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日本明仁天皇が百済系子孫だとインタビューしている。 下の地図の半島と列島の赤い部分がが百済が支配した領域で、660年まで支配した地域だ。

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中世までにしても、植民地諸国には帝国の王室の親族を派遣して治めることにした。ヨーロッパもそうだったし、モンゴルもそうだった。

百済も同様だった。百済武寧王は、自分の弟を日本に派遣して日本を植民地国家として支配した。 日本の宗教は神道で、 神道は京都の神宮で天皇の祖先を祭っている。 桓武天皇の遺骨が神宮にあり、日本人神社参拝は桓武天皇の遺骨を向かってお辞儀をする。

でもこの桓武天皇でが両親共に百済王室の子孫なんだよ。 日本の歴史学者や日本の知識人はみな知っていたが、隠していた。それを2001年12月に 明仁日本天皇が発表すると、日本列島が驚愕したんだ。 自分たちが神と祀る天皇。その天皇はすべて、百済王室の子孫であり、 自分たちは百済の王族を現生神と仰いでいたのだから。 朝日新聞を除いた他の日本マスコミ各社は報道をしなかった。

日本の右翼は明仁天皇に対して反発した。日本天皇自ら自分が在日韓国人だと言っているからね。
 
日本列島の朱色の部分が百済の植民地領域だった6世紀半ばまで。 

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そしてピンク色の地域はアイヌや縄文と百済系の人々が混血が行われたところだ。 

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ピンク色の地域はアイヌ部族の領土であり、。 この当時までも日本の首都は地方だった。 

そのピン色の所が百済人の新しい国ということだ。 百済の人は国で基盤を築き、京都に遷都をして。 東京に天皇が行く前まで平安時代を開くために、この京都で日本は1100年間力を育てる。 

日本列島の百済王国には百済系に続き、新羅系高麗系までたくさん流入があり、アイヌ人の割合が減り、混血も行われ、アイヌの領土にまで拡張をすることになった。

1868年には京都から東京遷都をするようになる。 アイヌ不足を制圧し、1868年東京遷都した後に異民族の占領を終えた日本の皇室はその後からは大陸に目を向ける。 

まず、自分たちの歴史において日本を植民地支配した半島が一番日本人のコンプレックの源だっために半島を侵略することにした。 

日本の皇室は近親婚を通じて続いてきた百済系の直系子孫であるため、半島を征服しなければならない百済の領土と考える傾向がある。 

そして力が強まると、日本の皇室の根っこだった百済の半島を1905年、朝鮮を保護国化して1910年、朝鮮をほとんど食べてしまう。 

日本の皇室の立場では、百済は自分の国だった。 

しかし、日本原住民と同化されるため、百済の歴史をたくさん燃やしてしまった事も、皇室は知っている。 

自分達が、百済人ということを。 日本の皇室が百済の領土である韓半島を占領した後に朝鮮にある百済-日本関連の歴史書、数万冊を昼も夜も半月間、燃やしてしまう。 

1200年ぶりに植民地国家が支配国家を逆に支配してしまったのだ。 

三行のまとめ 

1.日本天皇が2001年12月に自分は百済武寧王の子孫なので韓国に親近感を感じるとインタビューする。日本天皇が在日韓国人だとカミングアウト。 
2.日本の宗教神道は、日本の皇族を神と祀った物だが、これらの日本の皇族が百済王室の子孫である
3.日本列島大騒ぎになって、マスコミと日本の右翼隠蔽した





この記事を読んだ韓国人の反応



ヘル日本人が悪戯にヘル日本人か?日本人はこの事実を絶対に認めない



・我々誇らしい大韓民国の国民が全世界で一番善良な民族だからだ。五千年の悠久の歴史の中で、侵略したことは一度もない。根が善良な民族。我々の誇らしい大韓民国。独島は我が領土!



・なるほど、分かりやすい



・663年白村江の戦いの時、日本軍が百済残党軍を助けてくれたという記録がある



・この理論は、説得力があるように見えたが、支配者の血統と国民の血統が同じと国が同じというのは、行き過ぎた飛躍だ。欧州のハプスブルク王家で、ドイツ、スペイン統治したからと言って、ドイツ、スペインが同じ民族では無い



・今の常態では韓国と日本ははっきりと違う国だ。しかし、その当時、倭は百済のだった。 特に武寧王に前後しては。

そして日本天皇の韓国系は正しい。だが日本の天皇家が韓国系だから、日本が韓国だと主張するわけじゃないじゃない。日本の天皇家が韓国系だが、日本は日本人だけです。でも天皇家が韓国系は合っている



・支配層(到来人)と階級(原住民)間の文化の違いがはっきりして風習、も違う。したがって天皇が韓国系でも日本人は韓国系とは少し違う



・日本を韓国が支配しなくてはならない。初めから日本は韓国だった



・結論は日本は百済の植民地だったという事だな



引用元記事:http://goo.gl/pGXYGL