「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

北朝鮮ミサイル発射報道への疑問?    外刈雅巳

 ニュースの洪水に流され、ついつい大問題なのだと、Jアラートを聞いたら地下鉄か建物の中に避難したくなる。
 しかし待てよ? 一方的な同じような各社のニュースが重なる中でいくつかの素朴な疑問が沸いてきた。
 ーー疑問?
 自国領内での実験であるのに、アメリカや日本が騒ぐのか。国土防衛目的なのに、空母等で厳重警戒するのか。
 攻撃されたらアメリカ本土等に打ち込むぞと言っている。攻撃されたら日本の米軍基地へ打ち込むと言う。
 日本等も攻撃されたら反撃する権利はあるのに、なぜ北朝鮮が反撃権を振りかざすと警戒するのだろう。
 ーー疑問?
 拉致問題等で悪評高い国なので、何をやっても悪者扱いにしているのではないだろうか。
 金正恩が太っている。酒池肉林のワンマン。どう見ても立派な指導者に見えないからなのか。
 昔の日韓併合や慰安婦等の仕打ちに対して、韓国同様に謝罪賠償したのだろうか。
 ーー疑問?
 在日北朝鮮籍の人たちの言い分が聞こえてこない。少年時代に同級生に何人か居た。
 日本名なのでわからなかった。しかし噂は広がった。特定の日本名なので判別したらしい。
 森本君とは仲良しだったがクラス仲間に誘われていじめる側に回ってしまった卑怯な私。
 高齢者になり小説仕立てにして同人雑誌に掲載したことで少し自分に正直になれた。
 ーー疑問?
 ミサイルと核の開発について技術向上を評価し危険視しているがそんなに高い技術なのだろうか。
 ライト兄弟が飛行機を発明してからわずか三四十年でドイツの研究者は宇宙ロケット技術を持っていた。
 第二次世界大戦前からフォン・ブラウン博士達は米本土攻撃のミサイル開発を行っていた。核も開発中だった。
 戦争にセルとV一号・二号でロンドンを攻撃した。三号・四号は米本土向けの長距離ミサイルである。
 完成前に米軍に爆撃され破壊されてヒットラーの野望も潰えた。技術はソ連、アメリカなどに拡散した。
 それから七十年も過ぎている。今頃やっとソ連経由で北朝鮮が核とミサイル技術を向上させたのだ。
 ーー疑問?
 北朝鮮のミサイルで日本の米軍基地が攻撃されると心配している。基地撤去の流れにならない。
 沖縄なら良い、土人の島なら基地が在っても良い。という気持ちが少しでもあるのではないか。
 職場に組合を結成し安保反対のデモ行進に参加した過去を小説にした。基地反対でもある。
 私も反日売国奴なのか。日本はこれからどうなるのか心配だ。
《参照:外狩雅巳のひろば

第一回「文学フリマ前橋」文学愛のアゴラから  伊藤昭一

IMG_20170522_0001_114941291827801494129238335<第1回文学フリマ前橋の前橋プラザ元気21の情景。提供:山川豊太郎会員>
   文学フリマ百都市構想の一環として、第一回文学フリマ前橋(岩田恵・事務局代表)は2017年3月25日、前橋プラザ元気21にぎわいホールで開催された。《参照:参加グループ "記憶書房ブログ"
  当日は生憎の雨のフリマとなったが、前橋市の協力で、地元メディアの報道や開催日には山本龍市長の挨拶もあったことや、前橋事務局長の琴の演奏と、歌も出て地域の文化活動としての公共的なイベントに近いものなったという。
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  入場者の数は大きないが、そこは萩原朔太郎の出身の地。遠隔地の参加者は、イベントの前日には泊まり込みもあるので、有志による前橋文学館など見学イベントを行うなど、東京にはない「文学フリマ」の地域特性が、出た味わいのあるものという関係者の声。
  参加者同士の交流で、本に買い合いや、文学論の展開など。かつての東京文学フリマ初期に見られた現象があった。
  とにかく、文学愛好者たちの集まいとして、文学愛が人間愛に広がるという意義深さがあったようだ。
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海よ 浪よ 5月のアロハ    江素瑛 

ハレイワ・。0001 (1)
ハワイの叔父は大病をしていたので退院したばかり
想像したより回復が早い
杖を頼ってその後の再診を一人で行けたという
しかし定番の朝の体操さえ行く気がない
ましてや 昔みたいに私をどこかへ連れていけない
ハワイ滞在4日間の2日間は叔父家族と付き合い
残った二日間が丸々わがものにした
5ドル1カ月有効のパス券を乗り放題
アラモアナの日本夜台の白木屋のフラダンスを見て
白木屋・。0001 (1)

クインカピオラニアガ−デンのバス停で
行く目的地のないままでバスを待った
公園ではフィリピンフェスタのイベント
回転寿司カハラ モール・。0001カピオラニア公園・。0001
アメリカとフィリピンの国歌が流され
ワイキキビーチの人の潮が流れてきた
色いろな番号のバスが来たが
55の数字は
覚えやすい 縁起が善さそう と乗った
陽の沈む西へ走るらしい
サーフィン講習・。0001
行き先は知らないし
何分おきで運転するも
予備知識はないまま
不安さ 好奇心と楽しさが混ぜて
ワイキキビーチモンキパドトリー・。0001
乗客が込む 50%以上は観光客のようだ
日本語はちらちらと聞こえてきた
大声で煩く喋る地元の人
静かで大人しい私
黙って窓外の海風 海飛沫を追う
周りは広大な声量の集まり
浪を打つように襲ってきた
後ろの乗客が私の耳もとに
「大変ですね あなたの耳管」と同情してくれた
アラモアナー・。0002
カメハメハハイウェイ 47
カメハメハハイウェイ 49
カメハメハハイウェイ 50……..63まで
止まらずにバス停の地名を加え次から次へと車内放送した
海辺を沿った55号バス
山際に走る時もある
Haleiwa beach park・。
トンネルを抜けてまたトンネルに突込んで貫く
青空 白雲に 青海 白波に 白砂 椰子に
大自然の色合いに紅一点緑一点
ビギニ テント 帆 帆
人工色彩が砂浜を勝手に絵の具を滴らし
遥かな海の水平線の彼方
ところどころに小島が頭を出す
ハレイワボードハブル・。0001 (1)
戦死軍人の ハワイ メモリアパーク カネオへベースワンジビーチ ハウウラビーチパーク
ゴルフのツトルビーチ 
夕日が綺麗なサンセットビーチ 
ラニラカイビーチの真っ白な砂
クインエマ の旧跡サマーパレス
ハワイ原語と英語混ざった地名が多い
覚えられない 追いつかない
たまに馴れだ地名が目と耳に入る  ほっとする
日本のマツモト掻き氷の店は五年ぶり
長い列は昔も今も変わらない
ハレイワ ビーチ
独木舟や観光船など集まるエイケボートハーブル
学生さんらしい若者たちはアナフフストレム橋からリーバージャゃンプ
河に貸し船を悠悠自在に漕ぐカップルを驚かせる

55号バスはほぼ三十分間隔で来ると気付いた
途中二三か所下車 少し海辺を散策だけで
ワイキキに戻ると陽は西へ沈んでいく
ワイキキには八十四歳の高令の叔父さん夫婦が居る
わしもし生きていれば来年また会いましょうと少し弱音
(2017/05/10)


木内是壽氏の出版ついて「相模文芸クラブ」の日々=外狩雅巳

   「相模文芸クラブ」の同人仲間の木内氏から出版の相談があった。同人誌掲載作品の出版の件である。
   氏は雑誌「文芸思潮」の五十嵐編集長と昔からの作家集団仲間で同誌にも多くの掲載を行っている。
   今回は文芸同人雑誌の「相模文芸」に連載した『梅屋庄吉の辛亥革命』の単独出版である。
   清朝中国を倒した辛亥革命の首謀者である孫文を援助した日本人の事を調べた作品である。
   四回にわたり「相模文芸」誌上に連載した長編である。十万字超で単行本にすれば、二百ページ程度になる。
   氏は日本興業銀行に勤務した経歴から相続関係の専門書の著書も多い。老後の文芸趣味も本格的である。
   アジア文化社から「ユダヤ難民を救った男 樋口季一郎・伝」(木内是壽・著/五十嵐勉・編集)なども出版している。雑誌「文芸思潮」の立ち上げにも加わっている。
  「相模文芸クラブ」へも早期から参加して毎号長編掲載で仲間を励ましている。
  今回の作品も同人雑誌への掲載だけでは満足せず一冊に纏め図書館などに納本するつもりだと言う。
  全力で生き抜いた証を残したい気持ちも大いに理解できるので相談に乗り私の本の出版業者へつないだ。
  零細印刷社としては力の入る仕事と感じたらしく業者も乗り気で見積もりを承諾してくれた。
  『外狩雅巳の世界』を三年間にわたって出版してくれた城南印刷工芸(株)なので仕事は丁寧で安心できる。
  木内氏は「相模文芸クラブ」や同人誌『相模文芸』の出版業者へも承諾を取りデータも受け取っている。
  『相模文芸』を印刷製本する(有)青史堂印刷にも見積依頼し合い見積もりで検討することにしている。
  私もこの作品には注目して『文芸同志会通信』で作品紹介を行っている。良い本になればと期待している。
《参照:外狩雅巳のひろば

文章における猥褻表現の定型はあるのか(3)北 一郎

    猥褻という基準の真実性は、時代によって変化している。
   現代において文章表現の範囲で、猥褻罪の対象となる事例は寡聞にして聞かない。もっぱら視覚的な具象映像・画像での表現であることがほとんどである。
   そのため官能小説の商業的な意味は低下している。ただし、そこでの表現が視覚的具象性への追従が目立つ(こういう自分も、官能小説雑誌でデビューしたが、文章表現の具象性強調についていくことの面倒さについて行けなかったものだ)。
   小説としての形式カルチャーは、すでに時代と共にから並走するに適していないのかも知れない。逆な見方をすれば、小説の必要条件とされていた形式を持たない文学の登場の可能性があるのだ
   しかし、その小説という形式の標準形式をよく守っているのが、D・H・ロレンスだと思う。ロレンスの「チャタレイ夫人の恋人」は、その小説形式のなかで、人間の性に関する意識の一つの表現法として読んで見よう。
   そこで、当時の猥褻裁判で検事が誇張的に主張した部分を、小山書店版から抜粋してみよう。
   自分には、ロマンとしての人間的な性のあり方の一つの表現にと思える。
   まず、起訴状にある「牝犬神」については、訳者の伊藤整の記すように「成功という牝犬神」にクリフォードがとりつかれているーと表現しており、今でいえば、世俗的な作家としての名声と人気という意味にとれる。
   そして、マイスクリスは持ち前の反社会的な孤独癖のために、女性と恋愛をしても、熱烈に女性を愛したい気持ちをもちながら、自分の孤独癖を守るために、うまく行かなかったことが説明されている。そのあとの部分を引用する。
 ――恋人としての彼は、昂奮してすぐ震える性質の男であった。彼の悦びはすぐ高まって終りになった。彼の裸の身体には奇妙な子供じみた頼りなさがあった。彼が自己防禦をするのはただ機智と怜悧さの本能によるのみであった。それらが用をなさなくなった時は彼は身を護るものを二重に失って、成熟しきらない軟らかな身体をした子供があてもなく身をもがいているように見えた。
   彼は彼女の中に、はげしい憐れみと愛慕の思い、野生的な貪欲な肉体の欲を目覚ませたが、彼女の肉体の欲を彼は満足させなかった。彼は何度も悦びに達してすぐ終りになるのであった。そして彼は彼女がぼおっとなり、落胆し、失望しているとき、彼女の腕の中で委縮しながら、またいくらか力を恢復するのであった。
  だがやがて、彼女は彼を持ちこたえさせる方法、彼の喜びが過ぎても、彼女の中で、彼をしっかりと持ちこたえさせる方法をみつけた。すると彼は、彼女に勝手にさせながら不思議に持ちこたえた。彼は彼女の中でしっかりとし、彼女にまかせ、その間、彼女の方は積極的に……野生的に、熱情的に働きかけて彼女自身の喜びに達した。受け身になって固くしっかりとしている彼の身体によって、彼女が激情の満足の極点に達して戦いているのが分かると、彼は妙な誇りと満足感を覚えた。
「ああ、なんていいのでしょう!」と彼女は震え声で囁き、彼に寄り添って静かになった。そして彼は一人切り離され、いくらか傲慢な様子で横たわっていた。――
  裁判での検事の訴状に期待した猥褻度にすると、つまらないですよね。ここで冒頭に戻ってほしい、ロレンスはそれを自覚していたのだ。人間的生活の中に性をみていたことを示すものが、「チャタレイ夫人の恋人」にはある。

何をして共謀罪なのか?   菊間順子

  政府はいま、共謀罪とやらを何とか国会で通そうとしている。何をして共謀罪なのか?
  山へ茸を採集に行っても共謀罪なのだとか、テロ対策であったら、そのままテロ対策で良いではないかと思う、彼は何をどうしたいのだろう、どこかの国のお坊ちゃんのように、国民を彼の思うとおりにさせたいのか?ナチスのヒットラーになりたいのかと思ってしまう。
  憲法まで必死に変えようとしている。憲法は変えるのではなく守るもので。大臣は国民のために国民の税金で国民が雇っているのですから。かってに変えられたりしたら困るのです。彼は本当に国民の事を考えて居るのか、国民を無視しているのか、本心が全く分からない。国民からみると、どう見てもどこかの国のお坊ちゃんと似てきてしまう。
  本人は分かって居るのかだろうか? バカに付ける薬はない、というが取り巻きも同類だからどうしようもない。
   こんな事をいうとこれもまた、共謀罪なのだろう。その前に牢屋をいっぱい作らねばならないのではないのではないかと思う、私は一番に入る事になりそう。

私はだれ? ここはどこ?   外狩雅巳

 高齢者の楽しみは有り余る余暇の過ごし方だろう。旅行も楽しみの一つである。
 海外旅行も手軽になった。年金生活になり世界中を回っている。地球の歩き方を実践中だ。
 今年で後期高齢者になった。健康保険証は後期高齢者用になり、定期入れに入るサイズではない。
 これまでのように身分証明書として持参するには不便である。だが不所持では身元不明者となる。
 私はだれなのか証明できない。国内なら身内に連絡して証明してもらえるが海外ではどうしょうか?
 運転免許証も取得していない。マイナンバーカードでも持とうか。自分が誰なのか証明出来ない不便さ。
 外国語もダメだ、妻も御茶ノ水女子大卒を自慢したのに日常英語すら不完全である。万事休す。
 一昨年のトルコツァーでは、道に迷い危うく野垂れ死にするところであった。ここはどこ? と尋ねる言葉も無い。
 万一にも不穏な外国で一人ぼっちになったら生きては行けない。それでも海外ツアーにはゆきたい。
 懲りない老夫婦は高額な海外ツアーあれこれ物色している。今度はニュージーランドへ行くのだ。
 使い切ったパスポートを更新した。旅行保険も検討中だ。早くも事前に多大な出費が目白押しである。
 世界を見ずして死ねるか! とばかり飛び回るがツアーでは名所めぐりばかりで、上辺しか知り得ない。
 丁稚奉公から始まった辛い仕事も無事定年になり、年金老人の文芸趣味も堪能した。
 年金生活者の平均年齢も上がりまだまだ元気である。資産を残せば国家に没収されてしまう身の上だ。
 無宗教の妻の口癖は、人は死ねばゴミになるである。今の充実に焦るが付け焼刃しか思いつかない。
 子の無い夫婦の最終章は旅行三昧に明け暮れている。
《参照:外狩雅巳のひろば

文章における猥褻表現の定型はあるのか(2)北 一郎

伊藤整全集(17巻)には「『チャタレイ夫人の恋人』裁判事件」として、その裁判を客観的に記録している。
 まず、D・H・ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の完訳は小山書店版のロレンス選集の一部として、上下両巻にわけて、両巻とも伊藤整が担当して、上巻は1950年4月、下巻は5月に発行された。それから約2ヵ月後の6月27日、この訳書は、刑法上のワイセツ文書の疑いで全国的に押収され、9月12日ワイセツ文書販売罪(刑法第一七五条)の罪名をもって、出版者小山久二郎および訳者伊藤整が、東京地方検察庁によって起訴された。担当検事は中込隣尚である。ーーと記し、さらに作家たちが弁護に立ち上がったことなどが書いてある。
  そして、検事の起訴状の文言を記している。それによると、
(前略)ーー 公判の第1審第1回公判では、中込検事が起訴状を朗読した。この起訴状は『チャタレイ夫人の恋人』を典型的なワイセツ文書として、たとえばつぎのような表現でこれを攻撃した。
 「たまたまクリフォオドの許を訪問し、両三日滞在中の反社会的で『下司な』憂鯵にさえみえる瘡せた文芸作家マイクリスが、発情期の牡犬の如く『牝犬神』の有夫の婦コニイに迫ると(中略)不用意な遭遇を機会に相互の人格的理解とか人間性の尊崇に関し些の反省批判の暇なく、全く動物的な欲情の衝動に駆られて直ちに又これと盲的に野合しその不倫を重ねる中漸時男女結合の性的享楽は性交の際に於ける同時交互の性的感応最高潮の愉悦を得るにありと悟り、人間の憧憬する美は性交の動態とその愉悦を創造する発情の性器なりと迷信し(下略)」のような表現があった。
 この文章は全体としてこの作品の実質をいちじるしく歪めたものであった。また「牝犬神」という言葉は作品のなかでは立身出世の神の意味につかわれているにもかかわらず、起訴状では好色の神としてまちがってつかわれていた。起訴状の執筆者は、作品を故意に歪めて読んでいることが明らかであったので、第一回公判においてはその点を辮護人側が猛烈に攻撃し、かつ起訴そのものが言論弾圧を目的としたものである点を強調して公訴棄却を要求した。検事側はこれに応じなかった。――(後略)
 起訴状では、マイスクリスが発情期の牡犬のごとく、夫のクリフォードの家に滞在した際、人格的理解や人間性の尊重もなく、動物的な浴場の衝動で、盲目的な野合をし不倫をした。そのことで、男女結合の性的享楽は、性交の性的感応最高潮の愉悦にあると悟り、人間の憧憬する美は性交の動態とその愉悦を創造する発情の性器なりとと迷信したこと(が、書いてあるから)猥褻だということか。
 どうも、これは個人的な好みによって、そう思うかどうかであって、検事はそれを猥褻とする嗜好の持ち主だったようだ。

文章における猥褻表現の定型はあるのか(1) 北 一郎

 このほど、刊行当時の世界的な文学的猥褻書として著名な「チャタレイ夫人の恋人」(D・H・ロレンス)を日本語訳したのが伊藤整の猥褻裁判となった版のものを入手した。小山書店のロレンス選集の第1巻(上巻)と2巻(下巻)である。
 現在の「チャタレイ夫人の恋人」は、伊藤整・伊藤礼の共訳として、新潮文庫から刊行されている。しかし、それはその後発見され、刊行された、いくつかの異なる原本からの翻訳となっているようだ。そこで伊藤礼氏にお願いした。
 日本で猥褻裁判になったものと、同じ本を送っていただいたのだ。
 第1巻には「著者の序文」というタイトルで、末尾には「パリにて一九二九年 D・H・ロレンス(吉田健一訳)という文章がある。
 そこには、作品刊行の背景にある性に対する認識のずれが述べられている。
(前略)――清教徒的精神とその結果として生じる性的な白痴に対して、この頃汽車の中などで乗り合わす現代的な青年たちがいる。彼等は解放され、また進歩していて何事にも目を塞がず、「自分が好きなようにしている。」肉体を恐れ、その存在を否定するかわりに、こういう進歩的な若いもの達は他の極端に走って、肉体を一種の玩具として扱っている。どこか不愉快な玩具ではあるが、それがある間は結構なぐさみになるものなのである。
  彼等は性の問題の重要性を否定し、これを一杯のカクテルも同様に考え、彼等の年長者をからかう材料にしている。彼等は進歩的であって、「チャタレイ夫人の恋人」のような本を軽蔑する。彼等にとってはこの小説は余りにも単純で、平凡なのである。彼等はそこに、彼等が少しも関心を持たない露骨な言葉と、彼等には流行遅れい思われる恋愛観を見るにすぎない。こんな大騒ぎをする必要がどこにあるのだろうか。恋愛は一杯のカクテルに過ぎない。彼等によれば、この作品に示された態度は十四歳の少年のものである。
  しかしながら性的な問題に対していくらかの習慣的な尊敬と、然るべき畏怖を保っている十四歳の少年の態度は、カクテルばかり飲んでいて、なにも尊敬せず精神を紛らわすために人生の玩具、ことに恋愛をもてあそぶことしかできない青年達の精神状態よりもはるかに健全なのである。そういう青年達は遊びに耽っている中に自分の精神も見失ってしまうのである。――(後略)
  ここでは、作者自身が自らの作品を、その問題意識の内容の深みはともかく、若い思春期の人間の感覚のものと、認識している。
  これを翻訳したことで、日本においても、猥褻作品として訳者が起訴されたのであるが、この起訴文が時代を超えた論理性をもっているのである。

妹 Kちゃん (後篇)     やまや白丸

 良い子でいるのが疲れた宣言から6年。突然の妊娠しました報告。
 一体全体、何が起こっているのか?何をそんなに反抗的なのか?誰にも分からない。
 衝撃ニュースから一カ月後、妹Kちゃんは一人日本に帰ってきた。
 すでにお腹の膨らみは目立ち、すっかり妊婦さんの顔だちであった。一先ず元気そうである。
 かたや破天荒なKちゃんにいらだっている母。しかし彼女は身重でありストレスを与えて良い時期では無い。
 直接お説教出来ない事に、いらだちは輪をかけていた。
 母の怒りは私の前で爆発!! 自分の娘だけどあんなにバカだとは思わなかった! とさじを投げた。
 まあ、冷静になろう。今一番大事な事は無事に元気な赤ちゃんを産む事である。もう事ここに至っては、過去を嘆いても仕方ない。
 翌日、朝一番で近隣の産婦人科に行った。勿論、母は来なかった。
 幸い、出産設備も整っている。
診察室へ案内された。穏やかそうな白髪男性医師。
 まず問診、やや緊張気味のKちゃん……さすがのKちゃんも私のしている事、変? また怒られるのかしら? とでも思っていたのだろうか?
 初めての受診です、これまで一度も病院には行ってません……とポツリ。
カルテに記入していた医師も一度手を止め、顔を上げた。ん? 海外にいたんでしょ? そこの病院でも一度も行ってないの?
はい! と言い切るKちゃん。後ろで立っていた私も大きく頷いていた。
 あ〜、えらいこっちゃ〜。両手を頭において、伸びをする医師。
 本当にえらいこっちゃと苦笑いを混ぜながら、事を進める医師。わかりました、今日は妊娠初期にやらねばならなかった検査一式、一度に行います。
 母子手帳も近隣の保健所でもらうようにと。
 まず超音波で赤ちゃんの様子を診ますからと……ベットに仰向けになるKちゃん。
 映しだされた小さな胎児、力強い心音、女児である事、週数相応に発育している事……医師は丁寧に説明してくれた。
 興味深そうに画面を見入るKちゃん、全ては初めての事。
 結婚・妊娠・出産、女性にとっては人生の一大イベント、おめでたい出来事なのに……Kちゃんは順番を間違えてしまったのだ。確かにどこの学校でもこの順番を間違えてはいけませんと教わった記憶はない。テストにでた事もない。
 受診の結果、全て問題なし。予定日も三か月後に迫っていた。ある意味Kちゃんはラッキーなのだろう。すべて回りが助けてくれるのである。
  実家に帰宅すると、母は待っていた。本当なら母にとっては初孫であり、楽しみでもあり、半面心配でもあり……当時、父も存命ではあったが長期の病で入院中であった、とても相談できる状況ではなかった。
 この時の母を思えば複雑な心境であり、母の私が頑張らねばと一人気負ったのかも知れない。
 三か月後には、母にとっては孫、私にとっては姪、Kちゃんにとっては娘であるAちゃんは、無事に元気にこの世に誕生する。
 生命の因果関係か? その二か月後には父は他界する。
 葬儀では気丈に喪主を務めた母であったが、更に半年後には急な病に倒れ闘病の甲斐なく父の後を追うように母までも他界してしまうのである。
 長期にわたる父の介護、突然の孫の誕生、心身共に疲れ果てたのだろう。
 この時ばかりは、Kちゃんのせいだと思ってしまう位、不幸は続いたのである。
 およそ10年前の私の人生を振り返る。
 人生本当に何が起こるか分からない。人生一寸先は闇。若かりし時の父の口癖。今ここで文章にし、一つ一つかみしめる良い機会に恵まれた。
 そして、姪のAちゃんはこの5月に10才のお誕生日を迎える。元気に異国の地で小学校に通っている。
 天国にいる両親も、見ていてくれる事だろう。
(「妹Kちゃん」おまけ編に続く)
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「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★