書きたい事が社会に向けての主張で、そのテーマを小説化する人もある。
 私もその一人だった。そして文芸同人会を結成した。
 零細企業の労働者を遍歴しながら労組結成を行った。
 その体験などを自伝小説として書き同人誌に掲載した。
 「28歳の頃」などを書き連ねて世間に発信していた。
 町田文芸交流会の参加団体の一つ、「民主文学」町田支部もそうだ。
 社会問題を題材にした作品が多数掲載されている。
 作者が社会問題に注目するきっかけが作品化されている。
 貧困差別を自覚し社会運動に入る事が多く書かれている。
 その点では私のきっかけは落差がありすぎるようだ。
 働きながら夜間大学に通う中で突然の遭遇から始まった。
 クラス委員に立候補し当選し学生自治会に接近した。
 自治会単位で参加した全国学生連合の集会があった。
 演壇では盲目の指導者が政治目的の趣旨説明を行った。
 黒田寛一を見たたった一度の機会である。
 マルクス主義学生同盟参加の自治会集会だったのだ。
 共産党から出て革命的共産主義者同盟を創設した人だ。
 その下部組織の革共同革マル派の清水谷集会だった。
 マルクス思想を世界同時革命に繋ぐ理論を支持していた。
 トロッキーの主張として第四インターを称していた。
 過激行動で学問と世間から遁走する自伝小説を書いた。
 「この路地抜けられます」と題して同人誌に掲載した。
 社会問題を書いたのは私だけだが雑誌は継続した。
 そして会は破綻して解散した。主張の合意が無かった。
 合意がある民主文学会の各支部は結束している。
 多摩支部が交流会参加の中で主張を説明している。
 十月会合ではその政治批評も十分に話してくれた。
 二次会では安倍政権批判も聞けたので納得した。
 しかし、その納得が作品納得に届かない不足も話し合った。
 私が個人的不満を書き労働者全体問題に届かず挫折した経過も踏まえ、現代の小林多喜二作品を生み出す困難を話し合い二次会も大いに盛り上がりました。
《参照:外狩雅巳のひろば