「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

ニュース・バルコニー

詩人・北川 太一の遺稿「デクノバウ」と「暗愚」

IMG_20210529_0001_1<北川太一・遺稿『「デクノバウ」と「暗愚」』追悼/回想集」(監修・小山弘明)文治堂書店>。
 北川太一の遺稿『「デクノバウ」と「暗愚」』追悼・回想集」』(監修・小山弘明)が、4月に刊行された。 北川 太一(1925年3月28日 - 2020年1月12日)は、文芸評論家。高村光太郎との交流のなかで、高村の傾倒する宮澤賢治との関連において、その研究を文芸評論に結実させている。
【著者略歴】大正14年〔1925)3月.東京日本橋生まれ。昭和12年(1937)東京府立化学工業学校に入学。同学年に吉本隆明がいた。昭和17年(1942)産業技手補として丸の内で働き、夜は飯出僑の東京物理学校(現・東京理科大学)に通う。出征後、昭和20年(1945)海軍技術少尉として愛媛県字和島で敗戦に遭う。焼土と化した東京に戻り、その年の秋には俳句集「研叩帳」・詩.集「v焔」(ともに私家版〕をつくる。戦後は東京工業大学の大学院で学び、研究室は異なるが吉本と光太郎について語りあう。昭和27年〔1952)秋に晩年の光太郎を中野に訪ね、亡くなる昭和31年0956〕まで親交を重ねる,この折りに草野心平を識る。また都立向丘高等学校定時制教諭とLて40年近い歳月を過ごすかたわら光太郎没後、令集編纂の実務を手掛けた.。令和2年〔2020〕111/2日逝去、亨年94歳。なお光太郎の命日、4月2日に毎年催きれている「連翅忌」及びその運営は平成24年(2012)より、小山弘明に引き継がれている.〔編集部)
ーー北川太一「デクノバウ」と「暗愚」(遺稿)からー一冒頭部抜粋ー
ーーはじめにーー
 昭和十三年三月一日発行の『婦人之友』に発表された「宮沢賢治の詩」の最後に、高村光太郎は、こう書き足しています。

「此の詩人の死後、小さな占い手帖の巾に書き残された言[葉があった。その人となりを知るに最も好適なので此処に採録して置く。」
 
 書き写したのは、心象スケッチ「雨ニモマケズ」の全文でした。
 光太郎がこの手帖を眼にしたのは、恐らく東京での賢治追悼会だったと思われます.その「古い手帖」には鉛筆書きで上部に、11・3のメモがあるので昭和六年十一月三日に記されたのでしょうか。
 初めての賢治作品がまとめて印刷されたのは、昭和八年の没後に文圃堂の三巻本から何年かたって刊行された十字屋書店の校訂本全集で、そのあと昭和十一年に羅須地人協会跡に、有志によって「野原ノ松ノ林ノ……」以ドの後半が、光太郎の筆跡で石碑として建てられました。
 賢治が手帖に書きつけた直前、昭和六年九月には満州事変が起り、世界ではそれまでの戦争とファシズムの時代が、新しく切り変わろうとしていました。
 昭和八年から九年にかけて、東北や北海道は、ひどい冷害と凶作に打ちのめされ、娘の身売りが急増しその上、軍部への献金熱が当然のように高まりました。その戦争を用意する政策を大きく支えているのは東北の若者たちだとさえ考えられていました。否やの無い、あきらめに近い、軍隊に入れば少くとも餓えずに生きられる,と思い若者たちの大部分は命じられるままに動きました、考えることを知っていて自分で自分の行動を選べたのは、その若者たちのどれだけの部分だったでしょうか。(以下、略)

第31回伊東静雄賞・選評(抄)平野宏・選考委員

IMG_20210219_0001_1<第31回伊東静男賞<栞>表紙題字:書家・山口逸風氏。写真:昭和10年11月20日付、立原道造から伊東静男宛、詩集「わがひと興ふる哀歌」受贈の礼状。諫早図書館所蔵(坂東まき氏寄贈)。>
 ☆選評=自力と他力=平野宏(第31回伊東静雄賞<栞>より)選評自力と他力
 毎回のことだが、応募原稿に」向き合う時、詩作品とではなく、作者と向き合っていると感じる事が多い。作者が、自身の主観や経験や苦悶を盛り付ける為の器として詩の形式だけ利用L,盛り付けた自身を持って詩としているように思える。しかし、人が詩である限り、詩は人にとどまり、人の限界を麺えてのくことはないだろう。(中略)これは私の慈覚だが、詩は書くものではなく-書けていくもののようだ。つ圭り他力である.任ゼてあれよあれよと書けていけぱ、これはもう言うことはないのだが、これがなかなか。
 さて、今回の受賞作「ひまわりがさいている」の作者,おおむりたかじさんは,過去何塵も佳作に入選し,第十八回には奨励賞も受賞されている、常連の詩人である。(中略)受賞作は特異な手法も新しい発見もないけれど、長く書くことで醸される詩人そのものの味が、出汁のように作品に染みている。
 井上瑞貴さんの「記憶なき時代」一構成上は三連に組まれているが実体は、一行か二行のそれぞれ独立したスタンザが連なって出来ている。(中略)井上さんは一見無作為に、その実細心の作為をもって、人生に散らばる記憶の断片を一つの消失点へ向かわせている。そこは《孤独ではな'けれどひとりきり》の場所かも知れない。
 菊池優人さんの「遅クナイカラ原隊へ帰レ」ーーは、2・26事件の当事者として赤坂見附に居た祖父と一世紀を経て同じ赤坂を歩いている孫とを対比させて、重く流れて行く今というほ常を描き出している。驚嘆するのは、菊池さんの、言語感覚だ。一行二十字がきっちり一節になっていて、全体三十六行。それが三連に切られていて正に豆腐である。勿論、一行に字余りも字足らずもなく、文章としても、何の齟齬もないー.恐るべし。
 紫月琴葉さんの「僕が死んだ日」ー−作者が十五歳の中学生であることが恐ろしくなる。書き統けて欲しい.。
 また、菊谷浩至さんの「朧」のドミノ倒しのような疾走感と臨場感や、木原純架さんの「鸚鵡を返す」の見事な返L、藤森重紀さんの「とうとう遂に!」の可笑Lさ、愛しい,などが心に残った。最後に、,小学六年生の坊垣心都さん、小学二年生の屋宣琉榎さん、とってもいい詩でした。これからもも書きつづけてください。

第31回伊東静雄賞・選評(抄)田中俊廣・選考委員

IMG_20210219_0001_1<第31回伊東静男賞<栞>表紙題字:書家・山口逸風氏。写真:昭和10年11月20日付、立原道造から伊東静男宛、詩集「わがひと興ふる哀歌」受贈の礼状。諫早図書館所蔵(坂東まき氏寄贈)。>
 ☆選評=書く読む、考えるということ=田中俊廣(第31回伊東静雄賞<栞>より)
 常日頃、自らに課していることがある.いやむしろ、そうありたいと願っている小説家・竹西寛子や彫刻家・佐藤忠良などから学んだことだが、ことばを磨くためには、書くこと、読むこと(観る、聴く)、考えること、この三者を日々繰り返すしかないということである。トライアングルあるいは鼎のように、この三つの一つは、他の二つと微妙に精妙にかかわっている。助け合っている。支え合っている。そう難しいことてはない。何か思ったら書く、新聞や本を読み,映画を観、音楽を聴く。そして立ち止まって考えてみる。
 応募作品の中で優れているのは、この三者の訓練の成果であろうし、何か足りない作品はどれか欠いているのであると考えられる。
 受賞作のおおむらたかじさんの「ひまわりがさいている」の背景には、以上の三者の基盤が感じられる。障がい児への温かな眼差し、軍国主義の不条理。ハンセン病、アウシュビァツ収容所での非人道性、原爆、べトナム戦争、難民キャンプなど、歴史的社会的歪みへの鋭い批評。そして、終連で現在の日常生活の中に、希望の萌茅を見そうと願っている。(中略)
 佳作の中で注目した作品は以下の通りである。
 塩見桂二「蝉と煩悶」、田村雅之「飛行」、森水陽一郎「水原の梨」、出雲筑三「熱海さくら」、河野俊一「生きること 窓」、雨野小夜美「黒い夕立と虹のグラフ」、「和井田勢津「たましぽろぎ」、若見政宏「シャパーニの憂鬱」、豊原清明「荒地の心」、水上瓜「雲ばかりの夜に」(以上,受付順。敬称略)。
 第一次選考は、平野宏さんとそれぞれ自らが選んだ50編を持ち寄って討議していく。最初の段階で共通したのは、13編であった。それから後の佳作37編は、1編ずつ読み合わせながら、意見交換しながら決めていく。佳作に10代の作品が3つ入ったことが今年度の収獲であった。紫月琴葉(15歳)「僕が死んだ日」、山本零(16歳)「遺失物取扱所」、水上瓜(16歳)「雲ばかりの夜に」。書く、読む、考えることを続けてほしい。

第31回伊東静雄賞「栞」より選評(抄) 井川博年・選考委員

IMG_20210219_0001_1<第31回伊東静男賞<栞>表紙題字:書家・山口逸風氏。写真:昭和10年11月20日付、立原道造から伊東静男宛、詩集「わがひと興ふる哀歌」受贈の礼状。諫早図書館所蔵(坂東まき氏寄贈)。>
 ☆選評=散歩で見えて来たもの= 井川博年(第31回伊東静雄賞<栞>より)
  今回の最終選考は、新型コロナウイルス感染の全国的拡大の最中の、十一月半ばに行われたため、以倉紘平委貝とは,文書と電話でのやり取りとなり,結果は、おおむらたかじ一ひまわりがさいている」を、二人一致して受賞作に選んだ。
  受賞作「ひまわりがさいている」は、出だしがいい。最初の五行で、団地という場所設定がなされていて、次の段の人物紹介に無理なく繋がっている。これでこの詩の主人公の施設で働く「息子」と、障害者の「嫁」の若夫婦。その子の「アキラちゃん」。老夫婦の「ヤスさん」と「バアバ」との関係が、家庭マンガの人物のように,読者の眼にくっきりと,浮かび上がって来るのである。
  この中で、老夫婦が心配した「嫁さん一が、「信じて産んだ一男の子の「アキラちゃん」が、「古稀になったバアバに手を引かれ」、特別支援学校に通う姿に、この家族が暮らす団地の周辺を、散歩の日常にしている、作者が見つめる視線が温かい。作者はこの家族のことをよく知っているだけに、二人の姿に[ガンバレ」と,声援を送るのである。(中略)−−
  ーーこの詩に書かれた世界は特別なものだろうか? 私は身体障害者の問題については明るくないが、もう一つの、老人問題については、語る資格はありそうだ.、いまの日本は世界でも稀な老入社会である。近い将来六十五歳以上の高齢者は、人口の四十%を占めるようになるという。(中略)−−このような現状を知って、「ひまわりがさいている」を読むと,私たちは日常生活の中で、障害者に対して、おおむらさんのような態度が取れるだろうかと、反省させられるのである。(中略)−−−
  この詩だけでなく、他にも障害者を扱った作品があった。竹野滴さんの「日和町」は,知的障害者の「幸さん」を、日常の散歩に連れ出す介護者の作者が、「幸さん」の言葉によって、天気のことから、様々な問題について教えられた、という詩であった.、後口がとてもいい。
  コロナ禍の生活を扱った詩も多かった。その中で、大川原弘樹さんの「昼の月」は、川べりに立って、対岸をオーケストラに見立てるところや、西洋中世の宇宙有限説の話など、心洗われる語り[に魅かれた。田中裕子さんの「窓」コロナ患者の入院見舞いの後、川べりを散歩する話で、風景を見ての感慨が、平凡なのが物足りなかった。
  今回,この大変な事態の中から、寄せられた詩を読むと、「詩はまだ大丈夫だ」との感を強くした。こういう時こそ、「詩」が必要なのである。

第31回伊東静雄賞・選評(抄)以倉紘平・選考委員

IMG_20210219_0001_1<第31回伊東静男賞<栞>表紙題字:書家・山口逸風氏。写真:昭和10年11月20日付、立原道造から伊東静男宛、詩集「わがひと興ふる哀歌」受贈の礼状。諫早図書館所蔵(坂東まき氏寄贈)。>
 ☆選評他者への関心=以倉紘平(第31回伊東静雄賞<栞>より)
 今年の選考も例年通りのやり方であった。第一次選考で選ばれた五十篇から、井旧博年選考委員と私とで、そ紅そぞ優秀作品を十篇程度挙げることから始めた。良いと思った作品が一致する場合とそうでない場合とがある。そうでない場合は、自分の見落としかも知れないので、また時間をかけて互いに精読し,最終的に数篇に絞って議論した(中略)−−。
 応募番号500番(選考委員は作者名を知らない)の、おおむらたかじ氏「ひまわりがさいている」は、表現巧者の作品とは思わないが、障害者を抱えた家族の生き方に対する作者の共感と敬意が、強く熱く伝わってきて深い感動があった。
 この作品に登場するのは、向日葵と向日葵に寓意された太陽と<300戸ある団地の一番西の端っこの/二階建ての家>に住む三代の家族と作者である。その家には、ヤスさんと古稀を迎えたバアバと、〈施設〉で働く眼に障害のある三十歳の息子と施設通いの障害者である二十五歳の嫁と、<誰よりも愛し合う息子夫婦の愛の子>特別支援学校に通うアキラちゃんである。バアバとヤスさんは三人の障害者と暮らしているのだ。古稀を迎えたバアバとヤスさんについて作者は次のようにうたう。<私たちもガンバル ヤスさんとバアバの決意/そしてさわやかに言った/あなたにあしたに委ねます>と、作者の(わが友〉ヤスさんとバアバのこの<さわやかな>決意、太陽に向かって咲く向日葵のような生き方こそ、この作品の核心である,(中略)
 ーー最後に私の選んだ佳篇5作を挙げます。和井田勢津「たましぼろぎ」、雨野小夜美「黒い夕立と虹のグラフ」、川野圭子「母の臍の緒」、宮城ま咲「一品足りない居酒屋」、川上明日夫「さやけ、岸辺のきもち」以上です。

第31回伊東静雄賞は、おおむらたかじ氏「ひまわりがさいている」に

IMG_20210219_0001_1<表紙題字:書家・山口逸風氏。写真:昭和10年11月20日付、立原道造から伊東静男宛7、詩集8「わがひと興ふる哀歌」受贈の礼状。諫早図書館所蔵(坂東まき氏寄贈)。>
  伊東静雄顕彰委員会による優れた詩作品の公募の第31回伊東静男賞は、「ひまわりがさいている」おおむらたかじ氏(78歳=新潟市在住)に決まった。《参照:諫早市公式サイト  
 受賞作品および佳作者の氏名などがこのほど発行された「第三十一回伊東静雄賞」の冊子に掲載している。なお、令和3年3月21(日)開催の準備を進めていた「た菜の花忌・伊東静雄賞贈呈式」は、新型コロナウイルス感染防止のため中止となった。
  本公募には、国内外から昨年を上回る964編の応募があり、平野宏氏、田中俊廣氏による第1次選考、井川博年氏、以倉紘平氏による最終選考で決めた。賞金50万円。
 おおむらさんは新潟県長岡市出身。郷里の詩人大関松三郎の詩集「山芋」などに関心があり、詩作を始めたという。伊東静雄賞では2007年に奨励賞を受け、その後も応募を続けていたという。
 受賞作は、古希を迎えた友人には障害のある息子がいて、息子の妻も障害者で、2人が子どもを授かったことを題材にしている。この若い息子夫婦と孫のために年老いても頑張る友人をたたえ、厳しい現実に目を向けながらも希望を託した作品。高齢化社会の困難と、コロナ禍の中でもけなげに生きる人々の今を象徴していることが、評価された。
 選評については後日、抜粋を掲載予定。

第30回伊東静雄賞・選評(抄)平野宏・選考委員

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<第30回「伊東静雄賞」の栞。題字は書家・山口逸風氏。表紙写真は、昭和3年5月30日京都市今熊野南日吉200酒井安代宛 葉書。発信 伊東静雄。諫早図書館所蔵。家の外(と)に柿の花咲き/その柿に雀ゐる故え/そのことを心にもちて/寂しけれど寂しきまゝに/うらやすう夕(ゆう)の座(ざ)にゐる。>
  第30回伊東静雄賞は、末国正志氏「耳も眼も鎖して」に決まった。《参照:伊東静雄公式サイト/研究会
   ☆平野宏氏選評(栞より抜粋)=選ぶという行為の重さ
  本賞の選考は,一次選考の選者二人が佳作五十編を選び出し,その中から二次選考の選者二人が受賞作を決定する、という手順がとられている。その内一次選考は、田中さんと私でそれぞれ選んだ五十編ずつを選
選考会場に持ち寄り、突き合わせる。
 傾向も感性も違う二人なら当然のことながら、最初から共選している作品は二割に満たず、後は一[作ずつ協議を重ね、残そう、落とそうとやっていく。
 この作業の中で思うことは「選ぶ」という行為の重さだ。.ここで選んだ作品の中から、受賞作が決まる。選者が選ぱなければ、残らない。作者が介入出来るのは賞.の外側の、作品を書き,応募するところまでで、読み、選び、佳作と決めるのは選者だ。
  あたかも、作品の質を保証するがごとく..保証の責任は作者でも作品でもなく、ただ選者にある。これは恐ろしい事だ。賞の質とは選者の質のことだ、と腹に据え直しながら,今回も五十編を送り出したのだった。
  その中から、今回は末国正志さんの「耳も眼も鎖して」が受賞作になった。末国さんは、広島で原爆に遭遇し、劫火の中から生還した父君のことを書いておられる。自分が死の瀬戸際にあるヒき、他人に対して「人間」でいられるか、というテーマが重い。(中略)
  小林結さんの「回廊のあるアパート」は、何層にも重.ねた透視画を眺めているような目眩に襲われる。しゃがんで猫を見ている私を透.かして、彼の骨のような白い陶器のかけらを金属の箸で拾っている私を透かして……各レイヤーの私は性の残像のように消えかけて、透視画が重なるたびに私の痕跡が埃ののように舞い上がっては、また静まる。  ?
  竹野滴さんの「朝を捉えようとして」ーー朝とはいつをいうのだろう? 日の出をもってか? まだか? 今か? 捉えどころのない朝を捉えようと足掻いているうちに、いつか日が暮れかけている。詩作は、そんな行為と似ている。私(選者)も、《夕暮れの徒労とばかり親しんでいる一人だ。けれど、文字を一文字ずつしか覚えられない梢さんは、覚えて忘れた一文字に変えて新たな一文字を覚えることによって、楽々と朝を捉える。
  河野俊一さんの「なりたいものは」は、ライトバース調の書きぶりが心に沁みる。最終三行への静かなランディングが見事だ。
  「Negativ winner」の鈴木治身さんは常連で、一貫して破裂するようなパンクロックを歌い続けておられるこんなことを言って良いかどうか分からないが、ひょっとすると鈴木さんは、受賞しようと思って書いているのではないのかも。そして選ぶ方にも、どうやら気持ちの片隅で同じように感じている節がある。でありながら候補作に選んでしまう。これはそういう詩なのだろう。(以下略)

第30回伊東静雄賞・選評(抄)以倉紘平・選考委員

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<第56回「菜の花の忌」と第30回「伊東静雄賞」の贈呈式のポスターと栞。題字は書家・山口逸風氏。表紙写真は、昭和3年5月30日京都市今熊野南日吉200酒井安代宛 葉書。発信 伊東静雄。諫早図書館所蔵。家の外(と)に柿の花咲き/その柿に雀ゐる故え/そのことを心にもちて/寂しけれど寂しきまゝに/うらやすう夕(ゆう)の座(ざ)にゐる。>
  第30回伊東静雄賞は、末国正志氏「耳も眼も鎖して」に決まった。《参照:伊東静雄公式サイト
☆以倉紘平氏選評(栞より抜粋)=告白のコトバ
  今年産の最終選考会は11月半ばに、井川博年選考委員と互いの推薦詩を出し合い、その後一週間ほど時間をとって、再び話し合った結果、末国正志氏「.耳も眼も鎖して」を選ぶことに決定した。
受賞詩は,作者の父親の被爆体験を語った作品であるが、その描写力の圧倒的な迫力と同時に.人間の告白とは何かについて深く考えさせる傑作と思う。
  <1人をのう 踏んで逃げたんじゃ/水をくれえ助けてくれえと/足をつかまれるけんのう/そうでもせんかったら…/爆心地から半径2キロ円内の広島駅にいて/日の当たりにした惨状は語らなかった父が/晩年のある日私に短くそれだけを語った>というのである。
  1945年8月6日原爆投下後の国鉄広島駅は<二階の天井が爆風で崩れ落ち/多くの乗客が圧焼死し>たという。屋上で作業中であった父親は<逃げるためには/死者負傷者らが重なり合う階の待合室を/何としてでも抜けなければならなかったと>父は息子に語ったのである。
  この作品の優れた点は、父親の告白を、作者自ら若き日の父親の身になって、死傷者の重なり合う一階の待合室を抜けようとしたことである。
作者はその時の父親について<瓦礫に埋もれ身動きの取れない人たち〉を踏みつけ<救いを求めてすがりつく>手や腕をく踏みつけ蹴りつけはたき落しながら耳も眼も鎖して火の中を逃げたのであろう)と書いている。この推量の(だろうVによって作者はあの日の父親をわがことの如く追体験したことは明らかだ。(中略)
  父親をも作者をも超えたおおいなる力としか言いようのないカが、この作品の根底を支えていることに私は深く感動する,
  受賞作の他に特に私の印象に残った作品は以下の通りです。
 真木みどりさん「おこた」、こやまはつみさん「ピラミッドの底」、和井出勢津さん「朱の足裏」、内村佳保さん「白いハンカチ」、.半野晴子さん「果実の行方」等でした。来年も心に感動を与える真善美の佳き作品をお待ちします。

第30回伊東静雄賞は、本田正志氏「耳も眼も鎖して」に

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<第56回「菜の花の忌」と第30回「伊東静雄賞」の贈呈式のポスターと栞。題字は書家・山口逸風氏。表紙写真は、昭和3年5月30日京都市今熊野南日吉200酒井安代宛 葉書。発信 伊東静雄。諫早図書館所蔵。家の外(と)に柿の花咲き/その柿に雀ゐる故え/そのことを心にもちて/寂しけれど寂しきまゝに/うらやすう夕(ゆう)の座(ざ)にゐる。>
  諫早が生んだ詩人伊東静雄の業積を顕彰し、文学の振興と豊かな芸術文化の高揚に資するため、毎年優れた現代詩を生み出した詩人に贈る「 第30回伊東静雄賞」は、 末国正志 氏の「耳も眼も鎖して」にきまった。《参照:詩人伊東静雄を偲ぶホームページ》。
 受賞作品は、父親が広島の原爆に見舞われ、その経験を一度だけ語ったことの記憶から、息子が当時の現場の悲惨な状況と、核兵器反対活動に加わることのなかった父の想いを推察するもの。
  受賞 の詩人 末国正志(すえくにまさし)氏は、昭和32年広島県生まれ。三原市在住。昭和54年、京都産業大学法学部法律科卒業。民間企業で品質管理、製造管理等を担当し定年退職。現.在は家事に従事。
 詩作は40代後半より始める。所属詩誌・刊行詩集なし。伊東静雄賞佳作(第27回、同28回)。広島県民文化祭現代詩部門県知事賞など各賞。中国新聞社〔読者詩壇)中国詩壇賞。雲南市永井隆平和賞〔エッセイ)優秀賞。船員災害防止協会、労働安全衛生体験記優秀賞などの経歴がある。
  贈呈式は令和2年3月29日(日) の「菜の花忌」終了後に、諫早公園・伊藤静雄詩碑前を予定している。雨天時は、ホテルフラックス諫早(旧道具屋)にて実施予定。
  今回の受賞にあたって、末国氏は受賞の通知を喜びをもっ.て受けたあと、思いがけなく浮かんだのは、栗原貞子の著名な詩「生ましめかな」でした。被爆直後、灯りは蝋燭一本だけの地ド室で、重傷者である産婆が赤子を取りヒげたあと、当人は「あかつ.きを待たず」命果てる場面を描いた心を打たれるその詩の,いわば対極の場面を題材にしたのが私の詩であり、ゆえに(すみません、この詩は結果的にお父さんを貶めることになっていますか)という思いにさいなまれたのです。−−など、畏敬する人を表現対象としたことへの複雑な心のゆらぎを語っている。

第39回「詩人囲碁会」優勝者は、熊野氏

IMG_1266_1IMG_1267<第39回「詩人囲碁大会」で、トーナメント方式で手合いを」する詩人たち。日本棋院にて。写真:北一郎>
 恒例の秋の詩人囲碁大会(世話人・勝畑耕一)が10月5日、東京・市ヶ谷の日本棋院にて開催された。今回は、午前10時半に手合いを開始し、集まった詩人たちがトーナメント方式で熱戦をくりひろげた。
IMG_1275<第39回詩人囲碁大会の優勝者は、熊野友嗣氏(左)、準優勝は片瓜和夫氏(右)。
 優勝者は、熊野友嗣氏、準優勝は片瓜和夫氏になった。「詩人囲碁会」は、2012年以前までは、囲碁大会終了後は、懇親会「詩の碁の言う会」という懇親会あったようだが、参加していた詩人たちの高齢化で、病気や亡くなる方増え、自然にとりやめになってしまった。
IMG_1272<記念撮影の前方にいるのが、世話人の勝畑勝畑耕一氏。>
 今後は、熊野しのような若手の参加が期待される。世話役の勝畑氏は、文治堂(167−0021杉並区井草書店
2−24−15)にて詩集などを多く出版している。
■関連情報=「碁の句ー春夏秋冬ー」秋山賢司=碁の心の副読本
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「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★ 
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