「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

伊藤昭一の庭番小屋

ロダンの「地獄の門」に想うリルケの孤独  伊藤昭一4

untitledueno <上野国立西洋美術館のロダン「地獄の門」はアダムとイブ像との三点セット>
 上野国立西洋美術館の前庭に入るとロダン(1840-1917)の「地獄の門」があり、その作品の上の方に「考える人」の像がついている。ダンテの詩篇「神曲」の地獄に落ちた人々を審判官がみている作品だという。その左側に「アダム」像、右側に「イブ」像があり、「地獄の門」と「楽園」という取り合わせで、3点セットになっているのかも知れない。
 ロダンと詩人といえば、1902年に27歳のリルケは、パリに62歳の巨匠ロダンを訪ねる。『ロダン論』執筆のためである。同時にそれは、創作の絶頂期にいるロダンに会い、その作品の森に分け入り、おのれの芸術論を構築するためでもあった。
 ロダンの書生をしながら、芸術の本質を学び『マルテの手記』等を書き上げる。そこにある孤独色の濃さは、書生としてのリルケとロダンの関係から生まれた深みがあるような気がしてならない。
120623 015  長編散文詩「マルテの手記」では、こう述べる。
「僕はものを見ることを学び始めたのだから、まず何か自分の仕事にかからねばならぬと思った。僕は二十八歳だ。それだのに、僕の二十八年はほとんどからっぽなのだ。」
「僕は詩も幾つか書いた。しかし年少にして詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかもできれば七十年あるいは八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味を集めねばならぬ。そうしてやっと最後に、おそらくわずか十行の立派な詩が書けるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。」
120623 016
「詩はほんとうは経験なのだ。一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞らいを究めねばならぬ」
「静かなしんとした部屋で過した一日。海べりの朝。海そのものの姿。あすこの海、ここの海。空にきらめく星くずとともにはかなく消え去った旅寝の夜々。それらに詩人は思いをめぐらすことができなければならぬ。いや、ただすべてを思い出すだけなら、実はまだなんでもないのだ。一夜一夜が、少しも前の夜に似ぬ夜ごとの閨の営み。産婦の叫び。白衣の中にぐったりと眠りに落ちて、ひたすら肉体の回復を待つ産後の女。詩人はそれを思い出に持たねばならぬ。死んでいく人々の枕もとに付いていなければならぬし、明け放した窓が風にかたことと鳴る部屋で死人のお通夜もしなければならぬ。」
「しかも、こうした追憶を持つだけなら、一向なんの足しにもならぬのだ。追憶が多くなれば、次にはそれを忘却することができねばならぬだろう。そして、再び思い出が帰るのを待つ大きな忍耐がいるのだ。思い出だけならなんの足しにもなりはせぬ。」(2012年06月16日)(アーカイブ掲示)
<2016年7月、[ユネスコ第40回世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定。 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」。 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となったという。>

存在の重さ!ロダンとリルケ(上野国立西洋美術館)伊藤昭一4

120705 063<上野国立西洋美術館のロダンの作品>
 ロダンの作品には若い男女や女性の群像が印象に残る。抱擁への欲望は、日常の時間的な宙づりになった不確定な存在感。目的地に向けて鉄路が走っているのを見るような、安定感を与えてくれる。特にロダンの男女像にはそうした路線を走る機関車とそれに曳かれる列車の関係を観るような楽しさがある。ともに求める密着への欲求が、同じ軌道に乗ることで、すべての気がかりや不安、悩ませるものを吹き飛ばしてくれる。それを具象化して見せる。
 ロダンの秘書をしていたリルケには、このような詩がある。
      ☆
「ドゥイノの悲歌〜第2悲歌」
恋人たちよ汝ら互いに寄り添いて満足しているものたちよ
わたしはきみたちにきく わたしたち人間のことを
きみたちはしっかりと手を取り交わしているがそれで存在の証はたてられたのか?
120705 042見よ我が身であってさえ左右の手が触れ合って
たがいに気付くことがある また使い疲れたわたしの顔が
左右の手に顔を埋めてわたし自身をいたわっている
そうして わずかにわたしであることを知る
だが そのために誰がわたしを存在する者と言えよう
しかしきみたちはおたがいに歓喜することによって高ぶっている
たがいに恍惚し――もうこれ以上は――と哀訴するまでにお互いに愛し撫でる
実りの年の葡萄のようにいよいよ豊かに熟してゆくように
ときとして心と体がよろこびに消えゆくことはあるにせよ
それはただ相手を圧倒しただけなのだ
わたしはきみたちに問おう 人間は何かと
わたしは知る 御身らが恍惚の歓びに至るのは愛撫が盲目にするからだと
情愛が蔽っておまえを目覚めさせないのだ
御身らはその瞬間を純粋な持続と感じる
そうして抱擁からほとんど永遠をさえ期待するのだ
だが最初の出会いの驚きの一瞥の気持ちをもち続け窓に寄りそうた憧れの気持ちを
そうして最初の庭のそぞろ歩き ただ一度の庭での二人の散歩を
恋人たちよ その時の感動がいまなお持続しているであろうか?
わたしの口に彼女の口を持ちあげて合わせて飲もうとする おおその時
不思議にもすする者がすする行為から離れてゆく
おまえはアッティカの石柱に刻まれた人間の表情があまりにも
用心深いのを不思議に思わなかったか?
愛と別れがわれわれの側にあるのとは異なった素材から作られたかのように
二人の手はそっと肩の上に置かれたていたではないか
体躯は力強く立っているのにかなんと弱よわしくそっと二人の肩に置かれていたことだろう?
この慎み深い身ごなしをこの人たちは知っていた
これがわれわれの在るべき姿なのだ
このように触れ合うことがわれわれの運命なのだ
神々だけが強い力をわれわれに加える それは神々の業なのだ
われわれもまた純粋に欲望を抑えて つつましく生きる人間であるならば
激しい流れと岩の間にわれわれの狭い実りの土地をみつけるなら
その時われわれの固有の心はいつもあの
古代人のような人間を超えて立ち昇るであろう
しかし われわれは」そのような心を形象のなかに見ることができなくなった
形象を見る心がわれわれの心を和らげるであろうのに
いまもなお神聖な体に調和するのに
           ☆
 人間が浮遊する存在であることを意識する時に、その重さを確かめずにいられない。リルケの孤独な実存を求めるつぶやきがある。(2013/02/24)(アーカイブ)

<2016年7月、[ユネスコ第40回世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定。 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」。 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となったという。>

ロダン(上野国立西洋美術館)の眺望と由来 伊藤昭一(アーカイブ)4

120623 010<ロダン彫刻の象徴「考える人」上野国立美術館>
 ロダンの彫刻は東京上野国立美術館で観られる。松方「ロダンコレクション」である。
 松方幸次郎は、第一次世界大戦中からヨーロッパに行き、精力的に美術品収集をした。とくにロダンの主要作品を集めていた。ロダン没後、原形のまま残されていた「地獄の門」ブロンズ鋳造を最初に注文したのが松方幸次郎だという。これら収集品は、フランスにのこされたまま第二次世界大戦になり、フランス政府に没収された。それが戦後になった日本に返されたものだという。
120705 049<数々の名画の展示とは別にロダン彫刻が展示されている>
 1910年に雑誌「白樺」でロダン特集を組んだおり、ロダンとの交流ができた。当時、ロダンの誕生日がふたつあるとされ、そのどちらかを問い合わせたらしい。そこから交流ができ、同人たちは浮世絵を30点贈呈した。ロダンは喜んで、返礼に「ロダン夫人」「ある小さき影」「ゴロツキ首」を贈ってきた。その後、倉敷の大原美術館に寄託された。
120705 060<上野国立美術館の内部からみた庭> ロダンは「芸術の最高の目的は本質を表現することにある。本質的でないすべてのものは、芸術にとっては縁なきものである」と語っている。
 ロダンにとって芸術は彫刻なのであった。文学や絵画を超えるものとして――。
「すべての傑作は、もし民衆が純粋な精神を失っていなければ、当然民衆に近づきやすいものだ。」彫刻には、言葉では言い表せない芸術性があると考えていた。
実際はどうであろう。言葉もまた民衆に近づきやすい。たしかにロダン彫刻には言葉を超えるものがある。捉えがたいものを言葉にしたくなるイメージの塊にも見える。とくに国立美術館内では照明の関係で、薄明かりであるため遠くから見ると、エネルギーを持った塊に見える。120823 102
(2012年09月19日)

<2016年7月、[ユネスコ第40回世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定。 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」。 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となったという。>

ロダン(上野国立西洋美術館)眺望と文学 伊藤昭一(アーカイブ)4

120705 054 この「洗礼者ヨハネの像」であるが、上野国立術館では、安価なデジタルカメラを持って行った。係の女性にフラッシュを使わなければ撮影していいのかを訊いた。いいという。いろいろな角度から撮ったが、どれもピンボケであった。なにか使い方をまちがえているらしいが、説明書はもうないし、あっても理解できないであろう。そのなかから、少しはましなのが残った。偶然、像の向こうに頭をかかえて現在を生きている「考える人」が映っていた。この風景の方がいい。なんでもやってみるものである。
 キリスト教の聖者の姿といえば、当時はたとえ身なりが貧しくとも、威厳の装飾があって、いかにも神話的な絵画が多い。これはしかし、どう見ても普通のおじさんである。それなのに、いま見れば絶対にこの人は「洗礼者ヨハネ」と信じられるリアリティがある。
 このモデルは、ピニャテルリという男で、ロダンは「ある朝、誰かがアトリエのドアを叩いた。開けてみると、モデルになるためにやってきたイタリアの農民であった。彼を見た私は、一目で洗礼者ヨハネを連想した」と書いている。
 それにしても、生活のために職工をし、学校にもいっていない筈のロダン。天才だからといってしまえばそんれまでだが、その文学的な素養の深さはどうだろう。身について胸に食い込んでいる。俗世間でも芸術の宇宙空間というイメージがロダンには備わっていたようだ。我々には見えないものが、たしかにこの世界にあるに違いない。
120823 002<その世間と接する上野国立博物館の庭には「カレーの市民」像がある。プロシャといわれたドイツとの戦争でフランスが敗北した時の事件をテーマにしているとか。>
 経歴の話になるが、1864年代24歳であったロダンは、マリー・ローズ・プーレと同居、内縁生活に入る。同時期に、繁盛していた装飾彫刻家カリエ・ベルーズのアトリエに入った。ここで1870年まで6年間働いた。その間、美術学校の試験を受けたが、ことごとく落ちた。ロダンの素質を知る仲間も不思議がった。時代が彼の作風に合わなかった。
 生活は苦しく、石工師に雇われ、日給5フランで装飾、鋳造、金工、細工、下彫りの仕事をした。これが彫刻技術を向上させた。アートとは異なる彫刻職人としての腕を磨くにとどまらなかった。しかし、そのでロダンはその多量制作品の技術のなかで、重要な肉付けのことを教わる。
 ある日、ロダンが木の葉模様飾りの柱頭を粘土で作っているのを見た、官職塑像職人のコンスタン・シモンは、彼にいったという。――それじゃだめだよ。地の上に葉っぱを彫りこんで平たくしている。浮き彫りじゃないか。突端を反対にして自分に向けてみな。自分に向いた突端とみるんだ。形を広さで見ちゃいけない。奥行の深さで見るんだ――。そこで、人体のさまざまな部分を平たい表面でhなく、内側の体積の突出した部分と思うようにした。それは内側から外に向かって花開いているように見える。それは存在の自分に向かっての部分の盛り上がりと感じる視点である。だから、ロダンの彫刻はそうした存在の塊という表現のなかに包まれているように感じるのだろう。
 ディドロは著書「絵画について」佐々木健一訳(岩波文庫)で「ひとの姿は極めて複雑に組み合わされた一つの体系であり、それは多くの矛盾の帰結である。」としている。この物質でありながら考える生命体であるという精神と肉体の相克がロダンの作品にはある。(2012年10月02日)

<2016年7月、[ユネスコ第40回世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定。 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」。 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となったという。>

ロダン(上野国立西洋美術館)の眺望から 伊藤昭一(アーカイブ)4

120823 139<ロダン「エヴァ」のモデルは妊娠していた?>
 先輩の職人から物の存在感は盛り上がりとへこみでこそ表される言われ学んだロダンは、人間の視線がとらえる以前の物質的な存在の浮き彫りを身に付けた。そのために青銅時代という青年の立像を制作した。これは展覧会で入選しtが、それがあまりにもリアルであるため、人体からの引き写しであると非難され否定された。人間の身体を本当らしく強調させる彫刻技術の結晶とは分からなかったようだ。
その後、当時の有力な審査員の弟子が、彼のアトリエでその制作の実態と手持ちの作品を見て、これは引き写しではなく技術的な成果とわかり、師に芸術的な素晴らしい技術であると進言したことで、それが正当に評価されるようになったという。
120623 019 これについて興味深い視点をヘンリー・ミラーが提供している。
「一度だけ、おれはほんとに陰部のある彫像を見たことがある――ロダンの作品だ。きみもいつか、そいつを一度見るとみるといいな……その彫像の女は両脚を大きくひろげているんだ……頭はなかったように思う。ただの陰部にすぎないじゃないか、ときみは言うかもしれない。だけど、畜生、そいつにはぞっとしたね。事実――女なんてものは、みんな似たりよったりだね。服を着ているときの女を見ると、あらゆることを想像する。個性みたいなものがあると誰でも考えるが、むろんそんなものはありはしない。両脚のあいだに割れ目があるだけのことさ。―」ヘンリー・ミラー著「北回帰線」(大久保康雄訳・新潮社)。
120823 058
 これはまさにロダンの作風の物質的な存在感の表現から始まっていることの鑑賞者側の受け止め方の一つである。このようなロダン彫刻をわたしは見たことがないが、要するに女性器の「おまんこ」がそこに存在するだけであったのであろう。それが麗しくて愛する恋人であろうが、親しくもない近所を行き来する主婦であろうが、女性である以上は、ただの「おまんこ」をもつ存在から始まるという風に見えるのではないか。精神的なつながり方によって観る視線が生産的で麗しく思わせたり、欲望の求める充足の道具であったり、または解剖学的な意味の物質的な存在にみせるにすぎない。
ロダンは女性関係が多かったようで、官能的な表現の探求心も旺盛であったろう。その要素がほかの作品にも潜在していて、観る者の心を惹きつけるのではないだろうか。
120823 079 ものの本によると、「エヴァ」制作にロダンがモデルに頼んだイタリア女性は、制作中に肉体が変化して、ロダンはその変化に苦労をしたらしい。そのうちにモデルの女性はロシアの男と国に帰ってしまって、完成しなかったという話がある。
 その影響が国立博物館の「エヴァ」にも出ているのかも知れない。下腹のふっくらしたところは妊娠にも思わせるものがある。
 こういう存在感を文学では表すにはどうすればよいのか、考えさせられるアートスペースである。(2012.12.8)

<2016年7月、[ユネスコ第40回世界遺産委員会は、フランス政府が日本を含む7か国と共同で推薦していた「ル・コルビュジエの建築作品」につき、世界文化遺産への登録を決定。 構成資産は、国立西洋美術館を含む7か国17作品で、正式名称は「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」。 国境をまたいだ世界遺産(トランス・バウンダリー・サイト)としては日本では初登録、大陸をまたいだ世界遺産(トランス・コンチネンタル・サイト)としては世界で初登録となったという。>

「文学フリマ」物語消費(20)文化資産への道 伊藤昭一

IMG_20160519_0001 IMG_20160519_0002IMG_20160524_0001_1文学フリマ百都市構想の展開で、各地で文学フリマ開催が広がっている。「第一回文学フリマ札幌」「第一回文学フリマ岩手」「第一回「文学フリマ福岡」「第一回文学フリマ京都」>
 GW中の5月1日に開催した第22回「文学フリマ東京」は、出店社数730(ブース770)という過去最高の動員力を発揮した。会場も今回は一階のメイン展示場で、まさしく文学愛好家が一堂に集結したという風景であった。遠隔地からの参加もあり、今後は貴重な文化資産の形を出現させようとしているようだった。
 プロもアマも同じ空間で、文学作品を展示即売するフリーマケットというのが、いわゆる「文学フリマ」のキャッチフレーズであった。もとは、多くの純文学作品がが商業ベースにのらず、出版社の赤字部門となっている事態を見て、大塚英志氏が提唱したものであった。それが、文学フリマ公式サイトにある「不良債権としての『文学』」(「群像」2002年6月号)大塚英志」である。
  その後の事情は文芸同志会の山川豊太郎の「文学フリマは『不良債権としての文学』を償却しえたか」のレポートなどがある。
IMG_20160524_0002<第22回文学フリマで販売された「文学フリマガイドブック」も充実した>
  そうした文学事情のなかで、純文学というものが、ミステリーやSFなどと同等の「純文学ジャンル」になってきた。商業文芸誌も、かつてはそこに掲載されたから純文学である、というステイタスバリューを持っていた。
 が、現在ではそうともいえない他のジャンルのものも掲載されるようになった。存在の意義は、芥川候補にになるのは、まず文芸雑誌に掲載されたものという伝統的な制度だけである。
P5010035P5010034<第22回文学フリマ東京の会場風景>
 さらに、文芸界の動向においてWEB小説の存在が重みを増し、小説投稿サイトの人気作品が次々と出版されている。それに対し、小説雑誌の新人賞でも本にならない傾向が出てきた。文学賞の新人は売りものにならなくなったのだ。
 混沌として全体像がつかみ難くなった文芸界だが、それらの状況をすべて反映してきたのが「文学フリマ」なのだ。
  文学フリマの歴史をみれば、2000年代末からの日本の文学が歩んでいる道筋をたどることができる。さらに、今後の文学の行方を占うパイロットの役目を負う、文学的な資産となる可能性もあるかも。

続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(8)伊藤昭一

   菊池寛の時代は、作家という職業について世間では、個性的な一般人とは異なる性格の持ち主というイメージが形成されつつあった。そのことは、私小説の繁栄に寄与した。私小説は、語り手が「私」を前面に出せば、そこに書かれたことは、ほかの様々職業人(とくに決まりきった日常に縛られたサラリーマン)たちから、非日常的な個性的なキャラクターとして、彼の生活ぶりに関心を持ち、興味をかきたてたのである。
  そのことは、芸樹的表現を持ち味とする、いわゆる純文学作家の世界を拡充させたのである。文学の作者そのものの存在感は、私小説において、文化人である「私の生活」そのままが主人公として通用するのである。
 これと対照的に資本主義社会の下から支える労働者たちを主人公にしたプロレタリア文学が、会社員たちに強い支持を受け、読者を獲得していった。マルクスの唱えた 「共産主義の特徴は,所有一般を廃止することではなくて,ブルジョア的所有を廃止することである。しかし,近代のブルジョア的な私的所有は,階級対立にもとつく,一部の人間による他の人間の搾取にもとつく,生産物の生産と取得の最後の,そしてもっとも完全な表現である。」とし、生産手段のブルジョワの私的所有を廃止することによって、一切の搾取を地上よりなくし,各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会への扉を開くもの,それがマルクス・エンゲルスにとっての共産主義革命であった。すなわち,共産主義社会こそが人間の「本史」であり,それまでの社会は共産主義社会にいたるまでの階級社会としての「前史」であるという認識であった。
  この思想によって、労働者たちが自己存在意義を前面に押し出すことができた。人間も進化し、その過程にるということは、芸術文学派の耽美的、ニヒリズム的な人間の側面の表現を否定していった。
 しかし、文学表現が文学であるかぎり、多くの人に読まれることを志向するのは、共通の価値観である。菊池寛は、そのことから目を逸らすことはなかった。
 その心配りが、戯曲の作法論に出ている。これは、文芸雑誌の小説が、作家の短編小説中心の編集であった当時の小説作法に共通するものがある。
【一幕物について  菊池寛】
 ある主人公なり、また一団の人々の生活において、真に劇的な事件ということは、そう度々起りはしない。我々の生活を考えてみても、劇的な事件は半生に一度一生に二三度しか起こらない。そんなな意味でで、劇的な事件はまれにホンの短時間のうちに起るのである。
 従って、ある一人の主人公を中心に、五幕も六幕もの芝居を書いても、幕ごとには劇的な事件は起こりっこないのである。劇的な事件は、第四幕か第五幕に起るだけで他の幕は、
筋をうることとか、性格描写とか、そんな悲劇的な部分で満たされるのである。
 むろん錯綜した劇的事件を書くのには、そうした準備的な場面が必要で、静かな海洋の上に、暴風雨をかもす一朶の暗雲が低迷しているような場面も、面白いには違いない。
 しかし劇の本質は性格描写や境遇説明ではないのである。そんな意味で劇は劇的瞬間を書きさえすればいいわけであるから、いかなる劇的葛藤も、一幕位の時間をしか要さないし、従って、一幕で書き得ればこれに越したことはないのである。むろん、三幕も四幕も書かなければどうしても書き得ないような劇的葛藤もあるし、また第一幕が降りてのち、不安と期待との緊張で第二幕の上がるを待つといったような気持も芝居見物の快感の一つであるから、敢えて三幕物をけなす訳ではないが、たいていの題材は、作者が十分な手腕があれば、一幕に盛り得るものであるし、また三幕も四幕ももの長い物を書いて、長たらしい説明だけで、一幕を了らせてしまうような三幕物四幕物に対し、隻手的事実と取り組まねばならぬ一幕物方が、戯曲家としては率直な道であるという気がするするのである。
だが、だが複雑した劇的事実をを渾然とした四五幕物に拵え上げ、その間に巧みなる性格描写を配する大手腕も、戯曲家として望ましき到達境であることは無論である。
 一幕物作成の難点は、境遇説明と性格描写である。我々は筋を売るような台詞を、一言でも云わせることは、戯曲家の恥だと思っている。しかし台詞に云わせずして、境遇を説明することは、絶対に不可能である。
 我々は自然な会話の裡に、見物に些かの疑念も境遇説明をやらねばならないのである。
 もうひとつ困難なのは、性格描写である。境遇説明は困難は困難でも、やってやれないことはない。
 だが、僅か三十分か四十分の間に、その幕中に活動する凡ての人物の性格を活写することはいかなる大戯曲家も難しとするところであろう。
 劇的事件などは描き易い。が、その中の一人の老婆を個性あらしめ、一人の青年を個性あらしめることは、至難なことである。が、性格を描かずして芝居は書けないから、我々は片言隻語の中にも、できるだけその性格の片鱗をでも現わそうと努めねばならないのである。
 一幕物を書くことは、三幕物を書くより難しい。ただ、一幕物と云えば、きわめて手軽にきこえるので、世に一幕ものを一幕物を志す人達も多いが、一幕物にこそ、凡ての劇の本質が宿っていることを、あたかも一刀流に於いて「討ちこむ太刀は真の一刀」を重んずるのと同じことだ。決してたやすく思いわたるべきことではない。(「日本文学案内」(モダン日本社・昭和十三年一月発行より)

続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(7)伊藤昭一

 菊池寛の戯曲論には、芸術の本質にふれている。
【戯曲の要件  菊池寛】
 しかし、人生の危機といっても小説に書ける。人生のすべてのことは小説に書ける。別に戯曲に書く必要はないのに。どうして戯曲に書くかというと、それは舞台の上に上演するためである。
 なぜ舞台の上に戯曲を演出するかというと、それは舞台に上演することによって、文学的の効果、すわなわち読んだ時に感ずる効果以上の効果を得んがためである。
 シェイクスピアの「ハムレット」という芝居があるとして、その芝居を何故上演するかというと、それは上演することによってハムレットを読んだ以上の効果を得るためである。戯曲を、本で読むよりも、舞台で上演されて見る方が何故効果が強いかというと、それは舞台に上演されると劇的幻覚が戯曲に付くからである。
 劇的幻覚とは何であるかというと、舞台の上で脚本の中の世界が本当に実在するような幻覚を感ずるからである。
 イプセンの「人形の家」では、ノラのような女が本当に口を利くので、脚本を読むより深い感銘を受けるのである。であるから芝居を上演するのはこの劇的幻覚というものによって、脚本の効果を高めるためなのである。
 だから上演しても劇的効果が加わらないようなものは芝居としての価値がないのである。
 読んでみても舞台で観ても同じ位しか効果がないというような脚本は脚本としての資格がないのである。
 舞台に上演されると如何にもその中の人物が皆な生々として実在の人間を見るような幻覚を与えるような脚本が善い脚本である。
 しからばこの劇的幻覚というものはどうして得られるかというに、それは色々条件がある。第一に芝居の組み立てに、筋が無理ないということ、それから芝居の性格に嘘がないということ、それから芝居の台詞に嘘がないということ。
 そうした総てのことに嘘がない云うことから始めて舞台の中に人物が本当らしく活きてくるのである。また舞台の中の世界が本当らしく活きてくるのである。(「日本文学案内」モダン日本社、昭和十三年刊)――

 もともと菊池寛は、戯曲家を志していたので、同じ作品名のものを戯曲と小説と両方を発表している。それだけに見識が深い。
 しかし、ここで問題にしたいのは、彼のいう「嘘」と「本当のこと」ということ対して一見、認識の矛盾がみられることである。
 もともと芝居は戯曲をもとにしているのであるから、フィクションであって、実際にあったことではない。そのことを前提にしながら、ここでは「芝居の性格に嘘がないこと」「芝居の台詞に嘘がないこと」と述べている。
 その本来の意味は「そのことから始めて舞台の中に人物が本当らしく活きてくるのである。また舞台の中の世界が本当らしく活きてくるのである」述べていることからすると、その「嘘がない」というのは、芝居が「本当らしく思える」という意味であることがわかる。
 もともと作り話ではあるが、そこに本当らしさと、嘘っぽさが存在することを指摘しているのだ。創作上の評価で、リアティがあるかどうか、がその基準にあるが、事実でないにもかかわらず、真実性が求められる。それが創作評価の要件であることを指摘している。
 それが事実であったかどうかを問題にしていないところに注目しよう。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(6)伊藤昭一

【小説と戯曲の区別  菊池寛】より
 なぜ、戯曲が人生の劇(はげし)い所を書くかと云うに、芝居というものは時間の上から制限を受けているのである。小説は三日かかって読んでよいし、激しい五日かかって読んでもよいが、芝居というものは二三時間のうちに演了されなければならない。だからわずか二三時間の時間に人生の姿を現わさなければならない。また、人間の姿を現わさなければならない。
 わずかな時間のうちに、人生の姿なり、人間の姿なりを現わすのには、どうしても人生が緊張した時間、すなわちその人生の渦巻きだとか、瀧だとか、カーブだとか云うところを書くほか道はない。
 一人の子供が段々大きくなって行くに連れての生活の変化、例えばロマン・ローランの「ジャンク・リストフ」のようなものは、三十幕を費やさなければ戯曲には書けない。
 であるから人生の総てのことは小説になるが、総てのことが戯曲になるとは定まっていない。
 モウパッサンの「女の一生」といったような題材は芝居には書けない。書いてもつまらない。その証拠に小説を芝居に脚色をする場合に、どうしても脚色出来ない小説がある。例えばトルストイの「復活」というものは脚色されているが、同じ人の「イワン・イリツチの死」というものは脚色されていない。
 何となれば「復活」の方には、人生の河もあり、瀧もあるが、「イワン・イリツチの死」の方はただイワン・イリツチという男が段々病気になって、そうして死ぬまでの生活を書いたものであるから、ちっとも劇しい所がないために、どうしても戯曲にすることが出来ないのである。
 であるから、戯曲というものは人生の劇しい所、緊張した瞬間を舞台の上に描きだす「短く劇(はげ)しき」芸術である。
 何となれば、人生なりもしくは人間なりを舞台の上での二三時間で示すのには、どうしても人生の緊張した瞬間を選ばずにはいられないのである。
 だから、いくら会話の形式で書いてあっても、人生の緊張した部分を書いていないような作品は本質的には戯曲ではない訳である。
 外国のある戯曲学者は、戯曲のことを「危機の芸術」と言っている。 すなわち、その人生の危機を書いたのである。
 例えば、古い芝居でいうと、判官が切腹をしようとして由良之助の来るのを待っている瞬間、それからまた夫が妻の不貞を発見して、そういう時が劇的瞬間である。そういう瞬間でなければ戯曲の題材とすることが出来ない。
 それに反して小説の方は、どんな生活でも、危機でなくても段々発展してゆく心理の変化、一年なり二年なりの間に段々変ってゆく心理の変化、そういうものでも小説の題材にはなる。しかし、戯曲の題材にはそういうものは決してならない。こうした内容に盛る人生の姿の相違が戯曲と小説との根本的の相違である。――

 これは昭和十三年当時の菊池寛の芸術形式論である。それから時代を経た現在では、事情が異なるので、必ずも全面的に肯定は出来ない。
 ただ、この彼の戯曲と小説論のなかに、菊池寛が文壇にデビューした時点でのテーマ小説というジャンルを書き尽くすと、純文学的世界から距離を置いていく事情が理解できると思う。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

続「なぜ「文学」は人生に役立つのか」(5)伊藤昭一

 文学芸術は、その表現形式は変わっても、言葉による表現の内容はかわることがない。
 文学には、人間の思想の哲学的な側面を含んでいるからであろう。現代哲学においても、ギリシャ文明時代から存在するのが「真・善・美」の価値観である。菊池寛の時代もまた、デカルト、カント、ショウペンハウエル、いわゆる「デカンショ」を学生が学ぶことが普通であった。
 菊池寛の親友であった芥川龍之介は、菊池文学の本質についてこう記している。
 「わたしは以前彼とともに、善とか美とかいう議論をしたとき、こういった彼の風貌をいまだにはっきり覚えている。『そりゃ君、善は美よりも重大だね。ぼくには何といっても重大だね』――善は実に彼にとっては、美よりも重大であった。彼の爾後の作家生活は、その善を探究すべき」労作だったと称してもいい」(小島政二郎「眼中の人」より)。
 フランス文学におけるマラルメの芸術美を愛し「地獄変」で芸術至上主義的「美」に傾倒していた芥川龍之介だからこそ、その重みを痛切に感じたのであろう。
 「予は、多くの世間の芸術家がいうように、単に芸術のためにするならば、一行の文章だに書かなかったであろう」と明言する菊池寛。その具体的な事例が、戯曲と小説に関する手引き文にある。
 菊池寛は「劇」と「小説」との技巧的または本質的区別はあるが、「しかし、共に人生を描き、人間を描く文学である以上、小説を解らぬ人間が戯曲を書けるわけはなし、戯曲家が小説を理解できぬのでは片輪である」としている。
 そして、次に示す解説をしている。
【小説と戯曲の区別  菊池寛】
 小説と戯曲の区別について、ただ、劇中の人物の名前を先に掲げて、会話で書いた物は戯曲といういうように考えている人もあるが、それだけではない。小説と戯曲はもっと本質的に区別がある。戯曲は台詞ばかりで表現する芸術であるが、しかし、その形式以外に戯曲には戯曲としての本質がある。それはなんであるかというと、戯曲の中に盛られてうある人生の姿である。すなわちある特別な形をした人生でないと、戯曲にはならないのである。どんな人生の形でも小説には書ける。
 子供が段々大きくなって行く成長の有様だとか、或る一人の女が結婚というものを挟んでの前後の心持の変遷とか、或る一人の老人が段々衰えて行く心の寂しさとか、小説は人生のあらゆる姿を書くことが出来るがしかし戯曲はそうではない。
 戯曲というのは人生の特別な形を書くものである。一言にしていえば、人生の劇しい所をを書いたものである。
 芝居を劇というが、劇という字は一体どういう意味から来ている字か知らないが、劇という字は劇(はげ)しいという字である。これは自己流の解釈であるかも知れないが、戯曲とはつまり人生において劇しい所である。人生を一つの河として考えると、河には色々の流れがある。例えば小さい細流れの姿もある。野の中を流れている利根川のような洋々たる姿もある。都会に入って絃歌を浮かべて流れている隅田川のような姿もる。
 しかしこういう緩やかな人生の河の姿は戯曲には書けないのである。小説には書けるが戯曲には書けないのである。戯曲に書ける河の姿というのは、人生の河の中でも劇しいところ、すざまじいところ、変化している所である。こうした所しか戯曲に書けない。
 すなわち渦巻きだとか、瀧だとか、河の曲り(カーブ)しか戯曲には書けない。
 つまり戯曲というものは、生活の河の渦巻きだとか、瀧だとか、曲がっているところ、そういう所を書いたものである。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

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