私には一人の若い友人がいる。以前、ともに深酒していた時、だしぬけに彼がこのようなことを口にした。――俺は人を殺したことがあるんですよ。最初は酔いに任せての冗談かと軽く受け流していたのだが、その口吻があまりに真剣なものだから、こちらとしても笑ってごまかしているわけにもいかなくなった。彼は某IT企業のSEで、最近、そういう職種の人が犯した凄惨な殺人事件が、私の家の近所で発生していたという背景もあった。
 だが、よく話を聞いてみると、何やら要領をえない。――俺が小学校三年くらいの時に、《ドラゴンクエスト》っていうTVゲームがあったんですよ、と彼は語る。無論、ドラクエならば私も知っている。いわゆるRPGと呼ばれるゲームのさきがけであり、プレイヤーは主人公になりきり、中世を彷彿とさせる物語世界のなかで、敵と戦い、レベルを上げ、世界征服を目論む魔の手より平和を守る。そんな感じのストーリーだ。俺には当時、憧れを抱いていた女の子がいて……ありがちな話なんですが、クラスの中のマドンナ的な存在でした。もちろん、高嶺の花ってやつで向こうは俺なんか眼中になかっただろうから、思いを伝えることもできずに、俺はその子の名前を主人公につけてプレイしていたんです。そう、ドラクエをね。
 この種のRPGゲームの特色として、プレイヤーは個々人の好きな名前を自由に主人公に与えることができる、というシステムがあった。多くの場合、自分の名前や人気マンガのキャラクターの名称を用いたりするわけであるが、淡い恋心を意識していた同級生の女の子の名を冠してプレイするとは、小学生の考えることにしては少々ませていると言えたかもしれない。ともかく。
 彼は、その女の子の名を持った勇者でプレイを続け、いよいよ悪の魔王との対決へと至った。彼の語るところによると、それまでは主人公は一度として敵に敗れることもなく、無傷のまま、最終ステージにたどりついたのである。しかし、この時事件は起こった。レベル不足か、あるいは彼の戦いかたに問題があったのか、いずれにせよ、勇者は魔王に敗北を喫した。あわれ主人公は死んでしまったのである。無論、ゲームのシステムとして、通常であるならば、この後、主人公は最後にセーブをした場所まで戻され、そこからのリスタートとなる。だが、ディスプレイ上に主人公(女の子の名)が「死んだ」旨、表示された後、画面はいつまでたっても動く気配がない。どうやらゲームのプログラムにエラーが発生したようだった。彼がプレイしてきた全ての記録はその瞬間、失われてしまったのである。そう、彼女の名も一緒に。
 その翌日でした。彼女は行方不明になったんです。彼はウイスキーをぐびりとあおる。地元ではちょっとした事件でしてね、一部の目撃情報から、前夜、不審な男がその女の子と連れだって歩いていたことまでは判明したそうですが、今になるまで彼女は発見されていません。――私は正直言うと、拍子抜けする思いだった。殺人という言葉に最初は肝を冷やしたものだが、彼の訴えるのはゲームの中での殺人――しかも正確にいうと、彼の意図した殺人ではなくて、不慮の事故死、いや戦死と称するに近い事態の現出である。無論、それは現実の事件とは何ら関わりのない虚構の世界の出来事なのだ。私は彼が疲れているのだと思った。肩に手をかけ、今夜はもう帰ろう、と促した。
 さて、私は今、今月発売された《ドランゴンクエスト》の最新作を購入し、一縷の希望を胸に抱きつつ、プレイを始めている。自分の分身となって画面を動き回る主人公の名前に、私は妻のそれを入力した。あとは何かのはずみにパーティが全滅し、一切のデータが消去される万に一つの偶然を待つのみだが、そんな私の欲望などつゆ知らず、妻は傍らでいぎたなく高いびきをかいて眠り続けている。