2011年07月

2011年07月28日

鏡よ鏡、鏡さん

犬は飼い主の鏡だとよく言われる。

「そうだな!」
と、納得するときも、ある。
「似ているのかもしれない。」

「なんて賢い子なんでしょ!!」
というようなときなんかにね。
もちろんこの場合
「飼い主」
とははわたくしである。

でも、こんなときは、
「もう一方の飼い主に似ている。」
と、思う。
サンダル1
サンダル2
ZZZZZZ・・・・・・・・

2011年07月25日

映るんです

「NHKは25日午前0時直前に東京タワー(東京・港)に設置したアナログ電波送信機のスイッチを切った。」
−7月25日・日経新聞朝刊-

ほうぅ〜〜・・・・。

では我が家のディスプレイに映っているのはなんですか?

胡散臭いとは思っていたが、ああまで大々的に
「地デジ」
「地デジ」
「観られなくなりますよ〜〜」
と騒いでいたのだから、そうなのだろうと思っていた。

まさか、である。

どうして?

あんなに言っていたのに、今おめおめとアナログ放送が観られて、恥ずかしくないのですか?
百歩譲って、手違いは、誰にでもある、と寛容になったとしても、やっぱり
「ごめんなさい。今、まだ観られます。」
というテロップを流してほしいですよ。



2011年07月20日

火急なんですけど・・・

「男子厨房に入らず」
という考えは古いとか何とか言われるがわたくしはちょっと、違う考えだ。

「男子厨房に入ったら出るな!」
と、言いたい。

逃げるな!

夫は時に
「用があったら言ってね。手伝うから。」
と、物わかりよく言う。

しかし、
「用が」
あるときには
そこに、いない。
消えている。

遠くでパソコンをいじっていたり、優雅にテレビを眺めているのですよ。
いつかなんぞは
「手伝うから呼んでね。」
と言いおいて、ベッドで本を読んでいた!!

あの、ですね。
フライパンがじゅうじゅういっている時に
トントントン
「冷蔵庫からオイスターソースを取ってくださいませんか?」
と、二階まで来いと言うのだろうか?

こちらでパスタが吹きこぼれそうになり、フライパンでにんにくが焦げそうになっている時に
「ごめんくださいまし。
 ちょっとテレビを消してこちらにお出ましになっておジャガにお酢をかけて
大急ぎで和えてくださいませんか?」
と,懇望なさい、ということなのだろうか?

まったくなんにもわかっとらん、と、思うのですが。

お勝手でお手伝いがほしいと思うときは、一刻を争うケースが多いものなのですよ。

それとも
「トマトとバジルのパスタと、ポテトサラダを、お願いね。」
と申し上げるだけで済むのでしたら、そうしますけど。 

2011年07月15日

ジャーヴィーぼっちゃん

ジルーシャ・アボットは
ジャーヴィス・ペンデルトンを
「素敵な人。」
「ペンデルトン家の一員のようではない。」
と褒めたあと、
「ジュリアは格の低い分家の人であるとわかって、溜飲が下がった。」
と、言っている。

あれ?
「ジャーヴィーぼっちゃん」
こと、ジャーヴィス・ペンデルトンは、ジュリア・ペンデルトンのお父さんの末の弟ですよね。

ということは当然ながら、ジャーヴィス・ペンデルトンも
「格の低い分家の出身」
ということになる。
さらに、彼が後々一家を構えることとなれば
「分家の分家」
に、なるのではありませんか?

そんなことは問題ではないのなら、ジュリアについても
「溜飲が下がった」
りはしなくても良いのではないかと愚考するのですが。

ジルーシャは若い女の子でもあるし、人間は相反する感情を持って不思議ではないものだが、
「ジュリアは格の低い分家の出身だから、ヤッホー!」
「ジャーヴィス坊ちゃんは格の低い分家の出身だけどペンデルトン家の人間のようでないから
おーけー!」
というのでしょうか?
確かにジュリアは自分の出自をとっても鼻にかけているみたいですけどね。



2011年07月14日

BONJOUR JALOUSIE

遅まきながら
「サガン」
を読んでから彼女の作品をいくつか再読してみた。

それにしても絶版になっているものが多くて驚いていたのだが、昨日古書店で
「愛とおなじくらい孤独」

「愛をさがして」
をそれぞれたったの百五円で買った。

まあ!

前者は昔に読んだが、まだコドモだったせいかあまり印象に残らなかった。彼女独特のもって回った言い方についていけなかったのかもしれない。
「愛をさがして」
は、存在すら知らなかった。1994年に発行されたとある。
癌の告知をされた男の一日、という内容らしい。
そんな映画がありませんでしたっけ?

「九時から五時までのクレオ」
とかいったと思う。
観ていないが。

ところでわたくしにだって、
「悲しみよこんにちは」
ではないが、名前の付けようのない感情におそわれた記憶があるのですよ!

ある日曜日
「ゆっちゃんが、おうちの前で誰かと遊んでいたわよ。」
と、聞かされたときである。
ゆっちゃんは仲良しの女の子だった。相手の子は話の様子からひとつ年下の女の子だとわかった。わたくしは親しくなかったが、ゆっちゃんだって親しくないはずだった。
不思議に思ったが、それ以上に、そのときにわたくしの中に生まれて初めて沸き起こった感情に当惑した。それは今でもはっきりと思い起こすことができる。
いやぁな気持ち。
心を侵食し酸のように蝕んでいくようなその感情は
「おもしろくない」
でもなければ
「悲しい」
でもなく、
「腹立たしい」
でもなかった。

小学校の四年生の時でしたね。
そのままわたくしは何の反応もしなかったと記憶している。

2011年07月12日

逃げ去る家事

幸田文が何かに
「家事に追いかけられてはいけない。
 追いかけるようでないと。」
と、書いていた。

「あれをしなくては!
 これもしないと!!
 ああ、あっちを忘れていたぞ!」
というような時によくこの言葉を思い出す。

「さすが、幸田文さん。」
と、思い、肝に銘じているわけでは、ない。
わたくしにはこのお言葉は理解できないのですよ。

我が家の家事は、追いかけると逃げて行くのです。
そして、援軍を引き連れて背後から攻撃を仕掛けてくる。

なかなかタチのよくない家事達なのである。
戦い上手でもある。大将は誰なのか名乗ってほしい。

ある人が
「幸田文がお姑さんだったら、生きた心地がしないと思う。」
と言っていた。
そうだろうとは思う。
でも、一方で文さんだったら、自分を無にしてひたすら学ぶことができそうにも思う。

途中でお払い箱になるかもしれませんけどね。

2011年07月07日

知りたいことは・・・・

テレビはもともと好きではない。

「いい番組もある。」
とおっしゃらないで下さい。

そうかもしれませんね。
でも、ひとつの優れた作品として完成された番組がそうそうあるとは思えない。
それに
「テレビ」
というシステムそのものが好みではないのですから仕方がないのです。

あの、受身一方で、自分のペースで進めないというのがたまらない。
本だったらページをめくったり、必要なところだけを拾い読みしたりできるのにテレビは
「まず、聞きなさい」
という雰囲気があって
「なら、結構。」
と、言いたくなる。

テレビを見て
「これはよいことを知った。」
と思うことは確かにあるが、たまたま自分にある程度の知識がある分野がテーマだったりすると、
「あ〜ら、ま。
 知っていることだけしか出てこないわ。」
ということが多いので、テレビというものはいかに浅薄な知識しか伝えてくれないのかがわかる。

でも、天気予報と、ニュースは観る。

しかし、あの
「春ちゃん」
が異様な姿で登場して、えもいわれぬ甘ったるい声で妙なことを言うようになってからは天気予報も観なくなってしまった。

なんですか、あれは?
気分が悪くなりますよ。
あんなのとわざとらしく会話しなければいけないキャスターもお気の毒。

あのようなシロモノを登場させる意図が、まったくわからない。
あれを見ると人が喜ぶとでも思っているのだろうか?
こちらの知りたいことをきちんと伝えてくれようという気持ちが全く伝わってこない。
「天気予報」
なのですよ!

もうミステリ・チャンネルしか見るものはなくなってしまった。
「判事ディード」
はなかなか結構です。



2011年07月04日

ある時母に連れられて外出した。
季節はちょうど今頃だった。
梅雨どきの午後でしたね。

途中雨に降られた。
少しは濡れたのだろうと思う。
寒くもなかったし気持ち悪くもなかった。
なんでも、なかった。

家に帰って靴を脱いでいるとき、母が
「ごめんね。」
と、言った。

ぜんぜん意味がわからなかった。
何と答えたのかも覚えていない。



2011年07月01日

七月のカッターハウス

世は節電節電とかまびすしいばかりですが、カッターハウスのこの夏のテーマは

    「自分で運ぼう。自分のゴミ」
 
です。環境に対する負荷を最小限にとどめるという意識を高めるためにも、自分の出したゴミは責任を持って最後まで処理するようにいたしましょう。
クラブハウスご利用のメンバーの方もゴミはお持ち帰りいただきます。
どうぞ、ご協力をお願いいたします。
ゴミ
     「・・・・・・・」