西欧の小説、特にミニマリズム(純粋化)は、記述している微細な対象描写と世界との関連を結びつける糸口を失い、その存在の意味性を失っている傾向にあるとしか受け取れない。
それはともかく『キャラクターズ』の面白さは、ライトノベルを商業主義的な売上げチャート的な視点でなく、日本社会の文学的な意味をもるひとつの現象として、捉えたところが、新鮮に見える。しかし、それはすこしばかり突出した文芸上のジャンルをマナ板に乗せて、その料理の次第を解説した範囲においてあろう。
小説の終章では、話のなかで柄谷行人を死に追いやった結果、東浩紀は『ぼくは気づいた。そうだ。ぼくに友人なんていない。敵だった書評家も、友人も、師と仰いだ人物もみな死んだ。(中略)ぼくが渦巻きだと思っているのは、単なる同心円の集合体で、真実を目指して曲線上をさまよっても、中心にたどりつくことはない。それでいいのだ、とぼくは思う。ぼくには同志もいなければ、味方もいない。この身からあふれる言葉たちがあるだけだ』
思想家の孤独であろうか。ついでに、余談をさせてもらおう。
現実のマナ板の上では、大体いろいろな魚類が捌かれる。その魚の名称だが、日本では、同じ遺伝子を持った同じ魚が、成長の過程で名称を変えジャンル訳される。いわゆる出世魚というものである。西欧では、魚に名前を付けたら、それがどれほど大きく成長しようと、名称が変わるということはない。彼らにすれば、こんな非論理的で、ものごとを混乱させるようなことは考えられないであろう。
しかし、日本人が出世魚という発想をしてきたのには、それなりに文化的な背景による独自の現実把握の手法を持っているからである。たえば、川口でよく見るイナ(英語辞典=gray mullet)は、いかにも小さくてよく群れる。その前はオボコという名である。しかし、ボラ(同=mullet)に成長した時には、吊り上げる場所が異なるし、子供でもイナダとボラが別の魚だと直感する。そしてそれがトド(同=gray mullet)になる。科学的にDNA追求すれば同じ種類の魚だとわかる。
それが西欧であると、最初にイナダと名付けたのはボラのことであった。それは間違いだからイナダかボラに統一しようということになるのだと思う。
要するに、日本人は現実を観察するのに、直感と論理を同列に置くのである。直感を抑圧することが出来ない。ところが、西欧は論理のために直感を抑圧することができる。
私は、これから西欧との交流において、日本の現実観察の視点の独自性が西欧にとって、新しい発想法と認める時期がくるであろうと見る。
こういうと、「日本人は自分たちの独自の文化にもっと誇りを持って、世界に対応しよう」などという俗論が出るのだが、発想が異なるのはお互いさまで、べつに誇りがどうのこうのという問題ではない。
日本人はきめ細かく現実を観察し、その結果、同じ現実でも人のその時の状況によって異なって見えることに、注意深いのである。だから、俳句やエッセイなどでも、同じようなものをいくつでも書く。当人にしてみれば同じではないからである。
挨拶でも「また、会おうぜ」というかと思えば、「また、お目にかかれれば、幸いです」など、謎解きのようなものに変えることがある。目に引っかかるなどとは、どういうことか? 西欧人でそれが理解できるのは、詩人だけだ。日本人はインスピレーションを抑制しない根っからの詩人体質があるのだ。
東浩紀の考える、深化させた日本の純文学の『構造―内容―文体の組織化』という理論的標的は、この日本的な「私」によって、さらに消化されてから実現するビジョンではないかと思われる。
西欧文化は、その理論の厳密性において優れ、その思考法は世界標準にもなってきた。もちろん日本においてもその影響が甚大であることは言うまでもない。
そのなかで、日本人の文化である現実性、実証主義的な性向は、「私」というものの共有性によって、そのなかの曖昧性を確認してきた。歴史的にみても、西欧文学におけるリアリズム手法は日本においてはまず、私小説や身辺小説によって検証され、独自の文学領域を確立している。
その底流には、詩精神というものを重視する文化(もともと思想とは無縁な偶発的な所産である)、つまり詩の要素をもった小説を好むという民族性がある。
それを平たく表現すれば、西欧的小説が当初から、内容に合った構成と、文体を構築して書かれるのに対し、日本のそれは、「なにやら書いていたら出来ちゃった」という作品が少なくない。
目標を明確に意識せずにとりあえず書いてしまう。作品は当然、玉石混交となるが、その肩の凝らない自由さが日本人の文学的土壌を形成しているのである。今後は、それらの要素を許容した現代的文学の発生がない限り、日本の純文学的エリアの過疎化は防げないのではないか、と思うのである。
小説「キャラクターズ」では、東浩紀の師であった柄谷行人は死体となって発見される。(つまり、後の時代の者は、変化する時代のなかで、師の肩にのってさらなる高みをめざすということ。これは当然のことであろう)。桜坂も、桜庭も、舞城も、阿部和重も行方不明になる。不透明の時代で、将来を保証される作家はいない。そして、東浩紀は半壊状態の96年式ゴルフカブリオレに乗って、どうなるかわからない未来の自分に向かってアクセルを踏むのである。
ここは、社会分析的な視点での文学の現状が示されている。
では、文学的な手法で見たライトノベルの向かう先には、どのような道筋があるのであろうか。ひとつは、現実的な人物を鋭く観察できる才能を持つものが、典型となるキャラクターを生み出した時に、それが優れた純文学作品を生み出すのではないだろうか。
西欧にも「私」とい視点で、鋭く人物を観察し、人間性追求の小説を書いた作家も多く存在する。その一例として、ポーランド生まれの英国人作家ジュセフ・コンラッド(1857〜1924)の小説における「私」の視点の使い方がある。彼の作品の多くは、マーローという男がその眼で見た事件を「私」という視点で語るのを聞き手の「私」が記録するという、「私」の視点が幾重にベール化されている。このことによって、客観的でありながら主観的、リアルさとファンタジー性が見事に融合されている。
その代表作が「闇の奥」(中野好夫訳・岩波文庫)である。ハリウッド映画フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」の原作と言ったほうが、わかりやすいかも知れない。彼は自伝を書いているが、それは完全に小説化された構成になっている。意味からすれば「私小説」であるが、実に小説的である。
さらに、彼の手法をライトノベル化したのが、サマーセット・モームである。代表作に「月と六ペンス」がある。
モームの作品もアシェンデンという語り手の観察者の視線を通して、読者はその物語の世界に導入する。モームの作品を読むと、コンラッドの手法を思い出してならない。
最後に、西欧世界の文化の坩堝(るつぼ)に日本の文化の存在感が小さいが、日本には西欧文化の坩堝が存在するということである。いつしか、西欧の好事家たちが、日本における西欧文化の坩堝に気がつく時代があれば、世界文学は新しい展開を見せるであろうと、私は信じる。【了】
それはともかく『キャラクターズ』の面白さは、ライトノベルを商業主義的な売上げチャート的な視点でなく、日本社会の文学的な意味をもるひとつの現象として、捉えたところが、新鮮に見える。しかし、それはすこしばかり突出した文芸上のジャンルをマナ板に乗せて、その料理の次第を解説した範囲においてあろう。
小説の終章では、話のなかで柄谷行人を死に追いやった結果、東浩紀は『ぼくは気づいた。そうだ。ぼくに友人なんていない。敵だった書評家も、友人も、師と仰いだ人物もみな死んだ。(中略)ぼくが渦巻きだと思っているのは、単なる同心円の集合体で、真実を目指して曲線上をさまよっても、中心にたどりつくことはない。それでいいのだ、とぼくは思う。ぼくには同志もいなければ、味方もいない。この身からあふれる言葉たちがあるだけだ』
思想家の孤独であろうか。ついでに、余談をさせてもらおう。
現実のマナ板の上では、大体いろいろな魚類が捌かれる。その魚の名称だが、日本では、同じ遺伝子を持った同じ魚が、成長の過程で名称を変えジャンル訳される。いわゆる出世魚というものである。西欧では、魚に名前を付けたら、それがどれほど大きく成長しようと、名称が変わるということはない。彼らにすれば、こんな非論理的で、ものごとを混乱させるようなことは考えられないであろう。
しかし、日本人が出世魚という発想をしてきたのには、それなりに文化的な背景による独自の現実把握の手法を持っているからである。たえば、川口でよく見るイナ(英語辞典=gray mullet)は、いかにも小さくてよく群れる。その前はオボコという名である。しかし、ボラ(同=mullet)に成長した時には、吊り上げる場所が異なるし、子供でもイナダとボラが別の魚だと直感する。そしてそれがトド(同=gray mullet)になる。科学的にDNA追求すれば同じ種類の魚だとわかる。
それが西欧であると、最初にイナダと名付けたのはボラのことであった。それは間違いだからイナダかボラに統一しようということになるのだと思う。
要するに、日本人は現実を観察するのに、直感と論理を同列に置くのである。直感を抑圧することが出来ない。ところが、西欧は論理のために直感を抑圧することができる。
私は、これから西欧との交流において、日本の現実観察の視点の独自性が西欧にとって、新しい発想法と認める時期がくるであろうと見る。
こういうと、「日本人は自分たちの独自の文化にもっと誇りを持って、世界に対応しよう」などという俗論が出るのだが、発想が異なるのはお互いさまで、べつに誇りがどうのこうのという問題ではない。
日本人はきめ細かく現実を観察し、その結果、同じ現実でも人のその時の状況によって異なって見えることに、注意深いのである。だから、俳句やエッセイなどでも、同じようなものをいくつでも書く。当人にしてみれば同じではないからである。
挨拶でも「また、会おうぜ」というかと思えば、「また、お目にかかれれば、幸いです」など、謎解きのようなものに変えることがある。目に引っかかるなどとは、どういうことか? 西欧人でそれが理解できるのは、詩人だけだ。日本人はインスピレーションを抑制しない根っからの詩人体質があるのだ。
東浩紀の考える、深化させた日本の純文学の『構造―内容―文体の組織化』という理論的標的は、この日本的な「私」によって、さらに消化されてから実現するビジョンではないかと思われる。
西欧文化は、その理論の厳密性において優れ、その思考法は世界標準にもなってきた。もちろん日本においてもその影響が甚大であることは言うまでもない。
そのなかで、日本人の文化である現実性、実証主義的な性向は、「私」というものの共有性によって、そのなかの曖昧性を確認してきた。歴史的にみても、西欧文学におけるリアリズム手法は日本においてはまず、私小説や身辺小説によって検証され、独自の文学領域を確立している。
その底流には、詩精神というものを重視する文化(もともと思想とは無縁な偶発的な所産である)、つまり詩の要素をもった小説を好むという民族性がある。
それを平たく表現すれば、西欧的小説が当初から、内容に合った構成と、文体を構築して書かれるのに対し、日本のそれは、「なにやら書いていたら出来ちゃった」という作品が少なくない。
目標を明確に意識せずにとりあえず書いてしまう。作品は当然、玉石混交となるが、その肩の凝らない自由さが日本人の文学的土壌を形成しているのである。今後は、それらの要素を許容した現代的文学の発生がない限り、日本の純文学的エリアの過疎化は防げないのではないか、と思うのである。
小説「キャラクターズ」では、東浩紀の師であった柄谷行人は死体となって発見される。(つまり、後の時代の者は、変化する時代のなかで、師の肩にのってさらなる高みをめざすということ。これは当然のことであろう)。桜坂も、桜庭も、舞城も、阿部和重も行方不明になる。不透明の時代で、将来を保証される作家はいない。そして、東浩紀は半壊状態の96年式ゴルフカブリオレに乗って、どうなるかわからない未来の自分に向かってアクセルを踏むのである。
ここは、社会分析的な視点での文学の現状が示されている。
では、文学的な手法で見たライトノベルの向かう先には、どのような道筋があるのであろうか。ひとつは、現実的な人物を鋭く観察できる才能を持つものが、典型となるキャラクターを生み出した時に、それが優れた純文学作品を生み出すのではないだろうか。
西欧にも「私」とい視点で、鋭く人物を観察し、人間性追求の小説を書いた作家も多く存在する。その一例として、ポーランド生まれの英国人作家ジュセフ・コンラッド(1857〜1924)の小説における「私」の視点の使い方がある。彼の作品の多くは、マーローという男がその眼で見た事件を「私」という視点で語るのを聞き手の「私」が記録するという、「私」の視点が幾重にベール化されている。このことによって、客観的でありながら主観的、リアルさとファンタジー性が見事に融合されている。
その代表作が「闇の奥」(中野好夫訳・岩波文庫)である。ハリウッド映画フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」の原作と言ったほうが、わかりやすいかも知れない。彼は自伝を書いているが、それは完全に小説化された構成になっている。意味からすれば「私小説」であるが、実に小説的である。
さらに、彼の手法をライトノベル化したのが、サマーセット・モームである。代表作に「月と六ペンス」がある。
モームの作品もアシェンデンという語り手の観察者の視線を通して、読者はその物語の世界に導入する。モームの作品を読むと、コンラッドの手法を思い出してならない。
最後に、西欧世界の文化の坩堝(るつぼ)に日本の文化の存在感が小さいが、日本には西欧文化の坩堝が存在するということである。いつしか、西欧の好事家たちが、日本における西欧文化の坩堝に気がつく時代があれば、世界文学は新しい展開を見せるであろうと、私は信じる。【了】