「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

祥一族の波濤の航路=第二章(1)十二甲  墨微

IMG_20210925_0001_1IMG_20210925_0001_2 第二章 十二甲 
 芳沢家の祖先は中国福建漳州から台湾へ移住した漢人である。一八八〇年、芳沢峯の祖父『源発号』航運の米殻貿易商の鳳鳴が、晩年隠居のため.大雅郷上楓樹脚にて十二甲余りの士地を購入、十二甲栄昌堂を建てた。
 昔から皆が鳳鳴の縄張りを『十二甲』と呼んでいた。植民地当時改姓名にあたって、家族会議で鳳鳴(別号「芳能」の恩沢を銘し、『芳沢』を日本姓にした。
 芳沢一族は鳳鳴の長男泉源の代により、長男は九甲、次男は十二甲、他十三房等三大分家になった。 九甲の一族は、清の時代に四人の秀才を挙げていた。次男の峯は『十二甲』の大家主である。植民地時代から六十幾年の期間、歴代大雅郷の郷長は、芳沢一族が担当していた。
 一八七一年、宮古島(琉球)の年貢を納める船の乗組員五十四名が、台湾南部牡丹社の原住民に殺害された。それをきっかけに、海軍大将樺山資紀が台湾軍情を踏査した。
 西郷従道らは、一八七四年、台湾西南部の社寮に上陸、明治政府にとっては台湾との最初の接点となる。
 一八九四年、日清戦争が勃発。その翌年、一八九五年四月十七日に、下関の春帆楼の料亭にて、明治政府は、清の宰相李鴻章と下関条約を調印した。台湾を収管し、植民地支配が始まった。

さびしく孤独なソーシャルデスタンス2021(4)心と意識

IMG_3984IMG_2224_1<左側の朝顔は今年2021年9月にベランダで咲いた朝顔。右側の朝顔は、2018年9月に咲いたもの。この朝顔は、その前年の入谷朝顔市で買ってきた朝顔のタネ。置いて見たら目を出して咲いたもの。2代目の種と3代目の種で、似たようであるが、ちがう>
 この現象を前にも不思議と思っていることを記した。とにかく、買ってきた花が、そのまま成長して大きくならず,萎んで種に変わった。花から種という全く異なる形になった。それを蒔くということを繰り返した結果、こうなっている。
 この種と花の関係を自分は、知っているので、似たような花が咲いたことの関係は、理解ができる。 
 種をどこかに持って行き、ほか場所で蒔けば、花咲くまでの関係性は、他の人にはわからない。この朝顔の物語を知ってるのは、わたしの心だけだ。だから平凡な花の姿に関心を寄せるのである。
 この心の関係性を意識しないで、自分の存在を考えると「我思う。故に我あり」とする単独存在論が当てはまるような気がする。
IMG_4004IMG_4022<多摩川の岸辺に出れば、水上スキーや虫捕りの親子を見る>
 多摩川の河川敷を歩けば、いろいろな人々を遠くから眺めることが出来る。しかし、彼らとの関係性はないと感じるため、物語はできない。声も聞こえずお互いの存在だけがそこに示される。そこに断絶を感じることで実存を知ることになる。しかし、この光景も知られざるところで、我々と何らかの関係性をもっている筈である。それを心が受け止めるには、宇宙的な存在感を心に持たなければならない。
IMG_4015<こんな草深い河の岸辺にも物語があることを記している。いかにも人間らしい関係性への執着である。>
 心のなかで広大な宇宙とそれを超えた大いなる世界を感じるとき、すべてが肯定的に受け止められる。そして、今の幸福がここにあることを知るのである。 

無声無息無影(その十)ペットブーム  江素瑛

28816 コロナ禍 自粛ムード 用がないと出歩かない いつのまにか 用のない筋肉が衰え 持病の椎間板ヘルニア 脊椎管狭窄症が 進んでいるかも 朝起きると必ず 左足が痺れる すーすと 涼しい風に吹かれるよう 動きつらい
 ある日突然ヒントを得た 左側臥位し勝ちの私が姿勢を右側臥位に変えるとどうなるか それがてきめん 当たった 圧迫される神経をしっかり解放 痺れるが半減以上
コロナ禍 自粛ムード 人間関係が壊れつつ ペットブームを担うネコや犬は人間の心の失落感を補う 仕事は自宅にこなす ご主人様の気を引くためキーボードをいたずら犬や猫もいる 何故かゆるせるか求められると求める関係なのだ ネット上には毎日可愛い犬や猫やインコの日常映像が有名タレントよりクリック数が多い それを見て寂しいこころを癒される日々 狭い家なので ネコや犬に走り回る空間はない 揚羽蝶を羽化するまで飼うことにした 揚羽蝶との長い絆 初めて幼虫知ったのは五年前職場の脇民家にでっかい甘夏蜜柑の木をでっかい甘夏を眺める時 目に入ったのはでっかい青虫がミカンの葉にへばりつき葉をむさぼっている光景 なに この虫の可愛い顔 触っても逃げない 大人しい むちむち すべすべ 不思議な虫 
その後 綺麗な蝶々になる幼虫だと知って大勉強した 黄色卵から醜い一齢幼虫孵化 脱皮の都度成長する脱皮はいたそうかな 身体ねじり 黄色い角をにゅっと出す じっと動けない時期を耐えて    古い皮を脱ぎ捨て またも音立ててせっせと蜜柑の葉を齧る 青虫の飼う箱を耳に当てるとかっかと音をする そうだ ここまで音をするのよと隣部屋に居た娘 やはり年違うと聴力が違う虫の頭を叩き 黄色角をにょっと出し 臭いガスを出し威嚇するらしいが その黄色角も可愛いが 力尽き姿で脱皮できなく死んで仕舞子もいる
12  食べては寝 寝ては脱皮し 成長していく たまに勢い這う たまに「考える虫」の姿勢で頭揚げる そろそろ身動けなくなる蛹になろうとした前夜祭は豪快に大食した後に下痢する 身を締まり 粘り強い糸を吐き 気に入る場所をうろうろし 作繭自縛―蛹を最後の脱皮で僧侶の祈りのような姿で身を固め ミイラになる すると秘密工房の如く 虫の体が蝶々のしなやかな羽へ日々に変化する
(2021年9月6日)


時代漂流録(10)オーディオメーカーとマーケティング

IMG_20210813_00_1_1<「さうんどプレイ」12号。表紙:立山崇(1934--2004)。九州飯塚出身。1956年早稲田大学中退。大沢昌助に油絵師事。1956年、二科展初入選。以後毎回入選。1965年二科展特選。神奈川県展受賞、ロータリアン賞展受賞。1973年、二科展ローマ賞受賞。1979年、伯展最優秀賞受賞。2001年二科展、総理大臣賞。>
 立山崇画伯の原風景は、戦場から帰った父親に叱られて、泣いていたその時のこと。「南天の実か何かが成っている頃だった。赤い実が成ってね、緑の.そこにね、ちょうど早朝だったんで斜めに陽の光が射してきたんだ。煙ったように、それが涙で、何というかな、まわりが光で分解されるわけね。キラーっと七色に輝いていたの。ぼくは今でも、南天の木を見ると、それがファッとよみがえる。」そんなことも言っていた。
 当時のオーディオ業界では、団塊の世代向けにマーケティングの専門家が多く活躍していた。市場調査会社も仕事が多かった。その仕事にメーカーは大金を出した。すると、評論家や記者として秋葉原に出向いていた自分などに、その調査結果を裏付けるような事例の取材の依頼がきたものだ。
 内密に個人的に依頼されるので、提出レポートの報酬は、中堅社員の月給程度であった。また、メーカー発売予定の商品が、秋葉原の店頭では、定価の何割ぐらい値引きされるか、などの予測レポートも頼まれた。それらが盛んになったのは、パイオニアが開発した家具調ステレオを得意のスピーカーを左右独立させて並べるセパレート型ステレオが流行して以降で、ファッション化が進んだためであろう。
 コンポーネントユニットでまとめるシステムコンプが流行ると、名称がオーディオ商品と言われるようになった。この傾向は、自動車や家電商品など耐久消費財全般に進み、宣伝業界のファッションに影響されるようになった。家具的な木目調主流だったものが、社会的な色彩の変化に対応するようになった。
 メタリックグレー、シルバーメタリックやレッドトーンなどさまざまな色彩が、年ごとに取り入れられた。そうなると、来年のファッションの色合いも宣伝業界が誘導するようなムードになってくる。自分の仕事のほとんどが、団塊の世代マーケティグ関連で手いっぱいになっていった。

夏バテと老いを受けとめる    菊間順子

  このところ気温が著しく変わるので、いつも気圧病で悩まされる私は特に顕著に起こる。
  35度以上の時には特に熱中症で1度倒れたので、水分を取ろうと水に氷をいれがぶ飲みをしてしまったのがいけなかった。気温が下がったとたんに胃腸を壊してしまい起きた時にすっきりしないし、食事ををしてから2〜3時間たつと胃が痛くなるしお腹も痛い。
  以前に十二指腸潰瘍と言われて胃カメラを飲まされたがその時はピロリ菌だったが、今度は何だろう。
  歩かないから足もよたよただし、眼科に行くだけでもうへろへろになる。耳もかなり聞き取れないし、目もわるい目は寝床で文庫本の細かい字を読むせいかと医師に聞いたがそんなことはない、と言われた。
  やっぱり年のせいだ。80を過ぎたらお前も分かると夫に言われていたが、ふんとも思っていたのが今やっとこれかた思い知らされた。素直に受けとめるしかない。

混迷の日本に明日はあるのか  菊間順子

 いま世の中にはコロナと自民党の総裁選で占められている。だがアフガンに取り残された人達がたくさんいる。
 政府は外交関係の人たちを先に帰してしまって、残った人達は帰るすべもなく取り残されている。まるで70数年前の満洲のようだ。
 この時も軍隊は先に引き揚げてしまって残された人達は散々な目にあったという。それと全く同じようなことではないか。自民党の主権争いどころではないのではない。
 菅は政権を投げ捨ててしまったがやることはまだいっぱいあったのに、安部にしても菅にしても日本は救えない、そうかと言ってもいまの自民では誰がなっても変わらないが。
 でも、総裁になれば自由になるお金が億単位で使えると言う、それでみんな我こそは必死になるのだ、庶民にはとても考えられない金額だ。
 政府には20年度予算で20兆円が未消化だと言う、それを病院や働ける人員の確保に当てればよいのでは? と思うが?
 防衛費には5兆円と言う莫大な予算を付けている、イージス艦などどこに向けて使うのか?国民はそんなのを望んでいない。コロナや貧困に陥った人達をたすけてほしい。
 そうでないと日本の明日はない。

猟奇歌−14−      夢野久作

 111005 010<カット写真・北一郎>
  *     *     *

トラムプのハートを刺せば
黒い血が……
クラブ刺せば……
赤い血が出る

ストーブがトロ/\と鳴る
忘れてゐた罪の思ひ出が
トロ/\と鳴る

雪だつた
ストーブの火を見つめつゝ
殺した女を
思うたその夜は……

死刑囚が
眼かくしをされて
微笑したその時
黒い後光がさした

子供等が
相手の瞳にわが瞳をうつして遊ぶ
おびえごゝろに

やは肌の
熱き血しほを刺しもみで
さびしからずや
悪を説く君

夕ぐれは
人の瞳の並ぶごとし
病院の窓の
向うの軒先

真夜中に
枕元の壁を撫でまはし
夢だとわかり
又ソツと寝る

親の恩を
一々感じて行つたなら
親は無限に愛しられまい

屍体の血は
コンナ色だと笑ひつゝ
紅茶を
匙でかきまはしてみせる

梅毒と
女が泣くので
それならば
生かして置いてくれようかと思ふ

紅い日に煤煙を吐かせ
青い月に血をしたゝらせて
画家が笑つた

黒い大きな
吾が手を見るたびに
美しい真白い首を
掴み絞め度くなる

闇の中を誰か
此方を向いて来る
近づいてみると
血ダラケの俺……

投げこんだ出刃と一所に
あの寒さが残つてゐよう
ドブ溜の底

煙突が
ドン/\煙を吐き出した
あんまり空が清浄なので……

雪の底から抱へ出された
仏様が
風にあたると
眼をすこし開けた

病人は
イヨ/\駄目と聞いたので
枕元の花の
水をかへてやる

無声無息無影(その九)京王多摩川  江素瑛 

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異常な暑さの八月 小玉スイカが成熟過ぎていきなり割れた 美味しいそうな赤身 密閉空間にさらにマスク二重 鼻から吐いた空気を吸う 吸った空気を吐く マスクの空間で息をする人もいれば がんとマスクしない 新鮮な空気を満喫する人もいる 口だけマスク 鼻を解放 がんがんする暑さをしのぶ人間が多数
京王線電車に乗って仕事行く 電車が走る メス ガーゼ 吸引 焼く 糸 恵の手術に関することが浮かんで……
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電車が走る 調布駅にさしかかり カフェレストラン馬車道の紫色看板がひと際目立つ 小さな恋もの語りを醸す田舎のカフィレストランと桜堤通り。少し先で右に入ると調布市郷土博物館もある 目が追っているあの紫 アメリカ西部劇を思い出す 駅馬車が軽快な馬足 遠く遠く……..
有名な競輪場オヴアール京王閣は京王多摩川の畔にある 本場開催時には橋本寄りの「臨時改札口」を利用する
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緊急事態宣言期間中のため無観客と場外発売は中止となり 京王閣の壁に沿って玉川苑という公園があり もう少し歩くと調布市と稲城市を結ぶ多摩川原橋は五つの和装仕女の髪櫛になる橋梁で構成される 川と五つ橋のある光景 遠くから人々を吸い取るごとく 昔多摩川原駅の隣に日活多摩川撮影所がある。日活関係者が暮らす住宅街「日活村」も整備され、調布の多摩川周辺は映画産業の町として「東洋のハリウッド」と呼ばれるようになった。
恵の手術は無事に終了 コロナ禍の病室圧迫のせいか 一週間で無事に退院することが出来た。

謎多きイケメン医師  やまや白丸

 私の職業は看護師、未だ感染拡大の一途を辿る新型コロナウイルス。感染病得体の知れない厄介な病気である。これを封じ込めるのはやはり、ワクチン注射だろう。
 そこで全国あちこちで始まったワクチン注射のアルバイトに応募した。そこで出逢った謎のイケメン医師について書こうと思う。
 7月、夏の太陽が容赦なく照付ける、世間はオリンピックで盛り上がる中、私は夜間接種アルバイト会場になっている都内有名ホテルへと出掛けた。会場内はさすが都内一流ホテル、天井には豪華シャンデリアにピッカピカのお手洗い、穏やかなBGM、洗練されたホテル職員日頃病院での経験しかない者にとっては新鮮な空気であった。こんな素敵な会場でお仕事出来るのもこのウイルスのお陰・・・と感謝した。
 平日夜間6時〜8時の時間帯に250人予定者、3ブース分かれに各々医師、看護師と組んで接種にあたる。私もこの日は医師の介助者担当になり、1番ブースで担当医師がやって来るのを待っていた。どんな医師なのか、何科の医師、男、女、年配、若いと頭の中は?で一杯であった。
 先生遅いなーと思い隣ブースの看護師と世間話していると、どこからともなく風の様にやってきて迷う事なく1番ブースへと入っていく。黒い大きなリュックサック、グレーのポロシャツ、綿パン、黒い革靴の装い何処にでもいる青年、、、、いや、色白の良く見るとイケメンだ、それもかなり品格がある。そんじゃそこらの人とは何処か違う。
 それが彼の第一印象であった。「サラブレット」こんな言葉がピッタリの医師であった。朝ごはんもしっかり栄養配分された手作りの物を食べて、マナーも厳しく身に付けさせられて、教育も幼少期からきちんとした学校を出て何の心配もなく、洗練された人生を一つも狂う事なく生きてきました感満載・・・・。
どーも,ほかの医師とは何処か違っていた。簡単な挨拶を済ませ、私はこのイケメン医師の素性を知りたくてあれこれ質問したかったが、私の鼻息が荒くなっていたのか彼は「は?何ですか?とでもいいたげな表情。
 ピンポーン、合図の鐘でスタートしたワクチン注射、彼のお手並み拝見。すると予想通り姿勢正しく教科書通りの筋肉注射を見事な手さばきでやってのける。美しい!!綺麗なポーズなのである。筋肉注射なら看護師の私でも出来る・・・でもどこか違うのである。
 終始絶対に崩れない姿勢。これをみていると、耳鼻科医師の彼は日頃このように美しいスタイルで診察しているだろうとそんな光景が目に浮かんだ。
 既婚者であろう、白亜の豪邸住まい綺麗な奥様、子供は3人位いてまたその子たちにも洗練された教育を受けさせているのだろうと・・・どうでもいい事が仕事中も頭の中でフル回転。ふー、お疲れ様でした。と優しく一声かけその日の業務は終了した。
 帰りの電車内、先程の医師がどーしても気になった、フルネームは分かっていたので早速検索、何でも調べないと気が済まない私の性分、すると何と彼は都内有名大学の准教授!!しかも珍しい苗字の為お父様の事も安易に検索できた。顔写真も掲載されこれまた綺麗なお顔立ちのお父様。こんな簡単に素性が知れる世の中が恐ろしいとも思うが検索する手は止まらない。私は探偵の様になっていた。
 何でもお父様も同じ耳鼻科医、同じ都内有名大学医学部卒業し大手の病院院長であった。親子でアメリカに医学留学の経験もあり、ひと昔まえの軍医、森鴎外を連想させた。
この夏読みたい本「鴎外の恋、舞姫エリスの真実」をちょうど読んでいた私……偶然か! そこで最後に疑問が残った、こんな高貴な医師が何故こんな所にアルバイトに来たのだろうか・・・
 彼もアメリカ留学時代、昔恋したエリスちゃんが来日し一悶着あるのか、エリスちゃん手切れ金の為のアルバイトか、それとも開業資金の為か・・・考えても解らない。
 ただ単に、医師不足の応援か・・・そんなに大学教授は暇なのか。その後も同じ会場で一度見かけたが、その日彼は問診担当なっていたのでこの後会う事はなかった。ー「言葉無くして分かる相手の素性」ーひと夏の不思議な思い出となった。

祥と彼女の一族の波濤の航路(23)宝の晩年  墨微

 国民党の土地政策が、宝の上地を奪ってしまった。手持ち無沙汰の宝が、時々尋ねて来た獅と、鉄柱寝床で寝そべって喋ったりする。
 家でごろごろしているのは苦手だ。いつも大きな体を大甕の前に構え、扇子で風を送り、甕の中の薪を燃やす。なにかしないと落ち着かない宝だ。折角手伝っても.用のない時のこと。余計な世話だと、誰ひとり口を出す事はなかった。
 仕事のやり取りに、大きな声で電話局に「烏日(うじつ)五番」となまった日本語をいっていた時の、しゃきしゃきした彼の本来の姿はもう見えなくなった。米穀の商売が出来なくなり、金庫の紙幣の束も段々と薄くなってきた。薄暗い室内に彼は帳場の前に座り込んだり、金庫を開けたり、何枚もない皺々な紙幣を伸ばしたり、嘆いたりするしかない。寂びしそうな横顔に疎らな白髪が、夕日の残照にちらっと光っている。
 昔の平和の町の秩序を取り戻し、米などの商いもまた昔のように出来ると楽しく期待していたのに、間もなく、肺炎を昂じて、宝は病床から起きられなくなった。
 台湾の民間伝承には、死者が息を取る瞬間に、旨く冥界へいくように、白い絹の服、帽子、靴下、靴を頭から足まで着換えさせる風習がある。とろんとした目、虫の息、宝はもう燃え尽きる寸前の蝋燭だ。明子らは大急ぎで彼に着替えさせ始めた。冥界の関門を通るのに困らないようにお札を懐に入れた。
「父さんの靴はどこ?見つからないわ」慌てふためく家族。
「靴は寝床の下に置いてあるぞ」弱々しくも頭が冴えた宝。
 自分の最期を迎え、彼は衣物を捜し回った家族にはっきりと指示を出してこの世を去った。
 折しも政権交代で混乱の時代、ばらばらになった『ウメイ』の子達は全員が集まれなかったが、盛大な葬儀はおさおさ怠りなく進められていた。
「.ちょっとお待ち、なにをなさっているんですか?まだ出来ていませんよ」誰かが未だ完成していない料理をつまんでいたのを見ていられなくて。出し抜けにコックの怒鳴る声が聞こえてきた。
「いい加減にしなさい! 情けないわ」と祥は厨房の前で通せんぼうの構えをし、異母の姉を叱った。.
 手伝いもしないで、弔問客の振りばかりしている姉達は、お清め料理を一刻も早く、腹が減ったわが子にあげたようとの算段ばかりだった。
「親の金を使いまくったくせに、なによ! この態度」癇癪をおこした姉達が日本内地に就学した彼女に積もり積もった嫉みと不満をぶっつけた。
 小雨が哀れさを訴えるかのように降ろ続ける。.盛大な葬儀の行列に孝子(雇われて喪家のの代わりに泣く人)の大袈裟な泣き喚き、銅鑼、哨吶の流れが荒涼の野辺まで、宝を永眠の地、台中花園公墓へ埋葬した。七十三歳であった。(第一章「天外天」の項おわり。
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