海外の反応 韓国


インドネシアの歴史研究団体である「ヒストリカ」(Historika)が16日午後、インドネシア国立大学(UI)で朝鮮人「梁七星」を集中特集するセミナーを開いた。

韓国人は「梁七星」をよく知らず、一部は「機会主義者」と批判するが、インドネシアでは彼を「独立英雄」として広く知らせる運動が進められている。

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同日のセミナーにはヒストリカ会員と学生など300人近くが出席し、高い関心を示した。

ヒストリカ会長のアドゥル・バシド氏は「オランダと独立戦争で多くの人が犠牲になったが、その中には韓国人の梁七星もいた」とし「若い世代は未来のためにも歴史を知るべきだ」と述べた。

UI韓国語学科のロスティニュ教授とヌール・アイニー・セティアワティ博士は、「日本がインドネシアを占領した時代に韓国人がどの様にここに来たのか、梁七星がどの様なストーリーを持ったのか」と説明した。

350年間、オランダの植民地支配を受けたインドネシアは日本が1942年に占領したが、1945年に去って、再占領しようとするオランダと4年間独立闘争を繰り広げた。

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オランダ軍は停戦が発効直前の1949年8月10日ジャワ島西部カルッ(Garut)でインドネシア独立軍遊撃隊所属の捕虜たちを処刑したが、そのうち1人が梁七星だった。

1919年生まれのヤンチルソンは、日本軍の連合軍捕虜監視員として1942年にインドネシアにきており、1945年日本が敗戦した後は、インドネシア独立軍に合流して「爆弾専門家」としてオランダ軍に対抗した。

全北完州出身のヤン・チルソンは「梁七星」という日本名と現地方言で輝かしい光を意味する「コマルディン」という現地名を使った。名前が三つあったわけだ。

ヤン・チルソンは外国人独立英雄に追叙されて遺体が1975年カルッ英雄墓地に改葬され、1995年8月になってようやく墓石の、日本名がハングル名に変わった。

彼が抗日闘争をせず、オランダ軍に処刑される直前、日本人と「天皇陛下万歳」を叫んだという話が伝えられ、韓国では彼を見る目が良くない。

しかし、「天皇陛下万歳」ではなく独立を意味する「マルデカ」を叫んだという説も伝えられ、梁七星の最後の瞬間は不明だ。

ドキュメンタリーを作るなど、ヤン・チルソンの行跡を追跡したジャーナリストは、同日のセミナーで、「我々 は独立後、私たちを助けた韓国人を助けずに忘れた」と語った。

氏は、「当時、日本軍から脱出した数十人がインドネシアの独立軍に合流したが、その中に、ヤン・チルソン(コマルディン)やクック・ジェマン(スバルディ)ら数人の韓国人がいた」と説明した。

氏は、独立戦争状況を知っている生存者5人とインタビューしたとし、「年配の方々はまだヤン・チルソンとスパルの伝説的話をする」、「ヤン・チルソンはヤギに爆弾をぶら下げて、オランダ軍を退けたという」と話した。

韓国人作家ペ・ドンソン氏は「梁七星はインドネシアの英雄だが、韓国の人々は英雄として受け入れないとする人もいる」とし「インドネシア独立のために戦ったが、韓国独立のために戦ったのではなく、日本に対する感情の差がある」と述べた。

ペ氏は「このように視覚の差はあるが、いずれにしても梁七星は韓国とインドネシアの連結点であり、韓国と日本の連結点」と強調した。

ヒストリカは「英雄の日」である11月10日に「ヤン・チルソン道り」の命名式をするように推進質、実行がほぼ確実視されると伝えた。


 韓国の反応 



日本軍で日本に忠誠を尽くし、その後インドネシア独立の為にオランダと戦っていたのなら、インドネシアの独立闘志だね



歴史は知っている。彼が韓国人で強制徴集されインドネシアの現実を見て自分の様の様にインドネシアの独立を助けたということ



・日本軍から脱出してインドネシア独立軍に志願したというが



インドネシアの独立を支援した朝鮮人、梁七星、植民地朝鮮の現実と同じで、国を失った悲しみをよく知っているから手伝ったのだと思います



この方がインドネシアに行ったのも、当時日本軍が行った強制動員令の為ですが・・



・彼は、日本軍から脱出してレジスタンスになったので、親日派はない模様



・不幸な人なので、良い目線で見てあげましょう



梁七星をはじめとして...朝鮮人のインドネシア独立戦争への参加は、力のない祖国を持った国民の悲劇であることを感じましょう



・とにかく他国で不幸な死を迎えた韓国人ってことが悲しい



連合軍捕虜監視員として、捕虜を虐待し、終戦後にB、C級戦犯になるのが確実だったという証言がある。

捕まって戦犯になるより、一部の日本の敗残兵と元々敵だったオランダと戦ったのだという、彼が戦ったのが元来の意図とは違って、インドネシア独立に役立ったのだ



捕虜監視員は日本軍正式軍人ではなく、日帝による強制徴用で強制連行され、捕虜監視員として働いたのだ



・韓国人には日本と協力した親日派
日本人には朝鮮奴隷
インドネシア人には外国人独立闘士



1919年生まれでしたら、日帝強占期に生まれましたね、1942年に、インドネシアに行ったなら、強制徴集(1944~45年)はなく、日本軍の連合軍の監視員程度あれば志願入隊した可能性もあるという話だけど・・・



・例え韓国で独立軍の活動は出来なくとも、インドネシアで独立軍として韓国を輝かせてくださったことに感謝します



その当時、朝鮮人捕虜の監視官は強制徴集された人たちだから、自発的親日派と見ることもできない。直接的な捕虜の管理を朝鮮人に任せて日本人が戦犯としての罪を朝鮮人に責任転嫁しようとする秀作だった



インドネシア人に直接聞いた話だ。何百年以上もオランダの支配を受けましたが、敵愾心は多くないという。しかし、わずか3~5年間、日本の支配は残酷極まりないものだと憤っているという



・もっとリアルな研究が必要に見える

引用元記事:https://is.gd/7L4OYF

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