「詩人回廊」

日本の短編小説は特殊で、外国の定義にあてはまらない。韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説の制作へ移してしまった。明治以降われわれが短編の傑作と呼んでいるものは、多くは物語的構成をほのかにもった散文詩であるーーと三島由紀夫が「美の襲撃」で述べています。文芸同志会は「詩人回廊」に詩の素をもつ寸編小説のジャンルをつくりました。(編集人・伊藤昭一)(連載を続けて読むには、右サイドCategoriesの筆者の庭をクリックします)想いをここに掲載してみませんか。

一所不住の精神と番犬4

bankenn六郷川のほとり手作りハウスには、番犬がいるところもある。対岸の川崎市のマンションに住んでも、ペットを飼えるとは限らない…。犬は近づくこちらを警戒して見張っている。忠犬のようだ。
 詩人・秋山清(1904〜1988)の評論「さすらいの思想」(1972年)から再度引用してみたい。「大勢につくということが生き方のまちがいない智恵だと感じている風習がわれらの国を風靡している。戦争中の『非国民』という言葉から『村八分』に至るまで、独りの意思をつらぬくことを損なやり方だとするのが、この国のつよい常識であった。さすらいの思想はそれと真向から対決しようとするものであるのみならず、その常識を常識たらしめているものに対してまで対立をあえてするものである。くりかえしていえばさすらいとは一所不住の精神、立身出世の反対、いわばこのような形で社会を維持しようとする者にとって、危険な思想を包蔵するものであることは、これまでにいくらか語ってきた通りである」(現代詩文庫1046「秋山清詩集」思潮社)。
  『冬構え落人村と世にはいふ    長谷川素逝』

冬草の六郷川(4)=番犬の居るリバーサイド・ハウス

さすらいの生活とニヒリズム4

newsimg1202六郷川(東京・大田区)の水際に青いテントの家が並ぶ。普通はホームレスと称するが、ここは門があり道がある。すると、これはホームではないか。高くそびえて見えるマンションは対岸の川崎市にあるものだ。ただ、ここに手紙が届くことはないであろうと、勝手に想像する。カシャ、カシャと音が聞こえた。奥でアルミ缶をつぶす作業をしているのだ。
 この「さすらい」と「定住」の不安定な構図の風景には心を打たれるものがある。昭和初期にアナーキストたちの支持を受けた詩人・秋山清(1904〜1988)は評論「さすらいの思想」(1972年)で次のように述べている。
 「法律と道徳は双輪の役目をなして、国家権力の下に民衆の生活の自由を掣肘する絆である。さすらいの生活とそれを支えるニヒリズムは、その絆から自分を解き放そうとする思いを持ち続ける。さすらい即アウトローとすることはあるいは短絡すぎるだろうが、アウトロー的な放浪生活というものには、その方向として、脱出しようもない現実の法的人間関係の規範からの逃亡と反抗を秘めた情緒がある」(現代詩文庫1046「秋山清詩集」思潮社)。
    『短日やかせぐに追ひつく貧乏神    一茶』
冬草の六郷川(3)=手作りのリバーサイド・ハウス

おおきなダイヤモンド     菊間順子4

菊間さん時間が早まりました
すぐに支度してください。
ええ?いまコーヒーのんじゃった。
じゃー、トイレに行ってください。
そんなに時間とりませんから。
すぐにすみますから大丈夫ですよ。
と言っているうちにストレッチャーがくる。
エレベーターにのって長いローカを通って手術室に入る。
もう何度も手術をしているがまともにはいったのは初めてだ。
いつもは事前に麻酔を打たれてもうろうとしているのでわからなかった手術室のライトが大きなダイヤモンドにみえた。
思わずわあすごいと叫んでしまった。ライトは白い色だけでなく青や黄色など色々な光で輝いていて何時までも眺めていたかった
その内目の前にガードがはられて見えなくなった
入るときCDを持って行ってはだめ?と聞いた。
駄目です。といわれてしまったが音楽はながれていた。ガボットだった。
こんなにかんたんに痛くなくてすんなりとすんだ手術は初めてだった。
この次は目で来るかも。

虹の森に眠狂四郎の如く塔は立つ4

100217 019都会の喧騒のまだ始まらぬ朝。雪景色の池上本門寺の森に、白い衣装をまとった五重の塔が立つ。
 かすかに読経の響く静寂のなか、カラスが斑雪の参道に黒い影を落とし、飛び交う。一服の掛け軸、墨絵の世界がここ出現した。

111231 018  昭和44年、池上本門寺では、不出世の名優・市川雷蔵の葬儀が盛大に行われた。まるで、その 当り役映画「眠狂四郎」が円月殺法の刃を陽光に煌めかすが如く、500年の歴史を背後に五重の塔は佇立している。


110902 005眠狂四郎は、虚無の刃にて人々の心の中に生きた。虚無の強さが人々を畏怖させる。それは、たしかに実在するように思えるが、ここに長くはとどまらない。虹に閃く円月殺法を視たとして、それを誰に伝えよう。もちろん伝えるべき友はいない。そして再び空を仰げば、虹の詩神は去って空虚な夕空になっているのだ。
眠狂四郎の如く、塔は立つ=東京・池上本門寺

多摩川河川敷ホームレスと都鳥4

81d7df54.jpg厳しい寒さの日。東京・大田区の鵜の木付近の多摩川に出てみた。このあたりの河川敷は整備したグラウンドがあって、ホームレスの居つく余地がない。しかし、対岸の川崎市の河川敷には、ホームレス小屋が点在している。
 そこで、ひとつの人影が水辺に下りてきた。その途端、水鳥の白い乱舞がはじまった。男が昼食を余して、餌にして投げたのであろうか。見ごたえのある光景を生み出していた。舞うのは雅名で都鳥のユリカモメ。実に風流である。
 洪自誠の「菜根談」(角川文庫・魚返善雄訳)には「欲を捨て捨て、草木の世話をし、いっさいソックリ“無”に返す。忘れられないことも忘れて、酒をくれる人がなくても平気」とある。つきまとう洪水のリスクを凌(しの)げば、多摩川下流生活も下流どころか優雅で自由な精神に似る。
 おまけに、土地の権利や賃借関係、税金などを問えば、きっと「そんなの関係ねえ」とでもいうのであろう。与党の国会議員とタッグを組んで国民から血税を召し上げる悪代官のような官僚も、河川敷のアナーキーな人々までは思うようにできないように見える。
優雅で自由な一風景。多摩川河川敷ホームレスと都鳥(08年02月02日)

岬の風−5−4

 騒ぎを聞いて、担任の若い女教師が駆けつけてきた。危険だから、勝手に水に入るなと警告を与えて、騒ぎは静まった。それでも、男子生徒たちの噂話はやまない。
 「見ろよ、今日の先公のブラウウス透けていないか、乳首がわかるぞ」
「スパルタ先生に見せるためだよ。きっと」
 スパルタ先生というのは、体育の若い男の教師で、担任の女教師が想いを寄せているという勝手な噂が流れていた。
 そのうちに、太陽が真上で輝き、熱線が降りそそいだ。空を飛ぶ鳥は森に姿を消し、セミの声も途絶えた。浜風が弱く、塩気の強い湿潤な空気が海岸を蔽った。生徒たちがの幾人かに、気分の悪くなった者がでた。
「みんな、潮溜りにつかりなさいよ。涼しくて気持ちいいわよ」
 津世の一声で、他の生徒たちが、あちらこちにある潮溜りに、それぞれ勝手に飛び込んだ。
「気持ちいい。天国だ」口々に叫び、生徒たちは元気を取り戻した。
「向うに見える岩の下は、洞窟になっているみたいだな」
修の視線の先には、岬の突端に立つ昔ながらの古ぼけた燈台の断崖の下の黒い洞穴があった。
「そうよ。大昔、波に侵食されて、そのあとここが隆起したらしいの。だから洞窟になっていて、昔に修業僧が修業したあともあるという噂よ」と津世が教えた。
 もし、修が行くといったらついていこうと思っていた。
 そのとき女教師が「これから先は、危険だから行ってはいけません。さあさ、今日はこれまで、学校にもどりましょう」と言った。
 沖には風が出たらしく、遠くの突き出た岩には白い波頭が当っているのがわかった。塩分の濃い湿った風が、岸辺にも流れてきていた。
 それで修との話は途切れ、それぞれのクラスに戻っていった。
 何も言わずに別れたがしかし、津世は修が近いうちにあの洞窟に必ず行くであろうと、確信していたのだった。
 夏休みに入ったある午後、彼女があの洞窟へ下るその崖道の上を散策していた時、はたして修の姿を眼下の岩陰にみつけることになったのである。

わが郷愁のさまよう台湾の旅(3・完)  江素瑛4

 故郷に帰ればと父と母に会いたい気持ちになる。骨灰になった父と母に、重病の上の弟の事も報告したい。チームの仲間は台北観光、私は台中途中下車、大度山に墓参り。わたしの携帯は海外無用、下の弟は携帯を持ってない。彼は朝二時から起きて、身体洗い着替えなどをしたらしい。今日の待ち合わせで、神経を使ったという。
 昔のように現代風の通信道具でなくても、父と母とわたしと下の弟の団らんができた。帰りの新幹線から降りて、突然、彼に聞かれた,
「さっき風邪を引いたの、咳をしたね」
「いえ日本にいた時もう風邪を引いていたのよ」と返事。
「僕の顔はいつも油汗がいっぱい、僕の身体は嫌な匂いがするかも、僕の傍にいる人は必ず咳をする。それが僕を悩まされる原因だ」
と相変わらず訳のわからない煩悩をかかえている。身内の悩みをわたしに投げるといいのに。どうか、神さまの憐れみと煩悩からの救いを…。

 それから、台北観光を満喫したチームと松山機場に合流。羽田に戻ってほっとした。日本の油蝉の喧しい鳴き声が聞こえてきた。

わが郷愁のさまよう台湾の旅(2)  江素瑛4

1be79aff.jpg《安平樹屋》 昔三十何年間も台湾に住んでいたのに、今回の旅で初めて安平樹屋を知った。台南の大日本塩業の倉庫の旧跡に、ガジュマルの榕樹の気根が木の幹のように成長、無法無天というか、倉庫の屋根を突き抜け、壁にへばり付いていく。異様な野放状態に育った気根のある空間は、ジャングルに迷いこんだよう。この安平樹屋は、海外の植物学者達にも深い興味を引いたようだ。
 敷地が広く、現代化した高層高雄医学大学の付属病院は四十五年ぶり。一目見たいのは、昔のちっぽけな校門。規律になっていた高校時代のストレートの髪を初めてパーマした。後ろの校門に立つほやほやの大学一年生。あのときの細身の少女はどこにいったかしら…、古くて甘いものは、二度と帰ってこない。
 高雄港は開港のために、陸から切り離なされた。旗津半島と旗津海岸公園の海岸を沿い、緩やかな山を登る。熱い陽射しにばて気味である。山の旗后砲台に行く前ガイドさんが言った、
「トイレに行って下さい」行き先はトイレがないためかしら。
 綺麗な海岸線、母根草を摘むおばさんは、「肝臓にいいよ」と。蔓でほかの植物を絡み枯れさせ、岩壁に網のようにへばり殖えていく母根草。砲台を登って言葉に表わせない素晴らしい眺望。帰りぎわにガイドさんがまた言った、
「顔を洗ってください、潮風に付いた塩を洗って下さい」
 旧打狗英国領事館を見学。目立たない古いアイボリーの初期の領事館を通って、浮き彫りになっている花の壁のある狭い路地を登る。
 山間人家に係留される鸚鵡、山腰に静坐する遍路さん、英国領事館の赤いレンガ、台湾語、韓国語、日本語、英語、ともに風景に融け込んでいる。史蹟映画放映室に休息をしている人びと。映画より冷房に一息ついているようだ。熱帯の台湾はやはり暑いのだ。
 高雄港の黄昏、遊覧船の甲板デッキで、カラオケと踊りの宴がはじまる。時をわすれ興じるキャンプのメンバー。水面に一つのペットボトルが浮き沈み、絶え間なく貨物船が往き交う。コンテンナの引き揚げと積み卸し、人々が見とれる光景のなかで一瞬、夕日は水面下へ沈んだ。
 哈馬星(ハマシン)は昔から賑やかなダンタン、日本植民時代に浜線(ハマセン)という鉄道が今の名前になった。今は芸術など文化活動で、哈馬星観光バスも走っている。
 高雄は幾つの夜市があって、露店がならぶ夜市、公衆便所も設けている。夜が更けるまで、賑やかな人波が絶えない。安くて美味しいグルメを堪能している。

わが郷愁のさまよう台湾の旅(1)  江素瑛4

台南神学院  《台南神学院》 韓国、台湾、日本三国の姉妹教会で二年に一度のコイノニァキャンプが夏にあった。台湾南部の高雄に集った。台湾伝道史の軌跡を辿るのが今回の主な目的であった。
  三国のメンバーは九十人、愛河の畔アンバサホテルに泊まった。昔のここは薄暗く、恋人たちが愛を語るスポットであった。今は灯火煌々、近代的な観光地に豹変した。
  中国明朝時代にオランダが台湾を占拠。その拠点の遺跡赤崁楼は赤い建物で目立つ。明が清朝に滅ばされ、武将鄭成功が台湾に転進。1661年オランダ人宣教師 Humbroekが講和交渉を行った。人質になった彼の家族と島民500人が殺された。しかし彼の美しい18歳の娘が鄭成功の十一番目の妻になったという。
e042d1c7.jpg、《新楼病院・現在》   1865年6月16日スコットランド人Dr. Maxwell は台湾南部台南に医療伝道を始め、新楼病院を創立。1876年宣教師イギリス人 Barclayが台湾初めての大学、台南神学院を創立。その史蹟館で蘭大衛医師夫妻の写真に逢った。
  イギリス人David Landsborough(蘭大衛)医師夫妻は台湾中部に彰化キリスト病院を創立。わたしは彰化キリスト病院に就職した当時、二代目の蘭大弼医師は院長兼神経内科部長、夫人高医師は産婦人科部長。
「産婦人科医者になるなら、男の先生と変わらない、甘えることは許せないのよ」と、面接の時の高医師の言葉はいまだに忘れられない。
  カナダ人歯医者のDr. George Leslie Mackayは台湾北部淡水に偕病院を創立。それは私が研修医を務めた台北馬偕医院の前身であった。北部・中部にキリスト教のゆかりのある病院を経て、今年七月三国の姉妹教会のコイノニア・キャンプに参加を許され、三十八年を経て、神の手に導かれ南部の伝道の発祥地を訪れることになったのは、不思議なものがある。
  台湾の島の三大拠点の病院は、着実にキリスト教の医療伝道をひろげていく。

冬草の六郷川より  伊藤昭一4

六郷 これは2006年12月の風景である。わたしは、こう記している。
スーパー堤防もできた六郷川の岸辺、堤防内のサイクリングロード。上流に多摩川大橋が見える。(撮影:伊藤昭一、29日) 多摩川流域は、昔から洪水の歴史をもつ。太古から見ると、洪水のたびに蛇行を強め、河筋の位置が変わってきたという。予測を超える大洪水に対応して堤防の高さの30倍の幅を持つスーパー堤防が、すでに多摩川大橋・下流地域の西六郷(東京・大田区)に出来ている。以前は巨大すぎるプロジェクトに思えたが、近年の異常気象を見ると、そうでもないように思える。こうした冬草のなかの平和な風景をいつまでも持ち続けたいと思う。
『青空に寒風おのれはためけり    中村草田男』
            ☆
そして2011・3・11東日本大震災に襲われて、過剰護岸対策といわれていたスーパー堤防が再認識されてきた。地球の活動に悪意はない。人類は、大量の犠牲者を出すことで、生き残った人々が自然への脅威から逃れる手段を考えてきた。文明の方向は生き残った人々が決める。その根底には、人間といえども自然に従属せざる得ないと考えるか、自然から自立した自由な存在とするか、それは生き残った人々が決めていく。
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