「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

2015年11月

高原のはないろ亭で初冬を過ごせば  北 一郎

PB240010PB240012<伊豆高原・「花彩亭」と付近の光景。11月24日>
  伊豆高原のなかでもおそらく、かなり高いところにその宿「花彩亭」があった。森と林の間の曲がりくねった道を車でしばらく進んで、一軒の瀟洒な神秘的な風情をした洋館の前に停まった。
PB240015 けばけばしさはなく、どこか威厳のある静かな落ち着いた佇まいは、なにか心をときめかすものがあった。その要素として、空と森と林と坂道のある風景に溶け込んでいるからでもあったろう。
 私たちは、駐車場のわきの石段を登ると、玄関扉を開けの小奇麗なフロントに上がった。宿を手配してくれた娘の期待にそぐわぬ豪華で静謐な宿であった。
 わたしは一休みすると、外に出て山坂のある道を散策した。向こうのまるみのある大室山はすでに雨雲がかかっていた。もう少ししたら雨がふるであろう。
 私は、半世紀前に、伊豆海岸に沿って、ウォーキングをしたことがある。断崖絶壁のある城ヶ崎海岸は富戸の先であり、駅などはなく、吊り橋もなかった。たまたま地震でもあったらしく、がけ崩れをよけながら野宿をしてがら蓮台寺から石廊崎までたどりついたものだ。すでに多くの友がこの世を去り、頭に浮かぶ思い出も語る機会がない。さびししい来歴を語る相手もいない。悔悟と慙愧を忘れているわけではないが、それを語るひともいない。ただ、行く先のわからない森と林の道をしばらく歩き、その空気を吸ったことで、なにやら満ち足りた想いで、一夜の宿に戻ってきたのだ。
《参照:花彩亭
■関連情報=文学フリマ短編賞(小説家になろう)応募作品・きた いちろう「不倫の季節」

工場と時計と細胞と(10)おれ山田― 外狩雅巳

◎おれ山田―
 午前十一時、ラインは順調だ。この時間が最も安定する。まだ誰も疲れていない。動けば昼飯が旨い。
 氏家課長の張りきりもメリハリがある。資材からの部品到着も滞らず俺の仕事も遊ぶ暇がない。
 組立工作は俺の気持ちの昂る時だ。この部品を本体にネジ止めしもう一つの方は蝶番でつなぐ。
 十五歳で時計店に丁稚奉公した頃は大きな柱時計の歯車組み合わせに戸惑いネジ一つに苦闘した。
 十年以上も組立現場を転職した今では大抵のメカニズムには驚かない。ドライバーが手になっている。
 流れるコンベア。部署で組み立てる労働者達。鉄の音、油の臭い。完成する機械。見慣れた日常。
 かつての労働講座がここに具体的に見えている。労働者群像が生き生きと生産を支配している。
 産業革命から技術革新へ、労働者こそが世界を作っているのだ。この橋を作ったのはこの俺だの歌詞だ。
 成田さんは電気関係のエキスパートだ。彼の前を通過する部品は完璧に作動する。十一時ラインは順調。
 明日は西条さんが地区の人から教育を受ける。彼は理論以前に労働者魂が出来上がっている人だ。
 彼を委員長にすれば百人の組合員が団結出来る。俺は書記長だ。気は熟しつつある。蜂起は近い。
 完成品が梱包場に運ばれている。大塚さんが板で囲い釘を打つ姿が想像される。彼は将に大工だ。
 設計者、技術者、機械工、梱包工、運転手。ここには多様な労働者が連携し生産を完結させている。
 『今年は二ヶ月出るかな』ボーナスへの関心は満ち溢れている。それは去年も一昨年もそうだった。
 しかし、いつも期待は裏切られて来た。『昇給は誰が決めるの』春先の今は皆が期待している。
 七十春闘。今年は労働者の声を伝えるのだ。組合公然化は一月後を予定している。支部も支援してくれる。
 課長が組み立てに夢中なので、本田係長がしゃしゃり出て資材へ交渉に行く。部品のバラツキへの文句だ。
 そして山本君を連れてくる。二人でラインを指さしたり部品を手に取ったりして言い
争っている。
 いったん戻った山本君は二倍の資材を運んできた。もう昼まで1課には来ないつもりなのだ。ま、いいか。
 管理職は生産実績に責任を持っている。自分が会社だとでも思っているのか。団結の輪にも入ってこない。
 支部委員長の指摘もあり管理職には一切秘密を洩らしてはいない。成田さんはそこが理解できていない。
 あと少しで昼だ。えーい、こいつを組み上げたら食堂に走るぞ。行列になる前に食えば休み時間が長い。
 昼休みには四人の組合員への伝言がある。休憩時間は俺たちの自由時間だ、目一杯に組合連絡を行う。
 パリコミューンの後の反動期。昨年の労働講座での疑問はまだ解消されていない。なぜなぜなぜばかり。
  《参照:外狩雅巳のひろば》    

工場と時計と細胞と(9)任務  ヽ絢躄輒

◎任務―
 山田君には感謝している。彼は機械工として習熟している。工具扱いや手順が滑らかなのが見て取れる。
 やはり他業種から転職した人たちはいっぱいいっぱいの働き方だが彼はラインの流れに余裕すら見せている。
 夜間の講座通学なので体力温存で働いている。彼の課は課長がやりすぎなので纏め切れていないようだ。
 古参の西条さんが信頼を集める基盤もそこにある。先ずはここから組織化されてゆくだろう。
 地域支部の委員長から連絡があった。先日は一人で会った。いきなり俺の転籍の話がでた。
 西条さんの件が絡んでいる。決意させたらしい、となれば山田君もこちらに来る事になる。
 俺をキャップにするつもりなのだ。近々に三人を集めて地区に行きそこで詰めるという事だ。
 労働学校にある俺の籍は在学中はそのままと勝手に決めていた。学習はあと一年続けたかった。
 その間はこの会社で安定できるはずだった。山田君の紹介で良い会社に入れたと感謝していた。
 労働者の立場に立った要求のために、社員を組織化するには長期間かかると考えていた。腰を据え職場の一員に溶け込む事に努めていた。
 しかし来春闘前の労組公然化が急速に浮上してきたのだ。現場の組織化が早いのが原因である。
 俺は山田君を全面的には信頼していない。彼は浮ついたところが有る。俺とは気質が違うのだ。
 そして西条さんには労組を担う苦労が有る。分会結成は公然化直前に決行する事になっている。
 成田さんと三課の鈴木さんが副委員長で山田君が書記長と役員も内内に予定されている。
 細胞がなければ方針の原案が無原則的に成る。西条さんの教育が終われば細胞発足となる。
 山田君の前歴も本人から聞いているし地区からも知らされている。五年前に労組結成の前歴がある。
 本人は得意気に話したが支部も支援したのに消滅している。支部委員長は地区党内での評価も知っている。
 彼は昨年転籍し地区で待機している。俺は組合の役職は持たない。俺の任務は工場細胞に専念する事だ。
 山田君はお喋りである。一課の女性労働者のお茶に入り込んで世間話の花を咲かせている。
 氏家課長は山田君をマークしている。成田さんは知人から仕込まれた同盟路線で固まっている。
 俺には先が見えないが労働者階級への信頼だけは持っていたい。この会社でとことん戦うつもりだ。
 山田君は、学習成績は良い。先日はイタリアの労働運動について講師と論争している。
 未組織労働者の中で揉まれている事は認めるが、そこからの変革展望は無原則的である。
 蜂起等は無縁の日本の六十年代末を根気よく動かそうという粘りが少ないように思える。
 ヘンリー社長がアメリカから支配するこの企業は組織化の可能性もあるが介入もあるだろう。
 俺の任務は職場に不抜の党をつくる事だ。石井支部長に鍛えられてガンバリ抜く決意である。
  《参照:外狩雅巳のひろば》    


自由な詩人囲碁の集いを開催=東京

PB180002 ほぼ月に1回開催されてきた自由な詩人囲碁の集いが、11月18日に大崎駅北改札西口前にある「大崎囲碁クラブ」で、開催された。従来は、五反田「ゆうぽうと」を会場にしていたが、ビルが閉鎖されたため、水曜日のみ営業する「大崎囲碁クラブ」に変更になったもの。参加メンバーは、坂上清氏、西原啓子氏、山崎夏代氏、江素瑛氏、北一郎ほか。
なかでも西村啓子氏は、詩集「微笑む家」(土曜美術社出版販売)より刊行したばかりで、ちかく作品を紹介する予定です。(北 一郎)
■関連情報=湿潤な季節に詩人囲碁の自由な集い

工場と時計と細胞と(8)俺の二十八歳  外狩雅巳

◎俺の二十八歳
 労働学校の講師から大田区労協を紹介されたのが半年前である。そこでさらに地域支部を知った。
 労組の無い会社の者が個人的に加盟できる組合なのだ。その集合体としての分会、そして支部なのだ。
 三カ月前に成田さんと西条さんを連れて行った。支部長から職場のオルグを行うように勧められようやく実現した。
 「久しぶりだ、残業だと母ちゃんが一本多くつけてくれる」繁忙すぎてとうとう課長が残業者を募った。
「週二回二時間残業すれば一万になるよな」成田さんはもうすぐ結婚するので課長に名乗り出ている。
 西条さんはもうすぐ三十五歳で結婚している。「一杯飲んでカアチャン可愛がって寝るとするか」ご機嫌である。
 二人は製造一課の古参労働者である。係長も課長も一目置いている。班長などは子ども扱いにされている。
 誠実だが反骨精神も持っていて職場の不満を良く聞いてくれる。出来るだけ解決する努力をしている。
 力仕事と電気点検仕事なら俺も楽な点検検査の部署に行きたい。この二人が割の悪い部署を引き受けていた。
 その配慮が課の中を纏めている。課長も知っているが自分が働き過ぎる事しかできない管理職なのだ。
 製造部長・事業部長に掛け合うタイプではない。成田さん達は課長の頭越しにまでは行動していない。
 「山田よお、話聞くだけだからな」と言いながらも労働組合相談に行く事を承諾してくれたのだ。
 駅を越して下町の雑踏を行くと潰れた町工場がある。争議で社長がトンズラしたのだと聞いている。
 支部事務所がここにある。争議中の労組分会が占拠している。石井委員長は焼いたニンニクを味噌で食べている。
 専従なので組合費から生活費が出ている。昼も夜も組合の仕事で私生活はほとんどないように見えた。
「そうですか、そうですか」と聞き役に徹している。成田さんより西条さんが話す方が整理されている。
 どうしても成田さんの言い分は「総評なら友達がいる」とか張り切り過ぎて職場の実態説明にならない。
 全国金属労組は総評傘下である。その羽田地域支部の委員長との会話だからとよそ行きの言葉になっている。
 山本君と四人でまず分会を組む事だと言われた。分会長は西条さんしかない。彼なら百人集まるかも。
 二課の伊藤さんも本田さんも西条さんだと何でも話すのだ。三課にも多くの仲間がいて皆が慕っている。
 この三カ月間で五回も分会会議を持った。そして二課三名、三課二名、資材二名、開発から一人を集めた。
 皆それぞれの部署のベテラン労働者である。十人力の人達ばかり。女性が居ないのは少し寂しい。
 ざわざわと労組話が現場で交わされ出すと会社には漏れていると考えるべきだろう。
 人事の女子社員と親しい若者がいる。彼からの話だと事務所の幹部の動きがおかしいと伝わって来た。
 忙しくなってきた。山本君も俺も労働講座に行けなくなった。職場の組織化に専念している。
 ラインでの次の作業を行う中年の男は創価学会員だ。その相棒は彼に説得されてしまった。
 二人は労組には加入しないだろう。そんな者達は課の仲の半数は居るだろう。
 何時まで秘密で事を勧めるわけにはいかない。支部委員長は春闘を転換期と考えている。
 「山田、お前も模範的な労働者になんなきゃあな」西条さんに言われてしまった。
 もう、座布団は使用しない。出来るだけ真面目に働こう。
  《参照:外狩雅巳のひろば》    

旧島崎藤村邸(大磯町)の日本家屋を探訪=盛丘由樹年

みなせ1<島崎藤村旧邸。左側の塀の前に看板がある。外見は古いが、よく手入れされている。記事撮影:盛丘由樹年。《雑誌「みなせ」68号より転載》>
東海道線・大磯駅から西への線路沿いに10分ほど行き、海側へ少し歩くと、島崎藤村(1872−1943)の旧宅がある。大磯町が管理し、無料で公開しているから自由に入れる。公開時間には係員がいて、対応してくれる。戦前には多くあったと思われる平屋の典型的な日本家屋だ。狭い路地に面した庶民的な場所にある。名声のある作家の家とは思えないほど質素な家だ。看板がなければ、見落としてしまいそうだった。広くない庭には、細い樹木や草花がまばらに植えられていた。太い木は植えられなかったと見える。
藤村は長野県出身で木曽の本陣の家に生まれた。1891年明治学院を卒業。1899年教師として信州の小諸義塾に赴任したことで見聞を広めた。詩集「若菜集」などでロマン主義的詩風を示した詩人であり、小説「破戒」「夜明け前」を書いた自然主義文学の作家でもある(広辞苑による)。藤村は文明批評や児童文学にも取り組んでいた。《参照:大磯町ホームページ/旧島崎藤村邸
  大磯の風土が気に入って、1941年の春に住まいをここに移したというから、最晩年の数年だけを過ごしたことになる。といっても、隠居して引きこもっていたわけではない。小説を書き続けていた。1943年、書き上げたばかりの「東方の門」の原稿を静子夫人に朗読させていたときに倒れ、その夜、零時過ぎに亡くなった。大磯町には藤村の墓もある。
■編集:伊藤昭一=「藤村の否定によるイメージ想起

工場と時計と細胞と(7)街・工場・労働者  外狩雅巳

◎街・工場・労働者
 東京湾に埋立地が張り出してその上に工場が建てられる。更にその先も埋立が続けられ日本一の工業地帯が膨張中である。
 その端には飛行場が有る。羽田飛行場は首都東京の空の玄関である。そこへ向かって道路と線路が伸びてゆく。
 線路は私鉄の京浜急行が鎌田の街から分岐して空港線となっている。道路は緊急滑走路兼用なので広く一直線である。
 稲荷神社の鳥居があるので大鳥居の名の付いた駅がある。駅から五分歩くと空港道路に繋がる。
 そこに大きな会社が有る。T社は道路に面して長い社屋があり裏には大きく工場や倉庫もあり広い敷地面積を占めている。
 午前八時二十五分の電車が着くと大勢の勤労者が降車する。この前後の到着車両から降りるのは、T社員が大半である。
 前が道路で後ろは線路。大きな敷地の会社の正門から数百人の男女が延々と出勤して来る。平日の朝の光景である。
 品川経由で東京方面から、川崎経由で神奈川方面から。各地の住所から通勤してくる男女が全てこの門に吸い込まれる。
 門の脇に守衛詰所がある。その奥にタイムカード置き場が壁一面にある。さらに奥に打刻機が四台並列に等間隔に並ぶ。
 カードに出勤時刻が印字されるとさらに奥の壁にある出勤済み用の置き場に差し込み急いで奥に見える工場に駆け込む。
 工場入口にあるロッカー群で着替えるともう五分前の予鈴が鳴っている。工場は広い。長いラインが三本伸びている。
 ライン間には仕切り板があり1課・二課・三課の順に別種の機種を組み立てている。所定の部署に着いて一息入れる。
 九時の本鈴と同時にラインコンベアが始動する。資材倉庫に近い方から製品倉庫に向かって設置されている。
 前日の終業時のままにライン上には工程途上の部品があり、さらに資材倉庫から運ばれて積み上げられた部品が待っている。
 資材からの最初の工程がトップで完成した最後はホームと呼ばれている。トップ投入からホームイン迄を23名が分担する。
 完成品はパレットに積み上げられ製品課員がフォークリフトで運び去ってゆく。パレットは製品倉庫まで運ばれ梱包される。
 梱包済みの製品には宛先札が吊り下げられ待機している大小のトラックに積み上げられる。行き先は日本全国である。
 裏門から出たトラックの多くは京浜国道に入り目的地に向かう。高速道路網も整備が進んでいる。
 戦後三十年近い高度成長期なので工場は全力で製品を生み出している。道路は車で溢れ返っている。
 運ばれた製品の到着地は観光地が多いが繁華街のゲームセンターに納品される機種もある。
 コインが投入されると音楽と共に馬たちがスタートされるゲーム機がある。ダービーディと名付けられている。
 あちらの機械は縦長である。ジャックが豆の大木を登って行く。コイン投入から二分間で頂点に到達できるか。
 エンドウ豆のようなソラ豆のようなそれに到達すると大量のコインがゲーマーの手前の皿から出てくる。
 当たりの確率は少ない。多くの場合は木登り臨場感を楽しむ代償にコインが没収される。子供たちに人気の機械だ。
 かつて、製造二課ではこの機械を三百台ほど組み立てたのだ。優良機は原価の数十倍も稼ぐ事がある。
  《参照:外狩雅巳のひろば》    

紅葉の三渓園にて平和な絵を描く人々=北 一郎

PB040006PB040025PB040007<これほどの森は、鴨にとっての楽園らしい。のんびりと泳ぎ、浮舟の上でも鏡のような池面の静けさを楽しんでいる。それをキャンパスに写しとる年配の男女がいる。>
 雨の少ない秋の一日。横浜・三渓園では、喧騒につつまれ、硬く角ばった現代文明が捨て去った自然の原風景の面影に安らぎを見出す人々がいた。2時間かけて、絵を描きにやってきたという女性は、遠いけれど、脚が動くうちが花よ、と話していた。
PB040027PB040013<蓮池の枯れた風景は、さびしいというより、こころを落ち着かせてくれる光景に感じた。それは必ずしも来年の蓮花の期待というより、咲いたら枯れるという定理が確かめられることによる。若いときは、時間がたくさんあった。しかし、高齢になると、自分の枯れ果てるまでの時間が見えてくる。大地に生まれそこに還る。その法則を現実視できるのだ。人間は自然の一部であることを、確認するためにこそ、森の紅葉と、水と花々とが存在するように思える。>
  ところで、この三溪園という名は、創設者が原三溪翁(本名原富太郎1868〜1939)という人であるところから、きているようだ。明治・大正・昭和の前半期にかけて生糸貿易で財を成した実業家にして古美術と近代日本美術のコレクター、新進画家のパトロン、さらに自らも絵筆をとる文人であり茶人、横浜だけでなく日本を代表する文化人として大きな存在感を示した。三溪の号は自邸がある本牧三之谷の地名からとった。
  原富太郎は1868年(慶応4年)岐阜県厚見郡佐波村(現岐阜市柳津町)に青木久衛・琴の長男として生まれる。18歳のとき上京、東京専門学校(現早稲田大学)に学ぶ。1891年(明治24)横浜の生糸商原善三郎の孫娘で跡見女学校に通う屋寿と結婚。1899年(明治32)善三郎の死去に伴い、横浜で一二を争う生糸売込商「亀屋」の家業を継ぐ。
PB040010PB040009
  翌年には原商店を原合名会社に改組、富岡製糸場など製糸業にも進出して近代的な事業経営を次々と展開する。また多くの企業や社会福祉関係の要職につくかたわら、日本美術の収集、三溪園の造園、院展の画家や彫刻家に対する物心両面の援助を行う。
   三溪園を一般公開したのが1906年(明治39)、安田靫彦や前田青邨ら若手画家への支援を開始するのが1911年(明治44)、臨春閣の移築が完了するのが1917年(大正6)。三溪園にはインドの詩人タゴールをはじ め内外から著名な文化人が多数来訪したという。
  1923年(大正12)の関東大震災時には横浜市復興会長として横浜の復興に奮闘、また生糸危機に直面した蚕糸業や銀行の救済に奔走、さらに経済の発達に伴って生じるさまざまな分野の社会事業にも貢献を果たす。晩年は親しい友人・知人との三溪園での茶会や、自らの書画三昧の生活を楽しんだという。そのおこぼれにあずかる我々現代人は恵まれている。《参照:横浜「三溪園」菊花展では丹精のこころが花開く
PB040004<三溪園の入り口には客待ちのタクシーがいる。バスもあるが、不便さもありタクシーの利用者も多いようだ。>

工場と時計と細胞と(6)統括会議  外狩雅巳

◎統括会議
 総務部長・・次の件は人事課長から話してもらうが私からも少し。まだ判明していない事も多いので、今日の報告書には書き込みません。
 営業本部長からもいくらかは聞いているが、全国営業連絡会での結果を待っています。はい、どうぞ森野課長。
 人事課長・・オフレコという事で。どうも現場の中でおかしな話があると聞きましたので。ま、二三の社員のそぶりだけでここで取り上げても。
 製造事業部長・・いや、氏家課長はかなり掴んでいるよ。二課でも三課でも何人かは動いているとかで。
 人事課長・・食堂では購買課長等も1課の課長とはよく話すのでそれが回って私の処に入りますがやはり組合を結成する準備とか。
 製造部長・・うち以外にも、事業部関係では資材と配送からは事業部長に上がっているが技術部長も少し。
 技術部長・・うちの二人はいつも待遇面で不満を鳴らすが雷同する者はいないよ。今に始まった事でもないしそれ以上は。
 人事課長・・部長はそれ以上は御存知ないとしても私には全社的な繋がりがあると考えていますが。
 総務部長・・森野課長それで結構。憶測で話すと散漫になる。一応対策として総務から通達する。セミナー関係で良い事を聞いている。
 製造事業部長・・という事は、先日の講師と連絡中ですか。
 総務部長・・営業本部長には紹介済みだが南本先生のことだ。先生には近々来てもらう。全管理職が聴くよう設定する。
 庶務課長・・内定しています。来週火曜日です。労務管理実務の方は二時間行います。あと、同盟にも私が行きます。
 技術部長・・うちの二人も同盟何とかと言っているようだ。同盟なら民社党だろう。その線でならまあまあかな。
 人事課長・・オフレコ以上に内密に。はっきりとはしないが共産党が居るとの情報も少し入っています。
 総務部長・・これがこちらの知っている総てだ。対策は実施する。ヘンリー社長にはまだ話さない。
 製造事業・・社長は信じないと思うけど。この二十年間なにもなかったし、誓約書も取ってる事だし。
 人事課長・・南本先生から言われましたので今年からは廃止します。役所にしれたら違法なので。
 総務部長・・職安も知らない事なので即廃止する。事が起きたら順法で通せるように各部も慎重にやってもらいたい。
 庶務課長・・それではこの件はここまでにして、次の件に行きます。案件の四を行います。
 技術部長・・少し説明を。今までは動態対応型に力点を置いていてシグナル社に出し抜かれてしまったが来月投入用から大きく変える。
 画面型の研究がようやく軌道に乗った。カラーも鮮明に出来る見通しだ。チューリップ姫の画面版で試作課も自信を付けた。
 製造事業部長・・アメリカではまだまだとか。いわゆるテレビ型のゲームとなるとうちは大変な事に成るな。
 人事課長・・調達から配置まで大変でしょうがこれで安心です。電子技能者となれば思想関係は少ないし今いる要注意者も手を引くかも。
 総務部長・・そうそう、今後はガサツな奴は採用しない。いずれコインも進化すれば管理の道もあると営業の言い分だ。まだ先らしいがね。
 現金が動くから不正も多いが電子マネーとなれば機械壊してコイン盗むのは昔話になるさ。
 製造事業部長・・まあ決まればやるさ。ラインも様変わりするし。製品管理の方では修理回収も楽になる。俺も昔は修理現場でコイン抜く奴を見て来たからな。ドロボーと共産党は居なくなる。
 庶務課長・・あと五分です。技術からあと少し報告が終わりましたら閉会します。
  《参照:外狩雅巳のひろば》    


人は変り風景は変らない  江素瑛

鹿児島中央駅∞0001<鹿児島中央駅>
家のトイレのカレンダーは
屋久島の写真
何十年も眺めてきた 
その山を歩きたい長年の憧れがある
鹿児島空港から約二時間の高速船で行ける
せっかく鹿児島にきたから 
いこうか? ん いくと娘
満員の船から降りれば 登山装備をした人ばかり
近くに口永良部島噴火活動警戒中なのに
鹿児島水族館、桜島フェリー から∞0001_1<鹿児島水族館、桜島フェリー から>
当日鹿児島市内のホテルにチェックインするので
二時間で観光できるかしらと尋ねたら
どこ行っても時間に追われるよ
屋久島環境文化センターの映画館を勧められた
巨大なスクリンに森と水と光の調べが迫ってくる
屋久島港∞0001_1<屋久島港>
屋久島の数千年縄文杉と対面 
東京都の映画館にも見られるのでは
と 感慨ばかり
今度は島に一泊で登山できるといいね
と ほぼ不可能の希望を願っていた
種子島ー∞0002<種子島の光景>
往復の快速船で宇宙船を発射する種子島を一望 眼に収めた
鹿児島本土の再南端に来たなあ

磯庭園∞0001_1<磯庭園>
とても不思議な新鮮さを感じるのは
三十年前の一時期 
鹿児島下甑島の無医村に招聘された父母に
大名の磯庭園―仙巌園に連れられてきた記憶 
日本庭園は灯篭 小径 茶屋
岩山があり渓流があり
小さな王国を収めるようだと
島津家の歴史も知らないまま今日になった

お遍路さんの竹杖を借りて
登れるの?登れるよ
いつの間にか娘の目に老いぼれの婆になりつつ
息を整え 三十路の娘と庭園の観水舎を登って行った
火山の登る煙を想像し
山道の八卦の網を張らない蜘蛛を避けながら
娘は黄緑の虫をスマートホンで追っかけながら
山頂から下りてきた人と挨拶を交し
小さくても気丈な滝を眺める
桜島が目の前に展開し
一度両親と桜島火山灰に覆われた 
灰色に塗り替えた奇妙な町の街道を
雨も降らず 夏の陽でもないのに 
傘を火山灰のために使う初体験があった

島津殿を始め 愛でる風景を 
それから我ら親子三代の目には桜島が
違わないものと映るのかしら
(2015 9 24)



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