刺身は    北条敦子   

割烹料理店の片隅で男と女が/黙々と飲んだり食べたりしている/皿に盛られた刺身は/あまりの沈黙に耐えきれなくなった/なにしろ生きのいい刺身のことだ/この二人なんか話すことはないのかな/だんまりでたべられたんじゃ やりきれない/なんとかしてよ わさびに眼くばせした そんなこととは つゆしらず/女は ついっと箸をのばし/わさびを小皿に取り醤油にとかし/刺身をひたすや一気口に入れた/とたん あっと声をあげ/顔をしかめ 涙涙涙・・・・・・男はあっけに取られ/二人は 思わず顔を見合わせて笑った
これでよい これでよい/食べ物は明るくたのしく食べてくれるに限る/刺身は食べ物を代表して/ちょっと得意気に身を反らせた

北条敦子詩集「思いは季節と花に」より 2013 年11月(土曜美術社出版販売)

読み人・江素瑛
 喧嘩して冷戦状態に陥るカップルか、長年の連れ合いでしょう。疲れている関係にあるのでしょうか、お喋りより、黙々と食べる雰囲気が、ワサビのお蔭でバリアが破れた。それは相手がいればの話し。一人で寿司屋に入ると、注文の声以外、いえ、回転すしの場合、食べ物を黙々と口へ運ぶだけ、声さえ無用である。お腹が満足であれば、食べ物の基本的役目が達するという世界が拡がることは、作者の心を裏切る現象になるかもしれません。