海外の反応 韓国


1966~72年韓国からベトナムへ派兵された戦闘部隊である青龍部隊は村を次々と破壊しました。青龍部隊は南ベトナム人民解放戦線人民解放軍(ベトコン)の捜索を容易にする為の作戦をするという名目で、数多くの民間人を無残にも殺して村を焼き払いました。韓国軍の派兵期間(1964~73年)に民間人虐殺被害者9千人のうち4千人が男性であったと推定されます。

1

生き残った者の証言は、過去20年間の、「ごめんなさい、ベトナム」運動で韓国社会に少しずつ知られました。今彼らは直接韓国政府を動かすことにしました。 真相解明と公式謝罪、被害回復措置を要求しました。

その始まりが大統領府の請願です。17の村から犠牲者遺族や被害者103人が請願書に署名しました。103つの請願書は4月4日、彼らの手で直接大統領府に伝達されます。大統領府は最大150日以内に請願人に回答しなければ成りません。17の村に住んでいた17人の請願書を5本の記事でそれぞれ分けて掲載しました。

                ご支援よろしくお願いします。
               




2

夜になると村に悲鳴が聞こえました。

被害内容:朝6時に家族とご飯を食べますが、砲撃の音が聞こえました。遊撃隊員だった私と村の青年たちは韓国軍を避けて他の所に逃げました。

村に残った家族や村の人々は、防空壕に身を隠しました。すぐに韓国軍が村に押し寄せました。韓国軍は防空壕にいた人々を外に連れ出し、防空壕の隣の竹林に集めました。

韓国軍は住民たちに「ベトコンか」と問い、銃を乱射しました。銃弾を受けた人々がその場で息を引き取りました。韓国軍は防空壕から出ない人々に向かって手りゅう弾を投げました。韓国軍が去った後、私と青年たちは午後5時に村に帰ってきました。

刑体を判別できないほど毀損された遺体の中から、家族を探しました。夜になると村では誰かの泣き声や悲鳴が聞こえてきました。

「韓国に望むこと:これ以上遅れる前に、韓国政府が韓国軍のベトナム民間人の虐殺を認めて謝罪してください」

韓国軍は飴を配って住民を集めた。(ビン・ホア虐殺)

フインタインテン(Huhnh Thanh Quang)

生年月日:1959年3月3日

被害を受けた日:1966年10月25日(陽暦1966年12月6日)

被害内容:韓国軍に殺された私の家族です。おばあさん(当時60歳)、母(28歳)、二人の妹(5歳)、(3歳)、そして甥2人・・

虐殺1年前に父が亡くなったため、私の家族は別々に暮らしていました。 当時、7歳だった私は村近くの戦略村で母方の祖父と暮らしており、うちの村へは母と二人の妹が村に残っておりました。それで私は虐殺現場を直接見ることができなかったです。後で、家族が殺害された事実を母方の祖父や隣人に伝え聞いたが、韓国軍がキャンディーの様な物を配って、住民を集めたと言いました。

虐殺直後も危なくて村に入ることができなかったです。当時、事件現場で生き残った伯父が、私の家族の死体を収拾し、後に私は家葬されたみすぼらしい家族の墓を見ることができました。

韓国軍は、ビンホアの村にあった私の家族の家と財産もすべて燃やしました。虐殺事件と戦争孤児になった私は母方の祖父、おばさんと一緒に村からで10キロほど離れた空き地理事で暮らしました。

韓国に願うこと:歳月が経って過去のことになってしまいましたが、私の様な遺族、被害者は相変わらずあの日の痛みと傷跡を残し生きていきます。韓国人が最小限の良心を持ってベトナムの被害者たちの傷跡が癒えるように努力することを願います。

被害内容:「ドン!」 「ドン!」家の外で太鼓の音が鳴り響きました。 旧正月の連休を翌日に控えたその日、父当所(当時59歳)は、自宅前の祠堂で祭祀を準備していました。 ところが急に韓国軍が突然家にやって来ました。韓国軍は激しく抗議した父に銃を向け、すぐに引き金を引きました。

村の人々に危険を知って貰う為に、父は最後の息が絶える瞬間まで太鼓を鳴らしたのです。

銃声に驚いた家族が家の外に飛び出して来ました。門の前に持ちこたえている韓国軍は家族9人全員を殺して祠堂に火をつけました。虐殺現場にいた姉(当時26歳)は混乱に紛れて逃げて命拾いしました。同日、父、母(57歳)、兄(34歳)、妹(16歳)、2人の義姉(32歳)と、姪(4歳)と二人の兄嫁の船の中にいた甥まで韓国軍に命を失いました。韓国軍は、死体を密かに埋めた。

ここまでが唯一の生存者であるお姉さんダンティフインに伝え聞いた状況でした。その当時は19歳でした。 サイゴン(ホーチミン)に留学していた私は、戦争中にお正月なのに、故郷に帰れずにいました。

お姉さんに悲報を聞いてすぐ故郷の珠海寺に走って来ました。家に入る気にならず家の周辺をさまよい、南ベトナム警察につかまり、「学生運動」を理由にホイアンで8カ月間刑務所暮らしをしました。出獄後サイゴンへ帰り、1975年ベトナム戦争が終わった後に故郷に戻ってきました。

▲韓国に望むこと:これまで家族を虐殺した韓国軍の蛮行を知らせるためにできるあらゆる努力をしました。韓国から物質的、経済的援助は受ける必要もなく願ってもいません。ただ、韓国政府が韓国軍が犯した犯罪事実を認め、被害者たちと遺族に公式に謝罪することを要求します。


 韓国の反応 



韓国が彼らに心から謝罪し、補償しなければ韓国も日本と変わらない



これで日本の奴らに韓国が後ろ指を指されたりしないだろうか?私も同じ韓国人がこんな事をしていたとビックリする事がある



・韓国も謝罪せよ



・そこで民間人虐殺をした老人たちが今日の太極部隊だ



・光州でも虐殺、朴正煕-全斗煥の政権は野蛮であった



慰安婦問題を問い詰めながら、日本へ悪口を言いながら、ベトナム問題に知らん振りしている訳では無い、ベトナムに公式に謝罪しよう



・これは韓国内でやっていたことだ。自国民も「共産」と言って殺していたが、ベトナムではもっとしていたのでしょう



子供の頃こんな話を聞いた。韓国(青龍部隊)軍が早く派兵されていれば、ベトナム戦争が早く終わることができた。勇敢である前に残忍だという意味



韓国政府はベトナム国民に謝罪し、被害補償をし、米国政府に補償を要求しなければならない



民間人に偽装したベトコンに殺された国軍も数え切れないほど多いのに、我々がベトナムに謝罪を要求したことあるのか?



戦争時には、自分が死なない為には敵を殺さなければならない、我が軍人も地域住民がベトコンに情報を渡して小隊が全滅したこともあるということを忘れるな



・韓国軍は傭兵だ。作戦指揮統制権は米軍にある。一次的な責任は傭兵を雇った米軍にある、そんな作戦命令がどこからきたのか調べてみる必要がある。それが「米軍「なのか、それとも「韓国軍指揮部」なのか、それで断罪し謝罪することがあれば謝罪しよう



・戦争は絶対起きてはならない悲劇だ。女の子が最も大きな被害を受ける



残念なことだが、韓国軍の蛮行は、用兵を雇った米国政府の責任ではないのか?



ベトナムは黙っているのに、韓国の団体が先に大騒ぎをして問題にする。当時、韓国軍がベトコン民間人によって命を失ったケースがどれほど多いか、国もベトコンを全部殺したかっただろう



当時、初期ベトナムに到着した韓国の青龍部隊員がどれほど悲惨に死んだかは知らないのか?我々もベトナムに行って残忍に殺された我が軍人の無念さを明らかにしてもらおう



・戦争って民間人の被害があるしかないのに、何故韓国のせいにだけするの? 韓国軍だけ行って戦ったのか?



当時ベトナムは南北戦争であり、ベトコンというゲリラが幅を利かせた大虐殺を南ベトナムに行っていた



メディアはベトナム戦争で亡くなった韓国軍兵士の遺族を探してインタビューしましょう。両方の言葉を聞かなければならない



ベトナムでは、民間人がすぐ軍人だったから、戦争中に彼らを殺さなければ自分が死んでいた



当時ベトナム戦争は、共産主義との戦争でした。彼らを射殺しなければ我が国軍は亡くなりました。彼らは巧妙に住民になりすました。それでは我が国軍が死ぬべきでしたか?



民間人に成りすまして攻撃した後、相手を報復感情と恐怖に追い込んで、民間人に対する被害を誘導するのは、卑劣なベトコンの典型的な「汚い戦術」である。韓国軍について何と言う前に、ベトナム共産党に文句を言え

引用元記事:https://bit.ly/2WC2kyV

↓毎日ポチポチ応援よろしくお願いします。とても大きな励みになります。


■お勧めニュース