日本の侍はお前らにもお馴染みだと思うけど、その侍が纏っている鎧と同じ物が韓国にもあって

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これはまさに百済の鎧なんだけど、歴史の授業中に居眠りをしていなければ、どうして百済の文化が日本に伝わったのか知っているよね?

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2001年に放映された日本史のドラマ「聖徳太子」で、聖徳太子の兜をよく見て下さい

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全羅南道高興で発見された兜に似ている

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参考までに、聖徳太子は、百済と高句麗の先進文物をたくさん受けていた人物

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この時の鎧が伝来されたので、百済の鎧と侍の鎧が似ていると推定されている

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そしてそれが確かなのは、侍の兜の上に付いている角だ

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百済の王らが自分の権威を象徴するために頭に付けた

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実際に日本は百済から文物を伝えられる前は靴すら履かない程メチャクチャ未開だった

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高句麗滅亡時に百済、新羅、伽耶から多くの移民が、日本に渡って行きその後から全面的に日本は発展を開始して明治維新を経て、現在の日本まで発展した

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天皇が百済の子孫であると言った事から、侍鎧はおそらく三国時代の影響を余り受けていなかったとは言い難い

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この記事を読んだ韓国人の反応


名無しの韓国人曰く

・当然ではないか。日本人はそもそも太古の渡来人(百済が行かなければ、新羅から倭に渡った韓国人)の子孫なのに


名無しの韓国人曰く

・おそらく日本のサムライ鎧も韓半島の三国時代に文物を受け入れた結果であるわけで。日本の天皇の家系図を見ると、百済系が長い間王室所有者だったので、もし百済を否定するなら、日本王室の歴史の半分近くが無くなる


名無しの韓国人曰く

・日本=百済=全羅道


名無しの韓国人曰く

・百済=全羅道日本=全羅道の子孫


名無しの韓国人曰く

・過去に大陸から半島に、半島から列島に文化が伝播したのは当然なのではないか


名無しの韓国人曰く

・日本は高句麗、百済滅亡以前から朝鮮の文物を受け入れながら成長。もちろん滅亡後には高句麗、百済流民が大挙渡って日本の多くの分野で役立つ


名無しの韓国人曰く

・百済の王族はことごとく日本に行って、全羅道には奴隷だけ残った?


名無しの韓国人曰く

・でも韓国の鎧は中国の鎧の様であり、元は中国から渡って来た物


名無しの韓国人曰く

・だから何なのか、韓国も中国亜流ではないか(笑)


名無しの韓国人曰く

・三国鎧があれ復元した物なの?とても派手ね


名無しの韓国人曰く

・派手さだけが強調された鎧よりも、実質高句麗、百済、新羅の鎧がかっこよいよ


名無しの韓国人曰く

・一昨年前に新羅の鎧を復元したニュースがあった


名無しの韓国人曰く

・日本の様な島国が大陸や半島を経由して文物や人を受け入れるのは当然だろ


名無しの韓国人曰く

・日本は孤立していたのだから、中国や韓国の文化が日本に流れて、それが日本独自に変化した


名無しの韓国人曰く

・韓国だって中国の文物を受け取って発展した国なのにね


名無しの韓国人曰く

・新羅の鎧はカッコイイだろ、ゲームにも出てくるよ


名無しの韓国人曰く

・これにより、日本と朝鮮の民族は同じであるということです


名無しの韓国人曰く

・私が見たドキュメンタリーによると、百済、新羅の貴族たちが日本に移住して成功して政権を握っていたと聞いた


名無しの韓国人曰く

・韓国古代史と日本古代史は今の人が考える以上に密接した関係だった。日本の海洋進出の歴史が短いので、韓国の方から日本に人が渡っていたと思われるが、実は日本の方からも頻繁に渡っていた


名無しの韓国人曰く

・確かにそうだね、現代を除いて韓中日の接触が最も頻繁に時期だったみたいだ


名無しの韓国人曰く

・朝鮮時代の鎧には内部に鉄板が敷かれていたみたいだけど、それが重くて兵士が密かに外していたそうだ


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