2010年01月

2010年01月29日

ニューヨークの洞穴

NHKは朝の番組中に週一遍
「New York Style]
というコーナーを放送している。

ニューヨークにいるスタッフが現地のトレンドなどを紹介するのが主な内容だ。

今朝は
「次々と新しいライフスタイルが生み出されるニューヨークで」
「石器時代に倣った暮らしをすることがトレンドになっている。」
ということがテーマでした。

いきなり身体に毛皮を巻きつけて石斧を構えた裸足の有働さんが出てくるのかと期待しましたが、普通のお洋服姿でした。

有働さんが、あるお宅の冷蔵庫を開ける。
中にあるものは
「出来合いの食品は入っていません。
 素材だけです!」
と、得意満面でパックに入った筒切りのシャケや大きなお肉のカタマリを示す。

我が家と同じですね。
大きさの違いはありますけど。
野菜室も見せてほしかったのですが。

続いて住人のお食事中のところへ突入。

テーブルの上の大皿に焼いたお肉やお魚が置かれてあり、皆さん各自のお皿に取り分けて召し上がっていらっしゃる。
皆様姿勢がよろしくない。
手ではなく、ナイフとフォークをお使いですね。
「石器時代と同じように、焼くだけで食べます。」
だそうだが、お肉の上にはしっかりとコショーやハーブらしきものが見えました。
そのほか、別のお皿の上には沢山の果物が。
バナナ、りんご、オレンジなど。
お食事はこれでおしまいなのですね?

こういった生活がトレンドなのですか。

そうして、セントラルパークで走ったり、石くれを空中に抛り上げたり、逆立ちしたりする。
ジムに行く代わりなんですって。

新聞に
「Caveman」
のライフスタイルとして取り上げられたそうな。
「Caveperson」でなくともよいのですか?

それはともかく。

出来合いの食品を買わないで食材を荒っぽく調理して食べ、ビタミンは果物で摂取。外で運動する、というのがそれほど新しく且つ、珍しいのかしら?

何よりも笑ったのは、
「石器時代に倣う」を標榜している人達が、厳寒のニューヨーク、室内では半袖でいた、ということでした。

たったこれだけの放送にどれくらいの準備をしたのですか?

こういう表層的な物マネを
「ライフスタイル」
とは呼びたくない。




2010年01月28日

隠れ家

ある人物を評してわたくしが
「あの人は隠れ家に連れて行けないなあ。」
と言ったら、夫が目を白黒させていた。

隠れ家
勿論、あのフランク一家が隠れ住んでいたような隠れ家である。

「隠れ家に連れて行けそうな人」
「隠れ家に連れていけそうもない人」

これはわたくしの中に随分前から存在している,人間に対する判断材料のひとつであるが、皆様にもあるでしょう?


冗談を言っているのではない。
あの、他人同士が四六時中顔を突き合わせて、食べるものにも不自由しながらいつ果てるともない緊張に神経をすり減らし続け、それでも希望を持たないと破裂してしまいそうな日々。
叫びだしたくなるような不安と戦いながら、無駄かもしれないがいつの日か社会に出ることが叶った時の為に勉強を続ける。蓄えがいつ底を尽くかとおびえたり、誰かが自分よりも沢山食べている、などと心ならずも思ってしまう毎日。
希望が涌いたかと思ったら、たちまち絶望に押しつぶされる、という繰り返しがきりもなく続く年月。

そういう極限状態の中で信頼しあい、冷静に助け合いながら一緒に暮らせるだろうと思える人は貴重だ。

何かがあるとパニックになったり、些細なことに激昂したり、自己正当化ばかりしていたり、ユーモアのセンスが全くなかったり、という人は難しい。

そう。
正しすぎる人も困るだろう。

好き、キライではない。

好きだけど一緒には暮らせないな、と思う人だっている。

というようなことを夫に話したら、
「連れて行ってもらう方かもしれないよ。」
と言う。
そうですね。
わたくしのような人はあまり連れて行きたくないものです。

井戸1




ボクはどうでしょうか?



birthday7






大丈夫?

2010年01月26日

水のこどもたち


「水のこどもたち」

子供の時に読んだ絵本のタイトルである。
内容は全く覚えていない。

近所に住んでいたおばさんが、息子さんの本を貸してくれたうちの一冊だったと記憶している。

内容は覚えていないのだが、挿絵は今でも目に浮かぶ。

見開きいっぱいに拡がる海の底あると思しき洞窟の絵。
ごつごつとした黒い岩が積み重なった入り口のところに大きな海老がいるてこちらを向いている。
その手前には子供が一人立っている。
子供はこちらに半ば背を向け、海老になにやら話しかけている。
海老はさんはそれに耳を傾けている様子だ。

辺りには子供の背丈ほどもある海草が生えていてゆらゆらと揺れている。
水は透明で薄青く、海老さんは真っ赤で、日の光が差し込んであたりは明るい。


もう一つの絵も同じ場所のものだ。

洞窟の前に男の子が立って、中を覗きこんでいる。
誰もいない洞窟は黒々とした深みをたたえ、ぽっかりと口を開けている。
奥のほうはよく見えない。
砂の上には巻貝が一つ転がっている。

男の子の後姿は寂しそうだ。

この二枚の絵を時々思い出す。

海老さんはいなくなってしまったのだろうか?
男の子はあれからどうしただろうか?
洞窟の奥には何があるのだろうか?

心配だ。

「水のこどもたち」
どなたか知りませんか?

この御本を貸してくださったおばさんは、ほっそりとした優しげな人だった。
やがてご主人の仕事の関係で引っ越していってしまい、それからしばらくして亡くなられたと聞いた。



2010年01月22日

みんなの一日


六時半に起きて夫の朝ごはんを作った。
リサイクル用のゴミを出した。
夫が出勤した。
お洗濯第一弾。
朝食を食べた。
掃除機をかけた。
第一弾の洗濯物を干し、第二弾を開始。
ぴょんきちさんのお散歩。
家の前でボール遊び。

家に入ってテレビをつけた。
衆議院予算委員会を中継している。
鳩山君が責められている。
「あなたは、総理大臣の自覚がない。」
と、ののしられている。
で、おしまい。

「ある人が言いました。」
と質問者が言うと
「誰が言ったんだよ!」
という野次が飛ばされる。

お布団を干した。

お洗濯第二弾を干した。

ちょっとした用事で外出し、帰宅。

お昼ごはんを食べた。
テレビをつけた。
衆議院予算委員会が中継されている。
鳩山君が責められている。
「キレイなお金、汚いお金という区別はないと思います。」
ですって。


少しお勉強をした。

洗濯物を取り込み、お布団も入れてベッドメイクをした。

テレビをつけた。
衆議院予算委員会の様子が放映されている。

鳩山君は責められていない。

渡辺君が財政圧縮について菅くんに質問している。
「今年が正念場だと思っております。」
と、菅くん。
「しっかりと考えていただきたいと思っています。」
と、渡辺君。

何のための質問なのかわかりません。
菅君のほうが老獪で肩透かしを食ったというところか?

いつも思うのだが、質問ではなく、ただあげつらっているだけの、非建設的な質疑に終始するのは政治のシーンにおける、彼我の影響力の違いによるのだろうか?

皆さんおヒマなのですか?

アレ?
「五時になったので国会中継は放送中止」
ですって。

サッカーや野球の中継って延長しなかったかしら?
国会中継は延長なしなのね。
これからお使いです。



2010年01月18日

A Good Swimmer

民主党の小沢君の側近が相次いで逮捕されて大波乱の通常国会。

そして、
「小沢は幹事長を辞めるべきか?」
「鳩山内閣の支持率低下は必至」
「予算案審議が遅れるのは国民にとって大問題」
「検察の最終目的は小沢か?」
「夏の参議院選挙は自民に有利?」
「小沢氏の証人喚問はあたりまえ」

まだまだ色々な声が飛び交っている。
でも、議論がかみ合っていないように感じるのはわたくしだけだろうか?

小沢君を擁護する人たちは
「帳簿に記載しなかったのは秘書や会計責任者の小沢を思う気持ちからやったこと。本人が指示しているという証拠はないのだから、政治資金規正法に反したくらいはそれなりの手続きを踏めば犯罪ではない。」
という考えに与している。
「大したことではないのに逮捕などと職権乱用です!」
と言わんばかり。
そして
「こっちのことばかり仰るなら、あなたの事だってばらしちゃうぞ!」
と、言っている。

小沢君を糾弾する人たちは
「政治資金規正法違反だ、帳簿未記入だというのはただの糸口で、その原資が問題なのである。収賄によるものであるかどうかが問題なのであるぞ。」
という意見だ。
「やましいところがないのなら、出るところに出て、潔白を証明してごらんなさい。」
と、言っている。
 「本当はゼネコンからプレゼントされたお金でしょ?」
と、つっついている。

違うレベルのお話しをしているのだから、かみ合うはずがない。
双方とも、自分に都合の良い結論に結び付く意見をただ、主張しているに過ぎないのだから。
そうです。
都合。
自分の所属する派閥、自分の所属する党派、などですね。

お互いにどんなことを言い合っても、検察側のお仕事には直接の影響はないとわかっていながら主張するのはどうしてなのでしょうね?

三権分立
学校で習った。
そうであることを希望する。

一つ思うのは
「良く泳ぐものはまたよく溺れる。」
ということです。

法律には詳しいと自認する小沢君。
「意図的に法を破ったことはない。」
と、仰ってましたが
「意図的に法の網目を潜ったこと」
はあるのではないでしょうか?
「そんなことは慣例で、許されていた。」
ことも、厳密に法律を適用すると、どこに出しても恥ずかしくない犯罪とみなされるのですよ。
「目に余る」
というさじ加減の問題もあるでしょうね。

さて?




2010年01月15日

希望

エリック・ロメールが亡くなったという。

ミープ・ヒースも。

世界は変らずに動いていたのだが、わたくしの知らないうちにこの二人は消えていたらしい。

いまさら何も言うことはないが、
「冬物語」に出てくる
「願いがかなえられるかどうかがわからないのだったら、希望を信じて生きるほうがよりよい人生になると思うわ。」
というフェリシーの言葉を思い出す。

ミープは、初めは夫のヤンと共にフランク一家やその同居者達を命がけでサポートし、戦後は「アンネの日記」の発見者として活動を続けた。
人間が人間にもたらした極限ともいえる悲惨な状況を身をもって体験しながらも、人間に対する希望を捨てなかったからできたことだと思う。

わたくしはこの二人の与えてくれた希望に値する人間だろうか?




2010年01月13日

"No more Genbaku"

わたくしが生まれて初めて作った英作文であります。
流石はピースフルなカッサンドラさんです。
違うかもしれないが。


小学校の時、お友達や姉とでお留守番をしていたときのこと。
誰だったかは覚えていないが本棚の後ろに落ちていた雑誌を引きずりだした瞬間、みんな
「ぎゃーーーー!」
と叫んで隣の部屋に逃げ込んでしまった。

今でもはっきりと思い出す。
わたくしの恐怖の源の一つとなった写真。

縁がぼろぼろになっていて、黄色味を帯びてしまった雑誌に載っていた写真。

元は顔だったところが、今はただの焼け焦げた塊となり、なぜか肘から上が天を指し、手首から先はだらりと垂れている人。
畳の上に寝かされているセーラー服を着た人は目も口も判然としないまでに焼け爛れている。

顔いっぱいに包帯を巻き、荷車に乗って避難させられている子供。

泣き叫びながらやけどの治療を受けている女の子。

そんな人達の姿が床の上で夕日を浴びていた。

「ゲンシバクダンの写真だ。」
と言ったのは誰だったろう。

わたくしたちはみんな半泣きになって震えていた。雑誌の転がっている部屋に戻ることもできない。が、しっかり者の姉が
「仕方ない」
とか何とか言って爪立ちして部屋に入り、その雑誌をつまんで本棚の上に抛り投げた。


それからわたくしの悪夢が始まった。

夜中に目を覚ましては母を起こしに行き
「ねえ。ゲンシバクダンは落ちない?」
と、問い続けたのだった。
相当長く続いたそれは、一旦落ち着いてもまたよみがえったことを思い出す。
相当のショックだったし、またリアルに迫ってくる恐怖として心に染み付いてしまったのだと思う。

母は必ず
「大丈夫。
 世界中の人が集まって、もう二度とゲンバクは落とさないと約束したのよ。」
と根気良く言って聞かせてくれた。

本当ですよね?
お母さん。

そして上記の英作文。

「ノーモアヒロシマ」
と、米兵に言っては殴られる人が家に帰って
「どういう意味なんだ?」
と辞書を引く、という今考えるとなんともすごい漫画を見て
「のーもあってなんという意味?」
と尋ねたところ
「二度と繰り返さない、という意味よ。」
と教えられ、ならば、これでもいいの?
と言ったのがこれだったのでした。

今、子供に同じことを問いかけられて
「大丈夫。
 そんなことは起こりません。」
と、確信を持って答えられるだろうか?



2010年01月05日

絵で聞く声

ブリジストン美術館で開催中の「安井曽太郎の肖像画」展を見てきた。
好きな画家であるということ以外に「人の顔」というものがいつも気になるわたくしとしては、行かなければいけない展覧会でしたね。

鳩山君のお母様のことは考えないことにする。
でも、いいですね。九億円のお小遣い。
ご本人の責任は不問に付されるのは納得いきませんよ。

さて。
安井曽太郎くんの描く肖像画。
面白かったです。

描かれている人物全てが
「興味深い人物」
としてこちらに訴えてくる。
注文制作されたものが多かった、ということは社会的にもひとかどの人物がモデルであり、個性が強くてそれなりにはっきりとした輪郭を備えている人が描かれていると言える。
でも、これらの肖像画の面白さはそのせいだけではない。
みんなナニか言いたそう、なのである。
お父さんを描いた作品からは歯切れの良いタンカが聞こえて来そう、と思ったらお父さんは京都の木綿商人なのですって、
少し違いました。
ともかく、何か言いたいが、言うことができない。
当然です。絵なのですから。
口はきけない。
しかし、今にも言葉を発しそうな顔をしている。
いろんなことを考えていたのだろうな、と思う。
なかでも、
「この絵、欲しい!」
と、思ったのは安倍能成の肖像。
三点あったが、正面から描かれた大きめの作品。
もうもう、声が聞こえる。
その、声、を画布に描き出したのは安井の技術である。そして、全身全霊で真摯にモデルと対峙した結果であると思う。
顔かたちだけではなく、一瞬の深い表情をキャッチし、その人物の悩みや喜び、人柄や人格までも表現する技術がすばらしい。
どんな動き方をする人なのかまで想像できてしまう。
魅力的である。
安井に描かれた人たちは、その後自己に対する認識が深まったのではないだろうか?
「アフター安井」


安倍能成。
勿論漱石先生の門下のあの安倍能成である。

嬉しかったですね。
「オオ、ここにいたのか!」
という感じです。
はじめまして。

他に
「長輿叉郎博士像」
というのもあった。
医者だというが、描かれた年代から言ってあの
「長与院長」
ではないだろうが、お子さんかお孫さんではないだろうか?
こちらも毅然とした姿だった。

漱石先生とご一緒したかったです。






2010年01月03日

新年のご挨拶

2010年となりました。
皆様には健康でよい一年となられますようお祈りいたします。


本年もカッターハウスをよろしくお願い申し上げます。


               カッターハウス代表 ぴょんきちさん
               その母        コンテッサ・デッラ・カンタータ



お正月