小説なら書ける。小説なら、自分の想いを描ける、自分を表現できると考え、小説の道を選び、それを私なりに、私のなりわいにして来てしまったのだが、それが、そもそも間違っていたのかもしれない。結局、小説は書けなかったのかもしれない。小説で自分の想いを表現できなかった。小説での表出に、苦しんで来た。苦しみながらも、今日まで歩んで来てしまっている。
しかし、それをなりわいとしてしまったのだから、それもいたしかたない。今、この作品を書き上げて、これをロマンに纏め上げられないのは体力の衰えだという想いにも駆られているのだが、もともと、ロマンなど書きあげられない体質だったのかもしれないと考え直してもいる。それは小説という形に、拘りがあったからであろうか。
近頃、小説は大きく変わって来ているように感じる。最近の小説に就いて、いろいろな批判も聞かないでもない。それはそれで仕方がない。時代と共に、人間の知性も進化していよう。それに合わせて、小説も変わって行く。そうは思うのだが、人間の本質は変わっていない。その本質に、どのように迫って行くのかが、小説を書いている人間に問われていよう。批判云々とは、それに就いて言われているのであろう。
形式を言っているではない。書く姿勢の問題であると思う。しかし、そのように思えるようになったのは、小説を書くようになってから、かなり年を経てからだった。最初は形式に拘った。形式というより、文章の在りようだったかもしれない。それも、間違ってはいなかろう。文学は批判精神の芸術的昇華であると言われる以上、芸術としての形を整えなければならない。だから、そのような道筋を辿らなければならなかったであろう。
しかし、それが出来るのは才能があるにしても、限られた人たちに絞られよう。運という言葉を使いたくないが、ある種の機会というベき時はあったと思う。それを思い、早くに、何処かで見切りをつけるべきだったかもしれない。ところが、走り出してしまった以上、途中棄権など、出来ようわけがない。駅伝ではなく、単独走のマラソンのようなものなのだから、タスキを渡す相手はいない。その必要はないのだが、とにかく、完走しなければならない。
そんな想いで走って来た。誰にも読まれない、顧みられない作品であっても、自分自身への償いとして書いて来た。その積み重ねが人生でもあった。そして、それはまだ、続いている。
現在の文学状況がどうあれ、自分のものを書くしかない。それが、どのように読まれ、或いは読まれなくても、書いて行くしかないであろう。小説なら、自分の想いが描ける、表現できると考えたのなら、自分の想いを書いて行けばいい。それが、文学にならなくても、それは自分への解答でしかなかろう。
ある時期、ロマンとして纏め上げようと、苦慮した作品もあった。自分としてはロマンになっていたと思うのだが、一派には、そのように受け止められなかった。つまりは、それが、限界を示していたのかもしれない。しかし、そうは言っても、限界に挑ものが仕事でもある。
こうした文章を綴っているのも、自分の想いを書こうとして、小説の道を歩み出した結果だとするのなら、それはそれでよしとしなければならないのであろうか。(豊田一郎・個人誌「孤愁」十号編集後記より)
<ひろば制作・文芸同志会編集部>
(注)「孤愁」十号の収録作品は「詩人回廊」豊田一郎の庭「白い花の咲く頃」で閲読できます。
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豊田一郎(とよだ いちろう)=全作家協会会長≪参照:全作家協会・サイト≫/<「詩人回廊」豊田一郎の庭>/<豊田一郎の著書 ・ のべる出版企画>/<小説「夢幻泡影」 日本ペンクラブ:電子文藝館>
しかし、それをなりわいとしてしまったのだから、それもいたしかたない。今、この作品を書き上げて、これをロマンに纏め上げられないのは体力の衰えだという想いにも駆られているのだが、もともと、ロマンなど書きあげられない体質だったのかもしれないと考え直してもいる。それは小説という形に、拘りがあったからであろうか。
近頃、小説は大きく変わって来ているように感じる。最近の小説に就いて、いろいろな批判も聞かないでもない。それはそれで仕方がない。時代と共に、人間の知性も進化していよう。それに合わせて、小説も変わって行く。そうは思うのだが、人間の本質は変わっていない。その本質に、どのように迫って行くのかが、小説を書いている人間に問われていよう。批判云々とは、それに就いて言われているのであろう。
形式を言っているではない。書く姿勢の問題であると思う。しかし、そのように思えるようになったのは、小説を書くようになってから、かなり年を経てからだった。最初は形式に拘った。形式というより、文章の在りようだったかもしれない。それも、間違ってはいなかろう。文学は批判精神の芸術的昇華であると言われる以上、芸術としての形を整えなければならない。だから、そのような道筋を辿らなければならなかったであろう。
しかし、それが出来るのは才能があるにしても、限られた人たちに絞られよう。運という言葉を使いたくないが、ある種の機会というベき時はあったと思う。それを思い、早くに、何処かで見切りをつけるべきだったかもしれない。ところが、走り出してしまった以上、途中棄権など、出来ようわけがない。駅伝ではなく、単独走のマラソンのようなものなのだから、タスキを渡す相手はいない。その必要はないのだが、とにかく、完走しなければならない。
そんな想いで走って来た。誰にも読まれない、顧みられない作品であっても、自分自身への償いとして書いて来た。その積み重ねが人生でもあった。そして、それはまだ、続いている。
現在の文学状況がどうあれ、自分のものを書くしかない。それが、どのように読まれ、或いは読まれなくても、書いて行くしかないであろう。小説なら、自分の想いが描ける、表現できると考えたのなら、自分の想いを書いて行けばいい。それが、文学にならなくても、それは自分への解答でしかなかろう。
ある時期、ロマンとして纏め上げようと、苦慮した作品もあった。自分としてはロマンになっていたと思うのだが、一派には、そのように受け止められなかった。つまりは、それが、限界を示していたのかもしれない。しかし、そうは言っても、限界に挑ものが仕事でもある。
こうした文章を綴っているのも、自分の想いを書こうとして、小説の道を歩み出した結果だとするのなら、それはそれでよしとしなければならないのであろうか。(豊田一郎・個人誌「孤愁」十号編集後記より)
<ひろば制作・文芸同志会編集部>
(注)「孤愁」十号の収録作品は「詩人回廊」豊田一郎の庭「白い花の咲く頃」で閲読できます。
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豊田一郎(とよだ いちろう)=全作家協会会長≪参照:全作家協会・サイト≫/<「詩人回廊」豊田一郎の庭>/<豊田一郎の著書 ・ のべる出版企画>/<小説「夢幻泡影」 日本ペンクラブ:電子文藝館>