「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

ライバル   江 素瑛

若きアイデアをだす娘 次からつぎへ
なにかを思い付く
診察時間を早朝の七時半から午後の四時半まで
夜遅く働く人や一晩中歯の痛みを耐える人に
出勤前の患者を呼ぼうではないか
なにしろ夜診の歯科がごった返すことが多いという
そうして活字より達筆ではない手書
「十月一日江クリニック歯科開院」のお知らせ
目を引くような賑やかなキャラクターで
なるほど いま風 面白い 暖かい

歯科器具 棚に溢れるほどで想像以上に多い
ただの歯と軽く考えたが ないがしろできない
食べ物を噛んで命をつながる
コップ 綿球 石膏くず 型取る粘土 紙エプロン等など
なるほど 大きなゴミ箱を四個も備えたわけだ

私はと言うと 時間と空間を押しつめられ追われ
古い時間に使い慣れたものを一生懸命
新しい空間に 所狭しと 並べ終えたら 
久しぶりにホッとする
新しい時間のため
新しい居どころを繰り返し確認

しまったはずのもので
いくら探しても出てこないものがある
悔しい気持ちを何時までも胸に
どこにいるの どこにあるの
私のあきらめに似た呼び声が哀れだ

かろうじて作った診察空間
内診台 超音波 ベット 横並びに
だから動かなくても 
ほしい道具がすぐ取れる
ごろんと一休みでも 老骨には
いいではないか

F町の出来事(二」 川藤健一

    ☆
 斧口信夫は、六十一歳。「オノサービス」という屋号の便利屋である。事務所は駅前商店街の外れ、二階建のホシ電気店の上にあった。階上には、奥にもうひとつ事務所があって、「フジリサーチ」という社名を出していた。彼と違って二十代後半の若い男だが、得体の知れない雰囲気は、斧口に似ていた。廊下や階段で出会っても、黙って下を向き目を合わせない。
 ホシ電気店の社長は星野貞義である。六十五歳になる。昔は大手電器メーカの系列店であったが、大型家電店に市場を奪われ、今は電気配線工事や、そのメンテナンスが主な仕事である。
 斧口は、時に応じて彼を手伝ったりしている。もとは興信所の市場調査員として、企業の事業の調査をしていた。定年後嘱託勤めをしていたのだが、ちょっとしたトラブルに巻き込まれ、退職していた。その頃、高橋に進められてこの町にきて、便利屋を始めた。
 彼は前の勤務先で主に中小企業の内部調査依頼を担当していた。事業内容に不審があるとか、倒産や買収工作など、切った張ったの命がけの世界の周辺をうろつくことになる。機密情報の報告書を抑えたり、隠匿をするなどを金次第でいかようにもする。当然アンモラルな裏街道を歩くことにもなる。
 三十代で結婚し、子供もいた。しかし、四十才を超えて経験を積むと、どさくさに紛れて、入手した秘密事項を売ったり、口止め料を受け取ったりして、小金をためていた。そのため、危ない連中に恨まれ身の危険を感じることもあった。斧口自身は、しばらく姿を隠したが、妻はその筋らしき連中との接触に驚き、すぐさま子供と共に家出した。賃貸マンションのキッチンの客用茶器セット箱に隠していた現金五百万円がなくなっていた。慰謝料がわりに持ち去ったらしい。その後、弁護士を通して、離婚届を送ってきて、離婚した。それからの消息はわからない。
 それ以来、二年ぐらいすると、すでに会社の軒先を借りて営業するような関係になり、会社の利益と自己利益の取り分のしがらみが複雑化した。依頼を受けて調査中の企業の経営者が逃亡、行方不明になった。依頼してきた企業から、調査不十分で損害を受けたと賠償を求めてきた。ただの言いがかりとする斧口と、対応するのは会社だぞ、という社長の主張で損失の責任を追及してきた。それまでの調査費の支払いがない。彼は腹を立てて、退職することになった。
 いずれは、起きるであろう出来事であった。それまでにちょうろまかした金は充分ある。それで、斧口の生活は自由を謳歌した。
  といえば、聞こえがいいが、実態は女と酒におぼれ乱脈になっていた。

夢見ることを夢見る読み方   山川豊太郎

  年始年末、僕は知人より借りた「赤毛のアン」を耽読していた。この、世界的に有名な作品については、新潮文庫の村岡花子訳を高校生の時分、通読したことがあったのだが、今回、手にすることとなった講談社文庫の掛川恭子訳は、新訳ということもあって読みやすく、学生時代と異なり、マシューおよびマリラ(つまり親のほう)の視点から「アン」の世界を眺望する楽しさを発見するなど、改めてモンゴメリの奥深さを認識する結果となったのである。
 そこで、その知人に、続編である「アンの青春」を貸してくれるよう交渉すると、彼女は「それはやめたほうがいい」とのこと。真のアン・フレバーにとっては、「グリーン・ゲイブルズのアン」といえば、最初の1作のみを指すのだそうだ。
 釈然としない話だが、何となく判る部分はある。例えば、こういうことだろう。ポプラ社から最近「ズッコケ中年三人組」(那須正幹)という新刊が出ていて、思わず購入してしまったのだが、読みおわって何とも複雑な感情にとらわれたのだ。
 ズッコケ三人組といえば、1978年に第一作が刊行されて以来、実に50作品ものタイトルを輩出し続けた人気シリーズであるが、昨年五十巻をもってめでたく完結したのだった。児童小説としては、マンガ全盛の当節によって、まれに見る人気を博し、かく言う僕も小学生の時、4、5冊蔵書していた記憶がある。
 今回の新刊は、作者曰く「かつてのズッコケ愛読者」に向けて書かれたもので、当時小学六年生だった主人公三人組が、タイトルの通り、40歳を迎えた「現在」を舞台にした物語。
 当然のことではあるが、中年を迎えたかつての少年たちは、かつての少年ではない。活動的なハチベエは、コンビニの店主に収まり、妻と両親の関係に頭を悩ませ、頭脳明晰なハカセは中学生の教師。学級崩壊の問題を抱え、指導力不足を教育委員会より指摘されている。のんびり屋のモーちゃんは、リストラの憂き目にあってレンタルビデオ屋のアルバイトで糊口をしのいでいるといった具合だ。最初、僕は主人公である彼らのあまりに冴えない日常に、当時、同じ小学生だった読者たちが思い描いていた「未来」はこのようなものだったのかと感慨を覚えてしまったのだが、よく考えると、これはきわめて「まっとうな」設定ではある。自分が子供の頃に抱いていた夢があるとして、果たしてどれだけの人間が、社会人となった今、その夢を実現できているというのか。
 人生の中で、夢物語を語ることが許されている時期は、限られている。ハチベエたちが、無人島に漂着したり、タイムスリップしたり、無邪気に怪盗と戦ったりすることが可能だったのは、彼らの未来が未知数という名の白紙だったからだ。誰もが、何かを諦め、何かを捨てて大人になってゆく。その暗黙の事実を無意識のうちに受容しつつ、我々は恐らくこの小説を読んでいたのだ。例えば、彼らは「オリバー・ツイスト」の主人公ではない。唯一、彼らに我々とは異なった、小説の主人公としての要件が見いだせるとするならば、それは永遠に流れることのない時間くらいのものであろう。
 一般的にアンの続編を読むことに消極的なファンが多いというのも、これらの事象とパラレルの関係にあるのではないか。アンもまた、ズッコケの主人公たちと同様、永遠の子供時代を生きるという一点によってその地位を担保されたヒロインだった。であるから、逆説的にマリラの発する「あのころのように小さい(アンの)ままでいてくれたら」………という台詞が感傷を誘うのである。要するに、彼らは未知数の未来をその可能性のうちに託している限りにおいて、主人公たりうる主人公なのだ。大人になったアンは見たくない、というか、そもそも想像の埒外にあって、原理的にありえない事態なのである。夢は叶えられないことを前提に、夢見る行為に夢を投影することが児童文学の「読み」の本質であるなら、まさにこの二件はその王道であると言えるだろう。(「文芸研究月報」2006年2月号(通巻61号)

詩の翻訳について       萩原朔太郎(8・完)4

 翻訳の不可能は、もつと広く、根本的の問題としては、必ずしも詩ばかりでなく、文学一般に関係し、さらになお本質的には、外国文化の移植そのことに関係して来る。一例として Real といふ言葉は、日本語では「現実」と訳されている。したがってまた Realism は、日本語で「現実主義」と訳されている。
 しかしながら Real という言葉は外国語の意味においては、単なる「現実」を指すのでなく、もっと深奥な哲学的の意味、即ちある「真実のもの」「確実なもの」、架空の幻影や仮象でなくして、正に「実在するもの」というような意味を持っている。
 然るに日本の文壇では、これを単に、「現実」と訳したことから、日本の所謂レアリズムの文学が、単なる日常生活の事実を書き、無意味な現実を平面的に記述するに止まるところの、所謂「身辺小説」となってしまったのである。
 そしてこんなレアリズムの文学は、西洋に決して無く、一つも見ることが出来ないのである。Naturalism を、「自然主義」と訳したことも、同様にまた誤訳であって、それが日本の文学を畸形にし、特殊な写生文的小説を流行させた。
 真実の意味を言えば、外国語は決して訳することが出来ないのである。単に類似の言葉をもつて、仮りに原語に相当させ、ざっと間に合はせておくにすぎない。
 然るに日本人は、歴史的に思想を持たない国民であるから、本来哲学的の思想を根とする西洋文学の輸入に際して一もそれに適応する原語がなく、日本語字典のあらゆる言海を探した後で、止むを得ず「現実」や「自然」などという訳語を、無理にこじつけて適当させた。そして結局、レアリズムもナチュラリズムも、その他の如何なる西洋文学も、正当に翻訳し得ないで終ってしまったのである。

 外国文化の輸入において、翻訳が絶対に不可能のこと、実には「翻案」しか有り得ないこと、そして結局、すべての外国文化の輸入は、国民自身の主観的な「創作」に過ぎないことは、以上の一例によっても解るのである。支那文化を同化した日本人の過去の歴史は、特によくこの事実を実証している。

 日本の陸軍では、すべての外国語を、故意にむずかしい日本語(実は漢語)に訳してしまう。例えばタンクを、軍用自働車と言ったり、装甲自働車と訳したりする。ある教官が新兵に教えて、「日本の陸軍は本質的に外国の軍隊とちがうのである」と言つた後で、無邪気な新兵が質問した。「教官殿。サーベルは西洋の刀でありませんか。」教官「サーベルではない。日本の軍隊では指揮刀と言うのだ。解ったかツ。」新兵「ラッパは何でありますか。」教官「馬鹿ツ! ラッパは日本語だ。」
 これは国枠主義のカリカチュールである。国枠主義者の観念は、すべての輸入した外国文化を、無理にこじつけて、不自然に創作しようと努力する。これに反して、進歩的インタナショナルの人々は、外国文化を出来るだけ忠実に、原作の通りに翻訳しようと意志するのである。結果において見れば、両方共に、所詮は翻案化するに過ぎないのだが、翻訳者としての良心では、勿論後者の意志する方が正しいのである。前者は、初めから誤訳することを目的として誤訳している。

 転向したマルキストは、翻訳の不可能を知ったのである。彼等は文学者より聡明である。なぜなら、日本の文学者等は、彼等の翻案化された似而非の自然主義文化や、似而非のレアリズム文学を以て、自から外国思潮のそれと同列させ、資本主義末期の近代文学を以て自任しつつ、笑止にも得意でいるからである。(青空文庫)

F町の出来事(一) 川藤健一

 八月の中旬の蒸し暑いさなかの夜、高橋進吾という男が、自宅マンションの九階のベランダから墜落死した。高橋は、六十二歳。藤坂町内では、多少の人気があった具象画家である。警察では自殺として処理をしたらしい。彼は一人暮らしで、部屋には鍵がかかっており、絵の才覚に行き詰って悩み、自死したのであろう、という判断をしたという噂だ。
 そのことを斧口信夫に教えてくれたのは、高橋と親しかった大河内桃代だ。
「新聞の地域版に記事が出たのよ。自殺だって。あの人が、そのような死に方をするなんて、変でしょう。ありえないわ。」桃代は電話で憤慨していた。「だから、新聞社の支局の記者に抗議したのよ。そうしたら、事件現場にいた警官が、自殺だと言ったそうよ。それで、そのまま、書いたというの。いい加減ねえ」
「うーん。何しろ自治会の人たちが、噂を広めないでくれというので、始末が早かったからね。おれも、よくわからないよ」
 斧口は、高橋の訃報をきいて、午前中に彼のマンションに行ったが、墜落死した場所には、規制線が張られていた。マンションの管理人とは顔なじみだが、自治会から噂の口止めをされていたのだ。
 そのうちに、警察は彼の親友と噂されているからという理屈をつけて、斧口に訊き込みをしてきている。
「何かご存知ありませんか、高橋さんの死因に心当たりとかーーたとえば、絵を描く上で、悩んでいたという話を、所属している「南部クラブ」の仲間の絵描きさん達がしていたのですがーー」斧口の事務所を訪れた刑事がいった。
 事務所の中に刑事を入れず、ドアの外で立ち話で、斧口は、それに反発した。「そりゃ、絵の出来が良くないとは、私にも言っていたことはあります。だけど、それは高橋の口癖のようなもので、身投げして、死ぬほどのものではないと思いますよ。何かの事故ということはないのですか」
「ほう。事故というと?」
 年配の方の刑事の目が光った。
「彼は、以前からベランダから見える夜景を絵にしていましたからね。だから、スケッチブックや油絵のイーゼルは、どうなっていたのか、気になりますね」
「なるほど……。高橋さんのところには、行くことが多かったのですね」
「ええ、飲み友達でしたから。彼のキッチンには、まだビールが半ダースは残っていたはずですよ」
「まあ、その通りです。かなり親しくしていたのですな。」二人の刑事は顔を合わせ、うなずきあった。
「幼な友達というか、家が近所で、子供時代から中学ころまで、同じ学校でしたから。」
「そうですか」刑事は、ベランダには、スケッチブックが床に落ちており、イーゼルは部屋の中にあったということを斧口に教えた。
「それじゃ、下の方の風景に何かをよく見ようとして、身を乗り出して落ちたのかな」
「ほう。高橋さんは、そんなこともしていましたか?」
「よくありましたね。でも、そこから落ちるというほどの感じがしたことはありませんでしたけど」
 斧口はそういいながら、高橋のベランダから電車の沿線と陸鏡が見えることを思い起こしていた。ただ、ベランダから見える線路沿いの陸橋につながる道は、近隣の住宅のすき間から一部が見えるのだけである。
「なるほど、そうか。下を覗いていてねえ」若い方の刑事が、納得したような安堵したように呟いた。最初から事件性がないことを決めつけたがっているようだ。ほかに重大な事件があって、多忙なのかもしれない。
「ところで、高橋さんが、大河内桃代さんという人と親しくしていたのは、ご存知で?」
 年配の刑事が用心深く探りを入れて来た。
「ええ、親密なのは知っています。お互いに独身ですからね。問題はないでしょう」
「なるほど、愛人関係というわけで」
「そうなのかな? 一応、密かに……という関係と思っていましたが、なにか噂にでもなったのでしょうか」
「いえいえ、こちらの調査による情報です。」と、それ以上は言わない。

世代交代の季節  江 素瑛

日本育ちの子どもは日本語しか知らず
外国語が言葉がままならない
台湾やアメリカの親戚があつまると
いろいろな言葉の輪に外され
つまらなそうに携帯をいじる子供頃の娘
しかし いまは業者たちをてきぱき捌く
楽しい冗談話も

今度は私が沈黙する
世代が替わると話題が通じない
黙って見守るしかない

業者たちにとって若い彼女が説得し安い
いいビジネスになる
私を抜きにして あの手この手を使う
私の目に入るのは事後の報告であった
工事費が高いと言ったら
時代が違うのよと突き放された
確か四十年の隔たりがあった
知らないモノと事柄が多い
わからない価値感

広々快適な娘の歯科スペースに
私の窮屈になった余りの空間
診察エリアが半減
ゆっくり通る蟹の横歩きは
年寄りに相応しいのか

真っ白な床と壁
綺麗な空間はただ今この時であろう
そのうち子供が来て老人が来る
男が出入り女が出入る

病む人の痛みと苦しみが
埃と汚れをつくる
それを取りのぞくことができれば
世代交代の目的が達するのだろう

同人誌はどこへ行く/無数の潜在的表現者たち  山川豊太郎

 クッションとしての同人誌――というあり方について、もう少し考えてみたい。例えば、ネットと表現に関わる問題ですぐに思い出されるのが、昨年に佐世保で発生した、小学生の女の子による同級生の殺害事件である。報道によると、加害者となった少女が、相手を殺傷するに至った主たる動機として、彼らが互いのホームページ上で繰り広げていた誹謗中傷合戦の存在があるらしい。僕はこの事件の概要を聞いた時、彼女たちがネットではなくて、同人誌のなかで喧嘩をしていたならば、こような重大な事態は起こらなかったであろうとふと思ってしまったのだが、これは先に述べた「クッション」としての同人誌の捕らえ方の一断面ではあるだろう。
 大塚英志氏は「物語消滅論」(角川ONEテーマ)のなかで、いみじくも同じ事件について、その背景にある問題を、むき出しで無防備のままさらされた自我と、それを根拠づける「文学」の不在という観点から論じている。  すなわちそれは「『赤毛のアン』が本屋にあるのに彼女(加害者となった少女)に届かなかった環境とは何なのか」という現実の問い直しでもあるのだ。大塚氏の論は、体裁とは裏腹に(?)実はきわめて古典的な主張で、それはそれで興味深いのだけれど、僕は大塚氏が主張するように「赤毛のアン」が読まれる環境が整えられれば、それがそのまま彼らの抱える問題を解消する一助となるとも思えないのである。なぜなら、彼らがお互いのホームページ上で試みていたことは、「文学」の受容ではなく、発信の作業であったからだ。
 では、この場合、一体何が有効手段であるのかと考えると、僕はそれこそ大塚氏の提唱し、また実現させた「文学フリマ」の存在をあげたいのである。「何で自著のなかで、このことに触れてくれないの、大塚さん!」と言いたいくらい。佐世保の女の子は、断然、自分のホームページで書いていた(らしい)「バトルロワイヤル」のパロディー本をプリントアウトするなりして、不特定多数の来訪者のなかで待つべきだったのだ。
 ネット上の仮想空間ではなく、スチール製の机の上で、表情をもつ生身の人間(読者)を相手に、自分の「表現」を体当たりでぶつけてみる。あるいは、そこまでは無理な話としても、少なくとも、自分たちの書いてきた「小説」や「悪口」を、紙の形に直して、他者の目にじかに触れさせてみることは、現代社会の中で見失いがちな自我を再構築するための方途としては、案外意味のあることなのではないだろうか。
 先日、開催された「文学フリマ」の活況と、「2ちゃんねる」やブログ上で増殖してゆく有象無象の書き込みの山とは、したがって僕の中では同一線上の現象として認知されている。そして、ここまで書いてきて今さら何なのだが、こうした無数の玉石混交淆の「表現」がネットというツールを媒介にして溢れ返っている現状を、僕自身は実はそれほど唾棄すべきものとも考えていない。なぜなら、何度も言うように、我々はその文化の底辺に一億総表現者たりえる伝統を有しているのである。カラオケを発明したのが日本人であった事実は、決して偶然ではない。問題が存在するのだとしたら、それは我々が自分たちが手にすることとなったコミュニケーション媒体を、まだあまり上手に活用しきれていないという現実なのだ。否定すべきは、「表現」したいと渇望する個々人の欲求のほうではない。
 ネットは確かに便利なツールではあるが、周知のように、それが「表現」という行為と密接にリンクする場合、しばしば厄介な問題を伴ってしまう。一部の識者が指摘するように、一つの技術に付随する社会が成熟するには、ある一定の時間は必要であるのだとすれば、同人誌の果たさねばならない役割は、当面、重要なものであり続けるだろう。だからこそ、例えば佐世保の女の子のような「潜在的表現者」たちを、リアルな世界としての同人誌の存在と、いかに引き合わせるのかという課題は急務であって、そのために逆にネットを利用することは「あり」かもしれない。「文芸研究月報」2005年2月号(通巻50号)

詩の翻訳について       萩原朔太郎(7)4

 かつて日本の詩壇に、象徴派の詩人ヱルハーレンの流行した時代があった。当時ある若い新進の詩人が、ヱルハーレンの影響を受けてると言うので評判された。私がその詩を読んで驚いたことには、それが川路柳虹君の詩そっくりの模倣であった。そして当時川路君は、ヱルハーレンの詩を盛んに訳していたのである。――これほど滑稽な事実はなかった。
 訳詩を読む人々への注意は、第一にまずその訳者が、詩人として、文学者として、原作者と同等以上、もしくは同等、もしくは最悪の場合においてすら、雁行する程度の才能を持っているか否かを見るべきである。
 訳者に、もしそれだけの資格がなく、原作者との比較において、問題にならないヘツポコ詩人であるとすれば、むしろ全然そうした翻訳を読まない方が利口である。なぜなら詩の翻訳は、翻訳者自身の創作であり、翻訳者の情想や、技巧や、スタイルやの、特殊な同化された血液を通してのみ、原詩の精神を透視することが出来るのだから。
 それ故にまた、訳された原詩の価値は、常にその翻訳者の詩人的価値と一致してる。翻訳者にして、もしヘツポコ詩人であるとすれば、原詩の価値もまた、低劣なヘツポコ詩に過ぎないのである。ボードレエルは、ポオを仏蘭西人に正価で売った。しかしながら他の翻訳者等は、概ね原作者の価値を下落させ、捨値で売りつけているのである。

「我が友、カフカ」    山川豊太郎

 20004年7月22日付け、朝日新聞文化面の池内紀氏の寄稿によると、今年はフランツ・カフカの没後80年であるらしい。彼がウィーン近郊のサナトリウムで41年の短い生涯を終えたのは、1924年の初夏。歴史の教科書的に言うと、ベルサイユ体制が破綻の度を深め、隣国ドイツにおいてはナチスがその勢力を徐々に浸透させてゆく、ちょうど狭間の時期にあたる。
 彼の作品が、来るべき受難の時代を予言の書として多く読まれることとなったのも、以上のような背景を考えれば、決して理由のないことではない。しかし、予言とは優れて後付け的な、あくまで結果を見越した「解釈」のありようなのであって、リアルタイムを生きていたカフカにとって、小説とは彼の出会う現実そのものであった。「『不条理作家』などという窮屈なレッテルから解放して、もっとおかしく、フシギなカフカを示したかった」と池内氏は自著について語っている。
 実際、カフカというと何やら難解で、一筋縄では理解しがたい作品という印象がつきまとう。特に「審判」や「城」などの長編はそうだろう。僕も高校時代に一度、新潮文庫版の「城」を読んでみたことがあったが、たまらず放棄してしまった。訳の問題もあったのかもしれないが、とにかく茫漠とした話で、しかも未完ときている。当時の僕には、彼がこの作品の中で一体何を訴えたかったのかよく判らなかったのだ。
 作品を理解するということは、とりもなおさずその書き手を理解ということにほかならない。池内氏の指摘する通り、カフカの奇妙な小説群は、彼の人生と不可分なのである。「カフカは生涯、ごくつましいサラリーマンだった。(中略)勤めのある身の限られた時間に、いのちを削るようにして長編に取り組んだのに、そのほとんどを世に示さなかった。」僕が、とりわけ個人としてのカフカに共感を覚えるのはこのあたりである。日々の会社勤めの傍ら、夜はせっせと執筆にいそしむ。発表するあてもない何百枚もの原稿。これは現代の同人誌作家たちと何の変わるところがあるだろうか。僕にとって、カフカのイメージとは、まず何よりもアマチュア作家としてのそれである。
 「変身」は、数あるカフカの作品の中でも最も有名な著作の一つであろうが、以上のような観点をもってよく読むと、このお話は、実はサラリーマンの悲哀を描いた小説であることが判る。
 ある朝、悪夢から目覚めたグレゴール・ザムザは、自分の姿が巨大な虫に変貌しているのに気付く。しかし彼は不条理な事態に、さほど驚いた様子はみせない。むしろ彼が心配するのは、己の境遇の今後よりも、このままでは定刻通りに仕事に向かえないということなのだ。ザムザは反物売りのセールスマンで、予定では5時発の列車に乗るはずだったのが、目覚まし時計をみると6時45分になっている。「次の汽車は7時だ。それに間に合うにはメチャクチャ急がねばならない。(中略)たとい汽車に間に合ったとしても、社長の雷が落ちることは避けられっこなしだ。」(山下肇訳)。ザムザにとって、憂慮すべきなのは虫になった事実そのものではない。虫になった自分が、「働けない存在」であること。これが最大の問題なのである。無論、彼は仕事大好き人間なのではない。むしろ逆だ。池内氏によると、「ザムザ」という名は、「カフカ」のアナグラム(語句のつづり字の位置を変えて別の語句をつくること)である。仕事は好きではないが、かといって仕事をしていない自分はどうにも不安である、とは、まさに素人作家カフカの、同時代の文豪たちとは全く視点を異にした独特の感性であったとはいえないだろうか。そして、現代のサラリーマンである我々にも、その微妙な感覚は痛いほどよく判るのである。
 そう考えれば、「審判」にしろ「城」にしろ一種のサラリーマン小説ではある。ともに銀行員、測量士というれっきとした肩書きをもちつつも、様々な訳のわかない障害によってその仕事をまっとうできない、そんな苛立ちや不安を描いた物語なのだ。であるなら、当時まだ学生であった僕がこの小説の醍醐味をしっかり理解できなかったのも、そもそも当然といえば当然であるといえるだろう。<「文芸研究月報」2004年10月号(通巻46号)掲載>

車への価値観を考える     やまや白丸

 前作のドライブレコーダーを無事に装備してから一年の月日が流れた。
 ある二人の休日、近隣のショッピングモールへと出かけた。しかし駐車場に着く手前でボンネットから煙が噴き出した。
 ねえー大変! 車の故障。慌てる私に対し至って平然としている主人。そのまま、買い物は諦めてマツダの車やさんへと急いだ。マツダの方から事情をきくなり我が家の愛車は大往生との事。この車は13年前に他界した義理父から譲りうけた物で走行距離12万キロを走っていた。
 義理父の代から20年は経過していたのである。結論から言うと、そう買い替えの時期にとっくに来ていたのである。来年2月の車検を前にそれを考えていた私達。分かってはいたが呑気過ぎたのである。
 はてさて、本題の次の車は……帰宅後家族会議となった。運転免許を持たない私は車は無いならないでいい…とさえ思っていたが毎日通勤で使う主人にとっては深刻な話しであった。車の無い生活なんて考えられない様子。
 うーん、中古車を探してみようか? と妥協案を出す主人。後日、マツダへと中古の在庫状況など相談へと再び出掛けた。私の中古に対するイメージは悪く、見た目もボロボロで車内もたばこ臭くて…大丈夫かな? と心配は尽きなかった。
 まあ、現実を知って主人も諦めがついて良いかもと高をくくった私。しかし、いざ現物を目の前にして見せて頂くと驚いた! これが中古? と思わず口をついで言ってしまった。そう、新車同然ぴかぴかである。2014年製 走行距離2万キロ……しかも新車の半額近い金額であった。
 即、購入を決めた私達。頭金を納めたり必要書類にサインしたりと事務所で手続きを進める主人の横で私は思った。ん? 待てよ…この金額で買える事は有り難いが前のオーナーは何故この綺麗な車を手放したのか? 何が不満だったのか? 私の様に運転しない奥様で急にご主人を亡くされて仕方なく手放すに至ったのか? 私の妄想癖に火がついた。いや、よく趣味で車を次から次へと乗り換える人がいる……と聞いた事がある。その様な男性は女も次から次へと変える…とか。え? まさかスケベな人がこの車の前の持ち主? イヤーん。
 そんな事を妄想している事など知らない主人は淡々と書類にペンを走らせていた。車やさんには聞けないので、帰宅後それとなく私の思う事を主人に話してみた。うーん、確かにそう人いるよ。2〜3年毎の車検時に毎回売り買いをする人。そのおかげでおこぼれを俺たちが頂けてるし、車やさんも潤ってるんでしょ?
 えーー、毎回の車検毎に車を買い替える? 私には分からない価値観であった。例えば、300万円の新車を購入。数年で買い替えて下取り200万円になり、それに100万円程上乗せして新車を買う。こんな感覚で考えていた。電化製品と同様、車も消耗品である。不動産や貴金属の様に投資ではない。
 使えばダメになっていく物である。ならば、ダメになってから次……という流れが私の思考だが。そうでない人達がいたのである。驚いた。
 どうもその価値観が腑に落ちない私は、職場でもその話題を振ってみた。すると、いとも簡単に同僚の一人が私の独身の兄がそうだよ…とあっけなく返してきた。新車でも車は2〜3年で性能も落ちるし、それを過ぎると下取り価格もぐっと下がるからとの理由らしい。うーん、それでも良くて下取りは50万円程……にしかならないとか。
 えーーーー? たったの50万円。で次に新たに新車購入?そ れもまた次の車検まで??? 一体全体、日本はどこまで裕福なのだろうか?我が家では煙,煙、煙煙……もうそれ以上恥ずかしくて言えなかった。さて、その価値観。
 もし余裕資金があっても私はそれをしない。では何に余裕資金使用をするか?
 そうね、ありきたりだけど旅行、買い物、エステかなー。
 
 ね、そんなもんでしょ貴女……また天からの声が聞こえた。人の価値観は千差万別。沢山の人の価値観を知る事も楽しいものよ。うふふ。ーーあ、そうだ。生前父もこんな事を言っていた。お父さんは女性が貴金属を好きな感覚がわからない。俺なら新しい車買いたいな、と。
 蒸し暑い初夏の日が降り注ぐ日。納車は7月、私のお誕生日頃になるらしい。
QRコード
QRコード
記事検索
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★ 
Archives
  • ライブドアブログ