「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

伊藤昭一の庭番小屋

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供9)伊藤昭一

   菊池寛の時代は、作家という職業について世間では、個性的な一般人とは異なる性格の持ち主というイメージが形成されつつあった。そのことは、私小説の繁栄に寄与した。私小説は、語り手が「私」を前面に出せば、そこに書かれたことは、ほかの様々職業人(とくに決まりきった日常に縛られたサラリーマン)たちから、非日常的な個性的なキャラクターとして、彼の生活ぶりに関心を持ち、興味をかきたてたのである。
  そのことは、芸樹的表現を持ち味とする、いわゆる純文学作家の世界を拡充させたのである。文学の作者そのものの存在感は、私小説において、文化人である「私の生活」そのままが主人公として通用するのである。
 これと対照的に資本主義社会の下から支える労働者たちを主人公にしたプロレタリア文学が、会社員たちに強い支持を受け、読者を獲得していった。マルクスの唱えた 「共産主義の特徴は,所有一般を廃止することではなくて,ブルジョア的所有を廃止することである。しかし,近代のブルジョア的な私的所有は,階級対立にもとつく,一部の人間による他の人間の搾取にもとつく,生産物の生産と取得の最後の,そしてもっとも完全な表現である。」とし、生産手段のブルジョワの私的所有を廃止することによって、一切の搾取を地上よりなくし,各人の自由な発展が万人の自由な発展の条件であるような一つの結合社会への扉を開くもの,それがマルクス・エンゲルスにとっての共産主義革命であった。すなわち,共産主義社会こそが人間の「本史」であり,それまでの社会は共産主義社会にいたるまでの階級社会としての「前史」であるという認識であった。
  この思想によって、労働者たちが自己存在意義を前面に押し出すことができた。人間も進化し、その過程にるということは、芸術文学派の耽美的、ニヒリズム的な人間の側面の表現を否定していった。
 しかし、文学表現が文学であるかぎり、多くの人に読まれることを志向するのは、共通の価値観である。菊池寛は、そのことから目を逸らすことはなかった。
 その心配りが、戯曲の作法論に出ている。これは、文芸雑誌の小説が、作家の短編小説中心の編集であった当時の小説作法に共通するものがある。
【一幕物について  菊池寛】
 ある主人公なり、また一団の人々の生活において、真に劇的な事件ということは、そう度々起りはしない。我々の生活を考えてみても、劇的な事件は半生に一度一生に二三度しか起こらない。そんなな意味でで、劇的な事件はまれにホンの短時間のうちに起るのである。
 従って、ある一人の主人公を中心に、五幕も六幕もの芝居を書いても、幕ごとには劇的な事件は起こりっこないのである。劇的な事件は、第四幕か第五幕に起るだけで他の幕は、
筋をうることとか、性格描写とか、そんな悲劇的な部分で満たされるのである。
 むろん錯綜した劇的事件を書くのには、そうした準備的な場面が必要で、静かな海洋の上に、暴風雨をかもす一朶の暗雲が低迷しているような場面も、面白いには違いない。
 しかし劇の本質は性格描写や境遇説明ではないのである。そんな意味で劇は劇的瞬間を書きさえすればいいわけであるから、いかなる劇的葛藤も、一幕位の時間をしか要さないし、従って、一幕で書き得ればこれに越したことはないのである。むろん、三幕も四幕も書かなければどうしても書き得ないような劇的葛藤もあるし、また第一幕が降りてのち、不安と期待との緊張で第二幕の上がるを待つといったような気持も芝居見物の快感の一つであるから、敢えて三幕物をけなす訳ではないが、たいていの題材は、作者が十分な手腕があれば、一幕に盛り得るものであるし、また三幕も四幕ももの長い物を書いて、長たらしい説明だけで、一幕を了らせてしまうような三幕物四幕物に対し、隻手的事実と取り組まねばならぬ一幕物方が、戯曲家としては率直な道であるという気がするするのである。
だが、だが複雑した劇的事実をを渾然とした四五幕物に拵え上げ、その間に巧みなる性格描写を配する大手腕も、戯曲家として望ましき到達境であることは無論である。
 一幕物作成の難点は、境遇説明と性格描写である。我々は筋を売るような台詞を、一言でも云わせることは、戯曲家の恥だと思っている。しかし台詞に云わせずして、境遇を説明することは、絶対に不可能である。
 我々は自然な会話の裡に、見物に些かの疑念も境遇説明をやらねばならないのである。
 もうひとつ困難なのは、性格描写である。境遇説明は困難は困難でも、やってやれないことはない。
 だが、僅か三十分か四十分の間に、その幕中に活動する凡ての人物の性格を活写することはいかなる大戯曲家も難しとするところであろう。
 劇的事件などは描き易い。が、その中の一人の老婆を個性あらしめ、一人の青年を個性あらしめることは、至難なことである。が、性格を描かずして芝居は書けないから、我々は片言隻語の中にも、できるだけその性格の片鱗をでも現わそうと努めねばならないのである。
 一幕物を書くことは、三幕物を書くより難しい。ただ、一幕物と云えば、きわめて手軽にきこえるので、世に一幕ものを一幕物を志す人達も多いが、一幕物にこそ、凡ての劇の本質が宿っていることを、あたかも一刀流に於いて「討ちこむ太刀は真の一刀」を重んずるのと同じことだ。決してたやすく思いわたるべきことではない。(「日本文学案内」(モダン日本社・昭和十三年一月発行より)

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供8)伊藤昭一

 菊池寛の戯曲論には、芸術の本質にふれている。
【戯曲の要件  菊池寛】
 しかし、人生の危機といっても小説に書ける。人生のすべてのことは小説に書ける。別に戯曲に書く必要はないのに。どうして戯曲に書くかというと、それは舞台の上に上演するためである。
 なぜ舞台の上に戯曲を演出するかというと、それは舞台に上演することによって、文学的の効果、すわなわち読んだ時に感ずる効果以上の効果を得んがためである。
 シェイクスピアの「ハムレット」という芝居があるとして、その芝居を何故上演するかというと、それは上演することによってハムレットを読んだ以上の効果を得るためである。戯曲を、本で読むよりも、舞台で上演されて見る方が何故効果が強いかというと、それは舞台に上演されると劇的幻覚が戯曲に付くからである。
 劇的幻覚とは何であるかというと、舞台の上で脚本の中の世界が本当に実在するような幻覚を感ずるからである。
 イプセンの「人形の家」では、ノラのような女が本当に口を利くので、脚本を読むより深い感銘を受けるのである。であるから芝居を上演するのはこの劇的幻覚というものによって、脚本の効果を高めるためなのである。
 だから上演しても劇的効果が加わらないようなものは芝居としての価値がないのである。
 読んでみても舞台で観ても同じ位しか効果がないというような脚本は脚本としての資格がないのである。
 舞台に上演されると如何にもその中の人物が皆な生々として実在の人間を見るような幻覚を与えるような脚本が善い脚本である。
 しからばこの劇的幻覚というものはどうして得られるかというに、それは色々条件がある。第一に芝居の組み立てに、筋が無理ないということ、それから芝居の性格に嘘がないということ、それから芝居の台詞に嘘がないということ。
 そうした総てのことに嘘がない云うことから始めて舞台の中に人物が本当らしく活きてくるのである。また舞台の中の世界が本当らしく活きてくるのである。(「日本文学案内」モダン日本社、昭和十三年刊)――

 もともと菊池寛は、戯曲家を志していたので、同じ作品名のものを戯曲と小説と両方を発表している。それだけに見識が深い。
 しかし、ここで問題にしたいのは、彼のいう「嘘」と「本当のこと」ということ対して一見、認識の矛盾がみられることである。
 もともと芝居は戯曲をもとにしているのであるから、フィクションであって、実際にあったことではない。そのことを前提にしながら、ここでは「芝居の性格に嘘がないこと」「芝居の台詞に嘘がないこと」と述べている。
 その本来の意味は「そのことから始めて舞台の中に人物が本当らしく活きてくるのである。また舞台の中の世界が本当らしく活きてくるのである」述べていることからすると、その「嘘がない」というのは、芝居が「本当らしく思える」という意味であることがわかる。
 もともと作り話ではあるが、そこに本当らしさと、嘘っぽさが存在することを指摘しているのだ。創作上の評価で、リアティがあるかどうか、がその基準にあるが、事実でないにもかかわらず、真実性が求められる。それが創作評価の要件であることを指摘している。
 それが事実であったかどうかを問題にしていないところに注目しよう。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
0301118 005<「なぜ「文学」は人生に役立つのか」伊藤昭一、表紙・佐藤みーこ(送料別500円)文芸同志会発行>
 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供7)伊藤昭一

【小説と戯曲の区別  菊池寛】より
 なぜ、戯曲が人生の劇(はげし)い所を書くかと云うに、芝居というものは時間の上から制限を受けているのである。小説は三日かかって読んでよいし、激しい五日かかって読んでもよいが、芝居というものは二三時間のうちに演了されなければならない。だからわずか二三時間の時間に人生の姿を現わさなければならない。また、人間の姿を現わさなければならない。
 わずかな時間のうちに、人生の姿なり、人間の姿なりを現わすのには、どうしても人生が緊張した時間、すなわちその人生の渦巻きだとか、瀧だとか、カーブだとか云うところを書くほか道はない。
 一人の子供が段々大きくなって行くに連れての生活の変化、例えばロマン・ローランの「ジャンク・リストフ」のようなものは、三十幕を費やさなければ戯曲には書けない。
 であるから人生の総てのことは小説になるが、総てのことが戯曲になるとは定まっていない。
 モウパッサンの「女の一生」といったような題材は芝居には書けない。書いてもつまらない。その証拠に小説を芝居に脚色をする場合に、どうしても脚色出来ない小説がある。例えばトルストイの「復活」というものは脚色されているが、同じ人の「イワン・イリツチの死」というものは脚色されていない。
 何となれば「復活」の方には、人生の河もあり、瀧もあるが、「イワン・イリツチの死」の方はただイワン・イリツチという男が段々病気になって、そうして死ぬまでの生活を書いたものであるから、ちっとも劇しい所がないために、どうしても戯曲にすることが出来ないのである。
 であるから、戯曲というものは人生の劇しい所、緊張した瞬間を舞台の上に描きだす「短く劇(はげ)しき」芸術である。
 何となれば、人生なりもしくは人間なりを舞台の上での二三時間で示すのには、どうしても人生の緊張した瞬間を選ばずにはいられないのである。
 だから、いくら会話の形式で書いてあっても、人生の緊張した部分を書いていないような作品は本質的には戯曲ではない訳である。
 外国のある戯曲学者は、戯曲のことを「危機の芸術」と言っている。 すなわち、その人生の危機を書いたのである。
 例えば、古い芝居でいうと、判官が切腹をしようとして由良之助の来るのを待っている瞬間、それからまた夫が妻の不貞を発見して、そういう時が劇的瞬間である。そういう瞬間でなければ戯曲の題材とすることが出来ない。
 それに反して小説の方は、どんな生活でも、危機でなくても段々発展してゆく心理の変化、一年なり二年なりの間に段々変ってゆく心理の変化、そういうものでも小説の題材にはなる。しかし、戯曲の題材にはそういうものは決してならない。こうした内容に盛る人生の姿の相違が戯曲と小説との根本的の相違である。――

 これは昭和十三年当時の菊池寛の芸術形式論である。それから時代を経た現在では、事情が異なるので、必ずも全面的に肯定は出来ない。
 ただ、この彼の戯曲と小説論のなかに、菊池寛が文壇にデビューした時点でのテーマ小説というジャンルを書き尽くすと、純文学的世界から距離を置いていく事情が理解できると思う。
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「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供6)伊藤昭一

 文学芸術は、その表現形式は変わっても、言葉による表現の内容はかわることがない。
 文学には、人間の思想の哲学的な側面を含んでいるからであろう。現代哲学においても、ギリシャ文明時代から存在するのが「真・善・美」の価値観である。菊池寛の時代もまた、デカルト、カント、ショウペンハウエル、いわゆる「デカンショ」を学生が学ぶことが普通であった。
 菊池寛の親友であった芥川龍之介は、菊池文学の本質についてこう記している。
 「わたしは以前彼とともに、善とか美とかいう議論をしたとき、こういった彼の風貌をいまだにはっきり覚えている。『そりゃ君、善は美よりも重大だね。ぼくには何といっても重大だね』――善は実に彼にとっては、美よりも重大であった。彼の爾後の作家生活は、その善を探究すべき」労作だったと称してもいい」(小島政二郎「眼中の人」より)。
 フランス文学におけるマラルメの芸術美を愛し「地獄変」で芸術至上主義的「美」に傾倒していた芥川龍之介だからこそ、その重みを痛切に感じたのであろう。
 「予は、多くの世間の芸術家がいうように、単に芸術のためにするならば、一行の文章だに書かなかったであろう」と明言する菊池寛。その具体的な事例が、戯曲と小説に関する手引き文にある。
 菊池寛は「劇」と「小説」との技巧的または本質的区別はあるが、「しかし、共に人生を描き、人間を描く文学である以上、小説を解らぬ人間が戯曲を書けるわけはなし、戯曲家が小説を理解できぬのでは片輪である」としている。
 そして、次に示す解説をしている。
【小説と戯曲の区別  菊池寛】
 小説と戯曲の区別について、ただ、劇中の人物の名前を先に掲げて、会話で書いた物は戯曲といういうように考えている人もあるが、それだけではない。小説と戯曲はもっと本質的に区別がある。戯曲は台詞ばかりで表現する芸術であるが、しかし、その形式以外に戯曲には戯曲としての本質がある。それはなんであるかというと、戯曲の中に盛られてうある人生の姿である。すなわちある特別な形をした人生でないと、戯曲にはならないのである。どんな人生の形でも小説には書ける。
 子供が段々大きくなって行く成長の有様だとか、或る一人の女が結婚というものを挟んでの前後の心持の変遷とか、或る一人の老人が段々衰えて行く心の寂しさとか、小説は人生のあらゆる姿を書くことが出来るがしかし戯曲はそうではない。
 戯曲というのは人生の特別な形を書くものである。一言にしていえば、人生の劇しい所をを書いたものである。
 芝居を劇というが、劇という字は一体どういう意味から来ている字か知らないが、劇という字は劇(はげ)しいという字である。これは自己流の解釈であるかも知れないが、戯曲とはつまり人生において劇しい所である。人生を一つの河として考えると、河には色々の流れがある。例えば小さい細流れの姿もある。野の中を流れている利根川のような洋々たる姿もある。都会に入って絃歌を浮かべて流れている隅田川のような姿もる。
 しかしこういう緩やかな人生の河の姿は戯曲には書けないのである。小説には書けるが戯曲には書けないのである。戯曲に書ける河の姿というのは、人生の河の中でも劇しいところ、すざまじいところ、変化している所である。こうした所しか戯曲に書けない。
 すなわち渦巻きだとか、瀧だとか、河の曲り(カーブ)しか戯曲には書けない。
 つまり戯曲というものは、生活の河の渦巻きだとか、瀧だとか、曲がっているところ、そういう所を書いたものである。
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「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供5)伊藤昭一

 歴史的に芸術文化の内容が変わらないことと、地球上の人口が激増してきたことは、前に述べた。その原因には、疫病の治療と予防に関する医学 の発達普及があることはいうまでもない。同時に通信と文化の発達もめざましかった。
 それらは農業生産の効率を上げ、人類の飢えからのリスクを減らし、富の増大をもたらした。そして、それは人口の増大と同時に、経済的成長をもたらしているからである。
 それを数字で見ると次のようになる。
 世界の実質GDP(1990年の米ドル価格換算)
1600年〜1700年=増加1.12倍(年率成長0.11%)/1700年〜1820年=増加1.87倍(同0.52%)/1820年〜1870年=増加1.60倍(同0.94%)/1870年〜1900年=増加1.93倍(同1.93%)/1900年〜1950年=増加2.71倍(同2.01%)/1950年〜2000年=増加6.88倍(同3.93%)
  1870年には1.11兆ドルであったGDPが1900年には1.97兆ドル。1950年には5.34兆ドルとなり、2000年には36.69兆ドルになる。<Angus Maddison(1926〜2010年イギリス経済学者)のデータから野口文高(株)DZFフィナンシャルリサーチ・アナリストによる。>
 特に、20世紀後半、世界経済は年率3.9%の高成長を遂げた。この社会的な富の増大が世界にひろがったことで、社会に変化をもたらした。
 歴史的な段階を省略して身近な例でみると、従来は自分の生活を維持するだけで精一杯であった人々が、生活の余裕をもった。衣食住を充実させ、いわゆる可処分所得の増大をもたらしたのである。
 そこから、かつては子供が生活の維持に必要な生産的労働力として社会参加してきたものが、その必要性も場もなくなったのである。
 そして増大した可処分を消費するだけの形で、社会参加する時代になったのである。そうした社会の変化は、はじめて社会的な存在を家事労働に従事することから始めた世代と、「はじめてのお使い」で社会に参加した世代に分化してあらわれている。いわゆる世代間ギャップである。
 家の稼ぎに貢献して、親からその存在感を認められた世代。
 それとは逆に「お使い」という消費行動をすることで、外部の人間から、消費者としておもてなしを受けて育った世代。
 この社会的な存在の認定の過程の違いが、世界観の違いに出てきているのではないか。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
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 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供4)伊藤昭一

 人間社会の価値観は、時代によって、変わるものだが、現代においてこのような主張をする文芸家はいないであろう。このことから文学に対する時代の価値観や認識の近代(モダン)と現代(ポストモダン)の違いを導き出してみるのも、意味があるのではなかろうか。
 現在でも、文学の品質の良さの基準に、人の心を感動させるということを条件にする見方がある。
 じつは、小説や詩を読むと、小学生や中学生の作品のほうが、大人の同人雑誌などに掲載されるものより感動させるものがいくらでもある。その意味では、「感動した」という評価の基準が曖昧である。
 しかし、この菊池寛の主張のように、若いときの作品は、人生がわかっていないで書いているので、価値が低いという側面の意味からすると、じつに妥当なのである。さらに、「パンセ」を書いたパスカルなどは、12歳までの子供は、まだ人間になっていない、としている。これもまた、その時代の精神における価値観を表しているのである。
 菊池寛には文学の生活重点と実用主義の重なる思想から、突飛と思える論を唱えるところがあった。
 昭和十一年の雑誌「文學界」の座談会で、「詩は滅びる」と述べた。また同年の「文藝春秋」十一月号の「話の屑籠」でも同様の趣旨を書いている。これに萩原朔太郎が朝日新聞に反論を書いている。
 菊池の詩の滅亡論は、いかにも飛躍しているように思える。しかし、現在において当時の詩の形はすでに滅びてしまっている。残ったのは言葉である。言葉における内容だけが詩として存在しているに過ぎない。一部において「詩の滅亡」の予言は的中していたのである。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
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 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。


「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供3)伊藤昭一

 菊池寛がこの「小説家たらんとする青年に与う」を発表した1923年は、大正12年で、その前年に結成された第一次「日本共産党」が、検挙排斥されている。また、9月には関東大震災が起きている。そして、1938年、昭和13年刊行の「日本文学案内」において、菊池寛が同じ考えを述べていることは、大正文化から戦争の時代といわれる昭和への世相の激変するなかで、その発想が変わっていないことを示している。
 また、もうひとつの時代背景として、大正時代の日本国民の人口は約6千万人であった。現在の日本の約半分の人口構造である。それなのに、当時は国内で生活できない日本人が海外の移住をさせられていた。現在ではブラジルが有名であるが、アメリカへの移住も盛んで大正13年には、アメリカにおいて「排日移民法」が成立し、移民ができなくなっていたのである。
 しかし、それと同時に、科学技術の発達が、農業漁業の第一産業中心社会から、機械工業産業社会に大転換する。これは世界的なもので、地球規模でも人類の繁栄増殖をもたらしていた。それがマルクス主義思想の世界的拡大のもとになった、といえる。
 米国勢調査局のデータ資料をもとに野口文高氏がまとめたデータによると、地球上の人口の歴史は、次のような増え方をしているというのだ。1600年(5・5億人)/1650年(同)/1700年(6.1億人)/1750年(7.2億人)/1800年(9億人)/1850年(12億人)/1900年(16.3億人)/1950年(25.6億人)/2000年(60.9億人)2015年(推定71.5億人)。とくに、20世紀後半、世界の人口は2.4倍に増加した。
 つまり、1900年には16億人強であったものが、50年後には25億人強になっている。
 その後も増え続けているのであるから、地球上での人間同士の軋轢は最高潮に達したのも無理はない。
 この人類と文化の拡大の激変に比べると、文学芸術の世界は、形は多少変わっても、内容はほとんど変化もしていないのに等しい。なにしろ約千年前の「源氏物語」が今でも読まれているのだから。
 ここで指摘したいのは、菊池寛は無意識のうちにか、そうでないかはともかく、文学の内容の不変性を前提にしていたのであろうということだ。
《本論は、下記著作の続編です。参照: 「文芸同志会」のひろば
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 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。

「なぜ「文学」は人生に役立つのか」供2)伊藤昭一

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 作家・菊池寛には「日本文学案内」(ポプラ社・昭和十三年発行)という著作がある(現在は絶版)。この本には、―「文学」はどのように人生に役立つのか―という問題意識に満ちた内容になっている。本稿では、そのなかの文学論「“作家凡庸主義」の主張を中心にして、文芸同人誌、個人誌による、現在の文芸同人誌のカラオケ化現象の本質について考察する。構成:菊池寛の文学論【作家凡庸主義】/【文芸同人誌の原理とポストモダン】/菊池寛の小説「無名作家の日記」より/菊池寛の文学論【素直な心】/菊池寛の「決断主義」など――。
  菊池寛は、25歳になってから小説を書くことを推奨している。
〜〜  僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵(こしら)えたい。全く、十七、十八乃至(ないし)二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
 とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度に、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。〜〜
 これは、「小説家たらんとする青年に与う」において説いていることである。
人間社会の価値観は、時代によって、変わるものだが、現代においてこのような主張をする文芸家はいないであろう。このことから文学に対する時代の価値観や認識の近代(モダン)と現代(ポストモダン)の違いを導き出してみるのも、意味があるのではなかろうか。
 現在でも、文学の品質の良さの基準に、人の心を感動させるということを条件にする見方がある。
 じつは、小説や詩を読むと、小学生や中学生の作品のほうが、大人の同人雑誌などに掲載されるものより感動させるものがいくらでもある。その意味では、「感動した」という評価の基準が曖昧である。
 しかし、この菊池寛の主張のように、若いときの作品は、人生がわかっていないで書いているので、価値が低いという側面の意味からすると、じつに妥当なのである。さらに、「パンセ」を書いたパスカルなどは、12歳までの子供は、まだ人間になっていない、としている。これもまた、その時代の精神における価値観を表しているのである。

「なぜ『文学』は人生に役立つのか」(1) 伊藤昭一

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  文芸評論冊子の「なぜ『文学』は人生に役立つのか」(文芸同志会発行)は、文学フリマやネットを通じて販売している。この冊子は、もともと長編評論の著作の一部として執筆した。冊子化して1部、2部、3部と連続して発行していく予定のものである。そこで、ここではその第2部以降の原稿として、発表し最終的に書籍化しようとするものである。
 その評論対象となるのは、昭和十三年に刊行された菊池寛「日本文学案内」(ポプラ社)という著書である(現在は絶版となっている)。そのなかの小説作法や評論をテキストとして、かつての日本文学の形態と表現思想が、現代と歴史的にどのようにつながってきたか、それが現代の文学状況とどう異なっているかを分析し、論じようとする。
 現代文学の存在の位置づけは、いみじくもウエルベックが「服従」(河出書房新社)で示した次の文章によくあらわれているのではないか。
『ぼくたちの目の前で終焉を告げている西欧の主要な芸術であった文学は、それでも、その内容を定義するのがひどく難しいわけではない。文学と同じく、音楽も、感情を揺さぶり引っくり返し、そして、まったき悲しみや陶酔を生みだすものと定義することができる。文学と同じく、絵画も、感嘆の思いや世界に向けられた新たな視線を生み出す。しかし、ただ文学だけが、他の人間の魂と触れ合えたという感覚を与えてくれるのだ。その魂のすべて、その弱さと栄光、その限界、矮小さ、固定観念や信念。魂が感動し、関心を抱き、興奮しまたは嫌悪を催したすべてのものと共に。文学だけが、死者の魂ともっとも完全な、直接的でかつ深淵なコンタクトを許してくれる。そしてそれは、友人との会話においてもありえない性質のもので、友情がどれだけ深く長続きするものであっても、現実の会話の中では、まっさらな紙を前にして見知らぬ差出人に語りかけるように余すところなく自分をさらけ出すことはないのだ。
  もちろん、文学を語るのであれば、文体の美しさ、文章の音楽性は重要だ。思考の独自性もないがしろにしてはいけない。しかし、何よりも、作家とは一人の人間であり、その本の中に生きている。その本がよく書かれているかいないかということは最終的にはさして意味はなく、大切なのは書くということであり、そして、自らの著作の中に確実に存在することなのだ(これほど簡単で、一見誰にでも当てはまるように見えるこの条件が、実際にはそれほど容易ではなく、そして奇妙なことに、このたやすく観察できる明白な事実は、様々な学派の哲学者にほとんど取り上げられていない。彼らは、人間は誰でも、質はともあれ同じ存在「量」をもち、原則的にはぼ同様に「存在」していると考えているからだ。』(大塚桃・訳)

 まず、ここでは「日本文学案内」に記された菊池寛の「生活主義小説論」ともいうべき、創作理論をまず紹介していこう。
――菊池寛「日本文学案内」第五章「Reading of Life」より。
 自分は昔「余は、新進作家に、技巧の完璧を求めず、取材の新奇を求めず。たヾ求むる所は、新しきReading of Lifeの持ち合わせあるや、否やに在り」と書いた。人生を観じ、人間を眺める眼を涵養せずして、文学は創れるものではない。色々な本を読んで、一人前に人生が解ったつもりでも、実際の問題にぶつかって、なすところを知らず、自分の無力を嘆く場合が多いものだ。
 だから自分はかつて『二十五歳未満の者、小説をかくべからず』という規則を拵えたらいゝと言ったことがある。或る程度に生活を知り、人生に対する考え、所謂人生観というべきものを、きちんと持つことが必要である。
 兎に角、どんなものでも、自分自身、独特の哲学と云ったものを持つことが必要だと思う。それが出来るまでは、小説を書いたって、ただの遊戯に過ぎないと思う。
 だから、二十歳前後の青年が小説を持って来て、「見てくれ」と云うものがあっても、実際挨拶のしようがないのだ。で、兎に角人生と云うものに対して自分自身の考えを持つようになれば、それが小説を書く準備としては第一であって、それより以上注意することはない。小説を実際に書くなどということは、ずっと末の末だと思う。
 実際、小説を書く練習ということには、人生というものに対して、これをどんな風に見るかということ、――つまり、人生を見る眼を、段々はっきりさせてゆく、それが一番大切なのである。
 吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四ヶ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上がってしまうが、それと同じく、小説を書く修行も、色々なことを考えたり、或いは世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に向かって書くのは、一番最後の半年か一年でいいと思う。
《参照:文芸同志会のひろば

第一回「文学フリマ前橋」文学愛のアゴラから  伊藤昭一

IMG_20170522_0001_114941291827801494129238335<第1回文学フリマ前橋の前橋プラザ元気21の情景。提供:山川豊太郎会員>
   文学フリマ百都市構想の一環として、第一回文学フリマ前橋(岩田恵・事務局代表)は2017年3月25日、前橋プラザ元気21にぎわいホールで開催された。《参照:参加グループ "記憶書房ブログ"
  当日は生憎の雨のフリマとなったが、前橋市の協力で、地元メディアの報道や開催日には山本龍市長の挨拶もあったことや、前橋事務局長の琴の演奏と、歌も出て地域の文化活動としての公共的なイベントに近いものなったという。
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  入場者の数は大きないが、そこは萩原朔太郎の出身の地。遠隔地の参加者は、イベントの前日には泊まり込みもあるので、有志による前橋文学館など見学イベントを行うなど、東京にはない「文学フリマ」の地域特性が、出た味わいのあるものという関係者の声。
  参加者同士の交流で、本に買い合いや、文学論の展開など。かつての東京文学フリマ初期に見られた現象があった。
  とにかく、文学愛好者たちの集まいとして、文学愛が人間愛に広がるという意義深さがあったようだ。
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