2011年06月

2011年06月27日

にっき

                               一ねんゆりぐみ  かっさんどら

きょうはしぶやぶんかむらにえいがをみにいきました。

えいがは
「げんずぶーる と女たち」
というのでした。

げんずぶーるをやったひとがほんものにそっくりでびっくりしました。

それだけでした。

2011年06月23日

お買い得!!其弐

夫が負けじと話してくれたのは。

我が家の近くにあるスーパー
「ヴァル・ド・アッシュ・プロスペリテ」
では化粧品のタイムサービスがあった。

時間になるとワゴンにお化粧品を満載して販売員が呼び立てる。
「ただ今よりマックシ・ハクテルのタイムサービスです!
通常の三割引きでUV化粧品を販売いたします!!」
なぞと呼ばわるわけですね。
そのときは若いおニィさんだったらしい。

「本日のワゴンサービスは失星堂の商品です!
 さあどうぞ!
 お買い得ですよ!
 タイムサービスです!
 タイムサーぶす・・・・」

本当かしら?

2011年06月22日

お買い得!!

スパーマーケットに行くのは楽しい。
面白いことがあるから。

あの、スピーカーから流れてくる声などはなかなか味がある。
抑揚たっぷりな人、シブイ声、甘い声。
やはり担当者なんかは決まっているのだろうか?

ある時そのスーパーマーケットは
「マルハ・フェア」
というのを開催していた。
例によってスピーカーから景気の良い呼び声が流れてくる。威勢よく七語調で呼ばわっている。なかなか良い声だ。
と、
通りすがりにある女の人が無表情に
「まるひゃ・へあ、だって。」
と、呟いた。

確かにおじさんは
「本日はまるひゃ・へあ開催中!!」
と連呼していた。
次の瞬間わたくしは冷凍食品のケースに顔を突っ込んで肩を震わせてしまった。

またあるときは
「マルチャン・ラーメン」
がお安いらしかった。

本日はマルチャンのラーメンがお買い得!!
マルチャン・ラーメン!
マルチャン・ラーメン!

マルチャン・ラーメン
マルチャー・ランメン!!


その時は母が一緒で助かりました。

「盟三五大切」

「若いものがよう、やりおる。」

「麦秋」

「大和のおじい様」
の言葉です。

覚えておいででしょうか?
久しぶりに上京して歌舞伎を観たおじい様。
きっと名人、上手の舞台に何回も触れたことがあるのだろう。
やさしいと共に厳しいお言葉です。
いいですね。

さて。

「吾輩は猫である」
で、
「マクベス」
を例に引いて、滑稽がさらに恐怖を高めることを説明している箇所がある。
しかし、この芝居では滑稽と恐怖が別物になっている。有機的に関連していない。
残念だが。

明るい部分が、南北独特の執念深くもおどろおどろしいところを消している。
全体的に、陰影がない。
それが演出の意図なのだろうか?

なんだか、さらっとしている。
本水を使う演出も、いささか、本水のための本水、になっているという感がある。

さらに惜しいのは幕切れの際に流れる台詞がほとんど聞き取れないことである。
あれは、何とかしなければいけない。

「若い者がよう、やりおる。」
のに。

一度
「本説正しく」
なさってみては如何かな?

「ああ、南北を観た!」
と思いたかったです。



2011年06月17日

右と左

ごく小さかった頃、わたくしは靴の右と左の違いが理解できず、よく反対に履いていた。
それを厳しく修正してくれたのは少し年上のきょうだいである。
感謝している。

しかるに。

ぞうり2

ぴょんきちさんは、習わなくとも理解できるらしい。



ぞうり1
えらいぞ、ぴょんきちさん!!

2011年06月14日

二つの恐怖

土門拳の
「生きているヒロシマ」
という写真集を読んでいたら以下のような記述があった。

「『世界は恐怖する』
を観たが、あまり感動しなかった。
原爆というものはあれ以上ですから。」

これはある被爆者の言葉である。

「世界は恐怖する」

放射能の恐ろしさを描いた映画のようだ。YouTubeでその一部分を観ることができた。
原爆や核実験によって大気中に放出された放射性物質が空間、時間を超えて生物に与え続ける影響の底知れない恐怖が伝えられていて背筋が寒くなる。
目には見えないがその力が、確実に世界を蝕んでいくさまがよくわかる。

それを知っているはずの日本がこれほどまでに原発を推進してきたのはなぜだろう?

その鍵のひとつは上記の被爆者の言葉に示唆されているように思う。

「原爆」
の恐ろしさと
「放射性物質」
の恐ろしさはたぶん質が、違うのだ。

どちらがより恐ろしいか、という問題ではない。

原爆はすばやく直接に、人間の身体に被害を与え、血を流させ、肉を焦がし、骨を砕く。
一個の人間にとってこれ以上の恐怖は、ない。

一方
「放射性物質」
の恐怖はいわばもっと観念的である。
「被害がいつ来るかわからない。」
ということは
「もしかしたら来ないかもしれない。」
という安易な考えを誘う。
今、そこで血を流しうめいている人間を見るのとは別である。そして
「できれば考えたくない。」
とも、思うことにつながる。
「まあ、だいじょうぶでしょう。」
 その時は、その時。


しかし、双方ともに、この世に生を享けて生きている限りすべての根本となる生命を脅かすという事実に変りはない。

日本という国が放射能の恐怖を身体的にも観念的にも知ってしまったのは偶然ではないかもしれない。

被爆国のなすべきことをこれ以上のやり方で示すことは不可能だ。

時間は、ほとんどない。



2011年06月09日

しゅっぱ〜〜つ!!

羽化1







朝、ふと窓の外を見たら
このような光景が。
透き通った羽根がきらきらしていた。



羽化2









しばらくしたら、
いなくなっていた。
飛んで行ったのですね。




Good By & Good Luck!!

今頃どこでどうしているのだろう?
行ってしまう前に我が家の上空を旋回してくれたのかしら?
元気でね!!

2011年06月07日

犯罪捜査の基本の基

NHKアーカイブス「虞美人草殺人事件」
という番組の再放送を観た。

藤尾を殺したのは誰か?
というテーマをまずは持って来て、作家、心理学者、評論家、読者の代表らしき人などが、まあ、いろいろと語る、という番組だった。
もちろんいわゆる
「犯人」
がいるわけではないので、これは言ってみれば作品を考える
「切り口」
として機能するはずものだ。
あまり機能していなかったが。

「虞美人草」
のところどころが舞台仕立てのようになっている。

これがつまらなかった。
感心した。

藤尾
驕慢で美しい明治の女性に見えない。

変な着物をぐたぐたに着て、
「つんけん」
しているだけで、やっとのことで台詞をたどたどしく口にしている。
品が感じられないので、哀れも風情もどこ吹く風。撮影が終わったらマクドナルドを食べそうです。
もしかしたら、外反母趾かもしれない。

藤尾は、あの時代に
「シエクスピヤ」
に原書で挑む女性である。
そいういうことに興味を持ち実行することを可能にする背景、というものが全く感じられない。
所作一つ、発音ひとつにもそういうものが出ていなければ
「藤尾」
ではない。
わたくしは藤尾を演じた女優さんのことを言っているわけではない。
この女優さんはもしかしたら
「沙翁」
のみならず、ギョエテも、シルレルも読みこなす方かもしれない。
それが、マクドナルドに見えるのはひとえに演出のせいである。
麻縄のような神経を持つ、雑駁でプライドだけが高い女性にしか見えないのは演出者の罪である。

宗近くんだって、いかに
「落第」
しようが、帝大で勉強して最終的には外交官の試験に通る人である。
あの時代にですよ!今の東大なんかは比較にもならない。精鋭中の精鋭なのだ。
それが、単なる四角い愚鈍な乱暴者。
だから最後に発する
「真面目」
という言葉も軽いこと、軽いこと。

甲野さん、小野さんは発育不全の虚弱児に見える。

「虞美人草」
は、こんなにつまらない小説ではない。
失敗作かどうかは別にして。

ご出演の方々は、これを観てどう思ったのでしょうね?

それから、犯罪捜査の基本は、その犯罪によって
「利益をこうむる人を探す。」
ことですよ。
でなければ犯人はバトラーです。

解釈、批評は自己を語ることに等しい。
ですよね?

2011年06月05日

外国語を読むということ

ここのところ、フィッツジェラルドの
「TENDER IS THE NIGHT]
を読んでいる。
一度挫折した、ペンギン・ブックスのオリジナル版である。
よくわからない単語も出てくるが、なるべく流れに沿って読んでいくようにしている。
どうしてもわからないところは、あとで、訳本を覗くこともある。しかし、不思議なことには、
「原書でよくわからなかった部分で、理解できた内容」

「訳本で読んで理解できる内容」
と、大差がないことがわかった!

私の英語力には相当問題があるのに、これは、不思議なことである。

おそらく、
「理解できること」
とは、
「語学力」
ではなくて
「自分の頭」
であるということなのだろう。

だからしてこのごろは、文章そのものをしっかりと味わいながら、ただ読むようにしている。
フィッツジェラルドの書いた文章、単語一つ一つをそのまま享受することができる幸せを楽しんでいる。
それが、原書を読む喜びのひとつだから。

ところで、村上春樹は、翻訳も、水のようなのだとこのごろ思う。
村上ワールド(!)を構築ししている語彙だけでは翻訳には不足していると言わざるを得ない。

文学として完璧な世界を作る、ということと、自分以外の人間の世界をさらに別の人間に伝えるために異なる言語に移し変えるという作業はまったく別物だということを痛感する。




2011年06月01日

六月のカッターハウス

早くも梅雨入りしてしまった東京です。
皆様如何お過ごしでいらっしゃいますか?

うっとおしい梅雨空の下でも楽しく日々を送ることが、心身の健康を保つ術です。

六月のカッターハウスは
「あなたも楽しくアンブレラ・ダンス!」
が、テーマです。

講師はドニー・ピョーンズ先生です。

ここではその一部をご紹介いたします。

傘2







まず、傘を持って
「ワン・ワン・ワン」
と、三つステップを踏みます。

次に

傘1







ワン・ターンして傘を開き、それに向かって


「ワン・ワン・ワン」
と、吠え掛かります。

如何でしょう?
簡単で楽しい
「アンブレラ・ダンス」!
丁寧に個別指導いたします。
皆様で楽しく梅雨のストレスを解消いたしましょう。

詳しいことはメンバーズカウンターまでどうぞ。