日本で伴侶動物に与える侍の鎧が最近、国内外に市販されて動物虐待の議論を呼んでいる。

「サムライエイジ」という会社は、日本封建時代の戦闘服のような特殊衣装を飼い猫や犬が着用できるようにして一着当たり約2万円で売っている。

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武家の命を捧げて主君に仕える侍という点で、家主に忠実に従う伴侶動物に、伝統武士の服装は斬新で似合っているという反応が出ている。

しかし、犬や猫が金属片を縫い合わせて作った鎧を着用すれば、大きな不便を感じるに明らかであり、動物虐待という批判も少なくない。

日本が誇るサムライ精神は過度に美化されて歪曲されただけに、鎧と伴侶動物は最悪の結合という指摘まで提起されている。

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いつも刀を身に着けたイメージが強いが、平安時代(794~1185年)も侍は乗馬や弓を重視した。

戦争が起これば、言葉に上がって弓を放ち、、勝負がつかないときだけに刀を抜いた。

侍が刀二本を持って通ったのは全国大名が領地戦争を繰り広げていた戦国時代(15~16世紀)だ。

不純物が多い砂鉄を主原料にしたせいに折れやすく、実戦用の刀のほかに非常用として一本をさらに携帯したのだ。

平民も侍になることができたが、1592年文禄・慶長の役を起こした豊臣秀吉政権後には、身分移動が制限される。

この時から侍は身分が親譲りはもちろん、莫大な特権まで享受する。

婦女子を強姦しても何の処罰を受けなかったのはもちろん、平民を勝手に殺す事も出来た。

一般人はサムライの機嫌を侵すと命を維持することが大変という恐怖に、腰をしきりに曲げながら生きていかなければならなかった。

日本人がいつも笑いながら親切を過度に与える習慣は、このような死の恐怖のために生じたものと見られる。

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庶民の前では不可能が無かった侍も、主君の大名には猫の前に立ったネズミと同じだ。

大名が腹立ちまぎれに死ねと言ったら死ぬふりをするのではなく、実際に割腹したりもする。

こんなにでもして忠誠心を立証しなければ、下賜された農地と侍特権を子孫に残せなくなるからだ。

戦闘で負けたり主君に憎まれて領地を奪われると、家族全体の職を失って一日朝に平民の身となる。

侍は浪人となって飢えて貧しくもなかなか刀を諦めようとしない。

農業や商業など他の仕事を探さず、物乞いで延命したり、戦争の傭兵、殺人請負などで生計を立てていく。

戦場などをのぞき込んでは新たな主君に会って功績を立てば、過去の地位を取り戻すことができるという信念からだ。

ヤクザに生きる浪人は日本暴力組織のヤクザの前身だ

文禄・慶長の役以後、天下を統一した徳川家康が江戸(東京)に軍事政権を樹立した1603年以降は侍の役割が大きく変わる。

長期間平和が維持され、経済が成長して平民地位が向上されると、侍威勢は相対的に萎縮される。

気の向くまま人間を殺害する権利も剥奪される。

侍は大名の下で特定地域をコントロールする公務員の役割を果たしている。

武芸は着実に修練するが、戦争することがなくなり、剣の腕は大幅に鈍くなる。

現代人が記憶する素敵な侍のイメージは江戸時代に形成される。

日本刀を脇腹につけて華麗に装飾された鎧と兜を着用した姿だ。

軍事政権を崩壊させて政治・社会・経済システムを西欧式に変えた明治維新(1867年)体制では侍が消える。

銃と大砲で武装した新式軍隊に対抗する能力がない上に、軍と警察を除いた民間人の刀所持が禁止されたためだ。

2004年に公開された映画「ラストサムライ」や日本の漫画などでは侍が国家と主君のために喜んで命を捧げた正義の使徒として描写される。

名誉を重視した残りの割腹自殺も躊躇しない志操高い武士として美化されたりもする。

実際の侍の姿はそうはしなかった。

ただ力があって、助けを与える人にだけ義理を守って忠誠を誓った。

強い敵を会ったら命かけて最後まで戦うのではなく、早くから投降したり、主君を裏切った事例が多かった。

対決を主張した宮本武蔵(1584~1645年)が日本最高サムライで崇められていることは度胸のある武士がそれほどなかったという反証だ。

大多数の侍は、相手が油断した時不意打ちで殺すことを好んだ。 手段と方法を選ばずに勝つことが重要だったからだ。

ひざまずいて座って飛ぶように速く刀を抜いて持って刺したり、切る動作を頻繁に身につけて孫子の兵法を勉強したのも先制攻撃能力を育成するためだ。

孫子の兵法のうち、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」というくだりは、行動綱領にした。

相手を徹底的に把握して勝算があると判断されれば、先制攻撃を露骨的に敢行したものである。

明成皇后殺害、日清戦争、日露戦争、日中戦争、真珠湾空襲、太平洋戦争などは一様に卑怯な奇襲攻撃だった。

力が弱いところを選択して集中的に殴ることも侍の特徴だ。

弱者を群れをなしていじめる、集団いじめが日本社会に蔓延したのも侍の伝統と無縁ではない。

サムライ精神で武装した日本軍が国家と民族のために喜んで命を捧げるという宣伝は虚構だった。

戦場で玉の様に壊れよという玉砕作戦を口癖のように叫んだが、1945年に天皇降伏後、自殺した日本軍将校の数字は、ドイツのナチス将校の数と変わらない。

ソ連強制収容所では卑怯な侍の実体が現われている。

捕虜になった日本関東軍約60万人は命乞いするため、ソ連に先を争って忠誠を誓ったのだ。

弱者への配慮と同情は侍の遺伝子がなかった。

1970年代のベトナムのボートピープル約10万人が、東海(日本海)に漂流し、構造を必死に要求した時、残忍非道な冷血漢の姿が明らかになった。

日本政府はこれらを救わず、全ての死の海に戻して送ったのだ。

南海などで死闘を繰り広げたベトナム難民を韓国が受け入れたのと対照的だ。

第2次世界大戦が終わったときは、サムライ精神で武装したという指導者たちの仮面が脱がれた。

サムライどころか、街のチンピラにも劣る三流武士が彼らの正体だった。

神風(自殺攻撃)を強要した東條英機首相は、「俺は生きる」ともがき、戦争責任を天皇などに転嫁する醜態を見せた。

東部憲兵司令官大谷敬二郎は、偽の遺書を残して自殺に偽装して家族とともに、地方に逃走して逮捕される。

生体実験を主導した石井四郎731部隊司令官は、実験資料を米国にすべて渡して処罰を避ける醜い裏取引をする。

日本人が普段優しくても、ひとまず国家権威の下で団結すれば野獣に突変するのは、卑怯な刀の文化の影響が大きい。

安倍首相が、交戦権を否定する平和憲法第9条を変えようと改憲の雰囲気を地道に造成することは、こうした国民性をよく知っているからだ。

我々は文禄・慶長の役や、植民地支配のような惨事を再び経験しないためには、悲憤慷慨だけでは足らず、日本の明るい笑顔の中に隠されたひやっとさせた刀を見つけなければならない。

日本侍たちが行動綱領にした「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」戦略はわれわれもベンチマークしなければならない。(連合)



この記事を読んだ韓国人の反応


日本人は攻撃する前に相手に先に頭を下げら... 安心させた上で、電撃的に攻撃して.... 卑怯最高の卑怯者



元々侍は、高句麗のサウルアビ(※「戦う男」を意味する現代の朝鮮語)の伝統を模倣したものだ。

それは高句麗が滅亡し、日本に武士が渡って再建をしようとしたが失敗した後全員が自決をした。

それを見た一人たちが素敵に思って真似したのが侍だ。 しかし、精神を受け継いていをしなくて醜悪なチンピラになったのが侍の限界だ




・日本人がどんなに美化をしようとも、侍はそのまま殺人者だったのは皆しっている。

侍は金をもらって人を殺すのが天職だった奴らが侍なのに。侍は死体を使って切る練習をしたり、囚人の体を使って切る練習をしたが、囚人は殺人者だけだっただろうか?

軽い罪を犯した善良な人が多数だっただろう。 人を対象にしたした人切り練習をした教科書の様な本もある。彼らはそのままお金を受けて殺人する殺人者であった



日本人の親切は、強者の前で命を物乞いする卑屈さから来て、その卑屈さに満足し、誰でも侍になりたかった。結局、侍は不良という結論



・日本の変態猿たちの偶像、サムライは気の狂った陰険で、野卑な蛇のような裏切りの人種だったという事を日本のやつらが知ったら本当にいいね



・最近で言えば... 町のチンピラ....組織暴力団だ



倭寇海賊の実体を遺憾なく露にする正確な記事だ! かつて野卑て卑屈て残忍きわまりない倭寇らの属性はよく知っていたが、こんなに正確に書いた内容に接するのは難しかった。これからはシリーズにして記事を上げて欲しい



それこそ日本人の国民性とは、まったく本性で何を考えているのか分からない凶悪さ、言葉を変えて他人後頭部を打撃する専門で、一人で居る時は弱い奴でも団結すれば、世の中で強いふりを尽くす狂人



・やはり侍は虚像だったんですね



侍は、韓国のサウルアビの偽物です。日本人は我々の先祖を沢山パクりました



・久しぶりにいい記事。日本人は歪曲に溺れていて

・日本人根性と、サムライ精神とは距離が遠いということに同感だ。私が会ってみた大部分の日本人が裏と表が違う、忠誠よりは強い者の隣にどうにかくっついて暮して、残り物を貰おうとする行為が強い。

忠誠をささげたいという主君が弱いと直ぐに裏切るのが日本人だ。つまり、日本はサムライ精神を持った人間が一人もない。 つまりサムライ精神を作って、その様な人間になるように誘導しているに過ぎない


引用元記事:https://goo.gl/62pbAx