「詩人回廊」

日本の短編小説の特殊性について「韻律のある近代詩、日本語の制約にはばまれて、大した発展を見なかったので、小説家は叙情詩を書きたい衝動を、やむなく短編小説に移してしまった。短編の傑作と呼んでいる多くは物語的構成をほのかにもった散文詩である」三島由紀夫「美の襲撃」より。文芸同志会は「詩人回廊」に詩と小説の場をつくりました。連載小説も可能です。(編集人・伊藤昭一&北一郎)(連載を続けて読むにはタイトル上の筆者の庭をクリックします)。

外狩雅巳の庭

ちょっと今から会社を辞めてくる=外狩雅巳

相模文芸クラブが同人誌「相模文芸」35号の企画を開始した。一つの序章を数人が書き継ぐリレー小説である。
   今月に34号が発行される。暮れの次号発行までに大至急で完成させようとしている。
  高齢化する同人会を牽引するための企画である。現在6人の賛同者で書き継いでいる。
  17年前に創刊した頃の私は五十代の壮年だった。高齢化社会の生き甲斐を考えていた。
  文芸仲間探しに市役所を訪ねた。文化担当者から教えられた一人の文芸愛好者と会結成を準備した。
  彼の友人や公民館ポスター等で集まった十人足らずで「相模文芸」創刊号を刊行した。
  今、彼も創刊同人も既にいない。次々と加入する仲間。17年間で百人以上の文芸愛好者が名を連ねた。
  退会者も多い。同人仲間として長い友情を求めてもいつの間にか去ってしまう。残念なことである。
  と言う私も職場生活は長続きせず堪え性の無い人生を送ってきた。せめて趣味だけでもと文芸を続けた。
  少年期は父親に堪え性が無いと厳しく躾けられたが無反省・無自覚の怠け者なので見限られた。
  勉強を装って雑誌を読み耽っている現場を見つけられて殴られ全裸にされ家から放逐された。
  教師の父親には長男失格なのだ。父親の同僚が親切に職場の世話をしてくれた。
  仙台市の眼鏡販売店員として住み込んだ。ここから始まった職場生活。転職に次ぐ転職の半生記。
   数え上げると20を超えている。その中から深く記憶に残る10社ほどたどってみたい。
   父親は同僚のおせっかいを怒り別の同僚に転職を頼んだ。市内の老舗時計店である。
  丁稚奉公は二年間。新人が入り心に余裕が出来る。自我が大きくなり自立を求める。
  母に頼み退職手続きをしてもらい職安に行く。その日のうちに市内の折箱店住み込み店員となる。
  ここも三年目についに飛び出した。新聞広告で東京の求人を見つけ連絡した。
  上野駅前の新聞店。母親からの連絡で横浜の叔父がきてすぐに退職手続きをして引き取ってくれた。
  綱島の叔父の家から川崎市の昇降機会社に臨時工として通った。それも一年で出ると日吉で自活した。
  夜間高校に通学も可能な会社である。川崎市向河原の高校に入学する。
  学生自治会の役員になり授業料値上げ反対の活動に不成功のため自棄気味に山谷の浮浪者になる。
  港湾労働などに耐えられず売血生活も送る。高校に戻り学友の会社へ入社できた。
  社内寮にも入れたのでこの会社に三年勤務する。夜間大学も受かり渋谷の大学へ通う。
  またも、学生運動に染まり革マル系の自治会役員となり街頭での一揆的暴動を繰り返す。
  日和見な性格なのでまたまた退学・転職・転居を繰り返し最後に大田区の会社で社員寮生活となる。
  労働運動を知り個人加盟労組員となり労働学校にも通う。学友とサークル詩を発行する。
  楽な労働を狙い事務員を転々とする。若いやり手専務の操り事務員で経営幹部の真似事もする。
   結婚したので妻の実家に落ち着く。池袋の義父が抱える貸家の一つに住み猫二匹とマイホーム生活。
   多忙と転職で中断した同人誌活動に戻りたく新聞広告にある池袋の文芸同人会へ入会する。
   主宰が辞めたので引き継いで活動を七年間続ける。その間にも五つほど転職している。
   義兄が男なら自分の家を持てと追い出すので、相模原に一軒家を購入して転居する。
  当然、転職してステレオ会社に入社する。辛抱して五年間も働き続ける。
  高齢になり辛いので退職する。幸運にも東京都に就職できた。通いの都営住宅管理人となる。
  めでたく六十歳で定年退職。年金生活者となり文芸同人誌活動一本で趣味の老後を楽しんでいる。
  まともに仕事が続かない失格者と言っていた人たちも、文芸同人誌の会は続けられない。
《参照:外狩雅巳のひろば

相模原市の作家・古山高麗雄作品の再読に=外狩雅巳

 このテーマの連続しての執筆は、これまでの古山高麗雄作品についての関連情報の調査結果の覚えの為でもあり、最終的には纏めて作家研究紹介文にしたいためです。
 相模文芸クラブの同人仲間に、相談したら市内の作家なら南原幹雄氏もいると教えられました。
 彼は南原氏宅に雑誌「相模文芸」を持参した事もあり同人誌に目を通していただき、歓談されたそうです。
 しかし、古山高麗雄氏についてはよく知らないそうで、調査紹介は大いに有意義であろうと励ましてくれました。
 今回の古山高麗雄論は「相模文芸」誌上での市民への紹介と文芸への注目を狙っています。
 とは言え、文芸視点での作品論は個々の単行本出版時に巻末に論者が書く以上にはならないと思いました。
 ならば、独自の切り口で展開して、古山高麗雄氏と作品の紹介に仕上げる方が良いだろうと思いました。
 そこで、菊池寛賞の受賞作品である戦争三部作を中心にビルマ戦を読み込むことにしました。
 芥川賞受賞作品の「プレオ―8の夜明け」も兵士として戦った後の捕虜収容が舞台なのです。
 復員後の戦後の作品群は、身近なテーマで書かれていますが、兵士時代の作品は現在は忘れられています。
 過去の読書記憶の上に、再度古山作品に挑戦しました。
 兵士の体験などを基にした古山高麗雄作品を読むには、当時の状況の理解が大切です。
 大日本帝国軍隊時代の兵器等の事やビルマ戦の推移なども、現代人には理解するのに大変でしょう。
 皇紀という天皇制伝説から取った年号も時々使用していますので整理も必要です。
 ゼロ戦と呼ぶのは皇紀2600年に正式採用されたので0なのです。2式戦闘機等もそうです。
 38式小銃と呼ぶのは明治38年に正式採用されたからです。ここでは皇紀ではありません。
 山砲のゼロ距離射撃等と書かれていれば兵器の詳細や性能と操作方法も調査しました。
 また、ビルマ戦についても調べました。戦場の軍隊組織も知りました。
 ビルマ戦を行ったのはビルマ方面軍です。通称は森と言われていました。
 古山高麗雄氏の兵士時代は大半が一等兵でした。それが下士官に統率され分隊となっています。
 その上が小隊で中隊・大隊・連隊と膨れ上がり一番上が師団です。
 古山高麗雄氏の高麗は古朝鮮の呼び名です。朝鮮で招集され兵士として第二師団に所属しました。
 第二師団の通称は勇です。師団の集団を戦略的に動かすのが軍で、第28軍に所属しています。
 軍を各地に配備してビルマ全軍30万を森が管轄しています。8個師団、1旅団でした。
 師団には2万人以上もの兵士がいます。点のような一兵士の視点で戦闘を描写しています。
 連発できない銃で、二人の敵兵を撃つ場面の描写と、射殺された死体の描写は読後も残りました。
《参照:戦後と文学!古山高麗雄について(5)外狩雅巳
《参照:外狩雅巳のひろば

相模原で生涯を終えた古山高麗雄のビルマ戦記=外狩雅巳

 昭和45年7月の第63回芥川賞は「プレオ―8の夜明け」の作家である古山高麗雄氏である。
  終戦でサイゴン中央刑務所に入れられた。彼の8号棟における出来事が書かれた小説である。
  前ここで紹介した作品「東林間のブタ小屋」によると相模原市内で暮らし、生涯を閉じている。
  その日常も多くの作品に残している。淡々と描かれている老夫婦の日々は読みやすい文章である。この文体を平談俗語体というのだそうだ。日常の安楽さのなかで、肩の力を抜いた、つぶやきに似た文体は、軽みをおびているだけに、そのさりげなさが、戦争の狂気と異常性を浮き彫りにするのだ。
 45歳で相模原市に移住し、50歳での芥川賞受賞である。
 朝鮮半島で生まれ、仙台第二師団の兵士となり、ビルマで戦いサイゴンの捕虜収容所に入ったのである。
 ビルマでの戦闘体験を書いた作品では、第48回菊池寛賞を受賞している。2000年、80歳の時である。
 当時私は相模原市立図書館でこの戦争三部作を読み、古山作品の愛読者となりビルマ戦記を漁った。
 ――ビルマ戦と古山高麗雄作品――
  先の大戦は日本では太平洋戦争と呼ばれてアメリカとの戦争と理解されやすい。しかし満州事変から続く中国大陸への侵略戦争の結果だとはあまり知られていないだろう。
  日本はそれを国際的に非難され、反発してABCD包囲網との対戦と、位置付けていた。Cはチャイナの事である。
  30万の軍隊でビルマを占領し、中国の雲南省まで攻め、蒋介石軍と戦ったのである。
  圧倒的多数の中国軍に包囲され、全滅した戦いで、生き残った兵士としての記録小説である。
  『断作戦』『龍陵会戦』『フーコン戦記』が、菊池寛賞の対象作品なので、まずここから読み始めた。
  凄惨な戦場描写や、敵兵を射殺する戦闘場面などが、淡々と描写され、読みやすい作品である。
  15対1の差で苦戦する全体像は、辻政信『15対1』(毎日ワンズ社発行)で理解したのである。
  現在は相模原市でも忘れ去られている作家、古山高麗雄氏を掘り起こしたいと思っている。
作者の古山高麗雄は、六十歳を過ぎてから、三千メートル級の山が連なる現地を取材して、これらの作品を書いたそうです。しかもその視点は、現在において、平和に暮らしている、作者にとって、あの戦争体験はなんであったのか。その問いかけに、自問自答しながら、振り返る。単なる、過去の記憶の再現ではない。還暦を過ぎてなお胸に迫る、現在形の問いかけなのだ。
《参照:外狩雅巳のひろば

外狩(とがり)家系と係累について=外狩雅巳

   外狩英紀ーー。弟の子供である。1973年生まれの地質学者の卵である。ネットを開けると外狩雅巳と並んでいる。
  博士課程を経過してやがては学会で活躍する未来に輝いている甥のニュースを感慨深く読んでいる。
  一市民にとっては外狩という珍しい名前は良し悪しである。それが幸いして甥の名をネットで見つけた。
  妹と弟二人の四人兄妹である。自伝小説「青春は陰りて」に書いたが私は15歳で家庭から追い出された。
  それでも妹はいもうとであり弟はおとうとである。事あるごとに連絡は絶やしていない。
  妹がネットを見たらしい。兄いちゃんはまだ書いているのねと電話が来た。彼女も73歳だ。
  満州の地で生まれた二人だ。雅巳は新京で章子は大連で生まれたのだが全然記憶には無い。
  父が復員して弟が二人生まれた。上の弟は仙台で成長し70歳になった。
  73年に生まれたその息子が英紀だ。瞬く間に歳月が過ぎ去り次の世代が活躍する社会になっている。
  父も母も世を去った。もうすぐ私たちも寿命が尽きるのだ。満足して死んで行けるとは思えない。
  妻は六歳下である。人は死んだらゴミになるが口癖で生き急いでいる。子の無い夫婦の終盤。
  弟の子でも外狩の名をネットで見つけるとバトンを渡したくなる。外狩は永遠だと無理に信じている。
  とはいえ私は私である。生きた証を書き残したいのだ。
 《参照:外狩雅巳のひろば》 
■関連情報=外狩雅巳の自分説話(一)京浜工業地帯労働者の光と影

相模原の芥川賞作家としての古山高麗雄=外狩雅巳

 地域文芸同人誌「相模文芸」で活動して17年になる。創刊号から作品掲載を続けているが相模原市については書いていない。
 市民文芸を売りにして来たが文芸同人誌の体裁を整えることに重点を置いてきたようだ。
 全国の同人雑誌に伍して競う事等に奔走して来た。それなりの成果もあり全国に名が知れ渡ったと思う。
 今回は相模原市を眺め市民文芸として何をすればよいかいろいろ考えている。
 相模原市からは芥川賞作家が輩出されている事はあまり知られていないのでそこから始めたい。
 第63回芥川賞を小説「プレオー8の夜明け」で受賞した古山高麗雄(1920年- 2002年)について書こう。
 雑誌「文学界」2000年9月号に掲載されている「東林間のブタ小屋」という作品を読んだ。
 そこには氏の住所なども記されている。相模原市上鶴間となっている。ここで生涯を終えている。
 作品や人生を知るにつけ思わぬ共通点もあり引き寄せられて評論同人誌「群系」に寸評を書いた事もある。
 旧陸軍の仙台第2師団の兵士として激戦場に晒されている。私も仙台出身であり作品にも書いている。
 千台の少年時代。父の子育て方針は自身の軍隊経験で軍歌や軍人勅諭等の暗唱を強いられる日々だった。
 戦争小説に興味を持ったのも自然な成り行きである。出会った作品が辻正信氏の作品である。
 太平洋戦争でビルマまで侵略した戦記である。やがて劣勢となる北ビルマの守備兵たちの苦戦記である。
 「15対1」という題名に引き寄せられて元大本営参謀・辻正信作品を読み継いでいった15歳の日々。
 北ビルマの敗北戦争は戦史にもあまり載らず忘れられた戦場の一つである。
 圧倒的多数の蒋介石の中国軍に押しまくられ玉砕する各地の駐留兵士の物語である。
 生き残った者として冷静に体験を作品にした古山高麗雄氏。
 少年期の脳裏に刻み付けられた強烈な読書記憶が、半世紀後によみがえってきた。
《参照:外狩雅巳のひろば

ニュージーランド・ツアー記   外狩雅巳

  六度目の海外ツアーは南半球に行きたいと言う妻の希望でニュージーランド五日間の旅となった。
  テルミクラブ事件の後なので格安ツアーへの申し込みも心配したがJТB社なら大丈夫だろう。
  成田から12時間でクライストチャーチに到着。地球の半分を飛んで南極から三千キロの場所である。
  太陽は北から上るのかと妻がガイドに質問した。答えは地球のどこでも太陽は東から昇るである。
  バスの長旅。果てしなく広い牧場のみ。乳牛・羊を見て食べて日本食と日本の風物が恋しくなる日々。
  数少ない幹線道路にあふれる車。超高速で飛ばす。歩行者などほとんどいなかった。
  大気は澄んでいる。牧草の緑のみ。こちらは冬だ。もうすぐ雪になる。氷河も見た。
  日本の七割の国土に五百万足らずの人口。緑の過剰な異郷。必死にツアー集団内へしがみつくのみだ。
  高齢夫婦が多く旅慣れしている。英語達者な商社マン氏に寄り添っての五日間。
  物価は高い。スーパーマーケットでも見物しただけ。自由時間に飲んだ五百円のコーラだけ。
  義兄への土産のチーズ。両替した五千円も大半は使わない。異国の風土を満喫しただけ。
  大柄で肥満体の男女。スッチーさんも大女。大量の食事。妻は半分食べ残す。
  硬い肉。オージービーフ。
  狭い機内で長時間。エコノミー症候群になりホテルの夜にふくらはぎが攣ってひと騒動。
  帰国後はまる一日寝て過ごしたがまだまだつかればとれない。それでも妻は懲りない。
  次はアメリカだと張り切る妻。荷物持ちに連行される予感。老人には静かな書斎が一番だ。
《参照:外狩雅巳のひろば

北朝鮮ミサイル発射報道への疑問?    外刈雅巳

 ニュースの洪水に流され、ついつい大問題なのだと、Jアラートを聞いたら地下鉄か建物の中に避難したくなる。
 しかし待てよ? 一方的な同じような各社のニュースが重なる中でいくつかの素朴な疑問が沸いてきた。
 ーー疑問?
 自国領内での実験であるのに、アメリカや日本が騒ぐのか。国土防衛目的なのに、空母等で厳重警戒するのか。
 攻撃されたらアメリカ本土等に打ち込むぞと言っている。攻撃されたら日本の米軍基地へ打ち込むと言う。
 日本等も攻撃されたら反撃する権利はあるのに、なぜ北朝鮮が反撃権を振りかざすと警戒するのだろう。
 ーー疑問?
 拉致問題等で悪評高い国なので、何をやっても悪者扱いにしているのではないだろうか。
 金正恩が太っている。酒池肉林のワンマン。どう見ても立派な指導者に見えないからなのか。
 昔の日韓併合や慰安婦等の仕打ちに対して、韓国同様に謝罪賠償したのだろうか。
 ーー疑問?
 在日北朝鮮籍の人たちの言い分が聞こえてこない。少年時代に同級生に何人か居た。
 日本名なのでわからなかった。しかし噂は広がった。特定の日本名なので判別したらしい。
 森本君とは仲良しだったがクラス仲間に誘われていじめる側に回ってしまった卑怯な私。
 高齢者になり小説仕立てにして同人雑誌に掲載したことで少し自分に正直になれた。
 ーー疑問?
 ミサイルと核の開発について技術向上を評価し危険視しているがそんなに高い技術なのだろうか。
 ライト兄弟が飛行機を発明してからわずか三四十年でドイツの研究者は宇宙ロケット技術を持っていた。
 第二次世界大戦前からフォン・ブラウン博士達は米本土攻撃のミサイル開発を行っていた。核も開発中だった。
 戦争にセルとV一号・二号でロンドンを攻撃した。三号・四号は米本土向けの長距離ミサイルである。
 完成前に米軍に爆撃され破壊されてヒットラーの野望も潰えた。技術はソ連、アメリカなどに拡散した。
 それから七十年も過ぎている。今頃やっとソ連経由で北朝鮮が核とミサイル技術を向上させたのだ。
 ーー疑問?
 北朝鮮のミサイルで日本の米軍基地が攻撃されると心配している。基地撤去の流れにならない。
 沖縄なら良い、土人の島なら基地が在っても良い。という気持ちが少しでもあるのではないか。
 職場に組合を結成し安保反対のデモ行進に参加した過去を小説にした。基地反対でもある。
 私も反日売国奴なのか。日本はこれからどうなるのか心配だ。
《参照:外狩雅巳のひろば

木内是壽氏の出版ついて「相模文芸クラブ」の日々=外狩雅巳

   「相模文芸クラブ」の同人仲間の木内氏から出版の相談があった。同人誌掲載作品の出版の件である。
   氏は雑誌「文芸思潮」の五十嵐編集長と昔からの作家集団仲間で同誌にも多くの掲載を行っている。
   今回は文芸同人雑誌の「相模文芸」に連載した『梅屋庄吉の辛亥革命』の単独出版である。
   清朝中国を倒した辛亥革命の首謀者である孫文を援助した日本人の事を調べた作品である。
   四回にわたり「相模文芸」誌上に連載した長編である。十万字超で単行本にすれば、二百ページ程度になる。
   氏は日本興業銀行に勤務した経歴から相続関係の専門書の著書も多い。老後の文芸趣味も本格的である。
   アジア文化社から「ユダヤ難民を救った男 樋口季一郎・伝」(木内是壽・著/五十嵐勉・編集)なども出版している。雑誌「文芸思潮」の立ち上げにも加わっている。
  「相模文芸クラブ」へも早期から参加して毎号長編掲載で仲間を励ましている。
  今回の作品も同人雑誌への掲載だけでは満足せず一冊に纏め図書館などに納本するつもりだと言う。
  全力で生き抜いた証を残したい気持ちも大いに理解できるので相談に乗り私の本の出版業者へつないだ。
  零細印刷社としては力の入る仕事と感じたらしく業者も乗り気で見積もりを承諾してくれた。
  『外狩雅巳の世界』を三年間にわたって出版してくれた城南印刷工芸(株)なので仕事は丁寧で安心できる。
  木内氏は「相模文芸クラブ」や同人誌『相模文芸』の出版業者へも承諾を取りデータも受け取っている。
  『相模文芸』を印刷製本する(有)青史堂印刷にも見積依頼し合い見積もりで検討することにしている。
  私もこの作品には注目して『文芸同志会通信』で作品紹介を行っている。良い本になればと期待している。
《参照:外狩雅巳のひろば

私はだれ? ここはどこ?   外狩雅巳

 高齢者の楽しみは有り余る余暇の過ごし方だろう。旅行も楽しみの一つである。
 海外旅行も手軽になった。年金生活になり世界中を回っている。地球の歩き方を実践中だ。
 今年で後期高齢者になった。健康保険証は後期高齢者用になり、定期入れに入るサイズではない。
 これまでのように身分証明書として持参するには不便である。だが不所持では身元不明者となる。
 私はだれなのか証明できない。国内なら身内に連絡して証明してもらえるが海外ではどうしょうか?
 運転免許証も取得していない。マイナンバーカードでも持とうか。自分が誰なのか証明出来ない不便さ。
 外国語もダメだ、妻も御茶ノ水女子大卒を自慢したのに日常英語すら不完全である。万事休す。
 一昨年のトルコツァーでは、道に迷い危うく野垂れ死にするところであった。ここはどこ? と尋ねる言葉も無い。
 万一にも不穏な外国で一人ぼっちになったら生きては行けない。それでも海外ツアーにはゆきたい。
 懲りない老夫婦は高額な海外ツアーあれこれ物色している。今度はニュージーランドへ行くのだ。
 使い切ったパスポートを更新した。旅行保険も検討中だ。早くも事前に多大な出費が目白押しである。
 世界を見ずして死ねるか! とばかり飛び回るがツアーでは名所めぐりばかりで、上辺しか知り得ない。
 丁稚奉公から始まった辛い仕事も無事定年になり、年金老人の文芸趣味も堪能した。
 年金生活者の平均年齢も上がりまだまだ元気である。資産を残せば国家に没収されてしまう身の上だ。
 無宗教の妻の口癖は、人は死ねばゴミになるである。今の充実に焦るが付け焼刃しか思いつかない。
 子の無い夫婦の最終章は旅行三昧に明け暮れている。
《参照:外狩雅巳のひろば

追記・「星灯」第4号で、新しい文学よおこれ!宣言

 3月に『星灯』の感想などを書きましたが、小林多喜二への誹謗中傷を払拭するブログ記事を見つけました。
 民主文学のブログからのリンクで『古本屋通信』(結婚外性愛に就いて)というサイトがあります。ここに良い解説がありました。
 平野兼などの戦後文学論争で取り上げられた、小林多喜二への批判をわかり易く論破しています。
 戦前の共産党活動家が女性を利用していた、との指摘の恣意的な悪意と無知を突いています。
 彼は、岡山の古書店経営者で共産主義者です。手続き上の手違いで日本共産党から籍を外された人です。
 純粋共産主義者なので、現在の共産党の日和見的な逸脱へも批判の声を曲げず孤立する事も多々あります。
 2チャンネルでは嘲笑の対象になりましたが、すべて論破し誰からもチョッカイをかけられていません。
 痛快なほどの論客振りです。純粋すぎて北朝鮮の態度にも理解を示すだけの論拠を持っています。
 国際共産主義理論が通用しない、現代の社会情勢を切りまくっています。悲壮感も漂う論調です。
 『星灯』誌の皆さんには是非とも一読していただきたくここに紹介します。
 戦前の共産党にハウスキーパ制度など存在せず、平野謙たちの悪意の創造だと切っています。
 ブルジョワメディアの北朝鮮報道に振り回される今日こそ、このような論も併読する必要があると思います。
《参照:外狩雅巳のひろば
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