海外の反応 韓国


朝鮮貧民の主な燃料は「もみ殻」

日帝の弾圧と戦争で毎年絶対貧困が続いた1930年代、群山(グンサン)、新聞は約4万人の人口を誇る港町で、1日に数千台の薪を消費していたという。

貧困と物価高の苦しみの中でも松の枝と薪の車が通りを埋め尽くした。 しかし1937年日中戦争を起こした日帝は同年8月「暴利就体令」を公布し、翌年(1938)「伐木禁止令」を下す。 その後、物価統制とともに薪の採取取り締まりに入ると、田舎は木こりが減り、薪炭価格はさらに暴騰した。 突然の事態に、薪の恐慌に陥る家庭も現れている。


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群山の大型精米所は総督府の命によって燃料をもみ殻に代替する。 当時の新聞によると、チェボ船倉付近に位置する朝鮮精米会社群山工場は、煙突から煙が出たため、住民は晴れた日にも傘を差さなければならなかった。 飲み水も遠くの泉から汲んでこなければならなかった。 ついに住民50人あまりが会社に押しかける事態になったりもした。 住民の怒りにも会社と府庁はそっぽを向くだけだった。

昔の老人たちの話によると、日本による植民地時代の薪は、日本人や中上流層以上の朝鮮人が燃料として使い、貧民層と農村では松の枝や枯れ枝、藁、もみ殻、かき集めた落ち葉などでご飯を炊いて居た。 このため、群山地域の山と野原は燃料の唯一の供給先だった。



薪通りの周辺には木売りと消費者が直接取引する風景もよく目についた。 謹慎外郭地域(インピ、拿捕、城山、たらい、玉丘、玉山など)の木こりたちが裏山で一晩中採取した薪を牛車に積んで出て、明け方の市場に売ったのだ。 生の松の枝や落ち葉の山を背負子に持ってきた木こりらは、燃料を購入した客の自宅まで配達してくれる親切さを施した。

そのころ木炭車(炭を焚く車)と薪自動車も登場した。 日帝の戦時体制突入で燃料が手に入らなくなると、ガソリン車内燃機関構造を炭や薪に改造したのだ。 薪自動車の燃料費はガソリン車の3分の1水準で、車体のわき腹に窯をかけてオンドル部屋で薪を燃やすように火をつけて燃焼する時に発生するガスを動力で動かした。

1941年に太平洋戦争を起こした日帝は、戦時体制を強化する。 その後、供出がさらに激しくなり、農村では朽ちた木の根と裏山のつつじの根まで採り、皮粥を煮て食べる小作人が軒を連ねていた。 以後、朝鮮農民たちは薪燃料も得難い悲惨な状況で光復を迎えなければならなかったという。


 韓国の反応 



日本の奴らは今も1000年後にも信じられない奴ら、不倶戴天の敵、神罰が下るでしょう


日本に賠償請求せよ



日本は常に朝鮮半島を狙っている悪質な奴らなので監視しなければ成らない



・群山地域の皆様、朝鮮時代はいかがでしたか? 収奪の奴隷だったのでしょう。 東学農民運動起こした精神すごいです


厳しい生活を送ってきた祖先の人生に敬意を表します



・ところが、日本に米を輸出したという土着倭寇と朴槿恵政権、自分の食べ物も残さず輸出するのが正常なのか?



・日本は朝鮮の民を36年略奪したが、朝鮮時代の両班は、同じ同族の半分を奴婢として使い、残りの民の血と汗を500年以上搾取したのだから、日帝収奪より朝鮮時代の両班の方が悪い


・植民地支配からの解放後も、燃料は全国どこでも手に入れられなかった


・記者よ...日本の収奪で貧しかったのではなく、朝鮮時代の両班と官僚の収奪がもっとひどかった…



・親日派は、財産没収し日本に追放すべき、そうすれば、親日派の様な人間が居なく成るでしょう


・こんな悲惨なことは誰のせいだ?



・小作制を廃止したのは共産主義者の活動のおかげでもある



・まあ今でも庶民たちの生活は草の根を掘り起こすために野に回らなければならないような状況だ。その昔は産業が発達していないが、今はコロナで仕事までしていない、今もなお大変だ。足を動かすだけで息をするだけで全部お金になる世の中…


・全羅道はツツジの根まで?私は松の皮をむいて食べた。忠清道小作農の息子だ



・国民は飢え死にしても、権力者は外国製贅沢品を購入するためにドルが必要だったのだ



・韓国戦争の時はもっと貧しかったが、何を食べて生きて居たのか?


・朝鮮という国は同族までも奴隷にした残酷な国家だった。両班身分制度が奴隷と同じものだった。西洋の奴隷は生まれた子供まで奴隷として暮らさなかったのに、朝鮮という国は一度奴隷として生まれた子供たちも、皆その家の奴隷として働いた。朝鮮美化はやめよう

引用元記事:https://cutt.ly/KlWQJoL

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