埼玉の石油王~日々是人生~

その日のどこかで感じたことをてきとーに語るブログです。 アニメ、経済、お金、人生論など、わたしのスキなことしか語りません!

平昌オリンピックで日本は史上最多11個のメダルを取ったそうですね。


選手の方々の素晴らしい活躍に敬意を表したいです。
一方、私のようにあまりオリンピックに興味のない人にとっては、毎日繰り返される職場などでのオリンピックの雑談に、肩身が狭い思いをしています(笑)

さて、皆さんが熱狂しているオリンピックですが、どういう気持ちで見てらっしゃるのか、少し考えてみました。
大雑把に分けるとこんな感じでしょうか。

1. ニッポンがんばれ!メダルたくさん取ってくれ!と応援する人
2.個別の競技や選手のファンでその競技や選手中心に応援する人
3.企業スポンサーなど政治的に応援する人
4.興味、関心の薄い人

人口的には
1>2>3>4
という感じでしょうか。
勿論単純に分けられるものではないとは思いますが。
私も日本が金メダル取ると嬉しいですから、多少は1の要素を持っているのでしょう。

さて、1の気持ちを持って応援する人は、やや語弊がありますが、どこかにオリンピックを欲求不満のはけ口にしたいという気持ちがあるのではないかと思います。
オリンピックでは「国家」という概念がとても重視されます。
北朝鮮と韓国が今回のオリンピックを政治的に利用しているのが分かりやすい例ですね。

我々は選手と同じ日本人として、海外諸国と戦っている気持ちになれるのです。
日々の圧迫された人生、何の取り柄もない人生から開放され、まるで自分が選手でメダルを取ったかのように錯覚できる。
そういうヒーロー幻想をオリンピックは見せてくれるのです。
それはひとえに選手も見る側も「日本」という一つの共同体の仲間意識が生まれるからなんですね。
プロスポーツというのは元々そういうヒーロー幻想を生みやすい性質があります。
ただ、「国家」として団結でき、しかもたくさんのスポーツがあり、多くの人を巻き込みやすいということで、オリンピックはもっともそのような意識を作りやすいと言えるのではないでしょうか。

「資源も無く、戦争にも負けた小国日本が大国に勝った!」
そう思うことで、それを応援してる自分が勝ったように感じられるのです。

私はそれ自体悪いこととは思いません。オリンピックによって多くの人たちが勇気づけられ、明日からまた頑張ろうという気持ちになれるのであれば、それは喜ばしいことでしょう。

一方、選手の立場に立った時、そのプレッシャーはとてつもないものなんだろうなあと思ってしまいます。
コメンテーターも、口では「結果よりも経過だ」とメダルが取れなくても良いように言いますが、メダルを取れた時の熱狂ぶりから考えれば「取れなくても良い」と考えてる人は少ないでしょう。
企業スポンサーなど、個別の事情がある人は勿論、大多数の「1」の日本人にとって、選手は自らの夢を代わりに実現してくれるヒーローなのですから。
小説でも映画でもヒーローは決して負けません。そういうハッピーエンディングを知らず知らずのうちに我々は選手にも求めているのではないかと思います。

そう考えると、それを達成できなかった人は勿論、達成できた人でも、のしかかるプレッシャーの重さと、後々来るであろう燃え尽き症候群的な症状が心配になります。
並大抵でないプレッシャーから開放された時の揺り戻しは、訓練している人でも大変な負担になるでしょうから。

オリンピック出場選手の年齢が若いのは、体力的な要素は勿論、この精神的な重圧に若い人なら耐えられるというのがあると思います。
でも、それって本当に耐えられているのでしょうか。若さゆえの無自覚と無抵抗に大人が甘えてる部分が多いのではないかと思います。
十代の少年少女に日本を背負わせて、彼らに涙を流させたり、「自分の鍛錬が足りなかった」と言わせたりすることに、私は罪悪感を覚えます。

だからと言ってこのような風潮を悪だとは言いませんし、その流れを止めることは出来ません。
ただ、今まで精神主義だった日本のスポーツ業界に対して、選手のフィジカルなケアは勿論、よりメンタルケアを充実してあげるような仕組みを作ってもらいたいと切に願うのです。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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仮想通貨についてのお話3回目で、今回で最後にします。

過去記事はこちらから↓
第1回目の記事
第2回目の記事

前回までで、仮想通貨に対する安全性や投機性と言った批判は的外れであると述べてきました。
では、今後世の中の理解が進めば、仮想通貨は現行の円やドルに置き換わるほどの影響力を持つようになるのでしょうか。

それについて論じる前に、通貨、貨幣の本質について述べます。

通貨、貨幣というものの本質は、財(物品やサービス)の交換手段として、「その共同体の中で共通の価値を有している」と共同体の全員が認めることにより、成り立ってきました。

ニンジンを持っているAさんとジャガイモを持っているBさん、タマネギをもっているCさん、豚肉を持っているDさんがいて、全員カレーを作りたいと思うとします。
そのとき、いちいち物々交換をしていたのでは大変なので、みんなが共通に価値を認めるモノを交換手段として用いたのが貨幣の始まりです。

詳しくは貨幣の歴史を紐解いて頂きたいですが、貨幣は古くは金や銀など希少価値のあるもの(=みんなが価値が高いと認める)でした。
その後、政府が発行する紙に金や銀と交換出来る仕組みを付けた紙幣(兌換紙幣と言います)が流通しました。
そして現在は金銀への交換無く、前回申し上げたとおり、単に国や政府、中央銀行への信用だけで紙幣が発行され、流通しています。

時代とともに、貨幣に対する信用は
金銀など

金銀に交換できるという国家システム

国家システムそのもの
へと移ってきました。

これが今後、ブロックチェーンというインターネット技術への信用に取って代わるかということです。
それが実現するためのハードルは2つあります。

1つは世の中の人の多くが、このブロックチェーンという技術を信用するかということ。
すなわち仮想通貨そのものを価値のあるもの、安心して使えるものとして信用するかということ。
これは、前回までで述べたように、さほど時間は掛からず達成できるのではないかと思います。
昨今のインターネット技術の進展を見れば、恐らく10年以内にはセキュリティや取引所の整備は完成形へと近づくでしょうから。

しかし、もう1つのハードルは相当高いのではないかと思います。
それは国家という存在です。
繰り返しますが、現在の通貨は国家に対する信用の上に成り立っています。
仮想通貨が現行の通貨に取って代わるためには、ブロックチェーン技術が国家の信用を上回る必要があります。

国家の信用とは、その国が財政的に通貨を発行出来るかという問題に留まりません。
もっと大きな権力、それは軍事力や警察権、その他規制や権限ですが、国がそれらを有している限り、その国の通貨を仮想通貨に取って代わらせることは不可能です。

例えば今回の事件。
盗まれた仮想通貨が現金化されることを追跡するのは可能です。
しかし、その犯人を捕まえて盗まれた分を取り返したり、罰を与えたりすることはコインチェック社や仮想通貨の保有者にはできません。
すべては日本の法律、もしその仮想通貨が海外に移転していたらその国の法律により犯罪者として裁いてもらわないといけません。

それから、その仮想通貨の流通を国が規制することだってできます。
現に中国や韓国、ロシアではそのようなことが起こっています。
日本でも今回の事件を受けて、規制強化すべきという意見が国会や金融庁で上がっているようです。
税金だって、国が自由にかけることができます。

つまりどんなに仮想通貨が便利になろうと、安全に取引されようと、我々=通貨を使う人間が国家という枠組みに縛られている以上は、現行通貨に取って代わることは不可能なのです。
なぜなら、仮想通貨は「国家」という概念を越えたところで存在して初めてその本当の力を発揮するのに、いつまでも国家によって規制を受け続けるのですから。

通貨発行の権利というのは、国家にとって最も大きく重要な権利の一つです。
過去、どの時代も国はあらゆる力を使ってこの権利を守ろうとしてきました。
そういう意味では我々は国家を信用して通貨を使っているというより、国家に通貨を使うよう強制されていると言っても良いかもしれません。

このハードルが取り除かれるのは、恐らく今の国家の在り方が抜本的に変わった時でしかないでしょう。
そんな時代が来るのか知りませんが、例えばインターネットの普及や多様化する社会の中で、いまの国家が軍事力などでは存在を示せなくなり、もっと緩やかな連合体としての世界が構築された時、初めてこの新たな技術を持った仮想通貨が通貨として存在できるようになると思います。

その時は、国家は貨幣発行権を持たず、警察や公共施設などのサービスを提供する会社のような存在になっているかもしれません。
例えば仮想通貨が盗まれたら、仮想通貨を払って警察を雇うとか。

まあ、こんな時代が来るのは大きな変革が必要で、それこそSFのような1000年後の未来かも知れませんが。

これは小説のネタとしては面白いかもしれませんね(笑)
次回の小説はこのネタでいくかも。

いずれにしても、仮想通貨の技術は通貨発行以来数千年の歴史を大きく変えうる、イノベーションであることは間違いなく、その時代のただ中にいることができるのは一つの幸福と言って良いでしょう。
そして願わくば、仮想通貨が世の中を変えるその瞬間まで生きていたいと思うのです。

今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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昨日の続きです。
まだ読まれていない方はこちらから先にお読み下さい。

昨日の記事で、今流通している通貨は国家の信用を裏付けとしており、仮想通貨はブロックチェーンへの信用を裏付けとしていると申し上げました。
そして、追跡可能という意味では今の通貨より安全だとも言いました。
実は今回流出した580億円も既にネット上で所在がつかめているそうです。
もちろん、インターネット技術は日進月歩なので、仮想通貨自体のセキュリティが完全になる世界はあり得ず、今後ハッカーとのイタチごっこが始まる可能性もありますが、少なくとも現金よりは安全といえるのではないでしょうか。

にも関わらず、安全性への疑問が出されるのは何故でしょうか。
一つに取引体系が未整備なこと。
そして多くの人の理解が不十分というのがあります。
数年前にもマウントゴックスという会社が流出を期に自己破産しましたが、自分のお金が取引所の状況で保護されないかもしれないとなれば、安心してお金を預けることは難しいでしょう。

でもこれは、取引所自体への信頼性の問題なので、仮想通貨自体への信頼性とは性格の異なるものです。


いまは、取引所への信用と通貨自体への信用がごちゃまぜに誤解されており、それが安全でないとひとくくりにされてしまっている状況と言えるでしょう。

それから、投機の対象であるとの批判はさらに的外れと言えます。
「投機」という言葉の意味は
「機会にお金を投じる」ことです。
一般的には、短期間で売り買いをして儲けを出すFX取引のようなものが想定されます。
しかし、これは「投機」の一面しか表していません。
世の中のあらゆる経済活動は、自分の持つ財(物品、労働力など)を他の人の持つ財と交換することです。
そこには短期や長期の概念はありません。
10分後に儲けを出すことを期待してFX取引をするのと、明日ご飯を食べたいからお米を買うのと、一年後に株価が上がると予想して株を買うのとは、自分自身の満足度を満たすための行為としては、実は同じ種類のものなのです。
(厳密にはFXは証拠金取引なので財の交換ではありませんが…)

通貨、貨幣はその間を仲介しているに過ぎません。

そういう意味では全ての経済活動は「投機」ということが出来るし、仮想通貨の取引だけを投機対象として見る人には
「あなたの普段の買い物も投機なのです」
と申し上げたいです(笑)
私は投資と投機は同じ経済活動として、広い意味で差はないと考えていますが、このあたりは機会を改めましょう。

いずれにしても、安全性への批判も投機対象という批判も、仮想通貨の本質を十分に理解しないための批判であると言えます。

恐らくあと数年のうちにこういった批判は的外れであることに多くの人が気づくのではないかと思います。

では、今後世の中の理解が進めば、仮想通貨は現行の円やドルに置き換わるほどの影響力を持つようになるのでしょうか。

最後にその点について私の意見を述べますが、またしても長くなったので続きは次回(笑)
今日も最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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