「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

豊田一郎の庭

単独走のマラソンにタスキを渡す相手はいない!

 小説なら書ける。小説なら、自分の想いを描ける、自分を表現できると考え、小説の道を選び、それを私なりに、私のなりわいにして来てしまったのだが、それが、そもそも間違っていたのかもしれない。結局、小説は書けなかったのかもしれない。小説で自分の想いを表現できなかった。小説での表出に、苦しんで来た。苦しみながらも、今日まで歩んで来てしまっている。
 しかし、それをなりわいとしてしまったのだから、それもいたしかたない。今、この作品を書き上げて、これをロマンに纏め上げられないのは体力の衰えだという想いにも駆られているのだが、もともと、ロマンなど書きあげられない体質だったのかもしれないと考え直してもいる。それは小説という形に、拘りがあったからであろうか。
 近頃、小説は大きく変わって来ているように感じる。最近の小説に就いて、いろいろな批判も聞かないでもない。それはそれで仕方がない。時代と共に、人間の知性も進化していよう。それに合わせて、小説も変わって行く。そうは思うのだが、人間の本質は変わっていない。その本質に、どのように迫って行くのかが、小説を書いている人間に問われていよう。批判云々とは、それに就いて言われているのであろう。
 形式を言っているではない。書く姿勢の問題であると思う。しかし、そのように思えるようになったのは、小説を書くようになってから、かなり年を経てからだった。最初は形式に拘った。形式というより、文章の在りようだったかもしれない。それも、間違ってはいなかろう。文学は批判精神の芸術的昇華であると言われる以上、芸術としての形を整えなければならない。だから、そのような道筋を辿らなければならなかったであろう。
 しかし、それが出来るのは才能があるにしても、限られた人たちに絞られよう。運という言葉を使いたくないが、ある種の機会というベき時はあったと思う。それを思い、早くに、何処かで見切りをつけるべきだったかもしれない。ところが、走り出してしまった以上、途中棄権など、出来ようわけがない。駅伝ではなく、単独走のマラソンのようなものなのだから、タスキを渡す相手はいない。その必要はないのだが、とにかく、完走しなければならない。
 そんな想いで走って来た。誰にも読まれない、顧みられない作品であっても、自分自身への償いとして書いて来た。その積み重ねが人生でもあった。そして、それはまだ、続いている。
 現在の文学状況がどうあれ、自分のものを書くしかない。それが、どのように読まれ、或いは読まれなくても、書いて行くしかないであろう。小説なら、自分の想いが描ける、表現できると考えたのなら、自分の想いを書いて行けばいい。それが、文学にならなくても、それは自分への解答でしかなかろう。
 ある時期、ロマンとして纏め上げようと、苦慮した作品もあった。自分としてはロマンになっていたと思うのだが、一派には、そのように受け止められなかった。つまりは、それが、限界を示していたのかもしれない。しかし、そうは言っても、限界に挑ものが仕事でもある。
 こうした文章を綴っているのも、自分の想いを書こうとして、小説の道を歩み出した結果だとするのなら、それはそれでよしとしなければならないのであろうか。(豊田一郎・個人誌「孤愁」十号編集後記より)
<ひろば制作・文芸同志会編集部>
 (注)「孤愁」十号の収録作品は「詩人回廊」豊田一郎の庭「白い花の咲く頃」で閲読できます。
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豊田一郎(とよだ いちろう)=全作家協会会長≪参照:全作家協会・サイト≫/<「詩人回廊」豊田一郎の庭>/<豊田一郎の著書 ・ のべる出版企画>/<小説「夢幻泡影」 日本ペンクラブ:電子文藝館

豊田一郎の代表作紹介=過去に文学フリマで販売も

120909 006<文学フリマで、文芸同志会のブーススペースの関係で各一冊のみを並べたが完売する。2012年11月18日(日)に東京流通センターで開催の第十五回文学フリマで販売。>そこで展示販売した会員の著書を順次紹介します。
  単行本=豊田一郎「孤愁」(のべる出版企画)定価1500円・特別予定販売価格500円。当日1冊のみ販売。冒頭の部分――。
――そこは荒野であった。何もなかった。季節のためかも知れない。内地で見る沃野が感じられない。まばらな立木も枯木を思わせる。緑が連なる山野もない。列車の車窓から見える風物はすべてが荒れ果てていた。安東主馬には、そのように見えた。そして、これからの仕事の重みを噛み締める。
 しかし、安東が着いた天養駅は違っていた。近代的なというよりむしろ、中世を思わせる駅舎だった。――−」
120909 005単行本=豊田一郎「黒潮に浮かぶ伝説の島」(のべる出版企画)定価1600円・特別予定販売価格500円。当日1冊のみ。冒頭の部分――。
暑かった一日が暮れる。
 マヒトは走った。だれよりも早く、行き着かなければならない。ハミコが待っている。マヒトは走りながら、灰色から漆黒に変っていく空に向かって叫ぶ。
「いいか、俺が行くまで、ほかの男につかまってはならんぞ」―――。
  「遥かなる日の女神たち」(のべる出版企画)定価1500円・特別予定販売価格500円。
当日1冊のみ。冒頭の部分――。
――それは、幾多の文明や宗教を経た後に訪れた日々かもしれない。或いは、幾多の文明や宗教が誕生する前を語ることになろうか。輪廻にあってはそれがわからない。
1209009
      (1)
 三月から四月にかけて、この国では桜が咲き競い、花びらが宙に舞う。それより先、山野には、梅が咲き、桃の花があたり一面を彩る。―――
(作成=文芸同志会)■関連情報=全作家協会が「文学フリマ東京」に出店した意義

単独走のマラソンにタスキを渡す相手はいない! 豊田一郎

 小説なら書ける。小説なら、自分の想いを描ける、自分を表現できると考え、小説の道を選び、それを私なりに、私のなりわいにして来てしまったのだが、それが、そもそも間違っていたのかもしれない。結局、小説は書けなかったのかもしれない。小説で自分の想いを表現できなかった。小説での表出に、苦しんで来た。苦しみながらも、今日まで歩んで来てしまっている。
 しかし、それをなりわいとしてしまったのだから、それもいたしかたない。今、この作品を書き上げて、これをロマンに纏め上げられないのは体力の衰えだという想いにも駆られているのだが、もともと、ロマンなど書きあげられない体質だったのかもしれないと考え直してもいる。それは小説という形に、拘りがあったからであろうか。
 近頃、小説は大きく変わって来ているように感じる。最近の小説に就いて、いろいろな批判も聞かないでもない。それはそれで仕方がない。時代と共に、人間の知性も進化していよう。それに合わせて、小説も変わって行く。そうは思うのだが、人間の本質は変わっていない。その本質に、どのように迫って行くのかが、小説を書いている人間に問われていよう。批判云々とは、それに就いて言われているのであろう。
 形式を言っているではない。書く姿勢の問題であると思う。しかし、そのように思えるようになったのは、小説を書くようになってから、かなり年を経てからだった。最初は形式に拘った。形式というより、文章の在りようだったかもしれない。それも、間違ってはいなかろう。文学は批判精神の芸術的昇華であると言われる以上、芸術としての形を整えなければならない。だから、そのような道筋を辿らなければならなかったであろう。
 しかし、それが出来るのは才能があるにしても、限られた人たちに絞られよう。運という言葉を使いたくないが、ある種の機会というベき時はあったと思う。それを思い、早くに、何処かで見切りをつけるべきだったかもしれない。ところが、走り出してしまった以上、途中棄権など、出来ようわけがない。駅伝ではなく、単独走のマラソンのようなものなのだから、タスキを渡す相手はいない。その必要はないのだが、とにかく、完走しなければならない。
 そんな想いで走って来た。誰にも読まれない、顧みられない作品であっても、自分自身への償いとして書いて来た。その積み重ねが人生でもあった。そして、それはまだ、続いている。
 現在の文学状況がどうあれ、自分のものを書くしかない。それが、どのように読まれ、或いは読まれなくても、書いて行くしかないであろう。小説なら、自分の想いが描ける、表現できると考えたのなら、自分の想いを書いて行けばいい。それが、文学にならなくても、それは自分への解答でしかなかろう。
 ある時期、ロマンとして纏め上げようと、苦慮した作品もあった。自分としてはロマンになっていたと思うのだが、一派には、そのように受け止められなかった。つまりは、それが、限界を示していたのかもしれない。しかし、そうは言っても、限界に挑ものが仕事でもある。
 こうした文章を綴っているのも、自分の想いを書こうとして、小説の道を歩み出した結果だとするのなら、それはそれでよしとしなければならないのであろうか。(豊田一郎・個人誌「孤愁」十号編集後記より)
<ひろば制作・文芸同志会編集部>
 (注)「孤愁」十号の収録作品は「詩人回廊」豊田一郎の庭「白い花の咲く頃」で閲読できます。

書くことで自らの存在を明らかにしていく   豊田一郎

 「孤愁」第9号を書きあげ、推敲に入ろうとしたところ、三陸沖で大地震が発生、地震の被害と共に、巨大な津波に襲われるという災害が発生した。次いで、原子力発電所が制御できない状態になってしまったというニュースが入る。そのためなのかどうか、首都圏の鉄道がすべて止まってしまった。
 取り敢えず推敲を中止し、災害の報道を見守るしかない。千年に一度、未曾有、或いは想定外といった言葉が飛び交っている。それが現実なのであろう。そうした事態を想定して書いたわけではなかったが、その方向を示唆した作品だったのに、息を飲む。
 同時に、そのまま発表するのにためらいを感じる。推敲というより、書き直しをしなければないかとの懸念も生じた。しかし、基盤になっている考え方に間違いはない。ただ、一部、表現の手直しは必要なのかも知れないとの思いも交差した。(中略)
 しかし、連日の報道を見ていると、災害は災害として受け止めるとしても、実際には我々自身の在りようが問われているのではないのかと悟る。それが我々の欲から来ているとは言いたくない。それでも、テレビなどで、我々の愚かしさが露呈されている。誰もが事態の本質を語っていない。いや、何も解っていないのかも知れない。
 我々のすべてが、そんな状態にあるのなら、改めて原稿に手を入れるまでもなかろうと考え直す。原子力発電所の事故がどのような形で収まるのか。それは五十年先とも言われ、現時点ではわからない。それならこの作品はやはり発表しておくべきだと考え、原稿を印刷所に回すことにした。
 我々は所詮、そんなものかもしれない。今更、科学の進歩がどうのとか、政治を揶揄していても意味がない。どんな状況になろうと、我々は生きている。生きて行かねばならないのである。そして、実際に、我々は生きて来ている。
 これは普通には、小説とは言えないかもしれない。しかし、小説としてしか発表のしようがない。これが、どのように受け止められても、私は小説だと言うしかない。私が小説を書いてきた結果として生まれた作品なのである。(中略)いろいろと書いているのだが、それらのすべてが、我々の存在を確かめるものだった。私にはそうした取り組みしか出来なかった。自己満足といわれようと、私は私なりに自分の存在を明らかにしている。
 この先、どれほどかけるか判らない。それでも書いて行く。自分で決めてしまったのだから、それしかない。
「孤愁」第9号・収録「屋根裏の鼠」(平成二十三年十月)の編集後記より抜粋。<制作・文芸同志会編集部>
 (注)「孤愁」九号の収録作品は「詩人回廊」豊田一郎の庭「屋根裏の鼠」にて読むことができます。
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豊田一郎(とよだ いちろう)=全作家協会会長(電子図書館「閉ざされた夏」
/豊田一郎の著書 ・ のべる出版企画

小説を書くということの意味について=豊田一郎

 書きたいテーマがあるから生きている。そんな感じでしかない。だから、書いている。そうも言える。しかし、誰か、今、売れっ子作家が何処かに書いていたように、書きたいものが天から降って来るから書いているのとは違う。彼女は、そう、それは若い女性作家だが、彼女が書き始めようとすると、次から次へと、文章が沸き出して来るそうだ。それを書き連ねて行けば、作品が完成すると言う。 そういう状況になれるのは、類まれな才能を持ち合わせているからであろう。私などはとても、そんな状態になれない。空中の何処かに漂っているであろう想念を探し出し、それらを曳き寄せて、それを一つ一つ、紡ぐん行く作業しか出来ない。しかし、小説を書くという所業は、そうしたものでしかないのではなかろうか。
 つまり、苦難の積み重ねによってこそ、作品は生まれるのだと言いたい。私も、小説を書いて行こうと考えた時、そこまでは思い至らなかった。想いのままに書けると信じていた節がある。そうでなかったら、この道に踏み込みはしなかった。最初は簡単に書けた。最初だけではない。暫くは、想いのままに書いていた。
 ところが、そうでないのを知る。そこから苦難が始まる。それは私に、小説を書く才能がなかったからなのかもしれない。才能に恵まれていたら、それこそ、天から文章が降って来て、苦難を味わわずに書き進められたであろう。そうは行かない。何もない身にとっては、想念を探り、それを綴り合わせて行くしかない。
 そこで、私は小説の道を外れてしまったのかもしれない。作品は面白くなければならない。読者に伝わらなければならないという努力を放棄してしまった。だから、私の小説は面白くない。そして、また、私の作品からは癒しが得られないとも言われている。そうだろう。私は誰かのために書いているのではない。自分の想念を纏め上げているだけである。それでも、小説を書いているつもりでいる。小説ではなく、大説を書こうと考えたわけではない。私はあくまで、小説を書いている。それが小説と言えるかどうかは問いたくない。小説ではなくても、文章を書き綴って、作品に纏めているのだから、文芸ではあろう。その中で、私は私なりの小説に拘っている。(個人誌「孤愁」第八号(平成二十三年二月発行)より抜粋)。
<ひろば制作・文芸同志会編集部>
 (注)「孤愁」八号の収録作品は「詩人回廊」「白い花が咲く頃(電動人間・連作) 」にて読むことができます。
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豊田一郎(とよだ いちろう)=全作家協会会長(電子図書館「閉ざされた夏」
/豊田一郎の著書 ・ のべる出版企画

屋根裏の鼠(13・完)国家と民族  豊田一郎

 少なくても、ヒミコの存在は明確にして貰いたい。ヒミコが日本人であり、そこに流入して来たすべての我々を包括して、国作りをしたとするのなら、それは我々のものを作る過程に沿っている。それなら、我々は我々の存在を確実なものに出来よう。ヒミコに、その能力が無かったとは思えない。そのヒミコに国作りをさせないで、他の勢力がこの国を作ったのだとしても、それは我々が関与できない時代の話であって、仕方がない。ただ、そこには壮絶な戦いがあったはずである。我々は今、それを知りたい。戦いの末に、我々は虚構の世界に放り込まれた。
 ただ、それは何も、我々だけの問題ではないのかもしれない。我々を取り巻くあらゆる事象、すべての統治、宗教がそのように推移している。それはもう、解明出来ない。今日が正義であるがために、それを解明してはならないとされている。しかし、それが出来ないのであれば、我々はこれから先に向かって確たる提言が出来ない。
  しかしもう、その必要は無くなっているのかもしれない。我々は我々全体が我々の存在を否定する方向に向かっているように思われる。それは我々がもの作りを始めた段階で、既に描かれていた構図であったようにも考えられる。
 もし今、我々の世紀を延ばそうとするのなら、我々は我々の生殖の原点に立ち戻らなければなるまい。ところが、それが出来なくなっている。男性の生殖機能が失われつつあるとも聞く。男性と女性による真っ当な生殖活動が不可能になる日は近いと言う。そのために、女性の皮膚細胞から新たな生命を作る作業が始まっている。その前段階として、男性とは関係なく、いろいろな医療行為による出産も可能になった。
 それは我々のもの作りの過程から見れば、当然の帰結とも言えよう。我々のもの作りは果てしなく広がっている。それでも、我々はものを作り続けなければならない。二足歩行になった時から、それが我々に課せられてしまった責務であるとするのなら、我々はもの作りを止めるわけにはいかないのであろう。
 しかし、そのようにして人類が作られ、我々が存続出来得るにしても、それはもう、我々の存在とは別のものになっているのかもしれない。しかし、それが我々のもの作りによってもたらされた結果であるのなら、我々はそれも受け入れなければならない。

屋根裏の鼠(12)国家の象徴と神話   豊田一郎

 我々の中の一部の我々が我々の世紀を作り上げて、それを我々すべてのものとしているに過ぎない。そのように受け取るべきであろう。それなら、我々にとっては虚構の世紀でしかない。我々はその虚構の中に生かされているのを改めて確認しておかなければならない。
  それが例え、我々の欲望の発露による結果であったとしても、我々は我々と関係のない空間を提示され、その中に取り込まれてしまった。我々には、それが虚構としか思えない空間であっても、我々はその虚構の中でしか存在し得ない状況に立ち至っているのを知るべきである。それはどの地域でも同じであろうが、我々の周辺では、それが極めて顕著に展開されている。
 それぞれの地域で、国家としての意識付けが定着するのは民族の集合を認め合ったところから始まっていよう。ところが、本来、この地域には、つまり日本列島には民族と言える集合体はなかった。むしろ、多様な民族が混在しいたはずである。我々の世紀が始まる頃には、大陸から離れた島々として存在していたのであろうが、一時期、大陸と接していた時代があった。そのために、我々ばかりでなく、多くの生物体が大陸からこの島々に流入している。
 それはかりではない。島として位置付けられてからも、海流に乗って渡って来た民族もあった。それらが混在していたにも関わらず、たまたま、島を連ねた土地であったために、そこに集約されていた人々を我々の一部である勢力が纏め上げ、それを日本人として、あたかも古来からの民族であるかのように装い、国家を言い出したに過ぎない。
 そのための神話が作られた。この場合は創られたと言うべきかもしれない。しかし、その神話のままに、我々は今日まで生かされて来ている。神話に沿って時代が綴られ、それが正義ともなって我々に君臨して来た。そして、今では誰も信じてはいないという神話が今日なお存在し、それが国家の象徴として我々の頂点に位置している。これほどの虚構があろうか。
 一方で、この地域では早くから、ヒミコの存在が取り沙汰されていた。文献では明らかにされているものの、ヒミコの明確な姿は見えて来ない。しかし、少なくても、彼女がこの地域に住み、島々のすべてではないにしろ、一帯を纏めていた存在であったのは間違いない。そうであるなら、この国の誕生はヒミコに求めなければおかしい。つまり、ヒミコはこの島々に生まれ、育っている。古来からの日本人であるし、日本民族を語ってもいい。
 想うに、混在する民族がヒミコを抹殺して、そこに新たな日本民族を誕生させたと見るべきではなかろうか。以来、それが正義になった。それならそれでもいい。そうして出来上がった民族だと認識すれば、今日の我々の生き様も確実なものになる。それをしないままに、神話の中に生かされていたのでは、何時まで経っても、我々は虚構の枠組みから逃れられない。
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 ■作者情報≪作家・豊田一郎のひろば

屋根裏の鼠(11)欲望が我々の進化を妨げている  豊田一郎

 それは場所だけの問題ではない。今日を言うなら、それは我々が作った年代表記であろうが、我々は二十一世紀に存在しているという事実がある。これも、我々には選べない。その中で過ごすしかない。特に、東京に生まれ、今に生きているという立場を踏まえた場合、我々は東京という場所が積み重ねて来ているもの、そこに培われて来ているすべての現象を踏まえた上で生きて行くしかない。そこは整った社会であり、都市機能も整備されている。上下水道が完備しており、舗装された道路が張り巡らされている。それらはもちろん、我々が作り出したものに違いない。今になって、それらを拒否するわけにはいかない。そこに、自然を求めても意味がない。
 欧米の文化を模したとはいえ、コンクリート造りによる建物が主流になり、我々はその中に閉じ込められている。すべてが我々によって作られたものだが、コンクリートでしつらえられた空間を自動車が走る。砂塵からは遠ざかりはしたものの、化学物質が充満する大気の中に我々は生きている。そのくせ、落葉を焼くのさえ禁じられている。
 コンクリートの建物によって、それは建物ばかりでなく、鉄道が、道路が地中を走り、伏流水が寸断されてしまったために、井戸水も涸れ果てた。それも、我々がもの作りを進めて来た結果である。しかし、我々はそれを希求していたのであろうか。
 それは何も、東京という都会に限った話ではない。東京以外の都市はもとより、過疎と言われる地方であっても、そうした流れに変わりはない。何処の地域であっても都市化が進み、更に過疎と言われる場所を生みだしている。しかも、その流れは二十世紀後半から急速に早まり、二十一世紀に入るや、まさに奔流と化している。しかし、我々には、それを押し留める術がない。
 それはつまり、我々が生み出し、手掛けて来た科学が幾多の戦争を取り込み、それをエネルギーにしながら急加速したからであろう。それを押し留める術がないのなら、行き着くところまで走り抜かなければならない。その想いが我々にはある。
 しかし、一方で、我々は我々自身が問われているのを知るべきではなかろうか。我々が作り出した科学の進歩とは裏腹に、我々自身は一向に進化していない。むしろ、退歩していると考えなければならないのであろうか。それも致し方がない。我々が生み出し、我々の内部に蓄積してしまった欲望が我々の進化を妨げているからである。
 ある時代まで、我々が会得した欲望は我々の存在を支えて来ていた。しかし、それが我々の世紀と考えるような年代に至って、我々を疎外する要素に変わってしまったのである。いや、我々の世紀は我々の欲望の発露として始まったのかもしれない。そのようにしか思えない。それ以来、我々は侵略と略奪の渦中に投げ出され、その中で彷徨うしかない日々を過ごして来ている。しかも、それは何時も正義の名の下に、我々を誘導して来た。今日もなお、我々は収奪の中で喘いでいる。そうした状況は何ら変わっていない。変わりようがない。
 しかし、そのように考えるのは間違っているのかもしれない。それはつまり、我々の世紀という認識が我々の思い込みでしかなかったのを悟るべきではないかと思う。その時既に我々とは別の我々が出現して、我々の世紀は始まっている。そのように考えた方がいいのかもしれない。
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 ■作者情報≪作家・豊田一郎のひろば

屋根裏の鼠(十)我々のためにと言いながらの収奪  豊田一郎

  航空機にしても、高速鉄道にしても、そして各地に張り巡らされた高速道路ですら、我々にもたらされているものすべてが有用だったとしても、それは我々が生きているための根幹には触れていない。宇宙開発やスーパーコンピューター、そして原子力の活用が我々にとって如何に欠かせないものだとしても、そして、そこからもたらされるものが我々の延命に不可欠であったとしても、我々の存在そのものとは関わりがない。
 ましてや、ここまで積み上げて来たはずの政治の形態が、我々を顧みない状況になっているとするのなら、もはや我々は我々の存在自体に疑念を抱いてしまう。我々は我々の存在を明確にするために、ものを作り、その過程で統治の在りようを探って来た。それらはすべて、我々の存在のためにあった。
 しかし、統治の形態が整ってしまうと、我々はもう、我々では無くなってしまっていた。統治者は統治のために統治をしているだけであって、我々とは関係なくなっている。それが統治の形態である。それは受け入れなければなるまい。しかし、統治のために必要だと言い、我々には納税を要請し、統治に奉仕するよう要求されるようになると、我々に疑念が生じる。我々は貢物を献上する立場に追いやられてしまっているのである。そのようになっている。
 我々のためにと言いながら、それは我々から収奪した貨幣で賄っているに過ぎない。更に言うなら、我々から収奪した貨幣をまず、自分たちのものにし、思いのままに使っているだけである。それも我々のためだと言う。我々が求めている日々とは違う使い方をされても、我々には、それを阻止できない。その繰り返しの中で我々は生きて来ている。
 今日でも、それは変わってはいない。我々が選んだ統治者であっても、統治の形態を引き継ぎ、それを維持して行こうとするのなら、同じ道を辿るしかない。統治者は我々から貨幣を徴収し、それを我が物にしている。
 そうは言っても、今ここで、それらのものをすべて押し返すわけにはいかない。我々はその中で、折り合って行くしかない。これまで、我々はその時、その時の状況に応じて存在して来ている。それが我々の日常であった。しかし、そうなると、我々のもの作りは我々に果てしない作業を強いているに過ぎなかろう。そう考えるしかない。
 それでも、我々はもの作りを続けて行かなければならないのであろうか。少なくても、統治の形態だけでも一度、すべてを解体しなければ、我々がこれから先、生きて行くために必要とする基盤すら失いかねない。
 それと、もう一つ認識しておかなければならない問題として、我々は我々の存在を選べない点がある。ニューヨークに生まれるかロンドンに生まれるかによって、生き様が異なろう。リオデジャネイロでも、ケープタウンであっても、それぞれに生き様は変って来る。今なお、部族間の抗争が絶えない土地であっても、そこに生まれているとしたら、その中で生きて行くしかない。そしてまた、我々は今、我々の一部であるにしろ、東京に生まれ、そこに存在しているという事実をまず、受け入れなければない。今日の東京の在りようを、もう少し広げて、日本という国家の在りようを受け入れなければ、我々は存在し得ないのである。
 例えば、草原に生まれていれば、それはライオンであったり、チーターであったかもしれない。またもし、水中であったとしたら、微細な魚類であったかもしれないし、そうした魚類を餌にしているクジラだったかもしれない。そうした状況下に存在するなら、それらの一員として過ごすしかない。それらの群れの中で、或いは群れから離れて生きているにしても、その枠内の存在でしかない。そして、それぞれの生涯を過ごす。
 屋根裏に生まれた鼠は屋根裏で過ごしかなく、そこで生涯を終える。屋根裏の鼠は自らの手で、その環境を変えられない。
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 ■作者情報≪作家・豊田一郎のひろば

屋根裏の鼠(九)統治者の言う民は、我々一般とは違う  豊田一郎

 誰しも、正義を掲げる。そして、それは常に、民衆のためにと言う。そうした主張は我々を取り込んで普遍化される。そこまではいい。しかし、その先に欲が芽生える。それは当初、私欲ではなく、国家としての欲とみなされる。だから、それが正義になる。そのために、その正義を正義たらしめようとして、正義の図式を作り上げる。その繰り返しが歴史として残っている。歴史として残らなければ正義ではなく、それ以外は抹殺されて来た。
 ここで、天皇統治の系譜を言ってみても意味がないかもしれない。しかし、そこに創り上げられた神話が大きく関わっているのを見ても、そうした図式は判然とする。
しかし、統治には責任が伴う。責任を問われて、何人かの王は、また、何人かの独裁者は抹殺されて来てもいる。そして、その事績は葬り去られ、顧みられない。彼らもまた、正義を掲げ、我々に呼び掛けている。それは我々の集団を纏め上げるに欠かせない叫びとして国家を謳い、国家に忠誠を誓わせる。それが正義でなくなった時に、彼らは失脚したのである。
 そうした愚かしい繰り返しを重ねて来た末に、我々は我々の手による統治を模索し、今日に至っている。しかし、それが我々の想い通りに機能しているとは思えない。今日の統治の形態もまた、一つの過程でしかないと割り切るしかないのであろうか。
 我々が選んだ仲間が統治に携わっているにしても、我々が委託したに過ぎない立場でありながら、その役目に就いてししまうと、何故か我々とは関係がなくなってしまう。国家を口にし、正義を掲げる。それが我々の性であるとするなら、二足歩行に至った時を想い浮かべなければならない。
 主権在民という言葉が横行している。そして、それを普遍的な正義にしている。それに誰も異を唱えない。しかし、統治者が言っている民とは、彼らに従う集団を指しているのであって、我々一般とは違う。彼らは彼らに従う集団から選ばれている。だから、主権在民を口にする。そう言って、彼らは責任を回避する。責任を問われて抹殺された統治者を見ているから、その繰り返しを避けたがる。
 確かに、彼らには責任の取りようがない。責任を取ると言いながら、職を辞するという形で決着をつけている。責任という意味合いが解っていない。また、そのような意識があって統治者になっているわけでもない。我々から選ばれて、統治に携わっているだけだと言うだろう。実際に、そうに違いない。
 しかし、統治者には統治に就いての確たる認識が求められる。ところが、ほとんどの場合、その認識が問われないままに、統治者になっている。我々が選んでいるからと言って、その認識を確かめる方法が我々にはない。それでも、それしかない統治の形態の中に我々はいる。それはつまり、かつての王や独裁者よりましだろうとの想いからであろうか。
 そうした状況下にあるのを我々は改めて、我々のものにしておかなければならない。それは今、我々が二十世紀から二十一世紀に掛けて生存しているという状況を無視出来ないからである。二十世紀と言ってみたところで、それは我々の概念からそう言っているだけで、何万年も前から積み重ねて来ている我々の日々からすれば、僅かな推移でしかないのかもしれない。
 しかし、いずれにしても、我々は我々が何万年かにわたってものを作り上げて来た結果、出来上がった空間に生かされている。すべてが整っている。もちろん、それは我々の中でも、限られた仲間しか享受していないものかもしれない。多くの仲間たちはまだ、何も得られていない状況の中で暮らしていよう。しかし、多くのものを手に入れているからといって、それが我々にとって必ずしも必要であったかどうかは疑わしい。
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 ■作者情報≪作家・豊田一郎のひろば

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「詩人回廊」は文芸同志会員がつくる自己専用庭でできています。連絡所=〒146−0093大田区矢口3−28−8ー729号、文芸同志会・北一郎。★郵便振替口座=00190−5-14856★ 
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