韓国の反応 


[インサイト]朝鮮宣祖26年2月12日(旧暦基準)早朝、6時。

約三万人の日本軍が幸州山城を攻撃した。当時、幸州山城を守っていた朝鮮軍はわずか2,800人。

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朝鮮軍は1:10という数的な劣勢の状況に置かれるようになった。

ところが、12時間が過ぎて夕やみが迫るころ、日本軍はびっくり仰天し、腰を抜かして逃げ出した。 朝鮮軍の大勝だった。

歴史はこの戦闘を「幸州山城の戦い」と記録した。

幸州山城の戦いは閑山島大捷、晋州大捷とともに文禄・慶長の役の3大大勝の一つと呼ばれる。




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数的劣勢を克服し、倭軍を相手に大勝を収めた戦闘であるからだ。

この様に突然乱入した倭軍を打ち破り、幸州山城を守ることができた秘策は何だったのか。

幸州山城の戦い勃発当時、日本軍は朝鮮の漢陽の奪還作戦を阻止するため、幸州山城を攻撃した。

朝鮮の立場で、ここが日本軍に陥落されれば、漢江下流はもちろん、漢陽まで完全に奪われる脅威に直面した状況だった。

朝鮮軍は背水の陣を敷いて日本軍に対抗し、倭軍との最後の激戦地と考え戦闘に望んだ。

戦闘は朝早くから始まった。 日本軍は小西行長が率いる1軍を筆頭に計4軍に分かれて、幸州山城に猛攻を浴びせた。

朝鮮軍は、当時新兵器であり、最終兵器だった火車と神機箭などで対抗した。

日本軍は数的優勢を信じてその城壁に駆け寄ってきたが、朝鮮軍は新兵器で敵を除去し、必死に城壁を守った。

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一日中戦闘は絶えなかった。 終盤に達し、朝鮮軍は絶体絶命の危機を迎えた。 矢が尽きたのだ。

この時、女性たちが乗り出した。スカートを巻くって石を運搬し、倭軍に石を投げながら決死的に対抗して戦った。

当時、戦闘を指揮した権慄将軍の優れた指導力、判断力なども光を放った。

結局、倭軍は回復しにくい打撃を受けて退却した。日本軍の死亡者は1万5,000人、負傷者は9,000人だった。 朝鮮軍の死傷者はたった130人。

全世界の歴史を通じて類例のない成功的な守城戦に記録された。 西暦1593年3月14日だった。


 韓国人の反応 



・歴史を忘れた民族に未来はない



・日本は韓国にやられた歴史も歪曲するのか?



・壬戌農民化抗争が起きた日だ



・こんな歴史は忘れない様にしよう



・戦場には農民や女性が1万人程度いたそうだね



・権慄将軍が素晴らしい!



・倭軍に侵略されたのを忘れずに



引用元記事:https://goo.gl/XEJube

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