若杉夫人の同人雑誌「雲」の発行の意図を説明を受け、当時のわたしは自己存在への自覚として、孤独性への自負と同時に、それと反対の自己否定、自己嫌悪の感情に悩まされていた,そのニヒリズムの克服の方向性のヒントとなったのである。
これに対し、川合氏の若杉夫妻との交流では.次に記すような状況にあつた。ここには、すでに新潮社や講談社の発行する読物雑誌に作品を出してる職業作家・若杉大作氏と親しい人々のことは、全く知らなかったのである。
☆
川井清二氏の自伝的作品「続・あやつり人形」からー
二度目に若杉家を訪ねたとき、初めて作家の若杉大作氏に会うことができた。
「いや.雑誌の締切りに追われていてね。今朝やっと片ずけたところなんだよ」
大作氏は丸顔の童顔で,いつもニコニコしていた。歳は五十代前半といっ.たところだろうか。
「うち.の上さんがこんなことを始めて.俺は実は迷惑なんだよ。で、よけいなことはするなと言ったんだが、聞かないんだ。.俺も原稿が売れなかったころ.ずいぶん迷惑をかけているからな.あまり強くも言えないんだ」
そして,おいそうだよな.と、同意を求めた.
「先生は恐妻家なんですね」
高須と前田がこもごも.言った。前田は東大の学生とかで,オートバイに乗ってきている、若杉さんはご主人の顔を嬉しそうにのぞきこみ、そうなのよ,、と言つた。
「まあ,そういうわけで.こいつの言うことを聞いて皆でやってみてくれ。小説技法の疑問なんかには、俺もたまには協力して応えてやるから」
「天の会」は上々の滑り出しにみえた。
月に.回,石神井公園の三宝寺池のほとりにある 力という茶屋で開かれた集会では参加者が廊下にまではみ出す盛渥であっ.た。
清二は印刷やにいるというので,さっそくその方面のことを尋ねられたが働きだしたばかりで判るはずがなかった。
原稿用紙の書き方から始まって,小説とは,随筆とは,詩とは、俳句とは、短歌とは、集会の度にくり返しいろいろな解説や説明があっ.た。総合文芸誌とは実に幅の広いものだと感心したが.一方で困ったことになったな、と思ったのも事実である。清二は小説以外にはあまり関心がない。
清二は自分は小説が書きたいこと、現在宝石社の推理小説の懸賞募集に応募中であることを話した。
さいわい、控えが取ってあっ.たので若杉大作先生にみてもらったところ激賞されたので,清一.はすっ.かり舞い上がってしまった.
「これは良いところまでいくだろう.もしかすると……」と保証されたのである。
一月の末になって,室石社から雑誌が送られてきた。「新人25人集」とある。清二の作品が活字になっていた。しかし、まだこれは第一段階で.このなかから当選作品が決まることを清二は知っていた。
嬉しくはあったが、飛び上がるほどではなかった。
実際一日干秋の思いで待ったのはそれからのつぎの知らせである。一,月が終わり、二月が過ぎても何の通知もなかった.
三月末に発売される四月号に結果は発表されていた。
当選は竹村直伸氏の、”風の便り"、佳作に笹沢佐保氏が人っていた。喰い入るように選評を読むと、清の作品は一口に言って面白みに欠けるという評.だった。.
ただ、四人の選者のうち江戸川乱歩氏だけが、この作品には創意<オリジナリティ>が見られるとして点を入れてくれていた.。一点も入ってない作品も多かったのである。
これに対し、川合氏の若杉夫妻との交流では.次に記すような状況にあつた。ここには、すでに新潮社や講談社の発行する読物雑誌に作品を出してる職業作家・若杉大作氏と親しい人々のことは、全く知らなかったのである。
☆
川井清二氏の自伝的作品「続・あやつり人形」からー
二度目に若杉家を訪ねたとき、初めて作家の若杉大作氏に会うことができた。
「いや.雑誌の締切りに追われていてね。今朝やっと片ずけたところなんだよ」
大作氏は丸顔の童顔で,いつもニコニコしていた。歳は五十代前半といっ.たところだろうか。
「うち.の上さんがこんなことを始めて.俺は実は迷惑なんだよ。で、よけいなことはするなと言ったんだが、聞かないんだ。.俺も原稿が売れなかったころ.ずいぶん迷惑をかけているからな.あまり強くも言えないんだ」
そして,おいそうだよな.と、同意を求めた.
「先生は恐妻家なんですね」
高須と前田がこもごも.言った。前田は東大の学生とかで,オートバイに乗ってきている、若杉さんはご主人の顔を嬉しそうにのぞきこみ、そうなのよ,、と言つた。
「まあ,そういうわけで.こいつの言うことを聞いて皆でやってみてくれ。小説技法の疑問なんかには、俺もたまには協力して応えてやるから」
「天の会」は上々の滑り出しにみえた。
月に.回,石神井公園の三宝寺池のほとりにある 力という茶屋で開かれた集会では参加者が廊下にまではみ出す盛渥であっ.た。
清二は印刷やにいるというので,さっそくその方面のことを尋ねられたが働きだしたばかりで判るはずがなかった。
原稿用紙の書き方から始まって,小説とは,随筆とは,詩とは、俳句とは、短歌とは、集会の度にくり返しいろいろな解説や説明があっ.た。総合文芸誌とは実に幅の広いものだと感心したが.一方で困ったことになったな、と思ったのも事実である。清二は小説以外にはあまり関心がない。
清二は自分は小説が書きたいこと、現在宝石社の推理小説の懸賞募集に応募中であることを話した。
さいわい、控えが取ってあっ.たので若杉大作先生にみてもらったところ激賞されたので,清一.はすっ.かり舞い上がってしまった.
「これは良いところまでいくだろう.もしかすると……」と保証されたのである。
一月の末になって,室石社から雑誌が送られてきた。「新人25人集」とある。清二の作品が活字になっていた。しかし、まだこれは第一段階で.このなかから当選作品が決まることを清二は知っていた。
嬉しくはあったが、飛び上がるほどではなかった。
実際一日干秋の思いで待ったのはそれからのつぎの知らせである。一,月が終わり、二月が過ぎても何の通知もなかった.
三月末に発売される四月号に結果は発表されていた。
当選は竹村直伸氏の、”風の便り"、佳作に笹沢佐保氏が人っていた。喰い入るように選評を読むと、清の作品は一口に言って面白みに欠けるという評.だった。.
ただ、四人の選者のうち江戸川乱歩氏だけが、この作品には創意<オリジナリティ>が見られるとして点を入れてくれていた.。一点も入ってない作品も多かったのである。