2010年10月

2010年10月30日

お友達

さて
「清少納言と紫式部のどちらが好きか?」
という大問題について語るときが来た。
清ちゃんと藤原香子様ですね。

そもそもこの問いは
1)文筆家として、つまりは作品が、好き
2)作品から想像できるその人が好き
のどちらなのだろう?

1)の場合は作品の好き嫌いで片がつく。
 しかし一方はエッセイ、他方は長編小説だから、比べようがないといえば比べようがない。

であるからして、この問題は通常2)の観点から論じられることが多いように思う。

エッセイからの方がその人が想像しやすいように思われる。当たっているかどうかは別にして。
清ちゃんは、デリケートな配慮を必要とする場にはご一緒できないと思う。
もう、自分のことばかり話して、あるいは中宮様への礼賛に終始して、ゲストへのホスピタリティを忘れてしまいそうで、こちらが疲れる。商談の場などにも向いていないですね。ちょっと知っていることが話題になると、その場に専門家がいようがどうしようが、自分の知識の限りを披瀝し続ける。周りの人が青ざめるのが目に見える。
そのかわり、ただ楽しく食べたり飲んだりする場には向いているだろう。どんな話題にも付いてきてその場を沸かす天才で、エンジンがかかるとすごい。但し、彼女と張り合おうという人は面白くないかもしれません。

香子様は、作品の影に身を潜めている印象だ。
そして、その場にふさわしくないことは決して言わない。大抵はうなずきながら人の話を聞いていて、誰かが見当違いなことを言っても
「違いますよ!」
などとは仰らない。褒められても舞い上がらない。いつも静かに笑っている。
困ったことがあったら香子様に相談するだろう。責任を持ってきちんと対応してくれる。但し、その行ないが好意から出ているのかがちょっとわからない。誰にでも同じ態度だから、物足りないと思う人もいる。
清ちゃんは情熱的に自ら乗り出して来てぶち壊しそうだ。

こんなイメージのお二人のどちらを好きかと問われたら、
「どちらも。」
と言うしかない。

清少納言は定子一族が失脚し、定子自身も亡くなってからも長いこと生きていたという話もある。
落魄してからの清少納言がどう生きたのか、伝説から想像するしかないが彼女の本当の力はその時に発揮されたのだと思いたい。

お二人とも、お友達になりたかったと思う。
とはいってもお二人とも上流階級のお嬢様。
わたくしなんぞは同じ時代に生まれていても、貫頭衣に毛が生えた程度のものを着て市場辺りをうろうろしていたか、せいぜいが樋清し童クラス。今に生まれてこのお二人を心の友としているのが幸せなのかもしれない。



2010年10月29日

清 vs. 香

母の学生時代の先生は清少納言を崇拝していて、同じ時代に生まれていたら必ずお嫁さんにもらって、(来ただろうか?)
床の間に飾っておく(おとなしく座っていただろうか?)
と公言していたそうだ。
その影響なのか、母も清少納言派だった。
「天衣無縫で明るくて。
 紫式部って陰湿な感じ」
という意見だった。

こういう人は割に、多い。

話は飛ぶが
「たけくらべ」
で、美登利が
「がらがらしたものは心が良い。」
のだとお母さんが言っていた。と、おとなしい信如の悪口を言う場面がある。

似ている。

紫式部陰険説の根拠となるのが
「紫式部日記」
に出てくる
「清少納言はいかにも物知りなふうな口をきくが、よく聞いてみると結構生半可な知識を振り回していて、聞くに堪えないことがある。」
という記述だ。

でも、これは日記です。日記には何を書いてもいいでしょう?
もしかしたら本当にそうだったのかもしれないし。

清少納言のテンションの高さ、というか、舞い上がりぶりは中宮さまもご心配なさっていた。
お庭に作らせた雪山がいつまで消えずに残っているか、という賭けをして、清少納言が勝つと決まったとき、定子はわざわざその雪山を取り除けさせているのである。
その雪山を綺麗なお盆に載せて中宮に差し上げようと勇んで伺候した清少納言はがっかりする。
定子は、清少納言が賭けに勝ったことはそれで良いが、余り得意にならないほうが彼女のためになるだろう、とお考えになったのだ。

横綱のガッツポーズは、みっともない。

定子はなんと思慮深い方であろうか!
このときまだ二十台ですよ!

紫式部といえば、褒められても
「いいえ。お恥ずかしい。
 まだまだ未熟でございます。これも皆様のお蔭でございまして・・」
などと扇の陰でそめそめと謙遜していただろう。
そして日記にはあのようなことを書く。

やはり違いますね、このお二人。

思うに清少納言の武器は
ひらめきと感性、呑み込みの速さ、瞬発力だった。

紫式部のそれは
思考力、粘り、持久力、だったような気がする。

どちらが優れているともいえない。

さて?

長くなるのでまた今度。



2010年10月28日

ブログタイトルは「ワタシ」?

清少納言が今の時代に生きていたら、まず、ブログをやっていただろうと思う。
「枕草子」
それ自体が、当時のブログのようなものだったと思うし。
言いたいことをずばずば言って、結構な人気ブログになっていたかもしれない。
自慢話が多かったろうと思うが。
批判的なコメントなんかには切って捨てる勢いのコメント返しをしていましたね。

宮中に上がっては
「昨日の訪問者数は千人を超えました!」
なんて中宮定子に誇らしげにご報告したんでしょうね。
定子だってパソコンぐらいはいじるから、時々訪問しては
「あんなことは書かないほうがいいですよ。」
などとたしなめたりもなさったはず。
一条天皇はパソコンはなさらないが、側近が見てはご報告申し上げていたので、時々面白がってブログのことをタネに清ちゃんをからかったりしていたのです。

一方、紫式部さんはブログなんぞなさらなかったと考える。
夜更けにココアをすすりながら、自室でひっそりとパソコンに向かい、ひたすら物語を書き連ねていただろうと想像しますね。
そして時々こっそりと清ちゃんのブログを覗いては
「ふん」
と、言っていたりして。

このお二人のどちらが好きか、という古典的なテーマがあるが、あなたはいかがですか?

長くなるので、また明日。



2010年10月27日

草原の輝き

三十歳ぐらいまでは全くお化粧をしなかった。
お肌のお手入れと言えば顔を洗って、ローションと乳液を付けるだけだった。
口紅すら付けなかったので、あんまりだと言われたこともある。
しかし、あるときを境に一変した。

シミ、ができたから。

いや、シミに気づいたから、のほうが正しい。
と言うよりも、シミが消えないことに気がついたから、というのがより正確である。

シミ。

海水浴などに行って日焼けしても、自然に消えていた。
もともとソバカスがあるので、気にも留めなかったのだが、ソバカス同士が合併して大きなソバカス、つまりはシミとなって、いっかな消えない。

慌てましたね。

デパートの化粧品売り場にあるものは、大抵は試したと思う。

シミなんぞはそんなに簡単に消えるわけはないのだから、気長にやればよいものを、ちょっと試しては
「これは、ダメ。」
「あれも、ダメ。」
「ああ、ぜんぜんダメ!」
とさまざまなメーカーを転々として、最終的に落ち着いたのが
「ラ・プレリー」
だった。

何かに憑かれたかのように、高価な方へ高価な方へと夢遊病のように導かれて行った結果であった。お肌の上でプチプチとつぶして使うあれも愛用しましたね。
ともかく、肌の上に乗せるものはすべて
「ラ・プレリー」
と言う時期が続いた。
新製品、と言えば飛びついて試し、一喜一憂したものだった。
なぜ
「ラ・プレリー」
に落ち着いたのか?
それは、それ以上高価なものは財政が許さなかっただけのことである。

お風呂に入った後わたくしがお肌のケアを手順にしたがって行なっているのを見て、きょうだいの一人が
「あなたって、アタマがいいのね。
 こんなに複雑なことを毎日やっているの!」
と感嘆したほどだった。

それで、どうなったか?

飽きてしまった。

今はさっぱりとしたものです。
日本酒のローションと、椿の油。
日焼け止めクリーム、但し、紫外線吸収剤不使用のもの、を塗って、軽くパウダーをはたく時もあればはたかない時もある。
口紅は人前に出る時はつける。

そんなところです。

シミは消えないが、気にしない。
シワもあるが、まあ、いいでしょう。
高価な化粧品をイライラしながら使っていた時よりも、今の方が自分のお肌に不満がない。

「こんなもんだろう。」
と、思う。

気持ちよく年を取れば、お肌もそれなりに満ち足りるのではないかしら?

マーガリン



それは、お肌に塗るよりも舐めるほうがいいですね。






2010年10月26日

近くにいる他人

夫がどうやら二重生活を送っているらしいと気がついたのはこの間のことだった。
我が家では寝室にそれぞれのクローゼットがあり、そこに季節の衣類を収納し、季節以外の衣服は地下にある大きなクローゼットに二人分一緒にぶら下げたり、箪笥にしまいこんだりしている。入れ替えはわたくしが行なう。

夫はそれ以外にランニングやゴルフに使うものをしまっておく場所があり、そこの管理は自分でしている。
だから、洗濯物の中にそれらに該当するものがあれば、わたくしは洗い終わったそれらをたたんでその辺においておくと彼が自分でしまいこむという寸法だ。

ある時、探し物をしていて、夫の管理になる抽斗を開けたところ、びっくり仰天!
ぎっしりと詰まった衣類の数々。
一枚だと思っていたランニング用の白い長袖が山とあるではないか。同じような短パン、ランニングシャツ、レインパーカーのようなものが何枚も、オーバーパンツらしきものも数枚、あるわあるわ、スポーツ用品店の倉庫のよう。
別のところには何だか知らないが、ポリエステル製の赤と青がぎっしり。表面を見ただけで目が回る。
ジャージらしきもの、タオルらしきもの、長いタオルらしきもの、マフラーだかタオルだかわからないもの。房の付いたの付かないの。みーんなポリエステル製。
赤と青の傘まである。

そ知らぬ顔でいつの間にこんなに溜め込んだのだろう?

一つ屋根の下に住んでいても、知らないところってあるのですね。



2010年10月25日

言っちまったら


失言は、多い。
はっきり言うと、わたくしの人生は数々の失言に彩られていると言っても過言ではない。
その度に、自己嫌悪に陥ったり、腹が立ったりする。
「もう、二度と人前で口を開かないぞ!」
と、決心する。
「はい、といいえ、だけで暮らす!!」
と宣言する。
宣言するが実行できない。
あたりまえです。
再び口を開いては失言をする。
本当に困る。

ある人が
「言っちまったことは、しゃあない。」
と、柔らかい関西弁で仰った。
とても聡明で、その場にふさわしくないことを言うことなどまるで想像もできない人だった。
「この人にも、そんなことがあるんだ。」
と、思った。そして、失言を繰り返す度に
「あ、言っちまったことは、しゃあない。」
とつぶやき、元気を取り戻す。

と、いうことを別のある方に話したら
「そんなふうに、開き直るのも・・・」
と言われた。

色々な捉え方があるのだなあと感心した。

一旦口から出てしまったことは、どうにも取り返しは付かない。くだくだしく弁解しても大抵は意味がない。
あるいは、言われた人はそんなにも気にしていなかったりして、くよくよしているのは自分だけだったりもする。気にしているのは自分。
だからこそ、うっかり言ってしまったことを率直に自分の中で認めて、気をつけるのが良いと思うのですが。
開き直っている訳ではありませんのですよ。


2010年10月24日

熊との遭遇

あちらこちらで熊が出没しているらしい。捕まえてみるとおなかの中が空っぽだったこともあるらしい。本当にかわいそうで涙が出る。

聞いた話。

ある人が北海道に住んでいたときのこと。
家の前で鉈を使って薪を切っていたら目の前に突然熊が現れた。
もちろん大変に驚いたが、リズミカルに振り下ろしていた鉈は、そうそう急にはストップできない。
顔は上げたまま熊さんを見つめ、手はそのままのリズムで下に下ろしたそうな。

あっ、と思ったときにはすでに遅く、その人の小指はすっぱりと切り落とされていたそうだ。
思わず拾った小指は元のところにくっつけたらしい。
本能なのだろうと思う。

熊さんはそのままのそのそと引き返して行ったそうだ。

病院に駆けつけて縫ってもらった小指はめでたく元のところに納まったという。
反対にくっつけなくて良かったと思う。

ちなみにこの人のあだ名は
「クマ」
だったらしいが、別にこの話にちなんだものではないということだ。

2010年10月20日

痛い! ごめんなさい

あなたは医者だったとする。
ある患者の病気を治すためにある方法を講じた。
それは患者に多大な苦痛を与える治療法だったが、お蔭で患者は一命を取り留めた。

あなたは病気の治療が成功したことを患者とともに喜ぶ。
しかし、同時に、耐え難い苦痛を与えたことを気の毒にも思う。

「苦しかったでしょう。ごめんなさいね。」
とは、言わないだろうか?

原爆投下について謝罪する必要はないと主張する人たちの意見は、
「さもなければもっと多数の人間を殺傷していたのだから、あれは正しい行為だった。だから謝る必要は、ない。」
というのが大半のようだ。

仮に原爆投下が唯一の戦争終結の方法だったとしても、被害を受けた人たちに謝らなくとも良いという論法はわたくしには理解できない。

如何でしょうか?





2010年10月16日

ね かね 

電話が鳴る。
例によって
「お知らせ」
と、銘打った勧誘です。
もう、そんなのにひっかかるカッサンドラさんでは、ない。

適当にお話しして切り上げる。

しかし、気になるのが
「ね」
あるいは
「かね」
である。

光回線に無料で切り替えて(ああ、もう聞き飽きたぞ!)PCと電話の料金が・・云々の説明の中に
やたらと入るのです。

「只今PCはお使いですかね。」
「ちなみに(これも頻出する!)一戸建てにお住まいですかね。」
「只今電話料金は××円ぐらいですかね。」

そして
「PC使っています。」
に対しては
「ですよね。」
と仰る。

知っているのなら訊くな!
知りたいのなら、きちんと訊ねなさい!
場合によってはお答えしましょう。

そして、
「今忙しいので、勧誘でしたら今度にしてください。」
と申し渡したら
「勧誘ではなくてご提案です。」
ですって。

どちらでもお好きに。
でも、もう掛けてこないで下さいな。

2010年10月14日

お ・其弐

読書は好きだった。

であるからして、耳で聞くことはないが読んだことのあるコトバが沢山あった。

「夫」
という言葉は
「なつめそうせき」
の伝記で初めて遭遇した。

鏡子夫人が
「おっと」
をよく看病しただか、よく支えただか、ともかく感心するようなことをしたらしかったが、よく覚えていない。

わたくしはその
「おっと」
というコトバを
「おつと」
と思い込んでいた。

思いたかった。

おっと、
などというヘンなコトバが存在するなんて信じられなかった。
信じたくなかった。
だって、
「おっと!」
ですよ!
オットセイならわかる。

そしてあるときに、しっかりものの姉に
「それは、『おっと』だってば!!」
と諌められ、両親も姉に賛同したのでわたくしは観念したのだった。

変ですよね?

漱石の
「門」
は、宗助が御米に
「近江の『おう』はどう書いた?」
と訊ねるところから始まる。
「『近来』の『近』ではなくって?」
というのが御米の答えだったと思う。