スレ主

1930年代に中国大陸は蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産軍の混戦の真っ最中だった。蒋介石の国民党軍は共産党との戦いで優勢であると考えていた。

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しかし、蒋介石は1936年12月、部下である張学良の下克上で発生した西安事件と、翌年の1937年7月盧溝橋事件を口実に、中国大陸を本格的に侵攻した日本軍のために共産党と連合して、外勢(日本軍)を追い出そうという別名第2次国共合作を締結し、日本軍と戦う。

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中国大陸を勢いに乗って侵略を進めた日本軍。彼らは蒋介石が率いる中国軍を一気に壊滅させ、早期に中国を占領する、いわゆる速戦即決戦略を目標に戦争に臨む。

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しかし、中国軍の反撃は小さくなかった。 そんなに難しくなさそうだた上海占領はおよそ3ヵ月もかかった。 

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また、上海戦でも、予想外に大きな被害を被った日本軍は、苦労の末に1937年11月に上海を打ち破った後、日本軍は予定になかった中華民国の首都南京に向かって行動を転じた。

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上海を離れた日本軍は11月20日、南京郊外でその姿を現した。 

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知らせを聞いた国民党政府は臨時首都を重慶に定め、日本軍が南京を包囲する前に避難する。 

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日本軍の包囲網の中に、中国官僚と上流層は家族を伴ったまま、急いで都市を離れたが、南京周辺の住民は、日本軍を避けて南京城内に集まった。 南京城内は元々住んでいた市民と、入ってくる難民との修羅場となった。

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南京防衛隊司令官唐生智は何があっても日本軍から南京を守ると大言壮語した。

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11月25日、南京を完全に包囲した日本軍。 12月に入ると、日本軍は飛行機を飛ばして南京のいたるところに投降を勧告するビラをばらまいた。 

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しかし、唐生智南京防衛隊司令官と15万の大軍は降伏を拒否した。 都市の外戦術の要衝を放棄して南京城内に滞在し決死抗戦を固執したまま...

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12月10日、南京の守備軍は、日本軍の降伏しなければ、揚子江を血に染めてしまうという最後通牒を拒否した。 日本軍の忍耐心は限界に達し、12日夜、日本軍は南京に対する全面的な攻撃を開始した。

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前日の夜、唐生智は、参謀を集合させて日本軍を撃破するよう命令しながら、我々は、南京と一緒に死ぬか生きるかと語った。 しかし日本軍が南京市中に進入する前に、揚子江を渡って南京を一番先に逃げ抜けた人はこの人だった。

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司令官が逃げて南京城はあっけなく陥落した。 

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陥落した南京市の中に日本軍が続々と入ってきた。

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そんな南京城の中に進軍した日本軍と、パニック状態の南京市民、国民党軍敗残兵だけが残ることになった。


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そんな中で、死の大行進が始まった。まず、日本軍は降伏した国民党軍捕虜だけでなく、若い男性を探し出して手当たり次第に揚子江に連れて行って機関銃の洗礼を浴びせた。 

少なくとも数十人から数万人もの捕虜と男性が日本軍の銃剣術訓練用や首を切る競争の材料になった。 

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そんなに南京は生き地獄になってしまった。

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日本軍は、目に見える男という男は無差別に撃って殺してしまい、弾薬を節約するために刃物で切ってしまうこともした。

日本軍は南京の住民たちを集合させ、彼らに石油を注いだ後、すぐに機関銃を乱射した。 銃弾が人の体を射抜く時、石油に火がついた。 阿鼻叫喚の地獄の様な光景、しかし、日本軍は、自分たちが演出した場面を見ながら笑って楽しんだ。

人間狩りが絶頂に達し、日本軍は女性たちにも目を向けた。 

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日本の軍法は強姦を禁止したものの、高位指揮官を始めとし、誰も強姦する行為を取るに足らないと考えた。南京大虐殺で行われたレイプは非常に残酷だった。

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その対象は10歳にもならない幼い少女から、80を超えた老婆までその対象を選ばなかった。 日本軍は修道女と尼僧を含めて南京の全ての女性を手当たり次第陵辱した。

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男たちは、自分たちの娘、妻、兄妹、婦人、母親が敵に無慈悲に蹂躙される様子を見て、死んで行った。

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日本軍は妊娠中の妊婦も強姦したが、強姦、妊婦の腹を割いて胎児を取り出して一緒に殺してしまう行為もためらわなかった。 

いくつかの日本軍は強姦した女性を無惨に殺害してしまうこともした。

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南京の随所には四肢が切断された死体とともに足を開いたまま死んだ女性の死体がたまっている。 日本軍は殺害した女性の性器を切り裂いたり、その上に棒を刺したりもした。 日本軍によって胸や性器が切り取られた女性が、息を引き取るまで苦痛にさいなまれ、苦しむ様子を見ながら、日本軍は拍手をしながら笑った。 占領地の女性たちの悲惨な最期だった。

ある日本軍兵士の手記には「私たちは退屈ならば中国人たちを殺すことで暇を潰した」と書かれていた。

日本軍は、日中戦争勃発後、行く先々で虐殺や強姦をほしいままにしたが、南京での蛮行は特に残酷だった。

1週間で占領できるだろうと思った上海の戦闘で3ヵ月もかかり、作戦に支障が生じ、日本軍の士気は落ちた。 日本軍の首脳部は戦争に疲れていく兵士たちに救いを与える対象を探し始めました

また、中国軍の猛烈な抵抗に中国軍の指揮を削ぐ生贄を探し、そして中国人にその手本を見せる計画も立てた。

実は日本軍は南京に進入する前にすでに緻密な虐殺計画を立てた。 日本軍は1937年12月から翌年の1938年まで6週間、南京のいたるところで、老若男女を問わず、大虐殺を犯した。 

虐殺された南京の犠牲者たちが手をつないで一列に立つと、約222キロの距離になった。流した血の量は1200tに達し、死体を重ねれば74階ビルの高さに達するだろうという。

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30万を超えて死亡した大虐殺は1938年春になってようやく終結した。 その後日本軍は都市全体を完璧に統制するための計画を実行に移す。

日本は新しい市政府である「南京自治委員会」を構成した。 都市の行政、経済、政治などを担当する中国人官僚らを見せつけ流で構成し、彼らは日本の操り人形の役割を果たした。

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1940年には、日本の操り人形汪兆銘を首班とする政府が樹立された。 汪兆銘が癌で死んで後に彼の遺体は蒋介石によって暴き出されてしまう。
 





この記事を読んだ韓国人の反応




その日本軍の写真とされている行進している軍隊の写真は、ドイツの陸軍武装の供給を受けた国民党所属の軍隊で、日本軍では無い



・俺は南京大虐殺博物館に行ってきた。中国もキチンと反日感情を国民に植え付けているよ



・日本人は狂ったサイコパス



南京大虐殺は最短期間で最も多くの民間人を虐殺した戦争として、ギネスブックにも載っている



・1930年代に、国民党軍とドイツ軍と軍事協定結んで支援を受けた



日本人なんて靴すら履いていない未開の土人だったのに、韓国が援助して文明化させた

 

・私が上海に行った時は、中国人の方が韓国より反日感情が高いと感じた。皆日本の奴が嫌いだと言うし、バスの運転手ですら日本人の悪口を言っていた



南京大虐殺は、普段は他人の機嫌を伺って大人しい不利をしている倭の奴らの残忍な性格をよく表した代表的な事件。基本的に劣等感の塊になって刀と武力を崇拝する民族が、自分が強くなったと思って手当たり次第に殺戮を犯した。殺戮を通じて自分が強いという快感を感じる代表的な変態種族。だから倭の奴らには弱い隙を見せてはならない



・南京には今でも反日感情が強く残っていて、日本企業がその地に進出するのは難しいと言っていたよ



・日本人はこんなに残虐なのに、どうして今は草食系が増えているのか分からない



・中国最初は40万50万死んだと言ったが...



一国の首都入りする為に、非武装の民間人をあんなに虐殺し、強姦し、 あの事件後到着した指揮部も驚愕した



・虐殺をして精神勝利の日本人、日本人は百済に支えれていたのにね



南京大虐殺に参加した日本兵が懺悔する文を読んだことがあるのだけど、人を殺すどころか…他人を傷付けた事も無い人が南京に行って、わずか一週間で面白半分で人を躊躇い無く殺したんだと。確かに倭国の人々は個々人は弱いが、集団意識の中ではその本性が現れる



あんな残虐な本性の矛先は弱い奴に向かう


引用元記事:http://goo.gl/SCOuzY








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