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 わたしが若杉夫人の家に訪れた時は、夫人がひとり応接間で応対してくれた。
 この出会いは,川合氏の場台とは内容のニュアンスが違っていた.。.
 若杉夫人は.未成年で丸刈り頭のわたしが幼く見えたらしく、その後いつまでも子供扱いされることになった。.
 若杉夫人は、無名人の雑誌と銘打った「天」(川合氏が手記で名づけていたもの。実際は「雲」という)もので、文宇の小さい薄いガリ版の冊子のような本を見せてくれた.。今で.言えば新書版の大きさである..。
 手にとって見ると、女.性の戦後の生活の苫労話が掲載されていた。どれも短く、その場で斜め読みで知る内容を知ることができた。
 詩のことばかりを考えていたわたしは、おそらく「こういう生活的なものもあるのですね」とかを述べたかどうかしたのであろう。当時の戦後の高度成長の始まりの頃は、農村から都会へ働きに出てくる若者で溢れていた。「若い根っこの会」とか、歌声喫茶など、若い男女が交際場を求めてくる団体がほとんどであった。自分は、詩の理解する会を求めて、「文学会」という名の付く会をさがした。見つけても、「朔太郎の詩を手本にしています、とか言っても、何それ? 朔太郎って誰?」とかいう有様だった。それで、同年代では、話が通じない。孤独を深めていった時期だった。.
 そんな時期に、若杉夫人は、あとあとになっても、忘れることのできない話をしてくれたのである。.
「あのね。日本人は敗戦ですべてを失ったでしょう。その後の家庭を支えるために、どれだけ家庭の主婦たちが,苦労したか、あなたは子供でわからないでしょう。飢えをしのぐため、それはそれは、恥も外聞もなく.みんな必死で生きてきたのー。それがね、ここにきてやっと衣食住がなんとかなって、ほっとできる時代になったの。するとね、そうした女性たちは,いままでの生活のための生活はなんであったのか、と心が空っぽになってしまったのね。いろいろな苦労話を誰かに知ってほしいのよ。そこでは私は彼女たちに、いままでの苦労を手記にすることで、空っぽになった心を鎮魂させ、空虚さから脱出してもらおうとしているの」
「苦しみから抜け出したあとは、.心が空っぽになるんですか」
「そうよ、それが空虚さなの。目標が見えなくなって、すべてが虚しくなるの。心が乱れて苦しくなるのよ。でも,不思議なことに、それを書いて表現.することで解消されるのね。だから日本の戦後を苦労して生きてきた女性のたちのために、こうした同人雑誌を発行することを始めたの一ー」
 夫人.の言葉の背後に、無気力になって茫然とする多くの女性の存在を見ることができた。その頃、わたしはたまたまそのような人間的特性にある関心をもつていた。
「書くことで.虚しさが消えるおれも、それで詩を書いているのかな」
 人間は労苦から解放されると、心が空しくなる。心の空虚さが書くことで埋められる。若杉夫人との会話で、彼女の意思である「自己表現.の場を提供することによって,無気力に苦しむ人々を救済し
たいー」という精神をわたしは強く感じた。