2011年03月

2011年03月31日

はっしょなぶる?

このごろ
「作業服」
が流行っているようだ。
ナッパ服、というのですか?

ともかく
「作業服」
は、
「作業」
するための服である。

そうですね?

その作業をしやすい衣類である。

間違いありませんね?

記者会見を行なうのも
「作業」
かもしれないが、スーツでも一向に支障は、ない。
足許は長靴なのかなぁ。
安全靴かもしれないぞ。

本当に不思議なことだ。
何の意味も、ない。
作業服に失礼だと思う。
更に、作業服を着て本当に作業している人にも無礼なことである。
しかも、公費で作ったのでしょう?
ネクタイは、締めている。

ヘンだ。

それとも、あれは
「国家が未曾有の困難な状況下にある」
時の
「ユニフォーム」
なのですか?

ごめんなさい、制服はキライなのです。

え?
戦闘服?

アホらしい。

selber at 16:13|PermalinkComments(0)TrackBack(0)怒れ! 

2011年03月28日

逃げるな!・其参

逃げてはいけないのは私達とて同じである。

地震、それに続く津波が発生した後しばらくの間テレビはそれに関する報道のみだった。どのチャンネルを回しても同様だった。

いくらか状況が判明し、また、落ち着き始めたと思われる先週あたりから災害に関する報道は日を追って減っていった。

「復興」
の言葉が口にされるようになってきた。
結構なことだとは思う。
長期的に考えなければいけない問題が山積しているとはいえ、また、自宅にいる被災者の方々はある意味で避難所に暮らす人たちよりも不便で不安な毎日を送っているとはいえ。
希望が口にされるのは良いことだ。

そして、福島第一原発。
これに関する報道が少なくなっているのは
「言うことがないからでしょう。」
「危険な状態に変りはないからでしょうな。」
と、夫などは、言う。

そうかもしれない。
何か隠さなければいけない事があるのでしょう?
とも、思う。

昭和天皇の亡くなられる前は、テレビで逐一ご病状を報道していたそうですね?
わたくしは日本にいなかったので知らないのですが。

今の原発事故についても同じ事をするべきだと思う。
別に知りたくもないし、知るのもこわい。知ったからと言って何ができるというものでもない。
しかれども、です。

他の番組を放映してもそれは仕方がないとしても、テロップで常にそれぞれの原子炉の気圧、温度、更に測定された放射線の量、など、最新のデータを流すべきだ。
ニュースの時に枝野くんのお口から聞くだけでは不十分です。

そのためには先ず常に最新の(正しい!)データを報告いただく必要があるのですけどね!

世界中が固唾をのんで注目しているこの危機へのせめてもの誠実な対応だとわたくしは、思う。

わたくし達には、それを知る義務があるのです。
知りたくなくとも。



2011年03月26日

逃げるな!・其二

震災、津波の関する報道は日を追って少なくなっている。
加えて福島第一原発に関しても緊迫した報道だったのが静かな調子に変わってきている。
行なわれている対応手段を淡々と伝えることにしたみたいです。

アヤシイぞ。

連ドラも放映されている。
いいのですか?
日本は今未曾有の危機に瀕しているというのに。

「不安を煽る報道は避けるべきですよ。」
というもっともらしい意見も、ある。
でも今わたくしたちは
「本当は何が起こっているのか。
「これから考えられる危険とはどういうものか。」
を、知らなければいけない。
リアルに。

また、
「放射線の被害なんか、喫煙が原因の疾病で死亡する人に比べたら物の数ではない。」
という意見もある。
正気とは思えない。

全く素人であるわたくしから見ても今回の事故は初期の対応が甘かったとしか思えない。
「溶解」
は、どこで起ころうと
「メルトダウン」
でしょう?
さっさと廃炉にする方向で事を進めなければいけなかったのだ。

アホではないかと思う。

閣僚、政治家、東電、原子力保安院の方々。
よく聞きなさい。
あなた方の今回の行いは、万死に値する。



2011年03月20日

無題

津波の被災地を歩き回っている女性がいた。

あの日以来帰ってこない息子さんを捜しまわっているのだそうだ。
「息子さんのお名前は?」
と、取材班に尋ねられたその女性は
「名前を言うと、もう息子は帰ってこないと思ってしまいそうだから。」
と、顔を覆ってしまった。

「巴」
という能が、ある。

シテは巴の亡霊。

戦いで重傷を負った木曽義仲は
「自分はここで自害する。
 お前は女だから、何とか生きていくこともできるだろう。死ぬことなど考えず、この小袖を故郷木曽に届けてほしい。この命令に従わなかったら、妻とも思わない。」
と、一緒に自害しようとする巴に言いわたす。

そこに敵が襲撃して来るので、巴は最後の戦いを挑み、敵を退散させて戻ってみると義仲はすでに亡くなっている。
義仲の形見の小袖を抱きかかえ、涙を流しつつ、後ろ髪を引かれて巴は何度も立ち止まりながらその場所を後にする。

「ひとり落ちゆきし後ろめたさの執心」
を、どうぞ弔って下さい、
と、言い残して巴の亡霊は姿を消す。

あのお母さんは今日も被災地を歩き回っているのだろうかと、毎朝眼が覚めるたびに思う。

「隅田川」
のお母さんも、捜さずにはいられなかったのだろう。

残された人たちの心はいつでもどこでも同じだと思う。





selber at 12:08|PermalinkComments(0)TrackBack(0)思うこと | 

2011年03月18日

遅すぎますか?

一生分テレビを観たのではないかとも思える一週間だった。

被災されたかたがたのことを思うと何と言ってよいかもわからない。
直接間接に知っている方でまだ所在がつかめない人、自宅で不安な毎日を過ごしている方なども多い。
ショックが収まってからが本当に大変なのだと思う。
もう、祈るしかない。

それにしても原発とはこうも単純な作りだったのですね。
可能な限り沢山の電力を低価格で(そうかしら?)作り出すためにコントロール可能であるかもよくわからない物質を利用する。物凄い高熱を発するから、お水で冷やす、という単純さ!
放射性物質が漏れてきたらおっかないものだから、二重三重に遮蔽し、それがまた、事故が起きるとアクセスも不可能な状況を作る原因となる。

一旦空気中に放射されたら致命的な事態になる物質を利用するという傲慢さ、慎重の上にも慎重でなければいけないのに、希望的観測にしたがって計画立案、実行する愚かさ。
「自分の生きているうちは、大丈夫だろう。」
と、思っていたわけではありませんよね?

その産物を当たり前のように享受し、更なる便利さを求めているわたくしたちが、自らを見つめ考え直す最後のチャンスは、知らないうちに過ぎてしまっていたのかもしれない。





2011年03月06日

HEIL MYSELF !!

思い切って言ってしまえばわたくしは
「子供の創造性」
という言い方に疑問を持っている一人である。

あるお宅でピアノを買った。
「レッスンはどうなさるの?」
と訊ねたら
「うちの子は自由人だから、先生にはつけません。」
という返事だった。

う〜〜む。

ジャン・クリストフみたいですこと。

数年経ったが、ピアノの音は全く聞こえなくなった。
残念なことだと思う。
もうお弾きにならないのでしたらウチでお引受けしますが。

天才なら別かもしれないが、やはり基本的なことは教えてもらったほうが楽しめると思うのです。

更に思い切って言えば、わたくしは
「コドモの自主性」
という言葉にもにも胡散臭いものを感じる一人です。

「ナニはキライ」
「カニはやりたくない。」
「こうしたい。」
「ああしたい。」
という欲と
「自分のことはその子なりの責任を持って自分でコントロールする。」
ということは全くの別物だと思うのですが。

また、子供というものは、まだ言葉と、それの意味するものとが結びついていないイキモノである。
「ダメ」
と親が言っただけでそのままやらせておけば
「ダメ」

「いいよ。」
の意味になる。

生きていると、いやでも何でもしなければいけないことが山ほど出てくる。
「今のうちだけは好きなことをやらせてやりたい。」
という親心は理解できないわけではないが、社会の中で生きていく為には理屈抜きでともかくもしなければいけないこともある、という事実に直面したらこういう子達はどうするのでしょうね?

heil myself





HEIL MYSELF !!

-Mel Brooks-

2011年03月02日

セルジュ・ゲンズブール

知っている方があったら教えていただきたいのだが、村上春樹の
「ノルウェイの森」
にセルジュ・ゲンズブールの事が出ているのですか?
どうしても思い出せないのですが。
かといってもう一度読み直す気にもなれないのです。
どうぞ教えて下さい。何ページに出ているかもご教示いただけたら手間が省けます。

「まあ、彼はprovocateurですよ。」
と、言っていた人がいたが、そういう一面は確かにありましたね。
もちろんそれだけではないが。

ところで彼の映画
「ジュテーム・モア・ノン・プリュ」
に若き日のジェラール・デュパルドゥーが出演していることをご存知か?金髪をなびかせてトラックから降りてくるのですよ。
ユーグ・ケステルも出ていた。あの、ロメールの
「春のソナタ」
に出ていた人ですね。ナターシャのお父さん。

今日はセルジュ・ゲンズブールの亡くなった日である。

彼は一人でテーブルについていて具合が悪くなったということだが、そこには煙草が置きっぱなしだったので、みんなで
「セルジュが煙草を持たないでベッドに行ったのは、よほど気分が悪かったのだろう。」
と話したということだった。

写真を見ると確かに
「ジタン」
の箱があった。とても散らかったテーブルだった。

最初から最後まで、こうありたい自分でいようとした人、という印象です。



2011年03月01日

三月のカッターハウス

桃の節句も近づきました。
カッターハウスは
「特製雛あられ」
を、ご希望の方に特別にお分けいたしております。

雛あられ










人工甘味料や着色料を使用していない身体に優しい雛あられです。
数に限りがありますので
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選ばれたあなたにだけ、そっとお知らせいたします。