我々の核開発に至る前の顕著な事例として、ダイナマイトがある。ダイナマイトもまた、それまでにないより強力な武器を作り出しているが、それ以上に、ダイナマイトを手にしたことによって我々の暮らしは著しく変わっている。
  ダイナマイトを我々のものにした時、我々は太陽に次ぐエネルギーを手に入れたと考えたに違いない。それは間違っていない。我々はダイナマイトを使い、強力な武器作りとは別に、大掛かりな土木事業を手掛けている。手掛けられるようになった。山を削り、海を埋め立てて来ている。我々は我々の意思の下に大地を自然を従えた。それは鉄道であり、道路であり、港湾として、我々の暮らしを支えている。
  ダイナマイトを手に入れて、我々は我々の思いのままに自然を破壊し、我々の空間を作り上げて来ているのである。それは我々にしか出来なかった。我々以外の生物は自然を変えることなく、その中で生存している。その状況を我々はもっと認識しておかなければならない。
 我々も、他の生物と同様に、幾多の洪水、地震、噴火、そして津波に遭遇している。それらに対して、我々も耐えて来ている。自然の営みには耐えるしかない。ところが、我々はそれを克服できると考えるようになった。それはダイナマイトを手にしたからである。
 ダイナマイトを手に入れ、我々は大規模な河川改修に乗り出す。そこに、巨大な堤防を築き、洪水から身を守ろうと画策する。しかし、それで、水の流れがコントロール出来たわけではなかった。一見、洪水は防げているように思えても、奔流をコントロール出来ていないのだから、意味がない。洪水は洪水として、我々を襲う。それなら、我々は自然の流れ受け入れ、それに対処して行くしかない。
 そうでありながら、我々は自然に従うのを拒否している。それは我々がものを作れるようになったからであろう。我々のもの作りがすべてに優先するという思想が我々の間に定着したからでもある。
  だから、ダイナマイトを手にした成果を讃えるために、そこから生み出された資金が我々の未来を切り開くと考えられる先端技術に対する賞金として使わるようにもなっている。つまり、我々は更なるもの作りを強制されているのに、それを顧みるまでもなく、受け入れているのである。
  ところが、平和を称賛すると称して、平和に貢献した事例に同列の賞金が出ているのは皮肉と取るべきであろうか。つまり、ダイナマイトの出現が我々の暮らしをどれほど広げているにしても、一方で、ダイナマイトが強力な武器に転化して平和を乱し、数多くの人命を損なって来ているという現実も知っておかなければならないであろう。ダイナマイトにより、我々は多くの我々を失っている。いや、それを容認しなければ、今日の世界は成り立たないのかもしれない。
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 ■作者情報≪作家・豊田一郎のひろば