「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

2016年11月

第19回「文人碁会」2016秋は各務三郎氏が連続優勝

PB260012<「文人囲碁会」で2016年を制覇した各務三郎氏(早川書房「ミステリマガジン」元編集長・評論家)>
   第19回文人碁会が11月26日、日本棋院で行われた。今回は名人戦(互先によるトーナメンント)と大王戦(手合い割によるスイス方式リーグ戦に分けて腕を競い合った。
PB260010 PB260001
  朝日新聞の協賛は従来通り。世話人は三好徹(推理作家)、秋山賢司(囲碁ライター)、郷原宏(詩人・文芸評論家)の各氏だが、三好氏は欠席。
  大会ではプロ棋士の谷宮絢子二段による初級者や有段者の3人同時指導碁などもあり、囲碁の神髄を味わっていた。今回も郷原宏氏が世話人をする「詩の碁のいう会」のメンバーが多く、有段者から級クラスの人も参加して、手合いを楽しんだ
PB260004<谷宮絢子二段による初級者や有段者の人同時指導碁も>

詩誌「長帽子」第77号(東京)から

IMG_20161122_0001_1<詩誌「長帽子」第77号>
 巻頭に郷原宏の「テームズの月」が「詩作品」としてある。土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲「荒城の月」は有名になっていたが、明治35年にテームズ川を接岸した若狭丸の上で、たな二人が合うのが実際に顔を合わせた。そこに居合わせた嘲風という男が、晩翠が「テームズの月」という詞を書き、廉太郎が作曲することを勧める。ふたりはそれを肯定するが、廉太郎の短命によって実現しなかったいきさつを小説的散文に描く。
 企画ものとして、<俳句アラカルト2016>がある。
 望月暢孝「グランドピアノ、山本にれ「夏草」、宮本時計草「浮き身ひとつの」、郷原風京「夏から秋へ」、橋本マリ、安宅夏翁「月並み抄」、田村さと子「十一句」、尾端遊子などがある。それぞれの詩人の現在、過去のイメージ力が楽しめる。
  本号の安宅夏夫氏の作品「ある星座からの眺め」については、ネットサイト「関東文芸交流会・掲示板」に荻野央氏が、詳しい解説をしているのを見つけた。
 また、H氏賞受賞者の郷原宏氏は詩人でもあり、碁人でもあることから、詩人囲碁会、文人囲碁会の世話人として活躍している。《参照:「文人囲碁」の集い

小詩集「つぶ」(ぴっぴのくつした) 武田祐子       

IMG_20161118_0001_1IMG_20161118_0001_2<小詩集「つぶ」武田祐子(発行=ぴっぴのくつした)>

 「つぶ」
草むしりをしていて、突然、きがついた
本物の故郷を持つ人はいないのだ、と

あるのはネズミの入ったケージばかり
失った故郷ほど、心痛むものはものはない

スコップで草の根を、ザクッ、と切ると
土埃がきらきら空中に舞う
痛みに目を瞑る

「残像に惑わされてはいけない、お前は粒として生きよ」
体の中から、ご先祖の声が聞こえる


 読み人・北一郎
 ご先祖さまも「粒」であった。誰の先祖であっても、一介の粒でしかない。存在の源には素粒子の集合体がある。自己存在において、粒の集散離合の運動体としてとらえることは、無意識のなかにある。しかし、心が動く時は、それをほとんど忘れている。
 言葉は、そこに置き並べられた文字の列である。そこの意味を読みだすのは、つぶの心である。空中に舞う土埃もつぶの存在の主張でもある。さびしくもあり、気楽でもあるのが「つぶ」的存在の意識であろう。
 詩は読む人の体験に寄りかかっているが、それは書く人の体験との融合であるに越したことはない。
 

徳田秋声「仮装人物」と山田順子(15・完)北一郎4

 パスカルの「パンセ」には、次のような考察がある。
『……人間のそれらの不幸はいずれもたった一つの事から由来すること、その一つのことというのは部屋のうちに休んでいることができないということであることを発見した……』(慰戯一三九)そして、暮らしに不自由しない男が、家で楽しく暮らしてさえいれば、航海に出たり、城を攻めたりしなければ、悲劇は起きないであろう、とする。
 他方、ショウペンハウエルは、人間は苦難と退屈の間を振り子のように行ったり来たりするものだと述べている。人間の退屈する性癖は、活動しないことへの警告だとする。つまり、行動を促し、定位置に存在しないことは、危険を分散するという利点があるということだ。
 その意味で、順子は人間の本質に自然に従った存在なのであった。秋声は順子のもつ情熱的性格にしばしば「真実」を見ているが、まさに的確であった。ただし、真実とはその時代のその価値観によるとしての話だが。
  小説「仮想人物」の書かれた意義は、庸三の苦悩は、秋声にとって、すでに過去であることによって、救済された苦悩に変わり、順子によって得られたその喜びは、失われた時の再現と定着であったろう。秋声は、最後の一行において『そして、その時分から埃塗れの彼女の幻影も次第に薄れてしまった。』と締めくくっているが、果たしてそうなのであろうか? 登場人物の鮮明な描写の数々を思うと、私にはそれは、彼の韜晦と照れがあるように思える。何故なら、それを書いている間は、意識は過ぎた時間の中を訪ね歩くからである。こうした意識の旅は、おおよそ現実の空虚さを克服し、創造的価値を生んでくれるものだ。 ( 完 )☆(著作・北 一郎)☆
  ーー 引用参考文献 ーー
徳田秋声「仮装人物」(講談社文芸文庫)
秋田魁新報社ホームペ−ジ「秋田・風と土のメッセージ・山田順子」
榊山潤「馬込文士村」(東都書房)
榊山雪「馬込文士村の人々と私(4)」/「季刊・わが町あれこれ」第十四号(南部文学ネットワーク)
山田順子「流るるままに」(ゆまに書房・復刻版)
木村毅「小説研究十二講」(新潮社)
パスカル「パンセ」(上)津田穣訳(新潮文庫)
デューウィ「哲学の改造」清水幾太郎・清水禮子訳(岩波文庫)


徳田秋声「仮装人物」と山田順子(14)北 一郎4

 小説デビュ−の処女作品が「流るるままに」ということもあるのか、山田順子が、如何にも転々と遍歴や彷徨をしたように思われがちであるが、実際はそうではない。それは機転と自信に満ちた行動力の結果であったようだ。
 秋声の「仮装人物」の卓抜なのは、こうした彼女の根源的ところを見事に描出していることである。
 九の章で、庸三が葉子の実家に行った時のことである。葉子の前の夫(モデルは増川であるが作中は、松川)は、その後彼女の実家の召使いの女と結婚する。その女がやってきた時、葉子は自分の子供を増川が取り返しに来たと思い込む。その場面は次のように描かれている。

『葉子はその時少し熱があって、面窶れがしていたが、子供のこととなると、仔猫を取られまいとする親猫のように、急いで下駄をつっかて、母屋の方へ駆け出していった。(中略)
 例の油紙に火のついたように、能弁に喋り立てる葉子の声が風に送られて、言葉の脈絡もわからないままに次第に耳に入ってきた。継母というのが、もと葉子が信用していた召使いであっただけに、頭から莫迦にしてかゝっているものらしく、なにか松川の後妻としての相手と交渉するというよりも、奥さんが女中を叱っていると同じ態度であったが、憎悪とか反感とかいった刺や毒が微塵もないので、喧嘩にもならずに、継母は仕方なく俯き、書生達は書生達で、相かわらず遣っとる! ぐらいの気持ちで、笑いながら聞き流しているのであった。そうなると、恋愛小説の会話もどきの、あれほど流暢な都会弁も、すっかり田舎訛り剥き出しになって、お品の悪い言葉も薄い唇を衝いて、夫からそれへと果てしもなく連続するのであった。(中略)葉子は姐御のような風をして、炉側に片膝を立てゝ坐っていたが、
「おまえなんぞ松川さんが愛していると思ったら、飛んだ間違いだぞ。おれ今だって取ろうと思えば何時でも取ってみせる。」
 という言葉が彼の耳についた。(以下略)』

 なんとも大らかな自己確信がここに見られる
 順子は単純に、己の美貌を鼻にかけている軽薄な女ではなかったようだ。持てる情熱、情愛の精神、肉体すべてを総合して、傲慢ともみえるほど自分の存在に確信をもっている。
 これはおそらく彼女の生い立ちに、深い関係があるのだと思う。富裕な商家で、おそらく両親の豊かな愛に育まれたのであろう。大勢の使用人は彼女を大事扱ったであろう。そうして育った人間は、健康であれば、自己存在の尊厳に疑いを持たない傾向を持つ。厭味のない自己確信は、傲慢さや自惚れと紛らわしいところがある。性格として、根源的挫折感を持ちにくく、人生的に打たれ強いのである。また、この場面で、彼女が田舎訛りと東京弁を使い分けていたことがわかる。乙に澄ました美人でなく、時に田舎訛りをみせる意外性を持っていた。このようなタイプは、男には魅力的であっただろう。
 もう一つ、秋声は順子の本質を描いている。冒頭の序文にそれがある。

『ずっと前に一度、ふと舞踏場で、庸三は彼女と逢って、一度だけトロットを踊って見た時、「怡(たの)しくない?」と彼女はいうのであったが……』

 楽しくないのか? 順子の相手の屈託を気にする場面を描いたのは、それが彼女の口癖であり、秋声はそこに彼女の本質を嗅ぎ取っていたのではないか。
 順子は、地方都市に一生住みついて、地味な生活を送ることの出来ない性格であった。派手で、気の浮き立つことが好きなのである。言って見れば、退屈拒否症なのである。自分が退屈を嫌うがゆえに、相手のそれが気になったのであろう。
 この「退屈する」というのは、人間的存在の根源にある。現在のメディアの発達、浸透ぶりはこの人間的特性から生まれたものだ。
 山田順子が後に、銀座でバ−「ジュンコ」のマダムをつとめたというのも、客の退屈を気遣う気質に合致していたであろう。



詩の紹介 秋風   井上和子    読み人・江素瑛

秋風   井上和子

蓮永寺の境内/風が吹き/銀杏の樹木から/黄色の葉が/舞落ちてくる/落葉と/
遊ぶ子供たち/葉を/空に向かって放つ/両手を広げて/歓声を上げている
/遊ぶが終わると/一人一人/小さな自転車に乗って/帰って行く
斜陽が当たり/落葉は/黄金色に輝き/静閑な空気が漂う
風が吹く度に/葉は落ちて行く/見上げると/骸骨のような/枯枝はゆれて/
身ぐるみ/はがされたように/秋風が/背中を通りぬけていく/静かな境内
細い道を歩いていく/墓場がある
新詩集「面影をさがして」より(2016 年11 月30日・土曜美術社出版販売)

読み人・江素瑛
情景描写が映像効果を発揮し、シンプルな言葉で、ひとつひとつ孕まれた詩情が、静かで、静かで
運んで行く、絵になる里の秋の景色、この詩は人のこころを落ち着かせる、穏やかになる
  詩の前半は子供の躍動が主役だが、なんどなく静かに流れて、幻影性に満ち、次第に、「骸骨のような/枯枝はゆれて」「静かな境内 細い道を歩いていく/墓場がある」
  実に見事に人生を唄って、歩かなければならない道を、なんと自然に受けとめているのでしょう。

谷川俊太郎&北川透の対話12/10<ミライノコドモ>へ…

 IMG_20161109_0001 谷川俊太郎氏と北川透のふたりの詩人の対話「<ミライノコドモ>へ<詩の元気を!」が2016年12月10日、名古屋市男女平等参画推進センター・女性会館で開催される。主催は「あいち文学フォーラム」で、地域の文学振興を目的とした活動の一環として実施される。
  谷川俊太郎氏は、詩人。1931年東京都生まれ。1952年第1詩集「二十億光年の孤独」を刊行。1962年「月火水木金土日のうた」で第4回日本レコード大賞作詞賞、以後「マザーグースのうた」で日本翻訳文化賞、「日々の地図」で読売文学賞、「トロムソコラージュ」で第1回鮎川信夫賞など受賞、著書多数。詩作のほか、絵本、エッセイ、翻訳、脚本、作詞、近年は詩を釣るiphoneアプリ「谷川」、郵便で詩を送る「ポエメール」など、詩の可能性を広げる新たな試みにも挑戦している。近著に「ミライノコドモ」他。哲学者の父・徹三は常滑市出身で愛知五中(現・瑞陵高校)卒。
  北川透氏は、詩人・文芸批評家。1935年碧南市生まれ。愛知学芸(現・教育)大学卒業後、豊橋で1962年から1990年まで、詩と批評誌「あんかるわ」を編集発行し詩作、評論の世界をリード。下関へ移住し、梅光学院大学教授などもつとめ、「北川透・詩論の現在」全3巻で第3回小野十三郎、詩集「溶ける、目覚まし時計」で高見順賞、「中原中也論集成」で藤村歴程賞、本年6月、中日文化賞。現在「北川透現代詩論集成」全8巻刊行中。評論「谷川俊太郎の世界」など著書多数。 
  《参照:北川透氏など「詩のいま、世界のいま」で言葉の交流イベント=首都大学東京》  

原発、築地、オリンピック、TPPのなかの独り言=菊間順子

原発、築地、オリンピック、全て責任は雲隠れ
TPP、オリンピックの影で素通りし
トリクルダウンーカクテルシャワー法則、一体誰が飲んでしまったの?( トリクルダウン理論とは、富裕層が経済 的に豊かになることで、最終的には貧困層も豊かになり、全体に富が行き渡るという 理論、または仮説のこと)

ひとりごと
 6月に38度の熱をだし、救急車で病院に運ばれ20日も寝込んでしまったせいで足がますます悪くなり、外出もおっくうになってしまった。
 駅に行くのも何度か休み休みになり買い物もすべて、孫頼み、8月の暑さもあり益々足が衰える。
 家のなかを歩くのもたかがしれているし、このままでは全く歩けなくなってしまうのではと思い、以前手術をした時にリハビリの先生がこれだけはやって下さいと運動のメニューを書いてくれたのと、テレビなどで見たものを組み合わせて何とか少しは歩けるが、やはり長い距離は歩けない。
 イタリアのポンペイ展は甥っ子に車で連れていってもらったが、今度はゴッホ展、前売り券を買ってしまったので何とか行かなければ、と思うのだが何ともう10万人を超しているとのこと、また考えてしまった。
 再び、孫にでもサポーターとして一緒にいってもらうしかない。
 妹からは、忘年会で横浜のランドマークタワーでランチを予約をするからと言ってくる。
 横浜まで出て来られるでしょう?と言われたが、また孫のサポーターを必要となる。
 年を取るという事がこんなにいろいろと難儀な事とは、、夫に生前お前も80になってみろ、分かるからと、言われた事が今更ながら分かってきた。
 医者と生協の仕事は辞めるわけにはゆかず、まったく歩かないわけにはいかない。
 足だけでなく脳も鍛えておかなければと、脳活の本を買ったりぬりえをやったりと、家の中でも何かしら脳と手を使っているのだが、言葉や文字が書けなくなる。なんともなさけない。ハーモニカもまたやりだしたが、以前より気が進まない。1年ごとに衰えが増える。これも仕方がないのかなー。


徳田秋声「仮装人物」と山田順子(13)北 一郎4

 小説「仮装人物」の梢葉子、モデルである山田順子の存在について、秋声は彼女への弁護的な視点を加えて、その特性のすべてを作中に描きだしている。
 彼女の男性遍歴について、世間の評判は良くない。だが、それは時代の見方による。前にも述べたが、地方の裕福な家庭で不自由なく育ち、メディアの発達によって、都市文化の動向を身近にした時、自己表現に意欲的な彼女が、地方に埋もれることを望まないのは、当然であったろう。
 順子の自伝的小説「流るるままに」には、次ぎのような部分がある。
『自己を開く、自己に合った運命の鍵を拾い当て得ずに懊々として生涯を終わる多くの人も有る。かかる人こそなんという哀れさ、不幸さであろう。(中略)しかし、機会は何時か屹度来る』
 時代を越えて、今にも通じる普遍的な欲望がここにある。この自分の人生に華やかなドラマの彩りを添えてみたいという欲望は、現代においても見られる根源的欲望である。現在、でも流行作家あるいは、芥川賞作家になることで、立身出世を果たした、という意識の作家は多いのではないだろうか。
 それにしても、結婚して小樽に行き二児をもうけ、さらに三人目が八か月という身重をもって、女流作家として売り込むため、亭主を連れて秋声を訪ねるという行動力には、驚きではあるが……。実に「翔んでる女性」だった。
 その後、離婚したあとも男遍歴が続く。それは生活をしながら、自分のロマンを実現するため美貌を武器とした遍歴であった。秋声の「仮装人物」には、母を亡くした庸三の幼い娘を可愛がり、懐かれる様子が描かれている。彼女は必ずしも好色や淫乱の女ではなかった。好色なのは、彼女の周り男達で、彼女は強かにそれを利用した。官能的な行動の奥には、違った生活をしたい、何かの中心になりたい。自分に注目をさせておきたいという欲望に動かされていた。どの男も彼女の主体性を奪うことは出来なかった。それは相手が秋声であっても同じである。自分を支援する力があるかどうか、男を選ぶにあったっては『いつも用心深く、抜け目がない』と秋声は作中に記している。
小説の最終は『そして其の時分から埃塗れの彼女の幻影も次第に薄れてしまった。』
となっている。しかし、順子をめぐる事件の回想と、物語を創る過程には、失われた順子との時が甦り、作者の晩年の空虚さを大きく埋め立てたに違いない。
 それは、常に冷徹さを装う彼の筆遣いが延々と順子の生態を書き記していることに証明されている(彼女との関係の本質は、自ら繰り返し明快に語っているにもかかわらず、である)。
 十四の章で、(ここで彼とあるのは庸三のこと)『恋愛も恋愛だが、葉子の建前からいえば、文学修業と世の中へ押し出してもらうことが彼女の兼々の願いなので、彼の文壇的名声が一朝失墜したとなれば、恋愛の焔もその瞬間消えてのも当然だったが……』とあるように、その後も機会あることに、そのことに触れる。
 葉子の功利的な態度への恨みを漂わせた物言いにも受け取れるこの表現は、庸三、つまり仮装人物の意識である。
 その意識を自虐的に描くことで、秋声は『真実』の表現に到達したという構図に読める。
 執拗にこれにこだわる秋声は、「物の見方によっては、真実は様々であるから、自分はそれを書くだけである」という、従来の態度保留から一歩踏み込んでいる。葉子の心を失ったことと、文壇的名声を失った気持ちの二重奏。その真実の程はわからないが、本心は後者の方に比重があったような気がしないでもない。
 もし、そうだとしたら、この作品で第一回菊池寛賞を受賞したのは、本望であったかも知れない。




徳田秋声「仮装人物」と山田順子(12)北 一郎4

 したがって、秋声のほかの作品と同じ作家的態度に納まっているように見えるし、彼の小説における「見た。だからそれを書く」こういう態度保留の姿勢はかえって顕著になっている。ーーその時点で見解を安易を述べないということは、後世の見解が変化しても、それに耐えられると考えていたのかもしれない。
 過去の出来事は当事者にとって、その時々の現在の未来の展望の姿勢によって、意義が変わることを、秋声はよく知っていたのである。こうした手法に紛れてしまうのではあるが、やはり当初の意気込みの成果は、中ごろまでにそれなりに挙げられており、作品としての独自性はゆるがない。
 十九の章の冒頭で、庸三は自分の存在をこう整理している。
『庸三がもしも物を書く人間でなかったら−−言い換えれば常住人間を探究し、世の中の出来事に興味以上の関心をもつことが常習になっていない、普通そこいらの常道的な生活を大事にしている人間だったら、葉子に若い相手ができた後までも、こうも執拗に彼等成行きを探ろうとはしなかったであろうが、彼はこの事件もちょうどここいらで予期どおりの大詰めが来たのだし、自身の生活に立ち還るのに恰好の時期だと知って、心持ちの整理は八分どおりついていながら、まだ葉子の匂いが体から抜け切れないような、仄かな愛執もあって、それから夫へと新しい恋愛を求めて行く彼女を追跡したいような好奇心に駆られていた』
 ここでは、書くことを職業とするゆえに、それが日常の行動をも偏向させるのだという、ほとんど言い訳に近いのであるが、態度保留から抜け出た秋声の自己確認がある。
 この時期、後にノ−ベル文学賞を受賞することになったジイドの「贋金づくり」が昭和二年に日本で紹介されている。これには「贋金づくり」という小説を創作している作家が作中に登場する。読者にその事実を知らせることによって、書くという行為に傾斜が生まれるという新手法がとられている。
 秋声がどれだけそれを意識していたかは不明だが、当時から日本の文壇が世界の文学的潮流と同期していることを示す一例である。
 その意味で、小説「仮装人物」は、その成立の背後に、事件性の内幕を期待する読者向け意識、書き手の過去から現在に至る存在様態の確認、新しい手法に挑戦する作家魂、この三要素の混在した稀書である。
 秋声は他に膨大な作品を産出する作家であったが、これは特別な意味をもつ作品であったろう。たとえば秋声は小説「縮図」において、強権側からの圧力がかかった時点で、ぱたりと筆を止め、その作家魂を後世に見せつけている。しかし、その作品がもし「仮装人物」であったら、どうだったであろうか。そんなことを考えさるさせる。つまり彼はすぐさま発表に結びつかない事態があっても、私的に書き継ぐ可能性をもった作品であったろうと思わせる。これが、この小説の特異性である。




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