2008年12月24日
2008年12月20日
商売とハレモノ
田辺聖子さんの小説に「商売とハレノモは大きくなったらつぶれる。」という言葉が出てきたことをこのごろよく思い出す。
商売というものは自分の把握可能な範囲でぼちぼちやっとればええんだ、あまり欲をかいて大きくしたらいずれはつぶるよってにな、ということらしい。この言葉が田辺さんのオリジナルなのか大阪辺ではよく言われているのかは不明。
なるほど!と横手を打った記憶がある。
しかし。
「把握可能」がいまや難しい世界になっているのだ。
アメリカにおけるサブプライムローンに端を発した未曾有の不況はこの日本の隅々まで影響を与えつつある。
例えば大企業の下請けのメーカー。
隅々まで経営者の目が届く規模だったとしても、注文を出す側は例えばアメリカへの輸出に大きく比重を置いているとしたら、アメリカの消費の冷え込みはこのメーカーを直撃する。自動車産業などがそうだ。
地方でぼちぼちと商売を続けている人が、アメリカが低所得者層にもハウスローンを組めるような仕組みを無理やりに作って、それが当然ながら焦げ付いたって、責任は取れない。しかし影響はモロに受ける。
そういう無理なところに頼った経営は止めろと言ったって何の意味もない。銀行始め大企業は(政府もそうだが)「希望的観測」によって試算をし、間違っていたら責任も取らずにただ弱いところから切り捨てて保身を図る。
本当に必要なのかも考えずにモデルチェンジや新機能の付加などによって売り上げを上昇させてきた企業も、珍しさと虚栄で消費を支えてきた私達も考えるべきときに来ているのではないか。経済は右肩上がりでないと成り立たないという概念も考え直すべきときなのかもしれない。
いままで散々お題目にされてきたグローバライゼーション。世界経済が密に連動している今「把握可能な規模での経営」などはもはや不可能。
そして大きくなりすぎてつぶれるのはこの、「世界経済」という商売なのかもしれない。
マッドサイエンティストによって畸形化してしまったフランケンシュタイン、それが今の世界でなければよいのだが。
商売というものは自分の把握可能な範囲でぼちぼちやっとればええんだ、あまり欲をかいて大きくしたらいずれはつぶるよってにな、ということらしい。この言葉が田辺さんのオリジナルなのか大阪辺ではよく言われているのかは不明。
なるほど!と横手を打った記憶がある。
しかし。
「把握可能」がいまや難しい世界になっているのだ。
アメリカにおけるサブプライムローンに端を発した未曾有の不況はこの日本の隅々まで影響を与えつつある。
例えば大企業の下請けのメーカー。
隅々まで経営者の目が届く規模だったとしても、注文を出す側は例えばアメリカへの輸出に大きく比重を置いているとしたら、アメリカの消費の冷え込みはこのメーカーを直撃する。自動車産業などがそうだ。
地方でぼちぼちと商売を続けている人が、アメリカが低所得者層にもハウスローンを組めるような仕組みを無理やりに作って、それが当然ながら焦げ付いたって、責任は取れない。しかし影響はモロに受ける。
そういう無理なところに頼った経営は止めろと言ったって何の意味もない。銀行始め大企業は(政府もそうだが)「希望的観測」によって試算をし、間違っていたら責任も取らずにただ弱いところから切り捨てて保身を図る。
本当に必要なのかも考えずにモデルチェンジや新機能の付加などによって売り上げを上昇させてきた企業も、珍しさと虚栄で消費を支えてきた私達も考えるべきときに来ているのではないか。経済は右肩上がりでないと成り立たないという概念も考え直すべきときなのかもしれない。
いままで散々お題目にされてきたグローバライゼーション。世界経済が密に連動している今「把握可能な規模での経営」などはもはや不可能。
そして大きくなりすぎてつぶれるのはこの、「世界経済」という商売なのかもしれない。
マッドサイエンティストによって畸形化してしまったフランケンシュタイン、それが今の世界でなければよいのだが。
2008年12月14日
お誕生日
昨十二月十三日はぴょんきちさんのお誕生日につき、カッターハウスはお休みとさせていただきました。
盛大に行なわれた祝賀会の様子をここにご報告いたします。
正装して現れた本日の主役ぴょんきち殿。いささか緊張の面持ちでした。
綺羅星のごとく居並ぶ特別ゲストの
スピーチはどれもこれもぴょんきちさんを褒め称えるものばかり
こだまする歓呼の声の中でローソクは見事に吹き消され、お祝いの宴は最高潮に達しました。
袋菓子王のご令嬢、ぴょん江・ド・ブルボン嬢はぴょんきちさんの幼馴染みですが、休暇先のサン・モリッツからお祝いに駆けつけて下さいました。
今度は、鴨猟の集まりがあります。近くご案内いたしますのでカッターハウスの会員の方にはふるってご参加下さい。
盛大に行なわれた祝賀会の様子をここにご報告いたします。
正装して現れた本日の主役ぴょんきち殿。いささか緊張の面持ちでした。
綺羅星のごとく居並ぶ特別ゲストの
スピーチはどれもこれもぴょんきちさんを褒め称えるものばかり
こだまする歓呼の声の中でローソクは見事に吹き消され、お祝いの宴は最高潮に達しました。
袋菓子王のご令嬢、ぴょん江・ド・ブルボン嬢はぴょんきちさんの幼馴染みですが、休暇先のサン・モリッツからお祝いに駆けつけて下さいました。
今度は、鴨猟の集まりがあります。近くご案内いたしますのでカッターハウスの会員の方にはふるってご参加下さい。
2008年12月10日
お風呂敷の謎
お使いで銀座へ。
物は、フロシキ。
銀座通りのあのお店へ。わたくしが知っている風呂敷を買えるお店はここだから。
四階へ。
エレベーターは嫌いだから徒歩で行った。
しんとしている。
一面に風呂敷の展示がしてある。誰か来るだろうと思いながら靴を脱いで上がり込みふむふむと眺める。本当に素敵な色合い。面白い意匠、かわいい文様の風呂敷があってしばし時間を忘れてあれこれと見入ってしまった。
あれ?
誰も来ないぞ。
階段を降りて下の売り場に行ってみたが、三階には誰もいないので二階へ。
「誰か・・・」と声をかけたら「はい。」
という返事。「洋服ですか?」
風呂敷ですよ。
また四階へ。
本当に迷う。次に見るものが必ず前のより素敵なのだ。
やっと一つ選び出したが、まだ、だあれも上がって来ない。
しかたがないのでまたまた降りていったら、三階で人の気配。
今度は若い女性の店員で、やっと購入させていただきました。
群ようこさんもこのお店でいささか愉快でない思いをなさったと本で読んだが、前に買い物をしたときにはそんなことはなかったような気がする。
景気が悪くて、真面目にお仕事をする気がなくなっているのか、風呂敷一枚ぐらいだったら自分で探して持っていらっしゃいということなのか、よくわからないが。返事をしといて上がってこないというのが不可解だ。
どうなのでしょうか?
くのやさん?
わかった!!
別に何も売らなくとも経営が成り立っているのね。
物は、フロシキ。
銀座通りのあのお店へ。わたくしが知っている風呂敷を買えるお店はここだから。
四階へ。
エレベーターは嫌いだから徒歩で行った。
しんとしている。
一面に風呂敷の展示がしてある。誰か来るだろうと思いながら靴を脱いで上がり込みふむふむと眺める。本当に素敵な色合い。面白い意匠、かわいい文様の風呂敷があってしばし時間を忘れてあれこれと見入ってしまった。
あれ?
誰も来ないぞ。
階段を降りて下の売り場に行ってみたが、三階には誰もいないので二階へ。
「誰か・・・」と声をかけたら「はい。」
という返事。「洋服ですか?」
風呂敷ですよ。
また四階へ。
本当に迷う。次に見るものが必ず前のより素敵なのだ。
やっと一つ選び出したが、まだ、だあれも上がって来ない。
しかたがないのでまたまた降りていったら、三階で人の気配。
今度は若い女性の店員で、やっと購入させていただきました。
群ようこさんもこのお店でいささか愉快でない思いをなさったと本で読んだが、前に買い物をしたときにはそんなことはなかったような気がする。
景気が悪くて、真面目にお仕事をする気がなくなっているのか、風呂敷一枚ぐらいだったら自分で探して持っていらっしゃいということなのか、よくわからないが。返事をしといて上がってこないというのが不可解だ。
どうなのでしょうか?
くのやさん?
わかった!!
別に何も売らなくとも経営が成り立っているのね。
2008年12月09日
カッターハウスの謎
よく考えた見たらカッターハウスを開店してからもうすぐ半年になる。
固定客も出来て、まずは順風満帆と言いたいところだが。
この世でカッターハウスのことを知っている人は、二人しかいない。夫ともう一人。
自分でもどうして始めたのかがよくわからない。多分、お喋りの代替行為ではないかと思う。人間の言語能力は七十歳まで伸びるそうだ。そう言ったら夫は絶句していた。これ以上お喋りになられては忍耐も限界だと顔に書いてあった。
お喋りを始めたら止まらないので、書くタネに困ることはない。
それでも存続は危ぶまれている。
放漫経営もいいとこだからだ。
およそにはあまり遊びに行かない。
毎日見るのは清里の「バーネット・ヒル」と「冨士丸」。
ところで今「じゅんぷう」と「まんぱん」と打ち込んだら「まんぱん」が変なふうに変換された。「じゅんぷうまんぱん」と打ち込んだらちゃんと出た。
一瞬、「まあ。もの知らずなPCだこと!」と思ったではないか。
謎に包まれたカッターハウスのアイドル
ぴょんきちさん
固定客も出来て、まずは順風満帆と言いたいところだが。
この世でカッターハウスのことを知っている人は、二人しかいない。夫ともう一人。
自分でもどうして始めたのかがよくわからない。多分、お喋りの代替行為ではないかと思う。人間の言語能力は七十歳まで伸びるそうだ。そう言ったら夫は絶句していた。これ以上お喋りになられては忍耐も限界だと顔に書いてあった。
お喋りを始めたら止まらないので、書くタネに困ることはない。
それでも存続は危ぶまれている。
放漫経営もいいとこだからだ。
およそにはあまり遊びに行かない。
毎日見るのは清里の「バーネット・ヒル」と「冨士丸」。
ところで今「じゅんぷう」と「まんぱん」と打ち込んだら「まんぱん」が変なふうに変換された。「じゅんぷうまんぱん」と打ち込んだらちゃんと出た。
一瞬、「まあ。もの知らずなPCだこと!」と思ったではないか。
謎に包まれたカッターハウスのアイドル
ぴょんきちさん
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夜のカートの冒険
ガラガラゴロゴログヮラグヮラ・・・
夜の静かな住宅地に響く音。
なんでしょう?
歩いて十分ほどのところにあるスーパー、ヴァル・ド・アッシュ・プロスペリテの所有になる買い物カートの車輪の音だった。
三十才台ぐらいの男女二人が買った物を積んで道を歩いている。どうやらお家まで載せて行くつもりらしい。カートって店内か駐車場まで使うものでしょうにね。
好奇心に駆られて、さりげなく尾行。そこはそれ。「ミステリ・チャンネル」好きで、モース警部のファンだからお上手にできました。
お住まいはなんと我が家の近所のアパート。お二人はアパートの入り口でカートから荷物を降ろして中に入って行ってしまった。
と、思ったら男性がまた出てきた。
「返しに行くのね。」と思ったら、夫が「いやいやわからないよ。」と疑り深いことを言う。それでは、というのでまたお手の物の尾行を続けてみる。ぴょんきちさんが一緒なのは都合が良い。ぶらぶら歩いていても怪しまれる心配はない。
がらがら、ごろごろ・・・・
そしてなんと!
その殿方は自宅から二分ほどの道の角にひょい、とカートを押し付けて行ってしまった!!!
ほぉぉぉぉ・・・・・
そういえば、そこここに打ち捨てられたカートを見かけるのは不思議だと思っていたが、こういう訳だったのだ!
悪いことをしているとは思っているのね。
なら堂々とやれ! ん?
一葉の「十三夜」に、「顔を押しぬぐって」という表現があったことを思い出したほどのそ知らぬ顔だった。
こういう人が普通の市民の顔をして同じ空気を吸っているのか。
窃盗と遺棄でしょう。犯罪ですよ。
こんなわずかなことと言うなかれ。
モラルの欠如はその人の人生全体の問題なのだ。ひいてはこの世界全体の。
そのカートをどうしましたかって?
うふふ・・・
今ラジオから映画「ディア・ハンター」のテーマが流れている。
力のある美しい映画だった、と思い出す。
夜の静かな住宅地に響く音。
なんでしょう?
歩いて十分ほどのところにあるスーパー、ヴァル・ド・アッシュ・プロスペリテの所有になる買い物カートの車輪の音だった。
三十才台ぐらいの男女二人が買った物を積んで道を歩いている。どうやらお家まで載せて行くつもりらしい。カートって店内か駐車場まで使うものでしょうにね。
好奇心に駆られて、さりげなく尾行。そこはそれ。「ミステリ・チャンネル」好きで、モース警部のファンだからお上手にできました。
お住まいはなんと我が家の近所のアパート。お二人はアパートの入り口でカートから荷物を降ろして中に入って行ってしまった。
と、思ったら男性がまた出てきた。
「返しに行くのね。」と思ったら、夫が「いやいやわからないよ。」と疑り深いことを言う。それでは、というのでまたお手の物の尾行を続けてみる。ぴょんきちさんが一緒なのは都合が良い。ぶらぶら歩いていても怪しまれる心配はない。
がらがら、ごろごろ・・・・
そしてなんと!
その殿方は自宅から二分ほどの道の角にひょい、とカートを押し付けて行ってしまった!!!
ほぉぉぉぉ・・・・・
そういえば、そこここに打ち捨てられたカートを見かけるのは不思議だと思っていたが、こういう訳だったのだ!
悪いことをしているとは思っているのね。
なら堂々とやれ! ん?
一葉の「十三夜」に、「顔を押しぬぐって」という表現があったことを思い出したほどのそ知らぬ顔だった。
こういう人が普通の市民の顔をして同じ空気を吸っているのか。
窃盗と遺棄でしょう。犯罪ですよ。
こんなわずかなことと言うなかれ。
モラルの欠如はその人の人生全体の問題なのだ。ひいてはこの世界全体の。
そのカートをどうしましたかって?
うふふ・・・
今ラジオから映画「ディア・ハンター」のテーマが流れている。
力のある美しい映画だった、と思い出す。
2008年12月08日
森茉莉・村上春樹・ルノアール
人生を豊かにしてくれる十六の要素のうちの一つがおいしいポテトサラダであることに異論を挟む人はいない。
程よく茹でられ、よく粉を吹いたおジャガがおいしいマヨネーズと調和し、そこにスライスした新鮮な玉葱の香りと歯ごたえが加わる。これが基本にして究極のポテトサラダだ。
幸運なことに、わたくしには自他共に認めるおいしいポテトサラダを作る兄弟がいる。コツは、「おじゃがが熱いうちにマヨネーズと和える」ことだそうだ。それを常に念頭に置いているから、わたくしもまあまあのポテトサラダをこしらえることが出来る。
マヨネーズも良いが、時にはお酢とオリーブオイルで作ることもある。これは、おジャガの茹で具合が難しい。形は残すが、歯ごたえは出来るだけないほうが良い。噛むと同時に崩れるぐらいが理想。ベーコンを入れたりする向きもあるが、わたくしは玉葱だけが好き。これには、ブラック・ペッパーを少しだけ使うと良いようだ。
森茉莉も「独逸風ジャガイモのサラドゥ」が好きだったようだ。グリンピースと玉葱の入ったもの。そう。グリンピースは季節になるとわたくしも入れる。
ジャン・ルノアールの「ゲームの規則」にポテトサラダについての台詞があることをご存知か?
コックが「おいしいポテトサラダを作るには、茹でたてのジャガイモにまず、ヴィネガーが白ワインをかけることだ。」と言っているのだ!!
この台詞は次のように続く。
「ここのご主人様はそういうことをよくご存知だ。まさしく本当の貴族なんだ。この頃はそういう人が少なくなった。」
ね。
森茉莉のほかにポテトサラダが好きそうだと思える人が、村上春樹。
お好きでしょ?
程よく茹でられ、よく粉を吹いたおジャガがおいしいマヨネーズと調和し、そこにスライスした新鮮な玉葱の香りと歯ごたえが加わる。これが基本にして究極のポテトサラダだ。
幸運なことに、わたくしには自他共に認めるおいしいポテトサラダを作る兄弟がいる。コツは、「おじゃがが熱いうちにマヨネーズと和える」ことだそうだ。それを常に念頭に置いているから、わたくしもまあまあのポテトサラダをこしらえることが出来る。
マヨネーズも良いが、時にはお酢とオリーブオイルで作ることもある。これは、おジャガの茹で具合が難しい。形は残すが、歯ごたえは出来るだけないほうが良い。噛むと同時に崩れるぐらいが理想。ベーコンを入れたりする向きもあるが、わたくしは玉葱だけが好き。これには、ブラック・ペッパーを少しだけ使うと良いようだ。
森茉莉も「独逸風ジャガイモのサラドゥ」が好きだったようだ。グリンピースと玉葱の入ったもの。そう。グリンピースは季節になるとわたくしも入れる。
ジャン・ルノアールの「ゲームの規則」にポテトサラダについての台詞があることをご存知か?
コックが「おいしいポテトサラダを作るには、茹でたてのジャガイモにまず、ヴィネガーが白ワインをかけることだ。」と言っているのだ!!
この台詞は次のように続く。
「ここのご主人様はそういうことをよくご存知だ。まさしく本当の貴族なんだ。この頃はそういう人が少なくなった。」
ね。
森茉莉のほかにポテトサラダが好きそうだと思える人が、村上春樹。
お好きでしょ?
2008年12月07日
ロメールとヴァロットン
寒くなったので、久しぶりにエリック・ロメールの「冬物語」を観たくなったのに、つい、隣にあった「春のソナタ」をデッキに入れてしまった。
最後に主人公がボーイフレンドの部屋に入っていくシーンを観ていて、思わず「あっ!」と叫んでしまった。
壁にかかっている二枚の絵のうち一枚はドガだが、もう一枚の絵にびっくり。この絵がここにあったなんて気付かなかった。
作者は知らなかったが、いつか展覧会で見て気に入って買った絵葉書の絵だ。
急いで引き出しを開けて捜し出したのがこれ。
フェリックス・ヴァロットンという名前はそのとき初めて知った。葉書を買ったほうが「春のソナタ」を観るよりも後だったのは確かだから、潜在意識にこの絵が残っていたのだろうか?だからこの絵が気に入ったのだろうか?
夏と思しき光景だが光の陰影が深いのにどこか果敢なく、見ていると胸騒ぎを覚える。好きな絵だ。ロメールがこの絵を選んだのはどんな理由からなのだろうか?
同じくロメールの「冬物語」に誰かの言葉として「学ぶことは想起することに他ならない」というのが出てくるが、「これは初めてのことだ。」と思っていても知らないうちにどこかで既に出合っているのかもしれない。
2008年12月04日
Peter's Friends
十二月になると(十二月でなくともだが、特に)観たくなる映画に、Kenneth Branagh の「ピーターズ・フレンズ」がある。
領主である父を喪って邸宅に一人で暮らすことになったピーターは共に新年を迎えようと学生時代の旧友たちを家に招く。
「フット・ライツ」などに代表されるようなイギリスの学生劇団をやっていたと思しき彼らは、卒業後のそれぞれの人生の重さを背負ったまま、ピーターの家に次々と到着する。
再会を喜んだ彼らは、ただ友達をもてなしみんなで楽しくパーティをしようと思っているらしいピーターにそれぞれ調子を合わせようとするが、双子の赤ん坊のうち一人を亡くしてから危機に瀕している夫婦、とるに足らない男達と実りのない情事を繰り返す女性、妻のおかげでハリウッドで成功はしたもののその妻は拒食と過食を繰り返す、自分に誇りをもてない男、恋人に自殺され、もしかしたらピーターが自分の本当の伴侶かもしれないと思い始めた女性、という顔ぶれなので、さまざまの行き違い、争い、騒ぎが起こる。せっかくピーターがお膳立てしてくれた親しい人間達が集まるoccaisionにちぐはぐな気持ちで参加している彼らが、一瞬昔の心に帰って一緒に歌うシーンが美しい。が、また騒動が待ち受けている。
その騒ぎが最高潮に達し、「どうして今になって自分達を招待したのか」と詰め寄られたピーターは自分は血液検査の結果HIVの陽性であることがわかったとためらいながら告白する。
自分達の不幸にかまけて、寛大なピーターをただ恵まれているだけの人間として見ていた彼らは、彼が誰よりも大きな孤独と悩みを抱えていたことを知る。
随所にちりばめられている往年の名曲がストーリーに深みを与え、特にクイーンの
「You're my best friend」が心に残る。また登場人物すべてが個性的でありながら各々にふくらみがあり、みんなどこか欠けていてそれがまたいとおしい。芸達者ばかりだが、ピーターに扮するスティーブン・フライのどこかでこらえているような抑制された演技がすばらしい。"Andrew,the miserable bustard"とののしられるアンドルーを演ずるブラナーも流石。
人間が生きていく上でいつかは直面せざるを得ない絶対的な孤独と、それをもしかしたら少しだけやわらげてくれるかもしれない小さな救い(でも、それなしには人間は多分生きて行けない)を示してくれるおかしくも悲しい、クリスマスにふさわしい名作だと思う。
「カッサンドラ婆さんはあの映画を見せると何だか喜んでいるのよね。」などと言われている将来のわたくしかもしれない。
領主である父を喪って邸宅に一人で暮らすことになったピーターは共に新年を迎えようと学生時代の旧友たちを家に招く。
「フット・ライツ」などに代表されるようなイギリスの学生劇団をやっていたと思しき彼らは、卒業後のそれぞれの人生の重さを背負ったまま、ピーターの家に次々と到着する。
再会を喜んだ彼らは、ただ友達をもてなしみんなで楽しくパーティをしようと思っているらしいピーターにそれぞれ調子を合わせようとするが、双子の赤ん坊のうち一人を亡くしてから危機に瀕している夫婦、とるに足らない男達と実りのない情事を繰り返す女性、妻のおかげでハリウッドで成功はしたもののその妻は拒食と過食を繰り返す、自分に誇りをもてない男、恋人に自殺され、もしかしたらピーターが自分の本当の伴侶かもしれないと思い始めた女性、という顔ぶれなので、さまざまの行き違い、争い、騒ぎが起こる。せっかくピーターがお膳立てしてくれた親しい人間達が集まるoccaisionにちぐはぐな気持ちで参加している彼らが、一瞬昔の心に帰って一緒に歌うシーンが美しい。が、また騒動が待ち受けている。
その騒ぎが最高潮に達し、「どうして今になって自分達を招待したのか」と詰め寄られたピーターは自分は血液検査の結果HIVの陽性であることがわかったとためらいながら告白する。
自分達の不幸にかまけて、寛大なピーターをただ恵まれているだけの人間として見ていた彼らは、彼が誰よりも大きな孤独と悩みを抱えていたことを知る。
随所にちりばめられている往年の名曲がストーリーに深みを与え、特にクイーンの
「You're my best friend」が心に残る。また登場人物すべてが個性的でありながら各々にふくらみがあり、みんなどこか欠けていてそれがまたいとおしい。芸達者ばかりだが、ピーターに扮するスティーブン・フライのどこかでこらえているような抑制された演技がすばらしい。"Andrew,the miserable bustard"とののしられるアンドルーを演ずるブラナーも流石。
人間が生きていく上でいつかは直面せざるを得ない絶対的な孤独と、それをもしかしたら少しだけやわらげてくれるかもしれない小さな救い(でも、それなしには人間は多分生きて行けない)を示してくれるおかしくも悲しい、クリスマスにふさわしい名作だと思う。
「カッサンドラ婆さんはあの映画を見せると何だか喜んでいるのよね。」などと言われている将来のわたくしかもしれない。
2008年12月02日
「スリ」 ブレッソン
昔むかし、母が「スリ」という映画では、というようなことを話していたが、ブレッソンの作品だったとは!
貧困が原因でスリをするようになった青年だが、ついには生きる実感をそこでしか得られないほどになっていく。出口のない薄暗い迷路に迷い込んだような、醒めない悪夢を見ているような日々がリアルに迫って来る。
スリという行為だけが世界とのチャンネルになってしまい、スリをしている以外の時間は自分の内へ内へとねじれこんでいく青年の、ただ、辺りを窺っている眼差しが怖いほどに迫ってくる。
圧巻はアップで見せるスリのテクニック。(母が話していたのもこのあたりだった。タイトルを見ていたら、ちゃんとスリテクニック指導担当のスタッフがいたのは当然といえば当然だが、どうやって見つけたのだろう?)この部分がウソでないのがこの作品の力になっていると思う。だって、美しいのだ!人間の手の動きがこれほど精妙且つ滑らかに動けるものかとため息すら出てくる。この本物の部分がしっかりしているからこそ、主人公の心に沿って行くことができる。
余計な感情表現もなく、見ているほうはただ、目の前で起こっていることを眺め、受け入れるだけなのだ。
映画の基本も人間の肉体だということを改めて思った。
ところで、ミラノ行きの列車に乗り込むシーンでちょっとだけ顔を出す駅員は、ひょっとしたら、あの、オスカー・ウェルナー君ではなかったかしら?
「蟹工船」の次は「スリ」だったりして。
貧困が原因でスリをするようになった青年だが、ついには生きる実感をそこでしか得られないほどになっていく。出口のない薄暗い迷路に迷い込んだような、醒めない悪夢を見ているような日々がリアルに迫って来る。
スリという行為だけが世界とのチャンネルになってしまい、スリをしている以外の時間は自分の内へ内へとねじれこんでいく青年の、ただ、辺りを窺っている眼差しが怖いほどに迫ってくる。
圧巻はアップで見せるスリのテクニック。(母が話していたのもこのあたりだった。タイトルを見ていたら、ちゃんとスリテクニック指導担当のスタッフがいたのは当然といえば当然だが、どうやって見つけたのだろう?)この部分がウソでないのがこの作品の力になっていると思う。だって、美しいのだ!人間の手の動きがこれほど精妙且つ滑らかに動けるものかとため息すら出てくる。この本物の部分がしっかりしているからこそ、主人公の心に沿って行くことができる。
余計な感情表現もなく、見ているほうはただ、目の前で起こっていることを眺め、受け入れるだけなのだ。
映画の基本も人間の肉体だということを改めて思った。
ところで、ミラノ行きの列車に乗り込むシーンでちょっとだけ顔を出す駅員は、ひょっとしたら、あの、オスカー・ウェルナー君ではなかったかしら?
「蟹工船」の次は「スリ」だったりして。