冨吉氏からのコメントを読みました。《参照:私の工場細胞時代!夜間は「中央労働学院」にコメント》。なつかしい過去が甦ってきました。
私は同人誌に書き続けていますが、そこは地域の閉じられた世界です。
インターネットの世界でこその今回のような事が可能なのでしょう。
世界中で閲覧されているサイバー空間の実態を実感しました。
半世紀前の私は、作品「28歳のころ」に書いたような、放浪の日々でした。
羽田空港の近く大田区糀谷で下宿中に、同居人との不和で自立しました。
一人暮らしも長続きせず、部屋に荷物を置き放しで、山谷に飛び込みました。
売血生活の末に、夜学に戻ると、学友の配慮で彼の工場に就職出来ました。
収入が安定して大田区蒲田に二間の賃貸住宅を借りて生活しました。
冨吉君が知っているのは、その大森西七丁目の部屋の事だと思います。
六畳と四畳半の和室。玄関と台所もついています。一人暮では廣すぎます。
一方で僕が寝て、客は奥の部屋で就寝出来ます。彼も安心した生活でしょう。
北平さんが家主です。その後、現在の妻と知り合い誘い込みました。
大家さんに妻が注意され、退居して池袋の妻の実家の離れに住みました。
妻の兄が戻り退居を促され、相模原に家を購入して現在に至っています。
そんな経過が懐かしく思い出されました。冨吉さん元気でなによりです。
《参照:外狩雅巳のひろば