「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

いとおしき人々(一)     墨微  

【中山澄代】
  桜の下の石ベンチは。昨夜の雨で濡れたままであった。朝からずっと曇り空、雨がつづき、降りそうだが降らない淀んだ花曇りの日。
  中山澄代は人待ち顔で立っている。背が高く明るい亜麻色の髪の八十歳の老女。首に愛用の桜もようの春マフラーをしている。
  荒川堤から汐入公園に沿い、隅田川が、濃い雲の下浮いた花びらを運んでなにかが醸すようにうねりうねる。
  川の向こうスカイツリーが聳えて遠くから街を見守り、公園の脇に小、中学校が並び、子供と親たちが花見でにぎわう。
  澄代は今日は、公園近くに住んでいる谷中羽音と散歩で会う約束をした。ともにお昼をするのは、味気のないお年寄りふたりの日常にうるおいをあたえてくれる。

  しかし、時間が過ぎても羽音はこの約束の場所、桜の下に現れなかった。
  じつは、彼はもう桜の下に現れないことは澄代は知らなかったのだ。
  桜の下の石ベンチの、水滴がゆっくりと立ち昇り、蒸発していく。

フーリッシ・フッシュ(2)       向井蔵人

  作家には、いわゆる商業誌に作品発表の場をもち、その原稿料で生計を立てられる職業作家と、同じように文芸作品を書くが、商業雑誌に掲載されることなく、自費で同人雑誌に発表している市民文芸愛好家とが存在する。同人誌作家という言い方もある。
  小説に限るとそのような見方ができる。が、詩や短歌、俳句などのジャンルでは、職をもって生計を確保し、その上で同人雑誌に自己表現として作品を発表することは、当然のことであった。
  洋介も、自己表現の方法として高校生の時代から、詩や小説を書いてきた。同時に、同様の場を舞台として活動してきた仲間も少なくない。しかし、そうした仲間の多くは、高齢となって、次々と亡くなっている。寂しく思いながらも、それを当然のこととして受け入れて来た。
  であるから、彼より干支で一回り上の宇多田本次郎氏が、87歳で亡くなったとしても、たいした違和感がなく受け入れているつもりでいた。
  彼の遺作となった作品「フーリッシ・フィッシュ」という作品は、著名な作家・江藤恵一氏が門下生の指導していた同人雑誌「文芸グラブK」の2017年後期版に掲載されている。
   内容は、作品の才能を感じさせる無名の画家がいたが、その才能を世間に認められることがなかった。彼の没後、わずかに世間の片隅である支持者が個展を開く。その作品のなかに「フーリッシ・フィッシュ」という絵が残されていたと、彼の隠れた愛好家の画商が語るものであった。それは、宇多田氏の自画像であり、無名に終わっても自らの美学を変えることなく、創作を続けることへの誇りと、矜持。同時に孤高であることの潔さが表現されていた。そうした芸術家を「フーリッシ・フィッシュ」、「おバカな魚」としたのでろう。洋介はそう読み取った。
  他の門下生の掲載作品と共に合評会と運営会議が行われた。それが、昨日のことであったのだ。
  ちなみに、この「文芸クラブK」同人の指導者である江藤恵一は、二年年前に亡くなっている。
   指導者を失った門下生たちは「文芸クラブK」誌に連載を続けている作家もいるため、発行を継続してきた。合評会が行われたが、そこで主体となったのは、文章力と鑑賞力に抜きんでた宇多田本次郎氏であった。また、彼の寄稿した作品について、執筆するにあたっての独自の美学による自作解説も、楽しいものであった。
   それが、今年は彼の遺作となった「フーリッシ・フッシュ」について、感想を述べても、そこにいるはずの作者が不在であることに、なんとも落ち着かない違和感をいだいたまま、感想会を終えたのである。宇多田氏の存在への喪失感について、「グループK」のほかの同人と洋介のそれは、横並びのものであるはずだった。
  したがって、洋介の宇多田氏遺作「フーリッシ・フッシュ」への感想や感慨は、ほかの同人たちのものと重なり、ほとんど同じであるということを前提にしていた。その場では洋介は、何の違和感もなく、合評会の雰囲気に同調していた。しかし、それには洋介の内心とは、大きなずれがあったのを、彼自身の無意識の和する心情なせる行為であったことに、気付いたのであった。
  洋介にとって、宇多田氏の才能を観て、それまでの彼の目指していた文芸創作の方向転換させざる得ないところに追い込んだ張本人だったことに思い当たった。
  そうなのだ。青春時代に宇多田氏の文芸論を聴くことによって、その才能に驚き、一般的に言われていた美文や簡明さを重視する文体を実現することを、諦めたことがあったのだ。
  それが、現在の洋介における、文体にこだわらない、もしくは自分の文体を持たないとする方向性よって、そのことは文体遍歴の遠い出来事として、記憶の底に沈んでしまっていたようなのだ。

フーリッシ・フィッシュ(1)       向井蔵人

 ふと、真夜中に目覚めてみると、寝室は寒気に包まれていた。洋介は、今年で76歳になる。事情があって、都内で築四十五年の古家に一人で住んでいる。布団から出るのは寒い。が、念のためお小水にトイレを済ますと、急いでまた布団にもぐりこんだ。洋介は歳の割には、ひん尿症は起きていない。そのために目覚めたわけではないことがわかった。
 なぜ目覚めたのか、考える暇もなく、左眼の奥にガラスの破片のようなものが輝いているのに気が付いた。鈍い痛みも出ていた。これは、二年ほど前から出はじめたものだ。ひどくなると、嘔吐してしまう。神経性偏頭痛というのが、近所の主治医の診断であった。青木洋介の持病となっていた。
 他人は、不似合いだと笑うが、心身症のひとつであった。症状がひとくなった時の対策として医師に処方された痛み止めは、棚の上の薬箱に置いてある。
 ただ、症状が出ても軽度であることが多く、しばらくその痛みの強さをレベル一から五までに分類して、観察していると、次第に痛みが薄らいでいくことが多い。
 これまでは、朝の目覚めの時や、冬の寒さのひどい時にだけ起きていた。夜中に目覚めて、偏頭痛を自覚するというのは、初めてである。彼は、睡眠中の夜中は滅多に目覚めない。
 思えば、昨夜は外出したあと、妙につかれて、帰宅して、ワインをグラス一杯飲ながら、テレビのニュース番組を観ているうちに眼が開けていられなくなった。そのまま、なにもせずに、布団を敷き寝入ってしまったのだ。それが夜の10時過ぎだ。
 早寝し過ぎたのかな、洋介はまず思った。だが、そのうちに突然「フ−リッシュ・フィッシュ」というタイトルが、頭に浮かんだ。
 これは、文学趣味仲間で、繊細で巧みな文章力に秀でていた文芸創作の先輩、宇多田本次郎氏の遺作となった小説作品名である。そこで、 ああ、宇多田氏のことが、気になっていたのかーーと、思い至った。
 文芸同人誌「文芸クラブK」の同人仲間であった宇多田氏は、昨年の12月に亡くなっている。
 その時、彼の死が潜在意識のなかで、時間をかけてじわじわと心の穴を大きく広げているらしい、と洋介は自覚したのだった。

都電に乗って飛鳥山公園へ (2)     北一郎

IMG_0937IMG_0938<飛鳥山公園は石が多く置かれている。岩山の風情である。おそらく、どこからみても石の存在感が、非日常性を演出するからであろう。第一、浮浪者もテントを張りにくい。子供が岩の近くのコンクリート台を上り下りしている。それも考えて構築してるらしい>
  春には桜の名所となる飛鳥山に行くには、都電がいいと思っていた。まだ、若い頃、なにかの用事ーたぶん仕事であろうがー王子駅でおりて歩いた記憶がある。半世紀も前のことだ。そのときに、名主の滝というのを見た覚えがある。都会で昔からある滝というのであるから、水は涸れる寸前で、白濁したような色であった。
 いまは、もう少し水量を増量しているであろうが、当時は貧弱で、かつての姿を想像するしかなかった。王子の狐という話もあったくらいだから、山裾の里というイメージに重ねるしかない。
IMG_0939<もう少し高台には、遊園地があるらしい。都電の廃車を利用したようなものが、雑木の間から見える>
しかし、あとになってその近くに飛鳥山があるのを知った。ついでに、そこへ寄ってみればよかったなあ、と思いつつ半世紀である。春先なら桜の咲く期待もあるが、葉の落ちた桜木を見れば想像はつく。岩石の風景はいろいろな想念を呼び起こす。物がモノとして存在するだけなので、意味性が自然であるべきしてある、という風情に、生命体としての人間の生きている自分を考えさせるのだ。
IMG_0940<公園の石の風景が芸術的であるかどうか、考えながら進むと、右に王子駅駅への道標がある。人間の意識では、ことらに向かって進めという意味にもとれる。必ずしもそうではないが、文字に意味を見出す癖があるのが人間だ。>
  坂口安吾は、「不良少年とキリスト」という作品で、太宰治と芥川龍之介の自死したことに、かなりこだわっている。反発している。通常は、人間の意識が死に直面すると生きることへ欲求が増すのである。たしかに、人間的な細胞のシステムでは、常に生き延びるための活動を行っている。肉体の意志はつねに命の継続に向かっている。しかし、その頭脳というか、心は正反対の強制的な死を望んで実行してしまうのだから、不自然である。安吾はこう書く。
  IMG_0941<飛鳥山公園からの鉄道の路線の眺めは、面白い。撮り鉄の人も姿を見せていた。>
 ――生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分かるとか、分からんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに死ぬ方は、ただなくなるだけで、何にもないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらぬことはやるな。いつでも出来るんことなんか、やるもんじゃないよ。ーー
  この言葉が、多くの人の共感を得た時に、それは真実となる。

クリスマスと銀座のコンサートを楽しんだ2017=菊間順子

   昨年の11月は散々だったが、ぎりぎり30日のクリスマスまつりの行事には何とか参加出来た。赤い帽子と赤いサンタさんになり普通のハーモニカと手のひらに入る位の小さいハーモニカで、キラキラ星を演奏すると子どもたちに大うけ、何とか8曲を演奏した。
   12月3日には、孫が大分前からチケットを買っておいたロジェ・ワーグナー合唱団のコンサートを観にいった。
   横浜と銀座のヤマハホールの2回のみの講演3時と7時の2回で3時の方にした。銀座にはもう何年も行ってない。新橋からすぐだと思ったら通りはビルが建ち以前とはすっかり変わり、今や浦島太郎だった。孫がゴスペルだと言ったが曲目をみるとホスターの名曲でクリスマスの曲もある。
  それに何となく聞いたことのある名前だと思っていたが、昭和の30年代に盛んに歌われていた合唱団だった。メンバーもそれぞれにお年寄りでなかには少しは若い人たちもいたが、私と同じくらいのメンバーだった。
  指揮者も2代目で、やはりおばーちやんと言っていいくらいの人だった。会場に居るひとたちも、やはり同年代の人が多かった。草競馬などは昔ダークダックスが歌っていたような気がした。つい一緒に口ずさんでしまい孫に注意をされてしまった。
  女性の衣装が最初はブルーで2部からは黄色で襟元や裾がキラキラと光りとてもステキだった。ずっとピアノの前に座っている人は時々にしかピアノをひかないので何のために居るのかと思ったが、2部の始めにリストのハンガリー協奏曲第2番をピアノだけで弾きこなし見事だった。何か特殊なピアノだったのだろうかと思った。ヤマハの特殊な仕掛けがあるのかも、それにしても見事なハンガリー舞曲でした。昔見たオーケストラの少女をおもいだした。あの時の指揮者のストコフスキーもステキだったが、今回もその昔を思い出して楽しかった。

転んだ挙句に風邪と薬害騒ぎ!2017年の秋=菊間順子

   2017年の秋は散々な目にあった。
  10月の日曜日にハーモニカ教室の発表会があり、その練習日にホールで顔面から突っ込むようにころんでしまった。
  サングラスの跡が左反面にくっきりと付いて、強く打った眉毛のところは瘤ができ血がでる始末。しばらくは起き上がれない状態で事務の人や仲間に迷惑をかけてしまった。
  事務の人には靴はしっかり履いてかかとから歩いて下さい、と言われてしまった。せっかちでおっちょこちょいがもろに出てしまった。発表会には何とか少しは良くなったが、傷跡は眼鏡をかけて何とかごまかした。
  傷跡が少し良くなってから今度はまたかぜをひき38度の熱がでて何にも食べられなくなり、起き上がるのもやっとの状態になってしまった。2、3日たっても熱が下がらない。その前にかかりつけ医でかぜの薬を飲んでいたのにである、仕方がないのでNTTの病院の救急科に電話をしてタクシーでいった。そこでインフルエンザかどうか調べ、レントゲンも撮り、ただのかぜでしょう、と熱さましをもらい何かあったら専門医に行ってください、と言われて帰ってきた。
  その後、熱は下がったが、今度はじんましんが全身に出て来て夜も寝られない。
またNTTの病院にいく。じんましんだから皮膚科だろうと思い皮膚科でこれこれこうで熱さましで熱は下がったがじんましんが出てしまったと言うと、医師は薬でじんましんは出ませんよと言う、塗る薬もないと飲む薬だけしか出してくれなかった。
  帰ってから熱さましの薬の処方せんを見たら、副作用として吐き気や湿疹(じんましん)がでる、と書いてある、あの医者は何だったのか? もう信用しない。
  でも出された薬を飲んでいるうちにじんましんは治ったが、かぜの方はいまいちすっきりしない。何となくだるくやる気もない。胸焼けもひどい。
  しばらく胃酸を抑える薬を飲んでいるうちに、今度は、胃で消化されずに腸に直接いってしまい未消化で出てしまい、いくら食べても素通り状態。
  でも腸は動きそれでお腹が痛くなる。夜中の3時まえから30分トイレに座って唸っていると孫たちが飛び起きて、一人は救急車を呼び、下の子は転がっている私にバスタオルを敷き、これに転がりなとしてくれたのでその上に転がっているうちに救急車がやってきて、タオルのまま車に乗り、またNTTの病院行きとなった。
  その後もまたじんましんが出てまた大騒ぎ今度は孫が別の皮膚科に連れていってくれた。11月の歯科や眼科はキャンセルし直して行ったが、歯科の先生は曰く「じんましんは内科よ、内科でヒスタミンの注射をうってもらえば一発で治るわよ」と言う。眼科では「それは薬害ですね」と言われた。とにかく10月、11月は災難つづきだった。

年末ジャンボ宝くじ売り場の夢見人たち   やまや白丸

   12月22日、冬至。そして、年末ジャンボ宝くじ最終発売日でもあった。
   全く買う気持ちも無かった私だがテレビCMでは、これでもかという位に本日最終日!とうたっている。
   私の住むK町では昔から良く当たると言う売り場がある。交通の便が悪いので45年も住んでいると言うのに一度もそこへは足を運んだが事がない。

「あそこ行ってみようかな?」「残り物には福があるって言うし」「長蛇の列で待つだろうな」
「今日は夕食のおかずも買ってあるし、出掛けないって決めてたけどな」
「並んでまで買うなんて、誰かにみられたら恥ずかしいな」

  などなど、私の脳内はこの日午後になってから騒ぎだした。
  ぬくぬくとコタツの中で考えていたが、午後2時過ぎ意を決して向かう準備を始めた。
  寒空の下待つ事を覚悟で北極にでもいくのだろうか?という装いをした。重ねに重ね着をして自転車で売り場へと向かった。。
  無事に現地到着。やはり予想を上回る長蛇の列であった。
  「やっぱり……。帰ろうかな。いや、ここまできたからには買おう!」
  駐輪場に自転車を止め、警備員に誘導されるまま列の最後尾に並んだ。
  売り場案内人に貰ったパンフレット。一等前後賞あわせて10億円の文字が目に飛び込んでくる。
  よくよく並んでいる客層を見ると同世代や年金生活であろう高齢者の姿が多かった。
  なかには生後間もない赤ちゃんを胸に抱く若いお母さんや杖を持ってやっと歩いている様な高齢者もいた。
  やはり皆、夢を買いに来るのだろう。
  そんな事を考えていると、20代男性若者2人の会話が聞こえてきた。「俺、金持ちなら全国の宝くじを買い占めたい」
 
  はーん、なるほどね。そうくるか。でもそんなの当たるかどうかの楽しみが無いじゃん!と一人心の中で呟いた。
  確かに何かのテレビ番組でその当たり金を元手に250億円まで増やしたいと答える男性を思い出した。
  250億円!何を買いたいの?

  答えはジャンボジェット機。エンジン一つが5億円する代物らしい。
  まあ、夢はでかいほうが良いではないか。私なら何に使うかな〜と、なかなか進まない列に時折嫌気もさしていた。が、この光景には次から次へとストーリーが浮かんでくる。楽しい……。
  そこへ、ハンドマイクを持った売り場係員が少しでも列を整理しようと前へ前へと流していく。そのアナウンスの内容が面白い。
  「皆さん、10億円への道が少しずつ近づいています。前へ前へとお進み下さい……」
  はーん、なるほどね。ではこんな内容ならどうだろうか?
  「皆さん、アウシュビッツ収容所のガス室への道が少しずつ近づいています。前へ前へ……」これでは皆一斉に並ぶ場所を間違えたと逃げるであろう。
  そんな事を考えている間にも、ふっと後ろを振り返ると更に長蛇の列ができていた。
  さすが噂の売り場である。
  かれこれ30分以上並んでいる。流石に足元からの底冷えを感じていた。まだかな〜。それにしても人間の欲望とは無限でキリがないと感じる。
  この世に今日、五体満足に生まれた事だけでもすごい事なのに。
  1組の若い男女が出逢い、愛の営みにより一つの卵子をめがけて何億個の精子が旅に出る。そしてたった一つの精子だけが到達し何億個もの中から選ばれし者、それが自分なのである。宝くじに当選するよりも高い確率だと聞いた事もある。
  分かっていながら、また更なる欲望にかられるのが人間なのであろうか。

  ふと、現実に返るといよいよお次ぎは私の番。バラ30枚と決めていたにも関わらずその場ではとっさに
  「バラ30枚下さい。あ、あとこれもスクラッチカード5枚。」ちょうど1万円のお買い物をした。
  はーん、なるほどね。あなたも分かった事を言いながら欲望は深いわね。と、天からの声を聞いた気がした。

都電に乗って飛鳥山公園へ (1)     北一郎

IMG_0930IMG_0931IMG_0932IMG_0933<地下鉄日比谷線で三ノ輪駅で降りる。商店街の人に都電に乗りたいのですが、どこに行けば? と聞くと、ビルの間の商店街トンネルを教えてくれた。それがここ。向こうに確かに都電駅らしきホームが見える>
  都内在住70余年。都電に乗ったことがあるような、ないような。要するに、しかとした記憶がないが、都電の停留所が便利な場所は、幾度か行ったことがあるのを微かに覚えている。ということは、記憶にあるほどの最近はまったく乗ったことがないということだ。
IMG_0935IMG_0936<もうここは、飛鳥山公園前を降りたところだ。都電がこんなに混んでいるものだとは、全く知らなかった。運賃が170円では、バスより安い。おまけに路面を走る距離は少なく、電車線路が多いからノンストップで走れる。都電の方が有利だ。>
 まず地下鉄で三ノ輪駅に出た。その手前の入谷駅には今年の夏に朝顔市に出かけて、朝顎の鉢をかっている。しかし、三ノ輪には来たことがない。知り合いは、健康のために毎日二時間は、散歩しているそうである。
 私には、そういうことはできない。しかし、街を観て歩くことはできる。都内のどこでも、わたしにとって、外はこの世の世界が見えるところである。家の中で、ものを書いている時は、ほとんど幻想か妄想の世界にいる。
 それが、外に出ると、現実が目の前に見えている。知らない場所なら、よけい現実を感じさせてくれる。人間は衣食住に足りて、何事もなく日々が過ぎれば、それで充分だ。
 それだから、テレビのニュースでの調査によると、若者たちの意識は、現在の日本の状態の現状維持を望でいて、政治に異論をとなえないのだという。
 もっともな話のようだが、この世界は時間と空間が一方に流れて、変化をしている。いまが、幸せでもそれが続くことはない。時間は変化を強制する。
 いま幸せな人には、不都合かも知れないが、不幸のどん底にある人には、そこから抜け出すチャンスでもある。苦しい時には、とにかく時間を稼ぐことだ。時間が情況を変えてくれるのを待つ。

詩集『戰爭』−3− 梶井基次郎

「萎びた筒」「剃刀」などは「三半規管喪失」的なものである。前者のキタナさ、「剃刀」の痲痺的痛覺。共に彼の第一詩集から生き殘つたものである。私はいまもこのキタナさを愛してゐる。
「ラッシュ・アワア」も「風景」も「檢温器と花」的なものである。
「菱形の脚」「砂埃」「花」の三つの「支那風景」は「光について」などと竝行して書かれたものである。おそらく休息的な愉しさが彼をとらへたのであらう。人をして微笑ましめる。秀れた作品である。菱形の脚の間に見えてゐる風景、女の姿をかくしてしまふ砂埃、心憎いことである。
 さて私は「光について」へはひらう。
 彼はこれらの詩に於いて「絶望の歌」以後の更に深い精神的苦悶の時期を經てゐる。彼の詩は難解になつた。このことは一つの極點を暗示してゐる。即ち彼が自己の主觀のなかに苦しむことの、これが最後の姿なのである。さう私は考へる。
「光について」のなかにはわれわれにとつて噛み割り難い數多の Symbol と Metaphor がある。その間に、傷ついた魚が深く水中に沒して、ときどきその苦しんでゐる身の在所をキラ・キラ、と光らすやうに、生命、死、光明の Symbol が閃めく。
「皮膚の經營」「戀愛の結果」「灰」は暫時私には不可解である。
「光について」の六齣の詩も僅かにその片鱗が理解出來るにとどまる。


壁のうへの蟻の凍死、焔のつらら。

 この一行の詩は私をしてボオドレエルの「秋の歌」の一節を思ひ出さしめる。


冬のすべては私の身内に迫つて來る。――それは、苦痛、憎惡、戰慄、強ひられた苦役や恐怖。
そして極地のうへのかの北方の太陽のやうに、
私の心臟は直ぐにも一箇の石となつてしまふであらう、凍結し灼然せる。


 勿論彼の念頭にこの詩はなかつたのである。私はその契合に驚く。しかもこの詩は最後の凝結を示してゐる。
「花」「人間」「光について」(50頁)の三つの詩も解し難い。そして私はこれらの謎のやうな詩を總括して再びさきの獨斷を繰り返す。即ちこの難解な形式は彼の主觀の究極の表現である。この究極の表現はまた最後の表現である。即ち彼は自己の主觀のなかに苦しむことをこれらの詩をもつて終りとするであらうと。
「戰爭」「大軍叱咤」「壞滅の鐵道」「鯨」「腕」「腕」などは明らかに彼の目の前に展けた新しい視野を示してゐる。それは階級である。彼は自己を苦しめるものの正體に突き當つた。それを認識しはじめた。そしてこれは詩集「戰爭」のもつ最も大いなる意義である。私は彼の「意志」がこの道をどのやうに今後進んでゆくかを見守らう。それはわれわれの最も深い關心であらねばならぬ。


眼の中には劍を藏つてゐなければならぬ。
背の上の針鼠には堪へてゐなければならぬ。
太陽には不斷の槍を投げてゐなければならぬ。
               (「腕」より)


 然り! 病床のなかに詩集「戰爭」をうけとつて私の感動は激しい。

(昭和四年十二月)
(青空文庫より)


X'masプレゼントは天使の歌声 アミラ    やまや白丸

  今年の冬は例年より寒く感じる。寒さに弱い私は仕事と買い物以外自宅で過ごす時間が確実に増えていた。
  そんなある日、何となーく、YouTube動画を見ていた。
  そこに突然目に飛び込んできた動画。オランダのとあるテレビ番組での事。
  歌や踊りで一般人が隠れた才能を発表するというものらしい。数年前にもイギリスで同様番組にてスーザンボイルという現地の一般女性が美声で一躍有名人になった事は記憶に新しい。

  そこへ、9才のオランダ少女が登場する。まだあどけない表情。大衆を前に緊張気味ではあったが、物の物怖じする様子はなく、元気に満面の笑顔で、舞台中央に出てきた。

  審査委員と何やらオランダ語?で会話している。
  少女曰く、名前はアミラ 9才。オペラを披露するとの事。
  オペラ? 何故? 審査員の問いに「弟がバイオリンを弾いているので、私も何かやろうと思って…。で、歌うことにしたの」。
  そこで、YouTubeでオペラを見て、真似してみたら出来たので、ここでオペラを披露すると言っているようである。

  審査員の不信な表情。それを気にも留める様子もない少女アミラ。
  「そう、私はオペラを歌うは」「耳栓は要らないかな?」ジョークを交えてアミラをからかう3人の審査員。
  しかしこの後、彼らは後悔する事になるのである。

  曲が流れ、アミラの美しい歌声が始まると、場内は一斉に静まり返るのである。
  一同驚きの表情で審査員の中には開いた口が閉じることなく、アミラに釘付けになっていた者さえいた。舞台裏でも次の出番待ちの者たちが騒めいた。
  何?  これが9才の歌声か? 独自で練習して覚えただけ? 信じられない!信じられない!の連発。

  一音も狂う事なく歌い終えたアミラ。直後に会場は皆スタンディングオベーション。拍手喝采。
  しばらく拍手の嵐は収まる事はなかった。歌い切った!と満足感の天才少女アミラ。
  しきりに頭を下げて詫びる審査員一同。

最後にもう一度聞くけど「あー、アミラ。君は9才だよね。」
「そうよ。」
「アミラ、あなたの夢は何?」
「もちろん歌手。でも、ダメならアスリートになってオリンピック選手になりたいわ。」と、あっさり返答するアミラ。

  私の鑑賞分析観------アミラに天から神が舞い降り天使のごとく美声を響かせている。民衆に感動と希望を与える為に。
  パソコン上での、間接的ではあるが、偶然出会ってしまった天使アミラ。
  あれから迷うことなく購入したアミラのCDカッチーニのアヴェ マリア 毎日欠かすこと無く聴いている。私も  あの審査委員同様、何度彼女の歌声を聴いてもポカンと口を開け動画に見入ってしまうのである。今年一番のクリスマスプレゼントである。
  私からもお礼を言いたい。ありがとう天使アミラ!
《資料参照:「ねとらば」》
QRコード
QRコード
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★