自転車で馬込に行った。弟が同行したので、縦になったり横に並んだりしながら大森の裏通りを走った。馬込は坂が多い。勾配が急なので自転車で登ると息が切れる。幾つかの坂を弟は自転車に乗ったまま越えた。が、わたしはついに自転車を降り、押して歩かねばならなかった。先行した弟は、坂上で片足を地につけて、根気よく待っている。だらしがないとも、早くしろとも言わない。やっとの思いで登りきると、慈眼山万福寺という古刹の門前であった。
 その寺を通り過ぎたところに、めざす家があった。南馬込一丁目十八番地。山本周五郎が十五年間住んでいたという二階家が、午後の陽光に照らされていた。昔風の板塀と茶褐色の下見板の古ぼけているのが、妙に懐かしかった。今は故人にゆかりのない人が住んでいるのであろう。窓辺の軒下に、小さな洗濯物が干してある。しばらくそこにとどまっていると、家の中から若い主婦らしき人が顔を出した。怪訝そうにわたし達を見ている。「もう帰ろうよ。変に思われるから」弟が言った。さっき下った坂道にさしかかると、また自転車を降りなければならなかった。
 今度は弟も私に付き合って並んで自転車を押して歩いた。「あそこで歯を食いしばって小説をかいていたのだな。それらしい雰囲気の家だったよ」私は作家・山本周五郎にまつわる、今は伝説のようになった逸話の幾つかを弟に語って聞かせた。すこし興奮していたのかも知れない。
 その心の高まりのなかで、私にある意識がよぎった。なにかが違っている。いまの自分には、二十数年前に私が山本周五郎の小説を読み漁っていた当時のような、あの熱っぽさはなかった。あの頃の自分は山本周五郎の小説に、もっとよく生きる力を得ようとしていたはずだ。それなのに、何故それらの本を開かなくなってしまったのだろうか。単純な問いなのに、多くの出来事の追憶の隙間に紛れ、確とした答えが出ない。いや、そうでもない。追憶の隙間から、痩せ細る未来の細道が、藪の中につづいているのが見えたのである。
 息を切らせながら、やっとたどり着いた坂の上には、家々の屋根に隠れようとする巨大な夕陽があった。「夕陽だよ。いい夕陽だね」と弟がいった。「ああ、妙にでかい夕陽だな」私はこたえた。だが、その橙色の夕陽は、おそろしく歪んで見えた。あの夕陽の下に何かがある。すべてを風化させ、飲み込んでしまう地獄の炎門が……。
 私は落胆に耐えることの多くなる道のりを視ていた。それから、その想いを振り切るように弟に言った。「たしかに、いい夕陽だ。よし行くぞ、下り坂は気持がいいぞ」「そうだね、下りきるのが惜しい気持がたまらないよね」弟が応えた。私たちは、夕陽の残光の、さらにその下をくぐるように坂を下り、自転車を勢いよく走らせた。