海外の反応 韓国
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壬辰倭乱(文禄の役)で朝鮮が日本に押されるしかなかった理由
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日本は戦国時代前、室町幕府中期あたりで人口や生産力が朝鮮を上回っていました。さらに、戦国時代の激しい戦闘を経て、実戦経験が豊富に蓄積されていました。
戦国時代が終わりに近づくと、織田信長や豊臣秀吉は朝鮮を中継基地として明に進出するという野心を抱くようになりました。
日本全体の兵力は約50万人、朝鮮は15万人ほどでした。
そのうち、実際に動員可能な兵力は日本が35万人程度で、そのうち20万人を朝鮮・明征伐に投入しました。朝鮮の動員可能な兵力は5万人ほどで、実戦経験者は1万人もいませんでした。
第一波として10万人が各地に分散している5万人を相手に降り立ったので、押されるしかなかったのです。
正面対決をすればことごとく打ち破られる状況で、この時、朝鮮王室が用意したハードカウンターが登場します。それが、李舜臣です。
李舜臣は正面対決ではなく、徹底して中長距離の砲撃戦を主体とし、日本軍の補給と後続兵力を断つ戦術を駆使しました。
日本: 「陸上で正面対決しようぜ」
李舜臣: 「気が狂ったか?国の命運がかかっているのに、そんな愚行を私がすると思うか?」
元均: 「俺がそれをやってみたら、海軍の90%を失ったよ」
こうして戦力的劣勢を一気に覆し、国を救う英雄となりました。
引用元記事:https://x.gd/lFJJk
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韓国の反応
・宣祖は、国がうまくいっているという奸臣たちの言葉に乗せられて、200周年の祝典を考えていたなんて、笑ってしまう
・奸臣たちの言葉にあっさり騙されて、自分がめちゃくちゃうまくやっていると思い込んでいた
・準備はしていたけど、そんなに多くの兵力が投入されるとは思わなかったんでしょう
・もう一つ、朝鮮は日本が島国だから、倭寇を考えて海軍が強いと思っていたし、陸軍が弱いだろうと推測していたが、いざ対峙してみたらまったく逆だったのです
・宣祖が1591年から城を築き始め、戦争準備をしていました。金誠一が通信使として日本に行ったときも、内戦から復興中の日本が10万もの大軍を上陸させるとは誰も予想していませんでした。壬辰倭乱の際、戦争準備から戦争勃発後の分祀や逃亡に至るまで、宣祖が大きく誤った点はありません。『明に逃げたい』という泣き言で暗愚な君主と確定しただけです
・戦国時代に刀を振るって生き残った者たちが、筆を持って戦う民族とは相手になりません
・兵力の数や熟練度はもちろん、1対1の戦闘力でも比較にならなかったそうです。降伏や転向した倭軍を『降倭』と呼んでいましたが、その戦闘力が一般の朝鮮軍と比べてどれほど圧倒的だったか、後に丁卯胡乱の際にも老人になった彼らが使われたそうです
・戦争の後期には何とか持ちこたえることができたけど、初期は将軍も兵士もみんな二等兵級だったから
・そもそも白兵戦は1対10のレベルだった
・日本が100年近く国民にとって地獄のような戦争時期を続け、経験が豊富だったこと。朝鮮は平和時期に国防に対する意識が薄れていたこと。ただ、それだけです
・倭寇に対抗するために、それに適した板屋船という大型艦船も開発されました
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