「工場と時計と細胞」の編集過程で、北一郎氏が行う助言や整理は重要な役割を果たしている。
 毎週一回でサイトに細切れで掲載した26の断章を、総体として読める文芸作品にする荒業である。
 荒業なので当然目配りが行き渡らないところもある。そこは、再度私が修正し整合性をつくる。
 この作品は実験作であり主張先行でもある。場面と登場者には連続性や一貫性が不足している。
 舞台脚本的な毎回の転換を物語として読み進ませる苦心は、北一郎にも手に余る作業だと感謝している。
 さらに、北一郎の作品理解とその傾向が作者とかけ離れているので調整中で双方の譲歩も必要だろう。
 3月25日の文芸同志会通信での本作品での北一郎の読み方《参照:民衆の幸福の表現と文学芸術》は、作品から社会問題を抽出し経済論に特化している。
 作品背景を労働運動からみて階級闘争理論を展開させようとしている。北一郎は宇野派だそうだ。
 宇野理論で眺めた時作品中の賃上げ闘争や労組結成過程には展開すべき論点も多々あるようだ。
 その先に、アメリカ大統領選挙のサンダース候補問題等を持ち出せば、テクスト不在になりそうで危険だ。
 ここは、作品に戻り他の読み方への解説的な作品論の展開が必要だろう。体験談として読む読者も多い。
 作品中に見て来たような嘘を散らして虚構に現実性を与えるのも、作者の仕事のひとつであろう。
 多くの実体験と見聞を基礎に架空の設定をどう作るか。少しパロデイ化して図式的・戯画化する手法もある。
 そこには会話の威力と作業現場のリアルさを使用した。さらに、ゲームの名前を多く創作したりした。
 妖しの館とかチューリップ姫などの名付けは安易かなと思っているがバトルアースには気合が入った。
 ヒットラーの侵攻を防ぐバトルオブブリテンから転用したのだ。戦記物オタクの私が最も気に入った名前だ。
 また、ノーワークノーペイやプレイイングマネージャなども会社員の好きな文言かと思い採用した。
 マルクス関連も多用したかったが北一郎の世界になりそうなので制御してかなり除外した。
 ブリュメール18日の中にある「一度目は悲劇で二度目は喜劇だ」と言う名言なども書いて見たが削除した。
 現実の工場労働者や管理職の実像に迫る事に努めた。リアルとは何かを考えて書き進めたのだ。
 半世紀も前の実体験そのままでは古臭い。今の時代を支配する空気との整合性に気を使った。
 民主連合政府の提案が実らずに半世紀後の今の国民連合政府の呼びかけの空虚さを浮き彫りにしたかった。
  子供だましのゲームにもリア充は大切ならば大人に向けた作品には何処をリアルにするか苦心した。
 なので、北一郎のマルクス経済学宇野理論視点も作品の薄さをカバーしてくれて大いに助かるのだ。
 今後、北一郎は文芸作品論も厳しく展開するだろう。その時は二面性のある作品として甘く採点して欲しい気持もある。
《参照:外狩雅巳のひろば》