「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

2009年08月

ひらめきが詩や散文になるまで    伊藤昭一4

 何かを表現するとなると、ひらめきがなければならない。いま次のような言葉がひらめいたとする。「夏、花、みどり、川、流れ、河童、時間」。そこでこれを羅列してみたら詩になるであろうか。

 S・スペンダーは、詩論のなかで、「ここに一連のアイディアがある。―――夜、暗闇、星、果てしなさ、青、肉感的、まつわりつく、円柱、雲、月、鎌、収穫、キャンプ・ファイア、地獄―――これが詩だというのだろうか? ほとんどこういった単純な言葉の数珠つなぎを封筒のなかに書き連ね、非論理的になることが詩的であると思い込んで夥しいアマチュアの大群が、例の他愛もない質問をそえて編集者や詩人のところへ投稿してくるのである」(「一篇の詩ができるまで」訳・徳永暢三、荒地出版社)と指摘する。

 しかし、羅列が良くないとは限らない。
「よこはま/たそがれ/ホテルの小部屋/くちづけ/残り香/煙草のけむり/ブールース/口笛/女の涙/…………」(作詞・山口洋子)。あとはカラオケで歌ってください。
 じつに素晴らしい羅列である。その理由は、単語がすべて横浜という場所に必然として直結したイメージのためであろう。
 場所の固有名詞は不思議な威力を発揮するのである。
 日本の伝統の俳句では、「根岸」という有名な場所がある。
初雪や 根岸の里の わび住まい/蝉しぐれ 根岸の里の わび住い/桜散る 根岸の里の わび住まい/赤かとんぼ 根岸の里の わび住まい
 春夏秋冬すべてに使える。しかし、何にでも使えるものは、何の役にも立たないということも示している。
 冒頭に折角、単語をイメージしたので、散文化してみた。
               ☆
       岸辺のひまわり          伊藤昭一
河原に咲くひまわりは、なぜか謎めいて恐ろしい。緑濃い草々におおわれた岸辺で、ひときわ高く背伸びしている。大きな花は河童の頭のようだ。河童が頭をゆらゆらさせて、人間共にいたずらをしてみようと、虎視眈々と狙っているようではないか。今も、川にボートを浮べて何かを探している人々をみているようです。知っていますか。川遊びをしていた子供が、ふたり流されて行方不明なのを。

自転車の物持ちの人        北 一郎4

 狭い路地を歩いていると、正面から自転車がゆっくりやってくる。自転車の前カゴには、空き缶の入った袋が山盛りに積まれている。後輪にはもっと高い袋の山が積んであるのがわかった。ふくれあがった自転車とすれ違うのに、家の軒下に寄って通りすぎるのを待った。すると、片側にはなんと、子供用自転車の車輪がごみ収集袋に包まれてぶら下がっている。向こう側には、何かきらきら輝く金属の部品のようなものが、紐で結ばれて下がっている。もっと小さなものもポリ袋に入って、ぶらりぶらりと鈴なりになっている。
 自転車をこぐ男の日焼けした顔からは、老人なのか、まだ若いのかわからない。着ているのは、スリーシーズンの背広であろう。曇り空の夏ではあるが、暑そうな顔色も見せず、真っ直ぐ前を向いて、自信とも見える穏やかな表情で、ゆっくりとひたすら自転車をこぐ。背広が黒光りをしているのは、汚れでだけではなく、もとからそういう色なのかも知れない。運べるだけ、目いっぱい持って、たいそう物持ちに見える。私は、自転車の両サイドにぶら下がった得体の知れぬ、何かの部品に目を奪われた。それが、ときどき光って見える。私もそれを見つけたら、拾って集めてしまうかもしれないと思うほど、輝いていた。それが、うらやましい程の財産にも見えた。
 自転車は、狭い通りを抜けて、大きなビルの連なる大通りに出て行った。巨額の固定資産税を支払っている筈の巨大な高層ビルの下を、少しよろけながら物持ちの自転車は進んで行く。はたして、ビルの持ち主たちは今、その下を通る自転車の男のような満ちたりた表情をしているのだろうかと、ふと思った。

 はてしなき議論の後(一)   石川啄木4

暗き、暗き曠野にも似たる
わが頭脳の中に、
時として、電(いなづま)のほとばしる如く、
革命の思想はひらめけども――

あはれ、あはれ、
かの壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。

我は知る、
その電に照し出さるる
新しき世界の姿を。
其処(そこ)にては、物みなそのところを得べし。

されど、そは常に一瞬にして消え去るなり、
しかして、この壮快なる雷鳴は遂に聞え来らず。

暗き、暗き曠野にも似たる
わが頭脳の中に
時として、電のほとばしる如く、
革命の思想はひらめけども――


  はてしなき議論の後(二)    石川啄木

われらのかつ読み、且つ議論を闘はすこと、
しかしてわれらの眼の輝けること、
五十年前の露西亜(ロシア)の青年に劣らず。
われらは何を為(な)すべきかを議論す。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V(ヴ) NAROD(ナロード) !’と叫び出づるものなし。

われらはわれらの求むるものの何なるかを知る、
また、民衆の求むるものの何なるかを知る、
しかして、我等の何を為すべきかを知る。
実に五十年前の露西亜の青年よりも多く知れり。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

此処(ここ)にあつまれる者は皆青年なり、
常に世に新らしきものを作り出だす青年なり。
われらは老人の早く死に、しかしてわれらの遂に勝つべきを知る。
見よ、われらの眼の輝けるを、またその議論の激しきを。
されど、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

ああ、蝋燭(ろうそく)はすでに三度も取りかへられ、
飲料(のみもの)の茶碗には小さき羽虫の死骸浮び、
若き婦人の熱心に変りはなけれど、
その眼には、はてしなき議論の後の疲れあり。
されど、なほ、誰一人、握りしめたる拳に卓をたたきて、
‘V NAROD !’と叫び出づるものなし。

《参照》=1874年春、ナロードニキ知識人は「人民の中へ(ヴ・ナロード)」という言葉通り、都市を出て村落へ向かい、小作農らに反乱を説得して回った。しかし、彼らはほとんど支持を得ることはなかった。
 ナロードニキは中流以上の出身者が多かったため、ロシアの小作農に溶けこむこと自体に困難が伴った。彼らは衣装や踊りといった小作農の慣習を学ぶために時間を費やさざるを得ず、また裕福なロシア人は日常においてフランス語かドイツ語を話すことが多かったため、場合によってはロシア語を学ぶ必要があった。近代化した都市部の文化から隔絶していた農民たちから不審者として扱われ、自警団に追われて農具で回復不能の暴行を受けたり、魔女と見なされて裁判にかけられ火刑に処された者も少なくなかった。ロシア帝国内務省警察部警備局はナロードニキを弾圧した。革命家と彼らを支持する小作農は殴打され、収監され、そして追放された。1877年、ナロードニキは数千の小作農の支持を得て反乱を起こしたが、ただちに容赦なく鎮圧された。
 この弾圧に対してロシア初の革命グループ「人民の意志」が組織された。このグループは秘密結社主導のテロリズムを支持し、それを「改革のために政府に圧力をかける手段、大きな小作農の反乱の火を起こす火花、そして体制側の革命家に対する暴力の行使に対する避けられない報復」として正当化している。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 啄木は、「テロリストのかなしみ」の詩や、アナーキストのバクニーンも詩に登場させており、そうした傾向は現状否定するロマンチストの立場からの思想であって、政治的な意味をもったものでないことがわかる。

ひとりのための花摘み     北一郎4

まいにち、お花をね、たかなしけいこ先生にあげてるの。幼稚園に通っている娘が言った。娘は通園の途中、道端に咲いているタンポポや名も知らぬ草の小さな花を摘んで、担当の若い先生に差し出すのだと、彼の妻が教えてくれた。花の咲かない季節は、色づいた葉っぱを摘んで差し出すという。そうすると先生は何ていうの? 娘にきいてみた。ありがとうっていうわよ。それだけ? それだけ。その後、たかなしけいこ先生は結婚のため、先生をやめてしまった。かわりに新しい先生が担任になったが、娘は新しい先生には、花を摘んであげることはしていないという。

  隅田川慕情        江素瑛 4

 ぱっと輝き広がり、ぱっと散る。夏の風物詩―花火。
 隅田川に沿った白いマンション両国パークハウスの、屋上から見た川開きの花火。江戸時代からの玉屋、鍵屋の競演、いまも毎年さらに賑わう。
 父は大阪帝大医科、母は帝国東邦薬専の出身。終戦後台湾へ帰郷したが、離島の診療所に招聘され再び来日。都会育ちの母と都会志望の父は間もなく千葉、茨城、埼玉、東京に移り、両国に住むようになった。両国国技館の脇にある横綱公園、安田庭園に我が家の庭のように足を運んだ。桜もち、屋形船、問屋。家の近く相撲部屋がある、お相撲さんは大きな身体をゆらし、うろうろする。大らかな下町の人情と情緒を存分に味わえると、父母は両国を誇らしげに語る。
 九年後、父が亡くなり、母は悩み迷った末、両国の家は不動産屋両国橋建物に頼んで賃貸して、冬は日本に、夏は台湾へ、渡り鳥のように往来した。台湾の弟と日本の私が、母の老後を見ることになった。
 ときどき母が、懐かしさからマンションを訪ね、それから両国橋建物に寄る。しかし、そう幾度も花火を見ることはなかった母。父の後を追い、十五年後に他界した

夫婦二人三脚で経営してきた地元の不動産屋。一階建て、昔風の店兼住居である。お婆ちゃんが出てきて、犬が出でくる。店の旦那は、お婆ちゃんは部屋に戻され、犬を叱る。奥方はお詫びに出て、客と対応する。生活臭い人間味のあふれた店だ。
 八年前に九十二歳で天寿を全うしたお婆ちゃんを犬が見守っていたという。犬の情愛に及ばない無情な人間が多いというのに。いま九歳になった犬が相変わらず出たり、入ったり、私の足もとに寄って来たり、吠えたり、人懐っこい。
「婆ちゃんには、こいつが、しゃがんで耳を傾けて、様子をじっとみてくれているだろう、こいつは私より早く死なないと困る。足が弱くなるといけないので、毎朝両手に二キロのおもりを持って、こいつと隅田川の岸を二時間も歩く。夕方小学校帰りの孫たちも寄ってくる、それが大変だよ」と言いながら、顔が輝いている店の旦那。
 お年寄りにとって、家族と一緒に住めることはなによりの幸いである。仕事場と住宅も一緒になれば、もっと理想的である。世間では親を介護施設、老人ホームなどに放りだす風潮のなかで、家族の原点にもどらなくてはならないとも思う。
 時々私は昔を求めて、両国橋建物に立寄ってしまう。お婆ちゃんを語り、母を語る。時のトンネルをくぐったようだ。父も母ももう会えない、いつか親の旧居は他人の手に渡さなくてはならない時も来る
ぱっと咲き、ぱっと散る花火の如く、縁の尽きてしまう儚い人生。(09 7 23)

二人の世界        佐藤 裕4

夜の風を聞いている
女のすすり泣く声がする
舞い落ちる 枯れ葉のように
衣を脱ぎ捨てた 裸木のように
帰らない初春の流氷が
目の前を通り過ぎていく

二人は 見えない箱のなかに
閉じ込められ
裸体を寄せ合い
エロティックな夢も見ず
兄妹のように 毎夜毎夜
抱き合いながら眠った

陽が昇ると
相手の醜い肉体から目を背けた
陽が沈むと
互いの境界線が重なり
溶け合うような錯覚が
二人の肉体を透明にした

男の声と女の声が
空の奥深く 反響し
雨になって降り注いだ

数千年の時が流れ
肉体は腐敗し
骨だけになった
骨は砂のように脆く
鋼のように硬かった
それでも
人の形は崩さず

見えない箱が 立棺にかわり
宙に浮かぶ
生と死を閉じ込めて
星とともに 遠ざかる
忘れ去られた 叫びとなって

電車が目の前に 滑り込んできた
数々の生が 足音をたてて
狭い箱のなかに 吸い込まれる
互いの肉体を無視し
移り行く今が 永遠に続くものと
錯覚して

一九九九年 秋       佐藤 裕4

幼い頃 道は一本のように見えた
泥の道 砂利道 雪の道
さまざまな道を歩いてきたが
いつもどこかで繋がっているように
思えた

いつの頃からだろう
歩く道が見えなくなったのは
いつの頃からだろう
二本の足が消え出したのは
宙を浮いているような
不安定な空間を
闇雲に走っていた

しばらくして
生きる意味が 分からなくなった
生きている私が 見えなくなった
手応えのない 地球
荒涼とした原野に
冷たい風が 吹き過ぎ

一九九九年 秋
弱々しい陽の光が 一人の部屋に
射し込んでいる
破片となった過去を
積み木のように弄んでいる
砂浜に刻まれた 長い長い足跡が
どうか 消えてなくなりますように
陽炎のような非在が
どうか 私のすべてでありますように

裁判制度の本質をカフカで読む(3)伊藤昭一

 カフカの「審判」では、裁判所や銀行などあらゆる施設が路地や廊下でつながっているように書かれている。ちょうど、夢のなかで、すぐ場面が転換し、移動する過程がないように、事件の場所だけが、集合しているのである。夢や詩のイメージように、距離を省略した表現がこの作品にはある。

 小説では、Kを逮捕した監視員が彼の服を奪って自分のものにしたことが裁判で明らかになり、鞭打ち刑を受ける。それを見たKは、「罪があるのは組織であり、高級官吏である」という。判事の演台の上にある本を覗いてみるとエロ本だったりする。
 また、弁護士は「被告は誰でも裁判所を改革しようとするが、それは時間と労力の無駄であって、むしろ役人の注意を引かぬようにすべきだ」と忠告する。
 さらに、裁判所の事情にくわしいという画家が登場し、「裁判所は一度告訴した以上、被告の有罪を確信しているので、その確信を除くのは容易ではない。釈放には、本当の無罪と外見上の無罪と引き延ばしの三種類があって、ほんとうの無罪はいままで一回もなかった。裁判所の最終決定は、裁判官もしらないので、伝説かも知れない」と語る。
 つまり、警察の役人に目をつけられたが最後、罪を着せられるということだ。それは、当然である。彼らの組織は、は罪人を捕まえるのが目的で、人を無罪にするためにではない。

 小説の終わりは、Kの三十一歳の誕生日の前夜、逮捕されてからちょうど一年目に、フロックコートを着た二人の紳士に連れ出されて、石切り場で犬のように屠殺される。そのとき、近くの家の最上階の窓から、一人の男が身を乗り出すのが見えるのである。

 このシーンは、ほとんど詩的幻想に満ち満ちている。人間の社会の発展する段階を、人間が自分たちの利己主義をどう運営してきたかを、アダム・スミスやヘーゲル、マルクス、マックス・ヴェーバーなどが追求し、社会科学としてきた。しかし、その社会制度の詳細は、未来に託されたままだ。
 これとは対照的に、詩的なイメージをもって、文学表現として、裁判制度というもの本質を予見し、構造を露わにさせたのがカフカの「審判」である。
 これは詩的イメージの凝縮における人間の本質追求を実現した珍しい事例なのではないだろうか。不思議なことではあるが。(おわり)

裁判制度の本質をカフカで読む(2)伊藤昭一4

 現実の足利事件では、犯人とされた菅家さんは「ある日、突然、警察官やってきた」ことにより、取調べが始まり犯人として起訴された。
             ☆
 1914年、フランツ・カフカが書いた「審判」(「訴訟」)では、それと同じ状況からはじまっている。
 銀行員ヨーゼフ・Kは、三十歳の誕生日の朝、突然アパートに現れた監視員たちから逮捕を言い渡される。身に覚えがないので、冗談と思って彼らと対応しているうちに、疑心暗疑におちいり、次第に本当に裁かれる被告のような気持になってくる。

 カフカは、この出だしをユーモアとして書き出したふしがあり、友人の読者は大笑いしたそうだが、はたして現代において、これをユーモアとして受け取る人は少ないかもしれない。普通は理論を超えた不条理には、おかしみがあるものだ。この「諧謔」という要素は、詩に多く含まれる。カフカは詩人的な作家であった。

 小説では、なぜかKは行動の自由を束縛されず、その日は銀行に出勤して、帰りに下宿の女主人の意見を聞くと、「私は監視員の逮捕話を盗み聞きしていましたが、これはなんだか学問じみていますわ」といわれる。隣室のタイピスト、ビュルストナー嬢が深夜に帰宅したので、彼女の部屋に話しに行き、別れ際に彼女とキスをする。
 このあたりは、日常生活のなかで、急に逮捕されるという異常事態が起きて、生活権の侵害を受けたとしても、その生活というものの本質は雑事の連続にすぎない。それが奪われる立場になって、雑事の積み重ねの日常というものが価値をもって迫ってくるということにつながっていると受け取れる。
 その後、ヨーゼフ・Kは、日曜日に審理が行われるという連絡を受ける。無視することもできずに、指定された場所にいってみる。それはごみごみとした貧しいアパート街にあった。あてずっぽうに階段を上っていくと、そこで政治的地区集会のようなものが開かれていた。
 予審判事が、彼を「室内画家」だと、きめつけるので、それは人違いだと主張する。否定しても相手にされない。そこで彼は、この法廷の背後には買収のきく秘密組織があるにちがいないと断言する。みな同じ徽章をつけているので、「あんたたちはみんな役人なんだ。腐敗した徒党なのだ」という。

 ここは、どんな栽判方式をとっても、一部の人間による秘密組織のなかで行われるという本質が示されている。
 日本でもそうした裁判過程の秘密性は、止むを得ないと考えられてきた。また取り調べ段階の公開を主張したり、一部の関係者による断罪に疑問をもち、犯罪被害者の意見を述べる権利をもたせたりする動きがある。
 もともと裁判に被害者が参加しないというシステムは、被害者が加害者を裁くというリンチ的要素からできるだけ遠いところで、客観的な罪の判断を行おうという趣旨があった。
 中世から近代において、フランス革命、ロシア革命などの封建的な権力者を民衆が裁き、断頭台に送った。最近でも、権力者のチャウスクスやフセイン大統領の処刑など、反対勢力の勝者による復讐的リンチに近いものがある。
 それを避けようという人類の知恵の産物であったが、現代において、それが欠点とされるようになりつつあるようだ。
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「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★ 
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