「デリゲー」なるサービスの存在を知ったのは、ほんの偶然からであった。その頃、私は引きこもり寸前の状態で、定職にもつかず、親の仕送りのみを頼りに廃人同然の生活を送っていた。毎日、アパートの自室にもぐらの如くに閉塞し、プレステやWiiなどのTVゲームを夜っぴてプレイし続ける。要するに私は廃人そのものだったのだ。
 「デリゲー」とは、すなわちデリバリーゲームのこと。デリヘルという言葉はご存知であろうか。一種の風俗で、ホテルや自宅にその手の女の子を呼び寄せ、性的サービスを受ける。デリゲーは、女の子を呼び寄せるところまでは同じであるが、享受するサービスはゲームのお相手である。料金を支払い、一緒にゲームを楽しむ。世の中には対戦型ゲームというものがあり、私の如き友人もなく、彼女もいない孤独な人間は、下手をすると一生、コンピュータを相手に空しい熱戦を演じ続けなければならない。血の通った人間とプレイしたいという欲望はきわめて自然なものであり、ましてその人間がかわいい女の子であれば言うことはない。そうではないか? 私は早速にも連絡先に電話を入れ、「ありす」という源氏名のデリゲー嬢の予約を取った。
 さて、呼び鈴が鳴り、期待と羞恥の入り交じった心持ちで扉を開けると、私はその場で凍りついてしまった。そこに立っていたのは、紛れもない、かつて高校時代、同級生だった松林ゆみ子ちゃんである。これは幻影ではないか、と私も最初は疑った。クラスの男どもの羨望の視線を一身に集めていた松林ゆみ子ちゃんが、胸元を大きく開けたメイド服姿で、私に向かって微笑みかけている。ま、松林さん……? 私は震える声でそう問いかける。しかし彼女は、実に沈着な口調でこう答えるのだ。いいえ、わたしは「ありす」です。
 このような状況では、勝負も何もあったものではない。成り行き上、一時間コースの料金を渡し、《グランツーリスモ》をプレイするのだが、何度やってもすぐに私が負けてしまうのである。頭が真っ白で、とても画面に集中できない。半時ほどがたち、この場の空気に耐えられなくなった私は、トイレに行くという口実で部屋を飛び出した。アパートの外の自販機で水を買い、喉をしめらせる。ダメだ、と呟いた。これでは何もかもがダメになる。部屋に戻ると、松林ゆみ子ちゃんはいつの間にか《スーパーマリオブラザース》に興じていた。任天堂ファミコン草創期の名作。あれ、と思った。こんな古いハード、自分は持っていないぞ、と。「ありす」ことに松林ゆみ子ちゃんは振り向いて言った。わたしが持ち込んだんです。ご迷惑でした? 私は慌てて首をふる。「ありす」はにっこりと笑う。一緒にやりましょ、スーパーマリオ。
 画面が暗転して、1−1の文字。懐かしい音楽とともにゲームが始まる。コントローラーを握りながら、私の妄執はなおも腐った脳裏を駆け巡る。彼女は果たして同級生たる自分を完全に忘失してしまっているのだろうか。それとも……。ややあって「ありす」は口を開く。鮎川信夫って詩人、知ってる? 私は知らなかった。そう、と「ありす」は言う。幸いにもあなたを殺しにくるものがあれば喜んで迎えなさい、と書いたひと。画面はスクロールする。マリオの命がある限り。ねえ、と「ありす」は甘い声で囁くのだ。あなたは現実を捨ててゲームに逃避する。でも、ゲームに逃避するあなたの人生もまた、一つのゲームなのよ。――その刹那、マリオは死んだ。ゲームオーバー。一時間が過ぎ、「ありす」は延長の有無を訊く。私は首を振った。
 「ありす」が去った部屋で、私はしばらく放心状態だった。たかがゲームではないか、と叫ぼうとした。しかし声が出ない。なるほどゲームは残酷なものかもしれない。私がそう納得したのは、後日、例の鮎川信夫が、《スーパーマリオブラザース》をプレイ中に脳出血で死去した事実を知ったがゆえである。