「詩人回廊」

たいして面白くはないけど、退屈しない!!文芸同志会が提供する“コンテンツ文芸” 「詩人回廊」では、不易流行の精神をもって、詩及び詩の素因をもった散文を読む庭園です。それらを寸編小説という名称にしてみました。  不易とは時代が変わっても変えてはいけないもの、流行とは時代が変わったら変えるべきものという解釈ができます。(編集人・伊藤昭一)(連載を続けて読むには、右サイドCategories の筆者の庭をクリックします)

学び二題            河内和子  4

 四日後のイタリア旅行をひかえて、荷作りがさっぱり手につかずにいた。自室が片付いていないからである。山積みのファイル、読みかけの本、土産や携帯用に買いこんだ袋の山、脱ぎっぱなしの衣類など……片付けられない女になりさがってしまったのだろうか。三十年ぐらい前までは、週一度は整理整頓して物をあるべき場所にきちんとおさめていたのに。今では古くなったものを処分しようとしても愛着がむくむくわいてきて捨てることさえ下手になってしまった。
 何もかもが億劫になって、どしんとテレビの前の椅子に身体をあずけ、リモコンをつけたら、画面に「片付け士」という片付け名人が登場したところだった。眼の大きい、引き締まった顔立ちで何ごとにも動ぜずという冷静さをたたえている。
 この人がちらかり放題の靴店を訪れるのだ。サイズごとに並べることもしないで、空き箱も捨てられず、品物がうずたかくたまった店内、せっかく客が来ても、探すのに手間取って売れるチャンスを逃す場面が出る。二階はもっとひどいありさまで、ゴミだか商品だかわからないものが隙間もないほど山をなしている。店主の母親という人が出てきていう。「いい子なんですけどね、片付けるのが苦手で」
「片付け士」氏は少しも動ぜず、一言命じた。「まずはホコリを除くことから始めてください」
 後日、靴屋さんは見違えるように変貌した。どこに何があるか一目でわかるから、接客もスピーデイで売れゆきもめざましい。NHKの番組だから、〈やらせ〉ではないだろう。
 よし、わたしもやってみよう。スーツケースに詰めるのは後まわしにして、まず床においてあるものを全部ベッドにのせ、ホコリを取り除くことを始めた。掃除機をかけ、ホコリふき用ペーパーで部屋の隅から隅までベッドの下まで這いつくばってふきとってみた。やりながら、目につくいらないものをてきぱき捨てているのに気づく。ホコリをとっただけなのに、あっという間にゴミが大きめの袋一杯になった。室内はどことなく、ぴしっとしてきて、さわやかな感じがしている。荷作りはもう大丈夫できる、とう気がした。

 さて、荷作りが一段落して、ファイルや書籍もととのえたりしたら、急に疲れが出てきて、肩と背中がこれはまずいという状況になった。ついこのあいだマッサージをしてもらったばかりなのに、また行かなければならないのだろうか、でもイタリアに行ったら、マッサージにはかかれないのだ。これこそという肩こり体操を探すことにしよう。
 インターネットで検索したら、You Tubeの項目に行きついた。目下一番人気の動画投稿サイトである。画面には疲れで頬の肉も落ちているような若者が出ていて、治療師が直接指導する声が聞こえてくる。驚くほどの効果、というキャプション付きである。わたしも若者を手本にしながら、言われたようにやってみた。じっくり肩を上げ下げ、まわし、ストレッチを五秒ずつくらいする。実際にスポーツクラブで指導を受けているような気分である。それが効いたのだ。やり終わったら、肩こりも背中の張りも消えていたので、効果が抜けないようにその夜はいつもより二時間ぐらい早く床についた。
 七十一歳になってもこれまでの思い込みを一掃させられるような、映像からの学びがある。だから生きていることがますます面白くなるのである。(2009・11・7)

限りなく透明なブルーハワイにて(8・完)白木屋のなかにブックオフ  江素瑛 4

 叔父に古本屋に連れて行ってもらった。叔父の早足を追っ掛けているうちにドンキホーテの大きい看板が目に入った。元ダイエーを買収した日本の大手スーパだ。その近くの叔父が昔よく行った古本屋は雑貨屋に改装されていた。アラモアナ ショッピング センターにある白木屋のなかに日本でもおなじみなブックオフ古本屋があった。

「ハワイの野鳥と野草に関する本を探していいるのですが・・・」まずほしい本を店員に聞いてみた。
 「その方の本はあんまり置いてないです、専門の本屋さんにあると思います」若い男性店員が探しに行った後、済まなさそうに言った。
「本を買ってくれます?」
「あ 取り扱っていますよ」
私の見せた本を不審な目で見ながら、もう一人の女性店員が寄って来た。
 まず、手づくりの五百円の「詩人回廊2009」を見せた。それははいらないといった。
次に、三年前に土曜美術出版販売で自費出版の詩集「記憶の風」のバーコードを眺めて、「これなら買います。一ドルでよければー」
定価二千円の詩集を一ドルでというと、日本円で百円だ。日本のブックオフより高く買ってくれるのだ。内容より、やはりバーコードが大事なのだ。
 家に着いたら、叔父が本棚から私のほしい本を呉れた。しかも、その夜、ナイウンがハワイの野鳥と野草の本をプレゼントしてくれた。予期しなかった結果だった。

 帰りのチェックインは素早く済んだが、飛行機搭乗前に黒人の検査官に尋問された「何しにハワイにきたの?三日泊まりだけ?日本で仕事しているの?事務所は日本にあるの?」変な質問ばかりされた。
 スニーカーを手に提げ、ビーチサンダルのままで、飛行機に乗ろうとした日本人若いカップルを見て、「靴を履いて下さい」と検査官は矢先を向き変えた。
履物も自由に履けない自由な国。

 こういう機会でなければ、何年間も会っていない叔父の家族達と会うことはなかっただろう。飛行機のなか、叔父一家の暖かい人情を思いながら、うとうとと眠りに落ちる。(完)
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第九回「文学フリマ」で発売の「詩人回廊2010」のデザインと内容決まる4

0f1e0386.jpg 12月6日の第九回「文学フリマ」(東京・蒲田の大田区産業プラザPIOで開催)で、当サイトの作品をセレクションした「詩人回廊2010」(500円)を製本化して販売する。そのデザインが決まった。
 「詩人回廊2010」は、はからずも「文学フリマ」の創始者の大塚英志氏の示した「既成の枠にとらわれず、プロ・アマといった垣根を取り払う場」との趣旨に沿ったバリエーションとなっている。歴史的な作家の作品はWebサイト「青空文庫」から原文を得ました。それをブログ「詩人回廊」に掲示。そこからさらにセレクションし編集を加えたものを本書まとめた。編集にあたっては、元来「詩歌編」「寸編小説編」というジャンルで区分するつもりでいましたが、当分の間は、「テクスト」として同列に並べることにしている。
《詩 人 回 廊2010》の目次は次の通り。
俳人としての芥川龍之介と室生犀星  萩原朔太郎 1
オールドレディスのコーラス発表会にて  江 素瑛 5
隅田川慕情 江 素瑛 6
寸編小説 双子兄弟 江 素瑛 7
ある忠告 太宰 治 8
庭のミラクル 河内和子 9
ある共感 河内和子 11
ルリマツリ異聞 河内和子 13
こだわりの赤い針 河内和子 14
頑是ない歌 中原中也 16
煙草論 佐藤 裕 18
一九九九年 秋 佐藤 裕 19
泣く女 佐藤 裕 20
天空の街 佐藤 裕 21
千年紀 佐藤 裕 22
形 菊池 寛 24
七月の北京 矢野俊彦 26 
愛よ愛 岡本かの子 28
野の草 北 一郎 29
裁判制度の本質をカフカで読む 伊藤昭一 30
大塚英志「物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本」に読むニヒリズム観
 山川豊太郎 35

限りなく透明なブルーハワイにて(7)フオートルガーマーケット  江素瑛 4

  頂上から降りたら、麓で叔父らが東京から来た観光客と世間話をしている。私は近くに来ている赤いとさかと赤い顔をしている鳥、赤カーデナルに目を引かれ、カメラで追っていく。ハワイにはどこでも見られる鳥と言われたが、私には珍しい。そのほか、山鳩、プロバーなど人に寄ってきてえさをねだる。市場などでうろうろし、まったく人間と同じ場所で生活している。

  山のふもとで叔父は、わたしの野鳥観察に呆れた顔でじっと待ってくれた。あの表情は生前の私の父とそっくりだった。胸に沁みてくる。父の母がデパートで長い買い物を楽しんでいるとき、隅でうんざりして待っている顔である。あちこちを熱心に案内して、自分の目に映った光景を、私の目にも留めてほしいに違いない。
  その後ハナウマベイーへ案内してくれた。毎週火曜定休の綺麗な海湾、車で入り口に一ドルで入場、十五分以内で出ると入場料が戻ってくるとの事。
低い垣を翻えて、海に近つく、穏やかな海風に吹かれて、大きくて様々な形をしている岩岸を歩く。白い砂浜に色とりどりで点在する人影が見える。ダイビングをする人、シュノーケリングをする人、珊瑚礁、岩に寝そべって、貝殻で海の音を聴く人もいる。
 
 昼はハワイアン料理専門のフオートルガーマーケットに寄った。アメリカンシネマによくある小さな年代の店。胸を晒し、身体に派手なタトウーをしている混血っぽいのハワイアンが、ガードマンのように店外の椅子に腰掛けている。店内はハワイアンフード以外、雑貨、竹たらいに大きめの握りすしも置いてある。
天井には大きな扇風機が吊ある。
客にお手洗の場所をたずねられるのが、もう面倒になっているだろうか「ここには公衆便所はない」との貼り紙があった。

  タロイモのすり身、豚肉の葉包みラウラウ、ココナツのプーディンハウピアなどを買って帰る。酸っぱいさ、と塩っぽさを感じる料理。気候の暑いハワイならではの、長く保存できる味つけなのだ。
夜は叔父の家族達、皆ナイウンの家に集まった。バイキングパーティを楽しんだ。
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大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿――構造しかない日本』に読むニヒリズム観(5・完)4

 「構造しかない物語」の最たる例は、恐らく村上春樹や宮崎駿の作品群――それに連なるマンガ、アニメなどのサブカルチャーではなく、ここ五年間くらいで市場を席巻しつつあるケータイ小説であろう。詳述は控えるが、これらの作品は、それこそ判で押したように皆、同じ主題が繰り返される(妊娠、暴力、愛する者の突然の死など)ことによって知られ、いわゆる評論家の人々がこれらの作品を軽侮の情とともに敬遠する要因の一つともなっている。しかし、宇野氏はこれらのケータイ小説に内在するポテンシャルを指摘する。それは、これらの作品は、まさに構造のみが特化された物語で、そこに登場する人物たちは「〜である/〜ではない」というアプリオリな属性ではなく、「〜する/〜した」という行為によってその実存が承認されてゆく「脱キャラクター化」された「自我」であるという点だ。

 さらに宇野氏が注目するのは、宮藤官九郎の《木更津キャッツアイ》や木皿泉が脚本を手がけた《野ブタ。をプロデュース》などのTVドラマの世界で、彼はこれらの作品に「「死」「終わり」を射程に収めること」によって獲得することの可能な「永遠のものでも唯一のものでもない」超越性を有する共同体の呈示を見る。要するに、丸山眞男の言う永久革命としての民主主義ではないが、それらはあらゆる開かれた意志によって更新され続ける――書き換え可能であるという一点によって「超越性(それが特別であること)」を担保されるような、そんな共同体のあり方である、ととりあえずは言える。

 これらの議論をふまえると、一つのファクターが浮かび上がってくる。それは「偶然性」の有する力だ。東浩紀氏の議論に寄り添うならば、それは「誤配」の可能性という言い方になる。我々は「価値」あるいは「意味」を失った世界に放り込まれている――。この事実が、そもそも本論の出発点であった。日本が世界に誇ると言われているサブカルチャーもまた同様、「構造」のみがいびつに肥大化し、本来そこに代入されるべき「自我」は失われてしまっているか、「母胎回帰」を欲望する宙吊りの自己に堕してしまっている、と。しかし、何度も確認するように、唯一絶対の「価値」や「自我」などありえない。だから、そこに求められる主体は、繰り返し変容してゆく「余白」あるいは「あそび」を宿した自己であり、さらには、その「変容」の契機は「偶然性」によって保障されるべきであると考えられる。

 今、このようにしてある「私」は、たまたまこのような形で世界に関わっているだけであり、その関わり方は決して永続的でも唯一のものでもない。「価値」も「意味」もまた、偶然性の産物である。これはニヒリズムであろうか。例えば、我々はこの世に生を受ける時、両親や国籍、性別などを主体的に選択することができない。全ては偶然の名のもとに、事態が進行した結果として受け取ることしかできない、ある種の運命なのであるが、それは必然ではない。なぜなら、我々は神が死んだ後の世界に生きているからである。自分が自分であるのは、超越神や第三者によって「かくあるべき」と命ぜられたからではなく、多くは自分が属する世界(共同体)によって名指されているだけなのであって、世界との関わり方を変えてゆけば、当然、自分も変化する。

 最後に、宮崎駿氏の『風の谷のナウシカ』について記しておきたい。大塚氏が前掲書において指摘するように、この作品は「構造からはみ出すものを良くも悪くも抱え込んでいる」。大塚氏がアニメ版『ナウシカ』に、「武装」「非武装」という近代のアポリアを読み取るのに対し、ここではマンガ版のそれに、これまで述べてきた「偶然性」の持つ可能性のメッセージを抽出したいのである。
 この物語の中で、人々は核戦争後を彷彿とさせる世界に生きており、放射能(瘴気)の脅威に怯えながら、それでも戦いをやめようとはしない。しかし主人公ナウシカは、瘴気をもたらす「森」が、実は汚染した大地を清浄化するための機能を果たしていることを知り、これ以上人間たちが世界を傷つけてはならないと使命感にかられ、戦いに身を投じる。実はアニメとマンガのストーリーの鉾先が大きく変化するのはここからで、結論から言うと、マンガのナウシカは世界を救うことができない。なぜなら、マンガにおいてナウシカは、仮に世界が「清浄」化した時、既に汚染された空気のほうに耐性を持ってしまった人類は滅びるしかない事実を知ってしまうからである。人類を清浄な空気に調和させるよう、人工的に作り替えることが可能である、と自らの権力に従うよう誘惑する「墓所の主(前時代の人間が作った、恐らくはコンピュータ)」に対し、彼女はその申し出をはねつける。
 「人類はわたしなしには亡びる」と言い放つ墓所の主に、「それはこの星が決めること」と断じるナウシカの台詞について、これまであまり詳しく論じられたことはないが、ここでナウシカは、人類を滅びるにまかせるという選択をしたことになるのだろうか。そうではなく、彼女は唯一の「価値」や「意味」が、数百年の時間軸を横断する形で未来を決定させる道よりも、自分たちは滅びるかもしれない、しかし滅びないかもしれない、という未決定の内に、それぞれの変容する自己が世界そのものを変えてゆく可能性に賭けたと見るべきなのではないだろうか。「生きることは変わることだ(中略)だがお前(墓所の主)は変われない。組み込まれた予定があるだけだ。死を否定しているから」とナウシカは言う。多分、ナウシカは死を繰り返すことによってのみ、人間――生命は変わるという進化論の秘密についても知っている。自分たちはたまたまこうして生きているにすぎない、という事実こそが、彼女にとっての逆説的な希望となっているのである。(了)

  主観と客観のあいだ         佐藤 裕4

心理学の講義を聴いていたら
「現実世界は主観的な世界である
 身体という存在があることで
 夢や空想の世界と異なる客観性が生じる
 身体は主観と客観的現実の接点である」
サルトルは
「意識は存在志向的意識と存在空無化的意識の
 二つの側面を有している」

夢のような出来事と現実のような夢
この「ような」のなかに
漆黒の闇を疾駆する黒い馬と
青い大きな海原が現れる
詩の鉱脈が隠されていて
息苦しいほど張り詰めた神経繊維のなかを
浸透する微生物
徐々に得体の知れない像が形づくられ
言葉が像を捕らえ
繰り返し繰り返し淘汰する
横たわる詩人の爪が伸び
眼球が反転し
叫びにならない叫びが食道から湧き上がり
鼓動のない世界が朝露のようにつくられていく

茶色い濁流に流される家屋や家財
見えない路上の上を 逆立ちで歩く人の群れ
砂漠を過ぎる黒い影
雨に濡れる紫陽花 夕陽に輝く運河
雪を被る樹木 樹木 樹木
生と死が折り重なり
安息の棺が 終点の無い勾配を
無力に滑り落ちていく
果てのない意識の終焉を夢み
重量のない世界を夢みて

第20回「伊東静男賞」は、奨励賞に頼圭二郎さん、池谷敦子さん。4

 第20回「伊東静男賞」は、応募総数861篇があり、その中から第一次選考として候補作50篇(佳作)を選出した。さらに最終選考で入選作品、1遍と入選作品がない場合は、奨励賞2篇を選出することになっている。選者は高塚かずこ、田中俊廣、以倉紘平、伊藤桂一の各氏。
 今回は入選作品はなく、奨励賞に頼圭二郎「白い夏の散歩」と池谷敦子「しんしんと山桃の実は落ち」の2作品を決めた。
 贈呈式は、平成22年3月28日(日)「菜の花忌」にて行う。また、奨励賞作品及び選評、並びに佳作48編の作者名を平成22年5月に発刊する「諫早文化」に掲載される。

 吊り下がった命      佐藤 裕

霊安室の白い壁に
黒いセーターが吊り下がっている
棺に横たわる死体はまだ現れず
冷たい空気が 四角く閉ざされた
空間に 朱色の斑のようなものを
いくつも 浮き立たせて
椅子に腰掛け じっとうずくまる
人影が二つ 時折空咳をしながら
ぼそぼそ独り言を繰り返す

廊下を乾いた靴音が響く
白衣を着た骸骨が 風のような声をあげ
二人は寒さに震える
死刑台に向かう罪人のように
寝台には まだ温もりがある
涙で色の変わったシーツの端
抜け落ちた数本の髪の毛
命の重さが 画鋲のような
痛みを伝えている

死体は まだ現れない
胎児を孕んでやせ細っていく長身の女
光の束で形づくられた檸檬 紡錘形の
体内から すでに腐臭が始まり
吊り橋から落下する はぐれた一本の針
細く長い階段をのぼると
黒人の叫ぶような声が
嵌め込まれた向日葵の花に
突き刺さっている

死体は まだ現れない
宵の海に浮き沈む 難破船
折れた帆柱によじ登る
男の後姿
衣服は幾重にも剥ぎ取られ
突き出ている尖った臀部
雪に覆われた山と山の間から
針のような海の光が 不様に垂れ下がっている

死体は まだ現れない
光と影の闘い 生と死の交錯
激しく 静かに 流れる
不条理な音の調べのなかを
赤い血がゆっくりと
白い壁の表面を 下降していく

第14回若山牧水賞に大島史洋さん(65)「センサーの影」(ながらみ書房)に決まる4

 第14回若山牧水賞(宮崎県など主催)が11日発表され、千葉県習志野市の歌人・大島史洋さん(65)の歌集「センサーの影」(ながらみ書房)に決まった。賞金100万円。大島さんは岐阜県出身。早稲田大大学院国語学専攻を修了し、出版社で辞典の編集に携わった。歌人としても活動し、歌集「封印」で第34回日本歌人クラブ賞を受賞するなどの受賞歴がある。「センサーの影」は、中年から初老にかけての人生の悲哀や、家族や何気ない風景に目を向けユーモアを交えて表現。日本芸術院会員の岡野弘彦さんは「生き方を考え、新たな人生を模索していく時期の歌で、今までと違った自在さが出ている」。歌人の伊藤一彦さんは「率直さから来るユーモアに、牧水と通ずるところがあるのでは」と評価。

大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本』に読むニヒリズム観(4)山川豊太郎4

 ここで我々は再び最初の問いに戻ることとなる。すなわち、我々に「無・意味化された世界」を克服する方法は残されているだろうか、というあの問いである。
 既に見てきた通り、現実社会の「無・意味化」と「構造しかない物語」の氾濫が同時進行的に発生しているのであれば、恐らく物語論のレベルで現在、模索されている様々な試みを検証することは、我々を被覆しつつあるニヒリズムの影に抵抗するさいの、ある種の判断材料にはなるであろう。
 例えば、大塚氏が前掲書の中でこだわり続けるように「現在を「近代の不徹底」と定義し、(中略)「公共性」やその手段としての「民主主義」のリハビリテーションに加担する」という道がある。大塚氏は近代的「私」や「自我」の可能性を、我々は本当は試行し尽くしてはおらず、ポストモダン以降、それらを旧弊な価値として食わず嫌いのまま放置してきた経緯がある、と見ている。
 よってこうした「主体」の回復が望まれるべきであり、それは他者とのコミュニケーションを通じて獲得される「公共性」の内に現れるであろう、と。であるから、物語論的に求められるのは「自前の「物語メーカー」に「自我」を代入する技術の習得」である、という結論になる。

 だが、この種の議論もまた、一つの「価値」の回復を要求している点では――いくぶん乱暴な物言いになってしまうが、佐伯氏の唱える「日本的精神」などという胡乱な言説に容易に接続しかねない危険性を内包しているとも言える。無論、そうした危険性に陥らないための「技術の習得」なのだ、というのが大塚氏の主張であり、それはよく理解できるのであるが、我々の有する「自我」に、果たして近代や民主主義という「理念」はどこまでリアリティーを提供できるのであろうか。むしろ、ネット上でナショナリスティックな議論が安易に醸成されるように、多くの人々は「理念」よりは「道徳」に、あるいは「公共性」よりは「国家」のほうにより親和性を持ってしまうのではないか。

 そこで、評論家・宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』(早川書房)を参照してみたい。本書は、私見によれば、大塚氏の一連の議論に対する評論家・東浩紀氏の反論――に対する反駁のような位置づけにあって、現在を決断主義的ゲームの台頭ととらえ、しかしそのゲームから、東氏(や彼に代表されるような90年代的思考)のように「意味の備給を断念し、母親が子供に与えるような全面的な承認の確保を志向する」(まさに母胎回帰願望)のではなく、「決断主義という不可避の条件を受け入れ、動員ゲームから可能な限り暴力を排除する運用を志向する」ことが重要であると説く。

 要するに、議論の要所においては、宇野氏の主張は大塚氏のそれと重なりあう部分も存在する。ただ、大塚氏があくまで「近代」や「民主主義」という大上段の言語を援用して個々人の「公共性」の再構築を企図するのに対し、宇野氏がとりあえず「リハビリテーション」の目標とするのは、「日常の中のロマン」なのだ。
 先に述べたように、ニヒリズム化する社会に何らかの「価値」を補填しようとするさい、我々が注意すべきなのは、ブッシュや小泉純一郎が見せた政治的パフォーマンスが象徴的であるように、二者択一の強制というロジックの有する罠に無自覚なまま、その「決断主義的ゲーム」の内に取り込まれてしまう事態であろう。繰り返すが、唯一の「価値」の回復を目的とした物語は、それ自体、既にある種の危険性をはらんでいる。しかし、とは言いつつ我々は判断停止のモラトリアムの中で惰眠をむさぼるわけにもいかない。宇野氏の議論に言及したのは、そこにこれらのジレンマの脱却に向けた一つの回答を見ることが可能なのではないかと考えるからである。すなわち、「脱キャラクター化」の思想と「終わり(死)の設定」という視線である。
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