海外の反応 韓国

スレ主
壬辰倭乱の時、日本に行った陶工たち···
文禄·慶長の役の後、捕らえられた陶工を送還しようとする試みは計13回あった。使命大使をはじめ朝鮮の多くの人々が日本を行き来しながら捕虜送還のために努力したが、誰も帰ってこなかった。
韓国はその時、日本が陶工を拉致したと言うが、多くの人が日本軍の懐柔に自発的に日本に行ったからだ。 日本は連れて行った陶工たちに彼らの技術者に準ずる待遇をした。十分なお金を稼げ、日本人女性と結婚し、家を買って家庭を築かせた。生計を立てるのに全く支障なく、ただ仕事さえすればよかった。
だが、朝鮮に帰ってくると平民身分なので腰が曲がるほど働いても満足に食べることも難しく、いざとなると両班たちに連れて行かれ殴られるのが当時の日常だった。 誰が来るだろうか?
そして最初の3回にわたって500人程度の捕虜が送還されたが、女性は皆召使いとして使い、男性は奴婢として売り渡した。 そして若い女性は夫を殺して両班の妾に送ったが、その夫は釜山の海に落としたという。 そのため、4回目の送還からは1人の捕虜も帰ってこなかったという。
20万人が拉致されたり強制的に連れて行かれたというが、帰ってきた人はわずか500人に満たないということだ。
実際、1697年の正祖(チョンジョ、正祖:粛宗)の時、陶磁器を製造していた官衙に農業も禁止、商業も禁止、器を別に作って個人の利益を得る行為も禁止したため、光州の官衙だけでも飢え死にした陶工が39人という記録が承政院日記に出てきます。
引用元記事:https://x.gd/7XhBP
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