一九四九年、蒋介石が中国共産党に敗れた。.国民党の中央政府が台北へ乗り込んできた。当時五十万人の軍隊や政府要員、家族ら百万人が台湾へ入り、経済事情が悪化した。インフレも.拍車をかけ、ついに四万円の旧台湾円を一元の新台湾元として再発行した。対外的には、共産党に台湾を武力解放するぞと脅迫され、国民党政府は戒厳令を布告した。以.来、人々は恐怖の日々を送ろうとしていた。
「署に来て下さい、訊きたい事がありますので」
一九五一年十二月十六日、警察の人が政に言った。行ったところ、そのまま拘束されてしまった。
モルヒネ不法使用の嫌疑で逮捕送検されたのである。
祥が政.の身を案じ、早速弁護士を頼みに行った。塩酸モルヒネは、内政部へ麻酔薬品用途として登録してある事、法によつて配給されている事、治療目的用である事など、違法性のない事をよく説明した。政は台中省立病院で尿検査をさせられても、麻薬が出なかったという証言で、痛み止めの目的で注射をしていた事が裏付けられた。本人は麻薬中毒者ではないことが立証され、台中地方法院の検査官に不起訴処分書を渡され釈放された。それでも政は三日問の拘留所生活を経験した。
「政治は建前のために人を犠牲にする。身を守るには、政治にかかわりあうな。名もない庶民で充分だ」と政はよく言うのであった。
政治結社だけでなく、宣伝、広告なども嫌がった。
「医者として、その商品の愛用者であることを一言、お口添え願いませんか、病院の宣伝になりますよ」ラジォ放送局が、彼に頼んできたが、いくら口説いても、彼は頭をたてに振らなかった。
「患者を利用して宣伝することは、医者でなく、商売人になることだ」と。
宗教などに興味がなく、苦しい時の神頼みもしない。
「キリストもお釈迦様も自分の祖先ではないので、拝むことはしない」と無神論者の政である。
政は質素な生活を好み、二着以上の着物は持たない。宴会に出るにも、何時も同じ背広を身に着けていた。本人は、「どっちにするか迷ってしまうので、面倒だ」という。
祥は、何年も同じ服を着ている政に愛情を込め、ブランド品の洋服を買って上げた。
それでも政は「返品しなさい」と迷惑な顔で言った。
「特別な安物だから着て下さい」と祥が嘘を言ってまですすめた。
「ん」と頷くが、新しくもらった洋服を、何年もそのまま箪笥に置いてしまう。.