次になお小宮氏は、言語の連想性に就いて述べている。即ち例えば「古池」という言葉は、日本人の連想からは直ちに古い寺院の池や、庭園などにある閑雅で苔むした小さな溜水の池をイメーヂするが、温気のない西洋にはそんな古池が無いのであるから、西洋人のこの語から連想するイメーヂは、アルプスやスヰスの山中などにある、青明に澄んだ大きな湖水であるだろう。
　そんな池へ蛙が一疋跳び込んだところで、何の詩趣も意味もあるものか。かつ「蛙」という動物は、日本人にはとっては特殊の俳味的詩趣をもつて居り、夏の自然を背後に感じさせるような季節感をさえ有しているが、西洋人にとっては何ら特殊の連想がなく、食用蛙の醜怪を思い出させる位のものであろう。してみればこうした翻訳を通じて、外国人の俳句から受け取る印象は、不可解以上に想像が出来ないと結論している。
　小宮氏の説は、むしろ常識的にさえ当然の正理であって、これが文壇に問題を起こしたのが、むしろ不思議な位である。
　僕のごとき外国語に智識のない人間が読んでさえ、上例の如き英訳で芭蕉の俳句が訳出されてるとは思えない。正直に告白すると、こうした訳を読んで滑稽になり、いつも失笑を禁じ得ないのである。しかもこれが語学者として名声の高い宮森氏の訳であり、内外共に最近の「名訳」として好評されてるのを見ては、いよいよ以て詩の翻訳の不可能性を痛感する次第である。
「花の雲鐘は上野か浅草か」といふ句を、かつて昔或る人が次のように英訳した。

The clouds of flowers
Where is the Bells from?
Ueno or Asakusa.

　西洋人がこれを読んで「葬式の詩か？」と反問した。奇抜なので聞いてみると、成程もっともの次第であつた。即ち「花」といふ言葉は、日本人の読者にとつて、直ちに桜花を連想させるのに、西洋人の読者にとつては、ダリアやチューリップやシネラリヤを連想させる。そこで clouds of flowers は、そうした西洋草花の群生している花壇か、もしくは花輪や花束の集団をイメーヂさせる。
　また「鐘」という語は、日本人にとっては仏教寺院の幽玄な梵鐘を連想させるのに、西洋人にとっては耶蘇教寺院の賑やかな諧音的ベルを連想させる。そこで今、この訳詩を読んだ西洋人の心象には、耶蘇教寺院のベルが鳴ってる町の通りを、美しい花輪や花束の群が、雲のように行列して行く光景、即ち葬式のイメーヂが浮んだのである。
　故にこの俳句を、もし正当に訳そうと思うならば、「花」は英語の flowers でなくして、日本語「花」といふ語をそのまま原語で用いる必要がある。また「鐘」は chimes や bells でなく、日本語の「鐘」でなければいけない。即ち要するに、原詩を原語で示す以外に、翻訳は絶対不可能だという結論になる。