IMG_20190307_0001_1_1< 井本元義・著「廃園」(書肆侃侃房)。 井本元義(いもと・もとよし)=1943年生まれ。九州大学物理学科卒。 詩集『花のストイック』、『レ・モ・ノワール』、『回帰』、小説『ロッシュ村幻影』、 第1回 新潮新人賞佳作 「鉛の冬」、 第35回福岡市文学賞 『花のストイック』、 第9回文芸思潮まほろば賞 「トッカータとフーガ」、 仏政府主催 仏語俳句大会グランプリ。>
 本書の作者の本質は詩人なのであろう。幻想を主体としているが、それは即ちロマンの表現にある。叙事詩でなく、散文で物語化をしている。
  「序」には、リルケのー「一輪の薔薇、それはすべての薔薇である」ーが引用されている。ロダンのお手伝いをしていた時にでも思ったのであろうか。
 「廃園」には、「牡丹」の美がイメージに添えられ、その美を表現できずにいる。ペシミズムのユイスマンスの「さかしま」に影響された70歳の男の精神が描かれる。ウェルベックのベストセラー「服従」の主人公が研究する思想家である。
 「帰郷」には、「ニセアカシア」で、前章と同じく、女を犯す。「R共和国奇譚」は、同人誌「海」第挟で読んでいた。
 説明すると切りがないので、省略するが、ここには「詩人回廊」の詩的精神の散文化のテーマが生きているので、取り上げた。詩と言えば行を替えて、短い言葉を並べるのが主流である。しかし、その多くに、そこに句読点を打てば散文になるものもある。
  現代では、優れた詩の多くが散文詩である。近代文学時代(モダン)の者の大物である菊池寛は、科学が発達して、世界のすべてが、明らかにされると、将来「詩は亡びる」と言った。そこで、荻原朔太郎など詩人達に騒がれた。
 この時代から、浪漫主義風の作品は、リアリズム全盛の流れの中で旗色が悪い。しかし、人間は現実生活のなかで、それと離れたイメージ世界もってしまう。ドライブの単調な一本道でーー街中を走る電車の窓外での、込み入った住宅の屋根の連なり見ている時にーーそれが現代のロマンであるかも知れない。問題は、韻律である。それでも散文には、文章のリズムが作れる。しかし、俳句や短歌のリズムと同じではない。それが西欧詩との根本的な違いであろう。
 もちろん、毎日おなじことの繰り返しをそのまま受け入れるひとには、詩的ロマンなど無縁な世界である。(北 一郎)