(連合ニュース)「日本軍は戦争で勝つ為に韓国の幼い女の子(15、6歳、多くて17歳の少女たちを連れて野蛮な事をした…それを思い出すと、歯がぶるぶる震えて悔しみが湧いてきます

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ソウル龍山区に住む慰安婦被害者A(88)さんはこの12日に自宅で行われた聨合ニュースとのインタビューの席で震える声で一生胸に留めておいた鬱憤を露にした。

おばあさんは、これまで自分が慰安婦被害者であることを隠しながら生きてきた。1993年に政府に慰安婦被害者に登録はしたが、周辺には隠し続けてきており、公式席上に出たこともない。

しかし昨年末、慰安婦韓日合意以降、日本メディアの訪問で初めてインタビューを行っており、国内マスコミ媒体では連合ニュースと初めて会った。

おばあさんは、「戦場に幼い女性を連れて行くのは、どれ程あきれた事か…日本人は親の心に刀を刺しました。 韓人の胸に刀を。子供が連れて行かれ、あんなに悪い事を沢山されたら子宮が破裂します。 牛革も簡単に破れるが、その薄い肉はとても耐えられない、血がほとばしり出て、少女の全身が破壊されれば、連れて土に埋めて、病気となればまた土に埋めて、それが30万人も埋められたとしたら、どれほど呆れる事か


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おばあさんは、ついに涙を堪えられなかった。

咸鏡南道、三水郡の裕福な農家で生まれた金さんは5人兄弟姉妹の長女として愛されて、何の困難もなく育った。 広壮な大きな家には、乞食たちがいつも来てご飯を食べて行くほどで生活が豊かだった。 そんな環境で育ったおばあさんが突然地獄に連行されたのは十七才の時だった。

「ある日、解散市内にお使いに行くと、大きな刀を持った日本の巡査が私を見て地面に座るようにします。 その時は私が体が小さくて弱いので、怖くてすぐひざまずいて座りました。 するとその巡査がひざまで届くブーツを履いた足で私の太ももをグイグイと踏むんだ。とても痛くて先に伏せてから尻をまた何度踏まれたのか分かりません。そうされながら連行された。そして中国を行くんだけど、汽車駅に行くと女性が沢山捕まえて集められていた。後にニュースで見たら女たちを一度に千人ずつ乗せて行ったと言ったんだ。」

1944年春、中国満州の軍部隊の慰安所に連行されたおばあさんは、翌年春まで1年の間、そこにいた。 おばあさんは、あの時を思い出しても体がぞっとかどうか、首を横に振ってはしばらく沈黙した。

「そこに韓人で日本に随行しながら写真屋と通訳する人達がいたが、日本軍が移動する為に、トラックに荷物をちょうど載せました。その時私が逃げました。本当に運が良く、ある人が私の服の着替えを手伝ってくれました。 汽車に乗せて私を開放して、市内まで送ってくれた。そして叔母の家に行って二ヶ月を隠れていたが、韓国が解放されてから故郷の家に行きました。母にとっては、ただ中国に連行されたことだけを話した。」

お使いに出かけた少女はそうして1年ぶりに家に帰ってきた。

このおばあさんだけでなく、富裕だった家は、日本によってばらばらになった。独立運動に加担したおじいさんが日本警察で拷問を受けた末に身が動かなくなり、郡庁で働いていた叔父は、日本軍に徴発され、戦争で亡くなった。 お兄ちゃんは日本留学まで行ってきた知識人だったが、独立運動関連本を持っているのを摘発され、警察に連行されて殴られ死亡した。おばあさんはお兄さんが警察署の留置場で裸になったままゴムむちで無惨に迎えた姿を今も生々しく覚えていた。

おばあさんの不幸はそこで終わりではなかった。

解放直後の十八歳の時に日本に徴用に行って帰ってきた十歳上の夫と結婚した。内輪の知り合いで、夫は十歳も年下の妻を大切にした。しかし、幸福は長続きしなかった。1950年挑戦戦争が起こって1・4後退の時、夫はおばあさんを連れて南に下がった。おばあさんは実家の家族と生き別れし、その後に再び両親と兄弟たちを見なかった。

ソウルに定着して暮らしていたおばあさん夫婦は仲が良い方だったが、おばあさんは子供を持てなかった。米8軍で働いていた夫はそこで会った女性とは2人の男の子をもうけた。おばあさんは夫が連れてきた子供たちを実子のように育てた。二人の息子が成人した後、米国に移住した。

1993年祖母に大きな悲しみが起こった。

同年、政府が「日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援や記念事業などに関する法律」を制定し、被害者の登録を受けた。これまで被害事実を隠してきたおばあさんは夫に内緒で登録をした。ところが、その後、関連団体でおばあちゃんの家に送った手紙が、夫の目に留まり、おばあさんは事実通りに打ち明けるしかなかった。

「夫が離婚したいと言って、裁判所に行って離婚しました。 あまりにも悔しいから神経痛にかかりました。 かなり痛かった。 ところで離婚しても夫と一緒に生活しました。夫が怒って離婚しようとしたが、自分も一人で僕もひとりと、子どもたちもアメリカに行ってしたから。」

夫は10年前にこの世を去ったし、お婆さんは完全に1人残った。

おばあさんは日本を絶対許せないと語った。

しかし、おばあさんは韓日慰安婦問題の合意には概ね肯定した。おばあさんは日本から支払われる賠償金を得て、残った生でも楽に送りたいと語った。

「今の家は借家ですが、保証金を得ていきたいです。おばあさんが今住む家の家賃は5万円だ。女性家族部は法によってお婆さんに毎月13万円を生活安定支援金として支給して管轄の地方自治体であるソウル市も月7円ずつ支援する。また、政府支援で、少し前から介護人が祖母の家で一緒に暮らしながら面倒を見てくれている。

それでも、お婆さんは生前に賠償金を受けたいと申し込んだ。加害者からどうにか賠償を引き出してこそ、悪夢の厚さが少しでも薄くなっていないかという切羽詰った心境のようだった。




この記事を読んだ韓国人の反応


全世界の悪人の70%は日本人じゃないかな?



賠償金を必ず元慰安婦ハルモニに渡して下さい。他の事に使用しないで



・本当にドラマのような人生ですね、でも真の謝罪をしなくては成らないのは日本ですね



元慰安婦の気苦労をどうやって全部分かるでしょうか。幼い年に遭った苦痛をおばあさんになっても忘れずにいたら心がとても痛いです。日本は慰安婦犠牲者に対し、心のこもった謝罪と補償を必ずしなければなりません



慰安婦のおばあさんが受けた苦痛と悔しさはとても胸が痛いです。日本は慰安婦被害の方に真の謝罪を一日も早くするべきです




慰安婦のお婆さんたちの話で、胸がとても痛いです。過去の痛みに苦しんでいるお祖母さんらいます。 日本は賠償だけでなく、慰安婦のお婆さんたちに心のこもった謝罪を迅速にしなければならないと思います



日本が慰安婦犠牲者に行った蛮行を考えると、とても胸が痛いです。しかしそういった行為をお金だけで解決しようとする日本の主張にもとても胸が痛みます



・胸が痛いです。おばあさんどうか残った余生は幸せになることを祈ります



日本の悪魔たちが恐ろしい理由は、罪という概念がないということ。それで彼らは自己反省や、許し、和解、このような概念もないという...絶え間ない自己合理化を通じた継続的な悪行が彼らの思想を狂わせている



慰安婦のおばあさんが受けた苦痛を考えれば、あまりにも胸が痛いです。しかし、日本は自分が犯して居ないと、慰安婦問題をそのまま終わらせるべきだと主張しています



日本は厚かましい化けの皮を脱ぎ、真の謝罪をしなければならない



・10億円で国の歴史を売り渡すような政府はだれが選んだ?



・本当に心が痛いです... 日本の心のこもった謝罪を望んでいるだけなのに、どうして心の篭った謝罪が出来ないのでしょうね?



・韓国は売国奴に政権を握られているから



・慰安婦のお婆さんたちが経験したその苦痛を推し量ることは出来ません。幼い年に経験したその恐ろしいことを忘れられない姿に心が痛みます


引用元記事:http://goo.gl/zSC0f3