「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

2015年05月

歴史が隠された済州島への旅    外狩雅巳

 格安ツアーなのでホテルの部屋はオーシャンビューではない。
 裏側の部屋の窓から見えるのは大きな山と裾野から広がる街並みだけ。
 それでいいのだ。
 このハルラ山を見ているだけで私は大満足である。
 旅にはまった妻と共にベトナム・中国・トルコに次いで四度目である。
 民芸品も名所旧跡巡りも地元料理も旺盛に楽しむ妻のお供でまわる。
 私は私で山を眺めて独自の旅の感慨に深く浸っているのだ。
 読書が楽しみで長年にわたり多くの文芸作品を読んできた。
 青年期は労働者として自覚した為もあり左翼文学に親しんだ。
 労組の勉強会でも多くの文芸愛好家と知り合い知識を広げた。
 済州島出身の作家である金石範氏の作品に触れ大いに感動した。
 朝鮮半島を揺るがせた朝鮮戦争の影響は済州島には欠かせない歴史だ。
 その<済州島4・3事件>を題材にして書かれた作品群を読んだ。
 「火山島」や「鴉の死」などの圧倒的な読後感に感化された青年期。
 そして、半世紀が過ぎた。

 高齢者としてツァーを楽しむ日々。
 折角の旅である。妻のお供で荷物持ちと貴重品護衛係では勿体ない。
 妻の望む行き先が決まると早速図書館に行き自分の旅目的を深める。
 歴史書や文学書などを漁り半世紀ぶりに再読するのだ。
 ガリポリ半島の戦史を再読しトルコの旅を三倍楽しんだ春先。
 ヨーロッパの大軍を撃退したこの戦いはトルコの誇りである。

 佐渡島の二倍の小さな島で蜂起したゲリラが潜んだハルラ山。
 韓国軍の厳しい皆殺し作戦。
 島民28万人が3万人なったとある。
 タブーとして旅行案内にも記載されない。
 ガイドも触れない。
 無かった事として商業発展。
 60万人に膨れ上がった観光地。
 その火山島に潜む怨念を忍ぶには、山に向いた部屋こそ最高なのだ。
 島内巡りに疲れた夕方は椅子から夕焼けの山を見続けた日々。
 窓いっぱいに広がった山が夜の闇に沈むまで堪能していた。
■関連情報《外狩雅巳のひろば

杉の宿から2015夢想・転生・無郷愁(3)  北 一郎 

P4200078P4200074P4200079<湯河原「杉の宿」より>
 私の妄想的思想遍歴にマルクスの「資本論」にそった時代があった。ところが奇妙なことに、マルクスがへーゲルを批判すれば、へーゲルに同感し、プルードンを批判するとプルードンに傾斜し、バクーニンを論破するとバクーニンに共感する有様であった。
 バクーニンはこう説く― 「国家は依然として、人間意志の合法的強制者であり、人間の自由の恒常的な否定者なのだ。たとえ国家が善を命令するときでさえ、命令するというそのことのために善は棄損され、無価値なものにしまう。そしてあらゆる命令は、自由の正当な反逆を誘発し、惹起させるものであり、さらにまた、真実の道徳、つまり神的道徳ではなく人間的道徳の見地からすると、善がひとたび命令されると、その瞬間から悪に転化してしまうのだ。
 人間の自由、倫理性および尊厳は、命令されたからではなく、それを意識し、欲求し、愛するが故に、人間が善を行うという点にあるのだ。――(バクーニン「神と国家」(「世界の名著」中央公論)
  国家は線引きした領土である。それだけのことで、領域内の生活者を国民とし、税金や制度を強制する。それを社会に還元するという。強制する側とされる側になって、奇妙な歪みが生じる。国家に雇われた自称公僕は、国民としての日常性をはく奪し、生ける人形にするための仕事に励む。
 その典型が軍隊である。集団で、腕を曲げ手を平らに額に付ける。脚を高く上げて歩く。これが国家の形である。日常で、独りでこの形をして街中を歩いたらば、変り者か精神変調者に見える。
 そこから、ある状況においては、国民(ネイション)を統治する勢力が生まれ、その隣には、命令を実行する勢力の国家(ステイツ)ができる。彼らはその使命感によってどこかに変調をきたす。命令の実行者は、実行をするということによって、権力化する。諸国民からの搾取金を分配するにあたって、まず自らがそれを略奪し、残りを国民に恵み与えるという意識をもつ。
 その場合において、諸国民は官僚という自覚なき独裁者に支配を強いられるのが現実なのだ。
花と痴れ「悪の凡庸さ」と知るべしや       原 満三寿(句集「流体めぐり」(深夜叢書社)
鮟鱇の吊るし切り核災国家メルトダウン     同
白骨が白骨を嗅いで冬籠り             同

抜け殻     江素瑛    

その夏
公園の植え込みに
網を持つ子供たちは空を仰ぎ
ごわごわする樹の表層の幹にとまるセミをねらう
羽を振るわせて鳴くセミもいれば
木肌のところどころ飾るセミの抜け殻は
まぼろし昼の提灯のような

その夏
高いマンションに入り込んだ
家の暗い隙間に
ちらかせるゴキブリの たまごの抜け殻を 
幼い子供が掴み遊び
大人に眉を顰めさせる

詩になる抜け殻は 詠うが
美しい詩情のない抜け殻も
同じ抜け殻 なのに

換骨脱胎する
素晴らしい人間の再生を喩える
抜け殻
みにくい過去をなるべく覆い隠す
だが 隠しても隠せないことは世の掟
メデアはそれをすべて賑わせ明らかにする
というが

(2013 8 8) 

杉の宿から2015夢想・転生・無郷愁(2)    北 一郎 

P4200080P4200081P4200082<湯河原「杉の宿」より>
 囲碁も将棋もゲームであり、ゲームのなかで勝つ法則と負ける法則を見つけ出す。私は老いて、その方程式を忘れてしまっている。知っていたはずのものを思い出すのが難しい。
 すべて新しく考え直す。定石という方程式の不完全な再現である。私の意識の世界は広大であり、そのために過去の記憶の置き場所がわからなくなっている。
 碁盤の上は、白と黒と格子模様。盤外は地球より広く銀河系の領域と定める。将棋盤は王国の戦いだ。王将は矢倉の城を築き銀将が先陣を切り、飛車角が飛びかう。いずれも盤外の人間が神の如く指揮できるゲームなのだ。
 詩人・ホイットマンは35歳で「僕自身の歌」を書いた。――せめてきょう、一昼夜だけ、ぼくのところにいてみたまえ、ぼくが詩というものの究極の起源を会得させてやる――(岩波文庫「草の葉」(上巻・杉木喬、鍋島能弘、酒本雅之・訳)と。
 陰鬱な欧州を逃れて、新世界の自由な空気が、南北戦争で奴隷たちを同じ人間として解放した。国家の肯定と限りない自己肯定。
 そして「こんにちは世界君」で自らを歌う。
―おお、手をとってくれウォルト・ホイットマンよ。
 滑るように移り変わっていくこの驚異、このなんという光景と音響、――ひとつひとつが全体に合致し、ひとつひとつが万物と地球を分けあう。(前掲書)
 女と欲情の妄想詩人ヘンリー・ミラーはいう。
――ホイットマンのなかあらゆるアメリカの光景、過去と未来、その誕生と終焉のすべてがよみがえってきた。ホイットマンはアメリカに存在するものの価値あるもののすべてを表現しているのである。その一語でつきる。彼、ホイットマンこそは「肉体と魂の詩人」であった。最初にして最後の詩人である。彼は今日ではほとんど解読不可能の素朴な象形文字でおおわれた記念碑だ。その象形文字を解くカギはひとつもない。――ヨーロッパの言語には、彼が不滅にした精神をあらわす適当な言語はないのだ。ヨーロッパは芸術で飽和状態にあり、その土地は朽ちた骨で充満しており、博物館は略奪した財宝ではちきれんばかりだ。――(新潮文庫「南回帰線」大久保康雄訳)。
 たしかに世界はほとんど、欧米も含めてホイットマン主義と同質の洗礼を受けた。資本主義が季節風となって地球上をかけめぐった。同時に技術の進歩がいきわたり地球を小さくした。それは巨人化したアメリカをも小さくした。
 大きな物語の宗教、社会主義思想、資本主義思想は人々をまとめる力を失った。だれでもどこでもウォルト・ホイットマンになった。一人一人の価値観が尊重され、小さな共同体がたくさん現れたのだ。
 イスラム国というか、中世的略奪国家というか。いま、オスマン帝国の遺跡の乾燥地帯。砂嵐が竜巻となって民衆の骨を野ざらしにしている。

職場や地域人の「職美展」2015から=東京都美術館

 P5160016P5160014P5160015<いちばん左が国鉄詩人の矢野俊彦氏の作品。国鉄時代の仲間の作品。右がチャリティーでのパッチワーク作品の展示即売の様子>
 働く人々のサークルと仲間が自由に絵を描き発表する「職美展」(全日本職場美術協議会主催)の68回目が5月12日〜5月20日まで、上野・東京都美術館で開催されている。
 ここには「国鉄詩人」のメンバーである矢野俊彦氏も国鉄を職場としていた仲間たちと出展している。矢野氏は同人誌「砂」の表紙絵などにも才能を発揮している。ロマンの漂う作風である。
P5160013P5160012
その他、サークルの仲間たちや個人でも出展できる自由な展覧会で、地域風土や日常生活に密着したものから、汗を流すことの歓びや家族愛のあふれる作品など多彩である。また、チャリティでのパッチワーク作品の販売なども賑わっていた。
P5160009P5160010<戦争が終わって平和を得てはじまった展覧会なので、その時代の国家権力によって戦場とされた国民の自由のない生活の一端を示すワークショップの展示もあった。>

米詩紹介「Central Brooklyn」D.NURKSE  江素瑛・訳  

 「Central Brooklyn」作者・D.NURKSE  訳・江素瑛

セントラル・ブルックリン 

アパートの裏に荒れ果てたベランダの庭園がある
イチジクの樹に抱き込まれ マスカットが繁茂した棚の東屋
私は四十フィートのはしごを隙間に立て掛け登った
ブタンのたいまつで高台になったポーチの草焼きを始めた
死んだ蜂 松やに 樹脂 焼けすず まいはだを取り除いた 
その時一度だけ
裸の恋人達が部屋のブラインドを開けて、私を見ていた
唇をすぼめて 手と手結んで
彼女の乳房は 微かに揺れ 彼のペニスは撓れていた
彼らの目線は憮然として、黙って見ている
彼らに気を取られて私はペンキを一滴こぼしてしまった
それから 私は白壁の上にさらに白い上塗りをした
私が塗り終わった時 この通りは綺麗な空間を作った
離婚後の生活を長くしてきたチョーク顔の金持ちを除き
通りの家々には 誰も住んでいなかった
(詩集A NIGHT IN BROOKLYN より 2012 New York Alfred A.Knopf)

Central Brooklyn  D.NURKSE 

Behind the tenements lay wild gardens:
a swaddled fig tree, a muscat arbor
I propped my forty-foot ladder against a shim
and climbed and began searing the high porches 
with a butane torch.Igouged away dead bees,
resin, gum, soot from forges, caulk. Once
the lovers opened their blinds and watched
with pursed lips, hand in hand, her breasts
swaying slightly, his penis limp, their gaze
imperious and forgiving, and I missed a spot.
Then I painted white on white ,when I finished
Those streets were empty, no one lived there
except the rich, chalk-faced in their long divorce

 読み人・江素瑛
 愛する故郷のBrooklyn New Yorkにある古いアパートの裏庭に根付いた鮮明な記憶、変哲のない日々、愛しい町に漂う甘いけだるさが描がかれている。ポーチの草焼き手入れ、汚れを取り除く、白いペイントの後、空虚になった町でゼロからやり直すしかない気持ちが託されている。「彼らの視線は尊大的寛容である」恋人たちの愛の営みの後の満足感と成就感が伝わってくる。「私が塗り終わった時、これらの街道が空になり、誰も住んでいない」自分を始め次次とそこから離れる友人、記憶の中に離婚した不機嫌なチョーク色の顔をした金持ちだけが残っている。それはNew York の将来を予言しているのだろうか。

「文学フリマ」物語消費(17)「第二十回文学フリマ東京」

P5040028<「第二十回文学フリマ東京」に大阪から参加してきた「大阪文庫」のメンバー。中央が高田好古代表で、左が大阪文学フリマ事務局の猿川西瓜氏>
 「第二十回文学フリマ東京」が、2015年5月4日に開催された。事務局の打ち出した「文学フリマ百都市構想」がの一つ金沢文学フリマが実施され、今年は今後、大阪、福岡と開催が予定されている。《参照:文学フリマ百都市構想
 東京は、現在出店数が600件から700件を行き来するスケールで落ち着いているようだ。一定のスタイルが出てきている。その流れの動向から各地のでの拡散すすめば、地域色のある展開の多様さが加わることになる。
 P5040030P5040031P5040049
P5040048<「第二十回文学フリマ東京」会場風景。5月4日。>

杉の宿から2015夢想・転生・無郷愁    北 一郎       

P4190050P4200083〈杉の宿は道路を挟んで緑の庇の大きいのが本館、右に写るのが新館。「コーヒーあります」サインがあるのが本館。2015年4月20日〉
 4月の中旬、詩人碁の碁会で「杉の宿」(参照:杉の宿)に「詩の碁のいう会」の人たちが集った。まず湯河原駅からバスに乗って、山奥に入った。途中、人間国宝館とかいうサインが車窓から見えた。細川護熙作品展も催してしていたようだ。なにやら由緒ありそうな寺のも門前につきあたり、行き止まりかと思いきや門前の大樹のをまいてUターンし、間もなく「駐車場前」というバス停で降りる。
 ビルの立ち並ぶ都心であるなら、駐車場前などは多すぎて、停留所の目印にはなるまいに、ゆかりある山奥の温泉宿の駐車場があるというのは、たしかに目印として大きな存在であった。
 温泉旅行のさまざまな記憶をおしこめるように、山中の空気は、わたしが存在しないかのように沈黙する。ここは勝負が娯楽となる世界。なぜか、温泉宿の郷愁感情が生まれることはない。
P4190051P4190052P4190053P4190054「心眼」「調和」「忍」「凌駕」「詰将棋譜」「根性」
「寿山福海」「負けるは実力、勝はツキ」
「生花酔月」「自由」「力」「棋楽」
「夏想」「盤上没我」「自勝者強」
「一閃」「死ぬほどの碁打ち一代」−−沢山の勝負師の言葉。そのまま並べても現代詩になる。
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