<辻井喬氏「詩論」を語る(2008年04月21日、PJnewsより)
newsimg<「詩とは何か、詩の現在性を問う」の講演を終えた辻井喬氏。アルカディア市ヶ谷にて。(撮影:伊藤昭一、19日)>
日本芸術院会員、小説家で詩人の辻井喬氏(81)は19日、アルカディア市ヶ谷(東京・千代田区)で、「詩とは何か、詩の現在性を問う」の講演を行なった。これは詩人グループの東京詩話会(北岡善寿会長)第71回例会として開催されたもの。辻井喬(本名・堤清二)氏には「叙情と闘争〜辻井喬+堤清二 回顧録」がある。
 主催の東京詩話会は今回をもって解散・閉会とすることから、辻井氏は「閉会の例会に講演をするのは、初めてのこと。これからも何らかの活動を継続されることをのぞんでいます」と述べ、まず、自らが詩の世界に踏み入ったいきさつを講演の糸口とした。
 そして、小説や詩の起源を、社会共同体における発生から考え、マルクス主義思想に代表される社会の歴史的発展段階論史観に照合させた解釈を述べた。さらに近代詩における萩原朔太郎(1886〜1942)の日本自然主義表現批判、初期現代詩におけるアナーキスト詩人・小野十三郎(1903〜1996)の短歌的叙情表現批判について触れ、詩論を理解する上において、その生まれた時代背景を把握して考える必要性を述べた。
 なかで、小説は2千年以上前に、帝王が下級の部下を巷間(こうかん)に放ち、民衆が何を話しているかを報告させたことから生まれた。そこには帝王の、民衆によって権力が転覆されるのではないかと疑い、怖(おそ)れがあった。そこから小説には反体制意識の要素が含まれていたのではないか。詩歌はその発生に、社会共同体の王を賛美させる意図があったということで、小説と逆の要素をふくんでいたのではないか、と解釈する。
 自らが詩作をするようになったいきさつでは、辻井氏の思春期の歌集が、歌人であった母親の鞄(かばん)から出てきたことからはじまり、戦前と戦後では文化人たちの言動が、まるで変わってしまったことへの不信感、反感などの経験を語った。さらにプロレタリア詩人・上野壮夫、小熊秀雄などの評価。ロシアのスターリン独裁時代とペレストロイカ、独裁体制と辺境のアーティストの関係。詩論と詩作品との間のスキマ風の話。写生と象徴など、時代と芸術の関係を語り、詩は書斎で生まれるものでなく、切実な思想的希求と日々の生活の中から作られるべき、とまとめた。
 講演のなかで、辻井氏は現在、「詩論ノート」をまとめているところで、7月頃(ごろ)には刊行される見込みであることを明らかにした。辻井喬氏の詩論としては、すでに「私の現代詩入門〜詩が生まれるとき」1994年刊行(講談社現代新書)がある。(パブリックジャーナリスト・伊藤昭一)