて頂いたり。思い出せる範囲でお答えします。これからイベリア半島を巡る方にとっても「どこ巡ろう」「何を食べよう」「安全な宿はどこか」などお役立てください。「あの風景はどこに立って眺めることができるのか?」「鉄道やバスでの乗り換えはスムーズか?」「街の治安は?」などレアなご質問もど〜ぞ。でも十年前、しかも僕も街を通り過ぎただけの身です。あくまでも旅の感覚的な回答となります。ご容赦ください。

この歌詞を見る限り、後半の足立の歌詞はすばらしくさびの部分の自分の歌詞にうまくfitしているのがうなづける。足立の貢献度は大きい。
だいたいにおいて前半の歌詞は、コメディー風に、そして何をいっているのだかわからない様子をそれを軽くなげいている=あきれているといった感じであろう。
後半は無常観とでもいおうか、それこそ内面的な世界からこの世の現状を示しているように思われる。(感想) 高2 1月15日記載

☆☆この世の現状(高校一年生バージョン)☆☆
フルサイズ聴くことができます。ダウンロードもできます。無料です。

世界ブルー・セッション第一弾作品として「この世の現状」をピックアップしたのは訳がある。それは。あおきにとってその名の通り「初のセッション」だからである。

時は高校一年の夏、場所は東鷲宮の足立の家。歌詞から時代を感じるし、あおきはまだ声変わりが完全に終わっていない! それにしても足立は変わってないなぁ〜。
高校二年時に記した上記の(感想)というのがまた、あおき、今の自分と何ら変わらず曲の解説を書いていたのか、と驚きと呆れが入り混じる。

ちなみにこの音源はいつか足立の結婚式にサプライズとしてかけようぞ!と思っていたけど、もう待ちきれないので公開する。公開したら「ぜってぇ〜、許さねぇ〜」と言われていた絶交ものの貴重音源である。出会って24年の友情が打ち砕かれないことを祈る。2013/01/12

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この度、新たに「この世の現状」がSekai Blueのシングル・リリースのカタログに仲間入りした。この作品は、僕の生曲(せいきょく)人生の中で、現存する最も古いメロディー・フレーズが盛り込まれている。小学校四年生の休み時間にカンペン(筆箱)の裏に鉛筆で書いた音符フレーズが間奏部分。Aメロとサビは中学一年生にカセットテープに忍ばせたメロディー・フレーズ。さらに作詞は初の共同作業。高校一年生の夏に「いい奴」こと「あだつ」とペンを舐めながら作詞したのだ。当時は、時代を風刺したつもりだったけど、、、可愛い。2019.6.17記

「この世の現状」正式版の音楽配信リリースにともないまして、1990年当時の初セッションの音声をどなたでもダウンロードできるように致しました。男子校生の夏休み、微笑ましい姿をご想像してご視聴ください。2019.6.19記
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〜この世の現状に添えて〜2011.12.29

明日はあだつと田無で飲むんだけど、ここ二日マイブームなのが「この世の現状」 高校一年の夏に東北線の東鷲宮まで行って、二人で歌詞をうんうん唸って作った曲。初めての共作。メロディーは小学校四年生の時のフレーズと中学1,2年生の時のフレーズを合体させたもの。

ボディコンだとかオバタリアンだとか今は死語が歌詞にあって、恥ずかしけど敢えてそこを残して超ダサいのをよしとしたいな。

という訳で、ひらめいたのが2012年の新年に出会う皆さんとの乾杯のシーンを動画で撮ろう。それをべたべたはっつけて「この世の現状」のPV出来上がり、としたいと思う。新年会う人は今から覚悟しておいてください。ではおやすみなさい。

21年後の足立と青木。田無のエジソンカレーにて。ちょこっと大人になったかな。



Link:この世の現状に戻る


おはようございます。

この度、久々に新曲を発表しました。
「絶望」という曲です。

新しい世になって、僕自身も心境の変化がありました。
「年の暮れに師走という言葉の如く突っ走って、新年を穏やかな気持ちで迎える」、そんな心境の変化を何倍も大きな器に盛ったような。それでいてどっしりと心は穏やかで。どこか力が抜けたような。

今、毎日メロディーと関わることが出来ている。「こういう生活をしたい」という時間を過ごしている。完全ではありません。むしろ不完全な存在。それでも「こう在り」たかった姿になれています。

創りたいものを創り、歌いたいものを歌い、発表したい曲を発表する。やりたい時にやりたいことをする。旬な気持ちで過ごす。生な動き。その賜物が「絶望(Live Mix)」発表です。

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演奏陣は、2006年当時、アルバム『繊細』のためにレコーディングをしていたメンバーです。ベースのイノウエさんがギターを。ピアノの僕がベースに。楽器を持ち替えて、スリー・ピース・バンドとして渋谷 青い部屋でライブ・ステージを持たせて頂きました。

Bass & Vocal あおきまさと
Guitar イノウエタカヒト
Drums みちる

MCで「みんなへのプレゼント 「絶望」」と言って演奏がスタートします。その理由は。ステージを終えて楽屋に入り、皆様からの有難い拍手を受けてのアンコールだからです。ライブならではの、アンコールならではの高揚感が分、秒を追う毎に増していく。メロディーそのものがどんどん上がっていき、殻を破って突き抜け変容し、バンド全体がそこに絡んでいく。是非、大音量で。イヤフォンかヘッドフォンで聴いてください。

今回、発表したLive Mixは、当時のライブ音源にPianoとSynthesizerを加えました。今、僕が皆様にお伝えしたい静と動。陰と陽のエネルギー。世界ブルーの音像となります。よろしくです。2019.5.19 9:57




今日は2019年4月30日。雨。平成最後の日を過ごしています。時代の節目という高揚感よりも、むしろすべてにおいて浄化された気持ちです。研ぎ澄まされた空気が体に行き渡っていく感覚です。

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30年前「昭和が終わるかもしれない」という時期は年の暮れと重なり、色んなものが「終焉を迎える」という気運に包まれていた気がします。当時、僕は中学一年生でした。僕は僕なりにその「巡り巡って来た、見て来たもの」そして「終わりを迎える瞬間」をどうにか表現したくて「死の訪れ」という曲が生まれ、ひとつひとつ「コンピュータ」と呼ばれる代物で音符を並べていたことを思い出します。

30年経った今、僕は何をしているかというと。依然として、生まれたメロディー達と戯れています。30年前から始まった「生曲」という儀式は今も続いていて、そこからまた言葉が生まれます。そんな作詞作曲を歌っていくと一つのメッセージに辿り着きます。

メッセージ。伝えたいこと。

この一週間はずっとメロディーと関わっていました。鼻唄で「生曲」された音声を何度も聞いて、それを一つの「作曲」というところまで引き上げていく作業です。歌い回していくうちにリズムが生まれ、ハーモニーや別のメロディー・フレーズが生まれる素敵な時間です。そうこうしているうちに時には感情移入し、時には侘び寂びが効いて来ます。作品から感情や情景が浮かんで来ます。メッセージが出て来ます。こんなに楽しい時間はありません。

日常生活において、様々なことがあります。一人で生きている訳ではないので、よいことだけではなくて嫌なこと、苦手なこと、打ちひしがれること、沢山あります。皆さんと一喜一憂し、盛り上がったり、誤解し合ったり。そんな毎日の生活の中で、ちょこっとでも自分の好きな時間を持つ。こうやってメロディーと関わることで、研ぎ澄まされた気持ちになるのです。

新しい令和という時代は、僕にとって素直にメロディー達を手放していけそうな気がしています。少年の頃の好奇心、純真さをもって、無邪気に。メロディー、君がいてくれて。ありがとう。そんな気持ちでいっぱいです。

気付いてみたら当ブログは約15年続きました。平成が30年間、その半分にあたります。「ボンジュールあおきの世界ブルー シル・ブ・プレ♪」===>「僕は絶対世界ブルー」===>「Sekaiblue Airlines」と形は変わったものの続けて来たこと。日々のメロディー生活を過ごす上での潤滑油になっていること。このブログ自体にも感謝したいと思います。

平成という時代に感謝。メロディーに感謝。そして、このブログに足を運んでくださり、呆れつつも(?_?)読んで下さる皆様に感謝。有難うございます。

新しい時代。楽しんでいきましょうか。
こんな僕ですが、よろしくお願いします。
また、会いましょう。

世界ブルー あおきまさと

こんばんは。

季節の節目や時代の節目については常日頃申していますが、そんな時節に「世界ブルーとしてどうする?」と、ちょっとここで述べたいと思います。理想的には「計画を立てて着実に進め、時には大胆にはみ出るようなアクション」したいですよね。でも、実際は毎日着実にこなしていくことの難しさがあり、いざという時に突発的に、かつ、人様の期待(もう、あまり期待されていないかと思うので気持ちが楽ですが)を裏切るような行動・実践するにも難しさがあります。

そんな中で。この一年で、ここSekaiblue Airlinesでは一年前から音楽配信を始めまして、常時50曲前後の作品を公開することができました。これはリスナーの皆様へ向けてのアクションとなります。そして、もう一つ、僕個人の独りよがりな作詞作業を、昨年7月から本気で開始しました。作詞、、、僕はメロディーに歌詞を付けるのが苦手でして、もう10年、20年、ワインのように寝かせてあるメロディー・フレーズがゴロゴロ。中には30年もののヴィンテージもまだまだあります。そうなるとどこの貯蔵庫にどんなワインがあったのかも忘れてしまって、ワインのラベルを貼ることもできず、味も分からず、そのまま放置状態だったのです。

そんな散漫な状況から脱出したく、2006年だったか2008年だったか、まずはメロディーの整理を始めました。2010年、半年間歌えなかった時期があり、その期間を利用して社会人になって以降の主なメロディー・フレーズをすべてmp3化完了させました。

今度はこのSekaiblue Airlinesで2012年頃からでしょうか。メロディーに作詞を付け、未完成でもいいからどんどん公開し始めました。さらに昨年7月から一念発起して、五十音順で作詞作業を開始し、一昨日ようやく完了しました。一巡するだけで9ヶ月もかかってしまいました。。。

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と、これで終わった訳ではありません。なんで敢えて作業的に作詞をしていたのかって、それは創作したいという気持ちと、ライブで弾き語りたいという気持ちを叶えてあげたいからです。

僕は、、、気紛れな男。。。「あれ、創りたいな」って時にすぐに録音したいんです。でも、「あ、そうか、、、歌詞まだ付いていないんだった。残念。」となる。ライブもそう。ステージ本番で、ピアノの前に座って。その時「歌いたい!」と感じた曲を弾き語りたい、ってこと、あるんですね。そのために少なくとも作詞作曲という段階までなるだけ形にしておきたかった、という訳でございます。

今後は。平成の間に。当Sekaiblue Airlinesの更新された内容をsekaiblue.comへ順次格納していきます。約200点以上。。。気が遠くなりますが。。。眼精ヒーロー間違いなしです。

そして。とうとう。念願の。創作活動に入ります!、、、って、もうアルバム『繊細』発売以降10年間以上ずっと書いてますが、、、ただ今までと違うのは、創作(レコーディング)が表現(ライブ)と緩くもリンクしている、という点です。ライブで体に染み込ませてからレコーディングをしたり、ラフにレコーディングしたものをライブで歌ったり、DEMO音源を公開したり。

作詞も続行します。このブログ公開済のものもまだまだ未完成な作品多いです。作詞レベルで完成した作品も歌い回して、納得のゆく形に仕上げていきます。

今後のこのSekaiblue Airlinesは、
・作詞:既に公開済の作品の精度を高めていく
・作詞:今回の大作業では手を付けてない(タイトルの付いていない)メロディーへの作詞作業
が主になるかと思います。

完成作品、DEMO作品の公開は「音楽配信」という形で販売(各音楽配信ストアにて) or 無料公開(google drive)を考えています。ここSekaiblue Airlinesの各作品ページからLINKを張って、聴ける環境にします。

今後ともよろしくお願い致します。

世界ブルー あおきまさと

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防音シェルター内の僕の歌練り、録音制作環境(撮影:mizuki)

明けましておめでとうございます。
昨年中は大変お世話になりました。
特にこのSekaiblue Airlinesをご覧になって頂いている皆様におかれましては、今までお付き合いくださっていること自体、その存在が有難く貴重なこと、と感じています。

当ブログは2005年開設当初、「♪ボンジュールあおきの世界ブルー シルブプレ♪」。カジュアルにリアルタイムに世界ブルーの活動をお伝えする場として立ち上がりました。2008年以降のピアノ弾き語り【からっぽ巡り】の精神性、2009年のスペイン・ポルトガルへの旅から得たサウダージ感、2010年の扁桃腺摘出手術、2011年の震災、、、その他にも色々ございまして、年々このブログの存在意義が色濃くなってきました。

2012年からは、僕が今まで生んできたメロディー世界を一挙に公開してゆきたく、Sekaiblue Airlinesとしてリニューアルしました。創作・表現・発信の三位一体を目指しました。作詞作曲、創作(制作)、ライブ、発信など、ひとつひとつの楽曲の成長過程を公開していく、という試みです。

始まった当初は、未完成の歌詞と僕自身のぼやきばかりで退屈なさった方も多いかと思います。プロセス=展開を示していく場であるにも関わらず、むしろ停滞感を伝えてしまっていたような気もします。

ちりも積もれば〜でして、昨年ようやく当初思い描いていた形になりました。未完成のまま公開され、ゴロゴロくすぶっていた作品にどんどん歌詞が付きました。動画も幾つか公開。【青い呟き】として作品によせた心境は別項目にて読めるようにしました。さらには音楽配信という段階まで来たんですよ。

今ざざっと数えたところこのSekaiblue Airlinesでは約650作品が公開され、音楽配信はもうそろそろ50曲を数えます。3,000曲〜5,000曲(インストゥルメンタル作品含む)を形として残す、といった青写真には到底及びませんが、1,000曲がほどであれば、自然な形で皆様にお届けできそうです。

何もないところから何かを生み出すのは苦しい。でも、ここまで積み上げて来れました。あとは順々に重ねていけるんじゃないかと感じます。

創作も表現も発信も、ひとつひとつ丁寧に携わっていきたいと感じます。時間をかけてプロセスをひとつひとつ楽しんでやっていく。聴いて下さる皆様へ向けて、僕はメロディーにエネルギーを込めて、仕上がった作品をギフトとして差し上げていきたいと思います。

しっくりとすんなりと当たり前のように。メロディーとともに生きる。自然と形となったものを皆様にお届けしていきたいですね。

本年もよろしくお願い申し上げます。

世界ブルー あおきまさと
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昨年12月に行われたライブ時、四谷シンルンボのピアノ(撮影:mizuki)

今週に入ってめっきり寒くなった。肌で感じる寒さは身にも染み入る。

12/8の2nd Stageにて僕は何か言葉を発したかもしれない。それは「やさしいだけでは」の一節である。「やさしいだけでは 生きてゆけないから」 何故このフレーズを冒頭で口ずさみたくなったのか。その後に「言えない」の前奏が始まる。

ステージを観た方々からはよく、その演出について有難いお言葉を頂くことがある。そして。。それは演出なんてものではなく、ただただこの世界に生きる「あおきまさと」そのものなのだ。実話。実録。ライブという名のステージは、それは僕自身の実話がリアルタイムに進行しているのだ。【Live to Love, Love to Live】第1話 〜君に捧げる歌〜 それは耳を傾けてくれる「君」への歌である。ありがとう。2018年12月12日 22:21

学生時代のバックパックの旅に思い馳せる。当時はまだ携帯電話もインターネットもデジタルカメラもそれほど普及していなかった時代だ。その一年後僕はカメラメーカー勤務となり、カメラの部署に配属され(留学時代にカメラのクラスをとったことがきっかけ)、そこのカメラ部署においてでさえデジタルカメラよりもやはりフィルムの一眼レフだ、といったような風潮さえあったくらいだ。今はなくてはならない記録媒体、通信機器といった類い。

このところの僕はといえば、随分と便利なもの達に感性が埋もれてしまったものだなぁ〜、と痛感させられている。僕らは生物(なまもの)だ。その生物(なまもの)という個体を突き詰めていくと、なんだか今多くの身の回りにあるものは、一体僕達に何をもたらすんだろう、という疑問を感じてきた。

一方でそれら便利なものは、人間が翼を持つことができない代わりに飛行機が生まれたように、人類の希求を体現した素晴らしいものだ。例えば学生時代に旅先で出会った人達。彼らとは「またいつかどこかで会えるだろうか」「会えないかもしれない」そういった別れ際の切迫した気持ちが生む情愛。そんな時に「いつでも繋がることの出来るツールがあればいいのにな」と思った人は多いんじゃないだろうか。それから数年後には、そして二十年後の今に至ると、当たり前のように繋がれる時代となった。当時の感覚からしたら「奇跡のように嬉しい」はずだ。

そして。僕は思うんだけど、その「当時の感覚」こそが生身の人間としての大切なものなのだ、ということ。実は2003年から作り始めたsekaiblue.com。そこに自らのアイデンティティーを積み重ねている自分がいる。ライブ演奏を動画が生のライブには叶わないのと同様に、到底、毎日の日常で感じることをWebで表現できるかというと、そんなスキルはないんだけど、それでも僕なりの希求をsekaiblue.comに込めている。その込める力や気持ちは「生身の人間としての」感覚なのだ。

先日の四谷シンルンボにおけるLive to Love, Love to Live 第1話 〜君に捧げる歌〜 あおきまさとのLOVE、そしてSONG はいかがだっただろうか。3つのステージのうち【1st Stage】のConceptは「朝、巡って、夜空へ」とした。4,Good Morning 5,Ever Lasting 6,絶望 7,運命共同体 8,ランデブー 9,年の瀬 という流れ。「朝と夜の光の具体の対比。移ろい。」とした。僕はこのステージで何を伝えたかったのだろう。部屋の中でのリハーサル。そこで僕が気に入っていたのが、運命共同体を歌い終わった後の静けさから、ランデブーの前奏が始まる、その間の静寂だ。その間が僕にとってこのステージで一番のお気に入り。歌も演奏も何もない「間が一番」だなんて言ってしまうよ。

その静寂に風景がある。夜空。それは二十代の僕達が歩いた東京の空かもしれない。口づけを交わしたヨーロッパにおける星空かもしれない。そして、これからの未来に大きな期待を寄せつつ酔いに酔ったバルセロナの夜空かもしれない。夜空に思い馳せる。そんな静寂を感じて欲しかった。例え一瞬でも。その一瞬から大きく風景が広がるんだ。

「生身の人間」が持つ感覚というのは、きっと、まだまだ科学では解明されない膨大な可能性がひしめいているんじゃないか?と。このところメロディーの魅力にさらに憑りつかれた僕が感じること。

人間の目。人間の耳。様々な器官、機能。僕はもっと異次元なものを欲している。そして、実はそれは生物(なまもの)としての根源的な希求なのだ。きっと。2018年12月11日 23:13

「音楽をやって」いますと、人様からは「どんな音楽やっているんですか?」というのがまず最初に問いかけられる質問です。会話の切り口としてとっても有難い質問です。そこで僕は「陰と陽」とか「普遍性」ですとか、「そもそも僕は音楽をやっているつもりはない!」といった態度は控え、「メロディアスな歌詞もしっかりと聞こえるポップ、もしくはスローテンポのロック」と答えています。

料理もそうなんでしょうが、毎日作っていると、和もあれば洋もありますよね。ただ野菜を炒めてお肉を炒めて、では出来上がったものは和食? 中華? 洋食? と問われてもうまく答えられないものです。そこにバジルをのせれば洋食っぽいし、長葱だったら和食と言われてしまいそう。味覚は繊細ですが、カテゴライズはざっくり、なものですよね。

音楽のジャンルも同じようなものかしら。今回配信リリースさせて頂いた「貴族カット」は「テクノ歌謡」に近いのでは? と感じます。でもそんなジャンルがなくて、「テクノ」と「歌謡曲」というジャンルを複数選んで楽曲登録してみました。

「テクノ」というともっと今だと洗練された音を想像するかもしれませんけど。80年代をリアルに過ごした僕にとっては「テクノ」って、ちょっと「可笑しみ」(というか「おちょくってる感」)が含まれているもの。そもそも「テクノ」という語感も「可笑しみ」がありますよね。

この「貴族カット」はサビの箇所、Seriさんのボーカル、伸びがあって好きです。またドラムキット音とベース音がシンプルなのに加えて、中間部で「G.R.A.D.U.A.T.I.O.N. Graduation」とVoice Effectがかかった男女の声。そういったものが合わさって総体的にローテク感バリバリですよね!

この曲は新世紀ラブリネスという男女四名のライブ・ユニットでも何度もステージ上で歌われています。この作品を真剣に歌う若者達がいた、それを観て笑って貰うという姿勢、今思えば、自分達をネタにして貰ってお客さんに喜んで貰う、っていうユニットって希少だな、と感じます。

この作品を聴くと、単に音楽性がどう、とか、音楽ジャンルがどう、というところではない、もっと惹きつける何か、が注ぎ込まれていると感じざるを得ません。2018.7.16 16:43


こんばんは。世界ブルーのあおきまさとです。

この数日間は一年間手の付かなかった作業を行っていました。それはWeb上における作品の棚卸しです。このSekaiblue Airlinesで発表された作品をsekaiblue.comの楽曲一覧ページにhtmlを組んで、MySQLを使って72点公開完了しましたよ。まだ公開している作品数は622点(重複しているタイトルがあるので実際は550点程)ですが、それでも世界ブルーの全体像を感じて貰えるのではないか、と期待します。例えば楽曲一覧ページの左下「コンセプトやアルバム名で探す」から楽曲検索してみてください。そうすることで各曲だけでなく、各アルバムに収録する作品も揃って来た、と感じますよ。

棚卸作業を終えたら、次はSekaiblue Airlines上のタイトルをシンプルにしました。また、自身でふと歌いたくなる優先的な作品をなるだけ手前に持ってきたり、すぐに歌詞を閲覧できるようにしたり、クレジット表記もなるだけ統一性を持たせたり。そうこうしているとsekaiblue.comの楽曲一覧の作詞作曲のクレジットもaokimasatoに統一しよう!とか。作業をすればするほど、別の作業が出てきて、そこにすぐに取り掛かることができてよかったです。まだ、情熱、あるな、と感じます。

今日は【YouTube動画】と【ライブギャラリー】の更新が完了しました。

今後は、只今毎週作品を一つずつ配信しているんですが、そのための音源のバウンス作業とジャケット(Web上におけるイメージ画像)や紹介文の準備。その動きに派生した作業に取り掛かります。

ここまで来ると、もう、まとめる作業は、、、生曲鼻唄からの作曲データ化、雑記メモからの作詞データ化、それらをいつでも閲覧できるように!と、Sekaiblue Airlines公開とsekaiblue.com公開、、、という途方もない作業、ちょうど構想から形にするまで10年以上経ってしまいました。。。もう、まとめる中心の生活は、このくらいでいいのではないかな?と感じています。今後もどんどん作品は生まれ、完成し、それを公開していくのでしょうが、もっと肉感的にリアルタイムに近い形で創作・表現・発信したいんですね。

この数か月間で作品を配信しているのも、意味がありまして。創り手ってほんとは生まれた瞬間に形にして、そして、それをすぐに発信して共感を得たい訳ですよ。それが理想的に伝わるのがライブであって、だからライブはとっても満たされて生きててよかったと感じる瞬間が多いし大きいんです。さらに、奥底からの欲求があって、自分のイメージ(それは独りよがりなものなのですが)を形にして完成させてそれを即発信・配信したいんです。その形をライブで表現したい(笑)

メロディーが生まれて。音像という形として完成させて。あるいはライブで表現して。それらをリアルタイムに近い形で。音像だったり映像だったり。発信していく。sekaiblue.comという僕なりの玉手箱というか博物館(笑)。その枠組みの中にコンテンツが徐々に揃ってきて、流れも出来て来た。そう感じます。

さて。これからはそんな枠組みや箱の世界から、はみ出してみたいと思います。壊しても壊れてもよいかもしれない。常にアポロを意識しつつも、カオスも心地好く。生身の人間として出来ること。歳を追う毎に、僕という人間は男は。本当に情けない。無力。世の役に立っていない。自分勝手で独りよがりで。そんな僕でも何とか。これまでの生き方を認めて上げつつ、僕なりの愛を。夢を。普遍性や例外性を。歌に込めて。そう。歌い上げていきます。

いつも。長い文章を読んでくれてありがとう。

世界ブルー あおきまさと  2018年7月15日 21:26

あおきまさとへの応援メッセージ:sekaiblue@hotmail.com (あおき宛)

今年三月から毎週一曲ずつオリジナル楽曲作品を配信しています。なかなか収益には繋がらず、売上も微々たるものなのですが、それでも月を経るごとに効果が出て来ました。当初、僕自身はこの行動は自分自身の創作生活の終活という位置付けで始めました。つまり、これまで創って来た作品をすべて発信していく、というスタンスです。聴いて下さる方がいるかどうかも大切ですが、出し惜しみなく悔いなく楽曲を公開することは、僕自身言い訳できなくなる訳です。綺麗さっぱり世界へ向けて放ちたいんですね。

欲を書くと、配信ストアからダウンロードして下されば、それだけ売上は上がります。それは創り手にとっては大きな自信に繋がります。でも、そんなに甘いものではないです。現実的な数字を上げますと、この2,3年でダウンロードされたのは1回のみ。これは厳しいですね。

そんな途方に暮れてしまいそうなところ、「継続は力」なのでしょうか。「ダウンロード」とは別に「ストリーミング」というものがあるのですが、このストリーミング回数がちゃんと実績として反映されるようになってきました。ダウンロードだと1曲辺り例えば150円お支払い頂くと大体その半額を僕が受け取ることになります。そうなると75円ですね。微々たるもののようでこれはとっても大きな数字なのです。え? 何故かって? それはストリーミング再生1回から得られる売上と比べると歴然です。

ストリーミング再生1回につき、配信ストアや国にもよりますが、0.3円〜3円の売上となります。

不思議なのは、どういう経緯で見知らぬ誰かが僕の楽曲再生にまで辿り着くか、ということです。例えば「サヨナラはいつも雨」:http://blog.livedoor.jp/sekaiblue/archives/52024596.html
この作品のストリーミング再生は他の僕の楽曲に比べて、圧倒的に多いんです。さらにこの一年間以上、毎月世界のどこかの誰かが必ず聴いている、というレポートが上がっています。多い時だと一ヶ月に30回程。売上は30円前後と小さいのですが、日本にとどまらずどなたかが聴いてくれている、というのは、やはり嬉しいものなんですね。

先月6月は過去最高のストリーミング再生数となりました。トップは「琴の音を聞く」19回、「金色夢枕」16回、他、計45回です。そして面白いのはヨーロッパ地域の再生数が半数、またSpotifyという配信ストアの再生数が半数、という点です。その原因を突き詰めつつ、今後の活動に役立てます。

さて。今後もSekai Blueレーベルでは(って僕一人の運営ですが)、「世界ブルー」「あおきまさと」「世界ピンク」を中心に楽曲配信していきます。夏を迎えるので旅曲集『青い街』より「土曜の朝のドライブ」「青い街」「カモン・オキナワ」というアコースティック作品を。とっても爽やかで録音に工夫を凝らしたからか、歌声がとっても伸びやか。沖縄での作曲旅行で生まれたもの。是非聴いて欲しい作品群です。

さらに。とうとう登場するのですが作詞作曲コンビ【大御所】が創ったアルバム『Taste One』より7曲の音源WAVE化が完了しました。世界ブルー名義で「雨遊び」。あおきまさと名義で「もうこれ以上」「Challenger」「成功物語」「X'mas Judgement」。世界ピンク名義で「色恋沙汰サティスファクション」「こもれびタッチ」。大御所のライブ・ステージをご覧になったことある方にとっては「もうこれ以上」や「こもれびタッチ」は懐かしいのではないでしょうか。でも実際は「雨遊び - 組曲」や「Challenger」といったような凝った・練られた作品も創っていたのか!と頷いて欲しいです。さらにバスローブ姿で踊る男二人のアクに惑わされた方、「もうこれ以上」は音源作品としてより愉しめます。聴き凝らして欲しいものです。とっても気合いの入った創りになっています。

楽曲配信は上述の『青い街』『Taste One』公開後、幾点かの完成曲、さらにアルバム『繊細』から全曲配信。アルバム『from here on』からも権利の問題がクリアすれば全曲配信していきます。特に『from here on』は制作当初からヨーロッパ圏を意識して創っていたので(日本国内の全国リリースまでが2004年当時の青木にとっては限界でした)、僕なりにとっても楽しみなんです。

何はともあれ。聴いてくださる方がいる、という事実が嬉しいです。それは実は試聴でも同じです。「青木さんはこういった作品も創ってるんだ〜。」と知って貰えるだけでも創り手っていうのは嬉しいものなんです。聴いてくれる人がいるっていうだけで、創作意欲は湧くのです。それは多分、「話を聞いてくれる人がいるだけで安心する」という人として当たり前の心理に近いのでしょう。

2018年度内には約50曲程が配信されることになります。そして、そこからが僕のアーティスト活動が、終活がより濃くなっていく。そうなればよいなと思っています。勿論そこまで待って頂く必要はありません。今から応援してくださると嬉しいですし、頼りにしちゃいます。既に世に恥じない形でリリースしたアルバム『繊細』とアルバム『from here on』の手売りも積極的に始めています。是非、どしどしお声掛けください。これが僕にとって一番の活動資金になるものですから。

ホームページや気に入って頂いた楽曲についての口コミやシェア、大歓迎です。どうかご協力、ご声援の程、よろしくお願い申し上げます。2018.7.8 14:18


世界ブルー あおきまさと
http://sekaiblue.com

あおきまさとへの応援メッセージ:sekaiblue@hotmail.com

「僕はドロ〜ン」という学生時代の作品のパロディーとして本作「唱える。」がある。まずは聴き比べて頂けると嬉しい。大きな共通点としてはリズム。僕はこれを「ドロ〜ンズ節」と言っているが、この後に続くであろう「X’mas Judgement」もそうだし、「Good Morning Televesion」はこの節の最終形(完成形)だ。

この作品を聴くと、どうしてもビートルズの『Sgt. Pepper〜』を感じてしまう。けど、どの曲だろうか、となると明確には出来ない。世界ピンク名義でリリースした「Sume-Pa」もそうだけど、「ミスター・カイト」あたりが当てはまるかもしれない。

1998年の作詞であることを考えると、あれから二十年。僕は何にも変わっていやしないのだな〜、と思う。それが故に若くもあり未熟者なのだ。

過去を振り返ってばかりもいられない。先へ進まなければ。僕の中をこの「唱える。」がリフレイン・ソング(過去反芻曲)として流れ続ける。2018.7.6 22:15

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・素直でシンプルなメロディー。Children Music(お子様向け)に位置付けられる
・Seriさんのコーラスで添えられており、その甘く丸い声が心地好い
・アルバム『おしっこのわな』の最後の一曲。その後のvonus trackとしてPee秘話という寸劇が散りばめられている

直訳すれば「幸せな道のり」である本作は、1998年4月24日作詞、同年5月25日作曲。色褪せているはずの音像を聴いてみると、むしろ若いエネルギーに満ち溢れている。これが録音作業の妙味だと感じる。

創り手としては、作品ひとつひとつに何らかのメッセージを含めている訳だ。そしてこの作品はとっても前向きな気分から生まれた素直な言葉、その言葉にすんなりとメロディーが付いた。当たり前に存在するような作品。

あれから二十年経った。シンプルな作品だから故か、どこかジーンと来てしまう。それは僕がこれからどうなってしまうのだろう、という不安。不安で不安でたまらないからだ。そんな僕にこの作品が語り掛けてくれる。「大丈夫だよ。笑顔さえあれば。何とかやっていけるって。」 二十年前の僕が今の僕に対して。優しく語り掛けてくれるんだ。

歌は人を癒し、勇気づけたり、和ませたり、鼓舞したり。様々な効用がある。そして。創り手が受け手に対して、というだけではなしに。創り手から創り手本人に対しても。二十年前の創り手である僕が、今の心細い気持ちで過ごす僕に対して、勇気を与えてくれる、っていうこともあるんだ。僕のメロディーに最も勇気づけられているのは、僕本人かもしれない。Happy Street。幸せな道のり。光を求めて。僕は歩く。ありがとう。2018.06.30 21:10

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世界ブルー あおきまさとのホームページ:sekaiblue.com


人間は不思議と褒められたい。褒められ方にもよるが、褒められて悪い心地になる人はいないだろう。ただ褒められるのに馴れていないと気恥ずかしかったりもするだろう。

可愛い、かっこいい、あなたがいてくれてよかった、君は天才だ、などなど言葉面は沢山あるが、僕はこれ「エライ、エライと言ってくれ!!」 「君は偉いよ」なんて言われると嬉しい。可愛い、かっこいい、には理屈はない。でも、偉いっていうのは、そう褒めるのに何か理由があるからだ。その理由とワンセットで認められると嬉しいのだ。「すごい」は感想に過ぎないが「エライ」は誉め言葉だ。

さて。今、サッカーワールドカップのシーズン。四年に一度は必ず見ていて、毎試合から学ぶことが大きい。「人生攻めていかないと」ということ。しかも「リスクを背負って」。守りに入っていると(守ることは大切だが)、負ける、ということ。これは人生に通じている。

人生っていうのは安穏と暮らしていけるのならば、それにこしたことはない。でも、成功だけではなく、健康も幸せも友情も愛も努力なしでは得られないことを年々痛感する。その努力や蓄積から解放された時に。努力せずとも意識せずとも自分の中から、自然とその親切が、思い遣りが、行動が出ている時に。当たり前のように手に入れているんだ。自然と身に付いた成功や幸せ、健康、友情、愛情は、なかなか離れていかない。2018.6.24 8:00

あおきまさとへの応援メッセージ:sekaiblue@hotmail.com
世界ブルー あおきまさとのホームページ:sekaiblue.com


1999年当時、僕は部屋にこもってただひたすら創作生活を送っておりました。当時は音楽仲間も知り合いもおらず。なので、中高の友人や大学時代の友人、元会社の同僚、そして楽器屋の店員さん(笑)に「歌ってみない?」「ギター弾いて〜」などと録音に参加して貰っていました。

会社を辞めて創作生活に入ってから半年、その辺りには既に『Taste One』『新入社員の呟き 下半期』『おしっこのわな』『はいから三寸気分』といったアルバム曲集を完成させていて、それは実りあるものでした。当時の言葉で書くと表現したい「要素」を出すことができたのです。と同時にそこから「世界ブルー」という僕の奥底で「これだ!」という音像と向かい合ってみた時、限界を感じてしまったのです。当時、楽器の弾けない僕は打込機材で録音していました。『はいから三寸気分』を創り終えた時に当時の録音環境で表現したいことはやり終えた感があって、「次=世界ブルーという風景」へ向かおうとした時に、茫然としてしまったのです。生楽器を必要としたのです。そこから『from here on』の完成に至るまでにライブ活動が始まって、音楽仲間もでき、いつの間にかピアノやベース、ギター(ソロ)を弾いたり、と活動の幅が広がっていきました。感謝です。

「Sume-Pa」は、ひきこもりで音楽仲間のいなかった僕が、ちょっと蔵出しというか、試しにラジオ番組のオーディションに投稿してみた作品です。応募しておいてまさかラジオ番組でオンエアされているとも知らず、何の気なしに番組ホームページを覗いてみたら、@NIFTY会員の全国投票で第一位としてエントリーされていました。驚きました。しかもラジオで幸宏さんが僕の曲にコメントを述べているのです。びっくり仰天です。

1999年当時、この番組はとっても実験的なものでした。何が実験的かというと、ラジオとインターネットの同時配信という点です。ラジオの肉声をインターネット上ではテキストで配信する、というこの試みは今では当たり前というか、むしろラジオの音声を同時にネットでも聞ける世の中ですよね(笑) インターネットが普及し始めた(スマフォなんかもない時代)、でも、まだネット回線も遅すぎる時代、インターネットはまだまだ主従関係でいえば従で、メディアの世界でさえ試行錯誤だったのです。

番組も試行錯誤。そして、僕の創作も試行錯誤。そんな二十世紀の世紀末。これから何が起こるんだろう。そんな時代です。

「Sume-Pa」は「僕はこういうもの、表現したいんだよ」という気持ちが世の中の見知らぬリスナーの方々に通じた記念碑です。歌詞も意味なく、ギャグも意味はありません。むしろ、ギャグでさえない。僕の存在も意味がないのではないか。僕のメロディーは一体。。。そんな途方にくれていた僕。世の中と繋がった。組織票もなく僕自身の一票もなく、それでもリスナーの皆様から第一位をとった、という手応え。

この音像を聴くと当時感じていた息吹が蘇ります。僕はもっと自由だった。ただただ世界を創ることに専念していた。そんな生活が。これから。やってくるのです。もう始まっているのです。2018.6.18 11:24

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幸せで声も出ない。空はまだ明るい。僕は酔っていない。
洗濯物をたたんだり。干したり。珈琲を飲んだり。それでもまだ小鳥たちは楽しそうに鳴いている。
昨晩の東京の喧騒が嘘のよう。部屋には心地好く風が入って来て。かかる音楽は70年代の洋楽、ボサノヴァ、ハワイアン、タンゴ、、、すっきりとした、でも、若干の重みを感じる白ワインを飲みたくなる。

二十年前の僕が想像もしていなかった今の僕だ。それでも僕自身はたいして変わってはいない。同じような体の形をしていて、同じような頭で物事を考えている。それでも、あの頃と違うのは、幸せを引き出す術を知ってしまった、ということかもしれない。

これからの僕。境遇はこれまでの延長上にあるだろう。それは人様から見たら、みすぼらしい生活かもしれない。それでも、僕は光り輝く。そう信じている。2018.6.9 13:17

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この二十年間、自称マザコンで通しています。「男ならそうあるべきなんじゃないの?」という社会への呼び掛け。例えば「煙草吸わない方がRock」という感覚に近いんです。僕は、あれなんです。長いものに巻かれるのって苦手でして、大衆心理が生み出してしまう固定観念の中で生きるのが窮屈でならないんです。

例えば、職場で元気よく挨拶をする。新しく職場に来た方に、ごくごく自然に初日から声を掛けて、その人が周りの人とコミュニケーション取りやすい方向に持っていく。いじめられていたり、元気がなかったり、体調崩していたり、そんな方々さえも知らないところで、気付かれないようにその方へ向けて僕はエネルギーを差し上げ、かつ、高めたり和らげたりしている。そういうのって、僕はRockだと思うんです。Edgeという言葉を使ったりもします。強いて書けば「勇気」ですかね〜。

人と違うことをするっていうのはとっても勇気がいることです。そしてその「違うこと」が「正しいと捉えられていること」であればある程、勇気がいることなんです。悪(わる)になってしまった方が楽なんですよ。「かったるいな〜」「うざい」「暑い暑い」とか、不満を口に出した方が、周りと協調し易い、と勘違いしてしまっている人、多いと思います。そこを「まぁまぁそんなこと言わず。今日なんか比較的過ごしやすいじゃないですか〜。朝、会社に来る時なんか、受ける風が心地好くて、もうハワイにいるようですよ。幸せっす。」なんて言ってみせると、「はぁ?」という反応。でも、そこで颯爽とにこにこしていればいいんです。そして、そういう癖を付けていくと強いですよ。生き方として。皆さんにもお薦めです。

近々、姉が一時帰国します。実は僕はマザコンを自身を称していますが、シスコンでもあったと自負します。大学生時代は綺麗な姉の写真を財布に入れていました。日曜の朝なんかは姉が布団をかぶって寝ている訳ですが、そこへ僕が「ババーン!」といって覆いかぶさったりしたものです。それが自然でした。

よく「青木さんは反抗期ってなかったの?」と訊かれます。僕が覚えている限り、小学校四年生の時だったか、車の助手席に座って前方を1回蹴ったんですね。瞬時に運転中の母に本気で叱られました。あれが唯一の母親への反抗と記憶しています。反抗期1秒。

反抗期ではないんですが、小学生の頃に、なかなか朝食を食べない僕に対して、父親が躾として僕に注意したんですね。そこで僕は牛乳のあるじゃないですか。表面に出来る固まり。それを父親の背広に付けたんですね。怒られましたね〜。怒られたというよりも、ゲンコツを受けて、そこで僕は泣いた訳ですが、父親も母親も急いで真ん中の部屋(背広などが収納されている箪笥のある部屋)へ行って、別の背広に着替えて、父親は慌てて出勤していったんです。

そんな時に、思ったものです。悪いことってしちゃいけないんだな〜。人が嫌がることってしちゃいけないんだな〜。って。よく子供に何度も注意したり、叱ったり。それはいいんですけど、ほんとに傍から見たら「そこまで感情的にならなくても」という程、喚くように叱る親っているじゃないですか。躾っていうのは叱ることでもなく、注意することでもなくて、親は親でしっかりと生き、過ごしていけば、子はその姿をちゃんと見ているもんです。あらら、僕、、、今、こんななんで、どこで話題をまとめましょう、笑。

僕に反抗期がなかったのは、姉のお陰もあります。姉は親によく叱られていたんです。長男長女というのはそういう意味で損ですよね。責任を背負わされますから。そんな喧嘩している様を弟の僕は見て、親とぶつからないように過ごす道を悠々と歩いて来たのかもしれません。お姉ちゃん、ありがとう。

かといって、姉とはよく喧嘩しました。喧嘩といっても大概負けて泣くのは僕なのです。まぁ、いけないことをしたのも僕なのですが。姉のチョコレートを勝手に食べたり、笑。そして泣いて姉の部屋へ行って、姉が大切にしているぬいぐるみ達を床に叩き付けたり、布団をぐちゃぐちゃにしたり、ティッシュペーパーをむしり取るのです。そういうことを人生で何回かやったことがあります。中学生くらいの頃でしょうか。あれが反抗期だったのかもしれませんね〜。

姉の部屋をぐちゃぐちゃにした後は、ちゃ〜んと元に戻す訳ですけどね。布団を直して。ぬいぐるみ達も元の場所に戻して。ティッシュペーパーの紙だけはごめんなさい、ですが。

姉が結婚したのは比較的早かったんですね。僕が留学から戻って来て。そしてすぐに結婚ですよ。その反動もあったのでしょうか。そこから急に僕は女友達が増えましたね。それまで姉と恋愛についてとか話していた訳で、そんな同世代の話し相手が急にいなくなるものですから、もう心を割って話せる異性を求めてしまう訳です。そこから僕の世界ブルーが始まります、笑。

ハッグ。僕はHugをハグではなくハッグと呼ぶ訳ですが、それは留学から帰って来て、アメリカかぶれでそうするのではありません。大学受験の苦しい時なんかは久々に会う隣の教室の男子生徒と「おぉ〜」とか言ってHugしたものですよ。Hugし易い人っていますよね〜。

ここで話が戻るんです。Hugも日本において、東京においては、Rockな行為かと思うんです。少なくとも20年前は。今は平気で街中ではHugやらKissやらしてますけど。多くは日本人というよりもアジア系の外国人なのですが。

Hugは大切です。スキンシップは大切ですよ。うまくいっているチーム(家族、職場、グループ)には自然発生的なコミュニケーションが存在します。挨拶然り、相手のためになることをしたり、つまり親切にする、思い遣りの心を持つ、ということです。声を掛け合う、ということです。そういった信頼関係や愛情表現が、より分かり易いコミュニケーションの形となったもの、それがスキンシップ。握手やHug、Kissです。

世の中、過ごしていれば、嫌な事沢山あるかと思います。それでも、そういうことって実は些細なことであって。Hugし合うような人達がいて、そして雨が降っても風が吹いても、傘を回せば、はい! それでオシマイ☆ 颯爽と歩いてゆく。そんな感覚を持ち合わせていきたいものです。

長くなりました。お相手は。世界ブルー あおきまさとがお送り致しました。また。2018.6.2 13:36

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「Reality 〜リアリティー〜」という言葉があります。作り物ではない、ということです。創作するにあたって「作り物ではない」ものを創る、というのは矛盾しているかもしれません。ですが、日々リアリティーの中で過ごし、そこを見つめてゆくと? リアリティーは自ずと生まれ出て来るのです。

例えばラブソングや前向きな応援歌、あるいは家族への想い。これらにも言葉や歌に宿るもの、そうでないものがあります。踊りにも当てはまりますし、飲食店にも当てはまります。なにか、こう、宿っているかどうか。

僕は食べることが大好きなのですが、「飲みに行こう」と誘われるのはとっても憂鬱な気持ちになります。「私の大好きなお店にあなたも連れていきたい。一緒に感動を味わって欲しい。」と口説かれたら行きます。が、「今度、飲みに行こう」と誘われると逃げたくなるのです。「話すことも特にないし、どこのお店に行きたいという訳ではないんだけど、まぁ、ちょっと飲みながらどうでもいい無駄話でもしよう。無駄も人生において必要だから。」と誘ってくれた方がまだ行き易い気もします。

美味しいものを食べたいのであれば、自分で作った料理をテーブルに並べて、おつまみも出して、好きなワインを注いで、好きな音楽でもかけながら、ゆっくりと食す。それが好きですね。そこには味わいがありますし、それが夕焼けの時間であるならば、感動すら覚えます。

そこを超えたところ。そこを超えたところでお食事したい訳です。気も遣わず、空気も綺麗で。ほろ酔いできて。人気店と呼ばれるところでも人が多くて、煙草の匂いはしないまでも、どこかごみごみしていたり、当然のようにシェフの顔も見えず、ご一緒した方との会話に温度差があったり。それよりかは食器を洗って水に触れたり、洗濯物を干して太陽の光を感じる。その方が感動的です。その感動を超えたところ。それが僕にとっては歌であり生曲です。恋愛(ときめきと書いた方がよい)もそう。そして、食事もそうなんです。

冒頭にて「宿っているかどうか」と書きました。何をすればよいか、ではなく。どう過ごしてゆくか、ということです。お薦めのお店に行って美味しいものを食べる、それもよいかもしれませんけど。でもそれだと「何」「what」ですよね。お金を払って時間を使って舌や胃袋、視覚も味覚も使う訳です。でも、それを求めてもどこか、「そんなんじゃないんだよ」と違和感を感じてしまいませんか?

先日の呟きでこういう感じのセンテンスがありました。「働き方改革じゃなくて、過ごし方改革なんじゃないの?!」です。よく聞く「働き方改革」 でも、むしろ「過ごし方」を変えていかないと、「働き方改革」は形骸化してしまうんじゃないの? ということです。働き方をいくら変えたからといって、本来のその人の過ごしたい生活というものは、働き方からではなく、過ごし方から変えていった方が自然だと思うんです。

リアリティー。形骸化されたものからリアリティーは生まれませんよね。
リアリティー。今回お届けする作品「ため息風味」 何のためというものでもなく。過ごしの中から沸々と溢れてきた詩曲です。二十年も前の僕の叫びは、それがリアルであるが故に、今聴いても説得力があります。「何?」ではなく「どう?」 お相手は、世界ブルー あおきまさと がお送り致しました。いつもありがとうございます。2018.5.28 22:59

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旅先でメロディーが浮かぶ面白さってあります。知らない街を歩くと今まで自分が持っていない五感を使いますよね。だからでしょう。思いも寄らないメロディーが浮かぶのですね。

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五感はそれぞれが繋がっていると感じるのは、眺める風景から浮かぶメロディーを聴いた時です。例えば、今回お届けする「グエル公園(Park Guell)」。スペインはバルセロナにあるガウディー設計とされるグエル公園。ここで眺めた風景が言葉となりメロディーとなった作品です。視覚から聴覚へ。

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逆にこの「グエル公園」というメロディーを流したとします。すると思い浮かべるのは、やはりグエル公園やそこから一望できるバルセロナの街なのです。聴覚から視覚へ。

一方で作詞というものは、五感ではないものの聴覚から得た映像を言葉にする行為でもあります。知覚。感情を言葉にしたり、思考が言葉になったり、作品にもよって言葉の成り立ち、経緯は異なりますが、メロディーに言葉を付ける行為において、メロディーから得る映像に大きく頼ることが多いです。その分、メロディーそのものがいかに強い映像を生み出すか、ということも大切なのです。強いメロディーというのは鮮明な映像を映し出したり、劇的な感情を想起させたりするのです。

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旅先での楽しみは、五感の刺激です。特に視覚。これは一口に書けませんが観光(sight-seeing)に当たります。そして、僕にとってもう一つの楽しみ、それは味覚です。僕が食べ物で好き嫌いがないのは旅のお陰だと感じています。旅先で食べた料理の美味しさを日常に持ち帰って、普段の食事においても旅先での感覚を反芻してしまうのです。

味覚からメロディーが浮かぶこともありますね。触覚しかりです。嗅覚もそう。つまるところ、すべての感覚は繋がっていて、呼応しているんですね。

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皆さんにとって、思い出深い風景はどんなものでしょう。是非、教えてください。今回は、作品「グエル公園」が生まれた1997年11月29日のバルセロナ、グエル公園。そこで撮影した写真を公開します。もう20年以上も前に眺めた風景なのに。今でも眩しい光が降り注いで来ますよ。

皆さんは、今、何が見えますか? 何を見てみたいですか? そして、何を見ていますか?

今夜はこの辺で。おやすみなさい。

世界ブルー あおきまさと

2018.5.23 21:34

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世の中が面白くない、と漏らす方々がいる。毎日がつまらない、と。でも、どうだろう。毎日の生活を面白くするのも世の中をもっとよくするのも、あなたにかかっている。自分から面白く、というよりも自らが楽しんでしまえば、「世の中最高!」「毎日が楽しくてたまらない!」なんて言ってのけちゃうあなたがいるはずだ。つまりはあなた次第だ、ということ。

果たして。「面白い」とか「楽しい」の基準値を世の中や他人に求めてしまっているのでは? 自分で基準を作ってしまえばいいのに、と思う。例えば誰もがやったことのないこと、誰もが面白いと感じ得ないもの、興味持たないようなこと、、、それらさえもあなたが「面白い! やってみよう!」と自ら進んで手掛けてみてはいかがだろう。

『新入社員に呟き 下半期』はそんな作品である。これまでも、そして、これからも、誰もが創ってみよう!なんて思わない世界観だと自負している。さらにこの作品は僕が人生のレールを外れて、本気で創った意欲作なのである。そこが肝だ。つまり、、、無駄と思われるようなことでも自分自身が「面白い!」と感じるのであれば、それを本気で手掛ける、そこに意味が出て来る。僕はそう思いますよ。

『新入社員の呟き 下半期』の一曲目は「トキメキカラフル」。暗い楽曲なのかコメディーなのか自虐なのかロマンスなのか、、、そんな分別の付きにくい作品だと思う。世の中は。そんなにはっきりと白黒つかないでしょ? 単色で彩られる程、人の感情も、人が生み出すメロディーも単純ではないんです。

序章にして本題作である「トキメキカラフル」。溜息が自然と洩れるボーカルを聴いてみて欲しい。歌おうとするのではなく、呟き。そう。呟きが歌になった作品。無駄と思われる作品であっても、とりようによっては、メロディーや言葉、歌い方、編曲構成、音色等から人生における脱力感、感情風景、癒し、生きるエッセンスを感じて貰えるんじゃないか、と期待してしまうのです。2018.5.16. 21:12

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この度、「品川カオス」のフルサイズ音源をWeb配信スタートしました。既に曲集『下井草カラス』からは「再見(またな)」「僕はドロ〜ン」「Misery〜失われた旋律〜」を公開しているんですが、『下井草カラス』というコンセプトの中核を成す楽曲「品川カオス」も皆様に聴いて頂こう、と思った次第です。「壊れているのは、僕だろうか、社会だろうか、世界だろうか。そんな都会のカオスの中でこれからもさまよい続けていくんだ。」という二十代前半の僕の呟きは作為的ではなく、実録です。実話だからこそ説得力は増します。

僕は新入社員時代、大井町まで通勤で通っていました。毎晩のように終電で帰っていた頃、足には魚の目ができるし、コンビニ弁当でお腹は膨れているし、電話はひっきりなしに鳴るし、そんな日常において、大井町から品川駅で乗り換える訳ですが、品川駅のホームさえも終電がなくなって真っ暗になった光景はぞっとしたものです。朝は朝で憤った通勤客が多く、夜は夜でどこか廃れている。そんな「るつぼ」。カオスだな〜と感じた訳です。それが「品川カオス」です。

作詞作曲年を見ると19990105とあります。この日は冬休みの最終日だったかと思います。この冬休み、僕はシンガポールとマレーシアへ元彼女に会いに行ったのです。それが望みでもあり、それは彼女にとってもそうだったかと思います。二人して冬休みに会う、ということが希望であり、救いだったのです。彼の地もカオスでした。きっとそれは年越しのゲイ・パーティーに参加したことが大きいかもしれませんし、マレーシアからシンガポールへの国境で止められたり、クアラルンプールの屋台の中華や、そういった一連の過ごしの中で水にあたって、年始からはずっと胃腸に虫を飼っている感覚で熱に汗に脱水症状に、と、そういった状況、状態がカオスでした。彼女との抱擁もどこか遠ざけたくなるくらいの健康状態でした(その時に生まれた作品が「銀色の天使」「Girlish Memorandom」です)。結局そんな状態はシンガポールに帰って無機質な電車に乗る時、さらに空港でお別れする時まで続くのです。あれが彼女との最後だったのだ、と今さら感慨深いものがあります。1月5日は帰国した日だったかもしれませんし、帰国した翌日だったかもしれません。

会社勤めで感じていた品川駅のホームの暗闇や僕の心の中に棲む疲弊感、そしてシンガポール・マレーシアの旅行で受けたカオス(病状)などが混ざり合ってできたのが「品川カオス」なのだと思います。結局、その後2月末までその病状はさらに悪化し帯状疱疹を招いて、体の中に虫がいる感覚も持ち合わせていくことになります。その時に生まれたのが「皆既月食」ならぬ「蛔飢月蝕」です。そういった蝕まれた感覚、それは国で言えば土地の侵略、浸食に値するものなのですが、そんな感覚を集めたのが『下井草カラス』というアルバム=初期衝動作品なのです。そして、「品川カオス」という作品はこの『下井草カラス』のテーマといっても差し支えのないのです。2018.5.8 20:45

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『はいから三寸気分』全7曲から成る曲集のラスト・ソング「ろまんちずむ」。思えば1曲目の「春風色町」で吹いた突風が僕らを異次元へ誘い、「禁色の人」から物語の筋が語られる。起承転結の転「枝垂れ柳」はどこか現代を想起させ、結の「ろまんちずむ」ではうっすらと現実に戻った「僕」が一人、君を思い歌うのだ。『はいから三寸気分』は順番に聴いて欲しいコンセプチュアル作品なのです。2018.5.2 21:30

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「ああ〜、そう。てっきり、あなたに奥さんがいるのかと思って。」
「いえ、僕は独身なんですよ。」
「え? じゃあ、毎朝、ここで規則正しく。それもあなた?」
「はい。そうなんですよ。ここでお湯沸かしたり、料理したり。」
「ごはんも?」
「はい。毎朝ご飯も炊いています。」
「ああ〜、そう。てっきりあなたに奥さんがいて、奥さんが毎朝規則正しく。素晴らしい奥さんをあなたはお持ちだな〜って。ああ〜、そう〜。」
「いや〜。一人なんですよ〜。」
「あなたは35歳くらい? そこまではいってないかな?」
「いや〜、もう43になるんですよ〜。」
「ああ〜、そう〜。毎朝、元気だな〜と思ってて。そういえば、あなたしか見たことなくって。勝手に勘違いして。いや、これはすまない。」
「いえいえ。」
「ああ〜、そう〜。」

という会話は10分前くらいの隣人の老紳士との会話である。

最後に。

「まぁ、いずれ僕もそんな素晴らしい妻をここに迎え入れますから。」
と言って、お互いおやすみを行って、分かれる。

今の僕の気分は軽やかである。今夜はぶどうヶ丘へも行って来た。やりたい。いきたい。したい。そう感じた時に旬の気持ちに素直に沿って行動したいものである。

僕達人類は、自然に逆らうことは出来ない。素直に。自然に。そんなリラックスしたありのままの状態で、過ごしていきたいものである。

当曲は1999年に完成したDEMO音源がある。「サララ」「フレアイフラダンス」と並んで、「奥さん」も牧歌だ。

今、音楽配信(ダウンロード可)を進めている。それが整った時点で無力ダウンロードも整えていこうと思っている。当音源は無料スペースに格納しようと思う。

みんなは人生楽しんでいるかい? 今、動かないと。もう後はないよ。そんなこと誰も教えてくれず、ただただ自身を信じて行動していくか、そんな勇気があるか、そこが人生の分かれ道。2018.04.27 23:48

常々、生活も人生ももっと自分らしくと思っている。周りから見れば充分「青木君らしい」生き方をしているのかもしれないけれど、どこか抑制していて、それが故にどこか踏み出せていないんじゃないか、と。

「そうか。やりたいようにやれば、いいんじゃないか?20180420 12:42」

そこを強く思い始めていて。思うだけじゃ何も始まらないから、動いてみることにした。恐れずに。

まだ、どうなってゆくのか分からないけれど。でも、真剣に突き詰めていくと自分の存在そのものが浮き彫りにされてゆくのを感じる。

毎日を懸命に過ごす。大切に過ごす。それだけで随分、夢が近づいてくる。夢って自然と手繰り寄せるものかもしれない。僕は今、ほんっとに何年ぶりだろう。風景が見える。世界ブルーという風景が。あ〜、そういうことしたかったんだよな〜。って。

「みなさまへ
人生、ほんとに何が起こるか分かりません。
踏み出す勇気。踏み外す勇気。」

一つ一つ。ひとつひとつ。ね。

2018.4.24 22:35

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1999年に制作した『はいから三寸気分』は僕にとって打ち込み(当時はYAMAHA QY700)音源による制作の最終章でした。「Misery 〜失われた旋律〜」や「品川カオス」(どちらも『下井草カラス』収録)を皮切りに、大御所作品の『Taste One』(「色恋沙汰サティスファクション」「X'mas Judgement」「Challenger」「成功物語」「もうこれ以上」「雨遊び 組曲」)、『おしっこのわな』、『新入社員の呟き 下半期』を経て、『はいから三寸気分』へ至ったのです。

世界ブルーのアルバム一覧:http://sekaiblue.com/discography_list.php

1999年3月から始まった創作生活(無職生活)も半年が経った頃、前作まででいろいろ模索・冒険してきた結果、『はいから三寸気分』はある意味、達観した作品かもしれません。ドラム、ベース、ピアノ、ソロ・ギター、+@でストリングスやオルガンといった基本的なバンドスタイルの音色のみで構成し、いかに音色や音数を絞るか、という方向に向かいました。シンプルでいいんじゃないか?と。

僕の中では何故だか「平安・室町・江戸時代の絵巻物」というサブ・テーマがありました。その感覚はボーカル・エフェクトに繋がっていきます。声にフィルターをかけることで、どこか現実的ではない、架空の世界。歌い手=詠み人は情景を眺め、さらっとふわっと感じたことを詠います。それがこの『はいから三寸気分』なんですね。

和ものよろしく『はいから三寸気分』は起承転結をも意識しています。起「春風色町」、承「禁色の人」「琴の音を聞く」「金色夢枕」「お入りよ」、転「枝垂れ柳」、結「ろまんちずむ」。本作「お入りよ」は承の最後でクライマックス。

ボーカル・スタイルにも特徴があるかと思います。まず、ゆる過ぎる。力抜け過ぎ。さらに歌声に緩やかなピッチベンドがかかっている(ウニュイーン、っていう具合の声の出し方)。さらには結構低音ボーカル。「お入りよ」は特にそう。

サビのフレーズが、じわじわっと癒されます。自分で。やさしい気持ちになって。淡い想いがよぎります。詠み人。やさしく語り掛ける。ゆる過ぎる歌声。淡い想い。はいから三寸気分を秘めて。2018.4.17 21:10


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こんばんは。あおきまさとです。
このところは「奥底から」という想いで過ごしています。
「当たり前のこと」をして過ごす。例えば「ひとつひとつやるっきゃない。一つ一つ積み上げてゆく」2018.4.7 16:18 という意識。「全身全霊で」という意識。

アルゼンチン・タンゴ。一年以上続いています。そこで教わるエッセンスの中で「足裏から」というものがあります。タンゴはよく「歩くこと」と言われ方もします。その「歩くこと」において「足裏から」。「歩くこと」を「生きること」に置き換えると「足裏から」「生きる」ことになり、それを毎日の一時間以上の徒歩において意識していると、「奥底から」という感覚が芽生えます。

「奥底から」という感覚を見つめてゆくと、「家族」の顔が思い出されます。そして自身のアイデンティティーである「メロディー」と共に生きているんだ、という気付きがあります。

今回お届けする「Dramatic Train」がようやく約二十年の歳月を巡ってほぼ完成に近い形となりました。今日は母親とフィギア・スケートを観に行ったのですが、そこで観るフィギア・スケーター達の懸命な姿を見ることができ、刺激を受けました。そして、彼らが日々鍛錬しているように、僕も僕自身の世界ブルーという道のりをしっかりと歩まなければ、と。よりもがきたい。そして、それ以上に何よりも楽しむという初心。むしろ、楽しみも苦しみもすべて含んでいるからこそ、生き甲斐となるのです。

好きなことで悩めるのはとっても幸せです。作詞作曲というものは孤独な時間であり、僕は人生の大半をそうやって過ごして来た訳ですが、まだまだもっと奥底へ入り込んでいきます。

世界ブルー あおきまさと
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アルバム『Sin Rumbo』収録予定の作品です。タイトルはまだ付けていません。
僕はアルゼンチン・タンゴを。習っていると書くのも、やっていると書くのもふさわしくなく。触れているという言葉ならば少し近いかもしれないです。「音楽」もそうですが、「タンゴ」も一言で表せません。

タンゴと出逢って「人生」に膨らみを感じています。それは決して「踊る」ことからだけに膨らみを感じるのではなく、僕が通わせて頂いている四谷シンルンボというお店で出逢った「人生」のエッセンス、特にマリオン先生、フリアン先生、R子さん達から脈々と伝わって来る、でもまだまだ掴み切れない、到底掴み切れないかもしれない根底にあるコラソン。これまで描いてきた、もがいてきた、純粋に夢を追ってきた世界ブルーというメロディー達。お店に出入りする方々の振る舞いから感じ得る様々な粋や洒落、気遣いや。フロアでご一緒させて頂く相手の息遣い、、、タンゴもしくは四谷シンルンボを通して感じ得るすべてが、まるで狂想曲であり、魔物であり、オアシスである。

人生はまだ続くし、続きたいとも思う。だから、何をどう、というものではないのだけど、ここで一区切りさせて頂くことにしました。特に何をどう、ということではないのだけど。きっとそれは冬から春にかけて、この季節の巡りのせいでしょう。自然から、家族・親族から、懇意にさせて頂いている方々からの恩恵を受けて、今、生きることができている、そういった感謝の念を、より僕らしく、より内側と外側に向けて世界ブルーを描き放っていきたいです。

今まで出会った皆様、ありがとうございました。そして、またお会いする皆様、これまで通り、よろしくお願い申し上げます。ほんとに大袈裟なことではないんだけど。今、そういう気持ちでいっぱいです。2018年4月1日 夜

世界ブルー あおきまさと
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メールアドレス:sekaiblue@hotmail.com (あおきまさと宛)


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「Soft & Wet」を歌ってきた。違和感なく収まってしまった。メロディーというのは不思議なもので、言葉がいかに粗くても稚拙であっても、メロディーが付くと、「なるほど、そうなのか。」と納得がゆく。それはきっと、言葉とメロディーが合わさって一つの世界観や空気感が生まれるからだろう。

それに歌声というものがある。声という楽器が入ることで言葉もメロディーも肉感が増して、説得力が出てくる。

人生と一緒かもしれない。不完全な生き物同士が繋がって物事を進めていく。不完全な言葉、不完全なメロディー、不完全なアンサンブル、不完全な歌声などなどが、絡み合ったり、溶け合ったり、時にはぶつかったり、弾けて壊れてみたり。

僕は高校時代、男声合唱部に所属していた。それもあってか、女声合唱や混声に憧れる節もあった。特に男性には到底出せない音域であるソプラノ。その歌声の響き。好き。

そういえば。とある場所で。僕は毎朝挨拶を欠かさないのだが、その声がとても響いてくる、柔らかい、癒される、空気が和む、声が綺麗などなどと褒められ驚いた。声は歌だけではない。挨拶も声だ。僕はただただ周囲全体の気や空気をよくしたい一心で声に込めて挨拶するようにしているだけだ。そういうお声を頂くことができて、ちゃんと届いてくれているんだな、と感じる。

まったく別のシーン。電車を降りる時に「すみません、降ります。ありがとうございます。」と心を込めて丁寧に言うと、みなさんちゃんと退けてくれる。ちゃんと伝えればちゃんと伝わるんだ、と今日の荻窪駅で感じたこと。その時にね。言葉面(づら)じゃないと思うんだ。台詞じゃないんだ。心なんだ。上のセンテンスは「降りまーす。すみませんね〜。はい〜。」でもいいのだ。どういう言葉を発するかよりもどういう心で発するかなのだ。

だから、歌詞もそうかもしれない。作詞をしていて心掛けているのは、歌う人にとって心が込めたくなるような言葉足り得るか、ということ。そして歌う立場になったら、すでにある言葉(歌詞)をどう歌い込むか、どう歌声を響かせるか、心を伝えるか。

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1994年6月4日の多重録音では、この曲の後に「空飛ぶ(大空は)イリュージョン」が繋がって弾き語られている。「ソプラノの君に、、、」 ソプラノというのは響きが天に伸びてゆくもの。そんな歌声が空を飛ぶ。それがイリュージョン♪

いつも読んでくれてありがとう。2018.3.28 22:40

世界ブルー あおきまさと
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「どうにかなってしまいそう」

「Soft & Wet」というメロディーが急激に脳内を巡る。

歌詞をご覧頂いても分かるように、当時の僕はまだ女性を知らなかった。少年であり、女性に対して夢見がちだったのだ。「知る」と「知らない」とではまったく異なる。かといって、「知らない」からこそ想い巡らすことがある。思い馳せることがある。

1994年5月29日録音の音源を聴いてみる。自分でさえも恥ずかしい。弾けもしないピアノと複数のファルセットボイス。

今だったら、僕はどう歌うだろう。そのために今回この恥ずかしい歌詞を公開する。

19歳の僕と43歳の僕との遭遇。世代を超えた感受性の交錯を味わいたい。19歳の僕が放つ恥ずかしい姿、さらけ出す勢いや勇気を見習いたい。逃げも隠れもしない若さ。そして、今の僕だからできることもある。その絡みを味わいたい。

春である。桜咲く夜の遊歩道を歩いてみる。僕は呟く。「どうにかなってしまいそう」

でも、答えて上げたい。「君はもう どうにかなっている」

いつも駄文を読んでくれてありがとう。また、命ある限り。2018.3.28 21:52

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仲間達との曲集『FELLOWS』収録予定。今回の「彼方へ」は2002年のクリスマスイベントのリハ中に息抜きでセッションした即興作品。ギターにわっきーさん。パーカッションに悟さん。キーボードとボーカルにあおき。途中からえばやんがドラム参加。

音源も完成度は高くないし、歌も歌詞がない叫び。が故に、こういった空気感は創り込もうとすると出ないな〜、と感じる。今、考えているのは有料の楽曲配信を遂行していくとともに、無料の楽曲配信もスタートしたい。本作「彼方へ」のようなセッション音源のように、未完成ながらも空気を沢山含んだ音像も伝えたい。例えば1曲ご購入した方に1曲プレゼント☆とか。50曲購入したらもう50曲は無料で手に入る。など。

作詞はまだ中途段階。通勤歌詞練り用として公開する。

ちなみに『FELLOWS』には今のところ、1999年夏に中学高校時代の友人二人と越後湯沢の避暑地で制作した「Resort Complex」「Lovely Tenderness」「三角形の歌」。イノウエタカヒトさんとの共作「感情飛ばして」「歩き続ける」「空見たさに」を考えている。さらにアダツとの共作や中学時代の友人との数曲が入るかもしれない。

また今回の「彼方へ」と同日、「パーティーは終わらない」も即興録音された。当時は「Hot Shooty Panty」というタイトルであった。

それから。そろそろ自力での作詞には限界があるので、未完成の音源を掲載して作詞募集も掲げたい思っている。どんどん手放していきたい。その第一弾として「彼女、音楽、愛してる」を!と思ったら、、、先程公開したように自力で整えてしまった。

今夜はこの辺で。2018.3.27 22:41

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昨年の7月から作詞活動を「ア行」から再開して、今、ようやく「カ行」の途上にある。元々は「彼女、音楽、レモンウォーター」もしくは「トランジスタースマイル レモンウォーター」というタイトルを分かり易く「彼女、音楽、愛してる」としてみた。

そういえば、僕の学生時代の手帳には順序は定かではないけれど、「女性、音楽、旅」と書かれたページがあったことを記憶する。つまるところ、僕の欲求はその三つに向けられていた、ということかと思う。あれから二十数年経って今は「歌、ヨガ、タンゴ」と随分と変容した。変容したようであまり、変わっていないかもしれないが。。

多分だけど、二十歳前後の頃は「外」に求めていたものが大きかったのだと思う。女性を識ることの甘美(苦味だったりもするけれど)そのものがインスピレーションだった。「私はあなたにとってのネタなの?」なんて言われたことはないけれど、若い男子にとって、「女性」は未知なる世界の宝庫なんじゃないか?

音楽も当時は創るよりも聴く側だった。好みは中学時代からほぼ決まっていたけれど(中学時代からビートルズ、アバ、イーグルス、ビージーズを四天王と位置付けていた。勿論、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズやビリー・ジョエル、ワムを含めて、所謂ポップス、所謂メロディアスなロックやポップス。つまるところ、popular musicが好きだった)、それでもまだ「外」に求めていた。

旅もそう。今のように「日常が旅」という感覚は「内」から来るものでしょ? 当時はもう「外」「別世界」そこに羽ばたく自分、飛び立つ自分がいたと思う。

と、話は飛躍したけれど。今回の「彼女、音楽、愛してる」は今のところ『プーリズム』に収録したいと思っている。『プーリズム』というのはロスト・ジェネレーションであり、率先してフリーター(というか無職、ニート、家事手伝い)の道をメロディーのために突き進んだ青木青年の心の在り様=リズムである。春には春の妄想が。もやもやした生温い(なまぬるい)陽気を悶々と過ごす。

あの頃に比べたら、今の僕は「人生の有限」に焦っている分、それでもしっかりと足裏から膝、骨盤の足全体で地を踏みしめて毎日を、人生を歩いている。それは素晴らしいことなんじゃないか、と思うのね。

終活。今の僕はまさに人生を全うすることしか考えていない。出せるものは出す。生み出してきたものをただただ出す。それが僕、あおきまさとの存在の証。ありがとう。2018.3.27 21:15

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自分自身で在りたいと思う。が、ために、毎日を過ごすよね。そうなると苦しくなる。「これが自分だ」というところで生きている瞬間の喜びを味わえば味わう程、そうでない時はもう僕ではなくなっている。完全に抜け殻だ。それでも世の中に順応しようと必死だ。世間に馴染むのに必死なのだ。

今日の僕の呟き。「春だから苦しいのか 僕だから苦しいのか」 2018.3.26 18:50

たぶん、どちらもだろう。その苦しさから逃れるためには、努力しなければならない。一方で力を抜いてみたり。色々試してみる。ゴミを早めに捨てに行ったり、食器を洗ったり、明日の準備をしたり。ご飯を炊いたり、夜も美味しい緑茶を淹れてみたり、食べ終わった後に近くの公園まで足を伸ばして夜桜を観に行ったり。

帰りがけに聴いたマイ・メロディー。ほぼ出来上がっていた歌詞を歌い始めてみた。
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今回掲載する「彼方よ」は高校一年生の頃のメロディーかと思う。当初は「彼女は」というタイトルで。2008年末にとある女子に楽曲提供を求められた時にデモ音源を作った際に「家族よ」に変更。震災の影響もあってテーマが「家族」と「地球」が混在し。そして、今夜、歌っていたら「彼方よ」になって、とってもシンプルにテーマは「空」になった。画像は今夜書き連ねた僕の作詞の模様。

中学高校時代は埼京線や東北・高崎線で毎日通学していて、車両から遠く空ばかり眺めていた。その時のなんとも言えない情景をメロディーにしたのが当作品だ。だから、巡り巡ってテーマが空になったのは、やっぱり必然なのかな。「彼女」「家族」「地球」という普遍性を通り過ぎて「空」に行き着いた。もうちょっと歌い回して人様の前に出しても恥ずかしくないくらい、歌えるくらいの歌詞に仕上げたいと感じる、今。

2018.3.26 22:22

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真面目なことを書いてしまおうかと思います。
僕のような者が書いても説得力がないのは承知の上なのですが。
表現する者としては、やはり対面(体面)、つまり生で伝えるということが一番の喜びとなります。一方で、そこでは表現しきれないものを形として残しておきたい、という欲求もある訳です。僕はそれを「創作」と呼んでいますが、そもそも「表現」も「創作」も、そして、今の時代でいうところのWebによる「発信」も同一なのです。

「創作」「表現」「発信」の三位一体。という意識を持ってこのSekaiblue Airlinesを運営しています。が、その意識そのものも無理がありますよね。行為としては別々であっても、その行為をする「僕」は生身の同じ人間で、さらに最終的には同一、と捉えている訳ですから。

今回、「春風色町」に続いて〜平安室町江戸時代の原風景絵巻物を描いた曲集『はいから三寸気分』より2曲目の「禁色の人」の音楽配信をさせて頂きました。作詞作曲年を見る限りちょうど二十年前のものとなります。この数年間、特に2010年、2011年頃からでしょうか。日本における、もしくは東京における時代のテーマは「今」であり、「ありのまま」であり、「気付き」であったりします。分かりません。僕は時事に疎いので、僕の勝手な感覚かもしれません。もしかしたら日本や東京に限定されるものではなく、情報の伝播力を鑑みると世界共通のテーマになっているのかもしれません。

これらテーマは「なるほど」と思わせてくれる言葉かもしれませんし、「そうだよね」と感じ得るものだと思います。でも、だからといって、そこで僕が、皆さんが、世間が、世の中が解決できる程の力は持っていない気がしています。つまり、感覚や意識だけでは成り立たないことの方が多いのです。

例えば「今に生きる」ことは大切です。一瞬一瞬を大切にする。でも、過去も未来も大切だと思いますよ。この数年間の時流は「今」に固執し過ぎている気がしています。僕は違和感を感じますね。それよりもこれまでの足跡である過去を振り返り反省したり、ほくそ笑んだり、懐かしんだり。そういったボケ〜っとした時間も大切にしたい。さらに、未来へ向けての夢を四十路である僕でさえまだまだ語りたいんですよね。「創作」「表現」「発信」同様に「過去」「現在」「未来」も結局は同一なのですが、もし分けるとするならば、「現在(今)」は過去であり未来である訳ですよ。繋がっている訳だから。なので、過去に感謝して生きていれば今にも感謝して生きていけるのです。

今、とっても暖かい昼下がりを迎えています。これから桜の木の下で本でも読もうかと思っています。青空の下、桜を愛でることができるなんて、なかなか一年でそうそうありません。毎年春はやって来るんですがね。僕にとっては世界ブルーの下で世界ピンクといったところです。その色具合が好きですね。

「禁色の人」 この作品はメモ帳における言葉にメロディーを付けたものかと思われます。大学四年生の時のメモに新入社員一年目の僕がメロディーを添えた、ということになります。このような作品はやはり今は作れない訳ですね。形として残っているから振り返ることができるものもある。そして、また蘇る感覚もありますね。

つまり、一つ一つ大切に。丁寧に過ごしていくことで、過去も今も未来も喜ばしいものになる、ということを皆様にお伝えしたかったのです。2018.3.25 14:14

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颯爽と吹く春風。春になると動植物は活発に動き出す。そして、僕達人類も動き出すのだ。生命の理は解かれなくても体が知っている。

色。音。匂い。冬から春にかけての変化は著しい。すべてにおいて昂る。自然界がそうなのだから、僕達人類もやはり気分が高揚するのは自然だし、浮き足立ったりして心も体も変調をきたす。

この度「春風色町」を発表した。曲集『はいから三寸気分』の出だしの一曲目である。突然春がやってくる。春風から始まるオープニングにふさわしい一曲だ。作った当時、何故だか「平安室町江戸時代の原風景絵巻物」というサブタイトルを付けた。何故、それらの時代を浮かべてみたのか、不思議さえある。『 A Picture Scroll, High Color!!』 (New Japanese Old-Fashioned???)という英訳もどこかぎこちないけれど、後に「High Color Era in Japan」と銘打ったのは悪くない。上述の春の高揚感を言い当てていてふさわしい。

「春風色町」は人生初のライブ・ステージにおいてギター弾き語りでかき鳴らしたことがある。当時出来立てほやほやのこの作品を会場全体にめがけてうねるように叫び歌ったのだ。

今回この「春風色町」を公開できたことは至極嬉しい。というのも、生涯お蔵入りになるだろう、と感じていたからだ。Web上で試聴音源だけは置いていたものの、フルサイズ音源を手に取って頂ける状態にできて、ほっとしている。

実は僕はやりたいことがある。そのために最近、音楽配信を再開した。そのやりたいことっていうは、僕の知る限りでは、未だ世界中で誰もやっていない画期的なことなんだよね。もしかしたら、人様からしたら、そんなに画期的ではないかもしれない。面白くもないかもしれないんだけど。少なくとも、僕にとっては生き甲斐を強めていくための行いだ。このことはもうちょっと心も頭も生活も整理できた頃に、ゆっくりと書きたいと思う。

何はともあれ、そんな「生き甲斐を強めていく」ための一つのアクションとして「春風色町」を発表してみた。皮肉なことに窓の外を見たら、春分の日というのに雪が降っている。それでも季節が巡ることには変わりない。必ず春はやって来る。春。はいから三寸気分を携えて。春風色町に添えて。2018.3.21 15:15

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世界ブルーにしては良心的なアルバム作品かと思われるんです。『はいから三寸気分』って。『from here on』にしても『繊細』にしても、野望というか野心を持って(こだわり、という意味です)作っていたのに対して、この『はいから三寸気分』は1999年当時、7月末に大御所として『Taste One』、8月にPee-Tropsとして『おしっこのわな』、9月にはあおきまさと初のソロ『新入社員の呟き 下半期』と、癖だらけの作品完成後に着手したもの。真面目に楽曲風景を打ち込みのみ、かつ、基本的なDrums、Bass、Guitar、Piano、Stringsというライブで実現できる編成を意識してシミュレーションという形で作ったんですね。

制作は優等生・模範生なのですが、作詞作曲となると異なります。ほぼ遊びです。言葉遊び。それは歌詞をご覧頂ければ納得して下さるでしょう。春から連想される欲情をさらっと描写した一品。

世界ブルーのアルバム一覧:http://sekaiblue.com/discography_list.php

この「春風色町」はアルバムのオープニングを飾る曲で、颯爽とした春風そのものであります。その風が遠くに去っていった時、映像は次の曲「禁色の人」を映し出すのです。2014.4.29記載


世紀末を長々と謳い上げた、あおきまさと二十歳(大学二年生時)の意欲作が初のフルサイズで登場です。大学四年生時に卒業論文の代わりに制作したVEKTOL SIX Radio Stationに収録し、一躍あおき個人の友人・知人の間で話題になりすぎ、聴いた皆さんの反応が「僕はドロ〜ン」に偏ったことを懸念し、以降、封印していた「僕はドロ〜ン」でしたが、この度、めでたくワールドワイドに音楽配信を開始しました。

この作品は、なんとカセット4トラック録音。それをテープスピードなどを調整しつつ丁寧にパソコンに取り入れ再編集し、エフェクトとパンでバランスを整え上げた、なにげに手間暇かけた作品なのです。


皆さん、お気付きだろうか。この度、音楽配信をre-startした青木の決意表明を。それは言葉ではなく、あくまでもメロディーで。作品で。歌声で。そして今後の活動で。発信で示していきたいと思っている。

と、そんなに大袈裟なことではない。今、とっても生活が充実しているし、お金も幸せも自分の中にちゃんとある。そう。あおき自身、もっと面白い生活をしたい。楽しみたい。そういう自身に対しての攻めの姿勢。その一つの現れとしての音楽配信なのです。特に各曲のジャケット(?)に目を向けて欲しい。とってもシンプルでしょ? 売る気あんの?と突っ込まれそう(笑)

そう。初心に戻って。動画でもなくデザインでもなく。あくまでもメロディー。歌。僕の最もやりたいことはそこ。それだけでいい。人生は有限で、そもそもあおきは自身のメロディーを聴いて欲しいんだよ。ヘッドフォンやイヤフォンでフルサイズでね。動画を作ったりジャケット作っていたら日が暮れちゃうんです。人生終わっちゃうんです。

今回の音楽配信という手法は、テクニックでもなく戦略でもなく、ただただあおき本人がごく自然に、幸せに過ごしていくための、満足ゆく「形」なのです。

いつも読んでくれて、ありがとう。2018.3.5 21:19

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In this week, "再見(C-Ya!)" releases, here.
You can check my song(sound & voice) the following Music Store.

Every time, I think back to my several days. Especially, this song inspired from Bemidji Days. Bemidji? This unique name is a name of town in Minnesota State. I stayed as a student for one year over there. That challenging(for me) became experience. This was what I wanted & I could catch important things, will be Sekai Blue.

In this time, this "再見(C-Ya!)" is released from Sekai Blue Label.
Many experience would be Sekai Blue, and Sekai Blue will produce many songs(works). "aokimasato" love this cycle which is his rhythm, his life.

My Message? Smile & GO (ahaha). Life is not so easy. However, if you can take something feeling from this song, you will know life is kind of easy. Now, you understand how nice "easy-going" is.

Please Enjoy♪ C-Ya! 2018.3.2

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何もないところから動き出すのはとってもシンプルで、それは例えば部屋を片付けてから作業したり創作に耽ったりすると集中できるのと似ている。逆に積み重ねてきたことを大切に含みつつ受け取りつつ動き出すのはとっても重い。自分という乗り物自体が重くなってしまうみたいに。ひとつの動きをするにつき、これまでの動きに修正を加え、そこに新たな動きを乗せて、さらに全体の動きをまとめ上げるといった、ゼロからスタートするのに比べて3〜4倍の動きが必要になって来る。

時間がたっぷりある時はお金がなく、金銭的に余裕が出て来た頃には時間がなく、というケースは多い。そうこうしているうちに体が故障したり容易に動かなくなっていき、歳をとっていくと、それまで構想していた像を形にすることを諦めてしまう人って多いんじゃないかな?

僕は諦めない。むしろ自分を鼓舞する上でもこうやって想いを公開している。自分自身が逃げ出さないように。

逆転の発想というものがあって。例えばお金がない時はどんどんお金を使う。時間がない時はどんどん時間を使う。今年度はまさにそれだ。やりたいことが沢山ある今、耐える時でもあるんだけど、「こう在りたいな」という想いだけはしっかりと秘めつつ、あとは淡々とこなし、着々とこなし、燃え盛っている情熱をいつでも全開に出し切ることができるように、常に本番の状態に心も体も準備しておく。

昨晩、家路へ向かう中で、冷たい風が首元から頬にかけて吹き付けてきたんだけど、どこかその冷たさは春の風であった。凍てついた僕を孤独感に貶める様なものではなく、希望の芽を含んだすがすがしい風であった。

現状も希望も投げ出したくなる時は誰だってあるはず。でも、しっかりとやることやっていれば、いいことも出て来るし、また一つ二つと人生に味わいや広がりが出て来ることは経験値として分かっている。今は耐え忍ぶ時期。大切な想いを胸に秘め、今日もひとつ、「忘れない」の最後の部分のフレーズの歌詞。まだ未公開であったことが分かり、ここに掲載する。これもひとつの想い、そして、冒頭で述べた、これからの大きな動きに通じてゆく。2018.2.25 11:22

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「私にとって、青木さんは元気の源」
そんなお声を頂くだけでも有難い日常ですわよ。というのも僕は常々途方に暮れていると自覚しているので。

朝起きて、舌苔を取って、白湯飲んで、窓開けて、ヨガして、朝の通勤で片鼻呼吸して、変顔して、、、その辺りでようやくスイッチが入る、そこまでしないとなかなか生活が始まらない青木ですわよ。新宿駅に着く頃にはもう「生きること」「生きていること」「死ぬこと」「死んでしまうこと」そんな「生死」についてどっぷり浸って、「ならば!」「まぁ、お仕事、頑張ろうよ。」と自分に言い聞かせてから、気合い入れて、職場で挨拶しています。

エネルギーを放つのってやっぱり常々、自身でエネルギーを創り出していかないとだな〜、と思いますよ。先程の台詞を頂いた後に「元気は、自身で作りだしていかないとぉ!」と相手に言っちゃいましたよ。これは「元気」だけでなくて「楽しみ」もそうでしょうし「幸せ」も「成功」もそうです。「お金」も「時間」も自身で作り出していく心積もりがないと、ですわよ。「自然に」朗らかに過ごせる程世の中(というよりかは集団環境は)甘くはないのでね。

もうひとつ、常々心掛けていることがあるんですよね。それは「ピュア」。純粋になること。もうちょっと具体的に書くと「僕は妖精♪」 そのくらいピュアに。時には濁ったり感情的な作品を生み出す個体ですわよ。一方で十代の気持ちで作詞をしたり、今の紛れもない気持ちを歌に託したり。色んな気持ちで歌うにはピュアになってどんな感情をも受け入れたり、創り出したり。

妖精と言えば。新年からアナスタシア・マトヴィエンコに惚れ惚れしておりましたが、今は断トツでアリーナ・ザギトワ。可愛すぎて美し過ぎます。あれ程美しいとすべてを投げ打ってしまってもいい、って気持ちになりますね。投げ打つ財産を持ち合わせていなくってほっとしてます(少笑)。

実は今週はずっとザギトワを想い起して、仕事しています。通常の男性視点だとただ惚れ惚れするだけなのかもしれませんが、ここだけの秘密というか、過ごし方の秘訣として、自身がザギトワになった気持ちで仕事しています。そうすると美しく、かつ、気高く。背筋も伸びるし、席を立ったり座ったりする時の自身の仕草が優雅でリズミカルに♪ 皆さんも試してみてください。

あんなにしなやかで技術が高くて可愛くて美しい女子がいると分かると、、、やはり僕は女装(自身では女装のつもりではないのですが)は無理だな、四十男が女装して何になるんだろう、というへんてこりんな気持ちになりますね。またまた途方に暮れます。

別に僕は、、、変身願望がある訳ではないんですよ。ただ、曲のイメージを形にするために不器用でもいいから、形にできるところまで形にして発信しているに過ぎません。イメージを伝えたいだけなんですね。

今回お届けするのは「こわい」のパーティー・バージョンです。それを仮に「kowaii」にしておきます。この映像は実は真夏に撮影しました。もう汗びっしょびしょで独り部屋の中で動画撮影を繰り返しましたね。何が僕をあそこまで、、、ここまで、、、駆り立てたんだろう。

この「こわい」は元々は親和性のあるジャズなんですが、このバージョンは、また一段と癖のある歌い方を突き詰めたもの。メロディーを追うのではなくて、メロディーを崩す、という手法。僕の中では今年度のNo.1ボーカルなんです、実は。フルサイズで聴くと、泣いちゃいます。断片的に聴くと意味不明でしょうが。

常にチャレンジしていきたいですね。自身の殻を抜け出そうとして挑戦するのってリスキーだし、誤解も受けること多いと思うんですよ。でも。上述のように「生きること」「生きていること」そして「死んでしまうこと」。それらの狭間を通り過ぎると、何をやっても、いや、むしろ「何をもよい方向に持っていく」 そんなエネルギーを放ちたいですね。そのためには。まずは。今夜もこの辺りでお風呂に入って眠ります。妖精を意識して。いつも読んでくれてありがとう。2018.2.21 23:13

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こんばんは。あおきまさとです。
この頃は随分と大人しく過ごしております。夜の外の楽しみといえばタンゴか担々麺慶。そして内の実りといえば、データの整理や家事命、ゆっくりワイン飲みつつ作詞したり、鍵盤弾き語ったり、そして読書です。

思いの外、自分の時間、一人切りの時間を捻出するのに必死です。睡眠時間を抜かせば平日家で過ごすことが出来るのって2〜3時間。その中で食事をして家事をして、それを終えてから、やりたいことをどんどんやっていくといっても、、、整理作業で終わってしまったり。なかなか、表現や創作、発信にまでは手が伸びません。

さて。そんな日々が今後も数ヶ月続きそう。でも、環境のせいにして何もできなかった、なんて言いたくないな〜、ということで、上述で「大人しく」と書いたんですが実は燃えています。まずは今年度の目標。どれだけ進めることができるか分からないけれど、いつものことなんですが、下記のような作業をどんどんやっていきたいと思っています。

〜発信に係るもの〜
1, 楽曲配信作業
2, YouTube動画編集(ライブ映像中心)
3, Live Gallery Page作成(ライブ映像の貼り付け)
4, Song_Detail Page更新(2017年7月以降のAirlines更新分と映像の貼り付け)

〜データ整理に係るもの〜
1, edirol整理(随時)
2, text保存(twitter, Email memo)
3, blogのtext保存(世界プルーン、Sekaiblue Airlines)(膨大であるため、まずは世界プルーンよりカテゴライズ別に年月日順にテキスト保存)

今の僕の心境ですと、楽曲配信をどうにか整備したいものです。多くの方々に押しつけがましくなく、それでいて興味持ってくれる方にとっては、僕を介す必要もなく、好き勝手にダウンロードできる(むしろ人間関係に左右されずに風通しよく聴きたい人が聴ける)状態、かつ、僕自身もある程度喜ぶ指標を持てるように。複数曲を一括で低価格で手に入れて貰えるようにしたいな〜と思っています。

1曲をダウンロードするために手数料なども支払って貰う、というのは、、、なんとも申し訳ない。こちら側で例えば30曲程用意して、その中で試聴して貰ってから、欲しい曲を手に入れて貰う。翌年また別の30曲を用意して同様に興味持った作品のみ手に入れて貰う。結果的には管理料など考えると大赤字になるんですが(笑)、車を買い替えるとか、家のローンを払う、というしがらみがない今(笑)、自分の好きなことに、さらに共感してくれる人が少しでもいる、という、そんな状況を感じ得ることが今の僕が求めていることかな〜、なんて思います。

さて。そんな訳で。明日も五時起きで作業。今夜はこの辺で失礼します。おやすみなさい。2018.2.20 22:07

p.s.そうそう。本題を書き忘れそうでした。今回「宇宙の彼方まで」のライブ動画をダイジェストでお届けします。これは2016年の本気ステージの一曲目で初演して以来、2017年の10月に2回、先月のステージでも披露している、僕の中では「口笛風景」かこの「宇宙の彼方まで」か、くらいに単調な楽曲です。というのも、すべてワン・コード。スリー・コードでもツー・コードでもなくワン・コードなんです。それでいてAメロとサビが存在している。ワン・コードであるが故の世界観ってあるかと思いますよ。また表現力も求められます。

スタジオ・レコーディング版ではハウス系っていうんですかね?(笑) お洒落な打ち込み音を想定しています。でも、ライブ・ステージだと結構攻めの姿勢で歌う傾向にあります。貫く感じ。エッジです。さらに変容してゆく様。今回の動画では笑って貰うために編集しましたが、世界観に浸りたい方は是非ご連絡ください。生で僕が披露させて頂きます。それでは、おやすみなさい。
2018.2.20 22:15

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誰かのために。あなたのために。チャイコフ。歌詞が仕上がりました。
20180218 18:22



どうしようもなく張り裂けそう。カクテルシェーカーでも振ろうかと思ったけど、そこで解決する訳でもないし。ぼんやりしているから眠ってしまおうか、と思っても、あとで「な〜んにも進歩なかったな〜」なんて平日になって後悔する自分を「いいんだよ、それで」なんて認めてしまう自分がいそうで。

奮起して防音シェルターの中に入って。歌詞ファイルの一番上にあった「この惑星」をピックアップしてみた。そしたらいつの間にか。この半年はいつもこうなんだけど。歌い回していたら歌詞が完成した。完成しそうなところでブログを書くことで逃げたくなったんだんだけど、そこをグッと堪えて。録音して。歌詞を眺めて。聴き返して。

歌詞が完成しても、まだ太陽は傾いていない。まだ時間がある。まだ何かできる。そういう希望。ちょこっとでも頑張ってみるっていうのはいいことだな。世の中からしてみれば、「そこにエネルギーを使うの?」という作詞作曲であり弾き語りな訳だけど、それが僕がやりたいことであって、できることであって、それしかできないんだよな〜。だから、大切なんです。こういった時間。こういった過ごし方が。2018.2.12 16:28

この寒い時節だからこそ書き上げたかった。そしてまた澄んだ空気を感じ得る今だからこそ完成したかった。自身としてもメロディーを把握するのが難しいこの作品をまとめ上げることができ嬉しい。今の環境とコンディションに感謝。

この「雪解け」はコード展開はアルバム『運命共同体』曲群に近いものの、曲の風景自体はまさにアルバム『Winter Screen』に収録すべきと感じている。2018.2.4 22:22


日常の中で、例えば、朝の通勤で駅まで25分くらい歩いている間に、歩き方に色んな意識を持たせると、足裏で感じるもの、骨盤で感じるもの、丹田で、、、と変わってきます。ヨガのレッスンでこういう話があったな、タンゴのレッスンでもこういう話があったな、とそこで噛み合ったり、さらに「あぁ、だから、こうなのか!」という発見があるんですね。

イベリア半島を二ヶ月程ですが旅した時に、あちらって東京よりも「歩く」ことにおいて難易度が高いんですよ。舗装されていない道が多いですし。日本が、東京が舗装・整備され過ぎているのかもしれません。数百年前に敷かれた道が今なお残っていて、傾いた階段や、予想外の舗装された坂道が沢山あります。思ったものですよ。こういうところで幼い頃から遊ぶのだから、体の使い方もバリエーション増えるよな〜、と。サッカーなんか特に差が出るでしょうね。平坦な場所だけでなく、足場の悪い坂道でボールを蹴っている訳ですよ。凸凹した岩畳でサッカーしてるとプレイする側もボールも一つ一つの動きが予想できないものですから、反射神経を研ぎ澄まさないとプレイは続きませんよね。下手するとボールが崖から落ちちゃったりする訳ですから。

このところ雪が降っています。前回もそして昨日も敢えて行きも帰りも通勤は駅まで歩くことにしました。雪の上を歩くという機会はそうそうないので。普通の靴で歩く、しかも速足で歩かなければ会社に間に合わない。そこをどう安全に転ばないように滑らないように体を約30分間、運び続けることができるのか。本人は真剣です。

普段の歩きやすい道も雪道や雪が解けて凍った道路を歩くとまた体の使い方、意識が変わってくるんですよね。特に重心移動に気を遣います。さらに全身で歩かなければという意識が芽生えますね。転倒してしまってはいけないので。体。もし転んで怪我でもしたら踊れなくなるし、下手したら歌えなくなるかもしれない(三年半前の夏からの半年間は実際歌えなくなったものですから)。なので、「絶対怪我したくない!」って本気で思うんですね。普段、当たり前のように歌ったり踊ったりできるのも健康であるが故なのだ、と。

さて。昨晩は嬉しいことに思ったよりも早くうちに帰ることができ、夕食も部屋で食べることができました。そこでふと「雪解け」の作詞を手掛けたくなりました。でも、そこを我慢して早く寝ることにしたんです。九時半に寝て朝六時前に起きて。

そこで「雪解け」の作詞をやはりしたくって。完成は何年か先になるんだろうな〜、と思いながら、二時間くらい作詞していたら、ほぼ完成したんです。あれ? って。嬉しい。

そこで今回の本題というか。先程、体の使い方で日常(普段)と非日常(雪道、或いは舗装されていない異国の道路など)の話をしたんですが。作詞においても創作においてもモノ作りにおいても、夜と朝に生まれるものはまた異なって面白い、ということ。これを言いたかったんです。特に朝は、暗闇から光が徐々に差し込んできて明るくなる。夜は疲れているが故の緩さがあり、また「どうしようもない焦燥感」がありますよね。そんな夜の感性が好きです。でも朝は「これから始まる」というエネルギーがあり、集中力があるので、忍耐強く歌詞と対峙することができる。朝の作詞もいいな〜、と思ったんです。

今日はこの「雪解け」をラフでもいいから音源として聴いて楽しめる程度の形にするため、DEMO録音したいな〜と思います。作詞が固まってくると、一曲を通して言葉とともにメロディーを歌えるから嬉しいんですよね〜。歌い回していく中でまた言葉が変わってゆく。そういう瞬間に遭遇できたら、それも喜びです。2018.2.3 8:42


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「愛しい」と「悲しい」は同義だ。永遠と瞬間が同義なように。本日、歌い回して、作詞作曲が完成しました。ちょうど十年。出会って別れてまた出会って。膨らんだり削られたり。でもメロディーは絶えず流れてゆく。2018.2.4 17:12


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