六郷川(東京・大田区)の水際に青いテントの家が並ぶ。普通はホームレスと称するが、ここは門があり道がある。すると、これはホームではないか。高くそびえて見えるマンションは対岸の川崎市にあるものだ。ただ、ここに手紙が届くことはないであろうと、勝手に想像する。カシャ、カシャと音が聞こえた。奥でアルミ缶をつぶす作業をしているのだ。この「さすらい」と「定住」の不安定な構図の風景には心を打たれるものがある。昭和初期にアナーキストたちの支持を受けた詩人・秋山清(1904〜1988)は評論「さすらいの思想」(1972年)で次のように述べている。
「法律と道徳は双輪の役目をなして、国家権力の下に民衆の生活の自由を掣肘する絆である。さすらいの生活とそれを支えるニヒリズムは、その絆から自分を解き放そうとする思いを持ち続ける。さすらい即アウトローとすることはあるいは短絡すぎるだろうが、アウトロー的な放浪生活というものには、その方向として、脱出しようもない現実の法的人間関係の規範からの逃亡と反抗を秘めた情緒がある」(現代詩文庫1046「秋山清詩集」思潮社)。
『短日やかせぐに追ひつく貧乏神 一茶』
冬草の六郷川(3)=手作りのリバーサイド・ハウス




これは2006年12月の風景である。わたしは、こう記している。