「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供4)伊藤昭一

 人間社会の価値観は、時代によって、変わるものだが、現代においてこのような主張をする文芸家はいないであろう。このことから文学に対する時代の価値観や認識の近代(モダン)と現代(ポストモダン)の違いを導き出してみるのも、意味があるのではなかろうか。
 現在でも、文学の品質の良さの基準に、人の心を感動させるということを条件にする見方がある。
 じつは、小説や詩を読むと、小学生や中学生の作品のほうが、大人の同人雑誌などに掲載されるものより感動させるものがいくらでもある。その意味では、「感動した」という評価の基準が曖昧である。
 しかし、この菊池寛の主張のように、若いときの作品は、人生がわかっていないで書いているので、価値が低いという側面の意味からすると、じつに妥当なのである。さらに、「パンセ」を書いたパスカルなどは、12歳までの子供は、まだ人間になっていない、としている。これもまた、その時代の精神における価値観を表しているのである。
 菊池寛には文学の生活重点と実用主義の重なる思想から、突飛と思える論を唱えるところがあった。
 昭和十一年の雑誌「文學界」の座談会で、「詩は滅びる」と述べた。また同年の「文藝春秋」十一月号の「話の屑籠」でも同様の趣旨を書いている。これに萩原朔太郎が朝日新聞に反論を書いている。
 菊池の詩の滅亡論は、いかにも飛躍しているように思える。しかし、現在において当時の詩の形はすでに滅びてしまっている。残ったのは言葉である。言葉における内容だけが詩として存在しているに過ぎない。一部において「詩の滅亡」の予言は的中していたのである。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。


「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供3)伊藤昭一

 菊池寛がこの「小説家たらんとする青年に与う」を発表した1923年は、大正12年で、その前年に結成された第一次「日本共産党」が、検挙排斥されている。また、9月には関東大震災が起きている。そして、1938年、昭和13年刊行の「日本文学案内」において、菊池寛が同じ考えを述べていることは、大正文化から戦争の時代といわれる昭和への世相の激変するなかで、その発想が変わっていないことを示している。
 また、もうひとつの時代背景として、大正時代の日本国民の人口は約6千万人であった。現在の日本の約半分の人口構造である。それなのに、当時は国内で生活できない日本人が海外の移住をさせられていた。現在ではブラジルが有名であるが、アメリカへの移住も盛んで大正13年には、アメリカにおいて「排日移民法」が成立し、移民ができなくなっていたのである。
 しかし、それと同時に、科学技術の発達が、農業漁業の第一産業中心社会から、機械工業産業社会に大転換する。これは世界的なもので、地球規模でも人類の繁栄増殖をもたらしていた。それがマルクス主義思想の世界的拡大のもとになった、といえる。
 米国勢調査局のデータ資料をもとに野口文高氏がまとめたデータによると、地球上の人口の歴史は、次のような増え方をしているというのだ。1600年(5・5億人)/1650年(同)/1700年(6.1億人)/1750年(7.2億人)/1800年(9億人)/1850年(12億人)/1900年(16.3億人)/1950年(25.6億人)/2000年(60.9億人)2015年(推定71.5億人)。とくに、20世紀後半、世界の人口は2.4倍に増加した。
 つまり、1900年には16億人強であったものが、50年後には25億人強になっている。
 その後も増え続けているのであるから、地球上での人間同士の軋轢は最高潮に達したのも無理はない。
 この人類と文化の拡大の激変に比べると、文学芸術の世界は、形は多少変わっても、内容はほとんど変化もしていないのに等しい。なにしろ約千年前の「源氏物語」が今でも読まれているのだから。
 ここで指摘したいのは、菊池寛は無意識のうちにか、そうでないかはともかく、文学の内容の不変性を前提にしていたのであろうということだ。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

私の工場細胞時代!夜間は「中央労働学院」に=外刈雅巳

 雑誌「民主文学」連載中の仙洞田氏作品と私の手記は同時代です。
 東京・大田区羽田のセガエンタープライゼス社での出来事です。
 70年安保闘争の時期に労組創りに奔走した時の事です。過激派が行った羽田闘争も意識した青春の高揚期でした。
 1964年のある日。電柱の組合勧誘のビラに出会いました。カーステレオメーカーであったベルテック社で寮生活中の不満を抱く日々の中でのことです。
 民間下宿借り上げ社員寮で仲間と労働不満を語り合いました。
 その動向を労務担当が察知し、会社が社員寮懐柔策を図り対抗し労組結成しました。
 現場ラインでは成功しましたが事務職員は躊躇しました。事務職員を見染めた作業員女性は、彼と結ばれてしまいました。
 自棄になり中庭でシュピレヒコール気勢等を行いました。
 彼女は半島出身者です、理解すれば結ばれると早とちり。
 賢明な人でした。事務職員との安泰な生活を選びました。
 群馬県への企業移転に賛同せず、整理退職に同意しました。
 ビラで相談した全国金属大田地域支部との出会いでした。
 失業保険で食い繋ぎながら職探しを行いました。また、基礎学習で夜間は「中央労働学院」に通いました。
 職安でセガエンタープライゼス社の募集を見つけました。
 入社し製造ラインで精勤しながらチャンスを伺いました。
 ついに機会到来。労働者への待遇不満の蠢きがあります。
 製造事業部・製造一課。現場の華で働く私の日々です。
 古参労働者の不満を聴きました。彼等は職場の要です。
 共に語り、彼等を地域支部へ連れてゆきました。
 支部執行委員長・幸田一栄氏は総評名物の組織者です。
 生ニンニクを齧りながら組織活動に奔走する活動家です。
 セガ分労組非公然活動中に三ケタの組織を集めました。
 分会書記長の私も西條委員長も共産党員となりました。
 党が無ければ労組は無原則的になると説得されました。
 小林多喜二「党生活者」読書中の私は率先入党しました。
 そして、学校では同級生の仙洞田君を誘いました。
 失業中の彼を人事課長に紹介しました。
 精勤中の私を信じて採用した課長を欺いたのです。
 公然化後の団体交渉で人事課長と対面しました。
 好人物の彼の顔をまともに見る事が出来ませんでした。
 誠実で原則的な彼はセガ社の党責任者に最適でした。
 一夜の過ちで結ばれた現在の妻との事も注意されました。
 夜間大学に進み、革マル派に接近した私は無我夢中でした。
 結論。退学、退職、浮浪者。山谷での売血生活に到達。
 私の小説『血を売る』はほぼ真実を書きました。
《参照:外狩雅巳のひろば

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供2)伊藤昭一

0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。
  菊池寛は、25歳になってから小説を書くことを推奨している。
〜〜  僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵(こしら)えたい。全く、十七、十八乃至(ないし)二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
 とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。〜〜
 これは、「小説家たらんとする青年に与う」において説いていることである。
人間社会の価値観は、時代によって、変わるものだが、現代においてこのような主張をする文芸家はいないであろう。このことから文学に対する時代の価値観や認識の近代(モダン)と現代(ポストモダン)の違いを導き出してみるのも、意味があるのではなかろうか。
 現在でも、文学の品質の良さの基準に、人の心を感動させるということを条件にする見方がある。
 じつは、小説や詩を読むと、小学生や中学生の作品のほうが、大人の同人雑誌などに掲載されるものより感動させるものがいくらでもある。その意味では、「感動した」という評価の基準が曖昧である。
 しかし、この菊池寛の主張のように、若いときの作品は、人生がわかっていないで書いているので、価値が低いという側面の意味からすると、じつに妥当なのである。さらに、「パンセ」を書いたパスカルなどは、12歳までの子供は、まだ人間になっていない、としている。これもまた、その時代の精神における価値観を表しているのである。

「桂林」と「上海」の海外旅行の動機=外狩雅巳

ここで連載した「古山高麗雄」紹介文を推敲再編集して「相模文芸」に掲載します。
確認と調査のため、様々な戦争記録や手記等を読みました。
父からは、兵士として中国戦線で戦った武勇伝を散々聞かされました。
興味津々でいろいろ質問しましたが、擲弾筒操作を聞き忘れました。
社会人となってからは、古書店等で戦争作品を漁りました。
今回はその繰り返しとなり、図書館で多くを読みました。
『桂林作戦』(佐々木春隆著/図書出版)に詳しく出ています。
参謀ですが、作戦詳細以外に、兵器使用現場を描写しています。
兵士一人の戦死にも、胸を痛める記述などはヒューマンです。
しかし、戦争批判や軍国主義批判までは及んではいません。
読書中。突然、妻が桂林ツアーを提案しました。
定期購読中の『旅物語』を見て上海旅行にも興味を示したのです。
偶然の一致なので、早速11月と1月分を申し込みました。
「桂林」四日間で二万九千円。「上海」三日間は一万八千円です。
格安なので自由時間が多いのが魅力です。見聞出来そうです。
日本軍が戦った現場を歩き、戦記の内容と見比べます。
海外旅行では、トルコ旅行の時は迷子になったのに、夫婦共々懲りません。
その後は、北米旅行も検討中です。
《参照:外狩雅巳のひろば

「なぜ『文学』は人生に役立つのか」(1) 伊藤昭一

0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。
  文芸評論冊子の「なぜ『文学』は人生に役立つのか」(文芸同志会発行)は、文学フリマやネットを通じて販売している。この冊子は、もともと長編評論の著作の一部として執筆した。冊子化して1部、2部、3部と連続して発行していく予定のものである。そこで、ここではその第2部以降の原稿として、発表し最終的に書籍化しようとするものである。
 その評論対象となるのは、昭和十三年に刊行された菊池寛「日本文学案内」(ポプラ社)という著書である(現在は絶版となっている)。そのなかの小説作法や評論をテキストとして、かつての日本文学の形態と表現思想が、現代と歴史的にどのようにつながってきたか、それが現代の文学状況とどう異なっているかを分析し、論じようとする。
 現代文学の存在の位置づけは、いみじくもウエルベックが「服従」(河出書房新社)で示した次の文章によくあらわれているのではないか。
『ぼくたちの目の前で終焉を告げている西欧の主要な芸術であった文学は、それでも、その内容を定義するのがひどく難しいわけではない。文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生みだすものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す。しかし、ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。そしてそれは、友人との会話においてもありえない性質のもので、友情がどれだけ深く長続きするものであっても、現実の会話の中では、まっさらな紙を前にして見知らぬ差出人に語りかけるように余すところなく自分をさらけ出すことはないのだ。
  もちろん、文学を語るのであれば、文体の美しさ、文章の音楽性は重要だ。思考の独自性もないがしろにしてはいけない。しかし、何よりも、作家とは一人の人間であり、その本の中に生きている。その本がよく書かれているかいないかということは最終的にはさして意味はなく、大切なのは書くということであり、そして、自らの著作の中に確実に存在することなのだ(これほど簡単で、一見誰にでも当てはまるように見えるこの条件が、実際にはそれほど容易ではなく、そして奇妙なことに、このたやすく観察できる明白な事実は、様々な学派の哲学者にほとんど取り上げられていない。彼らは、人間は誰でも、質はともあれ同じ存在「量」をもち、原則的にはぼ同様に「存在」していると考えているからだ。』(大塚桃・訳)

 まず、ここでは「日本文学案内」に記された菊池寛の「生活主義小説論」ともいうべき、創作理論をまず紹介していこう。
――菊池寛「日本文学案内」第五章「Reading of Life」より。
 自分は昔「余は、新進作家に、技巧の完璧を求めず、取材の新奇を求めず。たヾ求むる所は、新しきReading of Lifeの持ち合わせあるや、否やに在り」と書いた。人生を観じ、人間を眺める眼を涵養せずして、文学は創れるものではない。色々な本を読んで、一人前に人生が解ったつもりでも、実際の問題にぶつかって、なすところを知らず、自分の無力を嘆く場合が多いものだ。
 だから自分はかつて『二十五歳未満の者、小説をかくべからず』という規則を拵えたらいゝと言ったことがある。或る程度に生活を知り、人生に対する考え、所謂人生観というべきものを、きちんと持つことが必要である。
 兎に角、どんなものでも、自分自身、独特の哲学と云ったものを持つことが必要だと思う。それが出来るまでは、小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎないと思う。
 だから、二十歳前後の青年が小説を持って来て、「見てくれ」と云うものがあっても、実際挨拶のしようがないのだ。で、兎に角人生と云うものに対して自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一であって、それより以上注意することはない。小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う。
 実際、小説を書く練習ということには、人生というものに対して、これをどんな風に見るかということ、――つまり、人生を見る眼を、段々はっきりさせてゆく、それが一番大切なのである。
 吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四ヶ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上がってしまうが、それと同じく、小説を書く修行も、色々なことを考えたり、或いは世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に向かって書くのは、一番最後の半年か一年でいいと思う。
《参照:文芸同志会のひろば

不倫と恋愛    やまや白丸

   不倫、不倫、不倫。
   既婚者ならばこれは永遠の黄金のテーマだと思う。
   異性と一緒に外食するだけでも既に不倫であると言う人もいる。
   いや、そうではないと言う人もいる。一線を越えなければ……的な話か?

   こんな話しもある。
   生涯独身のおばあちゃんHさんと同じデイサービスにいらした、未亡人Kさんの話しである。
   Kさんは数年前にご主人を亡くされ、当時は娘家族と同居していた。お孫さんもいらした。
   Mさんは杖歩行でおぼつかない足取りの為、左側から常に介助を必要としていた。そんなある日、普段はしていない左手、薬指に光る指輪。「あれ?Mさん、亡くなられたご主人からですか?
   素敵ですね。Mさんにこんなにも思われているなんて、ご主人もさぞ天国で喜ばれている事と思いますよ。」と笑顔で話した私。
   しかし間髪入れずに即答したMさん。
   「うふふ、違うわよ!」と嬉しそうに私の耳元でささやくのである。
  ん? 違う?
   「これは、亡くなった主人と知り合う前に、出会った婚約者からもらった物なの……当時2人で三越に買いにいってね……」と
  「もう、主人も許してくれる頃だろうと思って、昨日そっとタンスから出してきたの……」と。
  「え?婚約者? で、その方とは? 何故?」そっと尋ねる。
  「若くして亡くなったわ、戦争でね。」と懐かしい表情で返すMさん。
  初めて聞く話しに戸惑った私。そんな過去があったとは驚きでもありジーンと胸打つ純粋な話しでもあった。

  さて、ここで問題のどこからが不倫か? だが。
  このMさんの話はどうなのであろうか?
  勿論、不倫ではない。断じてない。
  しかし、亡くなられたご主人以外にも思いをはせていた異性がいた事は事実である。
  ご主人はこの事を生前知っていたのであろうか?他の家族も知っているのであろうか?
   そっと隠し持っていた指輪・・・・・戦争が2人を引き裂いたのは確かな話し。誰の責任でもない。
  Mさんには聞かなかったが、いや、聞けなかったが、きっとご主人は知らなかったのでは? と思う私。
  会う会わない、一緒に食事をするしない、一線を超える、超えない。
  このレベルを遥かに超えるMさんの戦死された婚約者への強い思い……。
  どこからが不倫?こんな問題を考える事自体おかしな話しなのかもしれないーーと結論に至る。
  純粋な恋愛も不倫から始まる恋愛も、どちらも愛である事には変わりないのだから。

古山高麗雄論の「相模文芸」誌への投稿と研鑽

 相模文芸クラブの「相模文芸」35号は年末の発行予定です。
 私は、「詩人回廊」サイトで連載した『郷土の作家・古山高麗雄』を発表します。
 相模原市唯一の文芸同人会として活発に活動する相模文芸クラブです。年二回の雑誌発行。月二回の合評会。30余名を組織しています。市民文芸として活動してきたので市出身の作家も紹介する事にします。
 さらに詩歌などを含む市民文芸の現状も調査する事にしました。20以上もある公民館や市立図書館等で現状調査を行います。
 現在文芸交流会の開催地で隣接の町田市でも文学館などを回ります。市役所や公民館職員に尋ねると主旨に賛同してくれます。しかし、市内の文芸愛好家の実情はほとんど把握してはいません。
 特に文学の散文方面は個人的に調査しなければわかりません。高齢化社会の活性化としての趣味の世界でも、文学は未開発です。
 行政は進取の機運に欠けますので調査活動は行いません。個人的努力ですが出来るところまで市民文学を調査します。
 その中から相模文芸クラブ新会員が増える事も期待しています。次世代の文学趣味者へ同人誌活動のバトンを渡したいと思います。
  同人雑誌に投稿の作者の満足をえることも、重要です。同人雑誌作品の批評は、文芸誌やインターネットで行われています。
 秀作を見つけ批評紹介して、世に出す仕事として価値があります。しかし、大多数の同人雑誌と作品は網羅できていません。
 小説の公募に応募しても、落選作品は批評も紹介もなく、作者の満足になりません。作者は直接顔の見える作品感想を貰える文芸同人会に加入します。または、書店・図書館等で自己流に学びます。
 ノベルスの世界では大量の作品が流通しそれを読むことは出来ます。読ませる作品とは何かを、プロの読み物作品の手法に求める人も多いのです。
 読み物作品に学び、似せたような作品が同人雑誌にも多くあります。同人雑誌の合評会でも、読み物としての優劣を語る方向が散見されます。
 同人会の枠を超えて外部との交流を行い、批評力を鍛えたいと思います。私は労働運動で知った中央労働学院の文芸科に通いました。作品提出者を囲み教授も学生も全員発言での徹底討論を学びました。
 これを一般社会に普及させようと文芸同人会を作り実践中です。
 一部の偏った団体の中で通用する作品論ではなく、普遍性を求めました。文芸交流会では伊藤昭一氏の広い視野での分析を期待しています。自作の相対的分析評を求める人の参加を求めています。
《参照:外狩雅巳のひろば

国民の「ちがうだろ!ちがうだろう!!」=菊間順子

☆〜〜ちがうだろ!ちがうだろう!!その総選挙 怒る国民
☆〜〜年金下げて、保険料上げて、その金またまたアメリカにか!!
  このところの気温の変化に体が追いつかず、また風邪をひいてしまった。
  急に寒くなり、ウォーマーにしてみたりと思ったら、また30度を超える暑さになったりで、体の体温調整機能がすっかり狂ってしまい、いつの間にか風邪をひき38度の熱がでて、ばたばたとアイスノンを取り換えるはめになってしまった。
  昨年も同じように熱と鼻水と咳で一日でテッシュの箱が無くなるくらいひどくなり救急車でNTTの病院に担ぎこまれて、年寄りは熱を出さないと言われたが、また38度の熱がでた。年寄りではないのかな。
  今度は1日半寝ただけで何とか起きられたが、行かなければならない所を2日とも失念してしまった。電話も出来ない状態だったので何ともしがたい。年々体が思うように行かなくなる、夫がお前も80になってみろ分かるから、とよく言われたがその時は言い逃れとしか思っていなかったが、今になるとなるほどこういう事か、とつくづく思う。
  妹が80歳のお祝いをしてあげるからいい日決めて、といってきたが、いまいち気が乗らない。横浜のフランス料理と言う、ますます気が乗らない、着替えて出掛けるのが面倒。これもボケの始まりとか自分の気が進まないと何でもいやになる。ボケ出したのかな。妹に知れるとまた怒られるかも。取りあえず、おフランスとやらへ行くことにした。

森の現実  江素瑛

切妻屋根
重なった瓦
単調な青と灰色の瓦
上空からおさまった映像が
目に迫ってくる

重なった瓦は灰色の森になる
そのなかに
ぽっつんと木の緑に鳥の棲み家
鬱蒼な森のなかの一人小屋のように

人間の繁栄は原始林に侵入し
鳥獣たちは原始林から追い出され
瓦の森の
狭い樹木に移し
人間の餌を狙い
人間を襲い

農作物は上等な食べ物
侵害されるのは当然
害の種を蒔いたのは人間だ
そのうち灰色の森から追い出され
人間の家は
鳥獣に占められるかもしれない
(10 12 13) 
QRコード
QRコード
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★