「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

山川豊太郎の庭

「暴力と民族の起源」      山川豊太郎

 先日、《ホテル・ルワンダ》(テリー・ジョージ監督)という作品が一部の劇場で封切られ、映画ファンの間で大きな話題を集めた。製作は2004年。公開にこぎつけるまでには、配給会社の採算の問題も含め、様々なハードルがあったらしいが、最終的には映画の存在を知った若者たちの、ネット上における署名運動が後押しする形で、今回の上映となった。
 物語の背景となるのは、1994年にアフリカの小国・ルワンダで発生した、フツ族による同国民のツチ族大量虐殺事件である。フツ族出身の大統領暗殺未遂を引き金に始まった一連の虐殺は、F・ゴーレイヴィチの『ジェノサイトの丘』(WAVE出版)によると80万人ものツチ族住民が犠牲になったとも言われ、実に国民の10人に1人が殺害された計算になるという。例えばホロコーストのような政治力を持った軍隊による組織的な殺戮とは異なり、その暴力が、つい昨日まで普通に暮らしていた一般の民衆によって担われていた点なども、特筆に値するだろう。しかし、そもそもフツ族・ツチ族とは何なのか。
 前掲書によれば、フツ族もツチ族も、もともとは言語を同じくする民族で、前者が農耕民、後者が遊牧民ていどの区別でしかなかった。両者に無根拠な優生学的格差を吹き込んだのは、主にその確執を植民地経営に利用しようとしたヨーロッパ人である。独立後もこの理念は根深く人々の意識下に残存し続け、結果として先の悲劇を生むこととなるのだが、果たして日本に暮らす我々は、映画で描かれる凄惨な光景を、海の向こうの遠い国の出来事として静観していられるのだろうか。フツ族の民兵らを暴力行為に駆り立てた要因の一つとして、ラジオによる煽動が取り沙汰されているが、この事実は、関東大震災時における朝鮮人への無差別リンチ殺人を彷彿とさせる。また、最近では北朝鮮の拉致事件に関する報道をめぐって、何か過剰ともいえる排斥の感情が醸成されつつあるのも気になるところだ。
 人はなぜ、他者をここまで仮借なく傷つけ、攻撃することができるのだろうか。例えば、そこには我々を取り巻く環境やアトモスフェアーとしての空気の問題があるだろう。徒党を組んでデモ行進をしているうち、何となく暴力行為に走ってしまう現象は、比較的よく知られている。だが、それと同時にーーいや、ことによるとそれ以上に、と言っていいと思うのだが、大きな要因として、対象たる他者のカテゴライズのあり方は重要なのではないだろうか。想像してもらいたい。

 他者を前にして、その人の名前を知っているか否か。これだけでも、力を振るう側の反応は決定的に違ってしまう。一時間でもいい、会話を交わしたことのある人間と、全く面識のない他者。暴力を行使したさい、より罪悪感が少なくてすむのはどちらのほうかは、問うまでもないだろう。
 「民族」とは暴力を稼動させたい人間が、効率よく他者の名前を剥脱するために発明した、一種の装置のようなものではないだろうか。ルワンダの虐殺も、関東大震災のリンチ殺人も、全てこの装置の中で濾過され、罪悪感を喪失した人間たちによって担われた。隣人も友人も、一つの「民族」という名のカテゴリーの中で一括りにしてしまえば、個別の顔は失われる。
 その人はもはや一人の個人ではなく、日本人という不特定多数の中の一人でしかない。しかも往々にして、我々はこうした装置の内包する危険性に対して無防備である。ルワンダの一件が、他人事ではないと言ったのはそういうことだ。
 無論、「民族」は多くの人々にとってアイデンティティの一つであり、その存在を否定することは出来ない。我々が留意すべきなのは、「民族」の名のもとにある集団をカテゴライズする時、そこに必ず集団を形成する一人一人の顔や声、あるいは人生を滞留させねばならない、ということである。民族や宗教は、その人を支える重要な根拠ではあるが、その逆では決してありえないのである。
 「文芸研究月報」2006年3月号(通巻63号)

文学表現の剽窃と盗作について    山川豊太郎

 最近、日本人画家による盗作疑惑が世間を騒がせているが、創作活動に関わる人々にとって、これほど古くて新しい問題もないであろう。渦中の当人は、これを書いている現在(2006年6月)、自らの嫌疑を否定しているので、それについての不用意なコメントは避けたいのだが、少なくともこの騒動で特徴的なのは、対象が具象絵画という視覚領域に訴える種類の作品だった分、我々のような美術の素人にとっても問題の所在が判りやすかった点であろう。結果的に、当人が自分の正当性を主張する際に用いる抽象的言説が、何か言い逃れめいた色彩を伴って浮き立ってしまっていることは否めない。どのように言葉を重ねたところで、そっくりなものはそっくりなのだ、としか言いようがないのだ。それをミメーシスと呼ぼうがオマージュと呼ぼうが、である。
 しかし、冒頭で述べたように、創作という分野にあって、盗作ないし剽窃と称される問題は、古来、跡を絶たない。『現代日本文学「盗作疑惑」の研究』(竹山哲・PHP研究所)によると、文学において盗作はそれこそ常態であり、多くの文豪たちの作品も、その疑惑にさらされ続けてきた。例えば田山花袋の「田舎教師」や太宰治の「女生徒」「斜陽」、井伏鱒二の「黒い雨」など。近年では山崎豊子の「大地の子」、田口ランディの「モザイク」「アンテナ」、篠原一の「19℃のロリータ」、平野啓一郎の「日蝕」などが記憶に新しい。無論、個々のケースによって、本人が認めている・いない、被害?の対象が無名人・プロの作家、などの違いがあり、一概に同列に論じることはできない。だが、特に近年の事例で顕著なのは、多くが被盗用者の告発より端を発している点であり、しばしば訴訟沙汰にまで発展する場合も存在する。
 その要因の一つとして、インターネットをはじめとする情報ツールの肥大化の効果があげられるであろう。プロ作家の文章はともかくとして、太宰や井伏が「ネタ」とした一般人の日記的な媒体は、あくまで私的な文書であり、被盗用者が非難の声を発しなければ、そもそも問題になりにくいケースである。当時であれば、作家のリライトを経てしか世に出ることはなかったであろう、こうした一市民の「表現」も、しかし現在ではネットを通じて、一夜にして世界に向けて発信することが可能だ。ネット上の表現の所在は、いまだ曖昧な部分も存在するが、特権的表現者としての作家の地位が、情報ツールの変革によって揺らぎつつあるのは確かな事実である。今や、作家に無断で流用された文章を見、「盗まれた」と感じる人こそあれ、ありがたがる素人など皆無なのである。
 一方で、芸術文化の伝統としての「本歌取り」やパスティーシュ・パロディの存在を論
拠に、盗作と引用との線引きの困難さを強調する向きもある。だが、これは僕に言わせれば、被盗用者の感情如何の問題でしかないと思う。マンガ家の大友克洋が、増殖する自らのエピゴーネンに対し、「そういう作品にいちいち目くじらを立てていたら、我々マンガ家は全員、手塚治虫に著作権料を払わねばならないだろう」という主旨の発言を行ったことは牧歌的エピソードとして名高いが、それは大友が既に業界で大家としての地位を確立した後の話である。真似する側とされる側の社会的地位が逆であったなら、事態はこれほど穏便には進まないであろう。実際、盗作というのは多くの場合、力のある者が弱者の表現を盗むことを言うのではないだろうか。我々が仮に、パロディと称して模倣することが許されるのは、既に社会的評価が定まった(すなわち、誰もが知っている)作品に対してのみである。
 盗作は、かくも微妙で繊細な問題なのだが、一つ個人的な話をさせてもらえば、自分の
作品が「盗用」されたのではないかと悩み、それを公にすべきかどうかで傷つき続けた、あるマンガ家の存在を僕は知っている。結局、彼女はネット上でその事実に気付いた読者の告発により、名誉を回復するに至るのだが、世の中にはまだ、彼女の如く泣き寝入りするしかない表現者があまた放置されている可能性を、我々は忘れてはならない。
( 「文芸研究月報」2006年7月号(通巻67号)

「帰れない子供たち―ナルニア国物語試論◆彁垣酲太郎

 先日、公開されたA・アダムソン監督の実写版「ナルニア」であるが、映像化の常として、原作と異なる部分がいくつか存在する。恐らく、その最たる場面が、CG技術を駆使した壮大な戦闘シーンであろう。なるほど原作の小説にも、アスランの率いる軍隊と魔女の勢力が激突する描写は存在するが、その分量は一章にも満たない。
 推測するに、娯楽作品を提供する上では、スペクタクルとしての見せ場を前面に展開せねばならない、という製作者側の意図が強く作用した結果であろう。だが、この映画には、もう一ヵ所、原作との重要な相違点が設けられているのである。それは冒頭のシーンだ。
 原作の小説では、物語は主人公の兄弟姉妹が疎開先である教授の屋敷に到着する場面より始まる。ところが映画ではその前に、彼らが疎開せねばならなかった要因である、ロンドン大空襲のシーンがしっかり描かれているのだ。例えば原作では「この物語は、その四人のきょうだいが、この前の戦争(第二次世界大戦)の時、空襲をさけてロンドンから疎開した時におこったことなのです。」(瀬田貞二訳・岩波少年文庫)と、軽く流していりところを、緊張感をはらんだ映像として提示している。
 そこで、先に述べた戦闘シーンなのだ。作り手の確信犯的な効果なのかは判らないが、観客の側より見ると、どうしても冒頭の空襲の場面と、一連の戦い描写がダブって見えてしまう。特に、友軍の鳥たちが魔女に向かって石を投下する戦法など、兄弟姉妹の住む街を焼き尽くしたドイツの爆撃機そのものだ。皮肉なことに、ここでは戦火を避けてきたはずの子供たちが、別世界で現実よりもっと苛酷な戦いを強いられているという構図が出来あがってしまっているのである。
 結局、彼らは無事、戦いに勝利し、ナルニアに平和が戻る。十数年のち、ナルニアの王や女王となった兄弟姉妹は、再び現実の世界に帰還するが、そこで彼らが旅立ってから須臾の時間も経過していなかった、というお話が「ライオンと魔女」だ。
 しかし、前述したように「ナルニア」シリーズの最終巻では、子供たちはナルニアより遂に戻ることはない。作者のC・S・ルイスがなぜ、このような結末を用意したのかについてであるが、一つ考慮すべきなのは、現実世界に回帰した子供たちは、再びそこで実際の生活を脅かす戦争という事態に直面せねばならなかったであろう事実である。
  たしかにナルニアにおいて悪は滅び、冬の時代は去った。だが、肝心の彼らが暮らす1940年のヨーロッパは、ナルニアの冬よりはるかに複雑な利害関係の中で、なおも凄惨な戦いはやむことがなかったのだ。
  この事実は、しかし相当に苛酷な結論ではある。要するに主人公の少年少女たちがナルニアにおいて経験した試練は、現実世界に帰還を遂げてみると、結局、何の意味も持たなかったということになってしまうのだ。
  邪悪な魔女を滅ぼした勇気や正義の心では、近代科学と権謀術数に主導されたリアルな戦争を解決することはできない。ましてや、ルイスが「ナルニア」を執筆していた1950年代は、忌まわしい先の大戦が終結したと思いきや、息つく間もなく東西冷戦の不気味な波が世界を覆いつつあった時代である。
  ここから先は想像でしかないのだが、ルイス自身、物語を書き進めてゆく中で、正義の化身たるアスランの存在に、次第に疑問を感じるようになったのではないだろうか。
  ルイスとしては、このさいアスランを現実の戦争に介入させ、ソドムとゴモラを消滅させた天の火よろしく、ドイツ軍を焼き払わせもよかったわけだが、そうはしなかった。
  彼が選択した道は、主人公たちを永遠のナルニアの住人にしてしまうという結末である。恐らくは、これが敬虔なキリスト教徒であり、誠実な物語作家でもあったルイスのなせる窮余の一策だったのではないだろうか。アスラン=キリストが、現実世界では無力であることを受容しつつも、彼を信じる正義の徒はあくまで勝利・救済されねばならない。「ナルニア」とは、きわめてペシミスティックなファンタジーでもあるのだ。
       「文芸研究月報」2006年6月号(通巻66号)

「帰れない子供たち〜ナルニア国物語試論 彁垣酲太郎

 ファンタジー小説の読者にとって、「ナルニア国年代記」(C・S・ルイス)は、一体どのような位置づけをされているのであろうか。例えばトルーキンの「指輪物語」やル=グウィンの「ゲド戦記」シリーズなどと比べ、ナルニアに関しては、明らかに「語り」の度合いが少ないように思う。無論、竹野一雄による「C・S・ルイスの世界」(彩流社)をはじめ、研究者による仕事は皆無ではないし、最近、ディズニー制作の映画が公開されたこともあり、その手のガイド本は増えてきている。しかし、生粋のファンタジーファンにとって、ナルニアはどこまでいってもお子さまの読む児童文学以上のものではない、という暗黙の認識はなお存在するように思うのだが、どうだろうか。
 かく言う僕も、正直いってナルニアには他のファンタジー小説ほどの興味は抱けないでいた。というか、むしろ違和感の多い話だと感じられた。僕がこの物語を初めて読んだのは小学生の時だったが、そんな実際の「お子さま」みすら、あまりにも解りやすい善悪二項対立の図式は不気味だったし、作中に登場するライオンのアスランには、唯一絶対神にも似た権力の行使を嗅ぎ付けて嫌悪を意識したりしたものだ。事実、アスランがエホバ=キリストのメタファーであったことは後に改めて知ることになるのだが、もしかすると、物語りの随所にちりばめられたこうした神学的シンボルや、教義の押しつけめいたストーリー展開に、無神論者の僕は我知らず当惑を覚えていたのかも知れない。
 その最たる要素が、ナルニアシリーズの最終巻、「さいごの戦い」のまさにクライマックスの部分であることに、異を唱える向きはないであろう。黙示録を暗示させる世界(ナルニア)の崩壊と、アスランによる最後の審判、そして天国を彷彿とさせる新生ナルニアの誕生がそこで描かれるのだが、読者を驚かせるのは、これまでシリーズを通じて活躍してきた人間世界の主人公たちが、既に列車事故で死んでいたという物語の結末である。エホバ=キリストたるアスランは言う。「学校は終わった。休みが始まったのだ。夢は覚めた。こちらは、もう朝だ」(瀬田貞二郎訳・岩波少年文庫)。
 「ナルニア」は、いわゆる現実・異世界往還型のファンタジーである。主人公の少年少女たちは、我々の生きる現実世界より、様々な入り口を通過して別世界たるナルニアへと招聘され、そこで波乱万丈の出来事を体験し、元の世界に帰ってゆく。今も昔も変わらぬファンタジーの物語構造の王道であり、同種の小説では、現実に帰還してきたさい、以前の自分より少し大人になっていました、というビルドゥングスロマン的なオチが用意される場合もある。
 しかし、「ナルニア」では主人公たちは別世界に行ったきりになってしまうのである。しかも死という本来なら悲劇に属する事件を経て! 恐らく、このような型破りのファンタジーは後にも先にも存在しないであろう。
 ファンタジー表現の文学的効果の一つとして、別世界をあたかも鏡の如くして現実世界を逆照射するというものがある(「ファンタジーの冒険」小谷真理・ちくま新書)。
 本質的に、ファンタジー小説に描かれる異世界と、我々の生きる現実とは地続きなのだ。であるからこそ、主人公たちがそれぞれの世界を自由に往還することに意味が生まれる。それは、あるいは彼らの心の成長であったり癒しであったりするわけだが、いずれにせよ異世界における冒険は、あくまで彼らが帰還する場所(=現実)が保障されているからこそ、成立する試練であるはずだ。確かにキリスト教的に言えば、死は永遠の生への一歩であるかもしれないが、文学はアスランが「影の国」と呼んだ、汚濁にまみれたこの現実を生きる者のために存在するのだとも言える。僕が「ナルニア」の読後に違和感を覚えたのは、別世界に留まり続ける主人公たちに、ある種の安易な逃亡者の相貌を見てしまったゆえであるのかも知れない。
 だが、一方で僕は作者のルイスが、このような結末を設定せねばならなかった理由も、今なら想像できるような気もするのである。次回、詳細を考察してゆきたい。【「文芸研究月報」2006年5月号(通巻65号)】

夢見ることを夢見る読み方   山川豊太郎

  年始年末、僕は知人より借りた「赤毛のアン」を耽読していた。この、世界的に有名な作品については、新潮文庫の村岡花子訳を高校生の時分、通読したことがあったのだが、今回、手にすることとなった講談社文庫の掛川恭子訳は、新訳ということもあって読みやすく、学生時代と異なり、マシューおよびマリラ(つまり親のほう)の視点から「アン」の世界を眺望する楽しさを発見するなど、改めてモンゴメリの奥深さを認識する結果となったのである。
 そこで、その知人に、続編である「アンの青春」を貸してくれるよう交渉すると、彼女は「それはやめたほうがいい」とのこと。真のアン・フレバーにとっては、「グリーン・ゲイブルズのアン」といえば、最初の1作のみを指すのだそうだ。
 釈然としない話だが、何となく判る部分はある。例えば、こういうことだろう。ポプラ社から最近「ズッコケ中年三人組」(那須正幹)という新刊が出ていて、思わず購入してしまったのだが、読みおわって何とも複雑な感情にとらわれたのだ。
 ズッコケ三人組といえば、1978年に第一作が刊行されて以来、実に50作品ものタイトルを輩出し続けた人気シリーズであるが、昨年五十巻をもってめでたく完結したのだった。児童小説としては、マンガ全盛の当節によって、まれに見る人気を博し、かく言う僕も小学生の時、4、5冊蔵書していた記憶がある。
 今回の新刊は、作者曰く「かつてのズッコケ愛読者」に向けて書かれたもので、当時小学六年生だった主人公三人組が、タイトルの通り、40歳を迎えた「現在」を舞台にした物語。
 当然のことではあるが、中年を迎えたかつての少年たちは、かつての少年ではない。活動的なハチベエは、コンビニの店主に収まり、妻と両親の関係に頭を悩ませ、頭脳明晰なハカセは中学生の教師。学級崩壊の問題を抱え、指導力不足を教育委員会より指摘されている。のんびり屋のモーちゃんは、リストラの憂き目にあってレンタルビデオ屋のアルバイトで糊口をしのいでいるといった具合だ。最初、僕は主人公である彼らのあまりに冴えない日常に、当時、同じ小学生だった読者たちが思い描いていた「未来」はこのようなものだったのかと感慨を覚えてしまったのだが、よく考えると、これはきわめて「まっとうな」設定ではある。自分が子供の頃に抱いていた夢があるとして、果たしてどれだけの人間が、社会人となった今、その夢を実現できているというのか。
 人生の中で、夢物語を語ることが許されている時期は、限られている。ハチベエたちが、無人島に漂着したり、タイムスリップしたり、無邪気に怪盗と戦ったりすることが可能だったのは、彼らの未来が未知数という名の白紙だったからだ。誰もが、何かを諦め、何かを捨てて大人になってゆく。その暗黙の事実を無意識のうちに受容しつつ、我々は恐らくこの小説を読んでいたのだ。例えば、彼らは「オリバー・ツイスト」の主人公ではない。唯一、彼らに我々とは異なった、小説の主人公としての要件が見いだせるとするならば、それは永遠に流れることのない時間くらいのものであろう。
 一般的にアンの続編を読むことに消極的なファンが多いというのも、これらの事象とパラレルの関係にあるのではないか。アンもまた、ズッコケの主人公たちと同様、永遠の子供時代を生きるという一点によってその地位を担保されたヒロインだった。であるから、逆説的にマリラの発する「あのころのように小さい(アンの)ままでいてくれたら」………という台詞が感傷を誘うのである。要するに、彼らは未知数の未来をその可能性のうちに託している限りにおいて、主人公たりうる主人公なのだ。大人になったアンは見たくない、というか、そもそも想像の埒外にあって、原理的にありえない事態なのである。夢は叶えられないことを前提に、夢見る行為に夢を投影することが児童文学の「読み」の本質であるなら、まさにこの二件はその王道であると言えるだろう。(「文芸研究月報」2006年2月号(通巻61号)

同人誌はどこへ行く/無数の潜在的表現者たち  山川豊太郎

 クッションとしての同人誌――というあり方について、もう少し考えてみたい。例えば、ネットと表現に関わる問題ですぐに思い出されるのが、昨年に佐世保で発生した、小学生の女の子による同級生の殺害事件である。報道によると、加害者となった少女が、相手を殺傷するに至った主たる動機として、彼らが互いのホームページ上で繰り広げていた誹謗中傷合戦の存在があるらしい。僕はこの事件の概要を聞いた時、彼女たちがネットではなくて、同人誌のなかで喧嘩をしていたならば、こような重大な事態は起こらなかったであろうとふと思ってしまったのだが、これは先に述べた「クッション」としての同人誌の捕らえ方の一断面ではあるだろう。
 大塚英志氏は「物語消滅論」(角川ONEテーマ)のなかで、いみじくも同じ事件について、その背景にある問題を、むき出しで無防備のままさらされた自我と、それを根拠づける「文学」の不在という観点から論じている。  すなわちそれは「『赤毛のアン』が本屋にあるのに彼女(加害者となった少女)に届かなかった環境とは何なのか」という現実の問い直しでもあるのだ。大塚氏の論は、体裁とは裏腹に(?)実はきわめて古典的な主張で、それはそれで興味深いのだけれど、僕は大塚氏が主張するように「赤毛のアン」が読まれる環境が整えられれば、それがそのまま彼らの抱える問題を解消する一助となるとも思えないのである。なぜなら、彼らがお互いのホームページ上で試みていたことは、「文学」の受容ではなく、発信の作業であったからだ。
 では、この場合、一体何が有効手段であるのかと考えると、僕はそれこそ大塚氏の提唱し、また実現させた「文学フリマ」の存在をあげたいのである。「何で自著のなかで、このことに触れてくれないの、大塚さん!」と言いたいくらい。佐世保の女の子は、断然、自分のホームページで書いていた(らしい)「バトルロワイヤル」のパロディー本をプリントアウトするなりして、不特定多数の来訪者のなかで待つべきだったのだ。
 ネット上の仮想空間ではなく、スチール製の机の上で、表情をもつ生身の人間(読者)を相手に、自分の「表現」を体当たりでぶつけてみる。あるいは、そこまでは無理な話としても、少なくとも、自分たちの書いてきた「小説」や「悪口」を、紙の形に直して、他者の目にじかに触れさせてみることは、現代社会の中で見失いがちな自我を再構築するための方途としては、案外意味のあることなのではないだろうか。
 先日、開催された「文学フリマ」の活況と、「2ちゃんねる」やブログ上で増殖してゆく有象無象の書き込みの山とは、したがって僕の中では同一線上の現象として認知されている。そして、ここまで書いてきて今さら何なのだが、こうした無数の玉石混交淆の「表現」がネットというツールを媒介にして溢れ返っている現状を、僕自身は実はそれほど唾棄すべきものとも考えていない。なぜなら、何度も言うように、我々はその文化の底辺に一億総表現者たりえる伝統を有しているのである。カラオケを発明したのが日本人であった事実は、決して偶然ではない。問題が存在するのだとしたら、それは我々が自分たちが手にすることとなったコミュニケーション媒体を、まだあまり上手に活用しきれていないという現実なのだ。否定すべきは、「表現」したいと渇望する個々人の欲求のほうではない。
 ネットは確かに便利なツールではあるが、周知のように、それが「表現」という行為と密接にリンクする場合、しばしば厄介な問題を伴ってしまう。一部の識者が指摘するように、一つの技術に付随する社会が成熟するには、ある一定の時間は必要であるのだとすれば、同人誌の果たさねばならない役割は、当面、重要なものであり続けるだろう。だからこそ、例えば佐世保の女の子のような「潜在的表現者」たちを、リアルな世界としての同人誌の存在と、いかに引き合わせるのかという課題は急務であって、そのために逆にネットを利用することは「あり」かもしれない。「文芸研究月報」2005年2月号(通巻50号)

「我が友、カフカ」    山川豊太郎

 20004年7月22日付け、朝日新聞文化面の池内紀氏の寄稿によると、今年はフランツ・カフカの没後80年であるらしい。彼がウィーン近郊のサナトリウムで41年の短い生涯を終えたのは、1924年の初夏。歴史の教科書的に言うと、ベルサイユ体制が破綻の度を深め、隣国ドイツにおいてはナチスがその勢力を徐々に浸透させてゆく、ちょうど狭間の時期にあたる。
 彼の作品が、来るべき受難の時代を予言の書として多く読まれることとなったのも、以上のような背景を考えれば、決して理由のないことではない。しかし、予言とは優れて後付け的な、あくまで結果を見越した「解釈」のありようなのであって、リアルタイムを生きていたカフカにとって、小説とは彼の出会う現実そのものであった。「『不条理作家』などという窮屈なレッテルから解放して、もっとおかしく、フシギなカフカを示したかった」と池内氏は自著について語っている。
 実際、カフカというと何やら難解で、一筋縄では理解しがたい作品という印象がつきまとう。特に「審判」や「城」などの長編はそうだろう。僕も高校時代に一度、新潮文庫版の「城」を読んでみたことがあったが、たまらず放棄してしまった。訳の問題もあったのかもしれないが、とにかく茫漠とした話で、しかも未完ときている。当時の僕には、彼がこの作品の中で一体何を訴えたかったのかよく判らなかったのだ。
 作品を理解するということは、とりもなおさずその書き手を理解ということにほかならない。池内氏の指摘する通り、カフカの奇妙な小説群は、彼の人生と不可分なのである。「カフカは生涯、ごくつましいサラリーマンだった。(中略)勤めのある身の限られた時間に、いのちを削るようにして長編に取り組んだのに、そのほとんどを世に示さなかった。」僕が、とりわけ個人としてのカフカに共感を覚えるのはこのあたりである。日々の会社勤めの傍ら、夜はせっせと執筆にいそしむ。発表するあてもない何百枚もの原稿。これは現代の同人誌作家たちと何の変わるところがあるだろうか。僕にとって、カフカのイメージとは、まず何よりもアマチュア作家としてのそれである。
 「変身」は、数あるカフカの作品の中でも最も有名な著作の一つであろうが、以上のような観点をもってよく読むと、このお話は、実はサラリーマンの悲哀を描いた小説であることが判る。
 ある朝、悪夢から目覚めたグレゴール・ザムザは、自分の姿が巨大な虫に変貌しているのに気付く。しかし彼は不条理な事態に、さほど驚いた様子はみせない。むしろ彼が心配するのは、己の境遇の今後よりも、このままでは定刻通りに仕事に向かえないということなのだ。ザムザは反物売りのセールスマンで、予定では5時発の列車に乗るはずだったのが、目覚まし時計をみると6時45分になっている。「次の汽車は7時だ。それに間に合うにはメチャクチャ急がねばならない。(中略)たとい汽車に間に合ったとしても、社長の雷が落ちることは避けられっこなしだ。」(山下肇訳)。ザムザにとって、憂慮すべきなのは虫になった事実そのものではない。虫になった自分が、「働けない存在」であること。これが最大の問題なのである。無論、彼は仕事大好き人間なのではない。むしろ逆だ。池内氏によると、「ザムザ」という名は、「カフカ」のアナグラム(語句のつづり字の位置を変えて別の語句をつくること)である。仕事は好きではないが、かといって仕事をしていない自分はどうにも不安である、とは、まさに素人作家カフカの、同時代の文豪たちとは全く視点を異にした独特の感性であったとはいえないだろうか。そして、現代のサラリーマンである我々にも、その微妙な感覚は痛いほどよく判るのである。
 そう考えれば、「審判」にしろ「城」にしろ一種のサラリーマン小説ではある。ともに銀行員、測量士というれっきとした肩書きをもちつつも、様々な訳のわかない障害によってその仕事をまっとうできない、そんな苛立ちや不安を描いた物語なのだ。であるなら、当時まだ学生であった僕がこの小説の醍醐味をしっかり理解できなかったのも、そもそも当然といえば当然であるといえるだろう。<「文芸研究月報」2004年10月号(通巻46号)掲載>

「He is Last Samurai」 山川豊太郎

 少しばかり個人的な話から始めさせていただきたい。僕は今、とある英会話学校に通っているのだが、そこで習っている外国人講師から、ある時、みんなで川中島へ行かないかと誘いを受けたことがあった。川中島というと、あの有名な武田信玄と上杉謙信が雌雄を決した古戦場である。一体何のために? といぶかってよくよく聞いてみると、どうやらそこでは年一回、歴史上の戦いをしのぶイベントのようなものが開かれるのであるらしい。参加者はみな、甲冑を身にまとって市中をねり歩くのである。この先生は、その後ひとしきり日本の「ブシ」や「サムライ」の持つ魅力について色々と語ってくれたのだが、残念ながら、彼が日本のサムライに抱いている情熱ほどの英語力も興味も持ち合わせていない僕は、その話の半分も理解できなかったのだった。
 しかし、この講師までとはいかなくても、例えばアメリカではトム・クルーズ主演の「ラスト・サムライ」がヒットしたり(噂によるとトム・クルーズは新渡戸稲造の『武士道』の愛読者であるらしい)、タランティーノは日本を舞台にしたチャンバラ劇「キル・ビル」を作ってみたり(チャンバラというよりスラップ・スティック?)、確実にサムライ・リスペクターは増殖しているらしいのだ。一昔前であったら、日本に対するイメージといえば「ゲイシャ」もしくは「ニンジャ」がせいぜいであった事実を考慮するなら、この現象は格段の進歩といえるのかもしれないが、やはり釈然としないものは残る。そもそも、海外の(特に西欧の)人間が、オリエンタリズム的視点で、こうした「未知の世界」を受容し、また憧憬することはまだ理解の範疇にあるとしても、昨今、日本人自身が、これらの「サムライ」に幻像に、「義」だとか「潔さ」などの不用意な言葉を引っ掛けて、それを愛国心称揚の言動と結びつけたり、「昔に帰れ」的な解釈でまとめてしまうにいたっては、いささ
かの疑念を禁じえない。
 「ラスト・サムライ」に登場する、渡辺謙演ずるところの勝元は、たしかにありうべき理想のサムライ像にはちがいないが、僕はむしろ、森鴎外の「阿部一族」にえがかれる弥一右衛門の運命にこそ、サムライの現実を見たい。物語は寛永18年、肥後藩主・細川忠利が病を得て死去するところから始まる。当時、主君の後を追う殉死には、暗黙のルールがあった。「どれ程殿様を大切に思えばと云って、誰でも勝手に殉死が出来るものでは無い」。お許しが必要なのである。その「許し」の基準は、明文化されたものではなく、藩主の気まぐれで叶ったり拒否されたり様々だった。さて、ここに阿部弥一右衛門という男がいたが、彼は主君のおぼえがめでたくなかった。藩主の病状悪化に際しても、彼も他の家臣同様、幾度となく殉死の許可を求めるのであるが、許されない。無論、家臣の全てが殉死してしまえば、藩の経営が成り立たなくなる以上、大半の者が生きて次の藩主に仕えるべきであるが、そこは場の雰囲気のようなもので、忠利の死後、弥一右衛門に対する風あたり
は強くなる。「阿部はお許しがないのに生きている」というわけだ。結果、彼は世間の侮蔑に抗して時期はずれの切腹を行い、これがきっかけで、最後は一族郎党、反逆者として討伐されることになる。
 何というか、すさましい話ではある。「死ななかったから」という理由で責めを負わされるのも相当な仕打ちであるが、死ぬことに「許し」が必要というのも、もっと訳が判らぬ世界である。しかも、忠利が弥一右衛門を嫌う理由というのが、「人には誰が上にも好きな人、厭な人というものがある。そしてなぜ好きだか、厭だかと穿鑿してみると、どうかすると捕捉するほどの拠りどころが無い」というもので、これはともすれば現代の我々の社会関係にも、そのままあてはまるたぐいの理不尽な現象であろう。軍医総監としての顔を持つ勤め人だった鴎外は、恐らく「宮仕えの恐ろしさ」を身をもって経験していた。そして同時に我々は忘れてならないのだが、彼は津和野藩四万五千石の「サムライ」の子でもあったのである。
「文芸研究月報」2004年4月号(通巻40号)より。
(「暮らしのノートITOからの移転のため、1時期重複あり)

サイード教授の死と池澤夏樹『静かな大地』 山川豊太郎

 〜文芸同志会・資料。「文芸研究月報」2004年2月号(通巻38号)より〜
 昨年(注・2003年のこと)の9月25日、比較文学者のエドワード・W・サイード教授がこの世を去った。91年以来、患っていた白血病との闘病生活の末の死去ということである。翌日、26日付けの朝日新聞を引用する。「(サイード氏は)英占領下のエルサレム生まれのパレスチナ人だが、代々キリスト教徒だった。カイロの大学に学んだ後、ハーバード大学で文学博士号をとった。その後、63年からコロムビア大学で研究し、教えた。
 今は米国籍」一読して判るように、サイードの経歴は複雑だ。一時期はパレスチナ民族評議会のメンバーでもあり、PLOのアラファトとも近しかった。国籍を有しているはずの合衆国からテロリスト呼ばわりされ、排斥され続けた。一方で、オスロ協定以降のパレスチナ政府の姿勢には、一貫して拒否の態度をとり続け、自ら語るところによると、アラファトの保安部隊がガザと西岸のあらゆる書店に現れ、彼の著作の一切を押収していったこともあるという。
 彼の評論活動は、まさに戦いそのものであったといっていいだろう。メタファーではない。正しい意味における戦いだ。
 「認めなければならないのは、自分にとって亡命とは特権であって、重荷であるということより悦びだと感じる余裕があることだ」(パレスチナ/イスラエルに帰る)とサイードは書きつける。無論、この発言の背後には、彼自身が研究対象としてきたコンラッドをはじめ、ナボコフやクンデラ等、いわゆる亡命作家と呼ばれる人々への共感が潜んでいることは疑いない。しかし亡命者が自らを取り巻く運命に対して戦いを挑んだ時、それは往々にして敗北という結果にしか逢着しえないことを果たしてサイードは理解していたのか否か。彼は自ら亡命者と規定した。
 亡命者とは、自ら帰るべき場所を捨て、あるいは失い、他なる地へと移住した人々のことを指す。いわゆる「越境者」である。では、なぜ彼ら亡命者の戦いが敗北へと帰結するのかというと、それは亡命者が戦うということは、本来越境し、向こう側へと行かねばならないその境い目に、意識的にとどまり、抵抗するという行為を意味するからだ。自己を引き裂きの場に置くということ。アラブ人でありながらキリスト教徒。アメリカ人でありながらパレスチナ支持者。この非決定性こそがサイードの逆説的なアイデンティティーであり、であるからこそ、彼の戦いは敗北せざるをえなかったのだ。サイードの死は、未だ果たせぬ祖国の解放を眺望しての、覚悟の闘死であるように思えてならない。
 池澤夏樹「静かな大地」(朝日新聞社)を、僕はサイードの遠い戦いの軌跡を投影させつつ読んだ。主人公の宗形三郎は淡路・州本の侍の子。維新後、政争に巻き込まれる形で、開拓団として北海道(当時は蝦夷地)の静内へと入植する。長じてアイヌの人々と親交を結ぶようになった三郎は、彼らの助力を得、遠別という場所に牧場を拓き、これが静内の和人(内地人)の苦労を尻目に発展を遂げる。
 当然、彼らの成功は和人たちの妬みの的となる。三郎はアイヌの擁護者となるが、あくまで擁護者であり、アイヌそのものではない。彼はアイヌに育てられた和人の娘と結婚し、淡路、アイヌ、それぞれの流儀で結婚式をあげる。和人とアイヌの仲立ちになろうとした三郎の試みは、まさに亡命者の戦いそのものといっていいが、やがて牧場の経営は思わぬ破綻をむかえてゆく。実に、この長大な小説は、一つの敗北の物語であるのだ。三郎の夢の中に現れるアイヌの熊神はこう言う。「どうすることもできない。勝ち目のない、小さな戦い、小さな抗いを、その時々精一杯続けるばかりだ」
 しかし、熊神は同時にこうも告げるのである。「時の流れのはるか先の方に、アイヌと知恵のある和人が手を取り合って踊る姿がわしには見える」と。この言葉はサイードの次の一文と共鳴する。「パレスチナをめぐる闘争はその内部に、ユダヤ人とパレスチナ人との和解という要素を含んでいる」(「追われた者の政治学」)亡命者たちは、戦いと敗北のその彼方に、「和解」という希望の光を見ていたのである。「文芸研究月報」2004年2月号(通巻38号)原題ーー亡命者、サイード教授の死と池澤夏樹『静かな大地』ー 山川豊太郎
(「暮らしのノートITOからの移転のため、1時期重複あり)

「“救済”のテーマから見た村上春樹とサリンジャーの文学」山川豊太郎

 村上春樹がJ・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の翻訳に挑んでいる、という話を聞いて、首をひねったのは僕一人だけではあるまい。1964年、現在でも市場に出ている『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝訳・白水社)が発表されてから、実に40年ぶりの新訳ということである。
 首をひねったのは、僕がイメージしている『ライ麦畑・・』の主人公、ホールデンの人物像と、村上春樹が描く世界のそれが、どうにもうまく重なってこないためであった。そもそも、僕の私見によると、ホールデンは恐らく村上春樹を読まない。彼の好きな作家は、I・ディーネセンであり、T・ハーディであって、村上春樹が訳書を出しているフィッツジェラルドの小説について「ああいうものがどうして好きになれるのか、僕にはわかんない」と、作中のホールデンが語っている。
 ただ今回、村上春樹の最新作『海辺のカフカ』(新潮社)を再読してみて、なんとなくではあるがつかめてきたのは、村上春樹はある種の“救済”について書きたいのではないか、ということだ。“救済される僕”ではない。“救済する僕”である。これは重要だ。すなわち、彼がその処女作である『風の歌を聴け』以来、一貫して作品の通奏低音の如くして保ち続けてきたモチーフが前者であるのに対し、ここ数年、特に『神の子どもたちはみな踊る』(新潮社文庫)以降の作品には、後者の“救済”の色合いが顕著になってくる。 例えば、前掲書に含まれている『かえるくん、東京を救う』という短編では、謎の大がえるとともに東京を震災より救おうと奮闘する片桐という男が描かれる。片桐は、ある夜突然、自宅に現れたかえるより、自分が選ばれた戦士であることを告げられる。当初は戸惑いを隠せない片桐も、やがてはかえると共に戦う決意を固める。ただ、ここで注目すべきは、かえるの次の台詞である。「もし、万が一戦いに負けて命を落しても、誰も同情してくれません。(中略)どう転んでも孤独な戦いです」。
 この“闘い”は『海辺のカフカ』において、星野青年とジョニー・ウォーカーとの決闘という形で引き継がれる。二つの闘いに共通するのは、その闘いの行方に世界の命運が委ねられているということ、そしてそれが常に人知れず行われているということだ。真の救済は本来誰も知ることのできないない場所で、名前も判らぬ人々によって支えられている……。
『ライ麦畑』のホールデンの夢は「CATCHER」になることである。彼は妹のフィービーに切々と語る。自分は、ライ麦畑で遊ぶ何千という子供たちが誤って崖から落ちるのを受けとめる、その受けとめ役になりたいのだと。「馬鹿げてることは知っているよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね」。
 ホールデンの夢は確かに馬鹿げてはいるが、しかしそれは紛れもなく救済のための闘いである。同時に徹底的に無名な闘いだ。崖から落ちてくる子供たちを命懸けで救ったとしても、誰に感謝されるわけでもない。子供たちは自分が救われたことすら、あるいは気付かないかも知れない。だが、それでも彼はよいと言うのだ。少年は、おそらくそのようにしてし世界と出会う。そのようにしてしか出会えないといったほうが正しいかも知れない。 村上春樹は、自分の小説のなかに CATCHER となったホールデンを登場させたかったのかも知れない、とふと思ったのだ。無論、その点から言えば『海辺のカフカ』は失敗作である。救済の闘いを闘うべきは、本来星野青年ではなく、主人公の田村カフカであるはずなのだ。物語は主人公の母や姉を象徴する人々によって救われ続けたカフカが「悪いことはなにも起こっていない」と独白する場面で終わる。だが、これでは少年は永遠に CATHER される子供のままだ。世界は圧倒的に無理解である。しかしその無理解さを理解し、闘いに赴くことができた時、人ははじめて自分も他者も救う可能性を獲得するのである。(「文 芸 研 究 月 報」(通巻25号)2003年 1月号)
(「暮らしのノートITOからの移転のため、1時期重複あり)
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