2010年03月

2010年03月30日

妙な一日

頼んでおいた品が出来上がる日なので取りに出かけた。

どうして電車はいつもわたくしの考えているのと反対の方向に走るのだろうか?せっかく進行方向に向かって立ち、咲き初めた沿線の桜を鑑賞しようと思っていたのに、いきなり反対側に走り出した。
行き先は、合ってましたよ。

現地到着。
引換券を渡す。
しばらく待たされた後、係りの人が謹厳そのものの顔をしてしゃちほこばって出てきた。
言うことには
「お客様。
仕上がりは来週の月曜日です。」
顔の奥が笑っていた。

そうですか。

とぼとぼと家路に着く。
電車は勿論思惑と反対の方向に向かって走り始めた。

小腹が空いたのでパン屋さんに寄る。
食べたいと思っていたパンが、ない。
「あのう。
四角っぽくて中に甘いお味のお豆の入った、堅いパン、もう作らなくなったのですか?」
「ああ。むにゃむにゃぱっくんのほにゃですね。
ごめんなさい。あれは、当分作らないみたいです。」
そうですか。
残念ですこと。

再びうなだれて家路に着く。
そして、気がつきました。

あのパンを買ったのは、別のパン屋さんでした。




2010年03月27日

公平な王様のお話

昔ある国に大変に公平な王様が住んでいました。
王様には三人の娘がありました。
一番上と三番目のお姫様はお嫁に行ってそれぞれの旦那様と一緒に暮らしていました。
一番上のお姫様にはもう三人のお子さんがあり、三番目のお姫様には近くお子さんが生まれる予定でした。
二番目のお姫様は独身でした。


一番目のお姫様はご公務のほかにお子さん達の育児がありましたので、大変にお忙しい毎日でした。
「これでは身体を壊してしまうわ。」
と思ったお姫様は、父親である王様のお城に、自分が子供のころ育ててくれた乳母がいることを思い出して
「ねえ。お父様。わたくしの乳母だったあの人が手伝いに来てくれないかしら?」
とお願いしました。でも、王様のご返事は
「いかん。」
でした。
大変に公平なその王様は
「長女だけに乳母をつけてやっては不公平になる。」
と思ったのです。

二番目のお姫様は
「月刊・お姫様」
という雑誌の記者として忙しく働いていましたが、本当は結婚したい人がいるのでした。でも
「結婚して赤ちゃんができたらお仕事ができなくなるわ。」
と心配していて結婚に踏み切れないでいるのでした。
そこで、王女様は
「ねえ。お父様。わたくしは『月刊・お姫様』の編集部に託児所を併設する運動します。」
と、言いました。
でも王様の返事は
「いかん。」
でした。
大変に公平なその王様は
「託児所に預ける必要がある小さい子供がいる女の人は、働かなくても済むようにするのが王様たる自分の勤めだ。それはまあ、何十年か先になるだろうが。」
と、思ったのです。

三番目のお姫様の旦那様はあまり裕福ではありませんでしたので、そのお姫様は王様に
「ねえ。お父様。赤ちゃんが生まれてから一年でいいですから、ベビーシッターを雇うお金を出して下さいませんか。きっとお返ししますから。」
と、お願いしましたがご返事はやはり
「いかん。」
でした。
王様は
「お金を出してやるなら、みんなに同じようにしないといけないな。」
と思ったのでした。
なにしろ大変に公平な王様でしたので。

よくよく考えた末、王様はお子様のある二人のお姫様に子供一人につき140ガボガボのお金を定期的に上げることにしたのです。
「よいお考えですわ。」
と、お妃様も賛成なさいましたので。
「二番目の姫は自分で稼いでいるから、良いだろう。」
と王様は思ったのです。
「それに子供もいないことだし。」
と。

上のお姫様は、お城で、誰にも必要とされることもこともないままひっそりと暮らしている乳母がかわいそうで、お金を戴いてもちっとも心は晴れませんでした。

二番目のお姫様は
「わたくしは誰でも子供ができても安心して働けるようにしたかったのに。」
と残念思いました。そして
「やはり結婚はできないわ。」
と思いました。

三番目のお姫様は
「ベビーシッターを雇うには140ガボガボでは足りないのに。つまらないわ。」
と落胆して、そのお金でお友達とランチを食べに行ってしまいました。

そしてみんな幸せに暮らしましたとさ。





2010年03月25日

「掛売りお断り」

今月は
「いつもニコニコ現金払い」月間にしてみた。
クレジットカードは使わない、というキャンペーンです。

「帳面は効きません。」

いえ、大したものを買うわけではないのです。
近所のスーパーマーケットで買うくらいだからそれほど高額な請求が来るわけではない。でも、
「これ、安い。」
「まとめて買っとけば。」
「また来るのが面倒だから。」
「地震が来たら。」
などという理由でもう、しこたま買い込むことが数回続くと請求が来て
「あれ?」ということになる。
同じものを沢山買うのが好きなのは血筋かもしれない。
母なんぞは、店頭で
「じゃ、これ。全部ね。」
という買い方をしていた。
ティファニーで、ではなくて、八百屋で。
そして、使い切れなくてよく捨てていた。いや、捨てられていた。
捨てられると、怒るのですね、これがまた。

わたくしは、それほどダイナミックではないが、食品ストック用の棚にオールブランが馬に喰わせるほどあったりする。
クローゼットの中でネービーのスカートが暇そうに整列していたりもする。
お店で
「これどう?」
と、夫に訊くと
「同じの、持ってるんじゃない?」
と、言われる。
違うのですよ!
ココとココが!

それもこれもクレジットカードのせいだ。

「本当に必要なのかをようく考えて購入する!」
という誓いを立て、まず、ムカデの一家を養えるほどの靴下を処分したのはこの間のこと。

一つで済むのなら、一つ買いましょう!
というわけです。

なかなか難しいです。
どなたかご一緒しませんか?



2010年03月20日

お二人さん

「朝会社で同僚に会っても挨拶は、しない!」
と言った人が、同席していた人たちの攻撃の的になって、それでも自説を撤回しなかったということがあった。

いえ、わたくしではありませんよ。

「どうして『おはようございます』ぐらい言わないの?」
「そんなの、変!」
などと罵倒され、
「挨拶されたらどうするの?」
と訊かれて
「その時は返事する。」
と答えたので、ますます批判は沸騰し
「ゴーマンだ!」
「甘えるのもいい加減にしろ!」
となり、
「じゃあ、されなくともいいの?」
「別に・・・」
ということになったので
「おかしな人だ!」
という結論になった。

しかし、
「どうして挨拶をしなければいけないのか?」
をその時に論じた記憶はない。

人間はどうして挨拶をするのだろうか?

その昔、朝のオフィスで同僚のヨーロッパ系外国人と話していた。
そこへ
「グーテン・モルゲン。」
と言いながらまた一人入ってきた。
わたくしと話していた人は、その人に向かって挨拶抜きで
「ああ、この件なんだけど、どうなってたっけ?」
と問いかけた。
訊かれた人の答えは
「ワタシハソレニハコタエナイ。アナタハマダソンザイシテイナイ。
 ナゼナラバ、アナタハワタクシノアイサツニコタエテイナイカラ!」
というものだった!

言われたほうも心得たもので
「ああ、ぐうてんもるげんそれでね、この件は・・・」
と、これまたへこまない態度でしたね。

結構仲の良くないお二人さんでした。

オモシロカッタ。




2010年03月18日

コンビニエントな敵

コンビニでお買い物をすることはほとんどなかった。
むかーしむかし、しっかり者の姉に
「こういうところは品数もないし高いから、あまり買わないほうが良いですよ。」
と言われたことがある。刷り込みとは恐ろしいもので、いまだに出先でお水を買うぐらいだ。
本当に素直なのですね。
そう。あの、「ゲンバク」の写真を片付けてくれた姉です。

しかし。
今頃になってコンビにのコンビニエントなところに気づいてしまったのです。

疲れて帰った時、ちょっと甘いものが食べたいですね。
駅の前にはケーキ屋さんがある。
でも、そこで
「シュークリームをいっこください。」
とは言いにくい。

恨めしげに家路に着こうとした私の瞳に映じたのが、「ナ・ロ」の看板!
「そうか!」
とひらめいて、飛び込みましたね。
ウォーカーズのショートブレッド二個入りを、百五円で、大変に友好的な店員さんから購入してお家で食べました。
何を隠そうわたくしはショートブレッドが大好き。

ある時、駅前のTKストアで同じものを買おうと思ったら、百四十円と少し!!

コンビにはコンビニエントな上にショートブレッド二個入りが安い!!
皆様ご存知でしたか?

でも、コンビニはダイエットの敵かもしれない。

ショートブレッドを焼いた時にあまりに多量のバターを使うのでおっかなくなったほどです。

困ったことです。



2010年03月16日

その情景


今「嵐が丘」を読んでいる。
突然読みたくなったのです。

いやはや。
大変な本ですね。

陰鬱で寒い日が続いていた頃はしきりに「魔の山」が読みたかった。それが「嵐が丘」に取って代わられたのだ。その前は「北の愛人」だった。その前は「モデラート・カンタービレ」。
このどれも、読むには至らなかった。
「嵐が丘」の前は村上春樹が訳した「さよなら愛しい人」を読んでいたので
お風呂に入りながら
「普通の速さで、歌うように」
などと思い浮かべていたぐらいだった。


突然に読みたくなる本は、わたくしの場合は昔に読んだことがある本に限られる。
当たり前かもしれないが。

村上が
「良い本には、後になって生き生きと心によみがえって来る情景があるものだ。」
というようなことを、「さよなら愛しい人」の後書きで述べていたが、確かに、あるシーンを思い出したことが再読のきっかけになることは多い。

「魔の山」には
「惨めだな。」
とつぶやいた瞬間にすばらしい幸福感に満たされる、というシーンがある。
そしてそれは一瞬で消えてしまうので
「また来ないかな。」
と期待するが、再び訪れることはなく、寒くて惨めな気分だけが残るのである。
この情景は今やわたくしの一部になっている。

よくわからなくとも若さと腕っぷしで読んでおいて、よかったと思う。


happiness is








「幸福感・・・・」




2010年03月13日

仲良くしたいのに

「反感をもたれているな・・・」
と思うことがある。

「そういう場合はあなたのほうに何か思うところがあるからです。」
と仰る方もいそうです。
でも、わたくしのほうにはそんな気持ちはみじんも、ない。
ない、と言っているのに、なぜか気持ちのよくないお付き合いになってしまうのである。
それも、わたくしのせいですか?

仲良くしたいと思っているのですってば。

たとえばパウダー・ファウンデーション。
プレスされたタイプ。

三センチ×五センチくらいのくぼみにパウダーがきっちりとプレスされている。
その上をスポンジでこすってお粉を取り、お顔にはたきつけるという仕組みなのです。
新しく買う。
散々迷った挙句に、大枚をはたいて買ったのです。
嬉しくないはずがあろうか?
ね?
仲良くしようと思っているわけですよ。

真新しいこれをなぜか、使い始めてすぐに床の上に落としてしまう。
固形状にしたパウダーが衝撃で割れて粉を振りまきながら、容器から飛び出す。
一度容器から出たパウダーはどのような手を使おうと、元には戻らない。

おまけにそこいらじゅうがコナだらけ。

キレイなケースもコナだらけ。
ジグソーパズルの要領で容器に収めても、ちっとも落ち着かない。
浮き上がって来るし、カタカタする。
スポンジに付けようとしても逃げ回って気持ちよく付いてくれない。


仕方がないので買いなおす。

これを今年になってから二回やらかしました。

それもわたくしのせいですか?




2010年03月11日

今日届けられたお野菜のセットの中に夏みかんが入っていた。
あまり好きではない。
スッパイから。

夫も決して食べないだろう。

仕方がないので、マーマレードを作った。

仕方がない、などと言っては夏みかんにかわいそうだが、大変なのですよ。マーマレードを作るのは。

厚い皮をこわごわ剥いて、薄く切って水にさらし、実はジュースにして取っておく。
皮の内側の白いのと搾りかすとを一緒に煮てペクチンを抽出する。
皮だって何回も茹でこぼさないといけない。
大きな夏みかんを相手に奮闘していると、手が酸に侵されそうな気がしてくる。
指紋が消えそうです。
何か犯罪を計画するなら今かもしれない。

去年は何回か作ったが今年は今日が初めてです。
作業の最中に去年なんとなく思っていたことがはっきりと蘇って来た。

初めてマーマレードを食べた時のことが。

熱を出して寝込んでいたわたくしのところに母のお友達が、お手製の
「鍋焼きうどん」と
「マーマレード」
を持ってきてくださったのだった。

つい近所の方で、そう
「水のこどもたち」
という絵本を貸してくださったあの方でした。

母が小鉢に取り分けて、お布団の上に座っているわたくしに食べさせてくれたことを覚えている。
おうどんには色々な具が乗っていて火傷するほど熱く、マーマレードはほろ苦かった。

あの時がマーマレードを食べた最初だった。
母は、苺ジャムは毎年作ったが、マーマレードは作らなかったのだ。
透明なオレンジ色のシロップの中に薄い薄い皮が沈んでいた。

おばさんも同じ手間を掛けて作ってくれたのだと今になって気がついた。
色々な人に優しくしてもらって大きくなったのだと思う。

そして、亡くなった人たちがわたくし達のもとを去ることはないのだと改めて考える。

指紋2


指紋?

2010年03月08日

さようなら

迎えに来てくれたお友達とわいわい言いながら学校へ向かい始めた時
「さようなら」
という声がした。

にぎやかなおしゃべりの中にいたいたわたくしはとっさに返事ができなかったが
少し歩いて行って角を曲がる時振り返ってみたら、いくらかうつむき加減で門を入っていく伯母の姿が見えた。
それは我が家に滞在していた伯母が自分の家に帰る日だった。

その後彼女は病気のせいでかすれた声しか出なくなったが、母に
「あの人はいい声で、歌もとても上手かったのよ。」
と、大分経ってから聞かされた時、あの時の彼女の声が私の耳にきれいな絹糸のように届いたのも合点がいったことだった。

その時彼女に返事をしなかったことが、彼女の後姿と共に長い間わたくしの心に残っていた。
その後も伯母とは数え切れないほど顔を合わせ、おしゃべりも沢山したが、このことにはついに触れずじまいだった。

ひと月ほど前伯母は
「さようなら」
も言わないで逝ってしまった。




2010年03月07日

ひ し

江戸っ子のお話しをしようというのではありません。

母と姉が「デビ夫人」のことを話していた。
「きれいよね。」
というようなことを言っていたのだと思う。
そこに口を挟んだチビのわたくし。

「品もあるし。」
と、言ってみた。

と、次の瞬間に怒涛の如く沸き起こった否定と非難の嵐には仰天してしまった。

そうか。
この人は
「品がある」
のではないのか・・・。

その時わたくしはただ
「品がある」
という言葉を使ってみたかっただけなのである。
「品がある」
と、
「きれい」
ということの区別が付いていなかったのですね。
その結果、かくも激しい批判にさらされてしまったのである。

そしてわたくしの中で
「デビ夫人」

「品のある人ではない」
ことの象徴となった。

しばらくたって、母が、偶然お会いしてご挨拶をしたあるご婦人のことを
「XXさんは本当にお品があるわ。」
と、言っていた。
わたくしは着物姿の、後ろにお嬢さんが控えていたそのおばあさまのことを思い浮かべてみた。
キレイなお姉さまとは違うその方には
「品」
が、あったのか・・・・。
と、考えた。


別の時、母の写真を見ていて
「写真うつりがいいねぇ。」
と言って、これまたぷりぷりされたことがあった。

白いコートを着てスカーフを頭に巻いている旅行中の母は、子供の目にはお仲間の中で群を抜いて美しく見えた。
褒めたつもりだったのに怒られて、不思議でしたね。